2012/05/23 - 2012/05/23
74位(同エリア232件中)
kubochanさん
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ケーブルで生駒山の中腹にある宝山寺へそして下山して電車で石切神社へ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
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ケーブルカー
1918年には日本最初のケーブルカー「生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)」が敷設されるほどだった。歓喜天を祭り、現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。 -
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寶(宝)山寺(ほうざんじ)
生駒山(642m)の山腹にある(生駒市門前町)真言律宗の寺。正式には都史陀山大聖無動寺(としださんだいしようむどうじ)という。本尊は不動明王であるが、聖天堂の歓喜天(秘仏)への信仰が厚く「生駒聖天」の通称で親しまれている。
「生駒」は宝山寺の門前町として発展した町。 -
惣門
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本堂
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宝塔
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中門
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般若窟(はんにゃくつ)
延宝6年(1678)に宝山湛海が開創。当寺のある生駒山中腹はもともと葛城修験の行場、霊場で、境内および周辺には、般若窟(はんにゃくつ)などの巨岩信仰、陰陽石信仰の行場もあり、鎌倉期造立の十三重石塔や宝瓶塔も残されている。湛海は、般若窟に弥勒菩薩を安置し、貞享3年(1686)には聖天堂を建立するなどして寺観を整備した。この時が事実上の開山と思われる -
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獅子閣(ししかく)
本尊不動明王像(湛海作)を中尊とする木造五大明王像、絹本着色弥勒菩薩像(鎌倉期作)などの仏画3点、洋風建築「獅子閣(ししかく)」が国重文指定。 -
洋風の寺院建築「宝山寺獅子閣」とは
その境内に寺院建築とはかけ離れたコロニアル・スタイル風の、明治17年(1884)に客殿として建てられた洋館。
・寺院に洋風建築をとりいれたのは第14世・乗空和尚。建築前には宮大工に神戸や横浜で西洋建築を学ばせたほど熱心だったという。獅子閣に使われている金具は外国からの輸入品で、オランダ製の丸釘をそのまま装飾として使用するなど斬新な工夫がされている。室内の螺旋階段は一本の支柱によって支えられ、西洋的な造形を宮大工の高度な技術で表現。西洋化の一方で日本の木造建築の技が最高潮だった明治時代に、伝統の中にも新しい文化を享受する乗空和尚の「進取の精神」が生んだ山寺の中の洋風建築である。 -
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石切大仏
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石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
東大阪市にある神道石切教の神社。 延喜式神名帳に記載されている河内郡の式内小社。「石切劔箭命神社二座」。なお、「石切劔箭(いしきりつるぎや)」とは石を切る程の強靭な剣や矢を意味するとか -
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剣と矢
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通称「石切神社」。俗に「石切さん」として親しまれ、拝殿と神社入口(百度石)の間を行き来する「お百度参り」はご利益があるとして全国的にも有名となっている。また、「デンボ(腫れ物)の神様」として知られ、がん封じの霊験あらたかとして多くの参詣客が訪れる。ただし、腫れ物の治癒に卓効があるとして信仰されるようになったのは幕末になってから。「でんぼの神様」として民間信仰者が多い石切さん。石切神社は正式には「石切劔箭(つるぎや)神社」といい、「『石切劔箭』とは石を切る程の強靭な剣や矢を意味し、この石が、いつしか昭和時代には『でんぼ』と解釈され、『でんぼの神様』として知られるようになった」とか
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