2013/10/11 - 2013/10/17
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2013年10月16日(水)はキプロス弾丸旅行最終日。ラルナカ(Larnaca)の徒歩圏内の見所を散策しました。
ラルナカは、ストア哲学のゼノンが生まれ、“復活の聖者”ラザロが没した街です。市内に古代遺跡や考古学博物館など多くの見所があります。
夜8時20分にラルナカ(ラルナカ国際空港)を出発するため、終日観光できました。
古代キティオン遺跡(Ancient Kition)、ラルナカ考古学博物館(Larnaka District Archeological Museum)、ピエリデス考古学博物館(Pierides Foundation Archeological Museum)、ラルナカ要塞と中世博物館(Larnaka Fort & Medieval Museum)を見学し、遅めの昼食で魚のメゼを楽しみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ラルナカ中心部の有名なPhinikoudesビーチよりわずか50m(ヨットマリーナから100m、ラルナカ要塞から600m)に位置する4つ星ホテル、サン・ホール・ホテル(Sun Hall Hotel)の朝食です。
Sun Hall Hotel
6 Athens Avenue, 6023 Larnaca
Λεωφόρος Αθηνάς 6 (Λάρνακα, 6023)
TEL: +357 24 20 2000
E-mail:sunhall@aquasolhotels.com.cy -
ホテルのすぐそばにキプロス政府観光局(CTO)のインフォメーションがあり、とても便利でした。この日はインフォメーションの前の椰子の木を伐採していました。豪快に伐採するので、見ていて面白かったです。
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お世話になったレフカラ村のお店のオーナー夫婦にカレンダーを送るために郵便局に入りました。
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日本の友人宛に絵葉書も送りました。
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郵便局はとても和やかな雰囲気で、職員の皆さんもとても親切でした。英語はほとんど通じませんでしたが、レフカラ村の郵便番号を尋ねたら、電話でどこかに聴いて教えてくださいました。郵便番号簿もなく、何もかもアナログ処理でした。
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現在ラルナカのあるこの地には、紀元前13世紀に古代都市キティオン(Kition)が形成されました。
『古代キティオン遺跡(Ancient Kition)』はホテルから徒歩20分程度で行ける距離でしたが、入場ゲートなど周辺で探しているうちに時間のロスにならないようにタクシーで向かったのが間違いでした。
ホテル傍の観光客向けのタクシー乗り場で、予めギリシャ語の地図で場所を確認したのに、キティオンを知らなかったのか、電話で聴きながらぐるぐる回って、結局入場ゲートとは反対側の住宅街で降ろされました。だいぶ歩いて入場ゲートに辿り着いたので、最初から徒歩で行ったほうが絶対に良かったです。 -
『古代キティオン遺跡(Ancient Kition)』は、ラルナカの住宅街の中心、考古学博物館の北西にある、紀元前13世紀初めにギリシャのペロポネソス半島から来たミケーネ人たちが築いた街です。
入場料は1.7ユーロ。国籍を帳面に書きました。観光客は全く居ませんでした。 -
紀元前13世紀末にはアカイア人、紀元前9世紀にはフェニキア人たちがキティオンに到来し、町が発展しました。ハマグリの加工所やアスタルテの神殿が建つなど賑わいを見せましたが、紀元前312年、フェニキア人の王が殺害され、町は滅びました。
現在は5つの神殿と大きな石を積み上げた町の外壁の跡が残っています。 -
後方にビルが見えるように、現在のラルナカは工業団地や石油精製所もあり、ロシアやヨーロッパからの観光客も多いので、観光産業も成長しています。
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この町は紀元前にキティオン(キティウム)と呼ばれていましたが、ビザンティン末期またはオスマン統治時代の初期から“ラルナカ”と呼ばれるようになったそうです。
ギリシャ語で石棺のことを“ラルナカ”と言うので、この周辺で多くの古代の石棺が発見されたためであろうと言われています。 -
イチオシ
『古代キティオン遺跡(Ancient Kition)』の全景写真です。
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復元が十分とは言えず、あちこちに石塊がころがったような混沌とした遺跡です。
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紀元前12世紀頃、日干しレンガで作られていた城壁がキュクロープス様式のものに作り直されたそうです。神殿跡の柱が見られました。
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外からでもある程度遺跡の様子を垣間見ることはできます。
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次に『ラルナカ考古学博物館(Larnaka District Archeological Museum) 』を見学しました。入場料は1.7ユーロ。
朝8時から見学できました。開館時間は曜日によって異なり、結構頻繁に変更しているようです。事前によく確認したほうがいいと思います。
決して広くはありませんが、4つの展示室に現地の遺跡から復元した文化的な遺物、出土品を歴史に沿って忠実に陳列しているところが魅力です。
小さな建物だから1時間もあれば十分かと思ったのですが、先史時代の石器や土器は見たことのない形状や模様のものも多く、全てしっかり見学するには最低2時間はほしいところです。 -
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古代キロキティアの遺跡から発見された新石器時代(紀元前7000〜前4000年頃)の人骨(ミイラ)です。
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古代キロキティアの遺跡から出土した土器の破片でdす。
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紀元前8000年〜3800年頃の新石器時代の出土品の数々です。
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こちらも紀元前8000年〜3800年頃の新石器時代の出土品です。
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新石器時代の磨製石器です。石斧もありました。石斧の右側は刃先の部分に一部磨きをかけた物(局部磨製石器)です。
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紀元前3800年〜2500頃の金石併用時代(chalcolithic)の出土品の数々です。
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前の写真の左下の土器は、注口土器という名の急須形土器です。
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キティオンから出土された赤色陶磁器です。
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イチオシ
金石併用時代(Chalcolithic period、紀元前3800〜3000年)のカラバソス遺跡から出土された陶磁器です。
赤い壺の表面に人間や動物の上半身がにょきにょき生えたような形で、特に面白い出土品です。 -
紀元前2500年〜1900年頃の前期青銅器時代の陶器です。
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こちらも紀元前2500年〜1900年頃の前期青銅器時代の陶器です。
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カラバソス遺跡の墓から出土した赤色のoinochoe(ワインの水差しを意味するギリシャ語)は必見です。
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Pyla(ラルナカ近郊の人口1,370人の村で、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人が共に住む唯一の村)から出土した動物の形をした壺(展示ケース7B)です。
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紀元前1900年〜1650頃の中期青銅器時代の陶器の数々です。
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こちらも紀元前1900年〜1650頃の中期青銅器時代の陶器です。
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紀元前1900年〜1650頃の中期青銅器時代の陶器のうち特に興味をもった陶器です。
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紀元前1650年〜1050頃の後期青銅器時代の陶器の数々です。
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紀元前1650年〜1050頃の後期青銅器時代の陶器のうち、動物の形をした陶器が印象に残りました。
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後期青銅器時代でも特に紀元前1300年頃になると土器の表現様式が大きく変わりはじめ、波や渦など幾何学的で規則性のある模様が見られるようになります。
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紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。
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Pyla(ラルナカ近郊の人口1,370人の村で、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人が共に住む唯一の村)から出土した蛸を描いた後期ミケーネ時代の壺です。
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紀元前1500〜1200年頃のフェニキア(シリア)の豊饒神(地母神)である鳥に似た顔をしたアシュタルテ(Astarte)像〔右端〕。アシュタルテはギリシャ神話のアフロディティに相当する女神です。
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キティオンからの出土品です。
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カラバソス後期青銅器時代(紀元前1550〜1150年頃)の波型の浮き彫りのある大きな壺。
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キティオンから出土した、石灰岩の“horns of concecration”。
“horns of concecration”は、ミノア文明で偏在する神聖な牡牛の象徴のことのようです。ミノタウロス伝説で有名なクレタ島のクノッソス遺跡を発掘した、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズ(Sir Arthur John Evans)が作った言葉だとか…。
この類について詳しく知りたいのですが、日本語の情報は全くないです。 -
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紀元前750〜475年頃のキプロ・アルカイック時代(Chypro-Archaic period)の古代の一人乗り二輪馬車(chariot)の御者(charioteer)〔右側〕。
(1馬は欠けてしまった)4頭の馬車〔左側〕はAgios Georgios(Larnaka)の墓から出土したものです。 -
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紀元前475〜325年頃の古典時代(classical period)の陶器。
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紀元前5世紀から4世紀にかけての古代ギリシャのアッティカ赤像式陶器。
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イチオシ
紀元前5世紀から4世紀にかけての古代ギリシャのアッティカ赤像式陶器。
赤像式の技術は紀元前530年頃アッティカにて出現し、黒像式の使用に終わりを告げました。 -
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2世紀にキティオンから出土した大理石のレリーフです。
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キティオンから出土した葉の模様の大理石のレリーフです。
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ラルナカ考古学博物館の職員の方々です。図録3冊を購入したところ、在庫があるものは奥の部屋から新品を出してきてくださり、1冊ずつ商品名と金額をノートに書いて、代金を計算するのに慌てていらっしゃいました。
この日の入館者は私たちで3人目ぐらいでした。
ここでも全てがアナログで、入館者も少なく、図録を購入する人がいかに少ないのかを実感しました。 -
購入したラルナカ考古学博物館ガイドブック(3.6ユーロ)とKourionガイドブック(5.5ユーロ) とパフォスのモザイクのガイドブック(5.4ユーロ)の3冊です。
人の手が触れられていない新品を入手することができました。
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トイレに行こうと地下に降りると、出土品が溢れ返った棚がありました。
研究・整理・展示が追い付かないほど溢れるように出土するのではないかと想像しました。 -
今後の展示が待たれる出土品がまだまだ大量にありそうです。
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考古学博物館の外にも大物が展示されていました。
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考古学博物館の園内には、ヘレニズム時代のオリーブ・プレスが展示されていました。
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考古学博物館の外の大物の壷は自動車と一緒に撮影すると大きさがわかると思います。
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考古学博物館のすぐ前に銅像が建った広場(Kalogera Square)があり、すぐ横に学校がありました。
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次に郵便局の近くの『ピエリデス考古学博物館(Pierides Foundation Archeological Museum)』を見学しました。入場料は3ユーロ。ピエリーデス財団の博物館で、とても興味深い発掘品が収蔵展示されていました。
出国前にホームページを調べたのですが、開館時間は案内しておらず、現地で確認しました。 -
写真撮影ができないので、一つ一つ目に焼き付けてきました。特に紀元前5,500年頃の“吠える人間(Howling Man)”など、新石器時代の出土品に感激しました。
ギリシャ系キプロス人で銀行家で、グレート・ブリテンの副領事であり、古代キプロスのアンティーク収集家である、ディミトリオス・ピエリデス(Demetrios Pierides, 1811-1895)が1839年に設立した私設博物館です。
彼の死後も遺族がコレクション点数を増やし、彼が住んでいた家を博物館に開放しました。
6つの展示室に時系列に展示品が陳列されており、陶器や石器など考古学的なものからレフカラ・レースなどの民俗学的なものまで、見事なコレクションが展示されていました。 -
フィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)には色とりどりのパラソルが並んでいて、10月中旬でも真夏のように海水浴客がたくさん訪れていました。
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フィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)で思い思いにバカンスを楽しむ色々な国から来た人たち。
ここを訪れるロシア人が多いのは、ビザ無しで入国でき、「ロシアのハワイ」と言われているからです。 -
ついつい観光に明け暮れた4泊でしたが、次回はフィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)で昼寝をしたり、読書をしたり、のんびりと1日を過ごしてみたいです。
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お洒落な雰囲気はありませんが、のんびりくつろげる感じがとても気に入りました。女性のお一人様もホテルやビーチでよく見かけました。
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プロムナードの突き当たりに『ラルナカ要塞と中世博物館(Larnaka Fort & Medieval Museum)』がありました。
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ナツメヤシの並木が南国的な海岸通りにはホテル、レストラン、カフェがたくさん並んでいます。
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ラルナカのフィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)の真ん中あたりに、翼を持ったライオンの像がありました。ヴェネツィアを象徴するレリーフです。
アドリア海の双子都市ヴェネツィア(ベニス)とラルナカの2010年祭典を記念してヴェネツィアから贈呈されたものと銘板に説明がありましたが、ヴェネツィアの力がラルナカに及んでいた証拠とも言えます。 -
『ラルナカ要塞と中世博物館(Larnaka Fort & Medieval Museum)』を見学しました。ここも入場楼は1.7ユーロ。キプロスの公営観光施設は入場料が1.7ユーロに統一されているようで、お安く、わかりやすく、大変嬉しく思いました。
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14世紀から19世紀頃の墓石です。
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ラルナカ要塞のすぐ横にはミナレットが立っているグランド・モスクがあります。
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フィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)もラルナカ要塞を過ぎたあたりから少し寂しい感じになってきますが、穴場的な現地の方々で賑わうレストランはこの通りをさらに10〜15分歩いたところにあります。
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フィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)にいると、ラルナカ国際空港に着陸する飛行機を頻繁に見かけます。
滞在中に何度も歩いた道です。このあたりからラルナカ国際空港方面の海岸沿いは舗装工事がされていて、歩行者が通りにくい場所がありました。 -
ラルナカ要塞の上で記念撮影しました。
10月というのに昼間は真夏のように暑く、気温は28℃ぐらいですが日差しがきついのです。すぐ南はエジプトですから、暑いのは当たり前ですね。 -
ラルナカ要塞(中世博物館)の外階段から屋上に出ると眼下に紺碧の海が広がっていました。海の色の美しさに感激しました。
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2階には壁に沿って長椅子を配したトルコ式の居室もありました。城主の居室だったのでしょうか。
ラルナカ要塞が再建された1625年といえば、オスマントルコ、ムラト4世が第17代スルタン(1623〜1640年)であった時期にあたります。 -
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ラルナカ要塞(中世博物館)の海側の城壁は厚く、海からの攻撃に備えて大砲の砲口が海に向けられていました。
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中世博物館の1階には、絞首台(Gallows)もありました。
オスマン・トルコ人(Ottoman)の支配下とイギリスの植民地時代には刑務所として使用されていた建物で、20世紀の中ごろに警察署として使われるようになったという説明パネルがありました。 -
ヴェネツィア時代の砦が1625年にオスマン・トルコによって再建されたラルナカ要塞(中世博物館)の入口です。
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フィニクデス・プロムナード(Finikoudes Promenade)の歩道や車道の工事が続いていました。
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目的とするレストランZephyros(Piyale Pasha 42)に近づくと降下する飛行機が間近に見えました。
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前夜に続いて、最終日のランチもレストランZephyros(Piyale Pasha 42)に行きました。“ゼフィロス(Zephyros)”というのはギリシャ・ローマ神話の“西風の神”のことで、お店の名前も素敵です。
フィニクデス・プロムナードの突き当たり、町の中心地から徒歩30分ぐらいのところにあります。 -
前菜が運ばれてきました。注文したのはZephyros Fish Meze(20ユーロ)。
メゼ(Meze)はキプロス名物で、様々な土地の料理をできるだけたくさん出すスタイルのご馳走です。
ほとんどのお店でメゼは2人分以上注文しなければならないのですが、こちらのお店は良心的で、前夜2人分注文しようとしたときに「お2人で1人分でも十分ですよ。」と助言してくださいました。
とても気に入ったので、2日連続ここでお食事を楽しむことにしました。 -
白身魚の唐揚げも天然の塩が効いていて、本当に美味しかったです。
ランチタイムは夜より少なめに出てくるので、食べきれない量に怖気づくことなく、安心して食べられます。 -
蛸、イカ、きのこ、どれも美味しくいただきました。
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黒猫が現れ、何かおねだりするような目でこちらを見つめていました。
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窓際の席に座ってお食事を楽しみながら、次々と降下する飛行機を見ました。
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デザートにアイスクリームを注文しました。
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フルーツはサービスで出していただいたものです。すごく甘いので、紅茶と一緒にいただきました。
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紅茶のティーパックとお湯が運ばれてきました。
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「ヨシムラ」とう看板に立ち止まりましたが、日本とは全く関係のない建物でした。
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イギリスのPeter Birdという芸術家の作品をちらっと見ました。
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地元の不動産屋をのぞくのも楽しいです。
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ホテルからタクシーに乗り、ソルト湖(Salt Lake)を通過しながら空港に向かいました。
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ラルナカ(ラルナカ国際空港)に到着しました。タクシー代は15ユーロでした。
南北分断以来、ニコシア空港は閉鎖されているので、キプロス共和国(南)の空の玄関はラルナカ(Larnaka)か西端のパフォス(Paphos)になります。 -
ラルナカ(ラルナカ国際空港)の免税店です。時間潰しに見て回るのにはいいですが、乗り継ぎ便を利用する場合、機内に持ち込めない液体のお土産(ワイン、オリーブ油、蜂蜜など)が多いので、実際に買えないのであれば、見ていてもあまり楽しくありません。
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キプロスのオリーブオイルを使ったハンドクリームや化粧品が売られていました。
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キプロス産APXONTIKOのオリーブオイル。
最後に空港でオリーブオイルを買いたかったのですが、ドバイ乗り継ぎもあるので、液体の購入は断念しました。 -
キプロスワインの購入も断念しました。
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レフカラ村でお店のマダムが時間をかけて作った「ダ・ヴィンチ・コード」と呼ばれる模様のテーブルクロスを買ったので、ここではお値段のチェックをしました。
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キプロス・ロクムです。トルコにも同じようなお菓子があります。
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キプロスで「キプロスの宝」と言われいている「ハルミチーズ」も売っていました。レストランで食べて、本当に美味しかったので、とても買いたかったですが、長時間のフライトと温度管理の問題で断念しました。
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ラルナカ国際空港を20時20分に出発するEK108に搭乗しました。ドバイまでのフライト時間は約3時間40分です。
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離陸後少し経過した段階で、ドバイまでの残り時間が3時間9分と確認しました。
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パレスチナのガザ地区を避けて南側を通過しました。
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機内で遅めの夕食をいただきました。
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到着前に機内で乗り継ぎゲートを確認できます。EK316(Osaka行)はA14ゲートです。
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モニターで滑走路の様子を見ながらドバイ(Dubai)に到着しました。
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10月17日(木)3時発のEK316に搭乗しました。フライト時間が往路より少なく、約9時間10分です。
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到着1時間前に朝食が出されました。
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出発がかなり遅れたので、予定(17時10分)より少し遅れて17時25分に大阪(関西国際空港)に到着しました。
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ラルナカで買った甥に買ったお土産です。この柄で大人用を探したのですが、見つけられませんでした。
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ラルナカで買ったオリーブ石けん。職場や友人に配るため26個買いました。
この石けんを買ったお店でも女性店員に「この夏初めて出会った日本人です。」と言われました。
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