2004/08/13 - 2004/08/14
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hidamari09さん
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2003年の8月に江蘇省の楊州市を旅行しています。
旅行に出かけると,大概旅行先の地図を購入するので残っているかと本棚を探してみると見つかりました。
あとは,旅行時に撮影した写真と簡単なメモがあるだけです。
どうして揚州へ行こうと思ったのか,今では思い出せません。
地図と写真と簡単なメモから,当時の揚州旅行を振り返ってみたいと思います。
揚州市で購入した「揚州交通旅遊図」には,観光の見所が掲載されています。左上隅から順に書き出して見ると,
「汪氏小苑」,「痩西湖」,「史公祠」,「揚州漢広陵王墓博物館」,「揚州八怪記念館」,
「高旻寺」,「隋煬帝陵」,「何園」,「朱自清故居」,「普哈丁園」,「大明寺」,「瓊花觀」
とたくさんあります。
メモからこの内,二日間の旅行で観光したのは,「痩西湖」,「汪氏小苑」,「何園」の三ヶ所でした。
北の「隋煬帝陵」から南の「高旻寺」の間,15.5km,幅は5.5kmの範囲にあり,多くは中心に集まっているので,急げばもう少し見学できそうです。
旅行時は,8月の一番暑い時期でしたので,おそらく歩くのが億劫になったのでしょう。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- 高速・路線バス
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出発は,上海市徐匯区虹橋路の長距離客運駅です。
メモによると,当時の住所は虹橋路211号。
ネットで調べると以前の位置と,「交通大宇徐家匯客運站」が今でもあるようです。
「上海市−揚州市」間の長距離バス料金は,83元。これ以外に保険代2元を支払っています。
写真から途中「堰橋服務区」で休憩をとっているので,おおかた地図に記したルートを走ったものと推測します。
所要時間は4時間,午前7時に出発し,午前11時頃に揚州城北客運站(停車場)に到着しています。 -
揚州市に向かう途中の「堰橋服務区」でのショットです。
長距離バスはきれいでした。 -
揚州の何処についたか記憶があいまいです。
ただ,宿泊先まで市内バスは左程走っていない,料金が1元だったことから,揚州城北客運站(停車場)だったろうと思います。
宿泊先は「石塔賓館」。
13日の午後に,「痩西湖」を見学。よく14日に「汪氏小苑」と「何園」を見学しました。 -
宿泊先は「石塔賓館」です。
揚州城北客運站(停車場)から直接この賓館に向かったので,事前にネットで予約していたのでしょう。 -
実際に案内されたのは,先ほどの正面玄関右手奥にあるこの別館のほうでした。
高いのか安いのか解りませんが,1泊140元でした。 -
聞くと,旅館から「痩西湖」までは2kmほどで,そう遠くないというので,歩いて行き,途中で昼食をとることにしました。
「痩西湖」から流れる「二道河」の水質は良さそうです。 -
よく見かける風景です。
一時きれいになりますが,待ちゆく人々はポイポイとゴミをすてるので,しばらく経つと道路にゴミが散乱します。
余談になりますが,市の管轄区には「街道辦事所」,簡単に「街道辦」または「街辦」と呼ばれる政府の出先機関があります。2004年12月31日時点で,全国に5,904個所あるそうです。
道路の清掃は,この「街道辦事所」が人を雇って行っています。昔の日本の「隣組」を100倍協力にしたような組織で,日々住民の生活を管理(見張って)います。 -
「痩西湖」の入り口に到着しました。
只でははいれません,メモには参観券に入門料「肆拾元」と書いてあったとあります。
40元のことです。
これは,数字で筆画の多い字を使う書き方で「大字」といいます。
“壹、?、?、肆、伍、?、柒、捌、玖、拾、佰、仟”
がそれぞれ,一,二,三,四,五,六,七,八,九,十,百,千に相当します。
日本でも,高額の現金のやりとりでは,数字を書き換えられないように使われています。
公共の観光地の入門券に大字を使う意味がよく理解できませんでした。
現在(2013年)は,入門料が,春夏秋 90元,冬場 60元 と値上がりしています。 -
「痩西湖」とは,改めて調べてみると揚州城外の一筋の広い河だそうです。
「痩西湖」の名の由来は,乾隆年間(1736年 - 1795年)に揚州に仮住まいした詩人汪沆の詩によるものだとのことです。
どんな形か,ネットから借用して掲示しました。
以下,写真を掲載しますが,河に沿って歩いて撮影したものです。 -
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中には,たくさんの種類の遊覧船があります。手漕ぎのボートもあります。
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午後5時。街中を旅館に向かって歩いています。
道路の両脇を掘り返しています。
当時,いたるところでこのような風景に出くわしています。 -
旅館のある「文昌路」に戻ると,ちょっと東側の道路の中間体に石造りの塔が建っています。
塔に刻まれた仏像の頭部は無残にも削られています。文化大革命の時の傷跡でしょう。削られた石は戻せません。
立て看板には「古木蘭院石塔」と書かれています。
古木蘭院石塔は唐開成三年(838)に仏舎利を蔵めるために建てられました。元はに市民の外の古木蘭院内にありました。南宋の嘉熙年?(1237〜1240)に現在地の寺院内に移設され,寺の名を引き継いでいます。宝祐年?(1253〜1258)に建て直しがされました。乾隆年?(1736〜1795)の再修理の時,かっての唐代の《藏舍利石塔記》の碑が塔の下に積み上げられました。1964年に大改修が行われ。1978年に石塔路を通す時に,寺?の建筑の大部分は取り壊され,石塔のみが現在地に残されました。1982年に塔の尖端部を修理しました。
ぼろぼろですね!
塔は楼閣式を模し,五層六面で,青石で積み上げられていて,全高10.09m。基盤は須弥座で,座高0.87m,対角の長さ2.6m,各面に鹿、馬。牛等が刻まれています。須弥座の上部は白石の欄干が囲み,龍、蓮華の花模様が,柱には如意紋が刻まれています。
刻まれた紋飾りの風格から,明時代、清時代の建築物。塔の下層の幅は1.28m,高さ1.75m,上層にゆくにつれ小さくなり,五層の幅は0.74m,高さ0.65m。
从雕刻???格看,当?明、清??构。塔身底???1.28米,高1.75米,向上逐?收小,最高第五????0.74米,高0.65米。???角?雕制?形倚柱。塔身南北两面一、三、五?,各辟有拱?,二、四两?有雕像。其余各面??均有高浮雕佛像,共24尊。塔檐屋面作瓦?,檐角微微起?,略具江南建筑?格。塔??六角横尖式,上冠葫芦形塔刹和宝瓶、宝珠。 -
文昌路をさらに東に向かうと,円形ロータリーの中心に文昌閣があります。
夜は,照明でキンキラに輝きます。
これはなんでしょう。登場人物の名を省いて来歴を訳すと以下のようである。
揚州の文昌閣は揚州市の繁華街中心の汶河路と、文昌中路の交差する広場の中央に位置する。
揚州の文昌閣のある場所には元々旧城郭の南北を貫く汶河がある。 汶河の西側には揚州府立の学校(旧時代)があった。1496年(明弘治九年)汶河の上に文津橋が掛けられた。1585年(万歴十三年)に橋の上に文昌閣が建てられた,三層発覚の建築で,高さ24.25m,円形がすぼまった頭頂で, 文昌帝君を祭った。高楼には「邗上文樞」の額が掛けられ,最下層の四面にはアーチ型の門が設けられ,街道と通じていた。1595年に火災で焼け落ちたが,1596年に再建された。
1952年から1959年に掛け,政府は汶河の上面を覆い汶河路をつくった, 文津橋は地下に埋められ, 文昌閣だけが広場の地面に残っている。 -
14日,朝寝坊をシてしまい,午前9時に「汪氏小苑」に来ました。
ここは,清朝末期から民国の始めに活躍した塩商人の住宅の一つで,現存する往時のままの大住宅だそうです。敷地面積3,000平方m,建築面積1,580平方mで,古い家屋に100間余りが残っているといいます。
敷地3,000平方mというと,約900坪。ちょっとイメージが湧きませんが,都会で平均的な少住宅の敷地が100平方m(30坪)とすると30軒分に当たります。 -
壁に彫り物が埋め込んであります。
魚でしょうか? -
中国式のベッドです。
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石の床の下はこのような構造になっているようです。
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部屋から部屋へと奥深く続いています。
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お嫁さんを運ぶ輿?
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敷地内には庭園があり
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建物から建物へと続く通路は,町並みかと思うほど
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洒落てはいるが,寒そうな風呂場があり
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台所は大きく
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財宝は,床下に隠します。
文化大革命の時に,紅衛兵が裕福な家の床下の財宝を暴く場面を見たことがあります。山ほどの金銀,骨董などが隠されていました。
お金が公平に分配されているかどうかの議論はさておいて,
共産党はそうして人の金を奪い取ることで資金を獲得してきたのです。そして今は,腐敗した官僚を暴くという名目で,政敵を攻撃し,財産をかすめ取っているのです。共産党の体質は,昔も今も変わっていないようです。 -
何園はまたの名を寄嘯山庄と言う。清朝の光?年間に何芷?により作られた。元は,乾隆年間の古園で,双槐园園という名前であった。
何氏の家族は,支那の近代史上の輝かしい幾多の大家族と親密な関係があった。例えば,北陽大臣の李?章,光?皇帝の先生は同郷で加えて娘は親戚だった・・・
何園の特色は廊道(屋根のある通路)の効能と魅力を極限まで発揮させている点で,1,500mの高楼や岩山を結ぶ回廊は,支那の園林中に他にない活き活きとした景観を有している。
規模が大きく,敷地面積は1.4万平方m,建築面積7,000平方m,清朝後期の園林建築の特色を示している。
何园?模?大,面??1.4万余平方米,建筑面?就达7000余平方米,占50%以上,密度
言ってみれば,先の汪氏小苑が市井の富豪の家とすれば,何園は権力と結びついた封建社会時代の個人の邸宅といえるでしょうか。 -
庭園の撮影は難しいです。
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庭園内の通路にある休憩所。
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池も掘られています。
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西欧から輸入したベッドでしょうか。
寝心地が良さそうでした。 -
午前中で,かっての金持ちの邸宅参観を終え,市内に出ました。
2004年当時は,支那に早くから進出した上海大衆(フォルクスワーゲン)の車が大部分を占めていました。
安い給与で,どうして高価な車を買えるのだろう?というのが,常々の疑問でした。
2013年,不正蓄財の一部摘発が行われています。賄賂は支那の伝統と開き直られてもです。 -
まさに「脚で稼ぐ」です。
老舎の「駱駝祥子」という小説に,1920年台の北京で,人力車夫をしていた祥子の物語があります。3年掛けて貯めた貯金と人力車を軍閥の敗残兵に奪われてしまいます。
時として,今は城管(地方政府の役人)に簒奪されます。
80年を経ても,変わっていないように見えます。 -
ゴミ捨て場。
特に囲いもなく,ここにポイポイとゴミは捨てられます。
臭いし,汚れています。 -
ゴミの焼却場です。
普通の住宅の1Fにあるのでびっくりさせられます。 -
街中にみられるスローガン,人口抑制(一人っ子政策)をアピールしています。
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街中を行く人々,目つきの鋭さに注目してください。
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243省道は揚州から鎮江へフェリーで長江をります。
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覚えていませんが,渡し船の待合所を写しているので,帰りはフェリーを使うバスで帰ったかもしれません。
小型のバスです。
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