2005/12/13 - 2005/12/17
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ペコちゃんさん
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1987年に、私がパスポートを作って初めて訪れた外国が、台湾です。
料理教室の皆さん十数名と一緒で、その後も何回かこのお仲間でアジアを旅行しました。
2回目の台湾は1996年・・・この時は知り合いのご夫婦と一緒で、私以外は夫も含めて台湾初体験なので、1回目と同じ台北・花蓮のコースでした。
そして3回目は、友達2人と一緒に4名のツアーです。
近場はグループで行くのが楽しくて良いですね。
今回も、きっと賑やかな旅になることでしょう。
このツアーは、高雄と台北で、あの「圓山大飯店」に各2泊する四泊五日の旅です。
台湾は、九州と同程度の大きさでですが、北部が亜熱帯、南部が熱帯に属しているので、いつ行っても料理やフルーツが美味しいのですが、今回は、暑い時期を避けて12月に行きました。
台湾のクリスマスシーズンは、どんな感じかな、という気持ちもありました。
高雄と台中は初めてなので、楽しみです。
写真は、高雄の圓山大飯店。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
<1日目>
14時25分発のチャイナ・エアライン(中華航空)で成田を発ち、台北で国内線に乗り継いで高雄へ・・・チャイナ・エアラインは、1959年に設立された台湾の航空会社で、最初の頃は墜落事故が何回も起きましたが、最近は殆ど事故がない、安心して利用できる航空会社です。
台湾の国花である『梅』のマークが綺麗です。 -
さすが中華料理の本場、機内食の中華は美味しい!
ヨーロッパ船として初めて台湾に到達したポルトガルの船員が「Ilha Formosa(麗しの島)」と叫んだことから、台湾の別称である「Formosa(フォルモサ、中国語では美麗島)」が誕生しました。
台湾は、16世紀の明朝時代になってからオランダやスペインが台湾島を「領有」し、1662年に鄭成功による統治を経て、日清戦争後の1895年に下関条約で台湾は清朝から日本に割譲され、台湾総督府の統治が終戦まで続きました。 -
日本と台湾の時差は1時間・・・19時(日本時間は20時)過ぎに高雄に到着し、「黄鶴樓餐廳」で上海料理の夕食を楽しみました。
高雄は、280万人(台湾2位)で、八王子と姉妹都市を結んでいます。 -
夕食後、ライトアップされた高雄の圓山大飯店にチェックイン。
正式な名称は、高雄澄清湖圓山大飯店(グランドホテル チェンチンレイク カオシュン)。
1952年に創業の台北・圓山大飯店は14階建てですが、高雄・圓山大飯店は、1971年に開業した5階建てのホテルです。 -
館内に入った途端、広々としたロビーに圧倒されます。
ロビーの正面は、大理石の階段。 -
彫刻や大理石の床も、見事です。
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<2日目>
朝食には、飲茶もあります。 -
どの部屋にも広いバルコニーがあって、高雄の街が良く見えます。
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圓山大飯店の綺麗な瓦模様。
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5階から北側を見ると、今日観光する「澄清湖」と高層ビル群が見えました。
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出発までに時間があったので、周りを散策しました。
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建物の色が、鮮やかです。
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玄関の前は、広いロータリーになっています。
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ピンク色のきれいな「羊蹄花」・・・葉の形が羊の「ひずめ」に似ているところからこの名前が付いたと聞きました。
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最初の観光は、圓山大飯店から近い「澄清湖」・・・高雄で最も大きな湖(人造湖)で、1963年に蒋介石が立ち寄った際に澄清湖の名がつけられました。
もともとは、工業用貯水池として造られましたが、今は美しい観光地になっています。 -
蒋介石の別荘だった「澂清樓」の前で、台湾人ガイドの谷さんの説明を聞きます。
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遊歩道を下ると、ロータリー状の広い道に出ます。
ロータリーの内部は、美しく整備された芝生が広がっています。
時間帯によっては、涼しげに水しぶきをあげる噴水を見ることができます。 -
澄清湖入口にあたる「観光大門」。
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これは、フクギ(福木)・・・雌雄異株で、樹高は10~20m。
フィリピンや沖縄でも見られ、春に黄白色の花を咲かせます。 -
台湾の西湖ともいわれる澄清湖には、澄清八景と呼ばれるは大変美しいスポットがありますが、中でも最も有名なのが「九曲橋」。
ちなみにこの湖は、秋田県にある「田沢湖」と姉妹湖になっています。 -
九曲橋は、コンクリートで出来た長さ203m白い橋・・・中華圏では、魔物はまっすぐにしか進めないとされているため、ジグザグにかけられています。
湖の先には高層マンション群、圓山大飯店も目の前に見えます。 -
中興塔は高さ43m、七層の建物で、南京玄武湖の浩那塔と霊谷寺の霊谷塔を模して建てられました。
中興塔の最上階から眺める湖と街並みは、また格別! -
湖の西側を歩いていくと、蜂蜜を売る店がありました。
後ろには蜜蜂の巣が幾つも置かれています。
ローヤルゼリーが250?300ml入ったパック4つで1万円。 -
澄清湖でゆっくり観光と散策を楽しんだ後は、高雄市内に戻り、昼食は「龍興餐廳」で飲茶の広東料理。
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ここは、レストランを出た所にある「吸煙區」。
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中国では、1960年代に制定された「簡体字」という日本では使わないような簡略化した漢字が使われていますが、台湾は昔からの漢字です。
この、「兒童」の「兒」を見た時は、何だか嬉しくなりました。
(私の苗字に使う字で、通常は「児」と書いていますが、戸籍など正式には「兒」の字を使っています。) -
午後は、最初に「蓮池潭」に行きました。
蓮池潭の南には、1976年に建てられた、龍と虎が大きな口を開けて待っている龍虎塔があります。 -
台湾では、十二支の中で、龍は最も善良な動物で、虎は最も凶悪な動物・・・龍の口から入って虎の口から出てくることで、これまでの悪事が清められ、善人となることが出来るのだそうです。
龍の口から、中に入ります! -
龍の口の中に入ってみると、龍の体にそってこのような空洞の通路が設けられており、その壁には中国風の人物や風景がカラフルな色彩で描かれています。
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トンネルから出ると、塔の中央に螺旋階段があったので、登ってみました。
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上から見ると、入り口から龍虎塔までのジグザグに曲がりくねった通路がはっきり分かります。
これは、今朝行った澄清湖の九曲橋と同じで、悪魔の侵入を防ぐためです。 -
最後に、虎の塔から出ました。
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竜虎塔の近くにある、巨大な「玄天上帝像」・・・玄天上帝(北極大帝)は法力が強く、物の怪を追い払い、難病を治すと信じられ、道教の信者に信仰されています。
この像は約22mもあり、1976年に完成。 -
蓮池譚を後にして寿山公園に向かっていると、ママチャリに2人の子供を乗せで頑張っているお母さんが・・・
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緑いっぱいの寿山公園にある、「忠烈祠」。
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公園の一角に、玉石を埋め込んで作った『健康歩道”』書かれた場所があり、裸足で3往復すると健康に良いそです。
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皆、靴を脱いで裸足になって、敷き詰められた小石の上を歩きましたが、痛いの痛くないのって!
私も靴を脱いで、一回歩いてみましたが、とても3往復もする気にはなれませんでした。 -
寿山公園の後は、「高雄歴史博物館」に寄りました。
これは、1939年に清水建設によって作られた、鉄筋コンクリート造りの建物です。
展示内容は、お勧めするようなものはありませんでした。 -
夕方、フェリーで旗津に渡りました。
このフェリーは、「渡輪」と呼ばれ、鼓山区の西子湾と旗津半島を往来し、乗客・バイク・自転車などを乗せる水上バスです。
道路で行くと大回りになりますが、フェリーだと、ほんの10分足らず。
この船の1階はバイク、人は2階へ。 -
バイクの人は、乗ったままスタンバイ・・・旗津に着いた途端に、我先に走り出します。
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旗鼓フェリーの旗津側の駅舎はレンガ造りで、とてもレトロな感じでした。
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旗津の中心街を歩いて行くと・・・「旗后天后宮」があります。
1673年に、漁民が福建省の明の媽祖を迎えるために作った、台湾で最古の天后宮です。 -
旗津海鮮街には、海鮮料理屋や鮮魚店がズラリと並んでおります。
上の写真の右端は、食用ガエル。
カラスミも安く買えます。 -
今日の夕食は「海忠寶活海産店」で、海鮮料理。
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夕食後、高雄市内に戻り、六合夜市に行きました。
ここの夜市は、1950年代に、この近くの空き地に小吃の屋台が出店し始め、その数を徐々に増やしていったことに始まります。
その後、さらに出店数は増え続け、名前を現在の六合夜市と変えました。 -
全長約380m、約170軒にもわたる屋台が並び、その中には20~30年も続く老舗の屋台も多く残っています。
食堂の他に、肉類を売っている店や海産物・果物など、いろんな屋台が並んでいます。 -
<3日目>
今日は、台北に向かいますが、途中で、先ず「日月潭」の観光です。
日月潭(にちげつたん)は台湾で最も大きな湖で、日本統治時代 (1918年) に、水力発電所の建設を開始し、途中で中断したものの、1934年にダム湖と発電所が竣工しました。
現在は人気の観光地となっており、特に夕日や秋の月は美しく、また遊覧船やボートからも風景が楽しめます。 -
「文武廟」は、日月潭の水位の上昇によって水没の危機に瀕した湖畔の『龍鳳廟』と『益化堂』という二つの廟を合併し、1938年に今の場所に完成しました。
廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は文廟で文の神である孔子が、中殿は武廟で武の神である岳飛や関羽が祀られています。 -
廟門をくぐると、前殿に上がる階段の両側に、赤い色をした一対の獅子像があり、高さは約8mです。
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龍が彫られた石柱。
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お祈りやお願いのローソクが、ビッシリ!
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お祈りするのは家族の健康でしょうか?
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文武廟からは、日月潭がよく見えます。
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脊獣・走獣などと呼ばれる陶製の魔除けの屋根飾り。
中国の明・清時代の宮殿や寺院の屋根には、数種類の動物の形をした装飾が付けられています。
大棟と四つの隅棟を五脊とし、そこを装飾する小像(神獣)を指して六獣と言い、併せて五脊六獣と総称します。 -
文武廟を後にして、近くのレストランに向かう途中で見かけた、求人のポスター・・・と思ったら、「人手不足のため、先にお支払下さい」とのこと。
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お土産屋の2階で、台湾郷土料理の昼食。
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昼食の後は、人口270万の台湾第3の都市・台中の観光です。
台中市は、鳥取県三朝町と姉妹都市を結んでいます。
最初に、明治36年に台湾総督府によって完成した「中山公園」に行きました。 -
日本統治時代の第一代台湾総督は樺山資紀、2代目は後の首相・桂太郎、3代目は陸軍大将・乃木希典、4代目には明治31年に児玉源太郎が着任しました。
児玉総督は8年の間に、台湾の行政の基礎(医療・産業・道路・南北縦貫鉄道の着工など)を築きました。 -
日月湖にかかる日本風の赤い橋を渡ると、公園のシンボル・湖心亭があります。
この優美な欧風建築の湖心亭は、竣工時に台中を訪れた皇族・閑院宮載仁親王の休憩所として作られました。 -
次は、1928年建立の宝覚寺(寶覺禅寺)を観光します。
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宝覚寺には、戦前、台湾中部で亡くなった一万四千人の日本人移民の遺骨が奉納されています。
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この寺には、台湾で2番目に大きな「弥勒大仏像」(七福神の布袋さん)があります。
高さは約30mで、柔和な笑顔をたたえています。
黄金色の大仏の耳を触ると幸福が訪れ、へそに触ると「へそくり」が増え金持ちになるとのこと。 -
本物に触るのは無理なので、この石像が代わりです。
おかげで、耳とお腹は ” ピカピカ! ” -
台中から高速道路を走り、途中のSA(湖口服務區・北站)で休憩・・・台北までは、あと約1時間。
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台北に向かう途中、綺麗な夕日が・・・
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台北に着き、今日の夕食は、大きなクリスマスツリーが玄関横に飾られたサントスホテルで四川料理。
因みに、台湾の都市別人口は、①新北②台中③高雄で、268万人の台北は4番目・・・知らなかった! -
圓山大飯店に2連泊・・・初めて台湾に来た時、いつか必ず泊まってみたい、と思いました。
二度目に来た時は、火事で焼けた屋根が無残な姿をさらしていました。
今回は、三度目の正直で、念願叶って泊まれます。
ロビーに綺麗なクリスマスツリーが・・・ -
二階から見た一階ロビー・・・ロビーには朱塗りの柱が林立し、床は分厚い絨毯が敷かれ、豪華そのものです。
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部屋から見える淡水河の夜景もロマンチックでした。
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部屋に荷物を置いて士林夜市に出かけ、いろんな店を覗いた後、お土産はやっぱりスーパーで・・・台湾全土にフランチャイズを持つ大手スーパー・頂好【Well come】でショッピング。
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<4日目>
圓山大飯店の部屋から、「台北101」のビルがよく見えます。 -
これも、ノッポビル。
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今日は、台北観光です。
最初に「忠烈祠」の衛兵交代式を見に行きました。
忠烈祠は、辛亥革命や抗日戦争などで戦没した英霊を祀る祠で、1969年に創建されました。
ここには、革命・建国の為に亡くなった約33万人が祀られています。 -
忠烈祠は、陸・海・空軍より選抜された兵士が、1時間交代で大門と大殿を各2人ずつで守っています。
初めて見た時は、ここの衛兵さんの動きに感動し、いつか夫にも見せたいと思っていました。
きっと、私と同じように感動してくれると信じていたのですが? -
毎時、儀杖兵が大門から大殿に向かって、銃を背中に背負ってゆっくりと行進を開始します。
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約20分間のセレモニーが終わると、大門守護の任務に就く2人が門の前に行き、台の上で任務に就きます。
儀杖兵の資格は、高卒以上で犯歴がなく、身長175~195cm、体重65kg±1kgが条件で、その上に厳しい訓練が課せられ、それを成し得た者のみが儀仗兵になれるそうです。
勿論、台湾のエリートさん達です。 -
任務に就くと1時間、微動だにせず、瞬きも控えているそうです。
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そばに世話係がつき、制服の乱れを直したり、ハンカチで衛兵の汗を拭いたりします。
前来た時、こんな係りの人はいませんでしたが、その時のガイドさんが「触っても良いよ」と言われたので、お言葉に甘え(?)、そっと足に触っていました。
足は、カチカチに硬かったです。 -
セレモニーが終わった後の儀仗兵に駆け寄り、記念撮影。
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忠烈祠の次は「故宮博物院」・・・この博物館には、中国の古代からの美術品が、約70万点所蔵されています。
もともとは、清朝が持っていた美術品ですが、戦前は日本軍から守るべく、蒋介石が中国南方へ疎開させ、戦後、国民党と共産党との内戦が激化し、国民党が不利になったため、1948年に蒋介石は主要な美術品を台北へ運びました。
そのため、現在、故宮博物院の所蔵品は、北京と台北の2ヵ所に別れて展示されています。 -
1965年に建てられた当博物院は、今日まで五回にわたる拡張工事を行い、現在の規模に至っています。
(館内は撮影禁止のため、3枚の写真はHPより) -
「翠玉(すいぎょく)白菜」は、ヒスイ輝石を、虫がとまったハクサイの形に彫刻した高さ19cmの美術品。
葉の上にはバッタとキリギリスが彫刻されており、これは多産の象徴と考えられています。 -
これは「肉形石」。
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これは「彫象牙透花人物套球」・・・1本の象牙から作られたこの作品は、目が回りそうなくらい細かい作りが幾重にもなっていて、作り方が全く想像出来ません。
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見学を終えて外に出ると、プードルのバッグを持った可愛い女の子が・・・
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午前の観光を終えて、昼食は「鼎泰豐」の本店で飲茶を楽しみます。
予約はできないので、並びますが、私達はガイドの谷さんが手配してくれていたので、スムーズに入れました。
日本で1号店が新宿にオープンした時、すぐにお友達と行き、並んで食べたことを思い出しました。
美味しいよ?! 今度の旅行の楽しみの一つでした。 -
1階は厨房になっていて、何人もの人が小籠包などを手際よく作っています。
小籠包は上海料理ですが、「鼎泰豐」の小籠包は高級食材がふんだんに使われていることと、シェフたちの苦心の研究の末に見出した作り方で、上海の老舗顔負けの美味しさです。
肉まんを作る・麺をゆでる・ウェイターの心配り、すべてが洗練された「おもてなし」を感じます。 -
日本の鼎泰豐には2回行きましたが、本場の小籠包は格別です。
ここの小籠包は皮が薄い上に、肉汁もたっぷり・・・口に入れた瞬間、中の具がフワっと溶けるような感覚で、見た目もきれいな、ひと口サイズ。 -
海老シューマイなど、次々と美味しい料理が運ばれてきました。
そして、食後に入ったお手洗いにまた感動!
一人使用した人が出たら、すぐ綺麗な雑巾を手にした若い女性が、便座の周りを拭きます。
次のお客さんが入れば、また、すぐ拭き清めます・・・ここまでやりますか! -
午後は「龍山寺(ロンサンスー)」に行きました。
龍山寺は、1738年に創建された台北市内で最古の寺院です。
本尊は観世音菩薩ですが、現在では道教や儒教など様々な宗教と習合しており、孔子や関帝、媽祖など、祀られている神は大小合わせて100以上に及んでいます。 -
毎日、多くの参拝者が訪れています。
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熱心に説明するガイドの谷さん。
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台湾のお坊さん。
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夕方、「台北101」に行きました。
このビルは、高さ509.2mで、地上101階、地下5階からなり、7年間の工期を経て、2004年に世界一(当時)の超高層建築物として竣工しました。(建築は熊谷組のJV)
全面ガラス張りの近代的建築ですが、輪郭は伝統的な宝塔と竹の節がイメージされています。
この時期は、クリスマスツリーの照明で光の演出をしています。 -
ここが華やかな入口です。
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エレベータは東芝製で、展望台入り口のある5階から展望台のある89階まで、37秒で到達します。(時速60.6km)
世界最速としてギネスブックに認定されました。
エレベータ・ホールで、サンタさんと2ショット・・・メリー・クリスマス! -
87?92階の中央部の吹き抜け空間には、風による振動を緩和するために、巨大なダンパーが設置されています。
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展望台のある89階からの夜景は、見ごたえがあります。
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今日の夕食は、「聚豐園餐廳」で北京料理。
サンタの帽子を被った店員が、北京ダックを取り分けてくれます・・・美味しい!! -
<5日目>
圓山大飯店の部屋から見た朝景色・・・「台北101」も霞んで見えます。 -
朝食も、いろんなものがあり、美味しい!
-
ホテルのお店を覗いて・・・私が作るフュージングのアクセサリーも、この作り方です。
お友達と「ここで売ってもらおうかしら」なんて、不謹慎な会話!? -
このネックレスをゲット!
お店の店員さんから「あなただけにサービスよ」なんてうまいことを言われ、翡翠と珊瑚で出来た可愛いお花のモチーフのネックレスを買いました。 -
高台に建つ圓山大飯店・・・2日間、お世話になりました。
-
最後の観光は「中正記念公園」。
「中正紀念堂」は中華民国(台湾)の初代総統である蒋介石を顕彰し、1980年に竣工しました。(「中正」は蒋介石の本名)
堂の高さは70mで、青い尖った屋根・白い大理石の外壁・赤い花壇の花は『青天白日満地紅』といい、中華民国の国旗を表しています。
入り口の階段は、蒋介石の亡くなった年齢が数え年で89歳だったため、89段になっています。 -
蒋介石座像と儀仗隊。
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儀仗隊の交代儀式は、10時~17時の8回、毎時行われます。
-
紀念堂の前は、綺麗な庭園が広がっています。
広場は、いろいろなイベントに利用されており、今日もテントがズラッと並んでいました。
後ろに見えるのは、高さ30mの正門。
美女(?)に囲まれて、ガイドの谷さんも上機嫌! -
公園の一角で、丸い駒を使って中国版将棋の「シャンチー(象棋)」を楽しんでいる人がいました。
楽しかった旅行も無事終わり、14時20分発の中華航空で帰国の途に就きました。
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