2013/08/21 - 2013/08/21
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福島天満宮(ふくしまてんまんぐう)は、大阪市福島区福島にある神社で福島 上の天神と呼ばれ“菅公聖蹟二十五拝”の1社(第十二番目)。福島天満宮は福島三天神にわかれており上の天神、中の天神、下の天神 の3社がある。
社伝によると901年に菅原道真が藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜びこの辺りを餓飢島と呼ばれていたのを福島と名づけたとのこと。後年、菅原道真が大宰府で失意のうちに死亡したのを聞いたこの地の里人らが小祠を建てたのが起源とされている。
福島天満宮(ふくしまてんまんぐう)の近く大阪市福島区2−2−4(マンションドミール堂島前) に逆 櫓 (さかろ) の 松 跡がある。
「平家物語」の逆櫓の段によれば、元暦2年(1185年)2月、源義経は平氏を討つため京都を出発し、摂津国の渡辺、福島から、四国の八島(屋島)を船で急襲しようとした。
この場所の説明文は次の通り。
逆 櫓 (さかろ) の 松 跡
「平家物語」の逆櫓の段によれば、1185年2月、源義経は、平氏を討つ為京都を出発し
摂津国の渡辺、福島から、四国の八島(屋島)を船で急襲しようとした。
義経軍は船での戦いはあまり経験がなかったので、皆で評議していると、参謀役の
梶原景時が「船の前後どちらの方角にも容易に動かせるように、船尾の櫓(オール)
だけでなく船首に櫓(逆櫓)をつけたらどうでしょう」と提案した。
しかし義経は「はじめから退却の事を考えていたのでは何も良い事がない。
船尾の櫓だけで戦おう」と述べた。
結局逆櫓をつけることをせず、夜に入って義経は出陣しようとした。折からの強風を
恐れてか、梶原景時に気兼ねしてか、それに従ったのは二百数艘のうち、
僅か五艘であったが、義経は勝利をおさめた。
その論争を行った場所が、一説によればこの辺りといわれている。
この地には、江戸時代の地誌「摂津名所図解」によれば、幹の形が蛇のような、
樹齢千歳を越える松が生えていたという。この松を逆櫓の松と呼んだ。
逆櫓の松は、近代に入る頃には、既に枯れてしまっていたらしい。
(写真は福島天神社)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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福島天神社境内の光景。
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「逆櫓の松跡(さかろのまつあと)」の碑。
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福島天神社周辺の光景。
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「逆櫓の松跡(さかろのまつあと)」の碑の説明。
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「逆櫓の松跡(さかろのまつあと)」の碑。
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福島天神社境内の光景。
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福島天神社周辺の光景。
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「逆櫓の松跡(さかろのまつあと)」の碑。
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