2003/09/22 - 2003/09/25
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horseriderさん
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近くて遠い国と評される韓国、南北を分かつ38度線から、そんなに遠く離れているわけじゃないが、韓国の首都だ。
初めてそのソウルを訪れたのは、30年近く前で、記憶ももう乏しい。親善馬術競技の選手として参加したのが初めてのソウル行きと言うことになる。
交互に何度か行ったり来たりしているうちに、日本の社会人団体馬術連盟がステップアップするための、一つの足掛かりとして、韓国の社会人馬術愛好家との親善競技が出来ないだろうか、橋渡しをしてくれないかと依頼を受け、韓国には、日本のような社会人(企業団体)馬術連盟なるものは無く、社会人となった馬術愛好たちを集めてチームを作り、対抗競技をしようと言うことで話が決まった。
当時の大韓乗馬協会の吉会長と理事長であった、韓国コダックの所長趙氏の骨折りで、親善競技が実現することになり、第一回の競技のためにソウルへ選手団と共に行った。
初めてソウルの金浦空港から、空港バスに揺られて市内へ行く道すがらは、何と埃っぽくごみごみしているんだろうと思った。
南北戦争後の復興で、道路は至る所で掘り返され、がれきが道路端に積まれ、燃費の悪い車が排気ガスをまき散らしながら忙しく行き交い、その間を、最近の日本ではもう見られない、業務用の重厚な自転車の荷台に山のような荷物を積んで、よたよた行く。車にはねられることもよくあるということだった。
片側3から4車線の道路が、強制執行で邪魔になる民家や建物を払いのけて、道路整備に精をだしているので、土埃と排気ガスとで、空は黄色く見えた。
夜間は戒厳令が敷かれ、10時以降は一般人の外出は禁じられていた。それを良いことに、サラリーマンたちは、ナイトクラブで遊んで、翌早朝、朝帰りと言う、大義名分が出来たということで、私らも便乗して韓国の仲間とナイトクラブで夜を明かした。
その頃から、日本の農協のツアー客が大挙してソウル旅行へ、社会人親善競技締結のために、何度もソウルへ出かけたもので、ご近所の手前、体裁が悪いと言う妻のために、私は、妻とペアでソウル・慶州への旅行を行った。
当初、ソウル駅から列車でと計画を立てていたが、親善競技で親しくなった友人が、言葉が通じないだろうからと、自分の車と運転手を着けてくれて、工事中の高速道路を走り、途中水原(スウオン)の民族村に立ち寄り、慶州では以前の慶州東急ホテルへ宿泊した。
普門湖の畔に建つホテルで、内部は吹き抜けになったホテルだった。
ホテルへ入った途端に、何とも違和感を覚えたのは、外国と言うことではなく、ホテル内に立ち込めた匂が気になった。
生暖かいような、香ばしさはなく、どちらかと言うと、何やらを蒸しているようなにおいが立ち込めているのだ。
後で気づいたが、ホテル内キムチとチゲ(韓国味噌汁)が混ざり合った匂いが充満していたのだ。
海外へ行くと、空港に降り立った途端にその国の匂いに鼻がうごめくとか言われる。
ソウルは、チゲとキムチのにおい。日本の空港はどうだろう。沢庵のにおいでもするのだろうか。
慶州から帰り、ソウルで、私がソウルへ来るたびに一緒に付き合う友人たちと会い、ナイトクラブへも同伴でだ掛け、私の付き合いの範囲を妻に認識させた。
漢江の奇跡とまで言われた韓国の復興と発展は、ソウルを訪れるたびに、目まぐるしく変わる街の様子に、その勢いを見た。
86年のソウル・アジアン競技大会、そうして2年後88年のソウルオリンピック、を経て、韓国は近代国家として羽ばたき、国連総長をもおくりだすようにもなった。
自慢する訳ではないが、日韓親善競技の橋渡しを行ったことによって、日本のトップ企業と韓国の企業との交流がスムーズに行き、中でもサムソンは世界のトップ企業にまで発展した。
隔年で韓国へ行くことになったのは、社会人の親善試合と同時に、日本の高校と韓国の高校との親善馬術競技も橋渡しをしたこともあって、そのたびに同行し、第一回のソウルに於ける大会では、初めて選手団の団長であった松平会長と共に、ソウルの日本大使館と、秘苑にて旧朝鮮王朝の李方子(松平会長の伯母に当たる)妃殿下の下にご挨拶にお供した。
秘苑の奥に入るのはめったにできないことだ。このことで、選手団のかなめでもある高校の先生が、パスポートを帰国寸前に紛失したが、何とか無事に帰国することが出来た。
親善競技のために、韓国内の各都市へ出かけたが、ほとんどホテルと競技場の間を往復するだけで、街歩きをする余裕はなかった。
ソウル・アジアンゲームの際は、朝鮮半島東海岸に近い雪岳山の沢登も経験した。
韓国の馬術仲間、妻と慶州への旅行に車と運転手を提供してくれた親友らと、途中の五大山の近くのコンドミニアムに1泊して、翌朝、東海岸の漁港でバーバキューの材料を買い込み、ふもとまで車で移動した。
韓国の山は岩が多い。沢に沿って登り開けた岩場に陣取り、担いできた鍋釜で酒盛りとなった。
雪岳山へのハイキングの翌日、再びアジアンゲームの最終日で、果川に新しく出来た総合運動公園内の競馬場(オリンピックの際の競技場)に、馬術競技場も併設され、立派な管理棟も建てられた。
私は不思議と、旅先で予期せぬハプニングに遭遇する事が多い、この時も、アジアンゲーム馬術競技の総裁でもあられたイギリスのエリザベス女王の夫君、エジンバラ公が同席され、図らずも奥のトイレで並んで用を足すことにもなった。
公は帰路、日本にも立ち寄られ、高輪のプリンスホテルでレセプションが行われ、またお目にかかることになった。
韓国の発展とともに、私の韓国への旅行は目的が変わった。それは、目まぐるしく変わるソウルの街を歩くことだった。
国が発展すると同時に、街も人も、何か溢れ出すような活気を感じ取れるのだ。
「日本に追いつき追い越せ」日本へは異常に対抗意識を持って臨むが、街を歩いていても私の場合は、めったに絡まれる事も無かった。
環境に溶け込むのが自然なのかもしれない。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- その他
PR
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ホテル・アミーガ(現インペリアルパレスホテル)の一室
以前、ホテルオーナーと親友が友人関係にあって、紹介で予約した。インペリアル パレス ソウル ホテル
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ダブルベッドのシングルユーズ、
地下鉄ハクドン駅から、少し離れているが、近くに江戸前の鮨屋もあって気に入っている。 -
遺跡公園として、地下鉄宣陵駅からすぐ北側に木立に囲まれて、三陵公園が憩いの場所を与える。
現在は、この辺りは、韓国のシリコンバレーとして、IT企業のビルが立ち並んでいる。
初めてこの辺りへ来たころは、宣陵の交差点の角には自動車学校があった。
ソウルオリンピック後目まぐるしく変貌した地域だ。 -
三陵公園、古墳。
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IT企業ビル群に囲まれた。憩いの場所。
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梨泰院、一時は、ヨーロッパのブランド品の下請け工場地帯で、ブランド品のイミテーション、後にコピー商品などと言い換えて、材料、縫製、仕様もブランド商品と変わらぬ、唯公式のライセンスの無い商品があふれていた。
業者は、9時から5時の商品は、此処では売らない、5時から商品(ブランドメーカーのライセンス商品外)だから安い。
ハンティングワールドのバッグが、驚くほどの安さ、仕様は全く同じ、これではたまらぬと、金具などに自社のロゴなどを打ち込んで、数量限定して下請けに出し、空港税関でチェックを厳しくして、コピー商品は、手あかがついてないと没収された。 -
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狎貎亭洞からギャラリア百貨店の前を通る道路。
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ソウル中心街のロッテホテルロビー。
このホテルも良く利用した。 -
ホテルの窓から漢江を眺望する。
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明洞近くの路地。
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郊外の鮮魚料理天へ、
日本ではイシモチと言うが、韓国ではヨングアンクルビといって、その辺で撮れたイシモチとは味が違う。高級魚として珍重されている。
そのヨングアンクルビを食べさせる料亭と言うことで、連れて来られた。
ヨングアンとは全羅南道の霊光(ヨングアン)で水揚げされたものが重用される。贈答品にもされる高級魚で、特に子持ちのクルビは好きな者は泣いて喜ぶ。
霊光の塩と日差しが良いとされ、その干物は実に高価なものがる。 -
狎貎亭洞(アックジョンドン)の街の様子。
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同、しゃれたレストラン。
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ギャラリア百貨店、
上階が崩落し、下敷きになった女性店員が、数日後に無事救出されたニュースは、もう忘れ去られているが、ビルはこのように再建された。
ブテイックやブランドショップなどがテナントとして入店している。 -
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最近のアウトレットショップなどがある街筋。
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オリンピックメイン競技場付近の整備された道路。
気持ちいいほど道幅も広い。 -
ロッテワールド内部。
ソウルオリンピックに合わせて江南区の、オリンピック公園に近いロッテホテルに併設された、室内アミューズメント施設。
東京のディズニーワールドの向こうを張った。オリンピック後、道路を隔てた西湖に、シーワールドをオープンした。その隣は、ソウルのリマダン会場もあって、秋には農業祭がかいさいされ、民謡などのど自慢大会も催される。 -
ロッテワールド内。
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ソウルオリンピックの際、メイン会場前広場。
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日本馬術選手団厩舎前で。
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果川総合公園内の競馬場、走路内で馬術競技が行われ、観客席は、走路を隔てているので、何処も遠くからの観戦と言うことになる。
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仁寺同の街筋。
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道端の日陰で、散髪。
こんな風景も日常茶飯事。
まだまだ韓国は華々しく張って下とは言え、ソウルの旧市街の道端では、こんな風景も普通だ。 -
仁寺洞のファーストフードショップ。
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アウトレットしょぷうが並ぶ街筋。
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ソウルオリンピック。
日本馬術選手と乗馬。 -
全羅北道の馬耳山、頂上が尖った岩山が、二つ並んでいる。まるで馬の耳のようだと言う。
全裸北道、鎮安郡鎮安邑馬耳山路。
韓国の全裸道一帯は文化遺産が豊富に残る地域として、パンソリ(演唱)の春香伝でも有名な南原、スローシテイー都市指定された全州などがある。 -
馬耳山の片耳。
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「食は全州にあり」と言われるように、韓国の穀倉地帯として、全裸北道を進むと一面の田畑が広がる。
全州市街の有名なビビンバップ専門店。廊下の鴨居からぶら下がっているのは、韓国の味噌玉。 -
ソウルでの一夜、友人らの行きつけのナイトクラブで、世界近代五種連盟の崔副会長と。
親友の一人だ。 -
家族ぐるみの付き合いのある親友に、日本企業との提携を成功させたお礼と言うことで済州島に招待された時、日本から私とワイフと馬仲間の友人夫婦とが、周辺の島めぐりに船を出した。
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済州島にて、
七天女の橋と言われる仙臨橋、橋野欄間に浮遊する天女像が彫り込まれている。 -
済州島、ホテルハイアットの庭園から。
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雪岳山への途中、東海岸の漁港で、バーベキューの材料を仕入れる。
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高速道路の展望台から、遠景を眺める。
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雪岳山への登山路。
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途中、山から流れ下る流れを渡り岩盤が重なり合った沢に踏み込む。
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岩壁が剥きだしたところが多い。
朝鮮半島は地震が無いと言うことが頷ける。 -
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岩場でバーベキューを楽しむ。
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この旅行で行ったホテル
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インペリアル パレス ソウル
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