2013/05/23 - 2013/05/23
55位(同エリア257件中)
ころっつさん
1年に1度ある大阪・難波でのお泊まり。1日目の要件を終えて、どこかへ行こうと選んだのが大阪のベッドタウンともなっている富田林。中世末期に成立した宗教都市のまちなみを歩きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
午後3時半に用事を終え、大阪ミナミの中心にある南海難波駅から午後4時発の高野線の特急「りんかん」に乗車。昨年来た時は同じ時間発の本線を走る関空特急ラピートに乗車し、岸和田に行きました。最近1年が過ぎるのが早いです。
-
ゆっくり座っていけるので、特急を選択しましたが、あっという間に河内長野に到着。ここで近鉄に乗り換え、富田林駅で下車。駅前から歩いて5分ほどのところに目指す寺内町があります。
-
富田林は今は大阪のベットタウンですが、もとは室町時代末期に成立した寺内町を中心に栄えました。その寺内町は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
-
まずは寺内町の北西部にある「旧田中家住宅」へ。
市に寄贈された農家型住宅で、昨年から無料公開されいるようです。見学終了時刻の午後5時間際でしたが、管理の方の好意で屋敷の内部を見せていただきました。 -
昔ながらの立派な町家の造りです。
-
旧田中家住宅から5分ほど歩いたところにある「じないまち交流館」に行きました。午後5時でほとんどの公開施設は時間終了のため、玄関は閉ざされていました。
富田林のは、戦国時代の1558年に興正寺門跡の証秀上人によって創建された興正寺別院がこの地に築かれ、そこを中心とした寺内町が誕生し、その後商売の盛んな在郷町として発展したものです。
-
寺内町は東西400メートル、南北350メートルの広さで、まちの形成当時の碁盤の目状の町割りが残っているので、迷わずにまち歩きをすることができます。
「じないまち交流館」から東にまずは歩いて行きます。 -
写真の「奥谷家住宅」は、江戸時代後期・化政年間に建てられた建物です。ちょうど着物姿の女性が通りを歩かれていました。
-
「奥谷家住宅」の右隣にある「東奥谷家住宅」。大阪のベットタウンとは思えない、昔まちの家並みが続きます。
-
町家の中にはレストランや居酒屋に活用されているものもあります。
-
明治時代に材木問屋として活躍した「越井家住宅」、高い黒土壁の米蔵が印象的です。
-
「越井家住宅」の玄関側。富田林の寺内町には木造の町家だけでなく、白壁や黒壁などさまざまな様式のものが点在しています。
-
「越井家住宅」の一方には耐火用の赤レンガ壁も建てられています。
-
この寺内町は大阪府内唯一の国指定重要伝統的建造物群保存地域。新しく建てられる家も昔ながらの町家風になっています。
-
北会所町にある「佐藤家住宅」。「佐渡藤」という銘柄の紅梅味醂醸造を行っており、現在も営業を続けているそうです。そして、ここにある多くの町家は今も住居として利用されているようです。
-
「佐藤家住宅」の屋根の上には、かまどの煙出し用の越し屋根が付けられています。
-
寺内町の中心部を南北に結ぶ延長約400メートルの城之門筋。町家が通りの両側に立ち並び、路面は石畳が整備され、通り沿いの電柱や電線も移設されているので、昔ながらの風景を見ることができます。
また、通りに沿って路面灯が設置されており、夜にはライトアップもされているようです。 -
白壁の町家とむき出しの土壁が連なる通り。
-
「葛原家住宅」。奈良県郡十津川村の元郷士で、江戸時代にこちらに移り住み、酒屋を始めたそうです。平入の町家で、中二階に連なる虫籠窓が美しい建物です。
-
葛原家の分家で、通りを挟んだ南にある「南葛原家住宅」。飾り庇を土蔵の白壁に施したのが特徴的です。
-
町家にはさまざまな趣向が凝らされており、厳めしい表情をした魔除けの意味を持つ鬼瓦も施されています。
-
寺内町形成の核となった富田林御坊とも呼ばれる興正寺別院です。永禄年間に京都・興正寺の証秀上人が創建した一向宗の寺院です。
石川のそばにある荒れ果てていた高台を上人が購入し、御坊を中心としたまちづくりを行いました。富田林寺内町はこの寺院を基に発展し、現代に至ります。 -
南北に通る城之門筋には興正寺別院の表門があり、その横には城の櫓のような鼓楼が構えられています。
-
興正寺別院の目の前にある「杉田家住宅」。代々油屋を営んでいた家で、屋根には越し屋根が付いています。450年前からのまちの悠久の歴史が寺内町のあちこちで感じられます。
-
城之門筋は、寺内町のメインストリートで、「日本の道100選」にも選定されています。そのことを示す石碑が建っています。
-
興正寺別院の前から城之門筋を南に望みます。
-
鐘楼も建てられています。興正寺別院はかなり規模の大きい立派な建造物です。
-
寺から東に歩いていくとあるのが、「じないまち展望広場」の建物。寺内町の高台の東端にあり、眼下に天然の堀となった石川や遠くに金剛山や葛城山などの山並みを望むことができます。
-
碁盤目の状の道筋をジグザクまわって歩きましたが、到る所に町家が並んでいます。想像していた以上に素晴らしいまちなみで、中世の宗教都市から発展したまちづくりの経緯を随所に感じとることができます。
-
寺内町の南端。高台から降りていく道が続いており、寺内町の入口にもなっている場所には、火災防止をうたう標柱が建っています。
-
「仲村家住宅」。大阪府の指定文化財ともなっており、江戸天明年間に建造された造り酒屋の建物で、幕末には吉田松陰も訪れたこともあるそうです。三連に重なった屋根が特徴的な町家でもあります。
-
「仲村家住宅」の玄関側。
-
酒造業を営んでいた「橋本家住宅」。江戸時代中期の建築で保存状態の良い建物です。
-
橋本家住宅の角にあるのが「当て曲げの道」。
寺内町は碁盤目状の町割となっていますが、防衛上の理由で、あちこちの城下町にも見られたように、直交する2つの道路を少しずらし、侵入してきた外敵が遠方をまっすぐに見通せない構造になっています。 -
富田林寺内町は自治宗教都市として発展しましたが、その運営の中心であった八人衆とよばれる近隣の名士でした。
その筆頭年寄であった「旧杉山家住宅」は、国の重要文化財にも指定されています。酒造業で発展した大商家で、寺内町で最古・最大の建築でもあります。 -
杉山家住宅の前にある案内板には杉山家の娘であった明治の明星派歌人・石上露子の説明がありました。この歌人の存在は知りませんでしたが、写真で見る限りかなりの美人だなあと思っていると、やはり美人の歌人としても知られたことが書かれていました。
-
「旧杉山家住宅」周辺も風情を感じさせる石畳の道となっています。
-
塀の上に設けられた忍び返しの柵越しに見える杉山家の鬼瓦。
-
「旧杉山家住宅」の近くにある白壁の建物は「寺内町センター」。すでにこちらも閉館していましたが、往時の商家の看板などの展示物が収蔵されているそうです。
-
寺内町から近鉄富田林西口駅につながる堺町通りにある「北野家住宅」。車の通行量も増えてきました。
-
寺内町の西端からみた寺内町。寺内町は高台にあり、周囲を崖と土塁に囲まれた要塞都市でもありました。
-
2時間近くの散策を終え、富田林西口駅から近鉄電車に乗車し、大阪に戻りました。駅前からは富田林市に本部を置く、高校野球でも有名なPL教団のタワーが見えました。昔も今も富田林は宗教都市のようです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 旅猫さん 2013/11/30 10:49:52
- 寺内町!
- ころっつさん、こんにちは〜
富田林の街並み、素晴らしいですね!
こんな街並みが残っているのは本当にうれしいです。
以前から一度訪れてみたいと思っているのですが、なかなか機会が無く。
ふらりとここだけを訪れるのがいいのかな。
先日、ちょうどこの街を紹介する番組をやっていて、さらに訪れたくなってきました。
この冬にでも歩いてみようかな。
旅猫
- ころっつさん からの返信 2013/12/23 14:40:45
- RE: 寺内町!
- 旅猫さん、こんにちは。
大変ご無沙汰しておりました。4トラアクセスするのが本当に久しぶりです。今年はなかなか忙しいので…お返事遅くなり申し訳ありませんでした。
富田林は大阪近郊のベットタウンながら、駅からすぐのところに中世からの寺内町の面影を残す素晴らしいまちなみがありましたよ。
私も自宅からそんな遠くないものの、これまで訪れる機会がなかったのですが、タイムスリップような香ばしい空間が広がります。
いつの間にかもうすっかり年末ですね。
これからも時間を見つけながら、楽しい旅を続けていきたいものです。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
富田林・羽曳野(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
42