2013/01/06 - 2013/01/06
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アルプ・グリュムさん
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東海道五十三次の丁度中間に当たる袋井宿を散策しました。
袋井宿は江戸から数えても京都から数えても27番目に当たることから各所で「どまん中」の文字を見かけました。
江戸時代の実現する建造物はありませんでしたが、街道に残る美しい松並木は江戸時代を彷彿させてくれました。
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袋井宿の散策はJR愛野駅からスタートします。
東海道線では余りなじみのない駅ですが開業は平成13年です。
駅前は駐車場ばかりでコンビニが駅前の通りに一軒あるだけの駅です。 -
愛野駅から原野谷川にかかる同心橋までを移動して、ここからを出発点としまて歩いて行きます。
ここから掛川市から袋井市に入ります。
右側は国道一号線(袋井バイパス)で左側が旧東海道です。 -
旧東海道の案内図は写真のように道は一直線ではありません。
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同心橋の下には「名栗 花茣蓙公園」があり、江戸時代には茶屋があり旅人が一服したところです。
「花茣蓙」は「ハナゴザ」と読みます。 -
松並木の旧東海道を歩いて行くと籠のようなものがありました。
籠の横は次の写真を参照の事。 -
東海道中膝栗毛は
「旅人の 見えかくれする 並木道
瀬川のほとり 花ござの里」
と詠っています。 -
松並木が続きます。
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広重の浮世絵もここで松並木を描いています。
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旧東海道は通る車も少なく心地よく散策できます。
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松並木の間には広重の絵が掲示されてあります。
内容は次の写真の通り。 -
広重は袋井の初夏の凧上げの風景を描いています。
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松並木と共に土塁も残されています。
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江戸時代はすべての旅人、大名がこの道を歩いたのです。
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こちらの浮世絵は夕暮れの袋井を描いています。
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旧東海道沿いには富士浅間宮赤鳥居がありますが本殿までは800m程程の距離があります。
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旧東海道沿いの松並木は絵になる光景が続きます。
建築物では一切残されていませんが松並木は昔のままだと察します。
道路が直線ではなく微妙にカーブしています。 -
妙日寺
妙日寺は、日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である 貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられてある寺です。 -
妙日寺の横には袋井東小学校があり、久津部一里塚が復元されてあります。
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この袋井東小学校の門には右側には袋井市立袋井東小学校、左側には東海道五十三次 どまん中東小学校の校名が掲げられいます。
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「東海道五十三次 どまん中東小学校」
江戸時代の主要街道の旧東海道沿いにあるので生徒達も誇りにしていると察しされます。 -
文政年間油山寺へ抜ける油山寺道標
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秋葉山常夜灯
常夜灯はその秋葉神社へ向う街道に目印として建てられ、地区の火災予防、安全を願って建てられました。 -
村松・宇刈道標
これより北上すると村松・宇刈に至る道標です。 -
法多山道標
法多山へ5kmの道標石碑です。 -
人家も少なく江戸時代の旅人気分に浸れる道です。
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七ツ森神社
桓武天皇の頃、怪鳥退治に派遣された七人の武士の墓が七ツ森だと伝えられている。 -
松並木に看板が!
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「松並木は東海道をしのばせる資源であります、後の世に伝える為にもこの松の木を大切にして下さい」と記されています。
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要所に設置してある案内板に袋井の浮世絵が掲示されてあります。
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旧東海道の宿場内の碑は各市町村が独自の碑を設けていますが、これは静岡県による旧東海道の案内板です。
この「夢舞台・東海道」の案内板沿いの道路が旧東海道となり隣の宿場町と距離が記されています。 -
この辺りの商店等には「どまん中」を看板にしてある店が多くあります。
この居酒屋の店名はズバリ「どまんなか」です。 -
新屋の秋葉山常夜灯
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新屋の秋葉山常夜灯
「火伏の神である秋葉山三尺坊大権現に対する庶民の信仰は、江戸時代にさかんになりました。袋井市域でも秋葉信仰がさかんになり、各地区に常夜灯が建てられました。新屋の常夜灯は木造屋形で、作者は不明ながら見事な彫刻がみられ、保存状況のたいへんよい常夜灯です。かつては、東海道を行き来する旅人のよい目印となっていたことでしょう。」 -
袋井商工会議所も「東海道五十三次 どまん中宿」
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天橋の横には案内板が設置されてあり、袋井宿はここから宿内に入ります。
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袋井宿の概要と地図が掲示されてあります。
ここ天橋から中川橋までが宿場です。 -
東海道どまん中茶屋
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東本陣跡
ここは袋井宿東本陣公園として整備されています。 -
袋井宿場公園
平成4年に整備された公園で各種ウォーキング大会のスタート、ゴール地点となっています。 -
袋井宿場公園
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問屋場(人馬会所)跡
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袋井宿西本陣跡
民家の横にひっそりと立ってある碑なので見過ごしてしまいます。 -
袋井宿西本陣跡
碑だけが設置されていて案内板がないのは残念です。 -
高札場が復元されてありました。
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袋井宿の宿内はここまでの碑があり、東海道一短い距離の袋井宿の散策は終了です。
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旧澤野医院
袋井市の指定文化遺産に登録されています。 -
旧澤野医院は、澤野家が江戸時代末期から昭和初期までに建築し、使用してきた建物群です。病棟、居宅、渡り廊下、洋館の4棟は地域医療を担ってきた建物であり、貴重な文化遺産として平成11年4月23日に袋井市指定文化財に指定されました。澤野家は享保12(1727)年に作られた「山名郡川井村差出明細帳」に内科医としてその名が記され、すでに地域医療を担っていたと考えられます。旧澤野医院は、旧東海道に面する敷地幅(間口)10.5間を有し、間口幅としては大きな部類に属します。奥行きも29間あり、さらに西側に12.5間、9間の短形敷地が設けられていたと考えられます。この敷地内に、街道に接して病棟(洋風2階建て)が建ち、これに接続して居宅(和風建築平屋)、さらに東側に突出した生活空間の建物(炊事場、風呂場など)、西側には渡り廊下によってつながれている洋館が建てられています。各建物の特徴は居宅が純和風に対して、病棟と渡り廊下、洋館は洋風となっています。澤野医院の最盛期にはさらに多くの建物があったと考えられます。また、内庭及び南面の築庭についても同時期のもので、その後若干の変更が見られます。各建物の建築磁器は明らかではありませんが、構造、形式から見ると、居宅は幕末から明治期、洋館と病棟については昭和初期の建築と考えられます。これらの建物と敷地は旧東海道に面する医療建築として、その類例が少なく、近代の医療行政や制度、医業の流れを知る上では貴重な存在と言って過言ではありません。
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澤野医院の隣のは袋井西小学校
袋井西小学校の校門の右側には袋井市立袋井西小学校、左側には東海道どまん中西小学校の校名が掲げられいます。 -
東小学校には五十三次が入っていましたが西小学校は「東海道どまん中西小学校」となています。
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旧東海道はこの先も続きますが、私は宿場内を中心に散策しているのでJR袋井駅へ向かいます。
宿場町の駅としてはこじんまりしている袋井駅であった。
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