2013/06/09 - 2013/06/09
124位(同エリア479件中)
杏仁豆腐さん
南千住駅からリバーサイドを走り、また南千住まで戻ってきて、その後は南千住6丁目を目指します。
かつて「光の球場」と呼ばれた東京球場があった付近です。
そして北千住に向かいました。
ビアンキFRETTA☆南千住リバーサイド☆2013/06/09
http://4travel.jp/traveler/19563147/album/10784561/
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素盞雄(すさのお)神社の天王祭が開催されていました。
http://www.susanoo.or.jp/tennosai/ -
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神輿を地面すれすれまで左右交互に倒し振り合う、神輿振りが見せ場です。
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千住大橋の鎮守「熊野神社」
平安時代の創建。
千住大橋の架橋に際して、奉行の伊奈忠次がここで祈願したそうです。
それ以来、橋の架け替えに伴い社殿を橋の木材で修理するのが習わしであったそうで。 -
熊野神社の説明。
この辺は、材木商が多かったらしい。
熊野神社は鍵がかかっていて、中には入れません。 -
荒川ふるさと文化館に到着。
昭和40年代初期の復元家屋がありました。いやー、懐かしい!
館内は撮影禁止でした。
建物の前には、幕末の英才福井藩士の橋本左内の墓を収めていたさや堂が復元されて保存されています。 -
もともと回向院にあった「橋本左内の墓旧套堂」が荒川区に寄贈され、平成21年3月に荒川ふるさと文化館前に復元されたそうです。
套堂(鞘堂と同意)とは、本体の建物などを保護するために、それを覆うように建てられるものです。この旧套堂は、昭和8年(1933)に橋本左内の墓を保護するために造られたもので、伝統的な建築の意匠と近代的工法との折衷を図った、近代仏教建築の例と言われています。幕末の安政の大獄で刑死した橋本左内(1834から1859)を追慕し、遺徳を広く発揚することを目的として明治35年に設立された景岳会によって建てられました。 -
千住製絨所跡です。
煉瓦塀が残っています。
この付近一帯には、明治12年(1879)に創業された官営の羊毛工場である千住製絨所がありました。
工場建設用地として強固な基盤を持ち、水利がよいことから、隅田川沿いの北豊島郡千住南組字西耕地(現南千住6-38〜40、45付近)が選定された。敷地面積8300余坪、建坪1769坪の広大なものでした。明治21年(1888)に陸軍省管轄となり、事業拡大とともに、現荒川スポーツセンターあたりまで敷地面積が拡張されました。
構内にも生産工場にとどまらず、研究施設や福利施設などが整備され、近代工場の中でも先進的なものだったそうです。
戦後民間に払い下げられ、昭和37年、敷地の一部は野球場「東京スタジアム」となり、人々に親しまれました。 -
スーパー・ライフの脇にひっそりと残る煉瓦塀。
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旧千住製絨所の煉瓦塀の説明。
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御神輿もひと休み。
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井上省三君碑です。
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この碑は、官営工場千住製絨所初代所長・井上省三の功績を後世に伝えるものである。 省三は、長州出身で、木戸孝允に従って上京、後にドイツに留学し毛織物の技術を修得した。 明治12年の千住製絨所の開業、日本羊毛工業の発展に尽力したが、同19年に42歳の若さで死去。同21年に製絨所の職員・職工の有志が、省三の偉業をしのびこの碑を建立した。
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千住大橋を渡り、北千住に向かいます。
千住大橋を渡ると、千住宿奥の細道プチテラスがあります。
奥の細道 矢立初の芭蕉像。
松尾芭蕉の生誕360年を記念して平成16年(2004年)に作られました。
芭蕉の足下にある敷石はやっちゃ場のせり場に敷かれていた御影石です。 -
日光道中千住宿の道標。
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この辺りは、「旧やっちゃ場跡」(昔の青果市場)。
神田・駒込とともに江戸の三市場の一つとして幕府御用市場にもなり、維新後も存続していたが空襲で消滅しました。
“やっちゃ”とは、戦前まで賑わっていたという、この市場でのセリの掛け声だそうです。 -
千住宿歴史プチテラス。
千住4丁目の元地漉紙問屋 横山家の内蔵が移築されています。 -
平成4年横山家より寄贈されたこの土蔵は、間口が二間半、奥行き三間半の2階建てでした。1830年(天保元年)3月に建築されたものです。
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北千住駅を通過し、かどやの槍かけだんごに到着。
改装されて、きれいな店舗になっていました。
昔の店舗は、こちらです。
千住散歩☆千寿竹やぶ☆かどやの槍かけだんご☆2008/09/22
http://4travel.jp/traveler/19563147/album/10325507/ -
1952(昭和27)年創業。備長炭で1本1本焼き上げます。物やきだんご」、「あんだんご」の2種類。1本90円。
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団子を購入して、帰宅します。
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荒川の土手を走ります。
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ビアンキにぶる下がっているのは、購入した団子です。
五反野まで走り、電車に乗りました。
今日は、暑かったです。 -
帰宅し、団子をいただきました。
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とても柔らかい団子です。
歴史を感じながらいただきました。 -
清亮寺(せいりょうじ)
元和5年(1619)身延山久遠寺末として 水戸海道入口のこの地に創建されました。
清亮寺に街道いっぱい はりだした 名松がありました。
水戸黄門の行列が休憩の折、松に槍を掛けて休んだという所から「槍掛けの松」と呼ばれました。
参勤交代の大名行列で賑わう水戸街道でした。
槍持ちはいかなる理由でも槍を横に倒すことは許されません。
しかし 清亮寺の松は 街道いっぱいににはりだしていて、一度は槍を倒さなければなりませんでした。
そこで、街道に張り出した松を切ろうとしたとき、見事な枝振りをご覧になった、後の水戸黄門、水戸藩主の徳川光圀公は 名松を切るのは惜しい。ではここで、この松に槍を立て掛けて休み 出立の時に槍もち松の向こう側に行ってから槍を取り直せば、槍を倒したことにはならないと、粋な計らいをしまいした。
以来、この松は「槍かけの松」と称えられ、ここを通る大名行列は、門前で松に槍を立て掛けて休むようになりました。
樹齢350年を数えた名松は 昭和20年ごろかれてしまったそうです。 -
ごちそうさまでした!
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