2013/05/15 - 2013/05/24
759位(同エリア3230件中)
アーサーさん
ドイツから入って チェコ、オーストリア、スロバキア、ハンガリーと中欧五か国の駆け足パック旅行に一人で参加。
春の天候にも恵まれ 最近のパック旅行の工夫も分かり 楽しい旅となりました。また 旅行中66歳の誕生日を迎え思い出に残る旅でした。
写真はオーストリアのハルシュタット湖。アルプス山脈に頂には雪が残っていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
(1)5月15日
1)
中欧諸国はヨーロッパ文化の周辺国のイメージが私の中にあった。
いつの日にか 行けたら行ってみようかぐらいの関心はあった。
今年の一月、旅行各社のパンフレットを眺めていて、昨年末以来の円安動向から 行くとしたら 今がチャンスかと思い、取りあえず旅行の申し込みをした。
旅行期間は 価格表からゴールデンウィーク明けの春を選んだ。
写真は出発当日早朝
いつもの 地下鉄駅成田空港行の「アクセス特急」。 -
2)
息子から ハンガリーの旅の良い印象は聞いていた。
チェコを含めて旧「東」側の変貌もこの目で見て見たかった。ウイーンにも触れて見たかった。もう少しスケジュールに余裕のあるプランが良かったが、贅沢も言ってられずに 連泊が3回あるこのプランを選択した。
申込時には 妻も参加する予定だったが 事情があり、取りやめ。私も迷ったが、妻から「おひとり様参加大歓迎日の出発で 通常一人部屋追加代金58,000円を38,000円だから 行ってきなさい。」と背中を押してもらい 行くことにする。
(実際エコノミークラスでのヨーロッパへの旅は これから年齢とともに段々 難しくなっていくだろうと実感していたので。)
写真は 成田空港国際線 旅行社のカウンター。手際よい応対でスムーズ。
-
3)
ツアー参加ということで 旅行の準備は 殆んど何もしない。ネットで各国、都市の概要を 調べて 読むが頭に入らない。
気楽と言えば気楽だが 「準備期間中の楽しさ」は残念ながら皆無。
飛行機はルフトハンザドイツ航空0711便。エアバス380。
チェックインカウンターで ANAのマイレージを登録。
(後日帰国して確認してみると、全てのマイレージが加算されていた。)
空港のロビーでツアー一行と初顔合わせ。34名。同じくらいの年齢層。女性が多い。 -
4)
エアバス380の機体は大きい。ジャンボ機を想起させる。
幸いなことに トイレの前の座席の為か 私の隣りの席は 空席。
随分楽だった。(ラッキー) -
5)
初めて ルフトハンザを利用したが それなりに上質なサービス。
機内食にも満足。日本語の上映ビデオの本数が少なかったが。
機中 持参した本を読み、ビデオを一本見て、眠った。 -
6)
約12時間の飛行で フランクフルトへ到着。
思っていたより 時間の経つのが速い。
入国手続き後、ベルリンへ。
写真は フランクフルト空港、ベルリン行きゲートの待合室。
活動的な人々だなぁと ぼんやり眺める。 -
7)
1時間少しで ベルリン到着。現地時間17時ころ。
想像していたより 小規模の空港。伊丹の空港より小さい。(国内線だから?)
後日知ったが、ベルリンには新しい飛行場が建設されるとか。 -
8)
さっそく ホテルへ。
旧西ベルリンの南に位置することは 知っていたが 周辺環境は知らなかった。第一印象は まぁ落ち着いた雰囲気。
写真は宿泊した「エストリル」ホテルの全景。
手前が川。 -
9)
ホテルのロビー。透明屋根で 広い空間。
施設は新しくなかったが 行き届いた清掃がなされていた。
ホテル内のCDで 100ユーローだけ借り出す。
前回旅行の約100ユーローが残っていたので。(旅行の結果 また 140ユーロー手元に残ってしまった。枕チップの8ユーロと 到着日の夕飯不提供10ユーロを旅行社が負担してくれたこともあって。)
ツアーの中には 外出する人もいたが 私は取りあえず眠ることにする。(現地時間20時過ぎ。) -
(2)5月16日
1)
予想通り 深夜目覚め、2度寝したが 6時過ぎ ベッドを抜け出し、早朝の周辺散歩へ。
街は通勤の人達で活動を開始していた。
写真は近くの駅。スーパーはまだ開いていなかった。 -
2)
朝食は豪華だった。満足。
添乗員のTさんが 毎日 前日に 確定ベースの予定表、注書きのメモを渡してくれる。(自分でメモを取る必要が無く 気分的に楽で有りがたかった。) -
3)
9時 ゆっくりホテルを出発。
写真は ほぼ全日 利用した大型観光バス。
運転手の方は 30代前半のポーランド人。親子2代でツアーバスの運転手とか。(ジュニアさんと呼んでいた。)
よく道路を知っていて、運転技術も優秀。何よりも真面目で親切。 -
4)
都心のアウトバーンも渋滞が始まっていたが 一応流れていた。
運転マナーも良さそう。日本車も見かける。 -
5)
アウトバーンを20分も走ると 「森」が現れてくる。都会に近接して自然が残っていることに驚く。 -
6)
最初の目的地 ポツダムの近くの「グリーニッケ橋」に到着。
歩いて渡る。
世界を二分した 東西の境界ポイント。ここで東西のスパイの交換が行われたニュースが 微かに記憶に残る。今は普通に車が行き交う。 -
7)
痕跡を留めるためか 今は当時のペンキの色の差だけが残る。
資本主義社会と社会主義社会の 広範な鋭い対決が 今は歴史のかなた。
あれは何だったのだろうと 不思議な気がした。 -
8)
それから ポツダムへ。
ポツダムの街は 東ベルリンに属していたそうだが 今は自然豊かな高級住宅地に変貌しつつあった。ライラックが庭の垣根によく植えられていた。花盛り。
写真はツェツィリエンホフ宮殿の入り口。 -
9)
この宮殿で戦後処理を決めた「ポツダム会談」が行われた。
ドイツ降伏後の1945年7月17日〜8月2日開催。
アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相(途中で交代)、ソ連のスターリン書記長が中心メンバー。
何故か 前史の「ヤルタ会談」の写真が大きく掲げられていた。 -
10)
本会議場の写真。米英ソ連の国旗が掲げられている。
ここで 日本の無条件降伏の「ポツダム宣言」が作られ、原爆投下の承認がおこなわれた。 -
11)
「戦後体制」を決定した運命の場所にしては 簡単な施設だった。
考えてみれば 戦勝国の戦利品認定と山分けの泥仕合の舞台で、戦争の悲惨さを踏まえ 来たるべき世界の理想を 高邁に語り合った場所とは言い難かった。
現在は 庭に花が咲き、多くの観光客が見物に訪れる場所。 -
12)
それから近くのサンスーシ宮殿へ。
宮殿に隣接して 大きな時代物の風車があった。
ドイツに風車と少し驚いたが、帰国して知ったが 18世紀 宮殿建設以前からのもので 小麦の栽培と連動したものらしい。 -
13)
サンスーシ宮殿は
フリードリヒ2世の「夏の離宮」として建てられた。
ヴェルサイユ宮殿と似ているが、規模は小規模。当時のプロシャの国力も反映? -
14)
敷地内の フリードリヒ2世のお墓。
小学生が見学に来ていた。
お墓の上にジャガイモが供えられていた。
横には愛犬達のお墓。 -
15)
ベルリンに戻り、バスの車中から 目抜き通り「「クーダム」を眺める。
パリのシャンゼリアを模したらしいが 少し地味。ドイツらしいと言えばそうだが。 -
16)
昼食は 繁華街のレストラン「R2」で。
ツアーの食事は学校給食の大人版。量は充分でデザートまで付くが、当たり前だが選択はできない。今回の旅ではジャガイモが必ず付いてくる。
お茶や無料の水は出ない。コーヒー等は頼めば有料でサービスされる。
どうも義務的食事に感じて ツアーの食事は あまり楽しくはなかった。
写真はソーセージのメイン料理。 -
17)
それから 「プランデンブルク門」へ。
広場の雰囲気が あまりにも観光地化されていて 違和感を覚える。
ベンチに座り 煙草を吹かすが 西側の勝利のプロパガンダに見えて仕方がない。2月ベトナムのサイゴン 旧大統領官邸等を見学した時と同じ違和感。
「それで。」と言いたくなる。 -
18)
観光定番の「ベルリンの壁」へ。歴史の史実として この「壁」を見ることに意味はあったと思う。「ベルリンの壁」は私の生きた同時代 1961年から1989年の28年間 存在した。そして 今もなお 世界には イスラエルによるガザ地区の壁 北朝鮮による南北軍事地雷原の壁など 「壁」は存在し続けている。
写真は 当時の様子が分かる展望台から。 -
19)
ベルリンではマロニエ(和名栃の木)の白い花が満開だった。
旧壁の近くにも咲いていた。 -
20)
それから 駆け足観光で 旧東ベルリンエリアの「ペルガモン博物館」へ。 -
21)
「大英博物館」の対象エリアを限定し 小規模にしたようで それなりには素晴らしい。
ただ この種の展示物は やはりその文化が存在した風土の中で 見たいと思った。他人の手が入り過ぎて 浮いている感じがする。
トルコのアナトリアで見た「エフェソス遺跡」の感激とは異なる。
夕方になると 時差の体の調整が未了で 疲れを感じ ゆっくりする。 -
(3)5月17日
1)
ホテルを8時出発。南部のマイセンへ。(約200キロ)
車窓から 菜の花畑(この季節 欧州各地でよく黄色の輝く畑をよく見かける。)の中に、風力発電の風車を見る。今回の旅行中 よくこの種の風車を見た。
再生エネルギーの先進地域。 -
2)
写真は高速道路(アウトバーン)のサービスエリアの売店。
日本のサービスエリアの売店と異なり、利用客数が少ない。値段も高め。
トイレも50セント必要。高速代無料の恩恵はあるが。 -
3)
写真はマイセン近くの「アルブレヒト城」とエルベ川。
「エルベの誓い」で記憶にある川の名前を思い出した。 -
4)
今回の中欧 特にドイツは ちょっとした気遣いだけれども 各家の窓の装飾が見事だった。ドイツ人が「衣食住」のうち「住」を大切にしていることが分かる。 -
5)
それから マイセンの磁器工房へ。 -
6)
18世紀にヨーロッパで初めて白磁が作られたそうだ。確かに金属器は進んでいたが それまで白磁は東洋からの輸入品。改めて知った。
飾られていた「生け花」に日本的なものと共通性を感じた。 -
7)
私の感覚では 値段が高くて 手を出されなかったが ツアーの中には 記念として買い求める人もいた。
確かに 工房を見学して「マイスター」に好感と親しみを感じた。 -
8)
それから 近くのザクセン州州都「ドレスデン」へ。
旧東ドイツエリア内の街だが 1990年東西ドイツ統一後の復興、開発が進行中で 街は明るく新しい感じ。路面電車も走っていたが。
写真は ランチを食べた レストラン「DERLOEWE」の前の噴水公園。 -
8)
それから エルベ川を渡り 旧市街側を観光。
写真は
エルベ河畔の三城の一つ「リンクナー城」?
ツアーの
観光都市毎に 現地ガイドさんが ツアーに参加して 原則日本語で説明してくれる。
イヤーホンガイドを利用して 分かり易い。 -
9)
旧市街を歩いて観光。
街並がよく保存修復されている。 -
10)
大壁画「君主たちの行進」 -
11)
連合国側の大規模空襲の余波を受け崩壊した教会を 世界が協力して再建した話題で有名な ドレスデン「聖母教会」。
添乗員さんも 寄付をしたそうだ。 -
12)
写真はツヴィンガー宮殿。
宮殿敷地内の「アルテ・マイスター絵画館」に入場したが フェルメールの 『窓辺で手紙を読む女』,ジョルジョーネ 『眠れるヴィーナス』,ラファエロ 『システィーナの聖母』, レンブラント 『ガニュメデスの誘拐』, ルーベンス 『ニンフとサトゥルヌスに導かれながら、酔っ払うヘラクレス』, ラファエロ 『システィーナの聖母』等思いがけず、良い作品を鑑賞できた。
残念ながら 写真撮影は禁止。 -
13)
写真は ドレスデンオペラ座。
1990年東西ドイツ統一後の一体化を 問題は残ったにせよ 20数年でよく成し遂げたと 改めて思った。
ドイツは 欧州の中で後進国であったが 宗教改革の地であり、勤勉さに共通するものを 日本人は共感できるのかと思った。 -
14)
アウトバーンの同じような道が続いていて、添乗員さんに教えて貰い ドイツとチェコとの国境であることを知る。
写真は 若干 道路壁の緑のペンキ色だけが異なる国境。
添乗員のTさんが 長いバスの旅程を利用して 上手く 旅の情報を教えてくれる。例えば「宗教改革の流れ」「ハプスブリク家系図」「第一次大戦後のヨーロッパ」とかとか 簡単な資料を配布して 説明してくれる。その旅の渦中にいて 教えてくれる歴史知識が 旅を豊かにしてくれる。 -
14)
チェコに入り 直ぐ道に隣接して、原子力発電所の施設に出くわす。
ドイツは原子力発電からの撤退を決めているが、こんな国境近くにと驚く。
管理の主体はチェコ、もし放射能の被害が出たら チェコ一国では済まないだろうと想像する。ギリシャ等のユーロー危機と同じく 人類が直面する新しい課題を如実に見た気がする。
後日 帰国して調べると、どうも原子力発電所ではなくて 火力発電所。
確かにチェコには原子力発電所が2カ所あり、隣国オーストリア、ドイツと問題にはなっているようだ。 -
15)
首都プラハに向かう道は 日本の風景を思い浮かべる。
この川は「ヴルタヴァ川」?だとしたら ドイツに抜け北海に流れ込む国際河川。
物流から始まり 文化の伝道とか 河川の役割は昔から今も 重要な役割。 -
16)
プラハの宿は「クラリオンコングレス」。連泊したが ここも良いホテルだった。 -
17)
夕食はホテルの食堂でバイキング。美味しかった。
テーブルに無料の水があると ホッとする。 -
18)
ホテルに隣接する ショッピングセンターを 食事後訪れ、スーパーでお土産のチョコレートを購入。VISAカードを使用。英語で応対してくれて、後日確認したがカードは問題なく決済。
ショッピングセンターのCDで200コルナ約1000円を借り出し。
(多分チェコの通貨は不必要と思って 少額にした。実際ユーローで支払って ほとんど問題なし。) -
(4)5月18日
1)
6:00 モーニングコール 8:20出発で 前夜 いつものスケジュールメモを貰っていた。
朝食を早めに食べ、いつものように部屋でゆっくりしていた。何時出発だったかとメモを見たら 8:20。時計を見たら 8:25.慌てて部屋を飛び出し、ホテルの玄関へ。誰もいない。置き去りにされたと 色んな事を考えながら とにかく バスはどこかで気づいて 引き返してくるはずだと 弁解も考えながら 玄関ロビーで 一人待った。約20分ほど待って 一人で観光することも考えねばと 諦めながら 時計を見たら 8:00。1時間間違えていた。
写真は一人冷や汗をかいたホテル玄関。 -
2)
10日間の旅行中 一度だけ傘を利用した プラハ城の構内。
雨で路面がぬれている。 -
3)
9時頃の衛兵交代。
雨宿りしていた構内の目の前を行進して行く。 -
4)
大統領府の前でも 衛兵交代式。雨が止んだ。 -
5)
14世紀建設ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂の前でも衛兵交代の行進。 -
6)
教会の内部。 -
7)
ステンドグラスの「バラ」も立派だが 英仏には敵わない。 -
8)
教会の外に出て 改めて見ると 14世紀にゴシック様式がこの地にまで波及していたことが分かる。 -
9)
プラハ城から プラハの街を眺める。ヴルタヴァ川(日本ではモルダウ川)が町の中心を流れている。自然の残る古い町並み。 -
10)
それから 歩いて「カレル橋」(15世紀初頭完成)へ。
橋の上は そろそろ観光客が増えてくる。
橋の欄干部分には「聖人像」が。 -
11)
橋からの眺め。
マロニエの花? -
12)
ヴルタヴァ川が大きな川であることが分かる。
(昨今の中欧ヨーロッパ水害被害のニュースを聞くにつれ、気候変動、乱開発等の要因はあるにせよ、国際河川の治水対策の 国際協力の重要性を理解する。) -
13)
旧市街側から カレル橋を写す。 -
14)
午前11時の「天文時計仕掛け」(15世紀初頭完成)に間に合うように旧市街広場に行き 多くの観光客とともに天文時計を見る。
(からくりそのものはあっけない。)
ドイツ人の天文学者ケプラーも17世紀の一時期 このプラハに住んでいた。 -
15)
それから 広場のボヘミアガラスの店に立ち寄る。
トイレも無料で使えて飲み物のサービスもあり、パック旅行の集合場所として多数の人が利用。(中国人も) -
16)
昼食後、自由時間。
写真は旧市街広場の中心に立つ。宗教改革の先駆者「ヤン・フス」の像。
チェコでは「真実は勝つ。」の彼の言葉とともに ヤン・フスは特別の存在であるようだ。 -
17)
時計のある「旧市街市庁舎」の塔を登り、プラハを上から眺める。
プラハ城方面。プラハ城が巨大であることが分かる。 -
18)
広場の「ヤン・フス」像を上から。 -
19)
ティーン教会 (聖母マリア教会)を写す。
教会には入れなかった。昼休み? -
20)
真下にそろそろ 定時のからくりを見に 観光客が集まって来ている。 -
21)
それから
路面店のマーケットを探索。 -
22)
また パック旅行の団体行動に戻り、聖イルジー教会でのコンサートに。
パイプオルガンとバイオリン演奏。
しばし異郷の雰囲気を 静かに鑑賞する。 -
23)
それから
バスの駐車場が限定されている為 約25分かけて 旧市街から反対側の川向うまで歩く。多くの外国人観光客が同じような経路で 駐車場に向かって歩く。一つ終わったという解放感も持って。
その橋の上でツアーの女性がリュックの中の財布を盗まれる。被害額は少なかったらしいが 気分が悪い。
バスで ストラホフ修道院内のビアレストランへ夕食を食べに行く。
写真は その12世紀建造のビアレストラン。 -
24)
料理はドイツよりはまし。 -
25)
レストラン近くの民家の窓辺もドイツと同じく 気を使っているのが分かる。 -
26)
それから バスで「Most Legi」橋に戻り 夕景のプラハ城、カレル橋を眺める。
静かな風景。
チェコは1968年の「プラハの春」と「ソ連軍の侵攻」を受け、苦難の時代を経験した。プラハの春はちょうど私の学生時代。そして1989年の「ビロード革命」。たった2日間の滞在で何が分かるわけもないが 人口1千万人の小国チェコの辛苦の歴史を知るにつれ もっと知ってみたいと思った。 -
(5)5月19日
1)
アウトバーンと同じような高速道路を
「チェスケー・ブジェヨヴィツェ」へ向かう。
写真は チェコのサービスエリアから写す。
グローバル企業が 旧東欧の各地に進出している。 -
2)
チェスケー・ブジェヨヴィツェはチェコの南ボヘミア州最大の都市で、政治・商業の中心地だそうだ。
写真は旧市街の中心 オタカル二世広場から バロック様式の市庁舎を写す。
広場から始まる町並みが ヨーロッパの典型。
(日曜日で例外を除いて 店は休日閉店。) -
3)
この町は ビール醸造の長い歴史を持ち アメリカ「バドワイザー」の本家とも言うべき存在。
ランチに各人一杯のビールが付いていたので 飲まない私も 半分だけ チェコビールを試す。
普通に美味いと思った。 -
4)
それから 約30キロの オーストリアに近い チェスキー・クロムロフへ。
チェスキー・クロムロフはお城を中心に中世の面影を綺麗に残した世界遺産の街。
写真は お城(13世紀後半から建設)の展望台から 街をを写す。
下をモルダウ川が流れる。 -
5)
川の所から お城を見上げる。
歴史の変遷で荒廃されていたが 1989年のビロード革命以降から、町の景観の歴史的価値が再認識されるに至り、建造物の修復が急速に進められ、町はかつての美しさを取り戻したそうだ。
確かに 私は今回の旅行で この街を初めて知った。 -
6)
通りは 多くの観光客。
これも 一つのチェコのビロード革命の成果かなぁと思った。 -
7)
ただ 昔の景観を残しながら モルダウ川の護岸工事の補強は困難だろうなと想像できた。(堤防が低すぎる。) -
8)
下から お城を見上げる。
地震が少ないにせよ、中世のこの構造物を作れた知見を持って 現代の治水も解決してほしい思った。 -
9)
写真は チェコとオーストリアの国境。バスはノンストップで通過。
ここも 旧西側と旧東側のゲートであったはずだが。
オーストリアに入ると、民家の景色から何となく豊かそうな感じを受けた。 -
10)
オーストリアの高速道路サービスエリア。
大型 トレーラーが増えた感じ。
今回 訪問5か国のうち ドイツを除き 各国は海に面していない 内陸国ばかり。河川利用はあるにせよ、素材産業は成立しにくいのが理解できる。製造業としては高付加商品の製造加工業を目指さざるを得ないのだろう。その意味で 貿易障壁は低くしたいのだろう。 -
11)
夕方 19時頃 ザルツブルグへ着く。
途中のバスの車中で 添乗員さんが 「サウンド・オブ・ミュージック」の解説をしてくれ、トラップ家の次女マリアを中心とした回想CDもテレビで上映してくれた。
それで すこし 期待を持って ザルツブルグに入ったが、日曜日夕刻の時間帯が悪かったのか 若干寒く、街は寂しそうだった。
路上には 物乞いの姿も。
(翌日のガイドさんの話によると オーストリアに 外国籍の職業的物乞いが増えているとか。) -
12)
夕刻のザルツァハ川
この川の近くのレストラン(STADTWIRT)で夕食を取る。
日曜日の為か 店の人が少なく、温かいものは温かくというコンセプトか、ツアーの(給食)ディナーの全員のデザートを食べ終わるのに 1時間半位い掛かってしまった。添乗員さんは バスの運転手さんの拘束時間超過を恐れて、ヤキモキされていた。 -
13)
ホテルは空港近くの「ザルツブルク ウェスト」。
ここも良いホテルだった。周辺に色々あったみたいだが 残念ながら眠るだけの利用。 -
(6)5月20日
1)
7時40分 ホテル出発。早朝から行動開始。
午前中はザルツブルク(「塩」「砦」の意味だそうだ。古くは塩は金と等価であったそうだ。)の観光。
まだ誰もいない 歴史地区のミラベル庭園、ペガサスの噴水。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」でここも撮影に利用されたそうだ。 -
2)
ミラベル宮殿側から 庭園を写す。 -
3)
今度は逆に宮殿側を写す。
宮殿は17世紀に大司教が愛人の為に建てたとか。 -
4)
それから 徒歩で 古い街並みを歩く。
写真は旧市街(ツェントラル)中心部のゲトライデ通りを写す。
昔からの 文字を使用しない 装飾的な鉄細工の看板がたくさん掲げられていた。 -
5)
写真は 夏開かれるザルツブルク音楽祭との関連が大きい「祝祭大劇場」外観。
(カラヤンの住居も川の反対側にあった。) -
6)
写真は 17世紀に建てなおされたザルツブルク大聖堂。子供関連の音楽の催しがされており、音楽が聞こえてきた。残念ながら中には入らず。 -
7)
それから モーツァルトの生家といわれる記念館を見学。
内部の写真は撮影禁止。
写真は建物外観。(内部は18世紀の生活を理解できる展示。) -
8)
「モーツァルトに最もよく似た肖像画」と言われる未完成の肖像画を見たが、従来のイメージと異なり、見直した。
写真は入口の銘板。 -
9)
それから バスで 多くの山や湖に恵まれた「ザルツカンマーグート」エリアへ。
季節も良いのか、世界の最高級の別荘地帯のイメージ。(冬はイメージが異なるだろうが。)
写真は ウォルフガング湖を見下ろす。 -
10)
世界遺産の「ハルシュタット」 -
11)
昼食後 ハルシュタット湖 遊覧船乗船 -
12)
静かな湖畔の街 -
13)
アルプスに残雪が。 -
14)
約45分の乗船。(湖上は少し寒い。) -
15)
湖畔の店で 名物の塩をお土産に買う。 -
16)
それから ウイーン近くのホテルへ。
宿泊ホテル「トレンドイベントホテルピラミッド」
古い 大型ホテル。
設備が故障したとかで 部屋割り変更発生とか。
そのためか 私の部屋は馬鹿広い。一人だのにベットが3ッつ。5人用のソファーセット。
朝が早かったので 早く眠る。 -
(7)5月21日
1)
8時ホテル出発。
ウィーン歴史地区観光に。
写真は ウイーン会議の舞台、「シェーンブルン宮殿」(朝が早いので あまり観光客は居ない。)
18世紀マリア・テレジアの治世に建設されたとか。 -
2)
内部の見学は 結構観光客が多い。(前後中国人のツアーグループ)
ベルサイユを小規模にした感じ。
面白いことに 1階のある部分は 現在公務員官舎で 2LDKで100m?、家賃は日本円で4万7千円の賃貸物件だそうだ。
内部の写真撮影は禁止。
ハプスブルク家は「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」の とおり、婚姻によって所領を増やしていったとか。
フランス皇帝ナポレオン1世の皇后は 敵対したハプスブルグ家 神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)の娘マリア・ルイーザ。初めて知った。(宮殿にナポレオン2世の絵があったので 不思議に思って調べた。) -
3)
それから 「ベルヴェデーレ宮殿」へ。
現在は絵画館とか。内部は見学せず。 -
4)
宮殿の庭。 -
5)
ベルヴェデーレ宮殿前から トラムでウィーン国立歌劇場へ。 -
6)
ウイーンの人口は200万人足らず。
街はこじんまりした感じ。
写真はトラムの車中。乗客も少ない。 -
7)
ウィーン国立歌劇場を写す。
繁華街にあった。 -
8)
自由時間に ショッピング目抜き通りを写す。
スーパーでチョコレートを買う。 -
9)
昼食は19世紀建設の市庁舎の地下「ラートハウスケラー」にて。
写真は レストランの入り口
その前にバスで「リンク大通り」を見物したが ここは歩きたかった。
見どころ多し。
(「駆け足観光」でウィーンの滞在時間が短すぎた。またゆっくり来たいと思った。) -
10)
入る前にバスの中で 「市役所の食堂か。」と ツアーの一人が言ったが、実際は歴史を感じさせる 良い雰囲気のレストラン。 -
11)
写真は オーストリアとスロバキアの国境。
ここでバスの運転手さんが通行税(料金?)を払うため 一旦停車。 -
12)
すぐに スロバキアの首都「プラチスラバ」に到着。
写真はプラチスラバ城。
スロバキアの人口 約550万人。
プラチスラバの人口 40万人強。 -
13)
農業国と理解していたし、郊外の風景は農村の感じ。
ただ グローバル企業の看板も多く見た。日本のスズキの工場もあった。
ユーローが正式に使用できた。
お城の展望台からプラチスラバを見渡す。旧市街は左側で見えない。
前を流れる川がドナウ川。
ドイツの(黒い森)を発し、東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ国際河川だそうだ。今は運河でライン川とも 結ばれ 北海と黒海が通行可能だとか。 -
14)
それから 旧市街を観光。広場に ここにも「ヤン・フス」の像。 -
15)
広場の一角に日本大使館と 衛兵の彫像。 -
16)
プラチスラバの旧市街は こじんまりしていて 歩き易い街だった。
太陽の光がかなり厳しい。 -
17)
スロバキアとハンガリーの国境。ここはノンストップ。 -
18)
ハンガリーの高速道路サービスエリア。
何となく メンテナンスが行き届いていなくて うらぶれた感じ。 -
19)
ブタベスト夕食レストラン 「Kaltenberg」 -
20)
満員の盛況ぶり。洒落た 生サラダを久し振りに食した。
ここで 突然 私の66歳の誕生日を祝して バンドが「ハッピバースデエー」と演奏してくれた。誕生日をお祝いしてくれることなど久しくなかったので 恥ずかしかったが嬉しかった。 -
20)
ブタベストの宿は 駅と隣接した 「ヒルトン ウエストエンド」
アメリカ流の新しいホテル。快適。
写真は玄関。巨大なショッピングモールと併設。 -
(8)5月22日
1)ホテルを9時出発、ブタペスト観光に。
最初に「英雄広場」を車中から。周辺には歴史を感じさせる美術館の建物が並ぶ。
ハンガリーの人口 約1千万人
ハンガリーの主要民族マジャール人はウラル山脈付近の遊牧の民がハンガリー平原に移動して 住み着いたとか。蒙古斑が残っているそうだ。
ブタペストの人口 170万人 -
2)
ブタ地区の王宮への途中で見かけた 城壁の弾丸跡。
ガイドさんの説明に寄れば 1956年の「ハンガリー動乱」の跡だとか。
当時 私は小学生で幼かったが、その衝撃は記憶にはっきり残っていた。
亡くなられた 人々に暫し瞑目。 -
3)
王宮の所から 水量豊かなドナウ川の流れる ブタペストを写す。
綺麗な風景。 -
4)
王宮を写す。 -
5)
ちょうど、衛兵の交代式。 -
6)
宮殿内の「聖母マリア聖堂」(マーチャーシュ聖堂)14世紀後半建設。
16世紀 の150年間以上のオスマントルコによる支配、オーストリア=ハンガリー帝国と第一次、第二次大戦の敗戦とハンガリーの歴史も苦難の時を過ごした。
この聖堂も動乱の歴史を経験してきたのであろう。 -
7)
王宮から 下に降りる。
途中で ハンガリーの刺繍を路上の婦人から買う。安い。(10ユーロ)朴訥な感じ。 -
8)
階段の下から 見上げる。 -
9)
それから ドナウ川を渡り、「ブダペスト中央市場」へ行く。
昔から 河川物流の基地として 市場は存在していたらしい。古い建物。 -
10)
内部は 観光お土産屋さんが半分位のイメージ。
写真は1階の八百屋さん。種類も多く、安そう。 -
11)
歩いて ドナウ川を渡る。 -
12)
何本も橋が架かる。
第二次世界大戦の末期 ナチスは全ての橋を爆破したそうだ。 -
13)
橋のたもとのレストランでランチ。
ハンガリーでは 生野菜が添えられていた。やっとジャガイモから抜け出された。 -
14)
ランチの後、1時間足らず北上して 古都「ドナウベント」へ。
写真は「エステルゴム大聖堂」を駐車場から写す。 -
15)
駐車場に何かの花が満開。 -
16)
エステルゴム大聖堂を正面から写す。 -
17)
内部は 結構広い教会。 -
18)
背後のパイプオルガンも立派。 -
19)
外の展望台から ドナウ川を写す。
確かに「ドナウ川の曲がり角」という意味のドナウベントの通り。対岸はスロバキア。 -
20)
ブダペストへの帰路 ブダペストのすぐ北にある小さな街 「センテンドレ」に立ち寄る。田舎の風情の漂う街。 -
21)
観光土産物店等が並ぶ。
確かに安いので 土産のガラス製ペンダントを購入。(3個約4000円)
商売気もない。 -
22)
街の畔を ドナウ川が流れる。 -
23)
それから ブタペストのホテルに帰り、一旦休憩。
その時間を利用して 隣接する駅舎を訪ねる。
古い 駅舎と列車。社会資本がここまでは回っていない。
行き交う人も 田舎の雰囲気。
ホテル併設の巨大なショッピングモールは 世界のグローバル企業が出店していたが あえて 買うものなし。スーパーは改装中で閉店。 -
24)
休憩後 19時半頃 ハンガリー民族舞踊ディナーショーへ。
店名「Marvanymenyasszony」
写真は入口。 -
25)
狭い舞台らしきところで 数名の男女のダンサーが踊ってくれる。
台湾、シンガポール、日本、イスラエルのツアー客が 当夜は参加。
各国の歌も演奏してくれたり 飛び入り参加があって 全員で盛り上がる。
音楽には国境が無いと つくづく思う。 -
26)
それから 貸切ドナウ川ナイトクルーズに乗船。
「美しく青きドナウ」の音楽とともに 添乗員Tさんの名調子の解説が 船のスピーカーから聞こえてくる。 -
27)
昼のイメージとは異なり、街が生き生きと輝く。 -
28)
鎖橋の照明はの日本の照明デザイナー石井 幹子さんが手がけたとか。
王宮も光で照らされている。 -
29)
光りの橋が連なる。 -
30) 帰途再び 鎖橋を。
-
31)
国会議事堂。
船上は風が出て寒かったが、最後の晩の高揚もあり、甲板で光の演出をフルに堪能した。
ハンガリーは観光客を楽しめさせてくれる と思った。 -
(9)5月23日
1)
日本出発前 ホテル出発が6時半の予定なので 朝食はBOXと言われていた。
ところが ホテルの協力で 5時半頃から 朝食レストランを開けてくれて、美味しいヒルトンのビュッフェを楽しめられた。感謝。 -
2)ブタベスト空港。施設は狭かった。
搭乗チェックインカウンター前が狭くて混雑。 -
3)
無事に中継乗り継ぎ地点のフランクフルト空港に戻ってきた。 -
4)フランクフルト飛行場はとてつもなく広い。
日本行は増設されたゲートから。
航空機の旅行も
中継方式から直行スタイルに 将来は変わっていくのかと思った。 -
5)
中欧5か国を駆け足で巡って 何となく 「疎外」の課題は大きく残るけれども、イデオロギー国家による 戦争の恐れは無くなったと思えた。欧州では有史以来続いてきた 武力の戦争は無くなると思った。
欧州は きっと「ユーロー危機」を乗り越えるだろうとも思った。武力の危機を乗り越えたのだから。
2月東南アジアを巡り、「東南アジア連合」はまだ早いと思ったが、中欧を巡り 50年の単位で考えるとそうでもないのかぁと思えた。
写真はルフトハンザの「成田」行カウンター表示 -
6)
今回のパック旅行は 添乗員Tさんの 能力、尽力で随分楽しいものにしてくれた。パック旅行の欠点を補い 手軽さを満喫できた。
また 旅行記を記すことで もう一度楽しめられた。
写真は フランクフルト出発時 降り出した 見送りの雨。
(帰りの機中も 隣りが空席で ラッキー。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- yujinさん 2013/06/14 10:44:18
- 旅行記に賛同
- アーサーさんの律儀な旅行記に感心しました。旅行そのものが目に見えるほど良く分かりました。年齢が近いせいもあり考え方も似ているのかもしれません。これが旅行記の基本だと納得しました。
ただ残念なことは、ご自身の旅行記録と登校用の旅行記と多少違うことを考えていただきたいと思いました。私たちはアーサーさんが行った旅行先の
単なる記録を知りたいわけでなく、その地の人々の暮らしや息遣い、そのときの旅行者の感想も知りたいのです。
もともと旅行記録を元に書いている旅行記ですから無理な注文と分かっていますが、やはり期待して読むものとしては残念です。
- アーサーさん からの返信 2013/06/15 12:53:25
- RE: 旅行記に賛同
- > アーサーさんの律儀な旅行記に感心しました。旅行そのものが目に見えるほど良く分かりました。年齢が近いせいもあり考え方も似ているのかもしれません。これが旅行記の基本だと納得しました。
> ただ残念なことは、ご自身の旅行記録と登校用の旅行記と多少違うことを考えていただきたいと思いました。私たちはアーサーさんが行った旅行先の
> 単なる記録を知りたいわけでなく、その地の人々の暮らしや息遣い、そのときの旅行者の感想も知りたいのです。
>
> もともと旅行記録を元に書いている旅行記ですから無理な注文と分かっていますが、やはり期待して読むものとしては残念です。
yujinさん
コメントありがとうございます。
今回は駆け足ツアー旅行でしたので
なかなか その余裕がありませんでした。
次回から 心したいと思います。
それでは
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