2013/05/29 - 2013/05/29
2位(同エリア196件中)
横浜臨海公園さん
- 横浜臨海公園さんTOP
- 旅行記153冊
- クチコミ811件
- Q&A回答123件
- 1,681,180アクセス
- フォロワー733人
眞清田神社(ますみだ じんじゃ)は、愛知県一宮市に所在する尾張國一之宮神社である。
該社、御祭祀は、
天火明命(あめのほあかりのみこと)
の御1柱である。
然るに、時代背景として、大己貴命(おおなむちのみこと)、若しくは、國常立尊(くにのとこたちのみこと)との記述物も存在し、なかんずく、鎌倉期から江戸末期迄は、國常立尊の存在が最有力とされたが、紆余曲折の上、明治2年(1869年)に現祭祀に確定された。
現在、該社に於いて該日をして創建記念日に指定し、明治43年(1910年)からは新暦4月3日に桃花祭として神事執行される。
該社社伝に拠れば、該社創建は、初代 神武帝(じんむ てんのう)御在位中たる神武33年(前627年)3月3日とされているが、眞清田古縁起記述では第10代 崇神帝(すじん てんのう)御在位中としている。
然し、何れも歴史的見地から見て史実性に乏しいとされる。
事実、該社に関する史料に就いて、承和14年(847年)以前の物は皆無であり、それ以前に関しては社口伝に過ぎない。
該社が歴史上、名が登場するのは延喜式名神帳が完成した延長5年(927年)に 眞墨田神社 名神大 と記載されている。
当時は「清」と「墨」が混用され使用されているが、同例として、住吉大社に於いて、平安期以前は、住之江をして、墨之江、清江、須美之江と記述した文献が現存し、何れも、読み方は「すみ」である。
天火明命後裔は尾張國造として赴任し土着し 尾張姓を名乗った。
即ち、尾張氏遠祖は機内大和國葛城郡高尾張郷から大和朝廷濃尾発展の為に移住して来た民と考えられ、元来居住地たる大和國高尾張郷から尾張と命名されたものと推定されている。
壬申の乱(じんしんのらん)(天武元年(672年)8月8日〜24日)に於いて、該乱内容を記述した続日本記に於いて、尾張宿禰大隅(おわりのすくね おおすみ)、及び、尾張連馬身(おわりのむらじ うまみ)なる人物が、天武帝(てんんむ てんのう)(欽明3年(631年)?〜朱鳥元年(686年)10月1日)側に於ける忠臣として登場し、現在では尾張地区から天武側陣営に馳せ参じた一族の者と考えられている。
神階に就いては、
承和14年(847年)11月11日 従五位下(續日本後紀)
仁寿 元年(851年) 6月24日 従四位下(日本文徳天皇實録)
貞観 7年(865年) 8月21日 正四位上(日本文徳天皇實録)
文治 2年(1186年)3月 正一位 (尾張國神名帳)
鎌倉期から室町期にかけて該社領地は京都久我家所領とされた。
然るに、足利幕府 第6代将軍 足利義教(あしかが よしのり)(應永元年(1394年)7月12日〜嘉吉元年(1441年)7月12日)在任中たる永享6年(1434年)に、長野教高なる人物に依り、該社領地押領事件が発生する。
該事件は、31年後に教高から久我家に返還され漸く解決を見たが、足利幕府 第8代将軍 足利義政(あしかが よしまさ)(永享8年(1436年)1月20日〜延徳2年(1490年)1月27日)は、在任中たる、文安5年(1448年)12月、及び、康正元年(1455年)11月に教高に対し返還命令を発していたが、当時は下克上最盛期で足利幕府の権威は最低失墜の時代であり、事実、義教は後に家臣に殺害される人物であり、元より、教高が将軍家の命令を聞き入れるはずも無かった。
此れと相前後して、康正元年(1455年)6月には、該社に盗賊一味が押入り、更に、放火の狼藉に及んだ為に、該社境内造営物、神寶、祭器一切が焼失した。
再興は、資金不足が原因で、長禄年間(1457〜60年)から寛正年間(1460〜66年)の長期間に亙った。
尾張の戦国新興大名 織田信長(おだ のぶなが)(天文3年(1534年)6月23日〜天正10年(1582年)6月21日)は、第106代 正親町天皇(おうぎまち てんのう)(永正14年(1517年)6月18日〜文禄2年(1593年)2月6日)警護を名目に永禄11年(1568年)に上洛したが、数度の天覧後、天正2年(1574年)3月28日に勅許に拠り、奈良正倉院に収納されている香木 蘭奢侍(らんじゃたい)の切片を入手し、信長自身が楽しむと共に家臣に分与したが、その分与を受けた1人たる 村井貞勝(むらい さだかつ)( ? 〜天正10年(1582年)6月21日)は、友人で一宮城主の人関長安(ひとせき ながやす)(天文31年(1552年)〜天正12年(1584年)に小片を再分与した。
長安は天下の名香を自家に置くのは忍びずとして該社に奉納した。
その後、該香は一時期所在不明とされたが、現在は該社宝物館に断片と称する物が現存する。
天正13年(1586年)1月18日に、天正大地震(てんしょう だいじしん)が発生し、当時の文書に、
該社本宮、楼門、廻廊、その他殿堂悉く転覆傾斜
と記載されるほどの被害が生じた。
更に、織田信長亡き後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)(天文6年(1536年)3月17日〜慶長3年(1598年)9月18日)は、全国の石高確認の為に検地を実施したが、尾張國に対しては天正18〜19年(1590〜91年)に実施したが、該検地実施中たる天正19年(1591年)に、該社神人達が秀吉の些細な命令違反を理由に、一宮村以下計7村の該社所領地没収の暴挙に出た為に、神人達の職を廃し散逸させた事から、該社神職が各地に逸散した事から俄に荒廃状態を呈した事で神職不在社になり、故に、別当神宮寺般若院僧侶が神務管理する仏主社従の状態になった。
秀吉死後、慶長5年(1600年)10月21日に東西に別れ関ケ原に於いて雌雄を決する戦いが行われたが、東軍筆頭 徳川家康(とくがわ いえやす)(天文11年(1543年)11月3日〜元和2年(1616年)6月1日)は、前々日たる同月19日に該社に於いて小憩を兼ね、該社を参拝して戦勝祈願した。
幸いにして、関ヶ原ノ合戦は東軍側圧勝に終わったが、戦勝後、報寶として家康は該社に対し200石神領を安堵した。
荒廃を極めていた該社を再興させた功績者は、何と言っても、初代尾張藩藩主 徳川義直(とくがわ よしなお)公(慶長5年(1601年)1月2日〜慶安3年(1650年)6月5日)であろう。
義直は、尾張藩に入府した際に、該社参拝の折に見た状態に驚愕し、寛永8年(1630年)に該藩の全面的助力に依り本殿以下の造営が実施され、同年11月3日に正遷座が斎行され、その際に、義直は兄で徳川第2代将軍 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)(天正7年(1579年)5月2日〜寛永9年(1632年)3月4日)の病気平癒を祈願している。
また、長らく神職不在であった該社に、義直は 佐分栄清(さわけ さけきよ)(元和9年(1623年)〜正徳元年(1716年)) を任命し明治維新まで佐分家が世襲宮司家となった。
尾張藩は該社を重視し、第2代尾張藩主 徳川光友(とくがわ みつとも)(寛永2年(1625年)8月31日〜元禄13年(1700年)11月26日)も先例に倣い、承應2年(1653年)に旧礎を活用して勅使殿を造営し、此れらに拠り、寛文3年(1663年)4月に本殿以下の造営が竣工した。
該社は木曽川(きそがわ)下流域に所在する事から、古来より水神龍神伝説信仰に結び付き、それ故、歴代尾張徳川藩主は、祈雨祈晴を必要とする都度、該社に祈願依頼をしていた。
徳川家が朝廷に政権を返納し明治元年(1868年)に明治維新が成立したが、明治新政府は政教一致政策を採用し、神道を唯一の国教とし神仏分離政策を強行したが、該社は、南北朝期に南朝方に対し精勤していた事実も該社に幸運をもたらした。
該社境内別当寺は、享保18年(1733年)5月に廃絶した東西神宮寺、般若院以外、当時は、剣正寺、福寿院、光徳寺、及び、菩薩院が存在したが、福寿院以外は全寺廃寺に決し、堂宇は破壊され本尊は移転を余儀無くされた物も在ったが、一部は海外に流失した物も在ったが、多くの仏像類は現在も所在不明とされる。
然し、該社内に於ける困惑は少なからず発生していた様で、例えば、明治3年(1871年)6月には、聖徳太子父子三像をして仏像か神像かに就いて解釈が分れ、結局、同年9月に該像をして神像と解され判定された事から、該社に残存が決定し該像は神庫に収納された。
明治4年(1871年)2月23日を以って政府は大政官布告に拠り、朱印地、黒印地、除地を境内外地として国有公収する旨を発し、該社は歴代尾張徳川家から拝領していた333石6斗中205石が当該地として国が公収し、該社旧外苑は後に整備一般公開され、現在 大宮公園として一宮市民に開放されている。
同年8月29日に政府は廃藩置県を実施し、尾張藩を廃止し名古屋縣を設置したが、翌明治5年(1872年)5月8日附で、現県名たる愛知縣と名称変更する慌しさだった。
明治5年(1872年)6月の大政官教部省通達に依り、年1度の例祭、即ち、祈願祭、新嘗祭、元始祭、天長節祭、及び、6月、12月の大赦をして官祭に指定分類され、此れ以外の祭礼は悉く私祭として分離された。
明治24年(1891年)10月28日6時38分に、岐阜県大野郡根羽村(現 本巣市)を震源とする濃尾大震災(のうび だいしんさい)が発生し、震源地至近の一宮町では、全家屋2750戸中、2200戸全壊、230戸余半壊し、即死153名、重軽傷者250名余を出す惨事となった。
該社被災では、拝殿、勅使殿、塀重門が倒壊し、井戸屋形が損壊被害が発生したが、何れも、明治26年(1893年)3月に旧材を活用して再建された。
大東亜戦争中、名古屋は三菱重工業を中心とした当時の我が国航空機製造企業が存在した事から、連合軍側の空襲攻撃重要都市の筆頭扱をされた為に度々攻撃を受けた。
然し、当時は米軍に拠る攻撃は大都市部を標的にしたものと考えられていた為に、寧ろ、一宮市は疎開受入側都市とされ、昭和19年(1944年)1月に受入開始後、一宮市転入者は431世帯1580名を数えていた。
然るに、同年12月ともなると一宮市は、警戒警報発令22回、空襲警報発令11回を記録し、最早、一宮の如き地方都市への攻撃すら最早避けられぬとの判断が主流となりつつあった。
昭和20年(1945年)3月12日の名古屋空襲では、熱田神宮宮庁舎、斎館に焼夷弾が着弾全焼し、更に、同年5月17日の名古屋大空襲では、本殿、土用殿が被災全焼した。
その為に、一宮市空襲実施時に於ける該社被災を懸念し、同年4月17日に防空様式の奉安殿設置が決定し、該地に駐屯していた陸軍一宮地方防衛隊の全面的協力を得て建設着手し、同年6月21日に竣工後に極秘裏に御霊代や寶物類を動座移動させていした為に、此れら所蔵宝物類は無事だった。
一宮市は同年7月23日に北部地域に焼夷弾が投下され初被災が生じたが、同月27日21時40分に、事前の警戒警報発令も無く、いきなり空襲警報発令と同時に市中心部に爆弾焼夷弾が投下され、同日22時30分頃から該社境内に焼夷弾約200弾が投下炎上し、該市上水道施設が爆撃が原因で停電の為に断水状態になった為に、消火の為に送水する事すら叶わず、該社は神輿庫、寶蔵、及び、手水舎を除き、殆どの造営物が被災焼失した。
全国の一宮神社で大東亜戦争中の空襲被害で、境内施設が壊滅に等しい甚大被害を受けたのは、該社以外では、大阪市中央区所在の摂津國坐摩神社(いかすり じんじゃ)が有る。
戦後は、境内主要造営物再建に時間を要したが、概ね、昭和36年(1961年)11月までに被災前の姿をほぼ取り戻したが、完全復旧には昭和43年(1968年)までかかり、戦後処理は長期間に亘った。
然も、境内敷地内が一宮市特別都市計画法に拠り国有地境内無償公収が決定し、譲与を半ば強要された土地に現在は一宮市立体育館が設置された。
該社社殿造営物は、尾張造(おわり づくり)と称するもので、尾張地域に所在する神社に見られる。
平入切妻造の本舎正面に同幅庇を設置し、更に前方に延身した屋根が軒先まで曲線で覆い込む形態様式が特長とされ、同様例は、京都上賀茂神社、及び、下賀茂神社に類例を見る事が可能である。
明治 6年(1873年)2月 2日 縣社列格
明治18年(1885年)4月22日 國幣小社昇格
大正 3年(1914年)1月 4日 國幣中社昇格
因みに、一宮市内には、もう1ヶ所、尾張國一之宮を称する大神神社が所在する。
表紙写真は、該社総門から拝殿を俯瞰
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
尾張一宮駅
明治19年(1886年)5月1日に一ノ宮(いちのみや)駅として開業。
大正5年(1916年)1月1日に全国他一宮駅と区別する為に、尾張一ノ宮(をわり いちのみや)駅に名称改称した。
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災全焼したが、仮建築を経て、昭和27年(1952年)11月15日に民衆駅として鉄筋鉄骨コンクリート3階建築が開業した際に現駅名の尾張一宮(おわり いちのみや)駅に再改称された。
現駅本屋ビルは、平成24年(2012年)11月1日開業。
一宮市栄3−1
東海道本線尾張一宮駅東口尾張一宮駅 駅
-
眞清田神社
本町商店街
全景
写真中央部に空襲前まで二之鳥居が存在していた。
現在は旧二之鳥居記念碑が建立されている。
全国的例に漏れず現状はシャッター通り。
一宮市本町3−2−14
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩3分 -
眞清田神社
旧二之鳥居記念碑
戦災で被災するまで該地に二之鳥居が建立されていた。
一宮市本町3−2−14
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩3分 -
眞清田神社
鳥居
該社鳥居は表参道に壱之鳥居が存在するのみ。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
宮前三八広場(みやまえ さんぱち ひろば)
鳥居前の空間敷地は該市主催のイヴェント等々に利用される。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
宮前三八広場
一宮市道路元標
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
社号標(しゃごうひょう)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
社号標
裏面
昭和5年(1930年)6月建立。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
壱之鳥居
該社には他神社と異なり、狛犬が外部に設置されていない。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
太鼓橋(たいこばし)
全景
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災焼損。
昨今、焼損と経年変化が原因と見られる表面の剥離が表面化し早急な保存対策を講ずる要有り。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
太鼓橋
碑文
神橋不可渡
(神橋渡るべからず)
建立期不詳。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
楼門(ろうもん)
木造入母屋造 銅板噴
桁行32.6尺 梁間18.7尺 高26.4尺
慶長7年(1602年)造営。
明治8年(1975年)10月銅板葺替。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和35年(1960年)10月3日再建。
再建造営に際し林野庁払下の木曽玉瀧檜を使用。
http://ww.masumida.or.jp/keidai/04.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
楼門
近接
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
楼門
神額
第45代 聖武帝(しょうむ てんのう)(大宝元年(701年)〜天平勝寶8年(756年)6月4日)御親筆とされる。
初代神額は防空壕に保管された為に一宮空襲で被災を免れ現在は宝物館に収蔵展示。
現神額は、昭和36年(1961年)11月4日 再建竣工時に模造。
http://www.masumida.or.jp/keidai/04.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
楼門大門
境内
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
楼門大門
神紋
九枚笹(くまいざさ)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
左翼廊
切妻造 銅板葺
天正年間(1573〜92年)造営。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和32年(1957年)1月22日再建。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
手水社
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
社務所(しゃむしょ)
木造入母屋造 銅版葺
桁行60尺 梁間44尺
昭和8年(1933年)改築。
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災全焼。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
神水舎(かみみずしゃ)
他社では手水舎と称するが該社では神水舎と称する。
http://www.masumida.or.jp/keidai/09.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
拝殿(はいでん)
切妻造 銅板葺
桁行41.3尺 梁間31.5尺
永享年間(1429〜41年)造営。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和31年(1956年)11月3日再建。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
拝殿
近接
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
左回廊
切妻造 銅板葺
天正年間(1573〜92年)造営。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和32年(1957年)1月22日再建。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
左回廊
近接
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
祭文殿(さいもんでん)
内部
切妻造 銅板葺
桁行15尺 梁間12.9尺
桁行12m 梁間8.9m 袖13m
該建築をして他社では幣殿(へいでん)と称すが、該社に於いては祭文殿と称する。
長禄元年(1457年)造営。
明治8年(1875年)10月銅板葺替。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和31年(1956年)7月24日 再建。
平成19年(2007年)10月2日 国登録有形文化財指定
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp -
眞清田神社
右回廊
切妻造 銅板葺
天正年間(1573〜92年)造営。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和32年(1957年)1月22日再建。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
祭器庫(さいきこ)
祭祀執行に要する祭器を保管。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
祭器庫
近接
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
渡殿(わたりどの)
切妻造 銅板葺
桁行28.5尺 梁間12.3尺
寛永8年(1630年)に尾張藩主 徳川義直公に依り再興されたが、昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和29年(1954年)3月20日 再建。
平成18年(2006年)8月3日 国登録有形文化財指定。
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp -
眞清田神社
本殿(ほんでん)
三間社流造 銅板葺
桁行26.5尺 梁間18.2尺
寛永8年(1630年)に尾張藩主 徳川義直公に依り再興されたが、昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和29年(1954年)3月20日 再建。
http://www.masumida.or.jp/keidai/01.html
平成18年(2006年)8月3日 国登録有形文化財指定。
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
神馬像
全景
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
神馬像
通常、神馬は神馬舎内部に奉納されているが、該社では露天設置。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
北白川房子様御歌碑(きたしらかわ ふさこさま おうたひ)
北白川房子(きたしらかわ ふさこ)(明治23年(1890年)1月28日〜昭和49年(1974年)8月11日)は、第122代 明治天皇(めいじ てんのう)(嘉永5年(1852年)11月3日〜明治45年(1912年)7月30日)第7内親王として生まれ、第123代 大正天皇(たいしょう てんのう)(明治12年(1879年)8月31日〜大正15年(1926年)12月25日)の妹君である。
後に、北白川宮成久王(きたしらかわのみや なるひさ)(明治23年(1890年)1月28日〜大正12年(1923年)4月1日)と婚儀が成立。
大東亜戦争後は皇籍離脱を経て伊勢神宮祭主を務められた。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
北白川房子様御歌碑
全景
ますみ田の神のやしろのところろはにいやさかゆくをいのりつつけむ
該社鎮座2600年を記念して御歌を賜得。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
服織神社(はとり じんじゃ)
該社境内摂社
御祭祀は、
萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとあきつしひめのみこと)
御1柱である。
一宮市は繊維工業都市として繁栄を築いた事から、旧知を偲び、一宮商工会議所が主催し、昭和40年(1965年)に創建。
http://www.masumida.or.jp/keidai/02.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
服織神社
該殿外部色は眞清田神社桃花祭に因み桃色使用。
http://www.masumida.or.jp/keidai/02.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
服織神社
神額
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三末社手水社
http://www.masumida.or.jp/keidai/10.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三末社手水社
吐水龍(とすいりゅう)
尾張徳川藩初代藩主 徳川義直(とくがわ よしなお)(慶長5年(1601年)1月2日〜慶安3年(1650年)6月5日)公 寄贈とされているが、現物には宝永2年(1706年)鋳造の銘があり現存記録と時期的に矛盾する。
http://www.masumida.or.jp/keidai/10.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
吐水龍
該品は青銅製で大東亜戦争中の貴金属類供出令対象非該当品認定され残存したが、経年に依る老朽化が著しく、平成8年(1996年)に原型と同様品を製作し設置。
http://www.masumida.or.jp/keidai/10.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
吐水龍
全景
http://www.masumida.or.jp/keidai/10.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
八龍社(左)
厳島社(右)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
八龍社(はちりゅうしゃ)
平成元年(1989年)10月創建。
明治元年(1868年9当時、別当境内神宮寺所有の龍神石は該寺廃寺の為に撤去され、名古屋千種日泰寺に移転させられたが、元来は該社神石だった事から該社への返還が成立し祀った社。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
厳島社(いつくしましゃ)
該社御祭祀は、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御1柱である。
創建期不詳。
享保年間破損、寛政7年(1759年)4月再建。
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災全焼。
平成元年(1989年)再建。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
社鶏
カラスが悪さをしようとしていた。
季節柄、該社境内はカラスの巣窟。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
東門
木造入母屋造 銅板葺
桁行12尺 梁間7尺 高8尺
慶長7年(1602年)造営。
寛永8年(1630年)修理。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空種で被災全焼。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
東門
正面全景
無造作に飲料水自動販売機が設置される無神経は不快。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
宝蔵
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で境内施設で奇跡的に被災を免れた建築物。
但し、外壁は修復されているも、強火炎を浴びた痕跡が残存。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三八稲荷社(さんぱち いなりやしろ)
該社境内末社
該社御祭祀は、
倉稲魂命(くらのみたまのみこと)
御1柱である。
享保12年(1727年)12月18日に開始され大東亜戦争勃発前後まで該社門前に於いて開催されていた三八市に因み、被災前の稲荷社を復活する形態で昭和25年(1950年)に創建された。
三八市とは、一宮が繊維生産地として発達した事で、市場が成立し、最盛期には、尾張、三河、美濃に止まらず、信濃、飛騨、越中、越後方面からも商人が集まり交換市を行っていた。
http://www.masumida.or.jp/keidai/03.html
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三末社
該社は末社
天神社
犬飼社
愛鷹社
を祀る。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三末社
全景
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
野良猫
吾はこの社の主と言わんばかりの表情をしていた。
人を全く恐れず。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
富島稲荷神社(とみしま いなりじんじゃ)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
富島稲荷神社
該社境内にのみ石燈籠と狛犬が健在。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
透塀(すかしへい)
木造 銅板葺
高9.1尺
昭和6年(1931年)改造。
昭和20年(1945年)7月28日の一宮大空襲で被災全焼。
昭和30年(1955年)3月29日 再建。
平成19年(2007年)10月2日 国重要文化財指定。
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
神輿庫(みこしぐら)
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲に於ける非被災建造物。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
三紋杉(さんもんすぎ)
御神木
昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災焼失し、その後再植樹されるも枯死した為に、数年前に再々植樹。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
報國烈士之碑(ほうこくれっしのひ)
日清戦争(にっしん せんそう)(明治27年(1894年)7月25日〜明治28年(1895年)11月30日)に於いて、当時の一宮町出征者で9名が戦病死した事から、明治29年(1896年)10月に建立。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
忠霊碑(ちゅうれいひ)
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
忠霊碑
近景
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
西参道玉垣
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
西参道(にしさんどう)
全景
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
西参道
現実には市施設市民来場者の駐車場出入口と化しているのが現実。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
9:00〜17:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php -
眞清田神社
宝物殿(ほうもんつでん)
平成元年(1989年)竣工。
第84代 順徳帝(じゅんとく てんのう)(建久8年(1197年)10月22日〜仁治3年(1242年)10月7日)下賜の能面等々国宝、国重要文化財指定品等々が陳列展示されてる。
展示品は、昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲直前に竣工した防空壕に移管していた為に被災せず無事だった。
土日祝開館。
事前要予約。
一宮市真清田1−2−1
?: 0586−73−5196
10:00〜15:00
東海道本線尾張一宮駅東口 徒歩8分
http://www.masumida.or.jp/index.php
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (8)
-
- Mayumi Kawamuraさん 2017/01/08 00:46:18
- 本日はありがとうございます!
- 品川駅よりバス乗車ご一緒した川村真弓と申します!真清田神社の記事見つけられました!(≧∀≦)
楽しいお話ができて、嬉しかったです。またお会いする時は、よろしくお願い致しますm(_ _)m
川村真弓
- 横浜臨海公園さん からの返信 2017/01/08 16:00:50
- 拝復
- Kawamuraさま、こんにちは。
メッセージを賜りまして、誠に有難うございました。
また、拙稿愚作旅行記をご覧下さりまして深謝しております。
小生こそ何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園
-
- 潮来メジロさん 2013/08/10 14:49:58
- 訪問回数1000回目、ありがとうございました。\(^o^)/
- 横浜臨海公園さん、こんにちは! ヾ(^o^)
毎度、訪問&投票ありがとうございました。
昨日、横浜臨海公園さんの訪問回数がちょうど1000回目となっておりました。
拙いブログなのに、度々お越し戴き、ありがとうございました。
> 眞清田神社
>
> 太鼓橋(たいこばし)
> 全景
> 昭和20年(1945年)7月27日の一宮大空襲で被災焼損。
> 昨今、焼損と経年変化が原因と見られる表面の剥離が表面化し早急な保存
> 対策を講ずる要有り。
この写真をみると、川の無い場所に太鼓橋がかかっていて、ちょっと奇異に見えますが、かっては清らかな小川が流れていたのでしょうね。
恐らく都市開発で河川が埋め立てられてしまったのでしょうが、神社の境内を流れる小川は景観地区として残してもらいたいものですよね。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- 横浜臨海公園さん からの返信 2013/08/14 09:10:40
- 拝復
- 潮来メジロさま、おはようございます。
掲示板にメッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。
因みに、潮来メジロさまが小生のページを訪問されまして731回でございました。
連日の暑さの為に、すっかり体力が落ちておりまして、入院直前の状態でした。
潮来メジロさまの野鳥観察の旅行記、何時も心和まされております。
横浜臨海公園
-
- はむじさん 2013/06/20 22:42:14
- 再び愛知県にお出でになられていたのですね・・・
- 横浜臨海公園さん今晩は〜。御無沙汰していて済みませんでした。
漸く「尾張一之宮真清田神社参拝記」拝見させて頂きました。
いつもの事ながら、横浜臨海公園さんの旅行記は故事来歴が吃驚するくらい
詳述されていて、力作ぶりには感嘆しています。
私は、お恥ずかしいのですが愛知県に移り住んで40数年になりますが、この神社には未だに訪れた事がありません。
一人暮らしをしている次男が実はこの写真にある尾張一之宮駅構内に有る
JR系の旅行会社に勤めていたのですが、遂、最近岐阜支店に転勤しています。
話は変わりますが、以前横浜臨海公園さんが投稿されていた三河一之宮の
砥鹿神社の奥宮である本宮山(別名三河富士)に先日3年振りに登って来ました。頂上で参拝した時に、何故か横浜臨海公園さんを思い出していました。
(笑) ham-ji
- 横浜臨海公園さん からの返信 2013/06/21 11:21:39
- 拝復
- ham-jiさま、こんにちは。
拙稿、眞清田神社の旅行記に、お立寄りと投票を賜りまして誠に有難うございました。
> いつもの事ながら、横浜臨海公園さんの旅行記は故事来歴が吃驚するくらい
> 詳述されていて、力作ぶりには感嘆しています。
→史料らしい史料がゼロに均しく、下調べに本当に苦労致しました。
> 私は、お恥ずかしいのですが愛知県に移り住んで40数年になりますが、この神社には未だに訪れた事がありません。
→フォートラベルにも小生が登録するまで、神社の存在感すら希薄な状態でした。
土砂降りの中での訪問、たいへんでした。
> 話は変わりますが、以前横浜臨海公園さんが投稿されていた三河一之宮の
> 砥鹿神社の奥宮である本宮山(別名三河富士)に先日3年振りに登って来ました。頂上で参拝した時に、何故か横浜臨海公園さんを思い出していました。
→奥宮には、小生も1度訪れなければと心残る存在です。
横浜臨海公園
-
- norisaさん 2013/05/31 17:00:22
- 大変な労作
- 横浜臨海公園様、
お世話になります。
今回も大変な労作で、感銘を受けました。
残念ながら全ては理解できませんが概略は興味深く拝見しました。
そもそも各地の神社の御祭祀は古来完全に定められたものではなく、近世に断定された神社も皆無ではないそうですね。
先日お邪魔した三島大社でさえ昭和27年に二神同座に改めて確定したということなので同様な神社も多いのかもしれませんーー。
何といっても2000年前後の歴史ある国の神社ですし、特に西暦0年〜西暦700年くらいは客観的資料も少なそうなので史実を調べるのも困難極まりないのでしょうーー。
尾張國一之宮 眞清田神社も大変古い歴史を有するようですが、明治になって御祭祀が確定されたとは驚きです。
そして壬申の乱をはじめ、その後の戦国時代までの興亡や太平洋戦争での火災まで、まさに日本の歴史を体現したすさまじい神社だったということを知りました。
地理的にも日本の歴史の主要な舞台であったことが幸いもし不幸でもあったのかもしれませんーーー。
現在はお写真を拝見する限り平和かつ荘厳な雰囲気ですね。
この状態が未来永劫続くことを祈願する次第ですーーー。
貴重な情報をありがとうございました!
norisa
- 横浜臨海公園さん からの返信 2013/05/31 17:36:40
- 拝復
- noeisaさま、こんばんは。
投稿致しました旅行記に投票とコメントを賜りまして誠に有難うございました。
眞清田神社は、市中に所在する一宮でありながら、史料の少なさに困惑させられました。
更に、同時に進行し作成完成させようとした、もう1つの尾張一之宮大神神社に至っては、該社は現在無人社で、資料と言えるべき内容物が全く入手出来なかった事で作成を保留するに止む無き状況になりました。
それでも神社庁の協力が無ければ、今回の旅行記作成も途中で投げ出していたかもしれませんでした。
横浜臨海公園
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
8
64