1991/01/05 - 1991/01/17
872位(同エリア1017件中)
reiさん
パレルモに2泊し3日間回った。着いた日にチェファルに行き、いまは朽ちた山の上の修道院に行った。翌日は、朝列車で山を越えアグリジェントにいった。冬でもあり観光客は皆無で、USAの夫婦と、NYからのバックパッカーの3人であった。冬だったが地中海式気候の晴れた日で、とても清々しかった。ゲーテが古典主義についてエッケルマンと会話したのが記録されているが、彼のいう古典主義は、アグリジェントの神殿を見て書いたのと言われている。当時ギリシャは、治安も悪く、ブルボン家が支配していたシチリアに行ったとのこと。1日で全体を歩いて回れたが、帰りの列車をパレルモで降りると真っ暗であった。(リバーサルからの変換の為鮮明さがやや悪い)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パレルモから汽車で、アトニエ山地を超えてアグリジェントに向かう。イタリアンパス、2週間を購入していたので自由に動いた。
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アグリジェントの駅。ここからバスで遺跡に向かう。
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OFFシーズンで、お土産物屋は全てしまっていた。5分程度歩くと広場があり巨人の像があった。壊れた破片が揃えて全体像を示していたが、予算の関係か立ててはいなかった。
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2-3分ぐらい歩くと壊れた神殿の列柱が見えた。
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さすが地中海式気候、歩くと汗ばむ程度の暑さである。
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小高い丘の上に、一番完全な形で残っている神殿がある。当時はまだ世界遺産ではなく、比較的自由に見学できた。
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大理石が風化していた。
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別の神殿
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住宅街の跡。下水道跡もあり当時の住環境の良さを示していた。
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サボテンがあるような風土である。
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良く写真で紹介される神殿の一部。草花が咲き乱れていた。
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神殿の先にあった住宅街跡
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街の神殿と言うものだろう。
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時を感じさせる遺跡である。
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下水管の一部が残っていた。
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劇場跡
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アグリジェントの出来た時代とは明らかに違うが、10世紀ごろの資料室の様であった。劇場の脇にあった。
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住宅街跡
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遠くに見えるのが朝見た神殿。良く歩いて見たものだ。
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遺跡管理事務所
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現在のアグリジェントの街中
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アグリジェントの丘の上に建つ街の教会。
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教会の鐘楼。駅に戻って、パレルモに戻った。パレルモには7時過ぎに着いた。列車は空いていた。
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