2013/01/30 - 2013/02/08
19位(同エリア92件中)
tymyさん
念願だった辺境の島ソコトラを満喫した僕は、再びサヌアの地に降り立った。
帰国日までまるまる3日ある。サヌアでじっとしているのも何だし、やはりいろいろ巡ってみたいモノである。情報が極端に少ないイエメンだが、そんな中から気になる地を数カ所チェック。現地旅行会社とお財布に相談し、いくつか街を巡ることができました。
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サヌアに戻った僕は、相変わらず客のいないダーウッドホテルに部屋をとった。そして帰国までの数日を如何に旅するか、ホテルの中庭でチャイをすすりながら考えていた。
すると大きな門にある小さな潜り戸から見覚えのある男が顔を出し、満面の笑みで歩み寄ってくくるではないか。ここサヌアの旧市街で旅行代理店を経営しているムハンマドだ。
再会を祝って握手&ハグ! -
イエメン国内を移動するには、パーミット(通行許可証)が必要となります。以前は自分でツーリストオフィスに行けば発行してくれた様ですが、現在は代理店経由でないと入手は困難。
僕はクルマとガイドをチャーターして一泊二日で村々を廻る旅程を組み、翌日の朝から出発できる様にパーミットをムハンマドに依頼した。
写真がそのパーミット。コピーを何枚か用意して検問毎に渡すのだ。 -
翌朝、ムハンマドが用意したガイド兼ドライバーがホテルにやって来た。少しの英語といくつかの日本語挨拶ができる若い男だった。
準備ができたら早速出発!
予定ではサヌアからハバーバ、スーラ、カウカバン、マナハを廻るコース。治安はどうなのか少し気になったが、ここまで来たら行くしかない。気を抜かない様、緊張感もっての出発だ。 -
サヌアの街を抜けるとまっすぐの道に岩や砂の殺風景が続きます。
韓国製のクルマのラジオから流れるイエメンポップスを聞きながらお互い片言の英語でコミュニケーション。
オアシスの様に点在するガソリンスタンドや小さな村を幾つか通り過ぎ90分、恐れていた検問所は2カ所。銃を持った兵士にじろじろ見られるのは気持ちの良いものではないが無事クリア。
そして最初の訪問地、ハバーバに到着。 -
ハバーバの村の入り口にクルマを待たせ、一人町に入ると小さな池の前に出た。
人気はないが池の周りを囲む様に建物があり、雰囲気かなりいい感じ!
しかし!ゴミ多すぎだ。
ビニールやペットボトルが至る所にあり残念。池の水も汚かったし。 -
建物の間から響く子どもの声。そしてバタバタと足音をたて走ってきた。
僕の姿を見つけると一瞬静かになったが、ニコリと笑いかけると笑顔でよってきた。国は違えど子供はどこでも元気だ!
結局10数人の子供達の歓迎を受けました。
観光客も最近は滅多に来ないらしいから、余計に物珍しかったのかもね。 -
子供達に手をひかれ狭い路地をグルグル、気がつけばここはどこ?
狭い路地を進むと方向がわからなくなってしまう。
迷路のようだが、何百年もこのまま生活している民がいるのだから、これはこれで良いのかもしれない。 -
路地を抜け空を見上げると窓から顔を出していた子どもがさっと部屋に隠れた。はたしてあの子どもが見下ろしたこのオッサンは、どんな様子に見えるのだろうか。是非聞いてみたいものだ。
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ハバーバをでると再び荒涼とした大地をひた走る。
山を越えひたすら走り、次に目指すはスーラだ! -
小高い岩山の裾に張り付く様に広がっている集落。9世紀にイマーム・ アルハディールが造営した山岳部族の町。それがスーラだ。
山を背に城壁に囲まれたこの町はまるで要塞。かつては5つの門があったらしいが、それも敵の潜入を防ぐため。いま現存するのはひとつだけだが、その門をくぐり旧市街に入ります。 -
中世に迷い込んだかの様な眺めは、遙か昔からずっと変わっていないのだろう。
旧市街は人もまばらで少し寂しい感じだった。 -
車が入れる道は旧市街にはわずかしかない。その道の近くには観光客向けの土産物屋がならぶ広場があるのだが、やはり客の姿はない。
話を聞くと日本人が来たのはかなり久しぶりのようだ。
しかし久しぶりの客であろうが金持ってなさそうな一人旅のオヤジであろうが、彼らは容赦なく厳しい売り込みをしてくるのだ。 -
シバームという街でランチタイム。
歩き疲れた老体は肉を欲していた。何が食べたいと聞かれれば迷わず肉!
そしてココはイスラムの国、肉と言えばチキンなのだ。香辛料をまぶしてグリルした鳥は絶品だった。 -
切り立った崖の上に見えるカウカバンの村。
何世紀も前の争いのためにできた要塞の村は、現在でも行くのですら大変。
自然の要塞も今となっては不便な過疎の村となってしまっているのだろうか。 -
カウカバンの村へ入るにはこの小さな門をくぐり抜けなければならない。
この狭き門は遥か昔には敵兵から村を守る為の大役を担っていたのだろうが、現代も敵の代わりに外から来る色んなものを遮蔽しているようだ。 -
山上にある村は人影もまばらだ。
広場では小さな子供たちがサッカーに興じ、奇声をあげて走りまわっていた。
こんなところでも客が来るのかわからんが、一軒のホテルを見かけた。
中に入ろうとしたけどドアは開かない。やはり休業中のようだ。
人いないもんね。 -
村の果ては崖っぷちだ。
下を覗き込むと、絶壁とはいわずとも落ちたら無事に済む角度じゃないのはよく分かる。 -
何もない大地を走る車の窓から外を眺めていると、忘れた頃にひょこっと小さな集落が姿をみせる。
名も知らぬ何気ない小さな村なのだが、旅人としてはこういった村こそ気になるのだ。
何を求めるでもなく村に足を踏み入れると、子供たちが駆け寄ってきて写真を撮ってくれと大騒ぎ。 -
イエメンはイスラム教の国なので酒を入手するのは容易ではない。
九十九折に走る山道の途中に小さな小屋が点在していた。聞くと、それは酒を売る秘密のお店のようだ。一軒の小屋の前にクルマを停め、中を覗くとそこには子供が二人。どうやら店番は子供の仕事らしい。
でもハイネケン高かった。 -
日も沈みかけた頃、マナハに到着。
ホテルの窓からはアル・ハジャラの村のシルエットがうっすらとみることができた。
ぬるくなった高価なハイネケン飲んで今夜は早めの就寝だ。 -
早朝のマナハを歩く。なかには銃を持った男もいたが、彼らが兵士なのか猟師なのかはわからない。
朝市には人がたくさん。でも女性はあまり見かけないのです。 -
朝からトレッキングに誘われたので行くことにした。ホテルのオーナー自らが案内人となって近くの村々を案内してくれる半日コース!
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眺めはよいがいつまで登るのってくらいグイグイ上がっていくオーナー。
へとへとになって心折れる寸前に最初の村へ到着。 -
どの村の入り口もこのように狭くできている。
それは外敵の侵入を防ぐためなのだろう。でも最後の敵が来てから何百年前経っているのか。 -
トレッキングといっても整備された道などあるはずもなくそれどころかどこが道なのかすらわからないような山を歩く歩く。
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村に名前はあるのだろうか、そんな小さな集落をいくつか回った。
裏庭老人子供として女性ばかりだったそれは働き盛りの男性は皆大きな街へ出稼ぎに行っているからだ -
このたび最後の訪問地。
マナハからクルマですぐの山の上にあるアル・ハジャラの村だ。
山の上と言ってもその標高は2,000mを超える結構な高さなのだ。 -
山の上の村に入るには、ここでも狭い入り口が一箇所有るだけ。
他人の家の庭に入ってく様な変な感じ。 -
この村の路地は結構狭かった。当然クルマが入れる様な箇所はなく、村の手前までしかクルマでは来られないのだ。
しかもなかなかの勾配、年寄りにはきついのです。 -
アル・ハジャラの村
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イエメンの道路は他の国からの援助のため、都市部以外でもかなりの田舎まで予想外に綺麗で整っている。
しかし交通機関はあまり発達していないようなので子供たちはこういった移動手段をあみ出すのだ。 -
そして僕はサヌアの旧市街に再びやってきた。
ダウトホテルの中庭からのこの眺めも、もうすぐ見納め。 -
新市街に行くとスーパーや銀行が利用できる。ここでもビールは買えなかったがお土産はゲットできた。
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バーバルヤマン(イエメン門)は今日も人だかり。
観光客の姿は見あたらない。日本の外務省は現在この国に退避勧告を出しているのだ。
この町に多くの日本人が帰ってこられる様になることを切に望む。 -
買い物客で賑わう目抜き通り。
少ないが女性の姿も見受けられる。 -
イエメンの玄関口、サヌア国際空港。
また来る頃には、他の観光客も一緒だといいのだが。
その日まで、暫しのお別れ。
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