2012/12/17 - 2012/12/17
342位(同エリア710件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
口開けに、房総半島の先端に鎮座する安房国洲崎神社を訪ねました。
【追記】
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[安房国]洲崎神社」を全面改稿し、ブログ「Ramble Japan」にて「一巡せしもの〜安房國一之宮[洲崎神社]」のタイトルで連載しております。
ブログ「Ramble Japan」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
ご訪問、お待ちしております!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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総武本線と内房線を乗り継ぎ千葉県の館山へ。各駅停車だと結構かかります。
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館山駅でJRバスに乗り換えます。半島の先端をこまめに廻る路線と、内陸部を横断して外房に出る路線があります。洲崎神社へは前者に乗車。でも、それほど本数が多くないので時刻を事前に調べておくのは必須です。バス乗り場は3番。写真のオヤジは、たまたま写り込んだだけの赤の他人です。
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館山駅から40分ほどで洲の崎神社前のバス停に到着。時刻表を見るとバスの便は2時間に1本程度。ここへ路線バスで来るのは、よほどの酔狂者なんでしょう。
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バス停から歩いて2〜3分で神社に到着。社号標は黒い石に掘られた真新しい巨大な柱と、写真の古い柱の2種類。古い柱には「一宮 洲崎大明神」と刻まれています。この社号標が作られたのは安政3(1856)年。明治維新の神仏分離までは「明神」だったわけですね。
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「洲崎神社」と書いて「すのさきじんじゃ」と読みます。バス停は「洲の崎神社前」でしたが、正式名称にはひらがなの「の」は入ってません。
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洲崎神社の御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)。実は安房国にはもう一つ「安房神社」という一之宮があり、こちらの御祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)。その后神が天比理刀咩命なのです。
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鳥居をくぐって先へ進むと「随身門」があります。コンクリート製で堅牢です。
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随身門の左側にあるキャビネット。この中に半紙に記入された御朱印が用意されています。洲崎神社には神職が常駐していないため、御朱印を賜るには宮司が兼務している富浦の愛宕神社まで足を運ぶ必要があります。「事前に用意された御朱印でもいい」という方は、引き出しに空いている小さな穴に初穂料300円を納め、一枚拝受して下さい…とのこと。
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標高110メートルの御手洗山(みたらしやま)の中腹に鎮座している社殿まで、随神門から続く長い石段を登らなければなりません。全部で何段あるのかは…登るのに必死で数えるどころではありませんでした! 同市教委のサイトで調べたところ、全部で148段あるそうです。
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やっとのことで石段を登り切ると、そこに広がるこじんまりとした境内。小学校の体育館ほどの面積はありますでしょうか?
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古色蒼然とした質素な拝殿。背後に広がる森の梢が醸し出す清冽な空気と相俟って、気持ちが落ち着きます。この森は神域であり氏子の信仰対象なので、過去に伐採されることなく保護され現在に至ってます。昭和47(1972)年9月29日には「洲崎神社自然林」として県指定天然記念物に指定されました。
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拝殿に掲げられている「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額は、奥州白河藩主にして「寛政の改革」を断行した江戸幕府老中松平定信の筆によるもの。文化9(1797)年、房総の沿岸警備を巡視した際に参詣、奉納されたといいます。
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拝殿の奥に鎮座する本殿。洲崎神社の創建は神武天皇の御代と伝えられてます。治承4(1180)年、石橋山の合戦に敗れて安房国に逃れた源頼朝が参籠して源氏の再興を祈願。また、寿永元(1182)年には頼朝が北条政子の安産を祈願したこともあり、安産の神様として御神徳を集めてます。
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本殿の解説板です。社伝によると延宝年間(1673〜81)に造営されたそう。ですが、支輪や紅梁・蟇股などの彫刻に江戸時代中期以降のものが多い点から、その後に大規模な修理が加えられている模様。1967(昭和42)年2月21日に館山市指定有形文化財に指定されています。
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本殿右脇にこじんまりと鎮座する金比羅神社。航海安全の神としても信仰を集めています。
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境内から鳥居の方角を望むと、眼下には一面の大海原。海上安全や豊漁の守護神として深く信仰されたのも頷けます。
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石段を降りて再び海抜レベルへ。大鳥居からバス通りの方角を望むと、海へ向かって細い道が延びていることに気付きました。
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その細い小道を海へ向かいます。すると、突き当りに鳥居の姿が。
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ここにもうひとつ、鳥居が有りました。海から舟で参詣する氏子を迎え入れるための浜鳥居でしょう。空気が澄んでいれば、ここから富士山が望めるそうです。
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浜鳥居の近くに立てられていた説明板。この先に「御神石(ごしんせき)」なる“聖跡”が鎮座しております。
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説明板によると「御神石」は長さ2.5メートルで、石質は付近の岩石と異なります。竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石のひとつとされ、もう1つは対岸の三浦半島に飛んで行ったと伝えられています。
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三浦半島の「御神石」は浦賀の西にある安房口神社に安置されています。安房口神社の石は先端に丸い窪みがあることから「阿形」、洲崎神社の石は口を閉じたような裂け目があることから「吽形」として、両者で東京湾の入り口を守る狛犬のように祀られています。
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海岸線から望む御神石と大鳥居、そして御神体の御手洗山。
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房総半島の先端から望む、夕日を浴びて輝く東京湾。今から800年以上も昔、平家との戦いに敗れた源頼朝もまた、この海を渡って伊豆から逃れてきたのかと思うと、なかなかに歴史ロマンを感じさせてくれます。
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御神石から左側へ緩やかに下っていく小路がありました。歩いていくと、その先には小さな漁港が。「洲崎漁港」というそうです。漁船や釣り船が多数係留されています。
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漁港から続く細い道を先に進めば、そこには小さな旅館が数軒。釣り客相手に営業しているのでしょうかね。写真の旅館の名は「明神荘」。無論、洲崎神社に因んだものかと思われます。玄関から寅さんがひょっこり現れそう…そんな佇まいです。
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更に先へ続く「緑のトンネル」のような小路を通ってバス停へ引き返します。
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バス停は「洲崎観音養老寺」の前にあります。このお寺、実は洲崎神社に隣接しています。正式には妙法山観音寺といい、神仏分離までは洲崎大明神の社僧を勤めていました。創建は養老元(717)年で開祖は役行者(えんのぎょうじゃ)。こちらはこちらで、なかなかに興味深い歴史を刻んでおります。
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次のバスまで時間があったので境内を散策しました。本尊は洲崎神社の本地仏である十一面観世音菩薩。境内の岩肌に岩窟が穿たれ、役行者の石像が祀られています。他にも様々な石仏や石碑が立ち並んでおり、洲崎神社より興味深い空間ではあったのですが。しかし黄昏時とあってか宵闇は次第に濃度を増し、境内はおどろおどろしい雰囲気に包まれていったのでした。
曲亭馬琴の長編伝奇小説『南総里見八犬伝』の舞台としても知られています。 -
JRバス最終便と徒歩、そして館山日東バスを乗り継ぎJR千倉駅へ到着!「諸国一之宮」を巡る最初の旅、ここに無事終了です。
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