2012/11/18 - 2012/11/18
683位(同エリア794件中)
平地木さん
[大樹寺]
国道248号線を岡崎公園(岡崎城)から豊田方面に向かい大樹寺3丁目の交差点を右に曲がると200m位の左手にある。大樹寺の駐車場に車を止める。
徳川(松平)の菩提寺として知られ、14代将軍の位牌が置かれる(拝観有料)。15代目慶喜の位牌は神式で葬られたためここには無い。また、徳川家康から遡り松平8代の廟所が建っている。
この大樹寺から山門→総門→岡崎城のラインには高い建物が建てられないという決まり。
実際、多少の曇りでも大樹寺から岡崎城天守が望める(家康時代の天守ではないが)。
また境内には家康お手植えの椎の木、多宝塔などがある。
[滝山東照宮]
大樹寺の前の道を山の方に4Kmほど行くと、東照宮の一つ滝山東照宮がある。徳川家光が建立した。
東照宮らしい色使いではあるが、久能山、日光とならぶ三大東照宮というには小ぶり。本殿、鳥居、拝殿などが国の重要文化財に指定されている。
[伊賀八幡宮]
大樹寺に戻り、248号線を岡崎城に戻る途中、葵町の信号を左に曲がり、しばらく行くと右手に伊賀八幡宮の入り口がある。
松平親忠(家康の5代前)が、家運長久、子孫繁栄を祈願する為に伊賀国から社を移したため、伊賀八幡宮と呼ばれる。どうやら伊賀から移したためにこのあたりが伊賀町となったようだ。
家康も戦の前には必ず参拝したと伝えられる。鮮やかな朱が印象的な八幡宮である。
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[大樹寺・鐘楼]
三代将軍家光が寛永18年(1641)に三門・総門とともに建立したもので、
重層袴腰付、入母屋造瓦葺きになっています。
吊るしてある鴻鐘(おおがね)は、九代将軍家重が改鋳したものです。 -
[大樹寺・多宝塔]
大樹寺は、浄土宗鎮西派に属し、松平氏4代の親忠により、文明7年(1475)に創建されたと伝えられる。
塔は、心柱の紀年銘から、天文4年(1535)の立柱であることが知られる。方三間で、屋根は宝形造とする。本来はこけら葺であったが、現在は檜皮葺となっている。蟇股(かえるまた)や木鼻(きばな)などに室町時代後期の意匠がよく残されている。 -
[大樹寺・松平8代廟所]
松平四代・親忠は大樹寺創建の際、先祖三代の墓を移祭し廟所を創設。1617年(元和3年)家康公一周忌にあたり、二代将軍秀忠は先祖松平8代の廟所を修復再建した。 -
[大樹寺・本堂]
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[滝山東照宮]
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[滝山東照宮・日吉神社]
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[滝山寺・山門]
三間一戸楼門、屋根入母屋造りこけら葦。斗組は下層三手先、上層尾垂木三手先の典型的な中世楼門で、ほとんど純和様で造られ、わずかに上層部頭貫木鼻に天竺様の影響が認められる。
「滝山寺縁起」によると文永4年(1267)の建立である。楼上正面の扁額は文永12年正3位藤原朝臣経朝の書。
工事に辺り飛騨権守藤原光延が垂木を逆さに打ったのを恥じて自殺したとの伝えがあり正面左手の塚はその墓と言い伝えられている。 -
[伊賀八幡宮・拝殿]
1933年(昭和8年)に国宝に指定され、現在は国の重要文化財に指定されています。 -
[伊賀八幡宮・神橋から随神門を望む]
神域の守り神、随神様(市の指定文化財)が門の両側に配置されております。
随神様が安置する随神門は愛知県では伊賀八幡宮だけです。
また門の表と裏両方の左右に天邪鬼が門の屋根を支えています。 -
[伊賀八幡宮・東照大権現]
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