2012/12/16 - 2012/12/16
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アルプ・グリュムさん
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江戸から数えて4番目の宿場である保土ヶ谷宿を散策しました。
相鉄線の天王町駅周辺には歴史を物語る碑がありましたが、寺院以外では旅籠本金子屋が残っていますが他は痕跡を示す碑だけしか残されていませんでした。
江戸時代の横浜駅から相鉄線の天王町駅周辺までは海の底で旧東海道は海岸沿いに道があったそうです。
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散策のスタートは追分からスタートします。
ここ追分は旧東海道と旧八王子道の分岐点です。
写真の左側が旧東海道、右が旧八王子道です。
旧八王子道は現在の国道16号線とほぼ同じルートです。 -
追分の碑
地図は地図は持参していますが、碑が見つかると安心します。 -
旧東海道と同じ道幅の洪福寺松原商店街
横浜のアメ横とも呼ばれ、大変な活気が見られる商店街です。 -
保土ヶ谷宿はその痕跡を示す碑しか残されていませんが、その碑を追って散策します。
これは江戸方見付跡を示す碑です。 -
江戸方見付跡
ここから保土ヶ谷宿の宿内に入り本陣、旅籠等があり、宿場の機能を持っていました。 -
天王町駅近くには橘神社があります。
江戸時代は牛頭天王社といい天王町の由来となっています。 -
橘神社は「お天王様」と言って崇められています。
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橘神社の境内には横浜市内最古といわれる寛文9年(1669)の銘が刻まれた青面金剛庚申塔があります。
誰でも簡単に見られるので、監視カメラが設置されています。 -
旧東海道に架けられていた帷子(かたびら)橋は、現在の「帷子橋」の位置ではありませんが、安藤広重の保土ヶ谷の絵には帷子橋が描かれているので有名です。
この絵には帷子橋と共に海が描かれてあるのは現代人から見ると驚きの光景です。
事実、この辺りの標高は数メーターしかありません。 -
相鉄線の天王町駅前にはいくつかの旧東海道の碑が並んでいます。
左側は「帷子橋」の歴史と新旧の地図、右側には歴史の道 旧東海道の本陣、問屋場跡の道順が記されています。 -
「帷子橋」の欄干部分がモニュメントとして復元されています。
かつての「帷子橋」はここに架かっていたそうです。 -
「帷子橋」の横には常夜灯もあります。
相鉄線の天王町駅は地上から高架線になり、景色が全く変わってしまいました。 -
相鉄線の天王町駅前の案内板には追分から権太坂までの史跡が案内が図示されています。
この地図を見ると保土ヶ谷宿が八王子道、鎌倉道との分岐点に当たることがわかり、交通の要所としての機能を果していたことがわかります。 -
保土ヶ谷宿が成立した1601年にはこの通りが古東海道で古町橋が架けられてありました。
現在の旧東海道と言われるようになったのは慶安元年(1648年)からです。 -
旧古町橋跡
旧東海道ではなく古東海道です。 -
神明社
創建は平安中期とされる由緒ある神社です。 -
神明社は保土ヶ谷の地名の由来である棒谷御厨(はんがやみくりや)と命名されていて、この「はんがや」が由来となっています。
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神明社前の交差点は古東海道と相州道が交わる由緒、歴史のある交差点です。
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相州道を調べると諸説が記述されてありますが、このような碑が設置されてあると平安、鎌倉時代もこの道を通ったことをイメージすると深い感慨を覚えます。
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旧東海道の保土ヶ谷宿の山側には寺院が点在しています。
香象院は江戸時代末期、保土ヶ谷で最も大きい寺小屋があり、保土ヶ谷小学校の分校となっています。 -
見光寺
保土ヶ谷の住人で熱心な浄土宗信者が建てた民間人の寺です。 -
遍照寺
本尊の薬師如来像如来像は京都仁和寺の本尊と同木、同作と伝えられ、横浜市の指定文化財に指定されています。 -
大蓮寺には徳川家康の側室おまんの方のお手植えのざくろの木があります。
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天徳院の開山は安土桃山時代に遡ります。
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旧中橋跡
保土ヶ谷宿の今井川が横切っていて中橋が架けられていました。 -
旧中橋跡
ここに橋が架けられていたところです。 -
JR保土ヶ谷駅
横須賀線は停車しますが東海道線は通過します。 -
JR保土ヶ谷駅にも追分から権太坂までの史跡が案内が図示されています。
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助郷会所跡
宿場で賄いきれない人馬を、指定された周辺の村々から動員(徴用)していたところです。 -
助郷会所跡横の自販機は全体が助郷会所跡の碑となっています。
碑よりも自販機が目に着きます。 -
助郷会所跡前の旧東海道
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問屋場跡
公用旅行者の荷物の運搬(馬継ぎ立て)や飛脚の業務を取り扱う所です。 -
問屋場跡の旧東海道
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高札場跡
幕府の掟やお触れを張り出すところ一般の法令に関するものだけでなく、宿泊代や人馬代も表示されていた。 -
高札場跡の碑の周囲にはたくさんの看板が建ち並んでいますが、保土ヶ谷税務署の看板に上には高札場の札が並んでいるのが見えます。
写真を拡大して見たら写っていました。 -
金沢横丁の石碑と碑
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金沢横丁の石碑
この地は、旧東海道の東側で、金沢・浦賀往還への出入り口にあたり、通称「金沢横町」(横浜市は横丁を横町と表記)と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。
四基の道標は、それぞれ次のとおりです。(右側から番号を付す)
1. 円海山之道[天明三年(1783)建立]
左面に「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻されています。
建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。円海山は「峰のお灸」で有名でした。
2.かなさわ、かまくら道[天和二年(1682)建立]
左面に「ぐめうし道」と刻されています。
3. 杉田道[文化十一年(1814)建立]
正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑をかねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で河東節の家元です。
4. 富岡山芋大明神社の道[弘化二年(1845)建立]
建立者は(柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。 -
金沢横丁の碑
現在でも保土ヶ谷から鎌倉へ抜ける横浜環状一号線は重要な主要道路です。 -
旧東海道は東海道線、横須賀線の踏切を越えます。
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踏切を渡ると国道一号線に出ると本陣跡です。
本陣は代々軽部家がつとめ通用門が残されてあります。
ここからは旧東海道ではなく国道一号線となり、狩場インターへの通行のため屈指の通行量となるため排気ガスを吸いながら歩きます。 -
脇本陣(大金子屋)跡
歩道が設置されていますがすぐ横は大型車が頻繁に通ります。 -
脇本陣(水屋)跡
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脇本陣(水屋)跡の横には保土ヶ谷宿の宿泊、休憩施設の説明板があります。
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旅籠本金子屋跡
碑には本陣の建坪、収容人員が記されてあるので、この建物との因果関係は不明ですが建物は歴史的に価値のあつ建物です。 -
旅籠本金子屋跡
明治2年の建築ですが江戸時代の面影を残しています。 -
旅籠本金子屋跡
外壁には国道の道路拡張のために移転、移築されたようです。
庭園もあるようですが非公開となっていますが庭園の写真が掲示されてあります。。 -
国道を渡って車が写らないように撮った旅籠本金子屋跡です。
隣のビルが台無しにしています。
この辺りが保土ヶ谷宿の中心となるところですが、国道一号線と旧東海道が一緒になっているのが残念なところです。 -
岩崎ガードの歩道橋から権太坂方面を見ています。
権太坂まではかなりの距離があり、この排気ガスの中をを徒歩で歩くのは断念しました。 -
上方見付跡と一里塚跡
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国道と今井川の間には上方見付跡と一里塚跡周辺には松並木の黒松が植樹されています。
旧東海道が再現されてあり、趣が感じられました。 -
茶屋本陣跡
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踏切を渡った先に大山寺があります。
電車に乗っていても全く気が付きませんが戸塚方面へはかなりの勾配となっています。 -
大山寺
創建は平安中期と伝えられ、本陣を務めた軽部家の菩提寺です。
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