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 1月13日、中学一年の孫娘がマンドリンクラブに入り、練習時に膝に掛ける滑り止めが欲しいと云うので、おばあちゃんと二人して買い物に付き合いました。<br />新宿の高島屋、伊勢丹と回りましたが、適当なものが見つかりません。 結局カタログによる取り寄せとなりました。<br />伊勢丹のレストランで昼食をとり、ここで二人と別れます。<br /> 新宿は、世界一の繁華街といわれ、どこも人で溢れています、実際新宿にはよく来るのですが、いつも人波に追われ、目的を終わるとそのまま帰り、街を見物する事は有りませんでした。<br /> 新宿は名前の如く江戸時代は宿場街でした、とくに甲州街道と青梅街道の分かれ道、新宿追分といわれ、見送り出迎え人、伝馬の中継等で賑わいました。<br />当然人が集まれば、その為の施設が出来ます、江戸時代から品川と並ぶ歓楽街が形成されていました。<br />今回はその古い新宿を歩きます。<br /> 1月16日、2日前に降った雪がまだ残り、寒い日でした。<br />午前、先日頼んだ膝掛けが到着したと連絡が来たので、午後からおばあちゃんと取りに行きます。<br />新宿まで来たのだから何処か寄り道をしようと、先日回った先を案内します。<br /> そういう事で、今回の旅行記は2回分の集大成です。<br />生憎雪があるのと、無いのと2種類になってしまいました。<br />悪しからずご了解ください。<br />                (写真は太宗寺の閻魔大王)

新宿の歴史を歩く

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2013/01/16 - 2013/01/16

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愛吉

愛吉さん

 1月13日、中学一年の孫娘がマンドリンクラブに入り、練習時に膝に掛ける滑り止めが欲しいと云うので、おばあちゃんと二人して買い物に付き合いました。
新宿の高島屋、伊勢丹と回りましたが、適当なものが見つかりません。 結局カタログによる取り寄せとなりました。
伊勢丹のレストランで昼食をとり、ここで二人と別れます。
 新宿は、世界一の繁華街といわれ、どこも人で溢れています、実際新宿にはよく来るのですが、いつも人波に追われ、目的を終わるとそのまま帰り、街を見物する事は有りませんでした。
 新宿は名前の如く江戸時代は宿場街でした、とくに甲州街道と青梅街道の分かれ道、新宿追分といわれ、見送り出迎え人、伝馬の中継等で賑わいました。
当然人が集まれば、その為の施設が出来ます、江戸時代から品川と並ぶ歓楽街が形成されていました。
今回はその古い新宿を歩きます。
 1月16日、2日前に降った雪がまだ残り、寒い日でした。
午前、先日頼んだ膝掛けが到着したと連絡が来たので、午後からおばあちゃんと取りに行きます。
新宿まで来たのだから何処か寄り道をしようと、先日回った先を案内します。
 そういう事で、今回の旅行記は2回分の集大成です。
生憎雪があるのと、無いのと2種類になってしまいました。
悪しからずご了解ください。
                (写真は太宗寺の閻魔大王)

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
  •  スタートは新宿追分。<br />江戸時代、現在の伊勢丹を前にして左が甲州街道、右が青梅街道に分かれました。<br />尚当初甲州街道最初の宿場は高井戸でしたが、日本橋から遠すぎると元禄12年に、ここに新宿が開設されす。<br />宿場の中心は追分の手前、日本橋寄りで飯盛り女を抱える料理屋(妓楼)が軒を並べました。寛政2年の記録によると、旅篭、妓楼等が52軒有ったそうです。

     スタートは新宿追分。
    江戸時代、現在の伊勢丹を前にして左が甲州街道、右が青梅街道に分かれました。
    尚当初甲州街道最初の宿場は高井戸でしたが、日本橋から遠すぎると元禄12年に、ここに新宿が開設されす。
    宿場の中心は追分の手前、日本橋寄りで飯盛り女を抱える料理屋(妓楼)が軒を並べました。寛政2年の記録によると、旅篭、妓楼等が52軒有ったそうです。

  •  先ず追分道を左にとり甲州街道に入ります。<br />ものの50米も行くと左に天竜寺の立派な山門が建って居ます。<br />当初は江戸城の裏鬼門を守る寺として牛込に設けられましたが、天和の火災後この地に移転して来ました。

     先ず追分道を左にとり甲州街道に入ります。
    ものの50米も行くと左に天竜寺の立派な山門が建って居ます。
    当初は江戸城の裏鬼門を守る寺として牛込に設けられましたが、天和の火災後この地に移転して来ました。

  •  境内の右手墓地の前に、立派な鐘楼があります。<br />江戸三名鐘の一つ(他は上野寛永寺と亀岡八幡宮) 時の鐘です。<br />明け六つ、暮れ六つに鳴らし、内籐新宿で遊ぶ人達から追い出しの鐘と呼ばれていました。

     境内の右手墓地の前に、立派な鐘楼があります。
    江戸三名鐘の一つ(他は上野寛永寺と亀岡八幡宮) 時の鐘です。
    明け六つ、暮れ六つに鳴らし、内籐新宿で遊ぶ人達から追い出しの鐘と呼ばれていました。

  •  天竜寺を出ると甲州街道を日本橋方向に戻り、太宗寺を目指します。<br />途中横道に入った処に新宿末広亭があります。<br />前に一度だけ入りました。

     天竜寺を出ると甲州街道を日本橋方向に戻り、太宗寺を目指します。
    途中横道に入った処に新宿末広亭があります。
    前に一度だけ入りました。

  •  旧宿場の真中付近に太宗寺はあります。<br />境内に入るとすぐ右側に地蔵菩薩像が鎮座します。<br /> この像は江戸初期、江戸への出入口6か所に、江戸市民の浄財で建造された六地蔵の一つで、旅人が旅の行き帰りに手を合わせたものです。

     旧宿場の真中付近に太宗寺はあります。
    境内に入るとすぐ右側に地蔵菩薩像が鎮座します。
     この像は江戸初期、江戸への出入口6か所に、江戸市民の浄財で建造された六地蔵の一つで、旅人が旅の行き帰りに手を合わせたものです。

  • 地蔵菩薩の説明。

    地蔵菩薩の説明。

  • 境内の中程には閻魔堂が建って居ます。

    境内の中程には閻魔堂が建って居ます。

  •  堂内に収まる閻魔大王です。 文化11年(1814)に安置されました。<br />右端に舌を抜く金梃子が有ります。<br /> 木造で高さが550CMあり、内籐新宿のお閻魔さまとして信仰を集めました。<br />普段は金網の付いた門扉が閉じられ、開扉するのは1年の内、1月16日の藪入りと7月16日17日の盆との三日間だけです。<br />今日は藪入りで扉が開いています。

     堂内に収まる閻魔大王です。 文化11年(1814)に安置されました。
    右端に舌を抜く金梃子が有ります。
     木造で高さが550CMあり、内籐新宿のお閻魔さまとして信仰を集めました。
    普段は金網の付いた門扉が閉じられ、開扉するのは1年の内、1月16日の藪入りと7月16日17日の盆との三日間だけです。
    今日は藪入りで扉が開いています。

  •  閻魔大王の横に侍る奪衣婆、木造で高さが240CM、明治3年製作。<br />三途の川の渡り賃として、死者の衣服を取り上げたあくどい婆さん。<br />衣服を取られない様に、死者に渡り賃六文を持たせる風習が生まれます。<br />尚この婆は妓楼の商売神でもあります。

     閻魔大王の横に侍る奪衣婆、木造で高さが240CM、明治3年製作。
    三途の川の渡り賃として、死者の衣服を取り上げたあくどい婆さん。
    衣服を取られない様に、死者に渡り賃六文を持たせる風習が生まれます。
    尚この婆は妓楼の商売神でもあります。

  •  境内の反対側には、塩かけ地蔵尊がいます。<br />像の前には塩が置かれ、参詣人はそれを摘んで地蔵に振りかけ、少量頂いて帰ります。そして家での煮炊きに使用し食すると、願いが叶うと云うのです。<br />願いが叶ったら、お礼に改めて塩を供えます。<br />江戸時代から続く風習です。

     境内の反対側には、塩かけ地蔵尊がいます。
    像の前には塩が置かれ、参詣人はそれを摘んで地蔵に振りかけ、少量頂いて帰ります。そして家での煮炊きに使用し食すると、願いが叶うと云うのです。
    願いが叶ったら、お礼に改めて塩を供えます。
    江戸時代から続く風習です。

  •  地蔵堂の隣に建つ不動堂<br />三ヶ月不動尊と布袋尊を御まつりしてます。

     地蔵堂の隣に建つ不動堂
    三ヶ月不動尊と布袋尊を御まつりしてます。

  • 説明板です。

    説明板です。

  •  正面奥にあるのが三ヶ月不動尊、<br />薄暗いので三ヶ月だけが白く写りました。

     正面奥にあるのが三ヶ月不動尊、
    薄暗いので三ヶ月だけが白く写りました。

  •  布袋尊像<br />山の手七福神の一神です。<br />

     布袋尊像
    山の手七福神の一神です。

  • 不動堂の横に回ると、壁面に堂建立時の寄付者の名簿でしょうか。

    不動堂の横に回ると、壁面に堂建立時の寄付者の名簿でしょうか。

  • 奥の墓地にやって来ました。<br />正面に見えるのは、内藤新宿の頭文字、内藤家(信州高遠藩)の墓所です。

    奥の墓地にやって来ました。
    正面に見えるのは、内藤新宿の頭文字、内藤家(信州高遠藩)の墓所です。

  • 墓の説明案内

    墓の説明案内

  •  切支丹灯籠、内藤家の墓地を改修した時、発掘されました。<br />全体の形が十字架、下部の彫刻がマリアと言われています。

     切支丹灯籠、内藤家の墓地を改修した時、発掘されました。
    全体の形が十字架、下部の彫刻がマリアと言われています。

  • 墓地の外れに無縁になった墓が合祀されています。古い寺特有の現象です。

    墓地の外れに無縁になった墓が合祀されています。古い寺特有の現象です。

  •  太宗寺の脇の通りを300米程行くと靖国通りに出ます。<br />靖国通りとの角に正受院があり、ここにも奪衣婆の像があります。

     太宗寺の脇の通りを300米程行くと靖国通りに出ます。
    靖国通りとの角に正受院があり、ここにも奪衣婆の像があります。

  •  奪衣婆の像<br />この婆は、頭に白い綿をかぶっています。

     奪衣婆の像
    この婆は、頭に白い綿をかぶっています。

  •  奪衣婆像の説明板。<br />説明によると、元禄14年に納められたとあります。 元禄14年は新宿開設の2年後です、この事から新宿開設に尽力したこの寺の7代住職に、廓の代表者が納めたものと想像されます。 奪衣婆は廓の商売神ですからね。

     奪衣婆像の説明板。
    説明によると、元禄14年に納められたとあります。 元禄14年は新宿開設の2年後です、この事から新宿開設に尽力したこの寺の7代住職に、廓の代表者が納めたものと想像されます。 奪衣婆は廓の商売神ですからね。

  •  奪衣婆像の隣にある針塚。<br />毎年2月8日に針供養が盛大に行われます。<br />江戸時代には多くの参詣人が集まり、近所に豆腐屋が2軒もあったそうです。

     奪衣婆像の隣にある針塚。
    毎年2月8日に針供養が盛大に行われます。
    江戸時代には多くの参詣人が集まり、近所に豆腐屋が2軒もあったそうです。

  • この寺にも無縁になった仏を集めた塔が有りました。

    この寺にも無縁になった仏を集めた塔が有りました。

  • 隣の正覚寺に入ります。

    隣の正覚寺に入ります。

  • 入口を入った直ぐ左側の塀際に旭地蔵と恋川春町の墓があります。

    入口を入った直ぐ左側の塀際に旭地蔵と恋川春町の墓があります。

  •  案内板を読みます。<br />恋川春町は江戸末期の戯作者、松平定信の幕政を批判したとして召喚されるが応じず、自ら果てたという、辞世の句も記されて居ます。<br /> 旭地蔵は元旭町(新宿4丁目)の玉川上水の畔に有りましたが、明治12年に道路拡張により此処に移されたものです。

     案内板を読みます。
    恋川春町は江戸末期の戯作者、松平定信の幕政を批判したとして召喚されるが応じず、自ら果てたという、辞世の句も記されて居ます。
     旭地蔵は元旭町(新宿4丁目)の玉川上水の畔に有りましたが、明治12年に道路拡張により此処に移されたものです。

  •  地蔵の台座には18人の戒名が刻まれていますが、この人達は寛政12年(1800)〜文化10年(1814)に玉川上水に身を投げて心中した飯盛り女と町人の方と想われます。 まだ10代の女性もいます。<br />別名夜泣き地蔵とも呼ばれて居ました。<br />左側の石碑は、この像を寄進した人達の名が刻まれて居ます。

     地蔵の台座には18人の戒名が刻まれていますが、この人達は寛政12年(1800)〜文化10年(1814)に玉川上水に身を投げて心中した飯盛り女と町人の方と想われます。 まだ10代の女性もいます。
    別名夜泣き地蔵とも呼ばれて居ました。
    左側の石碑は、この像を寄進した人達の名が刻まれて居ます。

  •  改めて台座を確かめます。<br />女性と男性の戒名が並んで記されて居ます。

     改めて台座を確かめます。
    女性と男性の戒名が並んで記されて居ます。

  •  成覚寺は別名投込寺と呼ばれ、内籐新宿妓楼の遊女(飯盛り女)が死ぬと、裸にされ俵に詰められて、この寺に持ち込まれました。<br />遺体は、墓地の最奥に在った惣墓と呼ばれた共同墓地に埋葬されますが、万延元年に妓楼の主達が、目印にこの子供合埋碑を建てました。<br />子供とは遊女の事です。子供合埋碑とは、名前が気に入りません。<br /> 尚新宿は非公認の遊郭である為、遊女を置く事が出来ず、遊女を飯盛り女と呼びます。<br />昭和31年区画整理により墓地が改修され、碑はここに移りましたが、惣墓に埋葬された遊女の数は三千人とも三千二百人とも言われて居ます。<br /> 南無阿弥陀仏

     成覚寺は別名投込寺と呼ばれ、内籐新宿妓楼の遊女(飯盛り女)が死ぬと、裸にされ俵に詰められて、この寺に持ち込まれました。
    遺体は、墓地の最奥に在った惣墓と呼ばれた共同墓地に埋葬されますが、万延元年に妓楼の主達が、目印にこの子供合埋碑を建てました。
    子供とは遊女の事です。子供合埋碑とは、名前が気に入りません。
     尚新宿は非公認の遊郭である為、遊女を置く事が出来ず、遊女を飯盛り女と呼びます。
    昭和31年区画整理により墓地が改修され、碑はここに移りましたが、惣墓に埋葬された遊女の数は三千人とも三千二百人とも言われて居ます。
     南無阿弥陀仏

  •  子供合埋碑の足元に小さな石碑があります。<br />見ると白糸塚と記されて居ます。<br />内籐新宿一番の売れっ子白糸と御家人である鈴木主水の恋、主水は切腹、白糸は後追い自殺した当時有名な事件の痕跡です。<br /> 昔、鈴木主水という侍が・・・で始まるお題目話を聞いた覚えがあります。

     子供合埋碑の足元に小さな石碑があります。
    見ると白糸塚と記されて居ます。
    内籐新宿一番の売れっ子白糸と御家人である鈴木主水の恋、主水は切腹、白糸は後追い自殺した当時有名な事件の痕跡です。
     昔、鈴木主水という侍が・・・で始まるお題目話を聞いた覚えがあります。

  •  白糸の遺体もきっと裸にされ俵に詰められて、この寺に投げ込まれたのでしょう。<br />それを知る白糸の馴染客の一人が、惣墓の片隅にこの小さな小さな塚をそっと置いたのでしょう。<br />惣墓改葬のおり、このような個人の名前を刻んだ小さな塚が七つ見つかったそうです。<br />個人名が判るのは、三千分の七でしかありません。<br />そう考えると、まだしも旭地蔵に名前を書かれた心中者の方が幸せなのかも知れません。

     白糸の遺体もきっと裸にされ俵に詰められて、この寺に投げ込まれたのでしょう。
    それを知る白糸の馴染客の一人が、惣墓の片隅にこの小さな小さな塚をそっと置いたのでしょう。
    惣墓改葬のおり、このような個人の名前を刻んだ小さな塚が七つ見つかったそうです。
    個人名が判るのは、三千分の七でしかありません。
    そう考えると、まだしも旭地蔵に名前を書かれた心中者の方が幸せなのかも知れません。

  •  この寺にも無縁になった仏達が合祀されています。<br />遊女の塚も入っているのでしょう。

     この寺にも無縁になった仏達が合祀されています。
    遊女の塚も入っているのでしょう。

  •  成覚寺を出ると明治通りを通って職安通に出ます。<br />この通りを横切り奥の細道へ入って50米程行くと、右側に大きな石碑が立って居ます。小泉八雲終焉の地です。<br /> 八雲はこの地に明治35年から37年迄の約2年間住み、ここで亡くなりました。 54歳でした。

     成覚寺を出ると明治通りを通って職安通に出ます。
    この通りを横切り奥の細道へ入って50米程行くと、右側に大きな石碑が立って居ます。小泉八雲終焉の地です。
     八雲はこの地に明治35年から37年迄の約2年間住み、ここで亡くなりました。 54歳でした。

  • 碑の横に在る解説板。

    碑の横に在る解説板。

  •  再び職安通りに戻り、鬼王神社にお参りします。<br />この神社は、稲荷として承応2年(1653)に創建、その後熊野から鬼王権現を合祀しました。<br />ビル街の中に在る神社です。

     再び職安通りに戻り、鬼王神社にお参りします。
    この神社は、稲荷として承応2年(1653)に創建、その後熊野から鬼王権現を合祀しました。
    ビル街の中に在る神社です。

  •  新宿区の文化財に指定されている水鉢。<br />説明は次の案内板をご覧下さい。

     新宿区の文化財に指定されている水鉢。
    説明は次の案内板をご覧下さい。

  • 説明板

    説明板

  • 神社の裏には富士塚が有りました。

    神社の裏には富士塚が有りました。

  •  明治通りに戻り、今度は花園神社に入ります。<br />日曜日には骨董市が開かれます。

     明治通りに戻り、今度は花園神社に入ります。
    日曜日には骨董市が開かれます。

  • 正殿です。 お参りするのに並んでいます。

    正殿です。 お参りするのに並んでいます。

  • 正殿の鈴

    正殿の鈴

  • 正殿の看板 3社合祀なんですね。

    正殿の看板 3社合祀なんですね。

  • 花園神社由緒記

    花園神社由緒記

  •  境内には、芸能浅間神社があり、どこかで見た事のある名前が並んでいます。

     境内には、芸能浅間神社があり、どこかで見た事のある名前が並んでいます。

  • 芸能志望者でしょうか、お参りに来ています。

    芸能志望者でしょうか、お参りに来ています。

  •  こちらは威徳稲荷神社、同じく境内に有ります。<br />何の木の実でしょうか、地面を飾っています。

     こちらは威徳稲荷神社、同じく境内に有ります。
    何の木の実でしょうか、地面を飾っています。

  •  追分に戻って来ました。<br />江戸から続く追分団子をおみやげに買います。

     追分に戻って来ました。
    江戸から続く追分団子をおみやげに買います。

  •  新宿駅東口に到着しました。<br />駅前広場の外れに馬水槽があります。<br />昔荷馬車が交通手段の主力であった時、馬の水飲み場として使用されたものです。<br />明治35年にロンドンから贈られた赤大理石製です。<br />当初は有楽町の東京市役所前に置かれましたが、大正に入り使われなくなりお蔵入りしたのですが、モニュメントとして昭和35年からこの場所に置かれました。

     新宿駅東口に到着しました。
    駅前広場の外れに馬水槽があります。
    昔荷馬車が交通手段の主力であった時、馬の水飲み場として使用されたものです。
    明治35年にロンドンから贈られた赤大理石製です。
    当初は有楽町の東京市役所前に置かれましたが、大正に入り使われなくなりお蔵入りしたのですが、モニュメントとして昭和35年からこの場所に置かれました。

  •  裏側には人間用の水飲みも付いています。<br />駅前に馬水槽が有るのご存知でしたか。<br /> 一度新宿をゆっくり歩いてみて下さい、このコースで丁度半日の行程です。<br />それではこれにて帰宅します、お疲れ様でした。

     裏側には人間用の水飲みも付いています。
    駅前に馬水槽が有るのご存知でしたか。
     一度新宿をゆっくり歩いてみて下さい、このコースで丁度半日の行程です。
    それではこれにて帰宅します、お疲れ様でした。

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