2012/09/30 - 2012/09/30
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ぱっしょんKさん
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今年の国慶節の休みは中原の地。河南省に向かいました。
旅行の予定は以下のようにしました。
9/28 仕事終了後飛行機で鄭州に。同時に彼女は大連から上海経由で鄭州に。
9/29 鄭州見学(メインは商代遺跡と黄河)
9/30 安陽(メインは殷墟←今回1つ目の世界遺産)←この日の旅行記です。
10/1 安陽林州(メインは太行山大峡谷)
10/2 安陽林州&安陽(メインは&紅旗渠と文字博物館)
10/3 洛陽(メインは龍門石窟←今回2つ目の世界遺産)
10/4 洛陽&鄭州登封(メインは白馬寺と夜の演劇嵩山禅宗少林音楽大典)
10/5 鄭州登封(メインは少林寺←今回3つ目の世界遺産)
10/6 開封 (メインは開封府、相国寺)
10/7 開封 (メインは鉄塔公園、龍亭公園)
僕は飛行機で東莞に戻る。
彼女は許昌の親戚の家に行く
このような予定。毎回予定通りにはいかないので、どうなることでしょうか。
とにかく今回の旅で中国8大古都(北京、西安、南京、杭州、洛陽、安陽、開封、鄭州)を制覇できる予定です。
宋の時代までの中国の本当の中心地で当時の文化と、中国の自然を感じ取るのが今回の旅の大きな目的です。
9/30
中国中原の旅世界遺産殷墟編のスタートです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
この日は鄭州7時32分発南寧発北京西行き特快T190次列車で安陽に向かいます。
ホテルのチェックアウトの人がすごく多かった為、20分かかってチェックアウト。
その時間に彼女には朝食を取ってもらっていました。僕は食べる時間がなくゆでたまご一つだけ口にいれ、7時5分にホテルを出ました。
インターネット鉄道局の切符販売サイトで列車の遅れ状況が見れるのですが、夜11時から朝7時までサーバーがメンテで止まるため7時32分の列車は確認ができないのです。
前日の長沙駅は2時間遅れで発車していたのは確認済み。国慶節で人が多いから、乗り降りとかで遅れが出ちゃうんですよね。
遅れ、取り戻せてるのかなぁ? -
7時32分になったとき、放送が入りました。
「T190次遅れて到着します。到着予定は9時30分頃の予定です」
思わず、彼女と2人で、「やっぱり!ホテルでゆっくりしていればよかった。。」
と顔を見合わせましたがチェックアウト済み。
待合室で待つこと2時間。 -
9時30分にT190次特快列車が到着しました。
-
我々の座席は硬座。並びで切符は取れず、同じ車両ですが、席は遠い遠い!
列車は超満員。立席の人もかなりの人がいました。
途中、鄭州から黄河を渡るときに黄河風景区の岩に刻まれた炎帝と黄帝の顔のすぐ横を列車は走り抜けていきました。 -
乗ること1時間40分。安陽に到着。
2時間20分遅れの11時45分着。
割と奇麗な駅でした。
まずは、今日泊まる安陽賓館まで解放大道をまっすぐ歩きます。 -
解放大道をまっすぐ歩くこと15分。安陽賓館に到着。
4つ星の立派な建物でした。 -
この日の宿は標準ツインルーム。
朝食付き368元。
広さ十分の27平方メートル。 -
バスルームはバスタブ付き。
使いませんでしたけど。。
シャワーは固定式。
温度、勢いは問題なし。 -
洗面所とトイレ。うん。清潔ですね。
時間は12時30分を過ぎています。
とりあえず昼ご飯に向かいます。 -
探したけど、食事を取れるところが見つからず、彰徳路と解放大道の交差点にあった巴奴火鍋に行くことに。
不本意ながら、昼からがっつり食べることになりました。
この店、かなり混んでいて、席に通されるまでにちょっと待ちました。 -
今年の9月30日は旧暦の8月15日に当たり、中秋節にあたります。
中国で中秋節に食べる月餅をサービスでいただきました。 -
僕の旅行記に何回目の登場ですかねぇ?
四川名物火鍋です。
辛い辛いしゃぶしゃぶです。
食べ終わると2時になっていました。
急いで殷墟に向かいます。 -
食事をしたレストランの前のバス停文化宮から1路バスで殷墟博物苑バス停で下車。時間にして約5分。
踏切を渡ったところに道の左右に櫓があって、そこが入り口かと思いましたが、入り口はまだまだ歩いて10分ほど。 -
櫓を過ぎたところに三叉路があります。
その真ん中に殷墟宮殿宗廟遺址に碑石が。
まっすぐ行くと殷墟宮殿宗廟遺址です。上に標識が。
殷墟宮殿宗廟遺址までは500メートル。
右に行くと殷墟王陵遺址。距離は5キロと書いてあります。 -
先ほどの三叉路から歩くこと500メートル。
殷墟宮殿宗廟遺址に到着です。
世界遺産殷墟の石碑があります。 -
青い空に映える真っ赤な門。
殷墟宮殿宗廟遺址の正門です。 -
ここでチケットを購入して中に入ります。
殷墟宮殿宗廟とその中にある殷墟博物館、殷墟王陵遺址セットで90元。 -
入ってすぐ甲骨文字発見の地の石碑が真ん中にあります。
ここはまさに中学校でならった四大文明のうちの一つ黄河文明の起こった場所なのです。
ちょっと感慨深いです。 -
先ほど通った正門と同じ赤い門構えの建物あります。門構えには、殷墟博物苑の文字が。
でもまずはここを迂回して右に向かいます。 -
その奥に当時あったような建物が、その前には殷墟で発掘された重要な青銅器司母戊鼎の巨大レプリカが見えました。
-
まずは殷墟博物館を見学します。
-
博物館は地下にあります。
地上から見るとこんな感じ。 -
スロープに通って地下に降りていきます。
その横には中華人民共和国から中華民国、清、明、元、南宋 金、北宋、五代十国、唐、隋、南北朝、晋、三国、東漢(後漢)、新、西漢(前漢)、秦、周、商(殷)。。。。
長!中国の歴史の長さを改めて感じました。 -
殷墟博物館に入りました。
ここ殷墟で発掘されたものが展示されています。
一番最初にあったのは陶器の水管。
排水なのか給水なのか。どちらにしても3000年も前にこんな物があったなんて。
日本は弥生時代なのに。。。 -
壷などの陶器が。
日本は土器を使っていたんですよ。。 -
女性の墓から出土した骨を使った飾り物。
犬や羊が形取っていました。 -
出土された青銅器。
みんな三つ足です。 -
お面。
占いに使ったのか、死者の顔に被せたのか?
ガイドお願いすればよかったなぁ。 -
祭祀坑。
商王朝の時代は祭祀の度に人柱を建てていました。
人柱には青少年を殺害後一カ所に埋めたようで、殷墟の遺跡の中に何カ所もこのような場所がたくさん見つかっています。
この後、このような出土場所をたくさん見ることになります。 -
銅製、石製の農工具も出土しています。
-
そして動物の骨。
人だけではなく動物の生け贄で埋められていました。 -
そして銅戈。中国特有の矛。
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青銅の矢じりもたくさん出土しているようです。
商代の兵士の頭蓋骨。戦争で穴の開いた頭蓋骨。
いつの時代も争いごとは絶えないものですね。 -
大きな鼎。
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右から銅円鼎、銅方鼎、銅瓶。お祭りで使ったもの。
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小さいものも出土しています。
銅製ボール、小さい鼎、お酒を注ぐ入れ物。お供えをする高足の食器。 -
大きな丸底の鼎。
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説明がなかったけど、銅の鈴かなぁ?
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これも大きな、銅方尊。
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殷墟博物館の中の様子です。
大きな出土品は通路の真ん中に大きなディスプレイに展示されて、ケースの下が光り下から物が照らされています。 -
銅でできたベル。
ジングルベルでも演奏してみたいなぁ〜。 -
銅の柄杓。鍋。
実際に使ったものでしょうか? -
出土した槍。
柄の部分は木でできているんでしょうかね。
3000年も残るものでしょうか? -
玉でできた矛や矢じり。
宝石ですね。 -
そしてこれにはかなりびっくり
玉で作った宝飾品。おそらくひもを通して首飾りにしたのだと思います。
鳥の宝飾。小さいのにすごい精巧。 -
これは玉のウサギ。
-
司母戊鼎と並ぶ真打ち登場!
甲骨文字が刻まれた獣骨。 -
学術というのは素晴らしいですね。
甲骨文字と漢字の互換表がありました。
虎とか鹿なんかは今の漢字に繋がる感じがわかります。 -
これははっきりと甲骨文字が見える!
-
動物の骨にぎっしりと甲骨文字が刻まれています。
-
祭祀とペンで書かれていました。
文字通り祭祀で使用したのでしょう。
これにも甲骨文字がぎっしり。 -
人形にも見えるこの骨
これと似たものが日本の弥生時代の遺跡にも似た物が出土していましたが、占いに使用していたのですが。。
中国ではどうなのでしょう。 -
そして真打ち。司母戊鼎。高さ130センチ、長さ110センチ、幅78センチ。
重さは875キロもある鼎。
安陽市のシンボルになっているようで、市内のあちらこちらにこのレプリカがありました。
殷墟博物館を見終わりました。
地上に出ます。 -
出ると出土した甲骨文字の文が刻まれた碑が並んでいます。
甲骨碑林です。 -
象形文字で天気予報が刻まれています。
-
上の碑の裏側。漢字で通訳されています。
-
次は車馬坑に向かいます。
-
祭祀では馬車も埋めらました。
ここでは6台の馬車が発掘されました。 -
さらに商代の道路の遺跡も発掘されました。
-
馬車には馬2頭と御者役の人間が一人埋められていました。
その骨があります。
ただし、ここにあるのはすべて標本。様は精巧に作ったレプリカ。 -
埋められた馬車の復元したもの。
こんな馬車がうめられたのです。結構でかい! -
乙八基址。面積1232.5平方メートルの三つの門を備えた大きな建物があったところ。
153もの柱の跡がありました。
殷代の建築技術の高さが見て取れます。 -
乙八基址を通り過ぎると乙七基址があります。
さらに北組宗廟祭祀坑に入ります。
ここにはたくさんの祭祀の人柱に埋められた跡が出土しています。 -
武器を持って何かを守る様に立ったままで埋められた骨も出土しているようです。
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動物の骨も出土しています。
-
先ほど見た車馬坑にあったのと同じ馬車の出土跡。
-
甲骨窖穴展庁。
建物みんな同じ感じですけどね。 -
甲骨文字が書かれた骨が発掘された穴です。
この骨はマラリアの治療薬、龍骨として売られていたもの。
地元の農家の人がたくさん廃棄した事実もあるようです。 -
この建物では甲骨文字写意書法展という展示がされています。
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甲骨文字と漢字の対比が壁一杯に展示されています。
-
多分殷墟博物館にあったお面のモチーフだと思うのですが。。。。
ひとことでいうと気持ちわる〜!! -
入り口の殷墟博物苑の門の奥にある建物跡。
丙組基址です。この建物の柱の基礎の元にも、人、犬、羊が祭祀の犠牲になっていました。
これで、殷墟宮殿宗廟遺址の見学は終わりです。 -
この電動車で殷墟王陵遺址にむかいます。
代金は殷墟の入場料に含まれています。
走ること15分。結構遠い!
ああ!そういえば入り口前の三叉路に5キロの標識があったっけ。 -
殷墟王陵遺址に到着しました。
-
殷墟王陵遺址の正門。
殷墟宮殿宗廟遺址の正門と同じく真っ赤な門。 -
門から入ると目の前に司母戊鼎の出土地の石碑が。
そして奥には司母戊鼎の大きなレプリカがあります。 -
M1443王陵。
塚になっているとおもっていたんだけど。。。
木で陵の形に囲んでいます。 -
こちらはM1110王陵。
-
車馬坑陳列館がここにもありました。
-
そして中には埋められていた馬車のレプリカが。
ここに馬車があるということは、王陵にも馬車が埋められていたということでしょう。 -
車馬坑陳列館の奥には殉職で埋められた人が発掘された穴が並んでいる陳列館がありました。
ここの骨もおそらくレプリカでしょう。 -
ここ殷墟王陵遺址の陵の位置を示したジオラマがありました。
-
M260展応。
M260王陵の上に立っています。 -
石室へと続く坂道。
-
石室。深い深い縦穴式の石室です。
これは初めて見たなぁ。
僕が見たことの有る物は、みんな横穴式の石室ばかりだったんですよ。 -
墓を発掘した際にはここにもたくさんの骸骨が出土。
商代には頻繁に生け贄を差し出していたことが分かる証拠です。 -
M260展応の裏にある発掘跡。
ここからも人骨や動物の骨がたくさん発掘されたのです。
歩いていたところの下にも骨が眠っていたかもしれません。
時間は5時を廻りました。
袁林に行く予定だったのですが、殷墟はすごく広かった上に、朝電車が2時間遅れたこともあり、時間がありませんでした。
電動自転車で先ほどの三叉路まで戻り、そこからタクシーで安陽賓館に戻りました。さぁ、食事に。。
って言いたいところですが、遅い時間にがっつり昼ご飯を食べたので、この日は2人共におなかがさっぱり空かず。
早めに就寝しました。
翌日は安陽市の林州市に向かい、太行山大渓谷に向かいます。
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