2012/07/28 - 2012/07/29
1797位(同エリア2171件中)
福の海さん
桂浜の次に向かったのは五台山展望台と竹林寺です。
市内に戻った後は高知城の見学に行きました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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『暑い、暑い〜』
ワゴン車で坂を登ると公園に到着。
ここ五台山は高知市南東部に位置しています。 -
公園内には
南国土佐をあとにして
太平洋戦争当時、大陸を転戦する郷土出身の鯨部隊の将兵によって作りうたわれ、戦後昭和三十四年にペギー葉山がうたい全国民に愛唱されるにいたった。
この民謡の生い立ちを伝える石碑がありました。 -
展望台から眺める浦戸湾や
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高知市街地は絶景です。
『いい景色だなあ。でも海抜低そ〜』 -
五台山という名称は、中国にある仏教の聖地「五台山」に似ているところから、奈良時代の僧・行基が命名したと伝えられています。
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中洲の向こう側に見える小島は丸山台といい、同行してもらった友人の話では、自由民権運動の父として知られる板垣退助ゆかりの地とのこと。
明治15年5月、高知へ帰った板垣退助と高知の民権派1000人が丸山台にあった料亭でお祝いの大宴会をしたそうです。 -
高知県出身で初めて第27代内閣総理大臣となった濱口雄幸(はまぐち おさち。1870年5月1日-1931年8月26日)の銅像。五台山にある山村に生まれ、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれたそうです。
ここから徒歩で移動し -
四国霊場の一つとして参拝者が絶えない
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第31番札所・竹林寺へ。
四国の文化遺産「四国八十八ケ所」で唯一、文殊菩薩を本尊とする学問の寺で、本堂は文殊堂ともよばれ、文明年間の建立。 -
竹林寺の由来は
聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩を拝まれている夢をみられ、わが国にもこれに似た霊地があるにちがいないと行基菩薩に探し出すよう命じられた。神亀元年(七二四)行基菩薩は五台山に似た山容を見つけ、ここに寺を建立し、栴檀の木に文殊菩薩を刻んで安置した。これが竹林寺のはじまりで、後に弘法大師が巡錫され、札所に定められた。
四国ネットより抜粋 -
五重塔は高さ32メートル、総檜造。
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古くは三重塔が建てられていたようで、明治35年に倒壊。昭和55年12月に浄財により復興。
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大師堂には参拝者が多かったです。
見学後は、いったんホテルに戻り休憩。
その後、
徒歩にて -
高知城へ。
この城は初代土佐藩主山内一豊によって1601年に築城。
一豊は戦国・安土桃山時代の武将で信長、秀吉、家康の三人に仕えた。 -
内助の功で有名な一豊の妻・千代像
まだ、一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、近く馬揃えがありました。馬揃えとは、簡単に言えば、近く行なわれる戦の前に、馬を一堂に集めてその検分をするもの。その頃来た馬売りが連れてきた駿馬を見て、欲しいと思うが金がなかった。それをみかねた妻・千代は夫に何かあったらと父から嫁入りの時に渡された10両を一豊に渡した。そして、一豊はその10両でその馬を買った。そのみごとな馬は信長の目をひき、感心も得ました。
秀吉の没後、権力争いの動きが見え始め、再び戦乱の世へと傾いていました。一豊は早くから家康に対して忠誠を見せていました。関ヶ原の戦の前には、大阪にいる千代は、石田三成の監視下に置かれながらも夫・一豊に豊臣側の情報を送りました。一豊は千代から自分はどうなってもいいから、家康に忠義をつくしなさいという内容の密書を受け取ります。千代はその密書を開封せずに家康に渡す事を言付けます。一豊はその千代の言葉通り、開封することなく家康に密書を渡し、自分の忠義を示したのです。 この二つの逸話は有名で、千代の内助の功によって出世できたとも言われる所以です。
以上は こじゃんとネット 土佐の人物伝より抜粋 -
板垣退助像
自由民権運動の父。「板垣死すとも自由は死せず」の名言は明治時代の流行語となった。 -
気温が上がり、疲労がたまったていたこともあるのですが、ひいひいふうふういいながら天守閣へ向かいます。
『もう少し、あと少し・・・』 -
市内を一望
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お殿様気分満喫
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『いい街だなあ。』
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高知城 天守閣からの展望
http://kochipark.jp/kochijyo/about-kochi-castle/top-view -
鯱(しゃちほこ)
海に棲み、頭は龍のようで背中に鋭いトゲを有する想像の魚。防火の効があると考えられ、城郭建築に用いられる。青銅製。 -
城内の展示物はとても充実していました。
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高知城の他、日本各地のお城の写真がありました。
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山内容堂(豊信)
土佐藩の15代藩主。藩政改革を行い、吉田東洋を抜擢するなどした。後藤象二郎の進言により、15代将軍・徳川慶喜に大政奉還を建白した。 -
吉田東洋
幕末の土佐藩、政治家。土佐藩参政。 -
武市瑞山(たけち ずいざん)
土佐藩郷士で土佐勤王党の盟主。 通称は半平太(はんべいた)。 -
坂本龍馬
『龍馬伝、中国で見てました〜。』 -
中岡慎太郎
陸援隊隊長。武市瑞山の道場に入門し、1861年に土佐勤皇党に加盟。 -
土佐の捕鯨は寛永元(1624)年に安芸郡津呂浦(現室戸市室戸岬町)で始まったとされます。
当時の“捕鯨会社”の名前にも「津呂組」「浮津組」と室戸の地名が付けられていることからも、室戸が本県の捕鯨の中心を担っていたことがうかがえます。 -
藩政時代も多い年には90頭以上を捕獲。国内有数の捕鯨基地でした。
高知新聞
http://www.kochinews.co.jp/ryoma/ryoma_tabe003.htm
クジラ かつての捕鯨王国、多彩な料理 参照
高知は人物、魚ともに大物が多いようです。
4 高知市内を巡る 高知市立龍馬の生まれたまち記念館
に続きます。
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