2012/07/13 - 2012/07/17
25位(同エリア153件中)
憲さん
中国 龍門石窟と関羽公の首塚の古都「洛陽」に行って来ました。
観光案内によると、
洛陽は中国のほぼ中央に位置し、黄河・洛河による肥沃な土壌に加え東西南北の交通の要所にあった。
洛陽の特徴は、多くの王朝が都をおいたが、政治都市と言うより 宗教・芸術・文化の栄えた都のイメージが強い。
古都と言うので、京都のイメージでぜひ行って見たい所でした。
二日目は
①龍門石窟 - 洛陽市の南方14キロメートルの竜門山西山にあり、中国の三大石刻芸術の石窟寺院があり、世界文化遺産になっている。
②白園 - 龍門石窟の河向こうの竜門山東山にあり、唐代の詩人白居易の墓である。
③関林廟 - 三国志時代の蜀の大将関羽の首が埋葬されている。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
【龍門石窟】
洛陽市の南方14Kmの竜門山西山にあります。
龍門石窟は、中国の三大石窟の一つで、世界文化遺産にもなっています。
私たちは 洛陽火駅から、81番の市内バス(1・5元)に50分のって龍門石窟に着きました。 -
ここが、洛河の支流の伊河です。
向こうに見えるのが、龍門石窟風景区です。
ちなみに 洛陽のはるか北を黄河が流れていて、洛陽市内に洛河が流れています。
洛陽が繁栄したのも こんな河があったからですね -
バス停から、駐車場・土産物の商店街を抜け、切符を購入しました。
拝観料120元
それから、石窟の入り口まで歩きます。
結構の距離が有ります。 -
龍門橋の下に着きました。
-
龍門橋の下に、西山石窟の入り口が有ります。
龍門石窟は 西暦493年(北魏の太和17年)、北魏が洛陽に遷都した時代から建築が始まった石窟寺院で、 北魏の時代から中唐の時代まで およそ400年間 7つの王朝によって彫り続けられたそうです。 -
龍門石窟の案内地図
上段が西山石窟。
伊河を龍門橋で渡って行くと 案内図下段に有る東山石窟・香山寺・白居易墓がある 東岸に行けます。 -
大小およそ3万体の仏像が有るそうです。
-
しかし、ほとんどの仏像のお顔が破壊されています。
旧朝廷の時代の文化・政治体制を否定する為に破壊するのでしょうか。
日本でも明治時代に神仏棄却で多くの文化遺産が破壊されましたよね。
中国でも、文化大革命で多くの文化遺産が壊されたようです。
政治と宗教は別物と思うのですが。
もったいない・残念な事です。 -
このように きれいなままの仏像もあります。
-
お寺(仏像)には、このような案内があります。
この仏像の周り一帯が 一つの寺院を形成しているようです。 -
石塔もありました
-
山の石壁を、このようにくり抜いて 沢山の仏像が彫られています。
また、参観しやすいように 歩道・階段が整備されています。 -
天蓋が壊れかけています。
やはり老朽化が進んでいるようです。 -
仏像の案内ですが、それぞれに掲示されていて 判りやすいです。
北魏時代のものが多いようです。 -
参観者の手で触られて、お顔が黒光りしています。
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途中にあった石でっすが、日本で言ったら菊花石ですよね。
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石窟の通路には、このように寺院(仏像)の案内が有ります。
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円窟の中に、沢山の仏が彫られいるのもあります。
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このように、壁一面に彫られています。
でも、お顔が壊されているのはかわいそうです。 -
ここが、龍門石窟の中でも 一番有名な大仏さんです。
日本語の案内も書かれていて ロサナ大像と書いてありました。
日本の東大寺の大仏さんは盧舎那仏(るしゃなぶつ)ですよね。
ちょっと、中国訳が違うようですが。 -
則天武后をモデルにしたという奉先寺の盧舎那仏。
龍門石窟の一番大きな仏像です。 -
イチオシ
盧舎那仏の右側にいる力士像。
なぜか、足が短いのですが 遠近法で近くを小さく彫ってあるのでしょうか -
盧舎那仏
東大寺の大仏さんに似ていますよね -
イチオシ
盧舎那仏のお顔
東大寺の大仏さんとはお顔は違うかな。
でも、良いお顔です。 -
沢山の洞窟が彫られていますが、盧舎那仏より先は 整備中で参観が中止になっていました。
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赤い顔料で色づけされています
-
奉先寺の盧舎那仏を過ぎると、参観休止中で 西山石窟の見学は終わりになります。
この先に、西山石窟の出口があり、漫水橋を渡り、伊河対岸の東山石窟に向かいました。
蛇足ですが、観光ツアーや時間のない人は、この奉先寺の盧舎那仏を見ると東山には行かずに戻って行きます。 -
伊河を渡って、西山石窟を振り返って見ました。
このように、洞窟が沢山彫られています。
全貌を撮れない程の規模の 石窟が有ります。 -
イチオシ
奉先寺の盧舎那仏
伊河の対岸から撮った大仏です -
奉先寺の盧舎那仏
まじかで見上げてみる大仏もいいですが、遠景でみる大仏のお姿もきれいですね。
大仏様の大きさが判る。 -
伊河を渡って、東山石窟に向かったのですが、ここも現在整備中で入れませんでした。
せっかく登ってきたのに。
西山石窟が川岸に有るのに比べて、東山石窟は 東山をちょっと登り降りがあります。 -
東山石窟群から、香山寺に向かう山道沿いにも 仏像が彫られています。
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中規模な石窟寺院も有りました。
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下段をお坊さんが歩き、上段には小さな仏像が彫られています。
龍門石窟には およそ1万5千体とも3万体とも仏像が有ると観光案内に載っていましたが、上段の小さな仏様を一体としているのかな。 -
香山寺の全景です。
中国唐時代の詩人の白居易は仏教徒としても著名であり、晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号したと記述が有りましたので、古くからの由緒あるお寺のようです。 -
香山寺の山門
古いお寺の割に 山門もきれいに色塗られています。 -
蒋介石の部屋
香山寺は、蒋介石の別荘になっていたそうで、2011年改装して、このような蒋介石の博物館にもなっていました。 -
台湾に渡る前は、ここで活動していたようですが、共産主義の現在の中国の政治体制中で、共産政権と戦った蒋介石がこのように 展示されている、それも この展示場は去年オープンしている。
なんか、違和感が有りました。
龍門石窟の仏像のお顔を破壊し、前政権を否定している事と、あまりに違うので。
大陸的な鷹揚な国民性、台湾の同胞の感覚なのかな。 -
香山寺の伽藍
お化粧直しされて きれいなお寺です。
古い名刹という威厳は感じられません。 -
【白園(白居易墓)】
竜門山東山にあり、唐代の詩人白居易の墓。
白 居易(はく きょい、772年(大暦7年) - 846年(会昌6年))は、中唐の詩人。字は楽天。代表作に『長恨歌』『琵琶行』
後で調べた事ですが、「長恨歌」(ちょうごんか)は、白居易によって作られた長編の漢詩で、唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学(枕草子・源氏物語)にも多大な影響を与えたそうです。 -
小山全体が 白園で 白居易の墓として公開されています。
日本からの参観者も多いようで、日本人の石碑の一帯も有りました。
日本には白居易存命中の承和11年(844年)に、平安時代の留学僧恵萼により67巻本の『白氏文集』が伝来している。
平安文学に多大な影響を与え、菅原道真の漢詩が白居易と比較されたり、紫式部が上東門院彰子に教授したという事実のほか、『枕草子』においても『白氏文集』が登場し、『源氏物語』が白居易の「長恨歌」から影響を受けていることなどからも、当時の貴族社会に広く浸透していたことがうかがえるそうです。
白居易自身も日本での自作の評判を知っていたという。 -
山頂の白居易墓
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白居易の墓の前にも、日本からの石碑がったていました。
平安時代の中国と日本の文化交流が こんなところにも有ったのに驚きました。 -
伊河を龍門橋で渡り、帰途に着きました。
切符売り場からバス停までは、このようにお土産物屋さんが並んでいます。
朝来た時は 沢山の人が居ましたが、昼を過ぎると だいぶお客は減っています。
西山石窟を見て、帰って行ったのが7割ぐらいかな。
東山石窟・香山寺・白居易墓がある対岸は、時間がなければ飛ばしてもいいかな。 -
龍門石窟から、市内バス(1元)に乗って関林に向かいました。
観光地を市内バスが結んでいるので、とても便利です。
関林の拝観料40元 -
関林の山門
武聖人・関羽が眠る中国全土の関帝廟総本山。
素晴らしい大将軍。三国志のヒーローの中で民衆に一番愛されたキャラクターじゃないかな。三国志ファンとしてお参りをするに欠かせない場所にやって来ました
大将軍を昂じて 財神(商売の神様)とまで、崇められるまでになったので、中国全土のいたるところに彼を神と祀った関帝廟が有りますが、横浜の中華街にも有りますよね。 -
入ってすぐの木におみくじ?が沢山ぶら下がっていました。
日本の神社に来たような感じです。 -
関林に入ります。
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関羽公は素晴らしい大将軍と賞され、様々な伝説とともに小説・戯曲で語り継がれている。
そんないわれを刻んだ石柱が並びます。 -
孔子を「文聖人」、関羽を「武聖人」と呼び、聖人の墓に敬意を表して関林と名付けられているそうです。
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大殿の関羽像は4mは有ろうかと言う関羽像で、金色で装飾されていました。
文化大革命でいったん破壊され、最近作られたものだそうです。 -
イチオシ
関羽、養子の関平、武将の周倉らの像が並びます
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この関林は 三国志の曹操が関羽の霊を鎮めるために諸侯の礼をもってその首を手厚く葬ったところです。
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大将軍の格式でなくでなく、諸侯の格式で葬っていますので、関羽への贈り名が刻まれています。
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関公の首塚の正面 「漢寿亭候」と贈り名されています
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イチオシ
一番奥の首塚は八角形で 煉瓦塀に囲まれた周囲380m・高さ10m 古木が立ち並んでいます。
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三国志、1800年も前の英雄が、このように手厚く葬られているのに感動しました。
また、人気のある武将・財神なので、沢山の人がお参りに来ていました。
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