2012/08/12 - 2012/08/26
184位(同エリア472件中)
eimeiさん
- eimeiさんTOP
- 旅行記139冊
- クチコミ3件
- Q&A回答4件
- 497,857アクセス
- フォロワー51人
ロシアで交通事故を起こしてしまい、療養・バイク修理のため、予定外にモンゴルに来ることとなった。計画としては、ウランバートルでバイクを修理・保管してもらって、その間一時帰国し、カザフスタンビザやバイク部品などを準備し、バイク旅の体制を立て直す。そして、2週間ほどでウランバートルへ舞い戻り、西モンゴル又は同じ道を帰り、再び、ロシアへ。そしてすぐカザフスタンへ向かう。そんなにうまくいくのかな?
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
PR
-
ウランバードルから西モンゴルまたはウランウデ経由で、ロシアへ再入国し、カザフスタンへ入国するまで。
-
モンゴルへ入って、モンゴル側から国境の町を撮ってみた。左隅にロシアのキャフタの教会が見える。モンゴル側の街にはホテルも2〜3軒あった。
-
ガソリンは1600Tg(100円ほど)し、ロシアより高い。
-
100キロ先の町ダルハンへ向けて走り始めたら。向こうからカブに乗った人が来るではありませんか。早速、止まって、左右確認し、Uターンしご挨拶へ。スイス人でロシアへ入り、ロシア経由でスイスへ帰る。中央アジアを通り、ロシアから西モンゴル経由でここまで来た。どうも西モンゴルも相当舗装されているようなので、今後のコース決定の参考になりそう。
-
モンゴルらしい風景が夕日に照らされて美しい。
-
日が傾いてきても写真を撮りながらの走行。一眼レフがあればな〜。
-
ダルハンには5年前にも泊まっているが、壊れかけたホテルしかなく、良い印象がなかったが、メイン道路沿いに新しいホテルがいくつもできていた。その中で選んだ1軒。シングル1泊25000Tg(1600円ほど)。WiFiあり。
-
8月13日、朝、ホテルの窓から撮ったダルハン。その後、散歩へ出かけてみた。
-
丘の上にある仏像。地元の人がお参りに来ていた。また、朝のランニング・ウオーキングがてら来ている人も多い。
-
丘には新しく歩道橋が架けてあった。
-
歩道橋から見たダルハン中心街。5年前と相当違う。
-
歩道橋から見た反対側のダルハン。
-
歩道橋を渡って、反対側から撮った風景。
-
肩の調子・疲れ・天気を考え、もう1泊ダルハンに滞在することにした。小雨が降っていたが、街の散策兼昼食をとりに出かけた。街のバスターミナル近くの市場。一般雑貨は、中国製品で溢れかえっていた。ここで、パン・飲み物・果物などを買った。
-
道の反対側の銀行で、ATMを使おうとしたが、単なる地方都市なので国際キャッシュカードが使えないため、100$両替した。外へ出て、隣のBEADと看板に書いてあるビルに一般の人が頻繁に出入りしているので、覗いてみた。
-
そこは食堂街であった。日本だと、スーパーマーケットの食堂街のような感じ。
-
モンゴル語が全くできないので、写真付きのメニューを見せてもらい、マックのように指さし注文。350円ほどの料理を注文したが、卵焼きの下には焼き肉があり相当のボリュームだが、美味しいので完食。こんなのを毎日食べていたら、体重100キロも夢ではない。日本人力士がモンゴル力士に勝てないのに納得。
-
腹ごなしに、もう少しダルハンの街を散策。車はロシア同様右側通行で、右ハンドルの日本の中古車と韓国車が大半だが、左ハンドルのトヨタのランドクルーザー(500万円以上する)をよく見かける。たまに、馬車も通っている。
-
ダルハンで一番高級ホテル。ハマー・ランクルなどの高級車が駐車してある。このダルハンで、貧富の差はあっても、明らかなホームレスを見かけたことはない。明日、250キロほど先のウランバートルへ移動予定。ウランバートルも大きく変化しているのだろうか?
-
8月14日、早朝に起き、8時半頃、ウランバートルへ向けダルハンを出発した。途中の風景。途中のトイレ休憩でバイクを倒してしまい、荷物を全部下ろしても左肩に力が入らず、起こすことができなかった。そこに偶然通りかかったバイクショップのオーナーに起こすのを手伝ってもらった。その際、紹介されたのが、大陸ライダー・ドライバーが集まる「OASIS」で、3日前に出会ったスイスのカブライダーも良いと言っていたので、そこへまず行ってみることとした。
-
ウランバートルへ着いたが、5年前と全く違う都市になっており、感覚がつかめない。自動車修理工場「ニスモ」もマンションに囲まれ、全く目立たない。市内は道が穴だらけの上、大渋滞。市の中心部を抜けるのに2時間もかかった。
-
ウランバートルの中心部のフスバートル広場。
-
中央には当然、モンゴルの歴史的な英雄チンギスハーン像が鎮座。
-
振り返って反対側を見ると。5年前では考えられなかったような高層ビルがニョキニョキ。ブルーの高いビルが、「ブルースカイ」。中心部にはビル建設用のクレーンがいくつも見える。ある意味、不動産バブル。有名な日本人ゲストハウス「あづさや」も買った値段の何倍もで部屋が売れたので「あづさや」をやめたのだろう。元々、オーナーは旅人なので躊躇しなかったのだろう。
-
さらに広場を東へ進んだが、地理感のない市東部にある「OASIS」を探すのに時間がかかり、「OASIS」に着いたのが夕方になってしまった。
-
中はフェンスで囲まれ、西欧人好みに滞在できるようにしてある。1泊22000Tg(1500円ほど)で、朝食付き。一応、5泊する予定。WiFi有料。
-
さすが大陸ドライバーが集まる所だけあって、ヨーロッパナンバーのタフそうな車が駐車してあった。
-
建屋の方は満員なので、寝るのはゲル。トイレ・シャワーは建屋にある。夕食は1000円ほどするので、近くのスーパーでラーメンやパンを買い、それで済ましている。
-
ライダーは同室のスペイン人がいたが、バイクを輸送済みで、明後日帰国予定。西モンゴルのことをいろいろ教えてもらった。
-
「OASIS」のパンフレットの地図。フスバートル広場の南側のメインストリートを東へ2〜3キロ進むと、飛行機が3機上を向いたモニュメントのあるロータリー(地図上側のロータリー)を右折し、獅子のモニュメントのあるロータリー(地図下側のロータリー)を左折すると右側に看板が見える。
西モンゴルの情報は、ここで相当得ることができる。 -
8月15日、日本ではお盆、終戦記念日。「ARKA MOTO SHOP」(TEL:96650062)の従業員に迎えに来てもらい、パジェロの後をバイクでついていった。北側の山手にあり、看板もないので、見つけるのは難しい。店長(ARKA)が日本語を話せるので、電話した方がよい。ウランバートルに詳しい人なら、座標+47° 57' 54.54 +106° 53' 25.81をGoogleマップへ入れれば、位置がわかる。
-
私のバイクを整備中。技術はしっかりしており、隣ではエンジンのオーバーホールをしている。直せる部分はすべて直してもらって、9000Tgだったが、昼食抜きで一生懸命やってくれたので、チップを含め13000Tg(100$)払った。500$ぐらいは覚悟していたが。冬場は、この修理工場は、四輪専用となり、日本から津波で水に浸かった車を激安で仕入れ、電装品を輸入し、中古車として販売している。東北の車がここモンゴルでたくさん走っている。また、旧型プリウスも信じられないほど多く走っている。帰りに、エアーチケットショップへ寄り、8月21日の成田行きのMIAT往復チケットを6万円でゲット。
-
フレームの歪みを直してもらった結、シャーシーとフレームの中心が一致し、思ったコースを走れるようになった。ただ、自宅から5000キロはしり、タイヤがもう半分しか残っていない。予定外のモンゴル入国なので、ヨーロッパまでタイヤがもたない可能性大。一時帰国は、今回のモンゴルとキルギスで予定しているので、手荷物で持ち込もうと考えている。また、旅行鞄をサイドに付けていた金具が交通事故で壊れてしまったので、振り分けバックを日本からもってくる予定。
-
8月16日、朝方、雨がぱらついていたので、11時頃、空港から奥に入った景色が綺麗な場所へ行こうとOASISをバイクで出発した。少し走ったら道路工事で迂回路へ回された。そこも大渋滞で車が歩道まで乗り上げて走っている状態。また、空港へ向かう道になっても大渋滞なので、Uターンし、中心街へ戻った。市内は渋滞ばかりなので、追突事故が頻繁に起こる。写真もランクルにブルーバードが追突し、ブルーバードのボンネットが盛り上がっている。そのたびに警察を呼び、現場検証をするので、ますます大渋滞。5年前はこんな渋滞を経験しなかったので、5年間で車の数が急増したことになる。公共交通機関は、地下鉄・電車もなく、バスのみ。中心街まで3キロほど進むのに、車・バス・バイクで1時間もかかり、歩いた方が早いぐらい。
-
フスバートル広場近くの百貨店へ行ってみた。暑いのでアイスクリームを買う少女たち。若者のファッションもセンスが良くなっている。中にはハッとするような美人に出会うこともしばしばある。
-
百貨店に展示してあったGM車。54900$。しかし、町中にはこれと同じぐらいの車がバンバン走っている。こんな大金は、外国資本の投資がなければ無理。完全なバブル経済状態。ひとたび世界経済に何かあれば、外国資本が引き揚げ、バブルは崩壊する。モンゴル人は、バブルと感じていないようだ。バブル状態を経験したことがないので。
-
中心街の日本食レストランで、焼肉丼を食べ、渋滞の中OASISへ帰ったら、サイドカーでドイツから来たバイカーが来ていた。サイドカーには多くの物が乗せてあり、すごい重量。
-
夕方、トラックに乗ったイタリアンライダーのBMWが到着した。すごい重量の荷物。
-
ショックアブソーバーが吹っ飛んで、タンディム走行ができなくなったらしい。
-
フル装備のBMW。これに奥さんを乗せて、西モンゴルを走れば、ショックアブソーバーが吹っ飛ぶのも納得。
-
アルミケースに張ってある地図。中央アジアを通り、ウランバートルで折り返し、ロシア経由でイタリアへ帰るらしい。しかし、モンゴルでBMWのショックアブソーバーが手にはいらないと思われるので、多分、航空便でヨーロッパから送ってもらうことになるだろう。この後も、ヨーロッパからの車が3台到着し、駐車場・ゲルは満杯。
-
8月17日、天気は悪く、20度を超えないし、道路は渋滞だし、肩は痛いし、バイクで出かける気にならない。ここOASISにいると、ヨーロッパのキャンプ場に滞在していると錯覚してしまう。
-
OASISに引き籠もってばかりいても仕方がないので、昼食がてら近くのファストフード店へバイクで出かけた。ハンバーガー・ピザ・肉饅・定食まであり、メニューの写真を指さして注文終了。地元の人々の利用がほとんどで、ジロジロ見られた。ほとんどのものが5000Tg(300円)以下で食べれる。OASISの定食の1/3の値段。定食を食べたが、味もマズマズなので、毎日1回は通うことになりそう。昼食後、OASISへそのまま帰るのも何なので、中心街へバイクで向かってみた。1キロも進んだら渋滞。渋滞を少し進んだら、左肩が痛くなってきたので、UターンしてOASISへ引き籠もり。
-
8月18日、今日は天気が良さそうなので、早起きし、空港方面へ向け、7時頃OASISをバイクで出発した。
道は土曜日なので空いていたが、途中で雨に降られ、まず、ウランバートルの街が見渡せる「ザイオンの丘」へ行った。第二次世界大戦記念碑の前と後ろにマンションが建設中。5年前は何もなかった場所なのに。 -
丘を削ってマンションを建設中。やり過ぎではないの?
-
頂上まで階段を上ったが、体力が相当落ちている。小雨が降っている。
-
頂上の壁画には、建国の歴史が描かれている。
-
頂上からウランバートルの街を望む。
-
中心街のアップ。ブルースカイビルが街の中心。
-
山しかなかった裏側は、マンションの建築ラッシュ。
-
丘から少し離れた所にある仏像。この周りもマンションの建築ラッシュ。
-
次に、飛行場へ向かった。5年前と全く同じ。日本のローカル空港並。
もっと郊外に大きな国際空港を造る計画があるらしい。 -
滑走路に、これだけしか飛行機が留まっていない。
-
次に、モンゴルで5年前一番美しい風景だった場所へ行ってみた。一眼レフがないので、美しさが表現しきれないが、相変わらず美しい。
-
天気も回復し、青空と雲と草原の組み合わせが表現しきれないほど美しい。
-
草原の風景。
-
草原の風景。
-
草原の風景。
-
草原の風景。
-
草原の中にコンクリートで囲われた場所が所々にあった。遊牧民の頃は、土地は皆の物という感じだったが、ウランバートルを中心に不動産バブルが起こり、土地が大金になるので、早めに良い土地を確保したのか、不動産屋が買い上げたものに違いない。
-
最後に、5年前にも登った丘に登ってみた。ここからの風景も相変わらず美しい。
-
昼食をとって、OASISへ戻ったら、同じゲルに2人のイギリス人ライダーが来ていた。KTMのオフロードバイクで、オホーツク海沿いの町マガダンからバイカル湖の北を回ってここまで来たらしい。今後、西モンゴル、ロシア、カザフスタンなどを通り、イギリスへ帰るらしい。「Long Way Round」の逆コース?
-
8月19日は、雨天で、気温も1桁のため、1日OASISに引き籠もり。こんな生活をしていると移動するのが億劫になり、旅人失格。右肩の痛みもあり、8月21日に一時帰国するので仕方ない。
と思っていたら、夜にオランダのランクル2台がOASISに到着。 -
車のサイドに地図が貼ってあった。中央アジアを走ってきて、ウランバートルで折り返し、ロシア経由でオランダへ帰るようだ。
-
続いて、雨の中、ドロドロになりながら、ポーランドのバイク2台がOASISに到着。
-
BMWとKAWASAKI。アルミボックスを装備し、タイヤを積んだ重装備。
-
8月20日、OASISの受付の人が、バイクの関税を払わないと飛行機に乗れないと言うので、ARKAに相談したところ、税関の場所(ウランバートル駅の西のビル)と税率(1000$だと関税15%で、150$。後で返却してもらえる)を前日、教えてもらった。まず、日本大使館へ相談に行って、関税が必要なら税関へ払いに行こうと思い、8時頃、OASISをバイクで出発した。日本大使館で相談したところ、モンゴル入国の際のバイク書類を見せなければ、問題なく一時帰国できると言われたので、税関に寄らずにOASISへ帰った。明日、空港でトラブッたら、日本大使館へ電話すればよい。これで、明日、日本へ帰国できるぞ!
-
荷物とバイクをOASISに、1日4$で24日間預けることとなった。案内された保管場所が、玄関横の地下室。階段を2mぐらい降りないといけないので、同室のイギリス人が中心になって降ろしてくれた。地下室には4台大型バイクが保管してあった。9月15日にどのようにして階段を登るのだろうか?いざとなったら誰かに手伝ってもらおっと!
8月21日にMIAT(モンゴルエァー)で日本へ一時帰国。成田から21時頃帰宅。左肩を直し、バイク用品を持って、9月中旬までには、ウランバートルへ戻るぞ!
ブログは、しばらく休み。 -
左肩の療養(まだ痛い)、カザフスタンビザの取得、年金手続き、バイク部品の調達などが予定より早く済んだので、モンゴルへの9月15日の便を手数料2000円を払い、3日早めて、9月12日にモンゴルへ戻ることにした。
左肩が痛いので、飛行機の手荷物を写真のようにまとめてみたが、重さが25キロほどあり、通勤電車内で迷惑をかけそう。 -
9月12日、早朝の新幹線に乗り、東京へ向かったが、周りはビジネスマンばかりで、場違いな感じがした。昼頃、成田空港へ着き、チェックインし、15時頃、ウランバートルへ向け離陸した。日没の頃、ウランバートルの街が見えてきた。空港からタクシーで「OASIS」へ向かったが、相変わらず渋滞がひどい。ゲルは寒いので、本館のドミトリーに泊まらせてもらった。明日、タイヤ交換などのバイクの整備をし、明後日、ウランバートルを出発し、ロシアへ向かう予定でいる。
-
9月13日の朝、昨夜はわからなかったが、「OASIS」に、バイク10台ほどと大きなトラックが駐車してあった。8月下旬より多い。当然、ヨーロッパ人の大陸横断仕様に改造したバイクばかり。
-
トラックを改造した2台のキャンピングカー?が来ていた。よくこれだけ改造したものだ!それにしてもヨーロッパ人の旅に対する情熱にはいつも感心させられる。
-
バイクを「OASIS」の地下室から出し、キャリアを付けてから、タイヤ・オイル・部品を積んで、「ARKA MOTO SHOP」へ向かった。Google mapで調べておいたので、迷わず1時間ほどで到着した。前後タイヤ交換、オイル交換、部品取り付けをしてもらい、6000Tg(3600円)払った。昼食を取り、「OASIS」へ帰って、荷台作りをし、写真のようになった。本当は、コンテナボックスをやめ、防水バックにする予定だったが、結束バンドでうまく固定できた。防水バックは、テント・シュラフなどを入れ、コンテナボックスの上へ積むつもり。明日、ウランバートルを発ち、北の国境のホテルまで350キロほど走る予定。
-
9月14日の朝、ロシア国境へ向け、「OASIS」を出発した。モンゴルは、草原ばかりのイメージだが、森もあり、もう紅葉が始まっている。
-
モンゴル側の国境の町(村)のメインストリート。
-
メインストリート沿いに2軒のホテルがあり、少し奥まった方のホテルに20000Tg(1200円)で宿泊。
-
バイクから荷物を降ろしているとき、一人の若者に絡まれて、ホテルの人に仲裁に入ってもらった。ホテルの人の勧めで、ロビーの隅にバイクを入れさせてもらった。
明日は、モンゴル出国、ロシア入国し、最低ウランウデまでは行きたい。できれば、バイカル湖まで行きたい。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ウランバートル(モンゴル) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
77