2012/06/06 - 2012/06/07
55位(同エリア163件中)
アリヤンさん
ビザ申請拒否と宿からのキックアウトという逆境にも負けず、ワタクシたちは"This is the Silk Road"を探してトルファンをさ迷い歩くのでした。
最初の「国友賓館」を追い出されて、次に見つけた最高のホテル「天和賓館」に落ち着き、やっとワレワレ のシルクロード探しが始動したのでした。
まずはホテル近くの街歩きから、歩いて行けそうな「蘇公塔」にトライしてみよう。
街から2kmとあるが、日中は40度近い暑さになり、一日中は動けません。
ワタクシたちのモットーである「午前中散歩、午後はお休み」スタイルで動き出しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
清潔面でちょっと問題あった国友賓館を、外人宿泊禁止の理由で追い出され、すぐに移った「天和賓館 」は満足できる「比較的安く、きれいで、快適な宿 」そのものでした。
しかも有線だがインターネットが部屋で使えるのです! -
6月6日の夕方、機嫌よくホテルを出発して、シルクロード探しです。
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まずは、ぶどう棚の歩行者天国があるという「青年路」に行ってみます。
トルファンと云えば葡萄(中国語でプトウ)です。
火の国=火州と古くから称されているほど暑い気候と、天山山脈の雪解け水が良質な葡萄を産するのでしょう。
その暑さは中国一で最高気温49度を記録したこともあるらしい。
接地温度80度もあるらしい。
そして砂漠気候でカラカラさは、良い干しブドウを作ります。
老城路を東に進むと、、、、 -
イチオシ
ぶどう棚の歩行者天国がある「青年路」に行き当たります。
(この明るさでも、もう夜の8時近くです)
南北に伸びる青年路は四六時中、日陰があるので結構すずしく過ごせるのです。
いくら気温が高くても、空気が乾燥していて風があれば、日陰に入るとすずしく感じるものです。
そうそう、トルファン盆地は風の谷とも言われ、風力発電でも有名なのです。 -
葡萄の実はまだ未熟ですが、暑さと乾燥でその甘さを熟成している最中です。
-
こんな素晴らしい環境下にある宿(写真)は、シルクロード の雰囲気に浸りたい人なら、誰もが泊まりたがるのです。
が、外人宿泊禁止となっています。
価格はツインorダブルで80元~120元(1,070円~1,604円)と安く、部屋の綺麗さは十分で、ウィグル人経営で愛想とヒトが良くて、とても快適に過ごせそうなのです。
でも「外人を泊めるには設備不足か何かで、法的に違法ホテル」と公安から睨まれているので、皆さん公安を怖がって、泊めてくれません。
このホテルのオーナー(ウィグル人)は「外人を泊めたら、撃ち殺される!」と怖がっていました。 -
そんなホテル事情とは関係なくウィグル人の生活はのんびり続いています。
トルコ系人種の特徴としてよく云われるように、「紫髭緑眼(しぜんりょくがん)」の老人はあちらこちらで見られます。 -
こちらに来て気が付くのは、子供が良く見られることです。
つまり子だくさんな民族のようです。
*漢民族が押し寄せるので、自然と子作りに励むのか? -
バスT近くの広場は花壇で飾られています。
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バスT裏の駐車場。
朝昼は駐車場として使われ、夜8時半ころからウィグル屋台の始まりです。 -
焼肉は羊肉のシシカバが主体ですが、鶏の丸焼きもあります。
丸焼きの半分をテイクアウトして我が家で緑茶やこぶ茶を入れて、ナンとともに食べました。
味のベースは塩胡椒だけですが、地鶏の焼肉は美味しいものでした。
ワタクシたち、パリにムスメと3人で旅行した時に、セーヌ左岸の宿近くで、鶏の丸焼きを見つけて、同じくテイクアウトして宿の部屋でまるまる 一匹分を3人で食べたことがあります。
その美味しさったらありませんでした。
鶏の丸焼きがトロトロに柔らかく、ジューシーで味付けも何とも云えぬディープで、鶏がこんなにおいしいものか!?っと認識を新たにした至福の時でした。
パリと同じ美味しさを期待して、時々アチコチで味わってみますが、パリほどのことは無いけど、同様に美味しいものでした。 -
ここには、甘くてジューシーなハミ瓜があります。
このハミ瓜のデザートで、パリの丸焼きを超えました。 -
次の日の朝、6時ころです。
ワレワレ年寄りは早寝早起きに努めています。
ここのウィグル人は遅寝遅起きです。
(ウィグルタイムは北京タイムと2時間のずれがあるので、ウィグルタイムではまだ朝の4時というところです。) -
でも市の清掃員は朝早くから道路の清掃に励んでいます。
ウィグル族は清潔好きなのか、各自各家庭の前を良く掃除しているのを見ます。
基本的にイスラム教徒は清潔好きですが、、、 -
今日は市の南東2kmにある「蘇公塔」に行ってみる予定です。
行き着くまでにお昼の12時を超すようであれば、途中でも引き返して宿に帰るつもりです。
ワタクシたちのモットーは「午前中は散歩、お昼からはお休み」という健康的なライフスタイルな のですから。。。
まず、老城路を東へ進む。 -
青年路の南側は同じぶどう棚になっていますが、歩行者天国ではありません。
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歩行者天国でない青年路を南下。
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イチオシ
青年路が解放路とぶつかる角にパン屋さん発見!
-
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ベーグルのような小さいのは1元(13.37円)。
ナンの大きいヤツは2元(27円)。
これで製造元&直売所を確保したことになります。
これからは毎日買いに来よう! -
老城路⇔解放路⇔蘇公塔の6番バスが頻繁に行き交います。
(公共バスはワンライド・1元=13円)
ワタクシたちはシルクロード探しですので、バスには乗りません。 -
違うパン屋さんの軒下。
それぞれのパン焼きは独自の技法と模様があり 、パン屋によって良し悪しがあります。
ワレワレはまだ美味しいパン屋は見つけていません 。 -
解放路に入ると、ガラリと雰囲気がシルクロードになります。
街中の騒々しさがなくなり道も地道になり、ゆったりとした悠久の
時間の流れの続きに引き込まれるようです。
ある農家の軒下のブドウの葉っぱ、乾燥中。 -
各家庭の家の前には必ず桑の木が立っています。
桑の木は大木になる、の証拠になるような堂々たる大きな桑の木のオンパレードです。 -
大きな桑の木が涼しい日陰を提供してくれます 。
路傍に座って、すこしナンをかじってみる。
アツアツで、香ばしくウマイ! -
イスラム教のお寺、モスクの入り口。
-
カ・アルチン(カレーズ)か!?
天山山脈の雪解け水がベースになって、湧き水 がアチコチに湧きいずるトルファン盆地。
紀元前の昔から営まれたカレーズは、ここトルファンの南門村に今も生きている!
(チョット大げさカナ?)
近所の子供が水を汲みに来ています。
飲み水にするのでしょう。
実は、日本の田舎でもむかしはこのような水飲み場は当たり前のようにあって、山からの水は 普通に手で掬って飲んでいたのです。
*今はもうそんなトコロは皆無ですが、、、 -
洗濯場はちょっと下ったところ。
-
「古い歴史的な建築物」という鑑札がついている建物です。
どの家もこれと変わらない風情です。 -
横丁は、"This is the Silk Road"です。
中東でも、このような風情の古い町並みは、探さなければ中々ありません。
むかし、家族で行ったクウェートのファイラカ島を思い出します。
⇒http://4travel.jp/traveler/ariyan-eurasia/album/10080277/ -
「アラー ホ アクバル♪、アラー ホ アクバール♪」
というアザーンが今にも聞こえてきそうです 。
でも、トルファンの回教徒はおとなしく、アザーンの響きを聞いたことがありません。
慎み深い敬虔なイスラム教徒と見受けられます。 -
冷たくてきれいなせせらぎが桑の木々の間を流れ、にわとりの鳴き声が聞こえる。
Oh!
This is the Silk Road!
だ。 -
近所のワルガキ3人。
-
もうお昼の12時すぎです。
カンカン照りの、シルクロードのある村のひと時です。 -
各家庭の庭にはたいていぶどう棚があり、涼を提供しています。
-
イチオシ
もう、なにも言いません。
シルクロードのトキは過ぎていくだけです。 -
運ばれるロバ、、、
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静かなポプラの並木道。。。
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ロバの荷車がときおり行き過ぎるだけ、、、
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かたわらに佇むイスラム寺院。。。
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カっと照りつく天日のもと、村のメインストリートはあくまで静かに横たわっています。
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ときおり渇いた川跡と橋が、、、
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でもカ・アルチンから流れれてくる地下水は冷たい、、、
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桑の実はもう時期が過ぎたので殆ど木には成っていません。
少しだけまだ木に残っていました。
甘さは自然の甘さでちょっと酸っぱさがあります。
あまり刺激的な味ではないし、日持ちも悪いのであまり市場などでは見かけません。
子供の頃は、美味しい!と思って木に登って桑の実を取って食べていたのが、懐かしく思い出されます。 -
日干しレンガを詰んだ素朴な壁は天日に焼かれて熱い。。。
-
冷たい水が勢い良く出ている水路。
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イチオシ
スイカが冷やされていました。
かたわらでスイカを売っていました。
値段を聞くと、1個3元(約40円)とのこと。
近所の農家のおじさんが売っているようでした。
さっそく1個買い、リュックに入れました。
背中が冷たい! -
もうお昼の1時すぎです。
気温は間違いなく35度は超しています。
もう体力の限界です。
冷えたスイカもあるし、早く帰りましょう。
ヤギさんも早く帰れ!と鳴いています。 -
きた道を帰ります。
-
湿気の多い日本の夏のような「ウダルように暑い!!」っということは全くありません。
湿度が限りなくゼロに近いせいか、暑いことはアツイのですが、アセをかくことはありません。
アセは出る前に蒸発してしまうようです。 -
そして道端に流れる冷たい地下水が暑気を払ってくれるようです。
-
-
そして大きな桑の木がつくる日陰が涼をとらせてくれるのです。
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南門村のモットーがウィグル文字で書かれてあります。
ここは中国ではない!かのような異国情緒あふれる、シルクロードのある村の午後のひと時です。 -
日陰で一休み。
もう暑くて、クラクラです。 -
葡萄棚の青年路まで帰ってきました。
我が家、天和賓館までもう少しです。 -
外人旅行者には有名なトルファン賓館。
ひっそりとしていました。 -
わが宿がすぐ近くにある、公共バス6路のバスストップ。
-
「鉄は熱いうちに打て!」
「スイカは冷たいうちに食え!」 -
豪華な?ランチ。
-
シルクロードの恵みを満喫!
-
至福の一日を過ごし、夜の10時過ぎ、仲の良い若夫婦オーナーが血相を変えてワタクシに訴えます。
「すぐにこのホテルを出て行ってください!
さっき、公安がやって来て、外人を泊めては イケナイと言われた。あなた方が公安に行って、我がホテルの書類を見せたからです。申し 訳ないですが、一日の宿泊代だけで良い、あと2日分とデポジットをお返しするので、今すぐ出て行ってください!」
ワレワレは「もう夜でシンドイ!明日の朝にしてくれ!」と抵抗はしてみたものの、彼らは必死です。
「公安に撃ち殺される!」と怖がっていた宿もあったので、彼らも公安は怖いのでしょう。 -
せっかく天国みたいな宿を見つけたのに、仕方ありません。
すぐに交通賓館に行って、部屋の有無をチェック。
運よく180元(2,407円)の部屋が空いていたので即チェックイン。
天和賓館の旦那さんに重い荷物を持ってもらい引っ越しました。
それが夜の10時半ころでした。 -
夜の10時半でもまだこんなに明るいトルファンでした。
6月7日は天国から地獄の一日でしたが、これも「神様の思し召し(インシャー アッラー )」でしょう。
「ディス イズ ザ シルクロード」の始まりでした。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- arfaさん 2018/04/21 10:41:49
- 3枚目の写真
- 百姓理髪店ですね(^_^)
なんて面白い名前でしょうか? 多分、漢語ではそんな意味は無いのでしょうが日本語にすると面白くなりますね。
ウィグルではもの凄く嫌われたりしましたが(漢人と間違われる)日本人と分かるともの凄く好かれました。不思議に思って聞いて見ると「日本人は第二次大戦でたくさんの漢人を殺してくれたからフレンドだ!」とこそっと言われました。また漢人には100万人殺されたと言われていました。
アパク・ホージャ墓ではお婆さんが熱心に拝まれていて、言葉はわかりませんでしたが祖母が仏壇に熱心に家族のそれぞれの安泰を祈っていたのと重なって宗教は違えど人の心は変わらないものだと心に響きました。(多分、官憲に連れ去られて行方のわからない息子の安全を願ってのお祈りと感じましたが)
ウィグルは北方騎馬民族として突厥や西遼、モンゴル帝国の一部としてずっと独立しており、清の攻撃によるジュンガル滅亡まで嘉峪関が中国の最西端でした。安禄山の乱では反乱軍に西安・洛陽を占領された唐は王妃の出身国である突厥軍に援軍を要請し、その軍事力により鎮圧しています。この時に王妃の説得がなければ唐は突厥に占領されたと言われています。
強国清の時代にウィグルもチベット、モンゴルも清の勢力下に入りましたが清の一部になったことはなく従っただけであり現在の中国による占領にはウィグル人やチベット人の反発は当然と思います。
中国は琉球やアイヌを同族化した日本のやり方を模倣して同化策を進めていますが、日本人は少なくとも平等な扱いで同化しており、力で押さえつけたわけではなく生活レベルの向上やインフラも平等に整備して納得の上で同化しています。中国のやり方では永久に怨念が残り同化は難しいと思いますがいかがでしょう。
- アリヤンさん からの返信 2018/04/21 16:34:21
- Re: 3枚目の写真
- その通りですネ。
共産主義は「憎悪を増幅する宗教」と言われていますから。
ところでワレワレは一度も漢人に見られたことは無くどこに行ってもウェルカムでした。
ま、会えば必ず「サラーマレイコム!」とまず挨拶していたからかな?
- arfaさん からの返信 2018/04/21 18:11:49
- Re: 3枚目の写真
- はい、私も途中から覚えて「アッサラーム・アクイエム」と右手を左胸に当てて挨拶をするようにしています。
間違えられたのは市場です。ひとり旅でカメラだけ持って写真を撮っていたから漢人と間違えられたのかもです。漢人からは当然外国人だと判断されていたので市場とかに漢人があまり行かないので間違われた可能性はありますね。
- アリヤンさん からの返信 2018/04/21 22:44:58
- Re: 3枚目の写真
- 20数年間、中東専門要員だったワタクシの記憶では左手を胸にあて、右手を挙げて「サラーマ・レイコム」とあいさつするのですが、、、右手は耳の一で耳を澄ますようなしぐさであった、ようなんですが、、、
-
- katsu nagoyaさん 2012/06/28 12:03:30
- 懐かしい・・が
- 青年路、トルファン賓館 懐かしいが・・が読んでいてだんだん複雑です。
次の旅行記も何だかな〜ぁ。
あんな騒動があったから、ウイグル人も大変だ。
アリヤンさんの旅行記で今のウイグル人の置かれた状況、危険な雰囲気が伝わってきます。
- アリヤンさん からの返信 2012/06/28 13:08:55
- RE: 懐かしい・・が
- katsu nagoyaさん
ウィグル人もたいへですが、宿商売してる漢人も大変です。
極端に公安を怖がっているのがよく伝わってきます。
しかし、生活をしている庶民はいたって穏やかにのんびり生活していますので、緊張感はかんじられませんでした。
まあ、2千年にわたって西域経営を営々と続けてきた漢人社会が、国際世論がどうであれ、西域を手放すハズはないでしょう。
チベット関係も同様でしょう。
要するに漢人社会のなかで少数民族の完全な自治と自由が得られれば、良いのではないか?と思うこのごろです。
アリヤン 在ビシケク
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