2012/03/05 - 2012/06/11
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tiengvietkhoquaさん
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高校生の時に読んだ本田勝一の本に影響を受け、今まで色々な国々を旅してきた。キューバにも住んだ。そして今、人生最後の旅、ベトナムに来ている。ベトナムと言えばベトナム戦争だ。未だに枯葉剤の影響を受けた子供達や爆弾で怪我をする人たちがいる。カリブ・中南米にかなりの時間とエネルギーを費やしてしまったが、やはりアジア人としてこの国を最後にしたいと思った。
今のベトナムはなかなか理解できない事が沢山あるし、沢山の旅行者が不快な思いをしてベトナムを出て行くのも分かる。しかしベトナム語を少しづつ覚えていくに従い、違ったベトナムを見ていく事が出来るようになってくると、“これで良いのかもしれない”と思えてくる。ここはベトナムなのだから日本の価値観で物事を見てはいけないのだ。
周った街はHa Noiから始まり、自転車で西にHoa Binh、東にHai Phong,Cat Ba島、バイクで北西に向かってNghia lo,Sapa,Lao Cai,Dien Bien Phu,Son La,Moc Chau南に向かってDong Hoi,Dong Ha,Khe Sanh,Hue,Da Nang,Hoi An,Son Myそして日本の原発輸出予定地Phan RangのThai An村まで。 ちなみに旅は二回に別れていて、最初は2011年の11月の自転車での旅。二回目は2012年の3月からバイクでの旅。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- バイク
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
出発準備。(これは二回目の旅用)
グレゴリーのボストンバッグ45は形は悪いがリュックみたいに背負えるので便利。そして欠かせないのがナショナルの携帯ウォシュレット。トイレットペーパーを殆ど使わずに済むし、紙の質が悪くても拭き痔にならない。バイクを買うつもりなので工具も持って行く。そして三脚、合羽、着替え、ファイル、筆記用具など。 -
洗面用具と薬関係。それらを無印で買った吊るせる入れ物に入れる。実際吊るしはしなかったが・・。今回の目玉はスプーンフォークだったが、一ヶ月持たずに折れた。
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電気物関係と辞書。釣り糸と防犯ブザーは罠用。USBは撮った写真を他の人にあげるのに使う。HDは350Gで中には過去の写真と情報、音楽が入っている。旅に音楽は欠かせない。もちろん写真のバックアップも入れる。マネー袋は腰と足用。地図が直ぐに駄目になるのでバインダー。
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Timbuk2のメッセンジャーバッグにニコンD700と50、70−300、20−35mmの交換レンズ、ThinkPadのX201i、折りたたみ傘、ウォークマン、防水ビデオカメラDV1を入れる。
実際長く使うと中に入る仕切り用のスポンジがフニャフニャになるし、引っかかる紐が付き過ぎでカメラバッグとして使うには非常に不便だった。しかし、パソコンが入れられ、カメラバッグ然としていないので、普段のバッグとしても使えるので、色々と考えた結果これしかなかった。DV1は手振れが酷く、殆ど使えなくて失敗した。 -
ベトナムのビザは1ヶ月で7000円、3ヶ月で8000円。東京のベトナム大使館で即日発行だった。ちなみにラオスのSavannakhetでは3ヶ月が$106で次の日発行。即日その場なら$116になる。
ベトナムに到着すると、まず空港の2階に上がり、そこからスロープを下って行きLong Bien行きのバス5000ドンに乗る。 -
このバス停の位置は時々変わると言う情報がある。17番のバスに乗り1時間半ぐらいでLong Bienバスターミナルに着く。バスは15分間隔ぐらいに出ているようで、待っても30分ぐらいで次のバスが来るようだ。
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Long Bienバスターミナルから南に大通りを30分も歩けばHoan Kiem湖の北東に着くのでホテルは沢山ある。私がいつも泊まっていたのはQuang Hiep Hotelでシングル、シャワー、トイレ、エアコン、冷蔵庫付きで300000ドン。
ベトナムでボラれるのが嫌なら、スーパーマーケットの近くのホテルを探すのがよい。BigCやFiviMartなら値段が付いているのでボラれる危険は少ない。
ちなみにこのホテルからだとLy Thai To通りを南に下って20分ぐらいの所にFiviMartがあった。でも夏の暑い時に歩くのはベトナム人じゃなくてもいやになる。 -
ハノイの街を歩く時に役立つのがコンパス。特にホアンキエム湖周辺は道が東西南北に走っていないし、似たような感じの所が多いので方向が分からなくなる。もちろん店には通りの名前が書いてあるし、交差点には道路の名前が書かれた標識もある。しかし、一本道を飯食って出たら反対方向に行っていたぐらい方向音痴の私にはコンパスは必要だった。
ベトナムで道を聞く時は人を選ばなければならない。まず男の人は駄目。普通日本だと、男の人の方が車やバイクをい運転している人が多いから、地図を見慣れていて道も分かっているが、ベトナムは違う。女の人も沢山バイクに乗っているし、まず、人間が出来ている。男の人だと、“なんだこのガイジンは? わけが分からん。”とニヤニヤしながら馬鹿にしているだけ、という事も多い。しかし、女の人だと「しょうがないね、着いて来な!」と言って分かる所まで教えてくれた事もあった。
バイタクのオヤジは道は知っているだろうけど、聞いたら乗れと言われるだろうから、その気がない人は止めたほうが面倒な事にならないかも知れない。 -
ハノイと言えばポルシェカイエン。と言っても過言ではないくらいポルシェカイエンを見かける。
-
そしてベントレー。そのほかメルセデスやBMWも沢山走っている。社会主義などありゃしない。いや、もしかしたら、これが共産主義や社会主義の実態なのかもしれない。グルジアの秘密警察もボルボに乗っていた。しかしキューバでは役人だってボロボロのラーダに乗っていたので、皆が貧しく平等のキューバのが共産主義らしい。
ベトナム人の拝金主義には呆れる事も多いが、日本でも中古で1500万円ぐらいする車は税金の高いベトナムならいったい幾らになるのだろう?どこからその金は出てくるのか? -
これはTang Long地区にある、とある工場の募集広告。一ヶ月の給料は2900000ドンだ。2012年6月の時点で11000円ぐらい。この人達がベントレー買えますか?
数々の戦争に勝ってきたベトナム。犠牲を払ってきた農民。今も厳しい労働者。物価は遠慮なく、どんどん上がる。
ホーチミンはこの状況を見たらなんと思うのだろう?
ちなみにこの工場では6月7日に労働者がストライキを起こした。VietJoニュースによると賃金の値上げ、労働時間の短縮などをもとめているようだが、日本では一般労働者の昇給ないし、人員を減らして残業を増やすのは当たり前だ。でもストなんか起こさない。
ベトナム人を甘いと考えるか、日本人を絶望した奴隷と考えるか。
どちらの国に住みたいですか?と聞けば殆どの人が日本と答えるだろうが、過労死したり、家族との時間がなくなるという事も考えなければならない。 -
ハノイのThanh XuanにあるLang Hoa Binh(平和村)。
場所は35 Le Van Thiemで少し分かり難い所にあるけれども、ぜひ行ってみて欲しい。ここには枯葉剤の影響を受けた子供達がいる。英語を話せる人は殆どいないが、日本人であればBac Si Haさんに会えば何とかなるかもしれない。 英語が通じるのはVAVAのオフィスで、この近くにあるので行ってみてもよい。
ベトナム戦争が終わってからもう40年近く経つのに枯葉剤の影響を受けた子供達はまだ存在する。15年くらい前に初めてベトナム(サイゴン)に言った時には道にエビ反った人達が放って置かれていたが、今ではそういうことは無いだろう。しかし見えない所でまだ枯葉剤との格闘は続く。
差別は無いと言えば無いけれども、やはり家族に枯葉剤の被害者がいれば、結婚するのが難しくなったりもする。戦争後、各地に戻った兵士達がやっと落ち着いて家庭を築けたと思ったら、これだ。 -
平和村にはSAORIという日本から送られてきた織り機があって、何人かの枯葉剤被害者が織っている。Haさんは一ヶ月日本に居た事があり、私が訪れる度に親切にしてもらった。ただベトナム語の発音が難しすぎるため、なかなか話が進まなかったのだが・・・。
SAORIの問題点は日本から糸を持って来なければならない事で、もしベトナム国内で質のよい糸が手に入ればコストがかからないし、自立への一歩となる。そのうちに少数民族の住む山岳地帯に行く予定なので、その時に探してみよう。
ベトナム人と色々と話して驚く事は、ベトナム人はアメリカ人の事をそれほど恨んではいないという事。もちろん怒りを通り越してしまった、という人も居るだろうけども、なんと言うか、淡々としている。若い人達は過去を見るより未来を見なければいけないという政府の政策も在りそうだ。そしてアメリカと仲が悪くなれば経済発展に影響する。
ベトナムではベトナム戦争は過去の出来事なのだ。 -
この人は凄く一生懸命集中してSaoriの準備をしている。
ベトナム人の男の人で真面目に働く人はなかなかいない。
そしてベトナム人一般に言えることは、何かを教えようとすると自我が強いので凄く難しい。教えられているのに、あたかも自分の方が良く知っていると思っている人が沢山いる。しかし、たまたまなのか、ここでSAORIを織っている人は結構飲み込みが早く素直なようだ。それとも相当苦労したのだろうか。 -
ここには外国人も訪れるし、ベトナム人の学生ボランティア、将来医者になりたい人、など定期的に沢山の人たちが来る。一緒に遊んだり、歯の磨き方を教えたりしていた。
設備は・・・・うーん。ここだけではないけれども、政府からの資金が十分に入っているとは思えない。ポルシェ買うお金があったら壊れたベッド直せば?という感じ。トイレの便器も割れたままだった。
とにかくベトナムにはかなり多くの外国からの援助があり、政府はそれにまかせきりで、自分達がどうこうしようとは思っていないようだ。 -
これがVAVAのハノイのオフィス。
ここに来るまでには酷いドブ川ぞいの泥の道を歩かなければならなかった。
裏道だったのかもしれないけど、海外からも客人が来るのに、これでいいのか? -
ベトナムでバイタク移動だと値段交渉が一々面倒だし、最初はバスで移動していたけど、時々日本並みに混んでいたり降りたり乗ったりが面倒で好きなところにいけなかった。という事で自転車を買ってしまった。ベトナムでは安くてボロイ自転車も売っているが、買ったのは一応GIANTのマウンテンバイクで、きちっとした代理店で1万6千円ぐらいでかった。その時隣で20万円ぐらいするディスクブレーキ付きのロードバイクを買っていた人がいてびっくり。
ベトナムでは貧しい人と金持ちがグチャグチャに混ざっている。 -
ベトナムでは埃が凄いので、朝早く散水車が水を撒く。自転車だと泥跳ねが凄い。基本的にバイクや車は遠慮なく突っ込んでくるので、路肩走行が多くなる。自転車で旅がしやすい国とは言いがたい。
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ベトナムの内陸部は岩山で山梨県の昇仙峡のような景色の所と、熱帯森林のような景色と2種類ある。
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一瞬卵かと思ったらゴルフボールだった。
暫く行くと韓国系列らしいゴルフ場があり、ポルシェが入って行くのであった・・・。 -
ベトナムでは水牛に道を阻まれる事はしょっちゅうだ。子供が牛を誘導している場合も多い。
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Hoa BinhでのホテルはTap Vangホテル。180000ドン。Wifi付き。
見かけは凄い造りだけど、中はボロイ。若い従業員(ちなみにベトナムには若者しか殆どいない)は、やる気が無く、見た瞬間に“こりゃ駄目な人たちだ”と分かるレベル。 -
部屋にはエアコンが付いていたが壊れて使えない。でも11月だとファンだけで十分。
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Hoa Binhには大きなダムがある。
見所? ベトナム全般に言えるけれども、驚くような事はベトナム人の行動以外には何も無い。特に海外の世界遺産を見てきた人にとっては、ため息が出るような景色だ。もちろん悪い意味で。しかし、俺の場合はそれが目当てではないので全然問題なし。 -
ベトナムでは電気自転車が結構走っている。アシストではなく電気だけでも走るようだ。こっちが必死になって走っているのに、スーっと抜かれると腹が立つ。
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過積載は当たり前。
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今日はBat Trang村に行って来た。ここは陶器で有名らしい。
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・・・・・
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大きな壺もバイクで運ぶ。
ベトナムの本屋にはベトナム人がバイクで色々な物を運んでいるところの写真だけを撮った写真集が売られている。 -
近くにはベトナム風盆栽も沢山売られている。
盆栽と言ってもかなり大きめ。 -
帰り道で座り込みをやっている農民に会った。
どうやら立ち退きに反対している人たちで、偽の署名で土地を奪われる事になったらしい。 -
エコパーク。いかにも駄目そうな企画だ。
調べてみると、これには日本の企業が関わっているようで、まさにODAが現地人を苦しめている良い例だ。
農民達は日本のODAが絡んでいるとは知らないようだが、バッチャン村に陶器を買いに行って石を投げられたら、それは日本のODAだと気づいた人たちかもしれないので、勘弁して欲しい。
これだけポルシェを見るベトナムにODAはもういらないだろう。実際ヨーロッパの国々はベトナムへのODAを止める事にしている。日本は一部の企業(三井住友などの建設関係が多い)に税金を使って儲けさせているだけで、別に貧しい国々を援助しようなんて考えていない。 -
ただ、今のところは建設ラッシュもあり、仕事を求めて田舎から来る人たちも多いだろう。底上げもある程度されて、ローンを組んででもバイクが一家族に一台は買えるくらいにはなっている。しかしこの景気が何時まで続くのか?実際そろそろ上限に達してきているようだ、との見方もある。
この国は一体どうなるのだろうね。 -
この合羽は二人でも使用可能で、ライトの所には透明な素材を使っているし、ミラーを出す穴も開いている。雨が降り出すと道端で一斉に売り出すが、安いペラペラのやつは直ぐに切れそうだ。
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それからベトナムで欠かせないのがマスク。埃もそうだけれども、前を走っている車やバイクの運転手が唾や痰を吐くので、それがひっかかると埃以上に汚い感じがする。
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Ha NoiからHai Phongに向けて出発。山道ではないので一日に100kmぐらい自転車で走れそうだ。
右側は一応歩道なのかな?でもバイクはここをよく走っていたし、逆走する通行帯でもある。 -
道端によく落ちている偽$100札。死者にたいして“あの世で使ってくれ”という気持ちをこめて焼く場合もあれば、結婚式関係で車からばら撒いていたりもする。ベトナム人はとにかく金だ。
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Hai Phongの街中から少し外れた所に在るDuc Anh Hotel。一泊350000ドンもしたけれども、バスタブも付いている高級なホテルだ。ここからはBigCにも行けて便利。だけど自転車やバイクがないとセンターからは少し遠いので、それ以外の所には行けない。
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Hai PhongからCat Ba島に行くにはBen Binh船着場か直接Cat Baに行くのと、一回Cat Hai島に行って、またフェリーに乗ってCat Baに行く行き方がある。Ben Binhにはインチキ臭い人間がたむろしていて、100000ドンと書いてあるのに高速船だと200000ドン、それプラス自転車100000で300000ドン払えと言ってきた。アホか?
ここでは乗らない事に決め、Hai Phongから東の端まで自転車で40分ぐらいの所にあるフェリー乗り場へ行った。 -
ここからは朝の6時半から夕方5時まで1時間の間隔でフェリーが出ている。値段は自転車プラス人で8000ドン。
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フェリーはDinh vu港から1時間ぐらいでNinh Tiep港に付く。ここから急いで島の東端に行き、またフェリーに乗る。
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Pha Got港からCat Baまでは小さい船は30分おきで、大きいのは2時間おきぐらいに出ているようだ。何処の港にも、ちゃんと値段表もあるし、時刻表もあるのでボラれない。だいたい外国人観光客はこれには普通乗らないだろう。
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狭いボートでは皆が俺をネタに笑いまくる。やはり観光客が居ない場所はベトナム人も良い人達が多い。
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Sun flower One Hotel一泊500000ドン。
何?そして部屋は蟻だらけ。朝食付きだけど、何故か隣の建物に行き、シャビいビュッフェスタイル。海岸沿いには白人の外国人が結構いたのでこういう結果となったのだろう。 -
景色?
こんな感じです。坂が多いだけでなく、自転車で走るような所ではありません。 -
ホテルからの眺めは良い。しかし、二度と来ないだろう。
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ここからが2012年、二回目のベトナム。
ベトナムの街中の地図は適当でも良いが、やはりバイクでベトナム全土を移動するとなると、ある程度マトモなロードマップが欲しいところだ。
そしてこれが今まで見た中で一番良さそうな地図。フエのコープマートの道挟んで反対側にある大きな本屋の入り口は行って左側に売っていた。値段は290000とまあまあ高いが、本になっているのでビリビリ破けない。 -
ベトナムでは観光客が合法的にバイクを買うのは難しい。まず国際免許が通じない。そして観光ビザで免許を取るのは非常に面倒な事になりそうだ。日本大使館にも情報は無い。免許無しで50ccなら乗れると言うが、これがなかなか見当たらない。やっとハノイで50ccのカブが売っていたが、外国人に今まで売った事が無く、駄目そうな感じだったのでやめた。ちなみ場所はホアンキエム湖からロンビエン橋を渡ってBigCに行く途中の左側、マキシミリアムというお店。
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結局買ったのは110CC(100ccもある)の一応ベトナムメーカーSufat。ホンダのOEMらしき物も扱っている。ホンダやヤマハの新車は観光ビザでは買えないと店の人に言われたので諦めた。
じゃあ中古は?という事だが、なかなか中古車売り場がハノイでは見つからない。きっとベトナム人は一回バイクを買ったら乗り潰すのだろう。と、思ってベトナム人に聞いてみると、そうでもないという答え。まあ、日本のように3年毎に新車に買い換えるわけではないから、中古車の数も日本に比べれば少ないという事なのだろうが、外国人には見えないベトナムがあるのは事実。
買ったバイクはWin Sufatというのが本当の名前らしいが、物によってはJAPANだのTIWANだの色々なプレートやステッカーが付いていてSUFATとは何処にも書いていない。値段は中古で$400。
買った場所はロンビエン橋のある通りをバスターミナルから南に歩いて30分ぐらいの大通り沿い右側。Flamingo Travelのレンタルバイクを直している所だから、66Dao Duy Tu通りのオフィスに行っても話しが通じると思う。しかーし!$400は高すぎ。何処で聞いても「こんなボロはせいぜい$200ぐらいだ」と言われる。
前後ドラムブレーキで前は余り効かない。キャブレターはケイヒンだが、誰が整備したのかフロートが上下逆に付いていて、買った時にはオーバーフローが酷かった。これが暫く相棒になるので、自分でこつこつ整備していかなければならない。
ちなみにベトナムで観光客でバイクを買った人の殆どがこのメーカー。恐らくインチキで売りやすいのだろう。ベトナム人で今更このバイクを買う人は殆どいない。
細かい部分を見ていくと、強度的に設計段階で間違っているじゃないかと思う部分もある。 -
ハノイでバイクの部品を売っているのはHue通りとNguyen Cong Tru通りの交差点あたり。工具やネジ、ボルト関係は、日本レストラン“蓮”のある通り。
そしてこの蓮。非常に美味しい日本食を出す。ベトナムで食べた中では一番だ。 -
これは恐らくレンタルバイクでのツアーだろう。ちなみにこのバハは買うと$5000だって。日本だったら15万ぐらいだろう。
ベトナムではオフロードバイクが殆ど走っていないし、新車でも売っていたのはkAWASAKIのKSR(一応オフか?)ぐらいだった。 -
お金持ちは隼が買えるようだ。300km/hを何処で出すのか?
スズキの代理店に飾られていた隼は値段聞いたけど売り物ではないと言われたから、幾らだか分からないが、相当な値段な事は確か。ちなみにアグスタやドカテに乗っている金持ちベトナム人も見た。
ついでだから、バイク特集。 -
個人的には、こういうバイクは許せる。MT01にZ1000のライトを付けている。
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これはもっと素晴らしい。
トライクに改造している。 -
これは駄目。
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たくましいのは分かるけど、危ないな。
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言う事なし。
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これは外国人のセンス。
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バイクじゃないけど、これが一番。
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ここから旅の始まり。
まず、Ha Noi からNghia Loに行く。最初はガソリンスタンドが山の方には無いのではないかと思い、予備タンクを持っていたが、途中で必要ない事が分かり捨てた。 -
ベトナムの西の方、つまり山の方に行くと、非常に沢山の木が切られている。
計画性は無さそうだ。 -
ベトナムには沢山の少数民族(50以上かな?)がいて、高床式の建物が多い。
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Nghia LoのホテルはMien Tayホテル。180000ドン。
Wifiは無かったけれども、安いからOK。 -
Nghia Loから西に少し行った所に温泉があるというので行ってみる事にする。
ベトナムでは女の人が非常に良く働く。肉体労働もする。丸太を担いでいる女の人も田舎に行くと見かける。
ベトナムは女性の国なのだ。
男は昼間からビール飲んでいたり・・・ -
こんな感じだ。
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かなり沢山の人に聞いて、やっと温泉に着きました。ってこれが温泉ですか?
確かに暖かいお湯が出てきているけれども、これは想定外。 -
この辺から棚田が多くなってきた。
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見ている分にはキレイだけれども、仕事は大変だ。
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このー木なんの木、気になる気になる〜
人や牛と比べてみれば分かるが、非常に大きな木だ。 -
Nghia LoからSapaに向かう。
山の木は切られ、火がつけられる。景色はベトナム戦争中のような感じだ。 -
外国に対してはベトナム政府は伐採に関してきちんと取り決めをしていると言っているらしいが、ルールを守らない事で有名なベトナム人だから、木が無くなり山が死んでいくのは目に見えている。
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所々舗装されていない所があり、雨の後はぬかるんで大変だ。
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やってるやってる。キューバでは牛を二頭つないでユンタ状態でやっていたが、こっちの水牛の方が馬力がありそうだから一頭で十分なのかもしれない。ベトナムでも山岳地帯はそれほど暑くなく、農作業も少しは楽だろう。暑い中で牛が働かなくて、針でグサグサ刺しながら働かせるのは気が引けたのを思い出す。
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後ろから望遠で撮らしてもらいました。中南米のインディヘナもそうだけど、写真を撮られて嫌な人を遠慮無しにバシャバシャ撮る事は、なかなか出来ない。
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その点、子供は楽。「写真撮っていい?」と聞いて、「駄目!」と答える子供はいない。
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今は収穫後だったけれども、この棚田が全部稲穂で埋まっていたらキレイだろう。開拓するのは大変だろうけど、芸術作品のようだ。
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Sapa直前の峠の茶屋。ここでベーコンに葉っぱが包まれているのと、焼き鳥を食べた。高かったけれども、一休みしたかったからしょうがない。
そして、ベトナムで驚くのは、こんな田舎でも携帯電話が通じる事だ。この人達は何故だかモダンな格好をしているが、田舎の民族衣装を着た人たちでも、携帯電話を使っている。まあ、田舎だから携帯電話の方が便利という事はもちろんあるが、ベトナムでは何か順番が全ておかしいような気がしないでもない。 -
SapaではThach San通りをラオカイ方向に行った所にあるBao Ngocホテルに泊まった。このホテルは中心から少し離れている事もあり、外国人はいない。200000ドン。
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部屋も広くてキレイだし、WIFIもある。お湯も沢山出る。
時々英語が通じない事を問題にする旅行者がいるけれども、英語が通じる所の方が世界中では少ないのだから、ホテルくらいは身振り手振りとペンと紙でどうにかする方法を身につけても良いのではないかと思う。 -
と、思ったら、何じゃこりゃ?
Sapaの街中は欧米人だらけじゃないか!
そして皆、英語話をしている。で、ベトナム語が通じない!
これは予想外。人が折角ベトナム語で話しかけても「Do you speak English?」と言われてしまう。で、ハノイなんかでもそう効かれて、英語で話し始めると「ごめんね、やっぱり分からない」と言われる事も良くあったが、ここは違う。小さな子供も英語を話す。そりゃ学校でベトナム語勉強しても大した金にはならんだろう。でも外国人相手に土産物を$30ぐらいで売りつければ、これは大儲けだ。 -
欧米人が車から景色の良い所で降りると、一斉に民族衣装を着た人達が群がる。民族衣装は彼らにとって仕事着、ユニフォームみたいなものだ。
今欧米ではベトナムがブームなのか?良く分からないが、日本人は余り見かけない。うーん。俺にとってSapaは居心地の良い場所とは言いがたい。 -
団体が去った後で写真を撮った。
なんとなくペルーのマチュピチュと言った感じだ。
この辺は通行料だか入場料だかを取る。40000ドン。
ちなみに一日に何回か行ったり来たりした時には「前払ったからいいでしょ」と言って勘弁してもらった。 -
暫く行くと幼稚園があった。かわいちょ。
先生と少し話したけど、良い人たちだった。
しかーし!この辺から少し坂を下った所に大きな学校があるが、そこに行くと「うち等は貧しいから寄付をよこせ!」と言われるので行かない方がよいだろう。その学校の近くには、外国人用のホームステイ風ゲストハウスがあって、金を貪り取るのに慣れているのだ。 -
Nam Saiという村で糸をつむいでいるという情報があったので、訪ねてみた。もしかしたらSAORIの糸が手に入るかもしれない。
-
ここの人達がまた良い人たちで、凄く親切にしてもらった。
ハノイでは駄目なベトナム人にウンザリする事も沢山あったが、田舎のお年寄りは人間が違う。昔の厳しさを知っているからだろうか? -
帰り道で、糸を洗っている人たちに会った。
結果から言うと、この糸はSAORIには向いていないそうだ。
しかもこの人たちじゃないけど、市場で値段を聞いたら、1kgで1500000ドンだって。アホか?
他の所で聞いたら、さっき聞いた店の人がわざわざ来て1500000ドンだと言っている。「あんたには聞いてないだろうに!」
でも、しょうがない。
そういうことで、Sapaからとっとと出て行きます。 -
お母さんと子供達。
左側の子供はお母さん似で右がお父さん似だった。少数民族でも違う民族同士で結婚するとこうなる。この国の多様性を考えると一つの国としてまとめるのは不可能なのではないか? だから無理な事はせずに、ある程度放っておいて正解なのかも知れない。ベトナム戦争の本当の被害者は少数民族だったのではないだろうか?と思う。この人たちには共産主義だの資本主義だの関係ないからね。
日本にもアイヌや琉球の人達が居るけれども、殆ど抹殺されてしまったので、ベトナムが不思議に思える。昔、萱野茂さんに会って話をした事があるけど、民族、そしてその文化が消えていくのは悲しい事だ。 -
気持ち良さそうだ。
ベトナムに居ると、こんな風景が当たり前に見れる。
なんだかんだ言ったって、やっぱりベトナムが好きだ。
牛見てこんな事言うって事は、人は・・・。 -
これが田舎の方のガソリン売り。
もちろん割高。でも何処にでも普通のスタンドあるから未だにお世話になった事はない。 -
Lao Caiに到着。
この町は中国との国境がある街で、欧米人の団体が沢山居た。
別に見るものは無いからBac Haに行ったら直ぐに出ようと思う。
ホテルは、というかNha Nghiでした。 Binh Danと言う名前でCo WIFI とあるが、全然繋がらなかった。250000ドン。高いけど、一泊だからいいか。 -
唐辛子の家。
ベトナム人は辛いのが好きだからね。 -
バックハー市場には沢山の・・・また言うようだけど、ツアー欧米人が居て、値段も全て高いし、雰囲気はないしで、は〜。
昔はこんな所バックパッカー以外来なかったんじゃないか?
世界は小さくなった。今の時代はインターネットもあるしね。
でも、悪い事ではないのかもしれない。便利になったのだから。 -
これが生まれて始めてみる中国。
35カ国以上旅してきたけど、中国には何故か行きたいとは思わなかった。 -
Lao CaiからSapaに戻り、Muong Laiに行く途中。
ナマケモノだろうか? どうやら売っているらしい。 -
ダムの建設現場を通ったが、かなり大掛かりな物になるようだ。
この辺の道は非常に悪く、一部時間帯で通行止めにしていた。今回はギリギリ通らせて貰ったが、こんな所で1時間とか待たされたらたまったもんじゃない。 -
Muong Laiに到着してホテルを探したが、マトモそうな所は無かった。何件か聞いてみたが、人間も駄目な人ばかりだったので、疲れたけれどもDien Bien Phuまで行く事にする。
-
なんとかDien Bien Phuまで着いた。ハノイホテルの通り挟んで反対側のNha Nghiに泊まる。150000ドンで野Wifi付き。お湯は出るし蚊帳も付いているのでOK。
Nha Nghiは民宿?と言った感じになるのかな?ホテルの下だ。Nhaは家でNghiは休むという意味。他にもNha Troと書かれている所もある。Troは泊まるという意味。 -
Dien Bien Phuと言えばVo Nguyen Giap。いつかは行って見たいと思っていた所だ。以前NHKの特集かなんかでボーグエンザップ、ディエンビエンフーの戦いとか言うのが、テレビでやっていた。昔のベトナム人は本当に凄い。
太陽が何故か赤い。
光化学スモッグか? -
ベトナムに居ると、“あなた達は本当に懲りないね”と思う事が沢山ある。裏を返せば不屈の精神があるともいえる。昔から中国から侵略され、フランス、日本、アメリカと戦い続けたベトナム人。
ベトナムで理不尽な目に遭っても、この歴史がある限り、俺のベトナム人に対する気持ちは変わらない。 -
1911年生まれのVo Nguyen Giapは100歳を越えた。
ベトナムを100年見続けて、今現在のこの状況をどう思っているのだろうか? -
道を切り開き、大砲を山に運び、やられてもやられても立ち向かっていく。
地下道をありの巣のように造り、対アメリカのベトナム戦争の基本は以前の戦争で作られた。 -
観光客は一人も居ない。サパにはあれだけ居たフランス人は何処に行ってしまったのか?
-
と思ったら、フランス人はこんな所に居た。
-
屋根を作っている最中。ここ以外の所でも新しく屋根を造っていた。
本当は屋根なんか無い方が雰囲気があってよいのだろうけど、保存したいと言う事なのか、それとも格好だけなのか。 -
こちらが有名な穴。
砂が崩れて埋まらないようにセメントで固められていた。
ナスカの地上絵が箒で掃かれてメンテナンスされている事を思えば、まだ許せる。 -
お参りする人もちゃんと居る。
-
でも今の若い人達には戦争は過去の事。
平和が一番だ。 -
ここは高台になっていて、ある程度町が見渡せる。
ここ以外にも戦車の残骸や大砲があるらしいから、そっちにも行ってみよう。 -
展示してある戦車や大砲は元々ここにあったものなのか、ただ単に展示するためにここに持ってこられたのか分からない。
一応ディエンビエンフーの町の方に向かっている。 -
こちらは屋根付き。
-
こちらも屋根を付けようとしている。でも、観光客は殆どここには来ないだろう。ベトナム人のため? 良く分からない。ベトナム人でベトナム戦争の話題を話せるのはある程度年齢がいった人たちだ。でもベトナムには若者しかいない。どこかで読んだことがあるが、平均年齢は27〜8歳ぐらいだとか。彼らが、歴史を学びにここに来るか?単なる無駄使いのような気がする。
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ありがとう。
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夜には寂しくネオンが光る。
明日はSon Laに向かう予定。
これで朝の5時からうるさい放送を聞かなくても済むだろう。 -
今までとは少し違う民族が住んでいる村があった。
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みんな小奇麗な格好をしている。
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いい匂いがしたと思ったら、コーヒー畑があった。
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コーヒー畑の裏でコーヒーを飲んだ。ここでは家具も売っているらしく、大きくて立派な家だった。
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ベトナムの田舎を走っていると時々良い花の香りが風に乗って流れてくる。
今度はコーヒーではなくこんな木からだった。 -
Son Laのホテル。300000ドン。
ベトナムで、この手のホテルは見かけは立派だけど、中はボロイのが普通。 -
Son Laには刑務所がある。もちろんここにも欧米人の観光客はいない。
この刑務所にはハノイのHaさんの旦那の親も収容されていたそうだ。 -
大部屋で勉強したりしていたようだ。
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独房もある。
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連れて来られた人の写真だけど、死んだのかな?
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ハノイからソンラに連れて来られた人のグラフ。
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例えばここにフランス人が来たら、ベトナム人は怒るか?
怒らないだろう。逆に歴史を知ろうとしてくれたと、感謝するんじゃないか?
日本人が南京に行ったらどうなるのか?
うーーん。昔シンガポールで麺を食べようと思って店に入ったら、ギロチンのまねをして怒った親父に出て行けと言われた覚えがあるけど、実際の中国ではどうなんだろうか。 -
今は平和。
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Moc Chauに日本人がイチゴをやっているという情報があったのでそこに向かう。「トマレー!!」と言ったかどうだかは知らないけれども、飛び出してきて、何かと思ったら、トウモロコシ売りだった。ニンニクも売っていた。
小腹も減っていたので、お茶と一緒にいただいた。 -
モックチャウ。てっきり小さい町で日本人一人探すのなんか楽だろうと思ったら大間違い。沢山の農家があって、しかも日本人以外にもイチゴをやっている所があり、かなり探しまくった。
そして疲れたところで、一緒に探してくれた人が「家に上がって飯でも食ってけや」だって。 -
そしてその人の親戚が住んでいる隣の家にも入れてくれた。
コンクリートの家と違っていい感じだ。高床式の家は何軒も見たことがあるけど、実際中に入ったのは初めてだ。 -
やっと見つかったイチゴ農家。収穫後で食べられなかったけど、ダラットのイチゴよりも大きくて甘酸っぱくて美味しいらしい。ハノイでイチゴを売っているのを見たことがあるけれども、山積みになっていて、しかも排ガスまみれになって売られていたので、食べる気がしなかった。「実際売れてるんですか?」との質問には、「ベトナムでは赤は縁起がよい色だし、子供達が好きなので、お父さんが泣く泣く遠くから買いに来る」そうだ。なるほどね。これは本当の話で、他のイチゴ農家の人もそう言っていた。縁起を担ぐのが好きなベトナム人ならではだ。
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許可を得ていないので日本人の顔はモザイクで。ベトナム人に関しては、テレビで犯罪者の顔と名前をはっきり写している国だから問題なしと考えた。
この人は俺よりも若かったけど、長倉洋海の写真が好きだったという事で、アフガニスタンに昔行った事のある者としては嬉しい限り。共通の話題があって色々と話をした。やはり海外で頑張っている人は違う。 -
ラッパがぶら下がったような珍しい花の木があった。
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BIOSEED。
遺伝子組み換えのトウモロコシだ。
遺伝子組み換えといえばモンサント。モンサントと言えば枯葉剤。
いいのかベトナム!!
実際に枯葉剤を作ってこれだけの人が悔しい思いを未だにしているのに、こんな会社に金儲けさせていいのか?ベトナム政府よ。
そしてこれだけではない。 -
DOWです。
ダウケミカルと言えば枯葉剤で有名。そしてこれは浄水器のフィルター。
これはハノイのBigCで見つけたもの。枯葉剤作っておいて今度はフィルターかい!
べと〜〜〜!いいのか?平和村に浄水器をプレゼントしようと探してたらこれだよ。もちろんこれは買わなかったけど、うーん。
これらの会社から逃げて生きていく事は、どちらにしろ不可能なのか?
何か納得がいかない。 -
一回ハノイに帰って携帯電話を買った。Pico Plazaで一番安いやつで500000ドンぐらいだと思った。
ベトナムでは人との繋がりは携帯電話がないと駄目だ。
何処でも電波が通じるから、電話嫌いの俺でも結構使う。
ただ電話だと、ただでさえ分かり辛いベトナム語がさらに分からないし、伝わらない。 -
暫く使っていたけど、俺より貧乏そうなベトナム人がスマートフォンを持っているので、悔しいからIPhoneを買った。
さらに悲しい・・・。
ベトナム人に「俺もI Phone持ってるよ」と言ってこれを見せたら馬鹿にして大笑い。
でもこのカバーはベトナムで買ったんですけど・・。 -
ハノイのボロイ電車。いや、これはディーゼル機関車か?
シツコイようだけど、ポルシェ買う前にこれをどうにかしろ! -
ハノイ。群れる白人。低い椅子。すげ笠。
中南米でも欧米人が全く似合わないインディヘナのポンチョを着ているのを見たけれども、そんな感じだ。
南に行こう。少なくとも日本が原発を建設する予定地まで。 -
ハノイを出発して大して走っていないにも関わらず、もうベトナム語が違う。
丸い感じだ。
しかし子供は可愛い。 -
朝の6時45分にハノイを出て午後3時にはVinhに着いた。 99Truong chinhの Khach San Bao Nam 200000ドンに泊まる。VinhにはBigCもあるけれども、もうそれほどボラれる心配をしなくてもよさそうだ。
見るものは無いので一泊だけしてDong Hoiに向かう。 -
こんな格好で走っていて、怪しそうだけれども、ベトナム人もみんな怪しそうだからOK。
ハノイ周辺の道路はハノイ人がポルシェを買ってしまったので、金が足りなくて整備がちゃんと出来ていないが、南に下っていくと舗装の状態が良い。走っていて楽だ。 -
明るいな〜。ハノイとは大違い。
やはり暖かい気候に住んでいる人達の方が、いいね。 -
Dong Hoiに着いた。Luong Thuc Quang Binhホテル。250000ドンで安くも無ければ部屋もそれほど良くない。でも、思ったよりホテルの数が少ない街だ。近くにビーチがあるから割高なのかな?
Phong Nha洞窟に行きたいから、2泊するしかない。
このホテルで、初めて公安に見せる書類にサインをさせられた。泊り客はみんな書かないといけないみたいだった。
この後も何回かホテルで書類を書かされたから、怪しい事でも無さそうだ。 -
アメリカ軍に爆撃されたらしい教会。
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フォンニャ洞窟は世界遺産らしい。
ベトナム政府も気合を入れて宣伝している。
キューバのビニャーレスみたいに、子供のイタズラ書きの絵ではない。 -
どうやら歩いていけないようで、ボートに乗るしかない。知らなかった。
Phong Nha洞窟以外にも洞窟があるみたいで、値段がそれぞれについている。とりあえずPhong Nhaだけにしておくが、一人の場合、入場料が40000ドン。でもボート代が220000ドンというのはどうなるの?と聞いたら、その時に来たベトナム人の団体と一緒に乗せてもらうことになった。で、払ったボート代は50000ドン。その団体は8人ぐらいだったから、俺は払い過ぎ。でもまあ、飲み物(ゼロ℃)とトウモロコシが出たから、良しとする。 -
こちらが一緒のボートに乗るベトナム人。それから専属カメラマンが一人付く。後から写真を買ってくれ、という事らしい。
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まあ、とにかく騒がしい人達だ。ベトナム語が少しは分かるし、話せたから楽しかったけど、疲れた事も確かだ。
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いよいよ、これから洞窟に入って行く。ここに来るまで結構な時間がかかった。
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途中からエンジンを切って手漕ぎ状態で進んで行く。
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期待していた以上だ。
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途中からボートを降りて歩いて奥まで入って行く。
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騒ぎすぎでしょ、あなた達は。
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これは派手過ぎでしょう。
これをやってはいけないという、見本みたいな感じでセンスを疑う。 -
でも、思っていたよりも全然良かった。
帰りは流石に皆はしゃぎ過ぎで疲れていた。 -
ベトナムでは、みんな夕方から夜にかけて海で泳ぐ。
昼間は暑くて泳いでいられないそうだ。
明日はDong Haに行く。 -
ベトナムには沢山の外国からの支援を受けていてる施設があり、このTre Em SOSもその一つ。元々ドイツ系のNGOらしい。ベトナムだけでなく色々な国で貧しい子供を援助しているらしい。が、ここはどう見ても普通の保育園状態だ。非常に立派な施設の中に親らしき人達がワラワラと子供を置いていく。SOSでもなんでもない。
入り口に居たピンクシャツは門前払いしようとしたし、なかの職員も怪しい感じだった。団体が大きくなればなるほど腐って駄目になる。外国資本を完全にベトナム人に任せるとこうなる。 -
Dong Ha近くになって、Ben Hai川に架かるHien Luon橋。
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ここはDMZツアーという非武装地帯やアメリカとの戦争の時の基地などを巡るツアーの中に含まれているようだ。
バスから白人が沢山降りて着た。 -
川を汚染させ、ダムで堰き止め村を沈め、山を丸々切り崩し、山岳民族は貧しいままに、ハノイでポルシェを乗るベトナム人。ホーチミンのいう真実とは何なのか?
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Dong HaでのホテルはMelody。名前がイマイチだが、しょうがない。
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DMZツアーを売りにしているらしいが、殆どの観光客はフエに泊まって、そこからツアーに参加するため、この街では閑古鳥が鳴いている。
明日はKhe Sanhに行く。 -
ベトナムには岩盤の山が多い。採石場に選ばれた山は丸々切り崩される。
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道はそれほど悪くなかったので、あっという間にケサンに着きそうだ。
この道はタイ〜ラオス〜ベトナムの重要な道路としてもっと整備されるらしい。 -
この辺の人達はバラエティーに富んだ顔をしている。
この子なんかは、ミクロネシア系というのだろうか?何か違った感じの子だ。
昔五円玉に紐を当してビヨンビヨン遊んでいたような記憶がある・・・。 -
チャンカットな子供も居た。
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Quang Triには未だに沢山のUXOがある。Mine Action Visiter Centerも後から尋ねる事にしよう。
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この辺にも高床式の家があるけれども、北のそれとは少し違う造りのようだ。
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Khe Sanhから米軍の基地が在ったTa con空港にはここを右に曲がる。
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入り口で20000ドンの入場料を払って中に入ると、アメリカの退役軍人らしい人達が来ていた。
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ノートには I'm sorry:american citizenと書かれたものもあれば、Go
Marines! と書く人もいるし、その下にGo where?と書く人もいる。
ブルーススプリングスティーンの歌にも出てくるケサン。人それぞれの思い出があるのだろう。
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戦争中はこの手の飛行機がひっきりなしに離着陸を繰り返していたそうだ。youtubeで当時の映像を探すとその様子が分かる。着陸できない時は上からパラシュートで荷物を落下させていたようだ。
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バッジを売っている男の人の一人は、入り口で物を売っている女の人と夫婦で、色々と話をした。その人は40ぐらいだったからもちろん当時の事は覚えていない。両親から少しだけ話を聞いたそうだ。少しだけ、というのは、やはり戦争の事は話したがらないらしい。
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ケサンで一番良いTai Ninh Hotel。一泊290000もする。
この時は泊まらなかったが、後にビザ延長のためにラオスに行った帰りに泊まる事になる。
ホテル内は通常通りボロイ。 -
実際にはフエに行ってから訪ねたのだが、Dong Haという事でMine Action Visiter Centerの事を続きで乗せる。
道がイマイチ分かりづらかったけれども、南からドンハーに入ると市場前で左に曲がり、ロータリーを真直ぐ行き、線路を渡り、右側にVietin Bankがあるロータリーを右に曲がる。すると写真のように左側に青い看板があるのでここを左に曲がる。 -
入り口にはTre Em Tren Hetと書かれているが、ここに間違いない。
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入場料は無料。8時から5時まで、月曜日から金曜日まで。
ホームページは http://www.landmines.org.vn/
英語できちんと説明してくれる。 -
色々な種類の手榴弾や爆弾が展示されている。
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ベトナムの不発弾分布図。
ホーチミンから北西とクアンチ省が沢山あるようだ。 -
とにかく落とされた爆弾の量が凄いから、全部撤去するのは不可能だ。そして埋まっていても泥だらけだと見分けもつき難い。
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手作りの金属探知機。
田舎の人も協力して不発弾を探しているようだけれども、素人が棒で突いたりしているので、非常に危険だと言っていた。 -
クリントンとヒラリーの写真があった。
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ここでは不発弾の処理だけでなく、まず知識(怪しい物には手を出さない)を農民、そして子供達に教え、もし見つかったら連絡するようにと、電話番号入りのチラシを渡したりしている。それから被害者には義足などの援助や仕事の斡旋もしている。問題は鉄くず業者だ。幾ら注意しても金になるとなると爆弾の破片を集める人が後を立たない。
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庭先から、とてつもなく大きな爆弾が発見される事もある。
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一見してなんだかよく分からないものもある。
どこかで読んだことがあるが、クラスター爆弾なんかは、わざと子供が興味を引くような色と形に作っているとか。 -
俺にはこういう事実をみて平気でいられる人が理解できない。
腹の底から怒りが込み上げてくる。
アメリカ軍だけでなく無関心な人にもだ。
もちろん人にはそれぞれの生活があり、不発弾で足を失った人も、もし日本に生まれていたら何も興味を持たなかっただろう。
しかし俺には見てみぬ振りは出来ない。
でも何が出来るのか? -
ここ以外でもノルウェーやアイルランドがベトナムをサポートしている話を良く聞く。
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これはHueに行く途中で出会った行列。
葬式なのか? そのわりにはみんな笑っている。 -
Hueの入り口。
このトラックは横断幕を引きちぎりながら走っている。
一見通れそうな気もするが、タンクローリーだから後ろが引っかかるのだ。
もう少し考えて横断幕を張るべきでしょ。ベトナムでは“ちょっと考えればわかる事なのに!”と思う事が多々ある。
オープン祝いだと思ったら、何故かこの橋は後から封鎖されて通れなくなっている。 -
これがHueのホテル。Win Gate Hotelだ。一泊200000ドン。
BigCも近い。住所は18Nguyen Huu Tho。非常にお勧めのホテルだ。
ただし、英語は通じない。 -
303号室。部屋は広くてキレイ。エアコン、テレビ、冷蔵庫付き。
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お湯もちゃんと出るしキレイだ。少し下水がつまり気味なのが気になるが・・・。
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ここの一番の売りはこのベランダ。
エアコンの室外機の前にハンガーがかけられる場所がある。
ジーパンを洗ってもこれなら一晩で乾いてしまうので、洗濯物が乾かなくて困る事はない。 -
そしてこのホテルの隣にCom屋があってここで20000ドンでいつも食べている。ベトナム人は並ばない事で有名だけれども、ここのお店の人は割り込みしたベトナム人を押しのけて注文を聞いてくれる。
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俺だけ別皿だから20000ドンなのか皆20000払っているのかは知らない。でも店の人は愛想もいいから、ここでOK。
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フエでは驚いた事にシクロが現役だ。
この町は何か違う。 -
のんびりしているし、老人もいる。
ホテル街のある新市街から旧市街には2本の橋が架かっている。 -
堀が2重になっていて、旧市街全体が外堀の中にあり、さらに王宮の周りに内堀がある。
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橋を渡って王宮へ。
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フエに来たらまずは王朝。外国人は80000ドン。観光地では差別化されている。でも、これを見ないでフエに居る事は考えられない。
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日本のお城感覚か。
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外国人だけでなく、ベトナム人の観光地としても成り立っている。
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至る所に青銅の・・・何だろこれは?
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劇場のような所もあった。
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キューバにも良くあったドルミデーラ。
触ると眠る。 -
暑い。
王宮内は結構広くて、子供はぐったりだ。 -
ベトナム人は昼間が暑くて苦手なので、真昼間の方が空いているのかも知れない。
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お決まりの蓮の花。
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横浜の三渓園より写真に撮る所はある。
でも、なんか全てが新しい感じだ。
そりゃベトナム戦争で破壊されないわけが無い。 -
この辺が比較的古そうか?
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本当はこれが王宮なのかもしれない・・・。
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池の形が面白い。
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王宮スタイルの写真も頼めば撮ってもらえる。
でも外国人は遠慮しているようだった。
そしてベトナム人のヘルメット愛好家がここにも。
バスの中や釣りをしている人もヘルメットを被ったまま。
少数民族で髪を結って頭の上でまとめている人達がいるのだけれども、この人達がヘルメットを被ると、頭自体はカバーされずに髪の毛だけがヘルメットで保護されるという状態になる。写真がないのが残念だが、想像つくだろうか? -
何の花だ?
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ポニーや象に乗れる。
象?
こんな所で普通に歩いている人の隣を象が歩いている。
大丈夫なのかな?
そういえば、レ・カオ・ダイの本を読んだ時にも、ベトナム戦争中に山の中で戦っていた兵士が、象に踏まれて死んだと書いてあった。 -
外国人観光客よりベトナム人の方が多かった。
良い事だ。 -
王朝スタイルの新婚写真かな?
ハノイではホアンキエム湖の周りでいつもウエディングドレスやアオザイ姿の新婚さんが写真を撮っていたけれども、フエはこれだ。
男の人はもうデレデレ状態。 -
王宮の周りはちゃんと整備されている。
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新しく派手な飾りつけと古そうなモノトーンの物がごちゃ混ぜになっている。
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疲れたブー。
豚じゃなく象か? -
王宮の東隣には戦車などが沢山展示されている。
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何故か、この人達に記念撮影やビデオ撮影をしてくれと頼まれてしまった。
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ここを訪れる外国人観光客は少ないだろう。
楽しい旅行が台無しだ。
入場料は取られなかったが、小屋があったからもしかしたら本当は取るのかもしれない。 -
旧市街の堀の内側を一周してみた。
新市街方向の南側には4箇所の橋が架かっていて、東北西にはそれぞれ2箇所ずつ橋が架かっている。
新市街からTruong Tien橋を渡ると右前方に恐らくフエで一番大きいと思われる本屋がある。BigCもそうだけれども、荷物を預けなければいけないので面倒だ。屋上にはカフェもあるが、期待はしないほうが良い。 -
その向かい側にはCOOPがあり、地下に駐輪場がある。
BigCに客を取られたようで、寂しい感じがする。 -
その隣にDong Ba市場。
うーん。と唸ってしまうような市場だ。
やはりハノイの市場の方が品揃えはある。 -
フランボヤンの木がフエには沢山ある。
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船着場では洗濯したりしている人も居たが、水は汚い。
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フエの町は川と堀に囲まれているので、ボートも日常の足として使われているようだ。
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バイクとボート。
恐らく以前はもっとボートが使われていたのだろう。
今では,みんなXe Mayだ。 -
線香のようだ。
ベトナムでは道路は自分の土地のように活用する。
収穫したものを干したり、箒状の葉っぱを道路に置いたり、洗濯物も物干しごと道路に持ち出して干している。
ただし、バイクの路上駐車の取り締まりは厳しい。 -
木には良く小さな家のようなものが祭られている。
仏教関係のものか?
しかしベトナムの仏教は良く分からない。日本のように職業仏教として割り切っているようでもないし、拝んだりはするけど、信号も守らないような人達が沢山いて、何か違う。ミャンマーの人達はもっと敬謙な仏教徒だったような気がする。仏教は自分をコントロールする事を学ばないといけないのに、ベトナム人にはそれが全く見受けられない。
食事に関しても、仏教ベジタリアンがいたりして「私は月に2回はベジタリアンです」なんて言ったりする。??それってベジタリアンって言うのか?どうも宗教が関係しているようだけれども、そのうち詳しく誰かに聞きたいものだ。 -
こんな気持ちの悪い木もあった。
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でた!
長い物運び屋。これが危ないんだ。曲がりきらないよ。 -
だから危ないって!
バイクで長い物を運ぶのは禁止にしてくれないと危なくてしょうがない。
べトナムでは物事の善し悪しを教えられる人は皆ベトナム戦争で死んでしまったのか?この国には沢山の子供と沢山の老けた子供しかしないようだ。 -
ダナン付近で見た長い物運び屋の事故。
直線でもこれだよ。
ベトナムをバイクで旅していると、数々の事故を見る。あれだけ戦争で死んだのに、命の大切さが分かっていない。でも、ベトナムにある程度いると、彼らの考え方、価値観は日本人のそれとは全然違う事に気づく。死というものは、しょうがない事なのだという考えなのだろう。 -
時々見かけるお祝い車。
結婚式用と言うわけではないのかな?
葬式用だという噂も・・・。 -
「まあまあ、こっちに来て座りなさい。」
から始まって、お茶飲んで話し始めると長くなる。
フエの人はハノイの人達と比べて本当に人懐っこい。騙す人も少ないし、いい所だ。色々な外国人と話をしたけれども、やはりフエの人達は良いと言っていた。お気に入りの場所になりそうだ。 -
橋とトーチカが合体している。
フエの街中には戦争時代の残り物か、トーチカが沢山ある。
別に今は警察が使っているという事も無さそうだ。
昼間は暑くて城壁内を徒歩で一周するのは厳しいだろう。
バイクがなければ自転車を借りて暇な時にぐるぐる探索してみると面白い。
それぞれの地区でそれぞれの仕事をしている。 -
フエの街周辺には寺だの何だのと色々と見て周れる所がある。
これはティエンムー寺という所。 -
王宮関係の基本は丸い穴。
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派手でベトナム人好みの・・・大黒様?
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この車はRage Against The Machineのジャケットにもなった焼身自殺した僧侶がサイゴンまで乗っていった車。
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これがカイディン入り口の階段。
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派手な建物よりこっちの方が良い。
が、古さは感じられない。 -
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もう少し上がった所にある建物の中は派手だった。
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これは凄い細かい装飾だ。
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遠くから見ると綺麗だけど、近くで見るとガラスを貼り付けているだけで、少し安っぽい感じがしないでもない。
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少し田舎に行くと丸っこい干草の塊のある家が多い。
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これはフエの街中にある教会。
教会なのに形が王朝風。 -
中には太鼓が・・。
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写真を見ると、キリスト関係の芝居をやっているようだが、登場人物に仏教徒っぽい人が出てきている。
カオダイ教ではないのに、何か混ざり気のある宗教に仕上がっている。 -
ベトナムでは世界遺産よりもベトナム人と会っていた方が面白い。
特に女の人達は本当に元気だ。 -
海の方に行ってみた。Thuan An方面から南に海沿いを走る。
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昼間だから暑くて日曜日にもかかわらずあまり泳いでいない。
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これはお墓なんだけど、凄い事になっている。
海沿いにこれだけのお墓がまとまっているのは、何か意味があるのか? -
やはり金がある人が大きなお墓を建てるのだろう。
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これは流石に一人のお墓では無さそうだ。
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疲れたからレッドブルを・・・・。
違った。 -
ベトナム人は夜海に泳ぎに行くだけでなく、公園にも夜行く。
その数が半端ではない。 -
Hope Center。http://www.hopecenterhue.com/
時間があればここにも是非訪れてみて欲しい。ちなみに地球の歩き方にも載っている。
ベトナム人が発起人だから、勘違いはない。所長のHongさんはいい人で、しかも行動力もあり、一生懸命やりくりしている。
ここには英語を話せる人も居る(若干1名)ので色々と説明してくれる。
Friends of Hue Foundation(FHF)http://www.friendsofhue.org
を初め、沢山の団体がここをサポートしている。 -
ここでは田舎の貧しい人や心身障害のある人が30人ぐらい働いている。
足が不自由な人のトライク。ベトナムでは良く見かける。
身体障害者。日本では、はっきり言ってなかなか接する事が無い。だからどうやって接してよいのかも分からないし、障害者という言葉自体も差別的に聞こえたりもする。しかし、これは言葉の問題ではなく臭い物には蓋的な日本社会の問題だと思う。ベトナムに来れば日本と違い隠しきれない障害者が沢山居る。差別があってもそれは個人の問題だから、社会全体で考える事ではない。もちろん他に腐るほど問題がある国だからという事もあるが・・。
ちなみにベトナム語ではta?n tâ?tやkhuyê?t tâ?t(記号が正しく出ない!)を使うと思うけれども、khuyê?tâ?tは辞書を引くとfault,defect,imperfectionとなる。でも枯葉剤の施設の人も普通に使う。それは使う側が別に差別をしていないから、受け取り側も別になんとも思わないのだ。
日本ではハンディキャップという言葉を使いたがるけれども、英語を使えば良いのかと言ったらそうではないだろう。英語ではdisableだって普通に使われていると思う。問題は言葉ではなく、それを使う人間だ。 -
こちらも良く見かける三輪車。
ハンドルを前後に動かすと前に進む。 -
ミシンを使ってユニフォームを作っている。
これらは大学や工場から注文されている。 -
職業訓練校としてもやっていて、この部屋で練習している。
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このカバンも学校用とか言っていたかな?
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場所が狭くて店の中でも働いていた。
-
少数民族っぽいカバンもあった。
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これはリサイクルで、太い電気コードの中身をばらして、それを編んで作った物。
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このコードで色々な物が作れる。
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暫く見ていたけど、木の台に茶碗やコップを固定して、その上から引っ張りながら編んでいた。けっこう難しそうだ。
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できあがりはこんな感じ。
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これはベトナムだけでなく、他の国でもやっているようだ。最初は誰のアイディアだか知らないけど、良い事だ。
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これもリサイクルでラーメンやお菓子の袋を使っている。
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これを細く切った竹に巻きつけ、その竹を編んでかごを作る。
-
出来上がりはこんな感じ。
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暑い時は外の小屋で働く。
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計画がちゃんと決まっていて、それどうりに商品を納入しないといけないので、あわただしい時もある。が、基本的にはマイペース。
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今まで見学してきた施設は、外国人が来ると、自然な感じがしなかったが、ここは皆のびのびとしている。別に愛想笑いするわけでもなく、ムスっとしている人も居ればガッツポーズが好きな人も居る。
何処の組織もそうだけれども、資金繰りが難しい。ここでも仕事はどんどん入ってくるが、材料を買うお金がなくて次の仕事を入れられない。ある程度薄利多売でやっていかなければ仕事が入ってこないだろうし、仕事がコンスタントに入ってくれば儲けは少なくても皆が食いつないでいける。ギリギリのところでやっていっている。
もし所長が大きな家に住んでいて、ポルシェに乗っていたら幻滅だけれども、そんな事はなかった。実に質素な生活をしていた。 -
フエから南にバイクで2時間ぐらい行った所にBach Maという国立公園がある。今現在は工事中という事で頂上までは登れないが、手目の道を左に入っていくと小さいけれども天然ウォータースライダーが在ったり、その先に行くと見晴しのよい所もある。
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30分ぐらい登った所。ここにはベトナム人も余り来ないのだろう。静かだ。
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遠くの方には海も見える。
フエは落ち着いた町だけれど、ここに来ればもっと落ち着く。
気が滅入った時には、又ここに来よう。 -
バックマーには日本のJICAが入っている。東京農工大と一緒に有機農業をやっているようだ。世界中を旅してきた人には分かるだろうと思うが、JICAやODAで良い噂は聞かない。国の税金でやっている団体は何処も腐っているのが当たり前。でも、末端で働いている人達はそうでない事が分かった。もちろん上からの指示で動かなければならないのだろうが、少なくとも現場で一生懸命やっているし、現地の人と長く関わりあっていく事で、勘違いな援助は減っていく・・・かな? 上の人次第か。
-
そして重要なのは村長。
田舎の村社会では権力者に逆らっては何も出来ないのだ。これは日本でも何処でも同じだろう。
どうやって協力を得られるか? 現地の調整員がどれだけ溶け込めるか、そして権力図を把握しなければならない。 -
村長の話だからではないかも知れないけど、みんな真剣に聞いていた。
-
JICAは期間が決まっているので、彼らが去った後に、どうしたら、ちゃんとプロジェクトを続けられるのかを考えなければならない。(ここではマニュアルを作りそれを渡していた。)
そして最終的にそれが彼らのためになるのかも。 -
しかし農民に関わった事のある人なら分かると思うが、農民の生活様式を変えるのは難しい。工場労働者ならば上の人の指示に従って、みんなで団結して改善をしていく事が出来るが、農民はそうは行かない。成功するのか?それをずっとやっていけると、どう証明するのか?天候や害虫が流行るかどうかにもよるし、これは難しい。
有機栽培は手間隙がかかるし、販売先を確保しないと、幾ら栽培が成功しても、付加価値を付けて本当に売れるのかどうか? ベトナムのこれからの経済状態にもよるだろう。生きて行くのが精一杯の人が買うわけはないから、健康に気を使える、ある程度余裕のある人達が増えないと、どうしようもない。(ちなみにここではベトナム人で有機野菜で商売しようと計画している人がいて、流通にも詳しそうだった。)
やはり日本人の税金が使われているわけだから、時間がある人はここも訪れてみてはどうか。私が会ったJICAの人は良い人だったし、ここで働いているベトナム人も良い人だったので、色々と説明してくれるだろう。 -
ホープセンターの人達がA Luoiというラオスの国境に近い村に調査をしに行くと言うので一緒について行かせて貰った。
ア・ルイには民族っぽい建物が建っていたが、北部の少数民族の建物とは違う。猿がこの辺に居るのか、そんな感じの彫刻が沢山あった。 -
乗り合いバスのような車で行ったのだが、運転の仕方は殺人的だった。何回人を殺しそうになったことか。一緒に行ったボランティアのフランス人も顔を引きつらしていた。
そして普段バイクにしか乗らないベトナム人は乗り物酔いになりやすいのか、ゲロを吐いていたのであった。 -
この殺人マシーンにもナンバープレートの所には線香立てが付いていた。
ベトナムの仏教は何のために祈るのか? -
この建物は、今は使われていないが、以前援助でここらに住んでいた人達が働ける場所を造るということで建てられたものらしい。
-
なんと沖縄県の人達であった。
これを見ると2006年だ。それほど昔ではない。
ここ以外にも沖縄の人達の援助団体や個人の人と会った事がある。やはり沖縄からB-52が飛んで行ってベトナムを攻撃したのが、関係しているのか。 -
台風でやられてそれ以来、倉庫としてしか使われていないそうだ。
もったいないが、「お金があれば直して使いたいんだけどね〜」という事らしい。
この織機はかなり大きく、これが使えれば絨毯ぐらい織れそうだ。 -
という事で今は各自持ち帰り、家で小物を織っているとの事。
これが基本のスタイルで、機械を使わないので自分の足で引っ張りながら織っている。 -
足が厳しい状態だ。
-
ベトナム人はどのくらいの生活レベルが“貧しい”と言うのだろうか?
キューバでは家に所謂白物家電がない、床が土間、などが貧乏人だった。一般家庭でも、トイレでは新聞紙でを使う。、ベトナムではカラーテレビやDVDプレーヤーがあり、携帯電話を使って、しかも家にバイクあっても「貧しいから助けてくれ〜!」と言う。でも彼らに金があるわけではない。土間だったり、屋根がぼろぼろだったり、薪で料理したりしている。恐らく金がなくても皆が持っていたりすると買ってしまうのだろう。後は、キューバもそうだけど、外国に家族がいるとか。
ア・ルイでした。 -
フエには暫くいたので、そろそろ南下をする。
ダナンでは泊まらずに、さくらフレンズカフェという所で昼飯(日本食)を食べて、少し話をするだけにしてホイアンに向かう。
さくらフレンズカフェにも日本の原発輸出に反対の人がいたので、色々と情報交換をした。 -
収穫の時期だ。道路は使ってOK。
-
暫く走ると舗装状況が良くなった。
さすがハノイ人とは違う。 -
何故だか水が噴出している。上の端はHai Van峠を貫くトンネルへ行く道。バイクは通れないと言われた。
-
海が綺麗だ。北の方の海は汚染されているのか、何なのか、濁った海ばかりだったような気がする。
-
西伊豆を走っているようだ。
-
Hai Van峠頂上。昔は色々な軍に見張り台として使われていたらしい。
-
ダナン方向。
-
ホイアンに到着。とりあえずこの橋を写真に撮る。
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サパと同じぐらい欧米人がいるから風情はない。
-
ホイアンからMy Sonに行く途中の・・・この形は?
-
朝早かったせいか殆ど人はいなかった。
遺跡は一番乗りがよい。 -
-
これが一番気に入った。ガッツポーズとっている。
ベトナム人の子供みたいでかわいい。 -
-
丸い文字だ。ミャンマーがこんな感じだったと思った。
ベトナムが15年たってこれだけ変わっていると、ミャンマーも相当変わっているんだろう。 -
看板が至る所にあるから迷う事は無さそうだ。
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蓮の花は沢山見たけれども、まじまじと写真に撮ったのは初めてだ。
綺麗なもんだ。 -
女の人も肉体労働が、社会主義では基本。
キューバもUSSRもそうだった。
でもこんな所だけ社会主義? -
米の収穫時期もバイクは大活躍。
次々に運んでいく。 -
ホイアンからさらに南下して、大虐殺があったSon My村に行く事にする。
小さいながら標識があった。 -
ソンミ村だけれどもMy Laiと聞いた方が道を教えてくれる場合がある。
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入場者は誰もいない。
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博物館内。
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これはヘリコプターに乗っていた良いアメリカ人。
虐殺を途中で止めたらしい。ちゃんとその事を博物館で書いてあるのがベトナム人の偉いところ。 -
そしてこちらが虐殺した悪いアメリカ人。
ラテンアメリカ系もいる。 -
アメリカ軍はちゃんと調査にやって来た。
日本軍は南京大虐殺の調査に行ったのか?
何故日本政府は情報を集めたり、きちっとした記録を取る事をしない?
原発事故の時もそうだ。だから何時までたっても歴史から学ばないし、物事をはっきりさせられない。 -
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外には当時の様子を再現した家などがある。が、これはないだろう。
笑ってしまうではないか。 -
これが入り口。
ノートにはちゃんと誰かが訪れた記録が残っているが、訪れる人は少なそうだ。ホイアンにいた欧米人をここに連れて来たいものだ。
DMZツアーなんて欧米人でも参加しやすいように、お茶を濁してある。 -
でも、今は平和。
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さらに南下すると気持ちの悪いスタミナドリンクが売っていた。
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タツノオトシゴだ。
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なんだ、道がベコベコだ。この轍は酷い。
せっかく今まで褒めていたのに。 -
Phan Rangの Ho Phonホテル。270000ドン。
す晴らし。言う事無しのホテル。
書くの忘れていたけれども、この前の日はクイニョンに入る手前のDieu Triの交差点にある、おんぼろNha Nghi風Khach San Lac Hong,150000ドンに泊まっていた。 -
ここから日本政府とベトナム政府が原発を建設しようとしている村を目指す。
この辺は漁村が多いし、エビの養殖、塩田も沢山ある。 -
そしてなぜかサボテンと・・この花なんだったけ?
家の母親が好きな花だ。 -
ブドウ畑だ。
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海ガメを守ろう! WWF!!
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原発が造られれば、こんな発展した町になりますよの図。
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道の拡張工事は進んでいる。
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これがその予定地。Thai An村だ。
この辺の人に聞いても、「あーこの辺だよ」としか教えてくれなかったりする。何処かの記事でビンハイ村とか書かれていたが、間違いではないのか?
ちなみにここにはVinh Hy村とVinh Hai村と二つある。ベトナムに殆どいたことのない新聞記者が2〜3日の取材で記事を書くとこうなる。本当はここでもちゃんと声調記号を入れないといけないのだが、まあしょうがない。ベトナム人でも携帯電話でメッセージを送る時は面倒だから記号無しで送っている。それでも分かるそうだ。私の悪い発音は全然分からないくせに・・・。 -
これが予定図。
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手前には関係なく海草売り場になっている。
この村に悲惨さはない。普通にのんびり暮らしている。今現在、家を建設中の人までいる。もちろん反対運動なんてやっている人達はいない。 -
海岸に出ると、そこはこんな感じだった。
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珊瑚があるようだ。
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こんな所に本当に原発を造るのだろうか?
国立公園内でしょう?
JICAも原発輸出推進に役立っているそうで、だからJICAは//だと言われる。
ちなみに他の外国人のボランティアや支援団体に聞いても、JICAは駄目だと言う人が多い。実際に世界でやっていける人を送り込んでいないのだ。
「お仕事ですから」だって?彼らはベトナムの事なんて全く真剣に考えていない。(一部を除くと一応書いておこう) -
今までのベトナムとは少し違った景色がある。
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Thai An村から先に進んだ所にあるVinh Hy村。この村で本来は道が行き止まりなのに、北の方に抜ける道を山を削って造っている。
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こんな綺麗な山と川があるのに。
確かに、これからのベトナムにはもっと電力が必要になるだろう。しかし、ベトナムに居れば直ぐに気づく事だが、彼らに決まりを守らせるのは無理だ。“ルールってなあに?”というレベルだ。この事はベトナムをバイクで何ヶ月か旅をしてみれば身をもって納得するだろう。生きていればね。
(こんな事を書いて言うのもなんだけども、それでも私はベトナムが好きだ。) -
絶望への道。
ベトナム。
外国人の私がどうのこうの言ってもしょうがない。
ベトナムはベトナム人の国だから、自分達で決めてくれ。
ただ、日本では日本人が何かをすべきだろう。福島があれだけの事になっているのだから。 -
そして、この人達の事も忘れてはならない。
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ここから番外編。
ラオスにベトナムのビザを更新しに行った。
更新と言っても新しく取る事になるのだが、ベトナム国内だと3ヶ月で$190ぐらい費用がかかると旅行代理店に言われ、しかも3週間ぐらい待たないといけないらしい。だったらラオスに一回出ようと思った。
ラオス(Savannakhet)行きのバスはフエの南バスターミナルから出ていて240000ドン。毎日朝の8時出発で、チケットは前の日に買えた。
エアコン付きのいいバスだった。 -
バスは2時間後にDong Haで少し休憩して12時ごろLao Baoの国境に着いた。
ベトナム側のイミグレ。
それほど混んでなく、20000ドン払って直ぐ終わり。 -
バスは暫くするとラオス側に行ってしまうが、ちゃんと待っていてくれる。
ラオス入国は窓口右側でパスポートに20000キップ挟んで渡すと青い紙をくれる。それと一緒に左側の窓口に提出すると入国カードをくれるので、それに記入して提出すればOK。
本当の事は分からないけれども、ベトナム人が皆そうしていたからそうした。
注意!両替は前もってしておこう!
ちなみに私は両替していなかったので隣の席に座っていて仲良くなったベトナム人が20000キップを払ってくれた。もちろん後からドンで払うと言ったのに受け取ってもらえなかった。こんなベトナム人も存在するのだ。 -
ラオスのSavannakhetには夕方5時半ごろ到着。
宿は最初はバス停近くの高いホテルに泊まってしまったが、Leena Guest Houseは90000キップで英語も話せる人が1人いたのでこっちに移った。 -
ベトナム領事館。
3ヶ月のビザは$106で次の日に、$116でその場で発行。
ここでも本当の事は分からない。でも、人は親切で混んでもいなかったし、15分ぐらいで終わったから、よしとする。 -
これがサバナケットのバスターミナル。帰りはケサンで友達に会う予定なので、国境までのバスに乗った。
朝7時出発でバスが到着しだいチケットを売ると言われた。40000キップ。 -
ローカルバスはもちろんエアコンなしで、荷物沢山。ボロくて雨水が上から漏れてきていた。
-
結局2回故障して、溶接してもらった。道が悪くてラジエーターを固定していたボルトが飛び、クーランとが漏れてオーバーヒート。ラオバオに付いたのは3時ごろになった。
バスターミナルからイミグレのあるラオバオ国境間ではバイタクで行き、10000キップイミグレで払い出国。ここは混雑していた。ベトナム入国は5000キップか10000ドンでOK。何故か混んではいなかった。
今回もベトナム人に聞いて手続きしたので、本当の事は分からない。まあ、ベトナム人と同じお金を払っているから、それより安いという事はないのではないかと思う。
ラオバオでは270000ドンでキレイでマトモなホテルに一泊した。 -
こちらはケサン到着後、友達の家で無事に食事。
ラオバオからケサンまでは乗り合いバスがしょっちゅう出ていて問題なし。10000ドンぐらいだったかな?本当はもっと安そうだ。 -
そして次の日。
せっかくケサンに着いたのに「それじゃあ、これから皆でラオスに飯でも食べに行こう!」だって。えっ?
そりゃこの辺に住んでいるベトナム人やラオス人はパスポート無しで国境を行ったり来たり出来るみたいだったけど、俺は無理でしょ?
「大丈夫!あそこで働いている人は皆友達だから」
そして車でベトナムイミグレを突破して、続いてラオスイミグレも問題なく通過。飯食べて記念撮影してケサンに無事帰りました・・・。 -
ケサンからフエまでは乗り合いバスで行った。恐らくこのバスは14人乗りぐらいだろうが、なんと28人乗り込んだ。値段が60000ドンで安かったからよかったが、やはりバイクでの旅が一番良い。1時少し過ぎに出て、4時過ぎにはフエに着いた。
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