2005/05/24 - 2005/05/30
31位(同エリア103件中)
玄白さん
かなり前の旅行記録です。出張のついでにチョッピリ観光して来ましたので、写真をアップします。
出張先は旧東ドイツ領ワイマールです。今回の旅のキーワード人物はゲーテでしょうか。観光ガイドブックによると、フランクフルト〜アイゼナッハ〜ワイマール〜ライプチヒを結ぶルートはゲーテ街道というネーミングになっているようだ。
概略日程は以下の通り。
5/24 成田→フランクフルト フランクフルト泊
5/25 午前中、フランクフルト市内観光 午後 IC特急にてワイマールへ
5/26〜27 ワイマールにて仕事(会議)
5/28 会議メンバーでイエナへエクスカーション
5/29 フランクフルトへ移動、途中下車してアイゼナッハ半日観光 夕方 フランクフルト→成田(翌日着)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月25日
フランクフルトはいつも空港で国内線や鉄道に乗換えるだけで、市内に入ったことがなかったのだが、今回初めて市内に足を踏み入れてみた。この都市は、大陸欧州の金融とビジネスの拠点というイメージが強く、観光という点ではそれほど魅力があるところは少なく、半日もあれば主だったところは見て回れる。
中央駅そばのホテルからブラブラ20〜30分歩くと市中心部にあるレーマー広場に至る。 -
旧市庁舎。レーマー広場に面している。普段は中に入れるがこの日は何かのイベントがあるらしく、観光客は入れなかった。
ヨーロッパの都市の作りはいずこも同じで市の中心部に広場があり、広場に面して市庁舎、教会、貴族の豪邸が立っている。金融都市フランクフルトの歴史は以外に古く、紀元100年頃にはローマ人の軍事拠点があった。8世紀末にはカール大帝がここでフランク王国の諸侯会議を開きフランク王国の結束を図ったと歴史書にある。歴史上、唯一大陸ヨーロッパが一つの国家だった時代だ。 -
これもヨーロッパの古い建物ではよく見かける飾り。正式には何というのかな?
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広場をはさんで市庁舎の反対側にある建物の木組みの幾何学模様が美しい
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ニコライ教会。1200年前、国王のチャペルとして建てられたとあるが、ずいぶん新しいように見える。定期的に修復されているのだろう。第2次世界大戦でも破壊を免れたという。
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マイン川のほとりをしばし散策。ヨーロッパの川はダムがないので、どの川も水量が豊かだ。
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再び、レーマー広場を通ってゲーテの生家ゲーテハウスへ。
ゲーテの父親は皇帝顧問官、母はフランクフルト市長の娘だったため、ゲーテ家は名門中の名門、4階建ての豪邸だ。ここも第2次大戦で破壊されたが、戦後、復元されたのだそうだ。ドイツやポーランドでは、行政や市民の努力によって、歴史的建造物を復元した例がいくつもある。 -
ゲーテ博物館からゲーテハウスに入る途中の中庭。小さな庭園だがよく手入れされている。
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イチオシ
赤の間と名づけられたゴージャスな部屋。貴賓を招いたり家族の重要なイベントを開いた部屋だという。
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青の間。ダイニングとして使われていた部屋。壁紙の青がかった色は当時の流行だったようだ。
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台所。当時の調理道具がそのままに保存されている
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これは鍋? or ケーキ型?
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3階の廊下に置かれている天文時計。18世紀中ごろに作られた仕掛け時計で今も動いている。時針だけでなく、月の満ち欠け、太陽や星座の位置を表示する窓が文字盤の両脇についている。
現代では最先端の精密機械工業は日本がトップを走っているが、明治、大正、昭和の近代日本が師と仰いだドイツの精密機械技術の源流を垣間見た思いがした。 -
図書室と銘打った書斎。蔵書数は2000冊ほど。
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フランクフルトの古地図が壁に架かっている
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これは、ゲーテの妹コルネリアの部屋だったか? (記憶あいまい)
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黄色の間。
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黄色の間に架かっているゲーテの肖像シルエット
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午後、IC特急にて2時間半ほどでワイマール駅に到着。駅舎は、ヨーロッパの大都市の駅のような重厚さはなく、明るくこじんまりしている。
ホテルは駅前のカイザリン・アウグスタホテル。明日から2日間、このホテルに缶詰になり、会議会議の毎日だ。 -
町の中心部は駅から離れていて、歩くと20分ほどかかるが、バスが頻繁にでているので、不便さは感じない。
町中心部のシラー通り。ワイマールは人口6万人ほどの小さな地方都市だが、ゴミ一つ落ちていない石畳のきれいな町である。 -
シラーの家。1802年にシラーはこの家を購入し、亡くなるまで、ここに住んでいた。ここで戯曲「ウィリアム・テル」が執筆された。
ゲーテの家に比べると、質素な邸宅だ。 -
マルクト広場
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観光馬車が町の中心部を巡っている。
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市庁舎。マルクト広場に面している。
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クラナッハの家
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ゲーテの家。1782年から「もっと光を!」と言って息を引き取るまで50年間、ここに住み、代表作「ファウスト」をはじめ多くの文学を生み出した。
時間がないので、外からざっと眺めただけで終わり。ホテルに戻って明日からの会議の下準備をしなくてはならない。 -
ゲーテハウス中庭
ゲーテの家、国民劇場など歴史的建物群を含む町全体がドイツ古典主義を体現しているとしてユネスコ世界遺産に登録されている。また、これとは別にバウハウス関連の建築物が別の世界遺産として登録されている。2つの世界文化遺産に登録されているという文化と歴史の街に4日間も滞在しているのに、これらの文化遺産をじっくり見て回ることもなく、駅前のホテルで会議に明け暮れているというのは、出張仕事とは言え、なんとも口惜しいことであった。会議終了後、街中に出て行っても見どころは全て閉館! 27日の夜、運よくチケットが手に入り、国民劇場でシェークスピアの「オセロ」を見ることができたのが、せめてもの救いだ。チケット代はいくら払ったか忘れてしまったが、驚くほど安かった記憶は残っている。 -
5月28日
会議参加メンバーでイエナへバスでエクスカーションに出掛けた。参加者は日本、ドイツ、フランス、イギリス、スイス、アメリカ6カ国。添乗員役は、地元ドイツのDIN(ドイツ規格協会)職員のE.Le○○○○rさん。今回の会議の事務局を努めている優秀な方だ。 -
町の中心部エンゲル広場近くのゲーテギャラリーというショッピングアーケード。アーケードの真ん中にプラネタリウムが展示されている。
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もちろん、これはカール・ツァイス社製。そう・・イエナは世界的光学器械メーカーであるカールツァイスの企業城下町なのである。
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光学博物館。各年代のさまざまな光学器械、技術発達史を展示する博物館。カメラマニアにとっては、興味が尽きない博物館である。残念ながら、内部は撮影禁止となっている。
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光学博物館の前の通りをはさんで反対側にあるアッベ廟。
エルンスト・アッベというのは、カール・ツァイスと組んでツァイス社を世界的光学器械メーカーに育て上げた科学者&実業家である。ツァイス没後、その財産を譲り受けたが、それを資金にして会社、イエナ大学、イエナの町の行政の共同体として、企業の利益配分をするカール・ツァイス財団を設立し、労働者の福利厚生にも力を入れ、1900年には早くも8時間労働制を導入するなど、当時としては、画期的な経営をした人物である。科学者としても光学・精密工学分野で大きな功績を残している。 -
アッベ廟の中に安置されているエルンスト・アッベの銅像
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イエナの町の城主、カール・ツァイス社。2005年はアッベ没後100周年ということで、町をあげてお祭り気分を盛り上げている。
もちろん、その主役はカール・ツァイス社である。 -
会社の中を市民に開放し、各種イベントや市民向けの工場見学をやっている。
今回のエクスカーションの目玉は、このカールツァイス社の工場見学である。DINの力添えで、一般市民が立ち入ることが出来ないところも見せてもらうことができた。もちろん、写真撮影は不可であるが・・・ -
工場敷地の一角に舞台を設え、ブラスバンド演奏やら合唱をやっている
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5月29日 帰国の日
フライトは夕方なので、朝8時半頃にワイマールを発って、アイゼナッハで途中下車して半日観光を楽しむ。およそ、1時間でアイゼナッハ着。荷物をコインロッカーに預けていざ町の中へ。
まずはヴァルトブルク城をめざす。
旧東ドイツ領の小さな町なのに、案内標識に日本語表示があるではないか!
移動手段は少ない本数のバスしかないが、うまい具合に10分ほどでバスに乗り、城の入口へ。 -
イチオシ
山上に築かれたヴァルトブルク城。1067年に築城された後期ロマネスク様式の貴重な建造物として、1999年にユネスコ世界遺産に登録されている。
ここの宝物が一般公開されるようになったのは、200年前、ゲーテの尽力によるものだそうだ。ここにもゲーテが登場する。 -
城門のアーチをくぐり、城の中へ
城は奥の方が石造り、手前が木造りの建物になっている。19世紀に大規模な改装がされたという。 -
奥の塔の上から眺めた木造の建物。城の周りにはチューリンゲンの森が広がっている
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城内部の部屋を見学するためには、ガイドツアーに参加しなければならない。
ツアー入口で30分ほど行列に並んだ。 -
ガイドはドイツ語なのだが、日本語のガイドパンフレットをもらえるので、それを見ながら見学。
エリザベートの間。
他の部屋はわりと質素な部屋なのだが、この部屋だけは華麗な文様が壁、天井に描かれている。エリザベートはハンガリー王家の娘だったが、13世紀はじめに4歳で妃候補としてヴァルトブルク城にやってきた。14歳の時にルードヴィッヒ4世と結婚。しかし、夫が若くして亡くなったあと、彼女は幼い子供と引き離され、姑や権力者により城を追放されてしまう。その後フランシスコ会に入会し、病院を設立し自分も貧しい生活を送りながら病人のために尽くすなど慈善活動に打ち込み、24歳でなくなった。その後聖人に列せられたという。 -
歌合戦の間。ワーグナーも彼の歌劇で取り上げたタンホイザー伝説の歌合戦の舞台である。中世の騎士たちは武芸だけでなく、詩作やその吟詠にも卓越した人物が大勢いて、ここで領主の前で歌を競い合ったという。
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歌合戦の様子を描いたフレスコ画
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城主の寝室、キッチンほかいくつかの部屋を巡り、ガイドツアー最後の祝宴の間へ。
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門に近い方の木造の建物。木組みの幾何学模様がきれいだ。
このなかに、ルターがこもって新約聖書を翻訳した部屋がある。 -
ルターの部屋。小さな質素な部屋だ。宗教改革をカトリックにより異端とされ、ルターはここで、当時の城主フリードリッヒ3世の庇護を受けて新約聖書のドイツ語翻訳をしていた。
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奥の塔の上から中庭を見下ろす。大勢の観光客がガイドツアーを待って行列している。
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城の中庭にある龍の井戸
この後、城のとなりにあるアウフ・デア・ヴァルトブルクホテルのレストランで、チューリンゲン焼きソーセージとビールの昼食を摂り、アイゼナッハ市中心部へ移動。 -
途中で、ギムナジウムの建物を何気なく見ると、玄関の上に「エルンスト・アッベ ギムナジウム」とプレートがかかっているではないか。このギムナジウムは、かのアッベ大先生が基金を設立して作ったものらしい。
ギムナジウムとは、大学進学を目指す子供達の中高一貫教育を行う学校である。 -
玄関の脇にアッベのレリーフが置かれている。
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市中心部のマルクト広場に戻ってきた。広場に面する宮殿はザクセン侯爵の居城。現在はチューリンゲン州の博物館になっている。
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ニコライ塔。ここのアーチをくぐって先に行くと駅に至る
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アイゼナッハ市庁舎
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ルターの家と呼ばれているこの町最古の木組みの家。ルターは学生時代の1498〜1501年の3年間だけここに住んでいた。あまり、興味は湧かなかったので中に入らず、外観を眺めただけ。
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次に訪れたのはバッハハウス。
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バッハの銅像。CDジャケットや音楽の本に出てくるバッハの肖像は、この銅像がオリジナルかな?
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一階は小ホール、2階が展示室になっていて、バッハゆかりの品が展示されている。
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バッハ自筆の楽譜。曲名は??
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バッハ家の家系図
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バッハのバイオリンだったかな?
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イチオシ
裏庭から見たバッハハウス
町中の行き先表示板に日本語の案内が書かれているほどなので、さぞ、日本人観光客が多いかと思いきや、バッハハウスを訪れたときは、だれも観光客はおらず、バッハハウス全体を独り占めした気分だった。
記念に「ブランデンブルク協奏曲」のCDを買い求め、駅に向かう。
ワイマール、アイゼナッハともに、文化薫る静かで落ち着いた雰囲気の小都市だ。いずれ機会があれば、仕事抜きでじっくりドイツ文化の源流に浸るために、再訪したいものである。
夕刻、JAL便にて帰国
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