1991/05/20 - 1991/05/25
21位(同エリア89件中)
がおちんさん
貴州省・黔東南苗族侗族自治州黄平県にある飛雲崖では、農暦の4月8日に「四月八」という苗族の祭りが行われます。
1991年当時、黄平は未開放で外国人は行くことができなかったのですが、中国人のふりして見に行きました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス ヒッチハイク 徒歩
-
1991年5月20日(月)
黔東南の旅も10日目。
今朝は施秉からバスに乗り、黄平に着いた。
黄平では革家人の姿を多く見かける。
明治35年10月11日、施平城(施秉)を出発して黄平に向った鳥居龍三は『中国の少数民族地帯をゆく』(朝日新聞社)の中で、「この辺の女子はみな白布をもって頭を包み、その余りを頭の周囲に巻きつけ、ちょうど大黒頭巾を被った形である」と記述しているが、それは革家人の女性だったのかもしれない。 -
黄平から飛雲崖にやって来た。施秉から直接来なかったのは理由がある。
当時、黄平県は未開放でパーミットも取れず、宿に泊まれば公安に知られる可能性が高かった。貴州の公安はチェックが厳しく、見つかれば祭りが見られなくなる恐れがある。一人旅なら野宿もできるが、女性を連れては無理だった。
凱里で出会ったPさんが黄平の出身だったので、彼から地元の人を紹介してもらい、宿泊場所を確保してもらえるようお願いしたのだ。 -
Pさんと地元の人の協力により、飛雲崖の小学校に2日間泊まらせてもらうことになった。
私は教室の机の上で、妻はミャオ族の女性と一緒のベッドで寝た。
写真は、文革スローガンが残る小学校の校舎。祭りの当日、一階の教室でジミーウォングの「片腕ドラゴン」が上映されたので懐かしく観たが、拳に焼きを入れるシーンで停電になり、上映中止になってしまった。残念。
この頃は王羽の映画がDVDになるなんて考えもしなかった時代なので、傷だらけのフィルム上映に感動した。何よりも地元の農民が真剣にスクリーンに見入っていたのが印象的だった。こんな田舎の苗族にも人気があるなんて、やっぱりジミーさんは偉大だ(笑)。 -
明代に建てられたという月潭寺の牌坊。
赤を底色とした彩色の図案は、中国の牌坊でも珍しいという。
飛雲崖の建物は1443年から建築が始まったとされ、仏・道・儒の三教が合した芸術性を持つとされる。
高さは9.5メートル、幅は9メートルある。 -
飛雲崖の傍らには明清時代の街道だった「湘黔古驛道」があり、雲南やビルマとの交易にも使われたという。
鳥居龍三も、『この道は雲南と貴州との連絡する重要な街道であるから、駅馬の鈴の音が喧しいほど頻繁で、馬子の謡う俚歌の声と共に、そぞろに日本の古駅次の情調が追想される』と記している。
不思議なのは、鳥居も施秉(施平)から黄平に至っているのに、飛雲崖に関する記述が無いことだ。よく調べてみると、五里墩から楊柳塘を経由しているので、南に迂回して黄平に向ったらしい。もし彼が飛雲崖に寄っていたら、月潭寺の牌坊や黔南第一洞天のことを記していたに違いない。
写真は「黔南第一洞天」の前で人民的ポーズを取る私。飛雲崖に滞在中は中国人のふりをしなくてはならなかった。 -
1991年5月21日(火)
今日は「四月八」の祭りの日。
小学校の2階のベランダにて、レンズの掃除をする。 -
朝、人もまばらな飛雲崖。
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屋台を出す人たちが集まってきた。
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だんだんと賑わってきたぞ。
よし、私達も出撃。 -
店番をしていた女の子。
タバコやビール、ビスケットやジュースなどを売っていた。 -
こちらは犬鍋屋。
調理前の犬がつながれているという光景は、慣れないとかなりヘビーだ。
しかし、豚だろうが牛だろうが鶏だろうが同じこと。
中国に住んでいると、我々は他の命を奪って生きていることに気づかされる。 -
貴州省の犬鍋は有名。
ご馳走なので祭りにはつきものだ。
穴を掘ってかまどを作り、薪で火をつける。
あっという間にグツグツ煮えてきた。
苗族はキャンプの達人だなー。 -
魚やイカの活き造りを見て美味そうだと思う日本人がいるように、さばかれる犬を見て美味そうだと思う苗族もいる。
そういう食生活であり、習慣なのだ。
どっちも正しい。 -
祭りの開始を待つ、苗族の人たち。
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青を基調とした服に、丸い帽子を被っているのが黄平の苗族だ。
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こちらは革家人の人たち。
※当時、革家人は苗族の支系に分類されていました。しかし彼らは独自の言語、伝統、服飾などをもっており、苗族とは全く違う民族だと主張し続けてきました。
2003年8月に、ようやく彼らの身分証は苗族から革家人に変更されました。また、2021年の研究では、革家人は周辺に住む民族とは異なるDNAをもっており、黄河流域の遺跡から出土された5000年前の古代人の遺伝子型と同じだったそうです。そして科学者がDNAデータをマッピングしたところ、中原から貴州東南部への移動ルートが、古代より革家人に伝わる歌の記述と完全に一致したということです。 -
革家人女性の頭飾りは年齢層によって厳格に決められている。
少女は太陽帽をかぶり、弓型の頭飾りに銀の矢(簪)をさしている。
既婚女性は月の帽子をかぶる。
中高年の女性は月の帽子や頭巾を巻いている。
曾祖母になると矢を外す。 -
頭飾りの弓と矢は男女関係を表しているそうだ。
妊娠可能な女性のみ、弓型の頭飾りをつけることができるという。 -
革家人の娘さんと記念撮影。
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ミャオ族の子供。
刺繍された民族服が見事だ。 -
泥人形を売るミャオ族のおばあさん。
いろんな動物の形があり、どれも笛になっているのだ。 -
苗族の泥人形。
猫、豚、鶏など、どれも可愛い。
お尻の穴を吹くとピーッと鳴ります。 -
会場は人であふれてきた。
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と、ここで事故が発生。
人が集まりすぎたせいか、木が突然に倒れたのだ。
けが人も出たが、幸い軽傷で済んだ。 -
月潭寺の牌坊の前で、苗族の踊りが始まった。
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続けて蘆笙による合奏。
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これがすごい迫力。
特に右端の女性が出す「ブオーッ」という低音にびっくり。
こんなに大きい音が出るとは思わなかった。 -
演舞をするのも、それを見るのも地元の苗族。
祭りは、そこに住む者達のためにあるんだよな。 -
来客から金を取るような観光化された祭りや、大イベント化された祭りはつまらない。
規模は小さくても、目の前で皆が楽しんでいる祭りがいいな。
やっぱり中国の旅は未開放の地域にこそ魅力がある。 -
娘さん、演舞に釘付け。
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玉の汗を流しながら熱演する。
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それを見守る地元の子供。
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いよいよクライマックス。
蘆笙の演奏は相当な肺活量が必要だろう。 -
演舞が終わり、汗を拭く。
娘さん達の嬉しそうな顔が印象的だった。 -
1991年5月22日(水)
四月八の翌朝、黄平から凱里に向う。 -
凱里の苗族は素敵な髪型をしている。
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苗族おばさんの竹製傘ホルダー。
これなら両手がフリーになるね。 -
1991年5月23日(木)
凱里では苗族のPさんに会い、飛雲崖の小学校に泊まらせてもらったことの報告と礼を告げた。
年末にまた会う約束をして、バスで貴陽に向った。 -
貴陽ではピカピカの貴州飯店に2泊した。
値段は一人80元と高めだが、快適性からいえば安すぎるほどだった。
でも、一泊3元とかの田舎の旅社も味があって好きだ。
どちらも体験できるのが中国旅行の魅力だろう。 -
黔霊公園にて。
地元の人と同じように、私達もゆっくりくつろぐ。 -
1991年5月25日(土)
貴陽から夜行列車(硬臥)で昆明に帰る。
15日間に渡る貴州省の旅が終わった。
のどかなサムイ島〜タイ国の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10677294
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