2012/05/02 - 2012/05/07
31位(同エリア250件中)
国電さん
■はじめに
フィリピンの鉄道の歴史は長く、その嚆矢は1892年、マニラからダグパンまで(195キロ)の開通である。これは日本の鉄道(新橋から横浜までの正式営業)から遅れることたった20年後の出来事であり、ここからもその歴史の長さが感じ取れるであろう。
しかしその後の歴史は、あまり芳しくない。第二次世界大戦までは各路線が開通したものの、その後は大事故や大災害(火山噴火や台風)により、一時期はその路線のほとんどが運休に追い込まれてしまっていた。
しかし2011年6月、久々に南方線のナガ(Naga)までが再開し、歴史ある長距離列車「ビコール・エクスプレス」が復活したのである。しかも、使用している車両はJRの寝台特急「北陸」として活躍していた車両である。これは、乗りに行かねばなるまい。
しかし、旅程の作成は難儀を極めた。インターネットで切符の予約決済ができる台湾や韓国と違い、時刻表すら確認がままならないのである(2012年3月頃に、それまで死んでいたフィリピン国鉄(PNR)のホームページが復活したので、そこから最低限の情報は得ることができたが)。そもそも、鉄道に関する情報が、旅行ガイドブックなどにほぼ皆無なのである。言い換えれば、普通の旅行者が乗るべきものではない、ということなのであろう。
無い袖は振れないため、インターネットを駆使して個人ページから情報を漁っていった。とある日にふと行き当った井上氏のホームページ「Asian Railway Plaza」が、情報量・質ともに最良で、ここから様々な情報を得ることとなった(さらには、フィリピン到着後にも色々と問題に行き当ったため、こちらの掲示板で様々な指示を頂いたりした)。
マニラからナガへ行くだけでは一晩で終わってしまうため、フィリピン到着の翌日と翌々日は、パナイ島のイロイロへ行くこととした。パナイ島のロハスからイロイロまでは約30年前まで鉄道が走っており、かの著名な鉄道紀行作家である宮脇俊三氏も、この路線の一部に乗車している(『椰子が笑う 汽車は行く』所収)。この鉄道の廃線跡も、少しだけ辿ってくる予定である。
*主な旅程
5月2日:成田→マニラ(JAL)。トゥトゥバン(Tutuban)駅へ行き、長距離列車の切符を確保。マニラ泊。
5月3日:マニラ→イロイロ(セブパシフィック航空(CEB))。パナイ鉄道廃線跡探索。イロイロ泊。
5月4日:午前はイロイロ市内探索。午後、イロイロ→マニラ(CEB)。トゥトゥバンへ行き、ビコール・エクスプレスに乗車。車内泊。
⇒【現地で旅程変更】イロイロ→マニラ(CEB)、マニラ→ナガ(CEB)。ナガ泊。
5月5日:ナガ市内探索。午後、ビコール・コミューターでシポコット(Sipocot)往復。夕刻、ビコール・エクスプレスに乗車。車内泊。
5月6日:早朝、トゥトゥバン到着。コレヒドール島1日ツアーに参加。
5月7日:コミュータートレインでアラバン(Alabang)まで往復し、午後の便で成田へ。
@ナガ駅にて
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
-
■2012.5.2
午前中のJAL便で、マニラのニノイ・アキノ空港へと向かう。この空港はワーストランキング関係で常に上位を伺う空港であり、その評判はあまり芳しくない。ぼったくりや窃盗はまだ可愛いレベルで、殺人事件なども珍しくない話として伝わってくる。私にとってもこの空港からのタクシー利用が難関となっており、色々考えた結果空港専用のイエロータクシーを使うことにした。
並ぶこともなくタクシーに乗ることができ、運転手も気の優しそうな人に当たった。最初はあれこれ英語で会話をしていたが、そのうちにどうしても理解できない部分があり(双方の英語力の問題)、すると運転手は「デハ、ニホンゴデ」と話し始めた。以前東京に住んでいたことがあるということで、一番心配していた空港タクシーで最良のドライバーに当たったと言えるだろう。
パサイ市北部の予約してあったホテルに荷物を置き、歩いて10分のところにあるPNR(フィリピン国鉄)のブエンディア(Buendia)駅へと行く。ここからコミューターに乗ってターミナル駅のトゥトゥバン駅まで行き、明後日以降のビコール・エクスプレスの切符を手配する予定である。
@フィリピン初切符(10ペソ=約20円) -
ほどなくしてやってきた韓国製のディーゼルカーであるが、まだ夕方のラッシュ前(午後4時頃)だというのに、もうすでに超満員である。次の列車まで30分あるため、とりあえずこれに乗車しなければならない。
@反対側はそれなりの乗車率のよう -
すし詰め状態の車内に潜り込んで耐えていたが、途中駅のエスパーニャ(Espana)駅である程度の乗客が降り、なんとか苦境は脱することができた。
40分弱でトゥトゥバンに到着し、窓口(といっても1つしかないが)へ行き、5月4日のナガ行切符を購入しようとする。しかし、帰ってきた答えは意外にも「ない」というものであった。キリスト教徒が大半を占めるフィリピンでは4月にホーリーウィークがあり、その季節は列車も満席になるが、特に国民的行事もない5月に満席とは理解し難い。しかし、何度聞いても答えは同じであり、「次、空いているのは6日発」というものであった。
@トゥトゥバン駅前にあるダグパン号 -
切符がないのでは仕様がない。すぐにホテルへ戻り、無線LANを使用して代替案を色々と検索をする。ナガ行の夜行バスがすぐに思いついたが、その乗車場所や系統や運行会社を調べるのに難儀を極めた。
いったん検索を止め、近くのスーパーやショッピングモール、チェーン店などで夕食を買いあさる。チェーン店で買ったバーベキューなどだけでは足りないと思い、スーパーで135ペソ(約270円)のローストチキンを買ってみたら、1匹丸ごとであった。物価の違いを実感する。
@こんな夕食(+サンミゲル4本) -
■2012.5.3
朝4時半に起き(時差が1時間あるのでいつも起きる時間)、旅程を練り始める。もう体力的に夜行バスは辛い年齢でもあるし、初めての訪問国、しかも治安のよくないフィリピンとなると、どうしても躊躇してしまう交通手段である。結局、マニラからナガまで飛行機で飛んで、ナガに宿泊することにした。LCCであるセブパシフィック航空の乗継は危険でもあるが、仕方がない。
それらの予約決済をネットで済ませてから、レストランへ行って朝食を頂く。当然、フィリピン風の朝食を選択した。
@「アドボ」を選択 -
さて、イロイロ行の飛行機は10時55分発であるため、多少の時間がある。そこで、PNRのコミューターでニコルス(Nicols)駅まで行き、そこから徒歩でニノイ・アキノ空港のターミナル3へ行くことにした。地図上では歩ける距離ではあるが、そのようなことをした旅行記はネット上にも見当たらない。しかし、昨日のイエロータクシーの親切な運転手によると、充分に歩ける距離であるという。しかも、途中には空軍博物館もあるため、そこに寄ることもできる。
7時20分頃にチェックアウトして、ブエンディア駅で待っていると、7時45分頃に近づいてきた車両は、なんと日本のJRで使用していたキハ52系ではないか。驚きつつも、意外な出会いに嬉しくなる。
@国鉄カラー -
しかし喜んだのも束の間、ホームに入線した車両内は、昨日の夕刻以上の超満員状態であった。ブエンディアでそれなりの乗客が降りたが、それでも人であふれているため、必死になって乗り込み、車両の片隅になんとか場所を見つけた。リュックを前に抱え、両手をポケットに入れて物を取られないようにする。冷房の付いていない車両のため、車内は蒸し風呂状態である。
ニコルスで降りて、徒歩で空港方面へ。高速道路を超えて行かなければならないが、方向感覚があって地図(グーグルマップの印刷で可)があれば、迷うことはないだろう。治安も悪くなく、途中までは高架道路の下を歩くため日差しもなく、ターミナル3を使用するのであればお勧めのアクセス方法である。
結局、空軍博物館までは15分で到着した。
@博物館のお目当てはこれ -
軍の施設であるため、まずはゲートでパスポートを見せて記帳をする。それから博物館に入るが、展示物の目玉は小野田少尉関係の展示である。服装や持ち物、帰国後にランクード空軍司令官宛に出した書簡などにじっくりと目を通した。
そしてもう一つの目玉が野外展示であり、なんと大統領専用機として使用されていたYS-11が保存されているのである。
@日本人にとっては愛着のあるYS-11 -
外面を撮影し、階段があったので登ってみる。前部は閉まっていたが、後部のドアを引いてみると開いてしまったため、とりあえず中に入ってみた。中央の左側には1人用座席があり、きっとここにマルコス大統領が座っていたのだろう。機体後部に行ってみて驚いたのは、飛行機らしくない化粧台があり、これは間違いなくイメルダ夫人が占領していたスペースに違いない。
@化粧台の方が面白いとは思うが、ここは素直に普通の室内写真で -
博物館を後にして、歩くこと10分でターミナル3に到着した。ニコルス駅からトータルで25分程度であるから、物好きな人は試してみてはどうだろうか。ただし、PNRの発着時刻は正確ではなく、場合によっては1時間近く待たされる可能性もあるため、空港到着時は試さない方がいいかもしれない。
カウンターで手続きをし、その後はロビーで待つ。ニノイ・アキノ空港の中では一番新しいターミナルであるため設備はよく、無線LANもあったため退屈はしなかった。外を見てみると、暑さを紛らわすためか、機体の近くで荷物を出し入れしている作業員の中には覆面姿の人もいた。
@初めてのCEB -
機材繰りの関係で、イロイロ行の便は11時20分頃に飛び立った。機内では、ちょっとしたゲーム(客室乗務員の言うアイテム(例えばサングラスなど)を真っ先に提示した人が景品をもらえる)などもあった。地図を見ながら、機内で買ってみた特製紫芋(ウベ)紅茶を飲んでみる。
@味は良いが、甘くて量が多い -
さて、イロイロ空港到着後の問題はその後の移動である。インターネットであれこれ検索したが、SMシティ(ショッピングモール)行のミニバンがあるという情報だけで、市内中心部へ行くものがなさそうである。ここは諦めて、タクシーにしようと決めた。
イロイロ空港到着後に屋外に出ると、ミニバンのカウンターが4〜5つも並んでいて、そのうちの一つにいた若い女性たちから声を掛けられた。そこで、「ハロ(Jaro)の大聖堂付近に行きたい。けどミニバンはSMシティ」と拙い英語で体よく断ろうとしたら、「ここのバンはハロに行く」と言うではないか。言われるがままにそのバンに乗り込み、料金の50ペソを支払う。
@こういうバン(到着時) -
バンの終着地点は、ハロ大聖堂のすぐ近くであった。仮にSMシティからここまで歩いたとしたら45分はかかるであろうから、大助かりであった。
さて、ここに来たのは大聖堂を見るためだけではない。この付近の地図をグーグルで拡大してみると、大聖堂の北東部から「オールド・レイルロード・ライン」という道路があり市内中心部の港まで続いているが、これこそがパナイ鉄道の廃線跡なのである。ここを探索する予定である。
まずは、大聖堂を見学する。かなり立派な建物で、装飾もすばらしくて息を飲むほどであった。
@聖堂内部 -
サングラスやタオルなどで日焼け対策をして、廃線跡の道路へと向かう。他の道路とは違い、いかにも路盤跡のような不自然な道路があるため、一目瞭然である。フィリピンで裏路地に入るのには勇気がいるが、ここはマニラとは違って治安も問題ないだろう。途中、駅か何かの施設だったのだろうか、道路わきに不自然なコンクリートが残っている部分もあった。しかし、レールはどこにも見つけられなかった。
@駅跡? -
大聖堂から歩くこと1時間と少し、LaPaz駅跡に辿り着いた。ここには旧いディーゼル機関車があるという情報を得ていたが、撤去されることなく残されていた。
@結局、イロイロで発見した唯一の鉄道遺跡 -
さらに廃線跡を歩き続け、中心部にある予約済の安宿へ辿り着いた。2千円を下回る料金だが、無線LANも使えて充分な内容である。炎天下により火照った体を、しばし休めた。
その後、港方面のイロイロ駅跡に行ってみたが、鉄道関係のもの(レールや駅舎など)は、跡形もなく消え去っていた。
@なので猫を撮影 -
もう一度橋を渡って廃線跡に行き、操車場跡方面も散策。それらしき建物の柱のようなものを発見した。
帰り際、露店でフライドチキンなどを買ってホテルへ戻る。暗くなってからは、マニラではできなかった「街歩き」である。Ledesma通り付近は露店も多く、変な譬えだが「あまり騒がしくないベトナム」のようであった(騒がしくない理由は、バイクが圧倒的に少ないから)。フィリピン名物のバロット(孵化直前の卵を茹でたもの)も売っているが、これだけは買うことができなかった。
@ということで、こういう食事に -
■2012.5.4
ホテルで朝食(小さなダイン・ナ・バグス)を済ませ、モロ(Molo)教会へ歩いていく。タクシーやジープニーに乗ってもいいのだが、やはり歩いたほうが様々な発見がある。行き交う様々なジープニー、朝食を供している屋台、その間をすり抜ける野良猫。とある家の前には飼い犬が繋がれていたが、なんとシベリアンハスキーであった。厚い体毛がかわいそうでもある(私が過去に見た最南端のハスキーは沖縄の多良間島であったが、今回はそれを大きく更新した)。
@バリカンで刈ってあげたい -
モロ教会も古くて荘厳な建物であり、建物の内部では鳥のさえずりが響き渡っていた。教会を見てからは再び歩いて市内中心部へ戻り、展示物が少なくてがっかりのイロイロ博物館を見学して、ホテルへと戻った。
@教会内部 -
昼前になり、タクシーで空港へと向かう。中華系の顔立ちをしているホテルフロントに尋ねたところ、一律350ペソであるという。その人は「念のために」ということで、ホテルのガードマンにタクシーを止めさせてドライバーのIDナンバーなども確認してくれた(ぼったくり防止のため)。
タクシーは快晴のイロイロ市内を走るが、途中で渋滞にはまってしまった。地方都市にしては珍しいと思っていたら、どうやら道路工事のせいである。それを過ぎてからは、ドライバーは平気な顔で一般道を120キロですっ飛ばして行った。
@空港到着 -
イロイロ空港は日本の円借款により新しく建設された空港で、規模は小さいが小ぢんまりと整っている。待合室の中央部は大きな吹き抜けのようになっており、解放感がある。あちこちで「チュンチュン」という鳥のさえずりが響いており、環境音声にしてはやけに臨場感があるなと思ったら、本物の鳥が建物内部に何匹も入ってきているのである。
@トリさん -
マニラ行の便が遅れてしまうとナガへの乗り継ぎができなくなってしまうが、杞憂をよそに飛行機はほぼ定刻に飛び立った。
ニノイ・アキノ空港でいったん到着ゲートに出て、再びチェックインカウンターに向かう(LCCであるため、乗継便を考慮してくれない)。乗継のインターバルは1時間40分ほどあるため、時間の余裕は充分にある。結局、ナガ行は空港周辺の混雑により、45分ほど遅れて飛び立つこととなった。
@ATR-72(機体の種類)に搭乗するのは初めての経験 -
結局、ナガ空港に着いたのは17時頃であった。小さな小さなターミナルビルを通り抜けると、「TAXI」の小さな札を持った人がわんさかといる(ナガ空港からのタクシー利用については、イロイロ滞在時にネットでかなり調べたが、有益な情報はまったく見つけられていなかった)。彼らが正規なのか非正規なのかわからないので、そのうちの1人に聞いてみると、有無を言わせず車の方へ案内させられてしまった。彼は何やら確認しようとしてくるが、言葉がまったくわからない。「Is it English?」と聞くと、慌てて「Three hundred fifty」との返事が返ってきた。要するに、出口付近で屯していたのはみんなちゃんとしたタクシーで、料金は一律350ペソで、その確認だったようである。
@小さな空港建物 -
ちなみに私は身の安全のため、東南アジアを旅行する際には安っぽい恰好をして髭を剃らないようにしている。たいてい3日目くらいから効力を発揮し、この日の朝もイロイロのホテルで朝食をオーダーされる際に、現地語で話しかけられてしまったくらいである。運転手の反応も、それと同じであろうか。
運転手は英語があまり得意ではないようであるが、走行中に簡単な案内などもしてくれた。料金は700円程度であるが、フィリピンの平均収入が日本の10分の1程度であることを考えると、空港からの客を拾えるか否かは彼らにとって大きな違いなのだろう。
タクシーは、レガスピ(Legazpi)方面へ行く線路を2回ほど横断しながら市内へと向かっていった。
ホテル到着後は、歩いてナガ駅へと向かう。とにもかくにも、明日のビコール・エクスプレスの切符を入手しなければならない。
@ナガ駅 -
駅舎の目立たないところにある窓口へ行ってみると、2人ほど並んでいる。ほどなくして私の前の人の番になったが、受け答えからして明らかに日本人である。彼の購入後に声をかけてみるとやはりそうで、撮影目的でフィリピンまでやってきたということであった。その方も私も、無事にEXECUTIVE SLEEPER(B寝台ソロ)を予約することができた。
@これで一安心(私の名前が少し違うが…) -
目の前のホームには、これから出発するビコール・エクスプレスが停車している。時と場所によっては写真撮影を咎められることがあるということなので、「我々は明日の列車に乗る予定であり切符も持っている。中に入って撮影してよいか」と英語で尋ねてみたら、あっさりと了承されてしまった。どうやら身構えすぎたようでもある。
@ナガ駅ホーム -
列車の出発を見送ってからホテルへ戻り、私にしては珍しくホテルのレストランで食事をした。今後の旅程が固まったため、フィリピンに来て、やっと落ち着いた気がする。
■2012.5.5
ビコール・エクスプレスの出発時間は18時30分であり、その前にシポコット(Sipocot)までコミューターで往復する予定である。それまではナガ市内の観光となる。要するに、午後3時前までかなり暇がある。
ホテルの朝食後は、まずは駅へ行ってみる。構内には早朝に到着したビコール・エクスプレスの車両が係留されており、整備や清掃が行われていた。
@丁寧に投石防止ネットを外して清掃をしている(ソロ車両) -
汽笛が聞こえたので遠くを見やると、ナガ駅構内の△線を使用して機関車が向きを変えようとしているところであった(これに関しては言葉だけでの説明は難しいため、「ナガ駅 △線」などで検索してください)。ノロノロと走る機関車の後を追ってみるが、△線のすぐ脇にも貧しい家々があり、子どもたちがはしゃいで遊びまわっているのが印象的であった。
@ゆっくり移動 -
さて、駅周辺を確認した後は、歩いて15分程度のところにある大聖堂(ナガ市内唯一の観光スポット?)へ行ってみる。イロイロの大聖堂に負けず劣らず、こちらもなかなかの壮大さである。
@聖堂内部 -
歩いて行ける観光地はこれで終わりとなるため、目的もないが駅東側にあるSMシティへと向かってみる。ほどほどに近づいたところで、どこからともなくプワンと汽笛の音が聞こえてきた。SMシティの近くに線路があるのは知っていたが、時刻(朝の9時少し)からして、レガスピ方面へ行き来する列車などないはずである。
少し早足で踏切まで行ってみると、なんとJR東日本で「こがね」として使用されていた車両が走って来るではないか。どうしてこんな時間に回送されているのか理由はわからないが、急いでカメラを出してその姿を収めた。
@こがね、踏切通過中 -
再び駅へ歩いて戻ってみると、上記の車両以外にもちろん寝台列車もあり、更にはコミューターで使用されている旧い12系客車も並んでおり、日本のどこかの町にでもいるかのような錯覚に陥ってしまった。
それらの写真を撮り、いったんホテルに戻って火照った体を冷やしてから、チェックアウト手続きをして荷物を預けて再度ナガ市内の探索へと向かった。まずは、昼食である。
フィリピン料理は基本的に甘く、あまり辛い物がないが、数少ない例外がビコール地方にある、その名も「ビコール・エクスプレス」なのである。その名称からして、今回の旅で頂かないわけにはいかないだろう。市内にある小奇麗な飲食店に入り、件のビコール・エクスプレスと、ついでにグリーンカレーを指さしながら注文してみた。
@左下が「ビコール・エクスプレス」 -
辛いといっても「ほんのり辛い」程度であり、辛い物を食べ慣れている人間にとっては、逆にココナツの甘さが気になる程度である。しかし、味はなかなかよろしかった。
再度また聖堂に行き、午前と同じルートでSMシティへと向かう。昨今のフィリピンで増えつつある大型ショッピングモールであるが、当然ここで買い物ができるのはある程度の裕福層だけであろう。
モール内の酒屋で夜用のワインを買い、残りの時間はマクドナルドで甘いコーヒーをすすりながら無線LANで遊ぶ。
@モールに近い踏切付近(スコール直前のため、曇っている) -
午後2時を過ぎたころにSMシティを出て、途中の店で鶏の丸焼きを買い、ホテルで荷物を受け取ってナガ駅へと向かう。これから乗車するのは、15時10分発のシポコット行コミューターである。
3両編成の列車はすでにホームにあり、出発の20分前だというのに9割方の座席も埋まっている。その一角で席を押さえておこうと思ったが、室内にいるだけで蒸し暑くてならない。どうせ立っていた方が外の景色を見られるだろうと思い、出発直前までホームのベンチで待つことにした。
@コミューターもJRのお古 -
ホームでぼんやりしていると、遠くから汽笛が響いてくる。こんな時刻に走る列車はないはずだと思っていると、シポコット方面から列車が近づいてくるではないか。しかも、その後ろには貨物車両(無蓋)が4両、しかも中身は空っぽのものがやってきた。どこから何をしにやってきたのかは不明であるが、まさかフィリピンで貨物列車を見ることになるとは思わなかった。
@貨車と「こがね」(動画の一部を画像化したため不鮮明) -
乗車率120%程度(立客がそこそこいる程度)で、列車は定刻に出発した。私は客車の最後尾に陣取っていたが、ドアはもちろん空きっぱなしであるし車両後方も吹き曝しであるため、落ちないように手すりなどにしっかりとしがみ付いていた。私の目の前で座っている客は、その手に生きた鶏を抱えている。その頭越しに、私は後方を眺め続けた。
詳しい時刻表が手元にないので詳細は不明であるが、5〜10分毎に駅に停まっていった。駅と言っても、まともなホームがあるのはナガやシポコットなどの一部の駅だけであり、あとは集落が少し集まっているだけでホームらしきものはない。列車が発車すると、人々はスケーター(線路の上に乗せて人力や簡易動力で移動させる乗り物)を乗せたりして、すぐに商売を始める。
@スケーターとは -
年配の人が近くにいて、あれこれと私に話しかけてくるが、英語ではないのでまったく意味が分からない。車掌(各車両にいる)も、その様子を見て「仕様がないな」という感じで軽く笑っている。しばらくして座席も空いてきたのでそちらに移ったが、件のおじいさんも付いてくる。そしてあれこれ話しかけてくるが、当然意味不明である。目の前に若い女の子がいたので、「What is he speaking?」と聞いてみたところ、「Where are you going」ということだったので、「ただ単にシポコットへ往復。その後、ビコール・エクスプレスでマニラへ」と言ったが、彼女はそれを理解しただけでおじいさんには通訳をしてあげなかった。どうやら、どの町にもいる「ちょっと面倒な人」のようであった。
@投石防止ネット越しの風景 -
辺りに広がるのは、のんびりとした田舎風景である。投石防止の金網がその視界を若干遮っているが、思い返してみると誰も投石はしていない(インドネシアでは、実際に何度も石が当たった)。だったら金網を取ってもいいのでは、と思いそうになるが、線路のすぐ脇にある木々がガンガンぶつかるため、そういう意味合いでも必要である。それに、都市部では事情が違うかもしれない。
そんなことを考えているうちに、定刻よりたった1分遅れの16時21分、シポコットに到着した。駅は簡易な建物であるが、周囲には人がたくさん屯している。
@機関車入れ替え作業を見守る人・人・人 -
駅舎で帰りの切符を買い(往路と同じ30ペソ)、折り返しの出発まで車内で待つ。蛍光灯はすべて外され、裸電球が3つほどあるだけであり、当然昼間は付いていない。ナガに比べてかなり田舎であり、耳元で蚊の飛ぶ音が聞こえたため、フィリピンに来て初めて虫よけスプレーを使った。
@電源車がないので冷房は使用できない -
定刻より1分早い16時39分、ナガ行はゆっくりと走り始めた。元来た線路を戻るだけであるから、景色に大きな変化はない。
車両の最後尾で流れていく景色を見ていると、往路と同じ車掌(まだ若く、フィリピン人にしては珍しく長身)が簡単な英語で話しかけてきたので、世間話をしていた。そのうちに「跳ねるから危ないよ」と言うで、「ちゃんと捕まっているので大丈夫」と言おうとしたところ、とてつもなく車両が跳ね出した。こんなところで落ちては大変なので、必死になってしがみ付く。車掌は、「いつもこうなんだ」というような情けない表情をしている。
@バナナの木などをすり抜ける -
席に戻り、ぼんやりと外を眺めていたが、時折車両が跳ね始める。それも尋常ではなく、体が浮き上がってお尻が痛いくらいである。往路はそれほど揺れなかったのだが、スピードの違いであろうか、いつ脱線してもおかしくない状況である。
途中駅からの出発に関しては、各車両の車掌(3人)と機関車との掛け合いで決まるようである。それぞれの車掌が笛を吹き、それに機関車が応じる。「ピッ、ピッ、ピッ、プワン」という塩梅である。
飛ばした甲斐があったせいか、ナガには定刻より3分ほど早い17時47分に到着した。乗客を降ろした車両がレガスピ方面へ回送されると、すぐにシポコット方面からビコール・エクスプレス用の車両がバックで入線してきた。FAMILY SLEEPER(開放B寝台)が4両にEXECUTIVE SLEEPER(B寝台ソロ)が1両の計5両。昨日は座席車両が1両連結されていたが、今日はそれがないようである。
@おじさん、ちょっと邪魔 -
ビコール・エクスプレスの出発まで30分強あるため、市街地へ行ってコンビニでビールを買い、駅へ戻って入口付近でおばさんからピリナッツ(ナガ地方の名産品)をお土産として購入し、入線している列車に乗り込んだ。
復活したPNRも徐々にバスから乗客を奪っているようで、解放寝台の方は当然のこと、ソロの方もかなりの部屋が埋まっていた。しかし、私のように1人で使用する人ばかりではなく、中には家族3人で一部屋を使用しているのもある。このような場合、運賃の支払いはどうするのであろうか(エグゼクティブ1人分に座席2人、のように柔軟に対応するのであろうか)。
@北陸時代に5〜6回は乗車した「ソロ」へ、久々に -
出発前からビールを開け、フィリピンで「北陸」に乗るという目的を無事に果たせた祝杯を重ねる。鳥の丸焼きをつつきながらサンミゲルなどを飲み続けていると、ぴったり定刻の18時30分、列車はゆっくりと走り始めた。上段の部屋になったため、金網越しには大きな満月が光っている。
@月光 -
車内の設備はほぼそのままであり、ライトのスイッチなども現状のままである。私は日本語が読めるからいいが、そうでない人は少し苦労するかもしれない。
照明や冷房の不具合もなく、もちろんトイレも使用可能であり、洗面所もきちんと水が出る状態であった。
@ほとんどのフィリピン人はコートを持ってないだろうし、そもそも暖房は使用しないであろうからこの表示は読めなくても大丈夫 -
懐かしさに浸りながら、ビールとワインを重ね続ける。路盤が悪く、ゆらゆらと左右にかなり揺れるため、変な酔い方をしそうでもある。日本時代との違いは揺れだけではなく、沿線住民に警告するための汽笛の音が、定期的に(ほぼ継続して)プワァーンと鳴っていることである。
19時02分、定刻より4分遅れで最初の停車駅であるLibmananに到着した。外は暗く、駅の様子はよくわからない。続いて停車する駅はつい先ほど訪れたシポコットで、遅れを取り戻して定刻の19時22分であった。
定刻通りだとすると明日の朝は早いため、酒がなくなった頃(20時過ぎ頃)には眠りに落ちてしまった。
@夕食の一部 -
■2012.5.6
耳栓をしていたのでそれなりに熟睡していたが、気のせいか何かが転がる音がしていたような気がする。朝になって目が覚めると、机の上にあった物(お土産やサングラスなど)がすべて床に転がっていた。おそらく、かなりの揺れであったのだろう。
3時52分、あの懐かしいJR時代と同じメロディーの後に車掌が「まもなくビナン(Binan)」というアナウンスをした。日本でこの時刻に一斉放送などしたら、非難轟々であろう。
ビナン到着は4時13分、定刻より52分遅れであった。
@朝になると、窓枠には様々なものが挟まっていた -
コミューターのほとんどの終着駅であるアラバン(Alabang)には4時36分、そして終着駅のトゥトゥバンには、定刻から62分遅れの5時32分に到着した。旅行中の移動の場合、たいていは遅れてほしくないのだが、今回の場合は(定刻が4時30分到着)、このくらい遅れてくれた方がちょうど良い塩梅である。
@トゥトゥバン駅にて -
さて、今日は暇があり、今回のフィリピン紀行で唯一の「観光」をする日である。コレヒドール島へのツアーに参加することになっており、切符はすでにネットで予約決済をしている。
コミューターでブエンディアまで行き、ホテルへ行って荷物を預け、タクシーでクルーズ船乗り場まで行った。乗り場周辺には、機関銃を抱えた警備員や警察などがやたらとたくさんいる。フィリピンでは治安の関係で各商店には必ず警備員がいるし、ショッピングモールになると数えきれないくらいの数が配備されているが、それにしても今日は厳しい。あとで聞いたところによると、なんと本日は、島で行われる記念式典に大統領が出席する日であるというではないか。そのような日に島に渡ることになるとは、稀有なことである。
ツアーの様子については、鉄道とは関係ないため割愛する。しかし鉄道関係は何もないと思っていたが、砲台付近やトンネル内には資機材を運搬するための鉄道の廃線跡があり、また灯台の展示室にはダグパンへ至る鉄道敷設の歴史が展示されていたりして、それなりに新たな発見もあった。
@鉄道ネタは見逃さず -
■2012.5.7
旅程で右往左往したフィリピン旅行も、本日が最終日である。午後の便で日本へ戻るため、それまではコミューターでアラバンまで往復することにした。
4日前と同じことを期待して、7時30分過ぎにブエンディア駅へ行ってみる。待つこと約10分、期待通りに国鉄カラーのキハ52がやってきた。
お目当ての車両が来たのはいいものの、車内は前回と同様に超満員である。ドアからの乗降は諦めて、最後部の車掌室のところにも人が乗っていたので、Tシャツ姿の人に「May I ?」と聞くとスペースを開けてくれたため、必死になってそこに潜りこんだ(実はその人は車掌であった)。
@特等席からの後方風景 -
走り出してから車掌が何かしら聞いてきたが聞き取れなかったので、聞き返すと今度は英語で「フィリピン人か?」と聞いてきた。「日本人だ」と答えると、反対側にいた若者が「日本人かー」と笑顔で反応し、続いて「もし中国人なら、こう(首をはねる仕草)だけどな」と笑っていた。中国人はどの国に行っても評判が良くないが、領土問題などが激しいフィリピンではそれが顕著なのであろう。物騒なことを言っていた若者も、「この車両は日本から来たんだ」と、なかなか詳しいことを言ってきて写真を撮るように勧めてくるので、私も笑顔で対応した。
駅に停まるごとに乗客が下車し、車内が空いてくると車掌がそちらへ移るように促してきたので、特等席から普通の車内へと移った。終着のアラバンには、8時21分に到着した。
@アラバン駅にて -
時刻表によると、アラバンからの出発時刻は毎時05分もしくは35分であるため、しばらくここで時間がある。と思っていたのだが、窓口付近で切符を買っている人たちがすでに殺伐としているため、私も切符を買ってホームへ行ったところ、車掌が速く乗車するように笛で促してくる。結局、8時25分という中途半端な時間に列車は動き出した。ラッシュ時で遅れているため、時刻通りになっていないようである。
出発後は駅ごとに乗客が増え続け、ドア付近では大きな声が飛び交うようになってきた(おそらく「降りるぞ!」「もっと詰めろ!」のようなもの)。そもそも、この車両は日本の田舎で運行されていたもので、あまり通勤向きではない(出入口は2か所しかなく、立席のスペースもあまりない)。エドゥサ(Edsa)に着くころには筆舌しがたいすし詰め状態になり、遂には若者が網棚で横になる始末であった。これには、さすがに大人のフィリピン人は呆れ顔であった。
@日常的光景ではありません -
エスパーニャ付近から空き始めたため、その後は席に座って外を眺めていたが、まだ午前中だというのに空模様が怪しくなってスコールが降り始めた。皆が窓を閉め始めたため、車内は蒸し暑くなっていった。
トゥトゥバン到着は9時38分、始発からの所要時間は73分であった。時刻表通りであれば55分であるから、各駅での乗降にかなり時間が取られていることになる。駅構内には、ボロボロの12系車両も係留されていた。
@これにも乗ってみたかった(今回は縁がなかった) -
さて、あとはブエンディアに戻るだけである。キハ52が車庫の方へ行ってしまったため韓国製の車両に交代するのかと思ったら、車両のやり繰りができなかったのか、わずか3分後に再びキハ52が戻ってきた。よく言えば柔軟性が高い、悪く言えば行き当たりばったりの車両運用である。
いずれにしても、今回のフィリピンでの鐡旅を、私にとっては懐かしい車両で締めくくることができる。改札が始まり、スコールが続く中、その車両の中に乗り込んだ。結局、9時55分という中途半端な時間に列車は出発した。
数駅過ぎる頃には、超満員となり蒸し風呂状態になっていった。PNRには、今後日本から車両を譲渡してもらう際には、ぜひともクーラーが付いているものを希望してほしいと切実に感じた。
@本格運用はこれからの車両も(これもJRのお古)
*旅行記および私の詳細については以下で。
「鐡旅」http://www2u.biglobe.ne.jp/~kokuden/tetu.htm
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