1995/09/16 - 1995/09/30
50位(同エリア346件中)
がおちんさん
いよいよ雲南省の中甸(シャングリラ)からチベット自治区のラサへ。
中国人に扮し、ヒッチハイクでポタラ宮を目指します。
未舗装の滇蔵公路・川蔵公路は過酷で危険でしたが、その眺めは美しく、色々な人に助けられながら、2週間かけてラサにたどり着きました。
旅の醍醐味は目的地にあるのではなく、その過程にあるということを知った旅でもありました。
※写真は解放軍トラックから見たチベット高原
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- ヒッチハイク
-
ラサまでのルート図です。
徳欽(滇蔵公路)→塩井→マルカム→(川蔵公路と合流)ゾガン→バンダ(川蔵南路)→パシュ→ラウ→中壩→ボミ→通麦→八一(ニンティ)→ラサ。
使用した交通手段は、乗り合いジープ、貨物トラック、バス、解放軍トラック、トラクター、ジープ、徒歩、小型トラックなどです。
道中は楽ではなかったですが、かかった交通費は2人で750元(約9000円)と格安でした。 -
1995年9月18日
一昨日、中甸からバスで徳欽へ到着。山の谷間にある田舎町だ。徳欽からチベット方面に向かうバスは無く、ヒッチハイクをするしか手はない。
4年前にも成都からラサを目指してバタン(巴塘)まで行ったが、先へ向かう車が無くて泣く泣く退却した。今回はなんとしても成功させたい。
http://4travel.jp/travelogue/10667226(その時の旅行記)
徳欽は未開放地区のうえ、数日前に起きた交通事故のトラブルに巻き込まれて公安に顔を知られたので町をウロウロできない。漢族のWさんに紹介された人の、さらに知り合いの部屋に2日間潜伏した。
今日の13時に塩井方面に向かう車があるとの情報を入手する。ようやく前に進めそうだ。 -
徳欽を去る前に梅里雪山を見に行ったけど、雲がかかって頂上は見えなかった。
残念。 -
13時、徳欽の町外れから車(古いジープ)に乗る予定が、エンジンがかからずに修理となった。トホホ。
修理を待っている間は子供と遊んだり、近所のおばさんに麺を食べさせてもらったりする。
16時過ぎに出発。松茸売りのカム族たちも同乗した。瀾滄江沿いの道はひどく荒れていて車が振動するため、全員ジープの荷台に立ったまま乗った。崖から落ちるんじゃないかと何度もヒヤヒヤさせられる。途中で帽子も落とした。
道中、オーバーヒートで2回止まったが、そのつど運転手とカム族は、はるか下の瀾滄江まで水を汲みに行った。2度目は日も暮れており、なかなか帰ってこないので心配になったが、カム族のおじさんは両手にやかんを持ち、なんと口に懐中電灯を咥えて崖を上ってきた。
男の中の男だ! -
塩井に着いたのは21時半過ぎ。集落は真っ暗だった。
運転手に民家を紹介(というか、お前はそこ行けと指示された)してもらい、家の人に声をかけて中に入れてもらった。
小吃で食事をして、すぐに寝る。
(左下のずた袋にリュックを入れ、移動中は目立たないようにした) -
1995年9月18日
塩井の民家にて、初チベットの朝を迎えた。
ラサまではまだまだ遠いが、前進あるのみ。 -
朝8時頃、乗り合いトラックでマルカムに向かう。
これがひどい混み様で閉口した。まるでサル山みたいな状態。
今日も道がひどく、思わず眼をつぶる場面が何度もあった。車輪があと10センチずれていたら崖から落ちていたかもしれない。とにかく運転手を信じるしかなかった。
カム達は峠を越えるたびに、「ホホー」と叫び声をあげる。
写真は瀾滄江の対岸に見えるチベット族の村。すぐそこは崖! -
マルカム(芒康)には16時頃に到着。
川蔵公路の分岐点まで歩き、先に行く車を待つが、一台も通らない。19時、日も暮れたのでトラクターに乗せてもらって町へ戻った。
「芒康気象台旅社」というボロ宿に泊まる。宿のチベタンおばさんは漢字が読めず、登記するときも外国人とばれずに済んだ。ホッ!
今日も疲れ果て、とっとと寝る。 -
1995年9月20日
朝6時に起きて、川蔵公路の分岐点で車を待つ。生憎の雨。
7時間ほど待った13時過ぎ、ゾガン(左貢)に向かう東風トラックに乗せてもらう。荷台には大勢のカム族。彼らは親切で、妻が乗り込もうとすると、ヒョイと手を引っ張って助けてくれた。「ラトチェ!」(ありがとう)。
しかし同時に、彼らが漢族をいじめる光景も見た。梨を運んでいたチョビ髭の四川人(同じくマルカムから乗車)は、カム族にからかわれたり、梨をつまみ食いされても、ただ黙って我慢するしかなかった。この四川人は『蜘蛛の糸』に出てくるカンダタのように、自分だけ乗れれば他人はどうでもいいという考えの嫌な野郎だったので、私達も内心、ザマアミロと思った。中国政府が言うほど民族団結はされていない。実際は時間をかけて少数民族が漢化されていくだけの話である。
途中から雨が強まり荷台に幌を張った。しばらくの間、再び瀾滄江と併走する。標高が5008メートルある東達山の峠は、夜になってから越えた。
ゾガンに着いたのは22時半頃。旅社で遅い夕食を食べ、疲れてすぐに寝る。 -
1995年9月21日
ゾガン(左貢)は、玉曲河という怒江の支流沿いにある町。
今日は一日中待っても車を捕まえることができず、先へ進めなかった。
仕方なくもう一泊するが、疲労回復にはなった。 -
1995年9月22日
朝、なんと旅社の横にチャムド(昌都)に向かうバスが停まっていたので、それに乗る。いつもはポンコツだと思っていた中国のバスも、トラックの荷台に比べたらどれだけ快適なことか。もっと乗っていたいけど、ラサに向かう分岐点のバンダ(邦達)で下車する。
雪をかぶった草原では羊の放牧をしていた。かなり標高がありそうで、寒さがこたえる。 -
バンダ(邦達)には人民解放軍の駐屯地があり、門のところに「海抜4390米」と書かれていた。軍の人に写真を撮ってもいいかと聞いたら許可されたので記念撮影をする。
マルカムの宿で一緒になった広東人旅行者と同郷の軍人がいたため、私達も軍のトラックに乗せてもらえることになった。連隊で物資を八一(ニンティ・林芝)まで運ぶのだという。 -
解放軍トラックの荷台に乗って、川蔵公路を西へ向かう。
道の状態がひどく、振動と砂ぼこりと排気ガスに苦しんだ。
業拉山の峠で小休止。ここは標高が4618メートルあるという。
兵士たちが集まって話を始めた。これから難所を下るそうだ。 -
車を下りて谷を見下ろす。九十九折の山道が続いている。
ここでラリーをやったら、きっと有名スポットになるだろう。デルタS4やクワトロS1が走るところを見てみたい気もする。
しかし、こちらは荷物を満載した東風トラックだ。事故の無いことを祈るのみ。 -
これからあの坂道を下るのかと思うと怖い。
ここまでも危険な道ばかりだったけど、怖さに慣れるなんてことはない。 -
無事に谷まで下りると、怒江に沿って西へ走る。
その名前のとおり、怒江は流れが激しい。 -
川蔵公路のすぐ横を川が流れている。
ちょっと増水したら通行できなくなるだろう。
ここで全隊が停車。
前を走るトラックが崖に落ちたらしい。 -
なんと、今日は第一連隊のトラックが2台落ち、もう1台が溝にはまって動けなくなっているという。
今夜はトラックの荷台で寝ることになった。
缶詰の入ったダンボール箱の上で寝袋にくるまる。
すぐ横で怒江がゴーゴー鳴っているので怖い。 -
1995年9月23日
トラックの荷台は寝心地が悪くて熟睡できなかった。夜明け前には寒くてたまらずに起きてしまう。
野糞をしたら血便が出た。
きっと車の振動が堪えたのだろう。 -
朝方、パシュー(八宿)の白馬兵站まで進んだが、今度は前方で崖崩れが発生したため、今日は出発できないという。
仕方なく、兵舎に泊まることになってしまった。外国人とばれると面倒なので緊張する。
兵站の近くで仔ヤクと遭遇。なんと可愛いこと。 -
1995年9月24日
昨日まで私達が乗っていた一連隊のトラックは出発せず、今日から二連隊のトラックで行くことになった。
困ったことに、兵士が気を使ってくれたため、荷台ではなく助手席(というか運転席と助手席の真ん中)に乗せられることになり、妻と別々になってしまった。
彼女は中国語会話が得意ではない。外国人とばれないよう、「必要以外は黙っていること」と決めて車に乗り込んだ。 -
荷台と違い、フロントガラスから眺めるチベットの風景は素晴らしい。
とはいえ、両側を兵士に挟まれて絶えず話しかけられるので気が休まらない。
「風景を撮りたいので、窓側に座らせてもらえないかい?」と頼んで、ひたすらシャッターチャンスを狙っているふりをした。
実際、雄大な自然には見とれるばかり。 -
西へと走る解放軍トラック。
チベットの空は蒼かった。 -
おお、あんなところに村がある。
どんな暮らしをしているのだろう。 -
途中で休憩。
妻は「頭痛がする」ということにして、車内では寝たふりをしたらしい。
解放軍兵士は親切で、お茶を勧めてくれたり、何かと気を使ってくれたそうだ。
彼らの好意に対し、嘘をついているのが申し訳ない。 -
ラウ(然烏)という美しい村に着いた。標高は3990メートル。
今日の移動はここまで。さっそく散策に出かける。
私達は兵舎ではなく、村の旅社に泊まった。 -
チベット高原の山には植生の垂直分布が見られる。
麓では緑が茂っているのに、ちょっと上では高山植物帯、その上は雪山なのだ。 -
手つかずの自然が残る然烏湖。
あまりの美しさに唖然となる。 -
水、光、空。
時間がゆっくり流れていく。
タルコフスキーの映画みたいだ。
眠くなったし(笑)。 -
湖の近くにいた遊牧民を訪ねる。
テントに呼ばれた。 -
ヤクの乳をしぼる主人。
-
大きなドンモ(攪拌器具)でバター茶をつくる。
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バター茶をいただく。
脂分が唇や咽喉の乾燥を防ぎ、何より体が温まった。
ありがたい一杯・・・ではなく、何度も注がれてガボガボ状態に。
ご馳走さまでした。 -
夕方、息子さんが放牧から帰ってきた。
仔ヤクはテントの中で夜を過ごす。
とっても可愛い。 -
山羊も帰ってきた。
よく言うことを聞くものだ。 -
お礼に、以前バタンで買った「ナムチュワンデンバッジ」をプレゼントすると、おじさんはとても喜んで胸の中にしまった。
-
息子さんとツーショット。
カム族ってカッコイイ。 -
夕暮れ時、ラサを目指して五体投地をしている人達がいた。
一心に祈りながら大地に全身を投げ伏す姿を見ていたら、予期せずに涙があふれ出てきた。のうのうと旅をする私達と違い、どれだけ彼らの神々しいことか。
せめて何かしてあげられないかと彼らを追いかけ、持っていた缶詰や果物などの食料品を受け取ってもらった。
今夜はどこに泊まるのかと聞くと、もう少し先に行ったところで野宿をするという。彼らの荷物はリヤカーに積んであり、テントもコンロもあるそうだ。
そう語る彼の顔は、砂ぼこりで真っ白になっていた。 -
1995年9月25日
解放軍のトラックは朝9時に出発。
美しいラウ(然烏)の村を後にする。 -
少々走ったところで、またもや全隊が停車した。
前方で橋が落ちたのだという。
然烏から中壩までの区間は険峻なことで知られており、解放軍の運転手たちには、“天不怕,地不怕,就怕然烏到中壩”(何も怖いものはないが、然烏から中壩までの道だけは怖い)という諺があるそうだ。 -
兵士たちが木を伐って運んでいた。
橋の修理に使うのだ。
正に人海戦術で作業が進められる。
左は「一号」(お花摘み)から帰ってきた妻。 -
ヤル・ツアンポー川の支流、パロン・ツァンポ(帕隆蔵布)。
流れが激しい。 -
川蔵公路を行く、解放軍のキャラバン。
橋の修理には半日かかった。 -
中壩兵站に到着。
近所の子供が集まってきた。
なんと、こいつらタバコを吸ってやがる。
こらっ! -
風で幟がはためく、中壩の村。
-
村にある、手造りの橋。
妻は渡ろうとしなかった。
なぜなら・・・。 -
橋の下には、パロン・ツァンポ(帕隆蔵布)の激流が。
ゴーッと迫力がありすぎて、タマが縮こまったー。 -
お堂に村人たちが集まっていた。
腹が空いたので何か買おうと思ったが、この村には店も食堂も無い。
兵舎に戻ると、兵士が食事を持ってきてくれた。
ホーローのおわんに肉や野菜の乗ったぶっ掛け飯。昆明留学中に食べていた懐かしの味だ。
ありがたい。でも、なんか申し訳ない。 -
夜は色々な兵士たちが部屋を訪ねてきて困った。
中国人は同郷意識が強い。私達は昆明人ということにしていたのだが、麗江出身の兵士から「昆明訛りが無いな」と言われた。「生まれは江蘇なんだ」と言ってその場はしのいだものの、今度は江蘇省出身の兵士を探してきて、「ほら、お前の同郷だよ」と紹介された。
彼から全く意味のわからない呉越語で話しかけられて狼狽し、「ごめん、小さい頃に引越したもので方言がわからないんだ」とマヌケな言い訳をしてしまう。
彼らはなかなか帰ってくれず、針のむしろに座る思いだった。 -
1995年9月26日
朝、兵士が豆乳を持ってきてくれた。
「雨が降っているので今日は出発しない」とのこと。
なんてこった。 -
「もう中国人のふりなんて出来ない」と妻が泣き出した。
同感だ。私だって、親切にしてくれる兵士たちを騙し続けたくはない。
しかし、先へ進もうと思って車を待っても、今日は一台も通らなかった。
前にも後にも行けない状態。 -
元気な村の子供たち。
-
1995年9月27日
兵士によると、昨日の雨のためにがけ崩れが発生したので、今日も出発できないとのことだった。
しかし、これ以上ここにいることはできない。村に行き、トラクターをチャーターできないか頼んだ。
村のオジサンは、ボミ(波密)まで行けたら200元、がけ崩れまでは100元で行ってもいいという。
即決で出発してもらうことにした。 -
5日間、世話になった解放軍兵士と。
もしかしたら、彼らは途中で私達が外国人と気づいていたかもしれない。しかし、最後まで中国人として扱ってくれたことは、互いにとって都合が良かった。
もちろん、悪いのは私達だ。下手したらスパイ容疑をかけられたかもしれないし、親切にしてくれた彼らにも大きな迷惑がかかったかもしれない。そもそも外国人と知っていたら車に乗せてくれたかだって怪しい。
「慢走啊!」と見送ってくれた彼らに対し、心の中では謝りながら、握手をして別れた。 -
トラクターに乗って先へ進む。
同じくラサに向かう中国人も同乗した。
ダッダッダッダダダダダと黒煙を上げながら走り出すトラジは乗り心地が悪く、しっかりつかまっていないと跳ねるので危ない。
このままボミ(波密)まで行ければと思ったが、やはりがけ崩れの所までしか行けなかった。 -
がけ崩れを越えてしばらく歩くと、「札木電廠」に向かう東風トラックに乗せてもらえた。
大森林地帯を走り、気持ちがいい。荷台のお婆さんはずっとマニ車を回している。
札木電廠からボミ(波密)の街までは8kmだというので歩いていたら、またもや小型トラックに乗せてもらうことができた。
今日は運がいい。 -
ボミ(波密)は山の眺めがきれいな町。
ここは公安の取締りが厳しいらしく、カメラは一度も出さなかった。
旅社のオヤジによると、政府の命令で外国人は泊まることも、トラックに乗ることも駄目とのこと。ラサから来た香港人のグループが捕まって罰金を払わせられたらしい。
中国人のふりをしていて助かった。
※写真はボミの近郊にて -
1995年9月28日
朝から車を待つが、またもや先のほうでがけ崩れが起きた(何度目だ!)とのことで、なかなかヒッチできない。
ようやく、がけ崩れの地点まで400元で走ってくれるという人がいたので、お願いする。
私達が240元、中国人二人が80元ずつ払い、ジープに乗って出発。 -
このドライバーはとても運転が上手く、川原や沼地もガンガン走る。
-
ほとんど川と化した道。
確かに、これでは解放軍トラックでは越えられないだろう。 -
水しぶきを上げながら走る北京ジープ。
無事に難所を通過した。 -
面白かったのが、「野人」の話。
ジープの運転手によると、なんでもザユル(察隅)には野人が1000人位いて、尻尾が10センチ位あり、木の皮を体に巻いて、高い山の上に住んでいるという。
彼らはインドでもビルマでも自由に行き来し、見た目は人間と変わらないという。運転手も一度だけ見たことがあるそうだ。
市場に買物に下りてきたというので、それは山岳民族でしょ?とつっこむと、「山岳民族にシッポは無い」と自信気に答えた。
また、山奥では40センチ以上の足跡が発見されているが、こちらの野人を目撃した者はいないとのことだった。
※写真は道沿いを流れる、パロン・ツァンポ(帕隆蔵布)。 -
タンメ(通麦)のがけ崩れを越える。
ここは「通麦天険」と呼ばれる大土石流地帯で、川蔵公路最大の難所と言われている。
人一人歩くのがやっとの場所もあり、私達もスネまで泥につかって崖を越えた。谷底にペシャンコになったトラックが落ちていて、ゾッとする。
解放軍のキャラバン隊は、いつになったらここを通過できるのだろう。そんなことを考えながら崖を越えていたら、何の知らせも無いまま、すぐ後ろで発破をかけられた。
おかげでしばらく耳が聞こえなくなってしまった。バカヤロー! -
崖を越えてから、10kmほど歩いてタンメ(通麦)に向かう。
湿気が多くて不快。
道中はヒルだらけで、知らぬ間に足を噛まれていた。 -
1995年9月29日
通麦の朝。
ここの旅社は本当の掘っ立て小屋だった。
そこらの葉っぱにもヒルがいるので油断できない。
そうとう風呂に入っていないので、寝ぐせも深刻。 -
通麦を徒歩で出発する。
雨が降ったり止んだりで道はぐちゃぐちゃだが、パイロン(排龍)まで行けば、ニンティ(林芝)方面に行く車が見つかるという。
途中で妻が「足が痛い」と大騒ぎ。靴下を脱いだり履いたりしてるうちにトラックが通りかかったので乗る。
今日も崖沿いの道で冷や冷やする。雨が強まったので荷台で合羽を着る。もう旅気分など無く、ひたすら我慢。
21時頃、八一に着いた。漢族の街だ。
久しぶりに中華料理を食べて、バス駅の旅社ですぐ寝る。 -
1995年9月30日
朝5時のバスに乗り、ラサへ向かう。400km位の長距離移動だ。
今日はバスだから楽勝!っと思ったら大間違い。最後部の座席でポンポンはねるし、砂ぼこりも容赦なく入ってくるので最悪。
風景を撮る気力も、眺める余裕も無い。これまでの疲労も重なり、もうボロボロ。
トイレ休憩のときのみ、我にかえってパチリ。 -
岩山にへばりつくように家が建っている。
寺院かなあ? -
青く澄んだ尼洋曲(河)。
コンボギャムダ(工布江達)の付近にて。 -
21時頃、ポタラ宮が見えた。疲労しながらも感動する。
中甸を出発してから半月、やっとラサに着いた。
妻が「今日は絶対にホリデイ・インに泊まる」と言うので大奮発。埃まみれで泊めてもらえるか心配になったが、ここで初めて赤いパスポートが威力を発揮した。
豪華なバスルームで2週間ぶりに風呂に入る。頭を洗うも、一度目はシャンプーが泡立たずに黒い汁が出た。何度も体を洗ってスッキリしたあと、ラサ到着を祝って乾杯。ひどく疲れているのに、妙に眼がさえてよく眠れなかった。
翌日、ポタラ宮を見に行き、本当にラサに来たことを実感した。
アジア旅行記1995〜1997(その5)に続く
http://4travel.jp/travelogue/10872679
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