2012/04/15 - 2012/04/16
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enyasuさん
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村が運営する書堂は、日曜日の午前は子供達、午後は一般対象の教室が開かれていました。
写真は
人類平和祖国統一推進
全国在野道教人聯合 運営委員長
圓光 徐亨卓先生。
午後の部を見学させて頂いたenyasu。
徐先生が注いで下さったお茶を頂きながら御話を聞かせて頂きました。
青鶴洞 韓国伝統文化を学ぶ書堂
1 麗水から求礼、河東へ
2 村民の案内で村を歩く
3 村の書堂で教えを受ける
- 旅行の満足度
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
「いよいよ書堂だ〜」
-
午前の部を終えた子供達が元気そうに歩き回っていました。
-
“道を論じて義を説く”
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民食からここまで案内してくれたのは李慧鏡さん
ご自身が運営する書堂の子供達が待っているのでここで下山。
「李さん、ありがとうございました。」 -
午後の部が始まるまでは、まだだいぶ時間があったので書堂の中を見学させて頂きました。
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ここで、作家・戸田郁子さんが、
ご主人である写真家柳銀珪さんの写真展にて、
青鶴洞を紹介した文書を掲載させて頂きます。 -
存在する夢―青鶴洞 柳銀珪写真展について
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なにもかもめまぐるしく変わる世の中にあって、変わらずに居続ける人の住む村があります。
韓国の南部、智異山(チリサン)中腹にある青鶴洞(チョンハクドン)は、伝統服を身にまとい、儒教の礼儀作法を守って暮らす人々の村です。 -
80年代初めにここを訪れた写真家柳銀珪(リュ・ウンギュ)は、世俗の喧噪を嫌い、この世の春を待ち望みながら、ひっそりと自給自足の暮らしを営む人々の生き方に大きな衝撃を受け、以来27年間、この村に通って写真を撮っています。
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80年代の韓国は高度経済成長のただ中にあって、だれもが競うように古い物を捨て、新しい物に飛びついていた時代でした。
「馬は済州島へ、人はソウルへ」という諺どおり、ソウルの人口は膨張の一途をたどっていました。ソウル生まれの柳も、社会の急速な変化の波の中で暮らしていたのです。 -
登山家が偶然発見したという摩訶不思議な村の話を新聞で読み、夏休みにソウルから夜行列車に乗り、バスを乗り継ぎ、麓から徒歩で山道を登り、10時間以上かけてそこを訪ねた大学生の柳は、自分とは全く違う価値観を持つ人々に興味をひかれ、
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一緒に農作業を手伝ったり、同じ世代の若者と遊んだりご飯を食べたりするうちに共感が芽生え、やがて息子の友だちだと村の大人たちからも認められて、村人にカメラを向けることができるようになったと言います。
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しかし国立公園に指定された智異山では、木材の伐採や焼き畑農業が禁じられてしまい、次第に自給自足の暮らしが成り立たなくなっていきました。
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同時に村では電化も始まり、昔ながらの不便な暮らしはだんだん改善されていきました。
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暮らしぶりは変わりましたが、青鶴洞の人々は「世の中がどんなに変わろうとも、自分たちは変わらない」という強い信念を持っています。
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その心を写すために、写真家は彼らの姿を撮り続けていきます。それは、時代の波にけっして流されない強さを写し取る作業でもありました。
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韓国語でユートピアを意味する「青鶴洞」を、「真実」あるいは「夢」という言葉に置き換えてみたらどうでしょう。
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絵画や彫刻を生み出す美術家たちも、音を紡ぐ音楽家たちも、言葉で表現する作家たちも、心のうちにある夢や真実を、作品として表現します。
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ニール・ヤングの歌った「Heart of gold」のように、なにかを求めて彷徨う者の心にはそれぞれ夢や真実があり、それが他者をひきつける力ともなるのでしょう。
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音楽家は歌い奏で、作家は書き続け、写真家はカメラを放さず、画家はキャンバスに向かうのと同じように、青鶴洞の人々は芸術ではなく生活として、自らの魂の帰結点を具象しているのかもしれません。
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写真に写っているのは青鶴洞の人々ですが、そこには写真家の心も一緒に写っています。被写体と気持ちが通わなければシャッターを押せないという不器用な写真家が撮った青鶴洞の人々。それは夢を追い続けて生きる人々の姿なのです。
以上は戸田郁子さんによる写真展開催時の青鶴洞の紹介文です。
「戸田さん、青鶴洞に行ってみてよかったです!」 -
午後の部が始まり書生が集まってきました。
-
集中
-
この男性は陳鉉天さん。
2003年に北京留学。中国語で交流することができました。
「陳さん、先生に通訳して頂きありがとうございました!」 -
徐先生の話では
『書堂には小、中、一般20名ほどの書生がいます。漢字、人性、礼儀を学びます。』 -
お茶を頂きながら
-
教えを受けました。
-
音読をする若者
-
時々先生から指導を受けながら、時間は過ぎていきました。
-
「陳さん、また会いましょう。ありがとうございました。」
-
もと来た道を戻ります。
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日本在住の朝鮮民族の方に、
青鶴洞の書堂(=寺小屋)を、
紹介しようと心に決め民宿に向かいました。 -
17時半 早めの夕食。
民宿のおばちゃん(といっても私よりは妹)は、
日曜日の食堂の仕事でとても疲れているようでしたので、
翌日の朝食はいらないことを告げました。
「早起きさせたらかわいそ〜。」
おばちゃんは少し嬉しそうに
『明日はお気をつけてお帰り下さい。バスの始発は6時40分です。部屋はそのままで結構です。・・・』 お別れの挨拶となりました。
さてさて、
enyasu、食後は18時半前に部屋に戻ったのですが
その夜の時間の使い方に一苦労でした。
山の中、外は真っ暗、外出することもできず・・・
その結果、
書生になって勉強することにしました。韓国の歌番組を見ながら 笑
売店で買ったポテトチップをおつまみに
水を飲み飲み、
深夜まで
出張時の領収書の整理をしました〜。
後日、経理に帰国翌日出張精算書提出すると、
なんでそんなに早いの〜ビックリしてました。笑
この夜は本当にやることがなかったです。苦笑
就寝は2時頃、
翌日寝坊してはいけないと何度も目が覚めました。 -
5時40分、起床
洗面を済ませた後、
旅行バックを引きずりながらバス停に向かいます。
青鶴洞→河東 4,100ウォン
出発時の乗客は私以外に1人でしたが、
途中から街に出かけるお年寄り、
通学する小学生、中学生、高校生が乗車し、満席になりました。
「義務教育、書堂と学校、今の時代は・・・」
河東に着いたあとは、すぐにソウル行きのバスチケット購入。
河東→ソウル南 22,900ウォン
「また来ますね〜」 -
韓国のパーキングエリアはとてもきれいでした。
観光案内所の女性も、
事務的でなく、とても親切で、イエポヨでした。笑 -
バスで食べる朝食を購入することにしました。
-
買ったのはこれ
-
ドーナツ?
「こういうの好きなんだけど、太るんだよなあ。でもまあ、山の食事は健康的だったのでまあいいかなあ。」 -
パクパク食べた後は、ソウルに向け出発!
-
12時半過ぎ
ソウル南バスターミナル到着後は
地下鉄に乗り、友人事務所へ。
その後、ワールドカップ競技場すぐそばにある食堂で遅めの昼食。
「サムギョプサル〜」 -
野菜に包んで
-
がっつり頂きました。enyasuは肉食系〜笑
さてさて、
この旅行記、青鶴洞編もいよいよ終了
皆さんも書堂で韓国伝統文化を学んでみませんか。
ハングルの勉強もできるそうです。
神秘の村、青鶴洞へ。行ってみましょう!!
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