2012/03/16 - 2012/03/20
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kyokosa-nさん
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所属する森づくりの会のボランティアとして宮城県気仙沼大島に入った。すでに今回で4回目のボランティアになるが、今回初めて参加することが出来た。
大島(おおしま)は、宮城県気仙沼市に属する面積9.05kmの島。
東北地方最大の島で、気仙沼大島と呼ばれる。
2011年3月11日の際には津波に船舶が流され孤立しアメリカ海軍航空隊による空輸と揚陸艦エセックスから揚陸艇で上陸したアメリカ海兵隊第31海兵隊遠征隊により支援活動が行われた話題になった島でもある。一年たった大惨事の爪痕を自分の目で確かめ微力ながら
「時は流れない。東日本大震災後の今を」忘れないためにブログで発信したいと思います。
この度の東日本大震災で亡くなられた方、
被災された方に、心よりご冥福とお見舞い申し上げます。
「まげねっちゃ」負けないぞ 子供たちの笑顔が見えてきます。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
-
3/16の深夜に東京を車で出発 気仙沼へ
走行距離550km 途中仮眠をしながら
一路 下関〜気仙沼へ
-
津波のすごさを物語る船が
気仙沼市内に入ると見られます。
一年の歳月が流れているのに、この風景です。 -
廃墟です。
道路こそ動いていますが・・・
津波の通り道のすごさを物語ります。 -
気仙沼港の近くには
仮設の建物に商店街が出来ています。
店開き頑張っています。 -
車の往来が港の街を元気づけます。
-
桟橋は地震によりこの姿です。
桟橋は橋げたが海底から引きはがされ、陸地になだれ込んだ状態です。 -
気仙沼と大島を結ぶカーフェリー
7:20 の便に乗船。 -
津波の残骸がいまだに残っています。
時は過ぎつつあるのに。 -
「がんばろう 気仙沼」
みんな頑張っています。 -
津波による流れついた車の残骸が
廃墟となっている建物の脇に野積みの状態です。
惨事を思い返しましょう。 -
火の海と化した気仙沼湾を写真から見ました。
この世の風景ではなかったそうです。
今は静かな風景 何事もなかったように海は。
わかめの養殖が行われているようです。 -
大島(気仙沼大島)
座標 北緯38度51分42秒
東経141度37分44秒
面積 9.05 km?
海岸線長 22 km
最高標高 235 m
所在海域 太平洋
地域 日本(宮城県)
ー資料より掲載ー -
気仙沼商港 - 浦の浜港 所要時間:20分、8〜13往復(1時間に1便間隔)
フェリー大島: 198t、250名
フェリー亀山: 306t、250名
頻発しているが、小型のフェリーなので事前予約が必要
浦の浜港は大島の玄関口。 -
人口:3,478人/世帯数:1,127世帯/面積:9.05km2
(平成20年3月末現在)
今回の大震災、津波で生活が一変しました。
土台だけの風景が小田の浜に見られます。 -
浦の浜港周辺には野積みされた残骸が・・・
一年前の瓦礫の山を想像しました。 -
2011年3月11日東日本大震災での津波で気仙沼大島は
太平洋側から呑み込まれました。
さらに引き波で、本土側からも呑み込まれ、瞬時に
二度もの津波被害を受けています。
想像を絶する津波だったのです。 -
快水浴場100選に載る
きれいな砂浜が続きます。
いつの日にか陸中海岸の素晴らしき日々が来ます様に。 -
津波により破壊された気仙沼市営の亀山リフト乗り場。
−資料より掲載ー
大震災の津波の凄まじさを感じます。 -
火は島北部の約120ヘクタールを焼いた後、亀山(235m)の北麓を
駆け上がり、山頂に達した。
亀山の象徴 山頂への夢を運ぶリフトの看板。 -
報道番組の中から気仙沼大島の
3/11の油火災の状況が分かった。
航空写真での撮影。亀山のリフトも木々も焼けた。 -
大津波と亀山の火災に島民一丸となって消火作業。
消防団員も少ない中消火作業は難航した。 -
リフトの使用できない今、
島民の憩いの場、亀山の旧登山道のハイキングコースを
ボランティアとして3日間修復作業をしました。 -
気仙沼市朝日町の重油タンクが津波で流され、漏れた油からがれきに引火。気仙沼湾との境にある大島瀬戸にがれきが流れ着き、岸辺の木々に燃え移ったという。
火は亀山のリフトを焼き、赤松の木々の山を駆け上るように山頂に向かった。赤松は痛々しいほどに根元より50cmぐらい黒く焼けている。 -
防火帯(燃えやすい下草、木々を切り)をつくり民家への
損傷は防げたという。
どんな気持だったでしょう。 -
山頂からの眺めは素晴らしい。
亀山の頂上には希少な「緑の桜」(御衣黄)が自生する。 -
津波による父親の行方不明と大惨事の中
大島(亀山)の消化に当たった。
島民を守るために頑張られたという。
-
「火災に行方不明の父親を探すことも出来なかった」
父親の乗っていた船を浜辺で見つける事が出来た。
「何かの知らせのようにも感じた」と語っていた。 -
東日本大震災で大島を襲った津波は、
20メートル近い高さとなって中央部で合流して島を分断、
さらに南部でも合流寸前まで迫った。
−資料より掲載ー -
「大津波が来たら、島は三つに分断される」
気仙沼市の大島に残る伝説があったそうです。
今回の津波は大島を二分した。
土地の高低差により命運を分けた。
土台だけが残る風景。 -
大島を三つに分断した大津波の伝説でも、現在の浦の浜港と
田中浜の間で津波が合流したとされる。
大島を三つに分断した大津波の碑であるという。 -
宿泊した旅館 椿荘花月
通常営業に近い状態まで回復いたしております
主にボランティアの皆様、復興に携わる工事業者様に
ご利用いただいております
また、一般の皆様のご宿泊も可能でございます。
〒988-0621宮城県気仙沼市大島長崎81-1 Tel:0226-28-2366
※ボランティアでご宿泊の場合、相部屋となります
ホームページでご覧下さい。 -
玄関に張ってあった
気仙沼大島の「椿まつり」の案内。 -
「魅せたいしま(環境)がここにある」
風光明媚な風景が大島には見られます。 -
「龍舞岬」の灯台。
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大島最南端の竜舞崎、先端には竜神を祀ったという黒崎が
浮かび、奇岩・怪石・海洞が怒涛に洗われる様相は迫力満点です
−資料より掲載ー -
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十八鳴浜(くぐなりはま)
日本で最初に学術的に認定された鳴き砂の浜。 -
日本の渚百選(にっぽんのなぎさひゃくせん)
喧騒から離れた静かな海岸である。
津波により渚が狭まり風景も変わった.
私も鳴き砂の音を確かめた。「キュ」一回だけ音が。 -
その気仙沼市本土から飛び火が大島も燃やし始め、
民家や山など4日間、必死の消防活動でも消えなかったそうです。
−資料より掲載ー
松の木の根元も黒く焼けています。
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海を眺める限りでは静かな風景です。
陸中海岸国立公園と海中公園に指定されている気仙沼
大島は、「見て・遊んで・楽しめる」気仙沼には欠かせない
観光地でした。
時間がかかるかも知れませんが海も甦りつつあります。 -
その景色は「緑の真珠」と大島出身の詩人 水上不二の
詩にも詠まれています。
海中公園に指定されている島です。 -
元気になって欲しいです。
波の流れのように。 -
今日の一日が始まります。
明るい未来を願いましょう。 -
何事もなかったように静かな海です。
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小田の浜の朝風景素晴らしい風景です。松の木は塩を
かぶり赤くなっています。頑張って地に根を張り生きてほしい。
素晴らしい風景が無くなりませぬ様に。
東日本大震災から一年を女川町の復興と歩みを後世に残すために
伝えた子供たちによる記憶集「まげねっちゃ」を読んでいる。
子供たちの明るい未来を願ってタイトルを変えました。
「まげねっちゃ」 応援しましょうー・
「まげねっちゃ」
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