2012/03/03 - 2012/03/03
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psychoさん
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18きっぷの時期になりましたので、電車に乗って訪れた場所は、広島県にあるJR呉線竹原駅です。
竹原市は古くから瀬戸内の交通の要衝として栄えていました。
平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれる竹原市。
江戸時代後期に製塩と酒造業で栄えたお屋敷や由緒あるお寺と街並みが今もそのまま保存されています。
塩田で富を築いた豪商・商家の華やかな家々が保存された街並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に、指定されています。棒瓦の屋根と塗りごめ壁、ふかい飴色の格子窓小路がステキな街並みでした。
今の時期は、「たけはら町並み雛めぐり」が開催されており、街中にお雛様が飾られていました。
我がたつの市も同じ事していていたような・・・
http://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/tatsunonohina.html
http://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/hinanagashi.html
ぜひ兵庫県たつの市にもお越し下さいませ(^o^)
大林宣彦監督の「時をかける少女」は、尾道で撮影したとばかり思っていたのですが、竹原市でロケ地した方が多かったそうです。「普明閣」「胡堂」や、「松坂邸」「森川邸」などの旧宅で撮影されたそうです。
尾道に昨年行った時(http://4travel.jp/traveler/ishisai/album/10551148/)は、興味が無かったけど、へぇーと思いながら、歩いていたのになぁー。
昨年の夏、終戦記念ドラマで、
呉市を舞台にした漫画「この世界の片隅に」もここで撮影されたそうです。
6:57 JR岡山駅発車
8:41 JR三原駅到着
待ち時間があるけど、八天堂へクリームパンを買いに行くほどの時間も無く、ただぼーーーっと待つ。
9:14 JR三原駅発車
9:49 JR竹原駅に到着
まずは、
竹原郵便局。風景印を求めて訪問しました。
風景印を写真撮影したかったのですが、お忙しいようで、断念。
二重焼きの松屋。
二重焼きとは、回転焼きのことなんですが、地元ならではの味なんですかね!? しょっからかったです。
御座候の方が上品で美味しいと思っちゃいました。
道の駅
地元ならではの美味しい物が並んでいました。
「かぐやパンダ」グッズ・日本酒・蘭を購入。
文化施設周遊券
町並み保存地区内の文化施設をめぐるのに、お得な周遊券でした。
有料4施設がお得に入場出来ました。
一通り見終わった頃の13時半から、JRのDISCOVER WESTハイキングに参加しました。
竹原の古い町並み散策コース
http://www.jr-odekake.net/navi/dw_hiking/course/37.html
無料のガイドさんと回り、さらに詳しく竹原の街を知り、苦手な歴史にも触れてきました。
「頼山陽」という人物が超有名らしいのです。
まったく知らなかった私は、ガイドさんのお陰で、ちょっと賢くなった気がします。
「頼(らい)」という名字は珍しいのですが、これは頼家の先祖で戦国時代の名将小早川隆景の部下だった岡崎頼兼という武士の子孫が鍛冶屋になって、「頼兼」の「頼」を名字に「兼」を「金屋」という屋号にしたからだそうです。
アニメ「たまゆら〜hitotose〜」の舞台でもある竹原市だそうですが、興味がないので、さっぱりわかりません(^_^;)
市役所を始め、大きな看板が掲げられて、オタクぽい人がおられ、本当に人気があるんだと実感しました。
私的には、気になったキャラクターは、「ひろしま清盛」と「かぐやパンダ」です。
清盛ブームで、兵庫県も色々と町おこしをしようと頑張ていますが、広島県も力を入れておられる様子。
あちこちにNHKのポスターとともに、イケメン清盛が活躍されてました。
神戸市の「きよもん」と違い、イケメンなので、電車に載っていても許せます。
今年は、清盛ブームですが、「たまゆら」で獲得したファンも多いようなので、たまゆらのラッピング電車が走る日も近いかもと秘かに思っちゃいました。
「かぐやパンダ」は、竹原市障害者相談支援事業マスコットキャラクター。竹原市の木である竹に関連したかぐや姫とパンダを組み合わせて癒し系でした。
◆町並み竹灯り
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10516353/
◆町並み雛めぐり
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10426615/
◆竹まつり
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10332685/
◆かぐや姫美術館
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10514111/
人口3万人弱なのに、こんな立派な町並みに正直言って驚きました。
毎年10月末には「憧憬の路」イベントを開催し、町並み全体が幻想的な雰囲気に包まれるそうで、次回は10月に行ってみたいです。
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR糸崎駅にて
岡山駅を6:57発のこの電車は、下関駅まで行きます。
走行距離は、384.7キロ。
普通・快速の定期列車としては、日本一の走行距離を誇ります。
ちなみに、上りバージョンは無く、下りバージョンのこの1本だけです。
快速と違うので、全部の駅に止まる普通電車。
所要時間は7時間半ほどかかります。
長時間、同じ電車に乗ったままは辛いけど、一度は乗って制覇したい電車です。 -
JR糸崎駅のスタンプ
次の三原駅で乗り換えるんだから、さっさと行ってくれればよいのに、12分も
停まってくれるというので、改札まで行ってスタンプを押して来ました。 -
今年は清盛ブームなので、電車にも清盛が付いてました。
また6月末まで、観光列車「清盛マリンビュー」も運行をしています。
たまゆらがものすごい人気のようで、次回訪問時には、清盛がたまゆらのラッピング電車になっているかも!? -
JR三原駅にある駅スタンプは、
スタンプ専用用紙を作って下さるよりも、インクの補充をして欲しい。。。(>_<) -
JR三原駅のスタンプは、ちゃんと押せればこんな姿らしいです。
○「やっさ踊りの由来」
今から430数年前の永禄10年(1567年)、戦国時代の智将とうたわれた小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するために、水・陸・交通の要地である備後の国・三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。
やっさ踊りは、この築城を祝って老若男女を問わず三味線・太鼓・笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝いごとは "やっさ"に始まり"やっさ"に終わる習わしになったと伝えられています。
また、その歌詞は、時代とともに移り変わり、近郷の地唄・はやり唄なども大きく影響し、歌も身なりも変化し、踊り方も型にとらわれることなく、賑やかにはやしをとり入れて踊るようになり、はやしことばが「やっさ、やっさ」と声をかけられるところから、いつしかこの踊りを"やっさ踊り"と呼ぶようになりました。
全盛を極めて明治のはじめ頃は、子どもが踊りの先頭で白シャツに白鉢巻姿で、日の丸扇子を両手にもって踊り、その後に各組の踊り子が続いたものである。また当時の娘たちはみな三味線がひけたもので、毎年うら盆の3日間は町中を踊りまわり夜が明けるまで賑わっていました。
○「やっさ踊りの特徴」
足の踊りといわれ、動きのある踊りであるが、きまった踊りの型はなく、はやしのリズムにあわせ、各人各様におもしろく、気やすく踊れるところにあり、三味線、鉦・太鼓・笛・四つ竹など賑やかなはやしと歌声にあわせ、各人思い思いの所作で自由奔放に踊る様は、見ている者もそのおもしろさに我を忘れて踊りたくなるものです。
○「やっさ花火フェスタ」
沼田川河畔で打ち上げられる花火のみどころは10種類以上のスターマイン。真夏の夜空に次々と光りの花が咲き乱れ、ロマンティックなひとときを過ごせます。また、近隣では見ることのできない1尺玉の花火も見逃せません。体の芯まで響く"ドォーン" をお楽しみいただけます。
○「やっさ太鼓」
三原やっさ祭りが20周年を迎えた1995年、三原の古き良き伝統を継承しながら、三原の独自性を追求するなかで、新しい地域文化を創造することにより、市民総参加のお祭りのさらなる振興の一助として、また地域住民コミュニティー活動の手段として創設されました。
メインオリジナル曲「やっさ太鼓」は、演奏に合わせてやっさ踊りが踊れるようになっており、子どもから大人まで幅広く演奏できます。 -
JR三原駅のキオスクにて
ただのレモンケーキではなく、「瀬戸田」の地名入り。
美味しそう。
レジのもみじ饅頭も捨てがたいなー。 -
JR三原駅
駅の南西側にクリームパンで有名な八天堂があるんだよねぇーと思いつつ、時間が無いので諦めました。 -
JR三原駅
8:41 JR三原駅到着
9:14 JR三原駅発車 -
平清盛の広島県版のサイトも存在するようです。
http://www.hiroshima-kiyomori.jp/ -
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JR呉線に乗り換えます。
三原から、1時間に1本しかない呉線。
三原駅には、特に何も無いし、堪能しました。 -
竹原へは瀬戸内沿いをのんびり走る呉線。
のどかな景色です。
呉線は、海がきれいに見えてとっても気に入りました。
春の海はきらきらしていて、見飽きませんでした。
地元の方々が多かったです。 -
9:49 JR竹原駅に到着
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駅前には人がまばら。
さてさて、歴史的街並み保存地区はどっちだろう。。。 -
JR竹原駅のスタンプ
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駅前に停まっていたバスもかぐや姫が載ってました。
都市間高速バス
竹原〜広島線
かぐや姫号 -
竹原市役所
大きなアニメのポスターに驚きました。
ここ竹原は、アニメの舞台になっているとは、聞いてましたが、こんな所にまで登場していようとは、思ってもみなかったです。
たまゆらのポスターはいたるところで目撃しました。
竹原市として、たまゆらのアニメを観光の一環として売り出されているのですね。 -
竹原市の郵便局
風景印を貰いにうかがいました。
ゆうゆう窓口で、対応していただいたのですが、あまり流行っていないんですかね!?
風景印がどこにあるか不明のご様子(T_T)
押印して、投函していただくことになっちゃいました。
実物を見れなくて、残念です。 -
広島県竹原郵便局の風景印を押印して、撮影するはずだったのに、実物を見れなくて残念です。
竹取物語所縁の地とされる場所が全国にいくつかあり、竹原はその一つらしいです。
ちなんで切手は「昔話シリーズ かぐや姫」を合わせてみました。
ここに竹原郵便局の図案である、
竹原市が制定している市の木の「竹」の中枠に需学者の頼惟清宅の風景印を押していただくはずでした。 -
もみじ銀行ですって。
地方の銀行っていうのがよくわかり、ほのぼのしちゃいました。 -
二重焼きの松屋
二重焼きって何???
正式名称は何なんだろう。。。
「今川焼」が1番有名なのかな?
その地方々で 二重焼・大判焼・回転焼・太鼓饅 など々の呼び方があるお菓子のことです。
私の中では、回転焼きか御座候(ござそうろう)ですけどね。
御座候は、お店の名前でもあるんですけど、1番よくいただきます。 -
餡大好き人間なので、単純に大好物のはずということで、竹原市でここにだけは、寄ろうと決めて、やって来ました。
土曜日の10時10分にして、待ち人は4人でした。
前に並んでおられたのは、地元の方なんでしょうね。
15個・10個と買って行かれてました。
最近はアンコにチーズやクリーム、チョコを混ぜたものもありますが、やっぱりアンコだけのシンプルが1番美味しいと思う。 -
出来たてをいただきました。
猛烈に熱かったです。
久々に外側がカリカリの回転焼きをいただきました。
味は、餡がしょっからかったです。
もちろん基準となる御座候と比べてです。
御座候もそんなに甘くて、くどいと思ったことはないのですが、海が近いせいか?製塩で栄えた場所柄なのか?塩がよく効いていました。
しかし何が「二重」なんでしょう。
「一重(ひとえ)焼」があるのかしらん? -
-
道の駅たけはら は、2010年10月23日にオープンした新しい施設です。
国道185号線沿いにあり、県内で15番目となる 「道の駅」 だそうです。
以前ここには、竹原警察署があったそうな。
元警察跡地のくせにここの前の信号は、20秒で変わります。
お年寄りは急いで渡っていただかないと変わっちゃいます。 -
道の駅たけはらにて
竹で有名な街らしく、竹製品がーんと飾ってありました。
こんだけ大きな物を編むのは大変だろうに。。。
立派だからここにあるとわかっていても、スゴイです。 -
13億円にも及ぶ投資をかけ、広大な敷地に作られた道の駅たけはらには、
地元ならではの食べ物がたくさんありました。
竹炭シュークリーム ( くろちゃん )の真っ黒なシュークリームと、
竹原はお酒の町としても有名なので、クリームに日本酒が混ぜられている酒( しゅ)クリームが気になりました。
3月3日のお雛様の日だったので、ちらし寿司もかわいかったです。 -
文化施設周遊券を購入して、散策開始です。
町並み保存地区内の文化施設が通常800円のところ500円で入場出来ます。
まずは、森川邸に入りました。
塩田経営を背景に作られた明治初期の質の高い住宅建築(大正5年(1916)頃移築)です。主屋の他に離れ座敷・茶室・土蔵など屋敷構がそのまま残っています。茶室は小堀遠州流の茶人、不二庵(ふじあん)が設計されたものと言われています。 -
森川邸
玄関にお花が活けてありました。
今年初めて、ねこやなぎを見ました。
椿に菜の花。もうすぐ春ですね。
裏庭には、蝋梅 が散りつつありました。
森川邸は、元竹原市長の自宅で竹原で町並み保存地区で一番大きい建物との事。 -
スタンプがあれば、押さなきゃと思うわけで。。。
森川邸
近代の大規模な 和風住宅の代表例の一つとして価値が高く竹原の建築文化の高さを示す貴重な建物らしいです。 -
森川邸
座敷5部屋ぶち抜きだなんて、なんて大きなお屋敷なんでしょう。 -
森川邸
お家の中も広いけど、お庭も立派で、広々です。
草が生えていない、手入れが行き届いたお庭にうっとり。 -
森川邸
御殿雛(ごてんびな)
京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたものと思われますが、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。 -
森川邸
昭和11年 御殿雛
雛めぐりのイベントでお雛様が飾られているから、きれーなーと思って眺めている私の横で、同行者が指摘しました。 -
森川邸
並べ方が間違っているんだそうです。
こんなものに並べ方なんてあるのかと思っちゃう私(^_^;) -
森川邸
昭和50年代のおひな様 -
森川邸
前の昭和50年代のお雛様のお膳の並べ方は、合っているそうな。
間違って並べようにも、最初から、定位置にくっつけてあるから、間違いようが無いようです。
持ち上げて見ちゃいました(笑) -
森川邸
CMでもお馴染み「人形の久月」のお雛様。
江戸時代より続く人形専門店というのは、CMで知ってますが、こんな場所に飾る時もちゃっかり宣伝看板が掲げてあるのが、おかしかったです。 -
森川邸
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森川邸
里帰り御殿雛
森川八郎氏の娘 千鶴さんが、
大正11(1922年)年に 生まれた時に贈られた初節句のお祝いの雛人形です。
嫁入り道具のひとつとして持参されましたが、その親類の方から寄贈され、
約80年ぶりに森川邸に里帰りしたそうです。
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森川邸
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森川邸
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森川邸
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森川邸
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森川邸
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森川邸
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日の丸写真館
木造3階建てなんて珍しいですよね。
立派な建物だと眺めていたら、近代化産業遺産にも指定されている由緒ある建物でした(^_^;)
JR竹原駅前の交差点すぐそばに新館がありました。
過去に3億円を2本も当てている宝くじ屋さんらしいです。 -
玄関先とかいたるところに、花が飾られています。
竹の街というだけあり、花瓶は竹製なんです。 -
小さい装飾ですけど、
地元の方のおもてなしの気持ちが表れているようで、
とってもいい雰囲気♪ -
花を見つけては、撮影して、
歩くのが楽しくなります。 -
こんな場所に飾ってあったら、ステキに見えるんだよねぇー。
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竹鶴酒造
造り酒屋らしく杉玉がぶら下がってます。
現在、竹原には3社の酒蔵が稼動しています。
その中で最も長い歴史を持つ蔵が竹鶴酒造株式会社です。
竹鶴酒造は江戸時代の屋号は「小笹屋(おざさや)」といい、ルーツは製塩業を営む商家でした。
江戸時代この地を治めていた大名、広島藩の浅野家はその分家に浅野内匠頭で有名な赤穂藩がありました。
赤穂藩は塩田で潤っていたことから、本家という間柄ということもあり赤穂から製塩の技術を教わり製塩業に力を入れます。
その際に雨が少ないという理由で竹原が選ばれたそうです。
竹原には北前船が寄港する港があり、竹原で造られる塩は北前船に乗って遠方に運ばれます。
当時、塩は高級品であり北前船によって遠方に運ばれ街は発展します。
蔵元が語るには当時の竹原は「シンガポール」のような街で、人口や面積はすくないものの、物流と製塩が栄えたことから密度が濃く豊な街だったそうです。 -
竹鶴酒造は、ニッカウヰスキーの創業者である「竹鶴 政孝氏」の生家です。
竹原は製塩と同時に酒造業が盛んな街で、大正時代には竹原には50件の酒蔵が存在し西条を凌ぐ酒の産地でした。
小笹屋は1733年に酒造株を手に入れ、酒造業へ参入。江戸後期に現在の酒名となる「竹鶴(たけつる)」の酒名が誕生します。
酒名の由来は、蔵の裏にある竹やぶに鶴が飛来し巣を作った事を喜び「竹鶴」と命名されたそうです。 -
入ってすぐのところで、お酒の試飲ができました。
気に入ったものがあればその場で購入出来ます。
父土産に買おうかと一瞬思いましたが、重いもん。
先の行程を考えて、自重しました。 -
かつては50社以上の酒蔵があった竹原ですが、塩があちらこちらで作られるようになり製塩産業に陰りが現れます。商人はお金がある場所に移動するもので、時代の変化を感じた酒蔵は次々と竹原の地から去っていきます。
しかし小笹屋は竹原の地を離れず、昭和30年代に製塩業を止めてから酒造業を専念する道を選びます。
その結果、竹原に残る3件の蔵元になります。 -
試飲が無料で出来ました。
蔵では熟成酒は1年半以上寝かせ、熟成が進んでから出荷するという方針を貫いており、熟成させて美味しい酒は醸造年度ごとに味が変わり、それぞれの味の違いが楽しめるそうです。
3種類を一応いただいてみましたが、よくわかりませんでした(^_^;) -
辛口のお酒よりも、濃厚な甘酒の方が美味しかったです。
次々の注文される方が多く、好評でした。 -
佐倉商店
地元の物ばかりを取り扱っておられるお店だそうです。
こんぺいとうのお弁当かわいいっ。
もったいなくて、食べれないわ。 -
明治の初めの郵便ポストを再現しています。
普通のポストは赤色ですが、ここは特別に黒色。
平日2回、休日1回の収集している現役のポストです。
ここから投函するのも、いいかもと思ったけど、投函するべき郵便物がもうないので、残念でした。 -
マンホール、かわゆす。
甥っ子が見たら、きっと喜ぶであろう。 -
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ちゃんと説明文があって、親切。
ふりがなまで書いてあって、絶対に間違ってないと素人は思ってました。。。 -
並べ方が間違っているらしい。
この写真1枚だけでも、何カ所も指摘している同行人でした。
聞いたけど、忘れちゃった。 -
竹の街だけあって、竹製品のお土産がいっぱいです。
-
串が、お花の形になってかわいい。
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竹原市歴史民俗資料館
1930(昭和5)年築。
古い日本家屋の街並みの中に擬洋風の建築が特徴的です。
旧町立竹原書院図書館。
図書館は、現在別の場所で存続しています。
竹原市立図書館でいいと思うのに、「書院」という文字が残っていて、「竹原市立竹原書院図書館 」という名前だそうです。
竹原市民のこだわりの「書院」という文字(^_^;)
市立竹原書院の歴史は古く、寛政5(1793)年にさかのぼります。17世紀中期、兵庫県赤穂市の技術を導入し、竹原で塩田が開発され、17世紀後半には「竹原塩」の名で知られ、その経済的基盤が文教的な風土を生み、儒学者、医者、歌人など町人学者を輩出しました。その1人である、医師塩谷道碩は、子弟に儒学を教授していましたが、明和元年(1764)年に逝去し、竹原における学問の場が一時失われました。 寛政5(1793)年、道碩の子弟であった?春水・春風、町年寄小倉屋籐左衛門ら有志による郷塾「竹原書院」が開講されました。これが竹原における図書館史のはじまりです。 しかし、文化10(1813)年、火災類焼により焼失、以後、明治43(1910)年に社団法人「竹原書院圖書館」結成まで、再興がかないませんでした。この竹原書院時代から200年余りの伝統ある、現竹原書院図書館には、江戸時代の製塩業関係古文書、竹原の風俗を書いた和本、古地図などの資料が今も受け継がれ、収蔵されています。 -
竹原市歴史民俗資料館
昭和初期、江戸時代の「竹原書院」跡に建てられた洋館。
江戸中期、頼春水の師・塩谷道碩(1703〜1764)と云う医者がいました。彼は儒学者でもあり、医業のかたわら、多くの子弟に学問を教えていました。明和元年(1764)62才で病没し、照蓮寺に葬られました。道碩にはあとを嗣ぐものがいなく、門人である頼春水、春風らがその志の絶えるのを憂い、道碩の没後30年、寛政5年(1793)その家を「竹原書院」とし、邑人の学問所として、読書会や、詩、和歌の会などを行い、竹原文化の発展に寄与しました。
昭和4年(1929)、現在の建物を町立竹原書院図書館として建設、5年(1930)4月1日開館し、昭和47年(1972)1月31日までの42年間、竹原の文化活動の拠点としての役割を果たしてきました。
図書館の移転後、空家になっていましたが、昭和55年6月竹原市歴史民俗資料館として再活用し、先人の生活とその心を学び、将来への発展のいしずえとなることを念じて作られ、中に収蔵されている資料は竹原郷土文化研究会を中心とする市民各位より寄せられたものです。 -
竹原市歴史民俗資料館
塩田関係の史料を中心に、 歴史・文化・民俗資料などが展示してありました。
遺跡が発掘された竹原市でも、どこかへ行っちゃったらしく、残ってないとのこと。
古くて価値があるという資料ではなくて、寄せ集め的な資料たちでした。
<文化資料>
古くから文教の町と呼ばれ、江戸時代塩田経営によって富裕になった町人が元禄文化の影響により学問を行い、社会の秩序を保ち、身を治めることにつとめました。 町人学者が大勢出、学問によって身を立てた頼一門により、竹原文化は広く世に知られました。現在もなお、町並と共に数多くの文化財が保存されており、その一部を展示しています。
<歴史資料・民俗資料>
縄文後期にはじまった竹原の歴史は、弥生、古墳期と発展し、律令時代「安芸国沼田郡都宇郷」となり、平安期京都下賀茂神社の荘園となり、中世竹原小早川氏の活躍の場となりました。江戸時代に入ると新開に塩田をつくり非常に発展しました。こうした歴史の流れと庶民の生活を知るための民具を展示しています
<塩業資料>
慶安3年(1650)、赤穂の技術を移入して入浜式塩田がつくられてから、昭和35年(1960)までの310年間、竹原を発展させ、塩の町として全国に名をはせました。昭和5年(1930)第一次塩田整理が行われ、昭和34年(1959)流下式に変更、昭和35年(1960)全面廃止となりました。基幹産業であった塩業資料を展示しています。
<産業資料>
瀬戸内海に面した竹原は古くから漁業が盛んで、特に二窓の漁業は特徴がありました。また寛永年間(1620)にはじまった酒づくりも良質の水に恵まれ、塩と並ぶ竹原の主要産業でした。農村地帯はそうした産業の発展のため、重要な役目を果たしていました。
■所在地/広島県竹原市本町三丁目11−16
■TEL/0846−22−5186
■交通案内 /JR呉線竹原駅から徒歩で約15分
/山陽自動車道 河内ICから車で約20分
/広島空港から車で約25分
/新港橋バス停より徒歩で約10分
■開館時間/午前10時〜午後5時
■休館日/毎週火曜日・年末年始(12月29日〜1月3日)
■料金/大人100円、
団体(20名以上)80円 -
「地割跡」って書いてあるから、てっきり地震の後に地面が割れているのかと思ってました。
違うんですって。
お隣との境界線なんですって。 -
竹原市では古い町並みを竹灯りで照らす「憧憬の路」が10月の最終の土日に開催されています。
http://www.takeharakankou.jp/event/shoukei/
とても幻想的で厳かなイベントらしいです。
ろうそくは、長持ちするろうそくを使って、開催時間内17時から21時の間持たせるようです。
竹にろうそくを入れて、竹灯りを楽しむのに使った竹が街のあちこちに残っていました。
昨年もその前の年も雨が降ったそうで、今年は大丈夫なら、見てみたいイベントです。 -
なんでこうも細かく編めるのかしらん。
-
お店の中には、竹製品がたくさん並んでいました。
竹のバックはステキですが、お値段が張るので、やっぱり正装した時に持ちたいと思うところですが、、、
竹なので、生地に当たると引っ掻いちゃうそうで、高級服の時には合わせにくいようです。 -
竹細工の編み方は120種類を超えるそうです。
竹の編み方は様々なものがあり、用途により使い分けておられるそうな。
基本的な編み方は、四つ目・六つ目・八つ目・網代(あじろ)、ござ目、縄目などがあり、それぞれの編み方を組み合わせることで装飾的な多様な模様をつくり出すことが出来ます。
文字を編んだり、立体的に編んだり、2色の竹を組み合わせ、建築材料や照明器具など様々なものに形をかえて使われています。 -
竹の町をうたっているだけあって、一般の郵便ポストも竹製でした。
-
酒蔵交流館 & 手打ち蕎麦「酒蔵そば処 たにざき」
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樽をつり下げるディスプレイとは、よく考えてありますね。
酒蔵そば処たにざきは、この奥です。
江戸時代の建物の中に、しかも酒蔵内の一角に有ります。
本格手打ち蕎麦と藤井酒造の純米酒が楽しめるようです。 -
一般のご家庭の壁
おしゃれですよね。 -
-
竹取物語をデザイン化したマンホール
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重要伝統的建造物群保存地区
上市・下市の古い町並み(重要伝統的建造物群保存地区)には、江戸時代後期の町並みのほぼ全域が残っており、当時の都市機能に応じた様々な形式の建造物が見られます。本町通りの中央部は主屋、座敷、蔵を連ねた多棟連結型の町屋が多く、南北端で独立型町屋や妻入りの町屋が見られます。(竹原市ホームページより) -
喫茶プリンス
町並み保存地区で1番古いお店らしいです。
定休日は、 日曜日。
観光客相手とは違うのかもしれません。
地元人の為の喫茶店かもしれません。
中は地元民らしき人がゆったりとくつろいでおられました。
だからといって、入りにくいわけでは無いですよ。 -
店内も昔ながらの喫茶店という感じでレトロです。
店の中のソファーや飾りもかなり時代を感じました。
『ザ・昭和』満載でした。 -
ランチセット 600円をいただく。
バターが塗ってあるトーストに、
サラダと目玉焼き&カリカリベーコン。
これって、モーニングですか?と聞きたくなる内容です。 -
ピザセット 600円
ピザにキュウイがトッピング。
不思議な食べ物に思えてきますけど、食べてみると違和感無かったです。
コーヒーゼリーのデザートまでついて、コーヒーも込みで600円はお安いです。 -
マンホール
町並み保存地区の方角を指したマンホールです。
古い家並みが今も息づく 町並み保存地区
英語でも「保存のよい伝統的で歴史的な地域」と書いてあります。
外人には会わなかったけど、来て欲しい街です。 -
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それぞれの家にさりげなく花が飾ってあるのが、ステキなんですよ。
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奥に行くに従って、屋根が高くなってます。
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古い年代物の瓦の証拠。
草が生えてます。
昔の瓦屋根の場合、瓦を固定するのに「土」を使っていました。
今の瓦屋根は土は使っていなくて、瓦棒を打ち瓦が下がらないようにして、釘で瓦を止めてるそうです。
屋根から草がはえてくるのは、この土に草の種が飛んできて、そこから草がはえてくるのですものね。
言われて納得。
ガイドさんの説明が無ければ、見過ごしています。 -
松阪邸
この家は竹原の町並みの中でも、独特の雰囲気をもっています。入母屋造り、平入り、間口七間のつし二階の主屋の裏側に、平行にもう一棟、本瓦葺の建物とその二棟を直角の角屋でつないだ、表屋造りとなっています。建築は江戸末期(1820頃)のものを明治12年(1879)に全面的な改造を行い、現在の形となりました。「てり・むくり」をもった波うつような独特の大屋根、その下のうぐいす色の漆喰、大壁造り、塗込めの窓額つき菱格子の出窓、ゆるやかにカーブした本瓦葺の下屋、彫をもった出格子、与力格子など、非常に華やかな建築意匠です。座敷は全体が数寄屋風の意匠で統一されています。初代は延宝2年(1674)広島から移住、沢田屋と称して塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、塩田経営、廻船業、醸造業と多角経営を行うかたわら、下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるとともに文化活動を行いました。
http://www.takeharakankou.jp/guide/see/matsuzakatei.php -
松阪邸
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松阪邸
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松阪邸
部屋の中の電灯は、持ち運び式です。 -
松阪邸
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松阪邸
廊下がカーブして、手前の方が高くなっているのがわかりますか?
屋根も合わせて、カーブしています。
お城や寺院でよく見る唐破風。
城は壁面に付いているだけだけど、こちらは屋根全体も曲線を描いている。
瓦がよく落ちてこないもんだと感心。 -
松阪邸
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松阪邸
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松阪邸
幾何学模様のらんまが美しいです。 -
松阪邸
我が家の障子とは大違い。
もちろん竹で編んであるようです。
お金かかってますよねぇー。 -
松阪邸
3つの玄関の内の1つ。
使用人用玄関。 -
松阪邸
3つの玄関の内、お客様用(残る1つは、商売用)
表棟と裏棟のつなぎ部分を玄関として取り込んでおられ、不思議な造りでした。 -
廊下から、西方寺普明閣が見えました。
西方寺普明閣は、竹原市を象徴するような建物。
竹原市では、「ミス竹原」でなく、「ミスかぐや姫」がお祭りの時には西方寺普明閣から手を振って下さるそうな。
西方寺普明閣
1758(宝暦8)年築。
西方寺本堂横の高台に位置し、元々は戦国武将として有名な小早川隆景が建立したもの。方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台造で、ミニ清水寺といった雰囲気です。
また、この建物の中には妙法寺の本尊であった十一面観音像を安置していますが、この観音像は、もと平重盛の護身仏であったともいわれています。なお、重盛は、将来を嘱望されながらも若くして死んだ平清盛の嫡男です。
また、ここからは竹原の街並みを一望できるのが魅力。そして竹原の街並みからは、この建物がよく見えます。 -
松阪邸
唐破風(からはふ)の屋根が有名らしい。
唐破風とは、勉強不足なので、初めて聞く言葉。
中央部を凸形に、両端部を凹形の曲線状にした破風。玄関や門、神社の向拝(こうはい)などに用いられる事が多いんだそうです。 -
松阪邸
お嫁さんが乗ってこられた籠。
小さいです。 -
出格子
竹原の格子は1軒1軒お家の個性が出ています。
工夫が凝らされておられます。 -
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普通の家もすべて格子作り
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同じように見える格子でも、横に開いていると高いそうな。
しかも、ここのように、出っ張っていると、さらにお高いそうな。 -
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街のあちこちに置いてあり、なんぢゃこりゃーと思っていた物体。
小学生の作品だそうです。
作品を披露するのが目的ではなく、
QRコードを紹介するのに、
目印があった方がいいということで、目立つように置いてるそうです。 -
頼惟清(らいこれすが)旧宅
歴史ある建物なのに、無料でした。
日本外史で有名な頼山陽の祖父、 惟清が紺屋を営んでいた家。
長男春水(頼山陽の父)は広島藩儒に、幕府の昌平黌で講義もした。
次男春風は医者、儒者として春風館を建てる。
杏坪も広島藩儒となり三次代官をつとめ、
芸藩通志の編纂を行った。
建築は安永四年(1775)頃で、頼一門の発祥の地として、
県史跡に指定されている。 -
頼山陽の祖父の実家には、紺屋用(祖父が営んでいた)、家事用、書道用の3つの井戸があったそうです。
手前の井戸が、家事用。
奥の井戸が習字用。
奥に写っている建物で習字を教えていたらしい。
今でも字が上手くなりたい人は、ここの習字用の井戸に水を汲みに来られるそうです。 -
今まで豪邸を見てきた後だけに、とても質素に見えます。
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染め物の作業をされるので、広い造りになっています。
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照蓮寺
立派な屋根です。
浄土真宗、西本願寺末寺。中世は定林寺という禅宗寺院で小早川氏代々の子弟の学問所でしたが、文禄の頃、寺堂は荒廃していて慶長8年真宗に改め、照蓮寺と改称しました。 -
照蓮寺
鬼瓦は、下から眺めているとそんなに大きく見えないんですけど、
畳4畳分あるそうです。
下の土台も入れると畳6畳ですって。
聞いてみないとわからないもんですねぇー。 -
照蓮寺
ここには、3カ国の鐘があります。
日本と中国と朝鮮の鐘です。
総高68.3cm、口径40cm、口縁の厚さ3cmの国の重要文化財になっている鐘が有名です。
小早川隆景が朝鮮の役の戦利品として持ち帰って寺に寄進したものです。
“高麗鐘”は、日本にある高麗鐘の中で建設時は3番目に古い峻豊4年(963)と陽刻されています。
その後、どんどん古いのが出てきて、今では6番目に落ちたそうです。 -
照蓮寺
親鸞聖人の銅像
ホームページ
http://www.showrenji.com/index.html -
照蓮寺
門
裏からも表からも龍が彫られています。 -
照蓮寺
山門 -
光本邸今井政之陶芸の館
光本邸は、江戸時代に建てられた「復古館」の離れ座敷で、後年光本家が居住し、後に竹原市に寄贈された建物である。光本邸内の土蔵を改装してつくられた「今井政之 陶芸の館」では、今井氏が幼い頃から親しんだ瀬戸内海の魚、草花や生き物など自然をモチーフにした作品約30点が展示されています。現在、陶芸の館では「今井政之・眞正・今井裕之 父子3人展」として今井政之氏の陶芸、今井眞正(長男)氏の彫刻、今井裕之(次男)氏の鍛金・水晶の作品を展示しています。 文化活動の場として観光客の休息の場としても活用されています。 -
光本邸 今井政之陶芸の館
入場料200円もするの。
光本邸内の土蔵を改装して作られた館内には、今井氏が幼い頃から親しんだ瀬戸内海の魚、草花や生き物など自然をモチーフにした作品、30点が展示されています。 -
光本邸のお雛様
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昔の建物は、釘も手作り。
1本1本形が違うのがわかります。 -
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何の形の模様に見えますか?
ヒント:幸福を呼ぶ鳥。
こうもりですって。 -
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神田もち店でお土産を買って帰ろうと決めてました。
最初に購入すると重いので、帰る時でいいやと思ってました。
まさかまさかの売り切れ。
しばもちは、4月からだそうです。
食べれないとなると余計にたべたくなるおはぎでした。
季節的に桜もちも捨てがたかった。
お隣の普通の民家の窓もチェックしてみて下さい。
お雛様バージョンになってます。
一般の方も、たけはら町並み雛めぐりに賛同されてると思うと嬉しくなっちゃいました。 -
JR竹原駅の改札
こんな自動改札機初めてみました。
ここに通すことになっているようですが、駅員さんもちゃんと改札に立っておられ、見張っておられます。 -
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ただのうみ
無料の海?ってことかしらんと思っちゃいましたけど、
本当は、
「忠海駅」です。
「忠海町」の地名の由来は 平清盛の父の名から来ているそうです。
平忠盛(清盛の父)が1135 年(保延元年)日宋貿易の航路で ある瀬戸内海の忠海沖(当時 「浦」)で海賊を捕らえた功績とし、忠盛の二文字を分け、「浦」を忠海と、対岸の島である大三島を 盛村と名づけたと伝えられている。 -
追加
竹原郵便局の風景印
お友達から、写真画像いただきました(^_^;)
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