2012/03/01 - 2012/03/01
269位(同エリア315件中)
不二山さん
写真は、海外から1964年東京オリンピック(10/10~10/24)に来た人たち向けに作られた英語表記のパンフレットを開いたところです。
この旅行記では、
※参考に続いて
1.古いパンフレットの説明
2.当時のオリンピック資料
3.IBMフランス フランス選手団の旅程表
4.IBMフランスの昼食先(三重会館)
の順になっています。
※参考1:関連旅行記
日本IBM 最高顧問 北城氏の講演/IBMフランスの48年前の資料 ~ 父の足跡 ~
http://4travel.jp/traveler/titinosokuseki/album/10653633/
※参考2:現在の動きとして
2016年 東京オリンピック構想
http://ja.wikipedia.org/wiki/2016%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E6%A7%8B%E6%83%B3
2012年 ロンドンオリンピック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF_(2012%E5%B9%B4)
1.古いパンフレットの説明
○左上の写真説明
<引用>
アジア大会の成功 1958年
アジア競技大会は、戦後初めてロンドンで開催されたオリンピックに参加したインド・フィリピン・朝鮮・中華民国・セイロン・ビルマの6カ国が、4年に一度アジアの総合競技大会開催を合意したことに始まります。
第1回大会は昭和26年(1951)インドのニューデリーで、第2回大会は昭和29年(1954)フィリピンのマニラで開催されました。第3回の東京大会は、その直前に開かれた第54次IOC総会に参加する各国委員に対し、東京が国際レベルの競技会を担う実力を持っていることをアピールすることを狙っていました。
そのため、オリンピックを意識した聖火リレーの導入や閉会式の巧みな演出等、いわばオリンピックの予行演習といってもよい内容が盛り込まれました。
円滑な運営もあいまって、世界的な賞賛を集め、第18回大会の開催候補地として東京は高い評価を得ることができたのです。
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0402lobby03list.pdf#search='1958年 オリンピック'
○左中央 左
1964年10月10日から24日までのオリンピックの競技予定です。
○左中央 右
観覧券について
○下段すべて
Plan to take advantage of your Olympic trip and see all of Japan
(オリンピックの旅行を利用し、かつ日本をすべて見る計画)
東京 日光 奈良 京都を紹介しています。
○右上
オリンピック大会 駒沢スタジアムなど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E6%B2%A2%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E5%85%AC%E5%9C%92%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%A0%B4%E9%99%B8%E4%B8%8A%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4
○右中央
宿泊について
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
PR
-
イチオシ
この旅行記の表紙のパンフレットを閉じた表と裏を開いています。
?JAL発行です。
○表
当時、海外の旅行者については、JALが主に行っていたようです。
○裏
DC−8と書いてあります。
1960年7月 プロペラ機にかわりジェット機初就航
http://ja.wikipedia.org/wiki/DC-8#.E5.88.9D.E5.B0.B1.E8.88.AA
-
イチオシ
パンフレットを開くと、
○左上
DC−8の飛行機
○左中央
パンフレットの表紙
○下段すべて
JALの航路
○右上
機内の様子
当時のキャビンアテンダントは、和装だったのかな?
写真には和装(着物)姿ですよ。
○右中央
世界のJAL支店と電話番号
裏は、この旅行記の表紙の写真です。 -
イチオシ
?日産自動車提供です。
オリンピック東京大会
会場案内のパンフレットを開いたところ
左の紙面をそのまま入力すると
■デモンストレーション:野球の出場チーム
全米オールスターズ(陸・海・空軍、学生、社会人の選抜チーム)
日本A(全日本大学選手権大会優勝チーム)
日本B(都市対抗野球大会優勝チーム・補強選手を含む)
と記してあります。
アメリカの選手は、軍関係者が出場したのですね。
なんか、びっくり。
-
裏です。
会場案内鉄道図
私は、東京のことを知らないので、よくわかりません。 -
さらに開くと、A3サイズ
オリンピック東京大会競技日程表
があります。
父は、この表を模造紙に書き込み、
フランス選手団の人たちを把握していました。
この表は、とても役立ったようです。 -
さらに開くと、
オリンピック会場 一級国道 二級国道 主要地方道
国鉄 私鉄 国立公園が記されています。 -
イチオシ
?エールフランス発行 日本語表記
父は、1960年のローマオリンピックのパンフレットを残しています。
1963年4月、フランスで日本でのフランス人・選手団の旅行を引き受ける契約を成立させ、5月にはローマに向かい、一部の競技場跡地へ行きました。
父が、東京オリンピックにいらしたフランスの方たちの旅行を、どの時点で引き受けようとしたのか、わからないままですが、東京オリンピックの開催が決定したのは、1959年5月26日、西ドイツのミュンヘンで行なわれた第55次IOC総会でのことなので、もしかしたら、その辺りから、構想したのかもしれません。
4つ折りを開いています。左が表紙 中央が裏表紙 右がローマ観光地の一部 -
パンフレットをさらに開いたところです。
競技種目 場所 期日 入場料(リラ)
たとえば、
体操は、Terme di Caacaiia⑨ の場所で
9月5日~10日 500~2000リラ
です。
パンフレットすべてを開くとローマの地図になっています。
⑨は、会場の位置を示しています。
現在のお金に換算したら、いくらぐらいなのでしょうか。 -
2.当時のオリンピック資料
?オリンピック東京大会期間
中の外客宿泊予約について
NO.1
B5サイズ19ページ
発行者 不明です。 -
目次
本文抜粋
・17ページ リスト
国際旅行業者協会 33業者
(現JTB 近ツー等を含む)
・18ページ 料金
バス付
ツイン 4500円〜5400円
トリプル 5940円〜7200円
バスなし
シングル 1980円〜2700円
ツイン 3240円〜4320円
トリプル 4680円〜5760円 -
?オリンピック東京大会の際における
一般市民住宅の宿泊申込方法について
サーキュラー NO.2
東京都
B5サイズ 9ページ -
目次
日本の一般市民住宅とそこでの生活
という項目があります。 -
注意事項
・a 家にはいるときは、靴を脱ぐこと
スリッパー(スリッパではありません)をすすめられることもあるが、
個室に入る前には、脱ぐように。
「タタミ」と呼ばれる、弾力のある、部厚いマットレスが隅から隅まで引きつめてある。と説明しています。
・b 座るときの座席と眠るためのペットは、タタミの床に設けらられます。
・d風呂、バスタブの中では体を洗わないこと
日本では、一人ひとりの使用ごとに湯を落としません。
・eカギのかかる部屋が少ない
おもしろいことが書いてありました。
余談
当時のパリのパンフレットには、夕方ガス灯に火を灯す人が紹介されていたり、女性が夜出かける時は、男性と一緒にと書いてあったり、夜ホテルの部屋の外に靴を置いておくと、翌日までに磨いてくれるとか、スーツを持って行くようにと書いてあったりして、面白いです。 -
?昭和39年3月
オリンピック東京大会関係資料
東京都オリンピック準備局
B5サイズ 48ページ 3000部印刷しています。
濃い緑色の表紙 -
20ページ
オリンピック村
代々木の選手村の見取り図・写真が載っています。
父は、選手村に足を運んでいて、選手の方たちと写真を撮っています。
48ページ
運動の内容及び東京都の関係局 事項として
オリンピック理解運動
国際理解運動
公衆道徳高揚運動
商業道徳高揚運動
交通道徳高揚運動
国土美化運動
健康増進運動
があり、機構が作られていました。
道徳って、言葉、懐かしいです。 -
3.IBMフランス フランス選手団の旅程表
○左端
四国
○右端
富士山 東京
1DAY 名古屋→京都
2DAY 京都→宝塚
3DAY 宝塚→姫路
4DAY 姫路→香川県高松市屋島
5DAY 屋島→奈良
6DAY 奈良→名古屋→東京(飛行機)
手書きのよさを感じます。 -
イチオシ
パンフレット
真珠と海女の島
ミキモトパール
アイランド
パンフレットの裏面は、表面と同じ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AD%E3%83%A2%E3%83%88%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E5%B3%B6 -
左
御木本幸吉と真珠
右
ミキモト真珠島
1893年 養殖真珠第1号を発明した島とのことです。 -
島には、真珠工場、ミュージアム、記念館、銅像、売り場、海女スタンドがあると示してあります。
-
真珠ができるまでを紹介しています。
-
フランスIBM
グループA 99名(グループB 114名)略
10/7
横浜入港(16:00 ソ連 Baikal号) 熱海城 泊
バイカル号を検索すると多数でてきます。
http://www.atamijyo.com/infor/
10/8
京都着(12:05)ステーションホテル(12:15〜13:15)
京都市内観光(13:30〜17:30)
二条城 平安神宮 清水寺
京都 ステーションホテル宿泊
夕食(18:30)ギオンコーナー(20:00〜21:10)
http://www.kyoto-gioncorner.com/
10/9
京都・奈良観光(9:0017:30)
金閣寺 竜安寺 奈良ホテル(昼食)
http://www.narahotel.co.jp/
法隆寺 大仏殿 京都ステーションホテル宿泊
夕食(20:00)
10/10
伊勢・鳥羽観光(9:00〜17:00)
平等院 四日市SH(昼食)内宮 鳥羽錦海楼宿泊
http://www.kinkairo.co.jp/
夕食(19:00)
10/11
パール島見学(前の写真にあるミキモト真珠島のことだと思います)
津 三重会館(昼食)名古屋着 熱海着(18:27)
Bグループは、鳥羽ではなく、岐阜県長良川に宿泊となっています。
それ以外は、ほぼ同じルートです。
追記:2014年11月4日
Bグループは、9日にパール島を訪れた後長良川に向かいました。
父は、横浜からマルセイユまで、1ヶ月かかっています。
IBMの方たちは、往復船を利用しています。
さすがに片道1ヶ月は要さないまでも、2週間はかかるのではないでしょうか。
とすると、IBMの方たちは、1ヶ月半の観光・研修旅行、出張?となります。
当時、通訳13名と記されているので、当時の東京在住のフランス語を話せる方や学生さんは大忙しだったでしょう。
名古屋で仕事をする父は、フランスとのやりとりに、岐阜県在住の方や名古屋の大学生の方や教授の方のお力を借りていました。 -
フランスIBM
グループA.B合流
10/12
SONY見学
10/13
江ノ島 海浜ホテル昼食(10:45〜13:15)
鎌倉観光 大仏 長谷観音 鶴ヶ岡八幡宮(13:30〜15:30)
熱海 泊
10/14
朝日新聞見学
10/15
小田原(10:00)大涌谷(11:30〜12:00)
箱根園(昼食)芦ノ湖(15:00〜15:30)
熱海着(16:30)
10/16
TBS見学
10/17
河口湖(11:30〜14:30)白糸の滝(15:45〜16:15)
熱海着(19:15)
10/18
10/19
下田東急ホテル(12:00〜13:30)
石廊崎(14:10〜15:30)
熱海着(18:30)
10/20
横浜着(8:00)
横浜港(11:00)Gregory Old jonikidze乗船
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%BC
市場調査・研修もしました。
当時の日本に学ぶところがあったということですかね。
日本IBMは、昭和12・1937年設立です。
当時、選手団以外に、フランスIBMの200名もの方々を受け入れる父の会社も大騒動だったと思いますが、日本IBMの社員もてんてこ舞いだったと思います。
このあたりの話を関係者の方から、お聞きしたいものです。
さて、オリンピック観戦の日は、一日も見当たりませんが、どういうことなのかな?わかりません。
10/18は空白です、その日?
あるいは、SONY見学の日などは、そこ1か所だけなので、観戦にいったのかな? -
クラブメッド(旧:地中海クラブ)関係 略
フランス選手団 B 10/25〜29(50名)C(70名)略
フランス選手団A 10/20〜10/24(90名)
10/20
東京→名古屋(11:42)→京都 ステーションホテル宿泊
ギオンコーナー(18:00〜19:10)夕食(20:00)
10/21
日仏会館(8:20〜9:20)
(現在 関西日仏学館と思われますhttp://ifjk.jp/)
京都観光(9:40〜18:45)
金閣寺 竜安寺 二条城 ステーションホテル(昼食)
桂離宮 三十三間堂 清水寺 ステーションホテル宿泊
10/22
帝国酸素講演(11:00〜12:00) 六甲山(昼食)
(現在のエア・リキードかもしれませんが不明です。親会社はフランスとかいてありますから、関連はあると思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89)
川崎造船(14:00〜15:30) 三笠温泉宿泊
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E9%80%A0%E8%88%B9%E6%89%80)
10/23
京都・奈良観光(8:45〜16:30)
法隆寺 春日大社 大仏殿 奈良ホテル(昼食)
天理大学見学(14:30〜16:30)
(体育学部を見学したのでしょうか。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%A4%A7%E5%AD%A6)
奈良ホテル(夕食) 夜行(20:30)にて東京へ
10/24 東京着(6:40)
まじめな旅行です。
24日は、オリンピックの閉会式の日です。 -
選手団の文字が見えます。
-
4.IBMフランスの昼食先(三重会館)
近鉄 津駅(三重県県庁所在地)
私は、仕事で何年も何度も津に来ています。 -
構内の案内図
-
バスに乗るときは、整理券を取ります。
-
整理券と料金を降りるとき払います。
-
三重会館
フランスIBMのA.Bグループが昼食をとった
三重会館です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8D%E4%BC%9A%E9%A4%A8
事前に、ネットで調べました。
様変わりしていて、食事ができるところは、1階の喫茶店だけになっていました。
昼食は、向いのビルへ行くことにしました。 -
ビルの名前が残っているだけでも、大変嬉しいです。
-
現在の三重会館
-
各社、事業所が入っています。
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入口
-
ロビーのようなところ
-
向かいのビル
私は、15年ぐらい前、ここの会場で仕事をしました。 -
4階
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店内
-
料理を待っています。
ランチを頼みました。 -
3段、
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このような料理でした。
-
谷川士清氏の像
町医さんだったそうです。 -
津の城跡
次回、4月上旬にこの公園を歩きたいと思います。 -
近くへ
-
今回の第一の目的場所
大事な用で来ました。
1月下旬にも来ました。その時、帰りのバス停の前が、三重会館でした。
三重会館の文字に見覚えがあり、調べたら、当時フランス人約200名が昼食をとった場所だとわかり、今回は、デジカメを持参しました。
当時、和食だったのかな?
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