2012/01/16 - 2012/01/16
628位(同エリア1070件中)
フラワーさん
1月16日、この旅行の2日目です。
時差は1時間ですから時差ボケもなく快調です。そして寒さもそれほど感じません。ホテルで朝食、バスに乗り込み観光地を廻るだけですから寒いわけありません。
しかも9時ホテル発というユックリズムです。
旅行会社の「旅のしおり」のスケジュールを変更し、昨日行かなかった旧日本人街、中山広場周辺、旧ロシア人街、大連港、北大橋、老虎灘などを観光します。
今日の観光は盛りだくさんなので昼食までとその後の2回に分けました。
写真は大連港と高層ビル群です。
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朝、ホテルからの景色。
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ホテルで中華ブッフェでお腹を満たしてから朝の散歩です。
影が長い。 -
公衆電話。
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理髪店。
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ここは交通事故の快速処理か。
なにを処理するのかな。 -
道路の反対側からホテルの写真。
確かに道路を渡るのは大変でした。横断歩道を歩いても車は止まりませんので左から車が来ないのを確認して、とにかく道路の真ん中まで行って立ち止まります。
ここは前と後をすごいスピードで走る車が怖いのですが、今度は右から車が来ない時を見はからって、一気に道路を渡りきるのです。 -
ちょっとした人が集まっていますが何でしょうか?
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公衆トイレは有料でしょうか。
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大連港集団(半国営港湾会社)が使用している建物で、1916年〜1926年に満州鉄道が建造しました。当時は大連で一番高い建物で、埠頭事務所として使われていました。
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港側の正面には大連港船客待合所があります。満州鉄道が1924年に建造(入り口建物は再建)当初は1階に鉄道のプラットフォームがあり、乗り継ぎに便利な造りになっていました。
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さて大連港集団の建物の見学です。
1階ロビーです。当時満鉄がかなりのお金をつぎ込んだのでしょう。
ビシッと決まっています、いまも現役バリバリです。 -
21世紀に向けて建設 近代的な港湾を目指して、ということでしょう。
1999年に江沢民が記したものがありました。書を得意とした江沢民はいくつも
の書を残したし、また書いてもらう側にも大きなメリットがあったのです。 -
エレベータで屋上へ。
外に出るところにこんな貴重な写真が無造作に貼られていました。
この港は基本的には帝政ロシアによって造られました。 -
屋上からの景色です。
大連は歴史的に日本と緊密な関係にありましたから、日本人の考え方を理解できる人や、人の話をよく聴く努力家が多く、この近くの「特別開発区」には日本から沢山のメーカー、商社、建設会社などが進出し、現在では日本に関連する企業は約4000社にのぼります。
雇用促進にも役立っています。あるメーカーは当初385人の社員を5000人に増員しました。 -
貨物船が停泊しています。
大連港は香港、上海、天津に次いで貨物取扱量が多いスーパーハブ港で、貨物はここから東北三省(日本や欧米では満州とも言われる、遼寧、吉林、黒竜江の三省)へ運ばれます。
また遠く対岸には急ピッチで新港が開発され、5〜6年後の稼動をめざしています。 -
日本統治の頃の大連港の中心はこのあたりだったそうです。
今回ご一緒した中に、ご自身がここから舞鶴に引き揚げた方がいらっしゃいました。感慨深いものがあったに違いありません。
1944年〜1949年にかけて27万人の日本人が引き揚げました。 -
乱立する高層ビルと工場から立ちのぼる煙。
今の中国を象徴する風景のひとつでしょう。
宿泊ホテルの朝も外は少しスモッグがかっています。 -
建物の外壁はレンガで出来ていました。
赤い国旗がはためいていました。 -
再び1階へ、トイレタイムです。
ジジは裏口に廻ってみました。
航海の安全を願うのはどこの国も同じですが、大理石(?)を細かく彫刻した大きな置物がありました。 -
1999年に開港100年を祝って贈られた物でしょう。
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内部のきれいな廊下の左右に事務所の部屋がありました。
ほんとの現役です。 -
旧ロシア人街に行く途中のバスから。
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空手道と銭湯。大多数の家にはシャワーしかないので、街にはお風呂やがあり混み合っているとのこと。
このツアーのメンバーのお一人は昨夜町のお風呂やさんで旅の疲れを取り、床屋さんで散髪をし、ホテルにお帰りでした。
因みにお風呂+マッサージ+垢すりで119元。
散髪は20元とお気持ち少々だったそうです。 -
路面電車。
路面電車とバスは一律1元です。 -
分かりにくい写真ですが、この橋の名はは日本橋です。
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この辺りがロシアによる大連発祥の地です。
この建物は東清鉄道(ロシアが満州北部に敷設した鉄道)の子会社の東清鉄道汽船の社屋でした。1902年の竣工で現在は大連芸術展覧館として使われています。 -
旧ロシア人街を歩いていきます。
帝政ロシアによって官庁街として先ず最初に造られました。
全長500mほどの道の両側には、それらしい建物が立ち並んでいますが、数棟を除き、復元されたものです。 -
この季節だからでしょうか、お店は殆どクローズしていて人通りも少なく、寂れた雰囲気です。
あとでガイドさんに聞いたら、暖かい季節はとても賑わうそうです。 -
たばこのディスプレイでした。
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これは当時の建造物らしい。
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だいぶ奥まで来ました。
お店は開店しています。 -
最奥のロータリーにある立派な建物で、ホテルらしいのですが誰もいません。
倒産したのかこの季節はお休みなのか。ともかく殺風景です。
噴水もカラカラでしたが、多くの高級車が駐車していました。 -
ロータリーの端の石柱。
ここはロシア人以外は入れなかったのでしょうか。 -
ロシア人街が終わった先で交差している道路。
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これでバスに戻ります。
ロシア人街の終点はこのゲートでしょうか。 -
ロータリーから来た道を振り返りました。
100年余り前と現在がうまく共存しているように見えました。 -
戻るときに左側の小道に入ってみました。
もともとの中国の姿がそこにありました。 -
オートバイ荷車と高級外車。いいですね。
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一般庶民の味方のような市場。
わんちゃんにとっても。 -
山小屋風の住宅。
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大切に使っていますね。
日本留学はいかがですか? -
ハーレーダヴィッドソン風運搬車。
よくぞ現役でここまで。 -
ワゴンのお店はいくつも出ていました。
毛皮の帽子と腹巻。 -
まあちょっと寂しかったですね。
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今度は旧日本人街です。
入ってすぐの日本食のお店。 -
ここは南側に低い山があり、それで南山区と呼ばれている山の中腹の高級住宅街です。まるで日本で見る住宅展示場です。
山、海、街どれも車で10分で行ける最高のロケーションにあります。
でもなんでここが旧日本人街? 日本統治時代の古い日本人住居をすべて壊し、10年前に造った国の肝いり戸建て高級住宅地です。しかし高すぎて売れずまた建設業界保護政策により今は銀行が所有者です。 -
これは所謂、キャバレーで春節を迎え派手なセットになっています。
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街角。
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どん詰まりにあるロータリーは噴水もありますがもちろんカラカラです。
着物姿の少女のオブジェがありました。でも寒いせいもあり心なしか寂しそうでした。 -
高層ビル遠望。
開発はしたものの99%が空家の新築物件を、政府は値下げすることもできません。都心と郊外の高層マンションにも空家が目立ちますが、建設ラッシュはまだ続いています。
2〜3年後にこの都市、この国はどうなるのでしょうか。ガイドさんも不安を口にしていました。 -
高級住宅街が終わった先にある昔の日本人住宅の家屋で、今も現地の人が住んでいます。
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これでは風情地区にはならないと思いました。
これからお土産物屋に立ち寄りそのあとランチです。 -
ランチ場。
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きれいで清潔なレストランでした。
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料理も美味しかったです。
ではこの日の後半は続きで。
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