1991/10/01 - 1991/12/01
58位(同エリア95件中)
hoshideさん
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20年ほど前インド旅行をしたときの思い出、多分今は大分変わっていることと思います。古い写真をスキャナーで取り込んだものですから、大分画像が悪いようです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- エアインディア キャセイパシフィック航空 タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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福岡空港から香港まで羽キャセイ航空、香港ニューデリー間はエアインディアに乗りました。香港は古い空港でビルの谷間に下りていくような感じがしました。香港での待ち時間が長く、ニューでぇりーに着いたのは午前二時過ぎでした。大分くたびれました。
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三時間ほど寝た後、アグラへの観光がセットされていました。寝不足の目をこすりながら、バスに乗り込みました。ニューデリーの近郊では延々とスラムが続いていました。
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タージ・マハルの入り口。
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有名なタージ・マハル、白の大理石で出来たイスラム建築。皇帝シャー・ジャーハンの妃ムムターズ・マハルのお墓。前面に長方形の泉水がありシンメトリーな建物を投影している。
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タージ・マハルの基礎の上から入り口の方を望む。タージ・マハルの中には靴を脱いで入るようになっており、我々日本人は足の裏の皮が薄いせいか焼けるように熱い。
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タージ・マハルの上、午後の熱い日差しを避け建物の影で休息する人々。タージ・マハルの裏にはジャムナ川が流れており、シャー・ジャーハンは川の対岸に黒い大理石のタージ・マハルを建設するつもりだったそうです
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アグラ城の入り口。
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アグラ城の内庭。
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タージ・マハルを作ったシャー・ジャハンは息子の反乱により捕らえられ、アグラ城のこのあたりに幽閉され、自分の作ったタージ・マハルを眺めながらなくなったそうです。
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ジャマー・マスジッド タージ・マハルを作ったシャー・ジャハンの娘が造った礼拝堂、赤い建物の上に白い大理石のドームがのっている。
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ジャマー・マスジッドの周囲の庭園はよく手入れが行き届いている。
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ラーマーヤナのハヌマーンのモデルとなっているハヌマーンラングールという猿ジャマー・マスジッドの周りに沢山いました。暑いせいか皆木陰に固まっています。
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アーグラーに旅行した翌日の早朝、ニューデリーからハイデラバードに移動、3日間ほとんど寝ていなかったので、本当に疲れた。
ハイダラバードはフセイン・サーガル湖を挟んでスイカンダラバード接している双子都市。湖から引き上げられた仏像があるとのことだった。 -
インド人の1割がモスレムとのことであるが、ハイダラバードは特にモスレムの数が多い。町の中にも黒い布で顔を覆っている人が目立つ。
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チャール・ミーナールの近くにある病院、オートリクシャが沢山客待ちをしていた。
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グルコンダフオートへ向かう道は人、自転車、オートリクシャ、山羊、牛、馬車等様々なものが行き交う。その雑踏の中を警笛を鳴らしながら車は進む。細いスラムの様な町の中の道路には、所々に車やオートバイのスピードを落とすための凸凹が設けてある。約30分でフオルトの入り口に着く。Patilが一人の案内人を連れてきた。案内人は城門の上を指さしながら「城門の天井の所では常に煮えたぎる湯が沸かされ、敵襲来の際には天井に開いた孔より、熱湯を降り注ぐのだ」と説明した。入口からちょっと入ったドーム状の天井を持つ広場には非常に精巧な音響反射システムが有り、小さな音が大きな音になって帰ってきた。また1Kmほど離れた城の一番奥、王様の居る場所まで音が届く様なシステムになっていた、手をたたいて実験してみせた。急な坂道を登って城の奥へと進むと、青子の繁茂した池、水のタンクがある。非常時に備えて常に水が貯められていた。400年前にはポンプといったものはなく、100m近くの高度を、人力で汲み上げたとの事、昔の人の苦労が忍ばれる。王様の座った玉座は後ろの地下道から冷たい自然の風が吹吹き上げてくるように工夫されていた。 城の頂上からはこの城さいの広大な全容が見渡せる。十数キロにも及ぶ城壁が見える。いくつかの王様の墓が見える。城の頂上から降りるのは早かった。Patilが案内人に20ルピー払い城を出た。
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王様のいた宮殿を望む。
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貯水池
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城から見えるハイデラバード市内。
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チャール・ミーナール、疫病の蔓延の終息を記念して建てられた記念塔。ハイデラバードのシンボルにもなっている。私が訪れる数年前、ここでヒンズー教徒とイスラム教徒の衝突があり、数十人が死亡したり負傷したりしたとのこと。表面的には何もないように見えるが、ヒンズー教とイスラム教の共存はなかなか簡単にはいかないようだ。
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Venkateshwar Temple 細い路地のような裏参道を丘の上に上がって行く。両側はつぶれそうな店やが並び、おもちゃ、日常生活品、みやげ物、食料品を売っている。裸足の子供たちが遊び、老人が道端に座っている。200m程の路地を抜けると広い表参道に出た。入口の所で靴と靴下を脱ぎ預ける。ハイダラバードとスカイダラバードの町が眼下に広がる。入口の所には象の頭をした神ガネシアの彫刻と鐘がぶら下がっている。お堂の正面の壁面にはラーマヤナに出てくる、インドの歴史が刻まれている。頂上から写真を撮ろうとしたら、ここは写真撮影禁止だと注意された。よく見たらphotograph prohibitとかいてあった。 このお寺はBirlamandirと言う香辛料産業で成功したインド人の財閥によって建立された寺、余り古いものではないが、白い巨大な大理石で作られ、全面に細かな彫刻が施されている、莫大な費用が掛かったことはまちがいない。
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夜間照明により浮かび上がったヒンズー教Venkateshwar Temple、ハイデラバード市民の夕涼みの場所にもなっている。
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Havanoor村
9時Patilの村、Havanoor村へ向かう、Patilと言う名前はインドにおいてはかつて税金の取り立て人、多分日本の庄屋に当たるような仕事をしていた人をさしたとのことで、非常にポピュラーな名前であるとのこと、彼の所属した大学、学部にもPatilの名字を持つ人が3人もいたそうだ。 グルバルガの町外れで、水牛、牛や山羊の大群に会う、その群れの中をかき分けるようにスクーターは進む。警笛を鳴らすと、驚いて横に飛び退く小牛、面倒なのかスクーターを無視する大牛。牛や山羊を追っているのは3ー4歳の子供、みんな長い棒とステンレスのランチボックスを持っている。サリーを着た女性が大きな荷物を頭に載せて運んでいる。白いドーティを着た老人がぼんやりと立っている。道の両側にはjoliと呼ばれるネムの木に刺の生えた様な木が延々と続いている、この木は道の両側ばかりでなく畑や農園の境にも植えられている。所々で薪を集めている人がいるがまともな薪はないようで、カラタチのような小枝をあつめていた。町をでて15分程走ったところに、干上がった河があった。両側には沢山のリュウゼツラン(desert plant)が生えていた。40分ばかり走ったところに池のようなものが見えた。「ダムか」と聞くと、「タンクだ」とのこと、インドでは規模の小さなダムのことをタンクと呼ぶらしい。このタンクがこの周辺の村の潅漑をまかなっている重要な用水池で、渇水期なのか水は半分以下になっていた。Patilの村もこの貯水池から水を引いているとのことだった。1km程で田舎道に入った、道の横に矢印とHavanoorと言う標識が出ていた。Havanoor村これがPatilの村だ、これまでの道路は車1台分ほど道路の真ん中が舗装されていたが、田舎道は全く舗装がなくなった。戦後間もない、子供の時の砂利道を思いだした。見渡す限り耕された畑の中を赤い土の道が続いている。畑と畑の間にはいろいろな木が植えてある。フェニックスに似た葉を持つカルナタッカ語でsindiと言う木(ヤシの一種)、幹に刻みをつけて樹液を取り、その樹液から砂糖やドブロクの様な酒を作る。村へ行く途中2頭の牛を使って畑を耕している農夫に出会い、写真を撮る。彼の使っている鋤の柄の部分に二つの穴があり、畑を鋤起こしながら、種を蒔いていく。約3km走るとPatilの村についた。少し小高くなった場所に石を積み上げた城塞のような家が見える。まず農場へ行く、5ー6人の小作人が待っていた、農場の入り口にはさっき見たタンクから送られてきた水を一時貯めて置く400?のコンクリートのため池があった。深さは非常に深いようで、水が緑色になりどのぐらい深さなのか判らない。雨が降らないときには池からモーターで水を汲み上げて畑に散水する。畑では雑穀のジャワールを収穫中、小作人のマネージャーの案内で畑を見て回る、背丈の2倍程あるサトウキビの畑、米を作っている田圃、米は陸稲で実は細長いインディカ米。温度計を見たら37.5℃、暑い、汗がにじみでてくる。畑の横を流れる川では沢山の女性や子供達が洗濯をしている。側で水牛が水浴びをし、山羊や牛がのんびりと水を飲んでいる。Patilが洗濯をしている女性を指して、これがインドの洗濯機だと笑った。Patilの農園を見回ってから農園の入り口にある大木の下の木陰で休憩。木の枠に藤ずるの様な紐で網が張ってある。日本の縁台のような椅子。 -
道の横には沢山のリュウゼツランが見られた.リュウゼツランは元は中南米の原産だったと思う。
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グルバルガ近郷の農村、牛で畑を耕す農夫、カメラを向けると直立の姿勢でポーズをとってくれた。インド全体よく開墾されている、人口が多いせいか。
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鋤の上にある種まき用の皿、畑を耕しながら、皿の底に空いた穴から種をまいていく。
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村の中にはこのような木陰があり、この下で何人かの人が寝ている。
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畑にはダルと言う豆、落花生、胡麻、トマトが植えられていた。ダルは黄色い花をつけ所々に枝豆のような豆がなっていた。胡麻はすでに収穫されて、胡麻の束が山積みされていた。トマトはまだ植えたばかり、ピーナツはもうすぐ収穫とのこと。ダルの畑の横はひまわり畑、ひまわりは収益性の高い cash crop だそうだ。ひまわりは強い陽射しの中少し頭を垂れて皆同じ方向を向いている、しかし太陽の方向とはずれているようだ。ひまわり畑の中で使用人一同と記念撮影。
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ヒマワリ畑、油を絞る。
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米の畑、米は長粒のインディカマイ、収益性の高い作物だ。
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サトウキビ
小作人の一人が直径30cmもある蜂の巣を持ってきた。写真を撮った後、蜜をなめる、何の花の蜜か判らないが、余り癖のない蜜だ。Patilが畑の中から長いサトウキビの幹を2本採ってきて、鎌で30cm程に切り、皮を剥いてくれた。噛みしめると甘い汁がしみだし、淡泊な甘さが口いっぱいに広がった。何も甘い物がなくて、口の端を切りながら一生懸命食べた戦後の子供時代を思いだした。 -
農園を見回ってから、入り口にある大木の下の木陰で休憩。木の枠に紐で網が張った、日本の縁台のような椅子。気温は高いが乾燥しているせいか、木陰にいるとさほど暑いとは感じない。
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昆虫を採集していたらサソリがいました。しっぽをあげて威嚇しているようです.早速アルコール漬けの標本にして持って帰りました。
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農村地帯では、女性がおしゃべりを楽しみながら、川で洗濯をしています.インド人の友人はこれがインドのウオシングマシインだと言っておりました。
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Patilの家,親父さんや息子、使用人。
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窓のない家の中は暗い、裸電球が灯されていた。確かに灼熱のインドでは窓のない家の中の方が涼しい。
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台所、裕福な家なのか、ステンレスの鍋や食器が目立つ。
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農村の道は凸凹、雨が降ったらぬかるみになるのだろう。
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この辺の農民の主食はこのジャワルという雑穀だそうです。
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グルバルガ周辺のハイウエイ、両側の木の幹には夜間目につきやすいようにか。白と赤でペンキが塗ってある、バスの上は格安のシートか、何人か屋根の上につかまっている。
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インドのハイウエイとは公道の意味か、荷車、自転車、人、車といろいろなものが通っている。
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バスやトラックはインド最大の企業TATA製の車、乗用車は国産のアンバサドウとスズキのアルトが幅をきかせている。
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道路と線路が交差する踏切には、踏切番がおり、列車がやってくる10分も前にゲイトを閉じ鍵をかける.車は踏切の前でストップさせられ待たされる、しかし、いっこうに列車のやってくる気配はない、何かのんびりした国ではある。
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ようやく列車がやってきました。客車の窓には皆鉄格子がはまっています.強盗や泥棒よけだそうです。
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農村では夕方になると山羊や牛が小屋に帰っていきます。
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グルバルガ近郷の農村、石を積み上げた外壁、道の側には下水はっきりした境がない。女性はサリー、男性はドーティーという白い腰巻きのようなものを巻いている。
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タイでツクツクと呼ばれる3輪タクシー、ここではオートリキシャと呼ばれていた。
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腕輪屋の店の中、インド人女性の95%は腕輪をしている。金持ちの女性は宝石を散りばめた腕輪を、貧しい人はプラスチックの腕輪を、店の中でゆっくりと腕輪を入れて貰っているところ。
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ケニーの店の2階から見たグルバルガの中心街。
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雨の上がった野外市場。
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グルバルガの繁華街、人、自転車、力車、オート力車、自動車、牛車等がごった混ぜになって通行している。まさにカオスのような状態。
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その当時女性の9割はサリーを着ていました。
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青空市場、インドでは買い物は男性の仕事、財布の紐は男性が握っており、男性が買い物袋を下げて買い物に行く。
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外見がキューイのようなサポタの実。
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リンゴ、キュウリ、ナス、ジャガイモ等。
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キャベツ、カリフラワ、ナスビ、ハーブ?
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ナス、キュウリ、野菜は日本と余り変わらない。
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ショウガ、キクラゲ?、インゲンマメ。
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牛は神聖な動物、市場の中を動き回り、野菜くず等を貰っている。
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市場の中をうろついている牛、人々は余り関心を持っていないよう。
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古い蒸気機関車、しかし、その当時はまだ現役で幹線を走っていた。多分今はもうなくなっているのでしょう。
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鉄道警察官、機関手、機関助手、インドでは鉄道、駅、ダム等は写真撮影禁止、だけどここでは余り気にしていなかった。
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駅に隣接するバイクや自転車の駐車場を監視する少年。
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大学学長の乗る、インドの国産車、アンバサドウ。その当時インドで作られている乗用車はアンバサドウとスズキが現地生産しているアルトしかなかった。
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家の外壁に貼り付けられた牛糞饅頭。これは良い燃料になる.田舎では金持ちの家はプロパンガスを使っていたが、貧乏な人たちは牛糞饅頭か薪を使っていた。
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グルバルガの町外れ、バス停。
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ゲストハウスから見たグルバルガ大学構内。乾燥した原野の中に建物が散在している。
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ゲストハウスへ上がる道の両側には赤いブーゲンビリアが植えられている。
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白い建物が目立つグルバルガ大学構内。
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ゴルゴマス
6時50分起床、シャワーを浴び、顔を洗う。魔法瓶にteaをいっぱいに詰めてくれるようにマネージャーに頼む。ビスケットを2枚つまむ。7時20分Patilが青色のアンバサドーで迎えに来た。タクシーとのこと、運転手は髭を生やした40ー50才ぐらいの人の良さそうなおじさんである。Patilの家へ、途中町で山のようなバナナを5ルピー(25円)で買う。Patilの家で茶をご馳走になり、8時ビジャプールに向け出発。Patilの弟と息子が運転席の横に、ベンガルの店の主人ケニーの息子とPatilと小生が後部座席に座る。グルバルガの市内を出て西に向かう.badam treeの並木の間からデカン特有の頂上が平になった丘が見える。道の両側は畑、草丈50cm程のダルと言う豆が黄色い花を付けている。淡い黄色の畑の所々に濃い黄色の絨毯を引いたような畑が目に入る。そこはヒマワリ畑だ。グルバルガの市内を出てから30分、幅100m位の川をわたる。川の両岸はむき出しの石灰岩になっている。川をすぎてしばらく行くと左手にセメント工場が見えてきた。この地方の石灰岩を利用して、大小20ほどのセメント工場が操業している。小さな村を過ぎた所でみちはT字路になり、右に曲がって少し行ったところでヤギの一群に出会う。車を止め、数枚写真を撮る。小さな小川で水浴している人がいる。Patil曰く「これがIndian open bathだ」。 畑は少し鉄分が混ざっているためか、赤っぽい。10時40分シンジイと言う場所で休憩、グルバルガから約100km、ビジャプールまで約60km。トラック、牛車、自転車、人が行き交い、大混雑、何軒かの茶店が並ぶ、道路の方へせりだすように、粗末な木のテーブルと木のベンチが置いてある。棚には大きな鉢に山盛り盛った野菜を混ぜたカレイ炒めのような食物が数種類並んでいる、ガラスのケースに入っているわけではないので、少々蝿がたかっている。店先では一人の男が鎖につないだ猿をからかっている、痩せた猿が歯をむき出して怒っている。テーブルの角に座って、お茶を飲む。 30分ほど休憩してから出発。土地はグルバルガ周辺よりさらに乾燥している、畑はごくまばらになり、ほとんどが牧草地、しかし、牧草地とは言っても、枯れたような草が乾ききった大地に張り付いているようだ。インドのトヨタとは言っていたが、アンバサドーの乗り心地は快適とは言いがたい、シートやスプリングが硬い為か振動が体の芯までもろに伝わってくる。それでも、周りを見回すと、みんなこっくりこっくりと船をこいでいる。私も、暑さと、早く起きたせいか眠い。12時少し過ぎ、やっとビジャプールに着いた。空は晴れ一点の雲もなく、暑い、気温36℃。 -
道を塞ぐ水牛の群れ。
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混雑している休憩エリア。
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野外レストランの食物。ハエも大分飛んでいる。
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サルをからかっている男。
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ゴルゴマスは巨大な王様の墓、廟である。入り口の駐車場に車を止め、建物の方へ歩いて行く。廟本の入り口には6門の大砲が据えられていた。Patilがガイドを探してきたが、生憎英語を話すガイドがいなかったのでカルナタッカ語を話すガイドを連れてきた。小柄なガイドは老人で、口をあけると数本しか歯が残っていなかった。例によって、入り口の所で、靴を脱ぎ裸足になる。足の下の赤土は焼けるように熱い。インド人のみんなは足の裏の皮が厚くなっているのか、平気な顔をしている、しかし、私は足の指を曲げなるべく足の裏の接地面積を小さくするように、抜き足差し足で歩く。入り口には天井から長い鎖で磁石がぶら下がっていた。それを指して案内人が何か説明しているが、私は足の裏の熱さの方が気になって、耳に入ってこない。Patilが「uncomfortable」と聞くので、「Yes, very uncomfortable」と答えて、建物の中に逃げ込んだ。建物の中は薄暗く、最初は何も見えなかったが、足の裏は、ひんやりとして気持ちよい。しばらくすると、目が少しずつ暗闇になれて、内部の様子が段々わかるようになってきた。内部は非常に広い空間で、中央のホールには1本の柱もない。周りに配置された8本の柱がアーチ状になり、上部を支えている。ホールの中央の囲いの中にはこの廟を作った王様、左右に第一婦人と第二婦人、間に子供達の棺が安置されていた。これらの棺はもともとこの廟の地下に埋葬されていたものを、後世取り出したようだ。ホールの中央に立ち上を見上げると、30m程上に円形のギャラリーと豆粒のような見物人の頭、その上にお椀のようなドームがかぶさっている。内部は様々な音が反響している。案内人は7回反響が聞こえると奇声を発する。確かに数回の反響音は聞こえたが、周りの見物人もみんなが試しているので、正確な回数はわからない。ドームの外側に設けられた狭い階段を上がって、建物の上部へ行く、階段を上がる毎に下の芝生に居る人の姿が小さくなっていく。4階ほど上がったところで、案内人がこのドームを支える巨大な石で出来た軒を指して何か話している。クレーンもなかった350年前一体どの様な方法でこんな巨大な石をこんな高さまで持ち上げたのだろうか。5階の軒下に大きな蜂の巣がぶら下がっており、無数の蜂が飛び回っていた。6階の所で再びドーム内に入る。ドームの内部は下からの光と入り口から差し込む光でぼんやりと明るい。円形の外壁から11フィートのギャラリーが内側に張り出している。ここにも驚くような反響システムがあった。やく30m離れた丁度向かい側の壁際の小さな声が、電話の中の声のようにはっきりと聞こえる。建築技術の水準の高さを感じさせる。入ったところから外に出て、ドームの周囲を一周して下へ、階段の高さが一定でない為歩幅が合わない、その上天井が低い、がに股で下りる。暗いドームの中を出ると、強烈な日差しと、再び足の裏からは焼けるような熱さが伝わってきた。
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ゴルゴマスの4つの角には階段がある。
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ゴルゴマスを見上げるPatilの息子達。
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ゴルゴマスから見たビジャプール。
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ゴルゴマスの入り口、大砲が並べられている。
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野良犬、ベジタリアンのせいか、みんな痩せています。
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オーキッド・ツリーBauhinia purpurea,インド原産の豆科の花、花の色はピンク。
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黄色いハイビスカスの一種か?
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ヒンズー教の偉いお坊さん。
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夕方小屋に帰る牛の群れ。
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町の中をゆっくり進む牛車。引いている牛は首の後ろにこぶのある犎です。
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グルバルガ城の大砲、象に引かして大砲の向きを変えたとか。
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市場の近くで客を待っている馬車。
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グルバルガにある4つの王の墓の一部、ここもイスラム教の支配者がいたようです。
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渡し船の待合所、大きな木陰に崩れそうな石で出来た小屋があった。
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この村へ来た初めての外国人、村の子供や大人が集まってきました.カメラを向けるとみんなその前に立ちたがります。
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アンバサドーがパンクして修理です。タイヤをみたらほとんど山はなくなっていました。インドでは山の無くなったタイヤを人力で削って、もう一度山を造る。それでも無くなったらゴム草履にすると言っていました。
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