2011/11/30 - 2011/11/30
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captainfutureさん
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2011年11月30日(水)イラン11日目
午前中は雨で、止むなくホテルで待機。午後の日が暮れるまでの5時間、見どころ多いヤズドを時間と天気とにらめっこしながら歩き回る。同じ旧市街でも、昨日までのトゥデシュクとはまた違った持ち味のあるところだった。ここもあちこちでアーシュラーの行事が始まり、どの会場でも歓迎して頂いた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5:30
ヤズドには今日一日しかいないと思うと、早く目が覚めてしまった。
TVは何チャンネルもあるが、いくつかはまだ休止中。 -
他のチャンネルではアーシュラー会場の様子(50秒)
https://www.youtube.com/watch?v=Mjd6kKuLnjE
チャンネルをあちこち回しながら録画(4分7秒)
https://www.youtube.com/watch?v=m7Am488BFVE -
7:30頃、暖房が利いたコハーンホテル中庭で朝食。
左奥がフロント。 -
ビュッフェ形式。
-
サモワール。
上部の湯気が出るところにポットを置いて冷めない様にしている。
熱いチャイをポットごともらい席へ。 -
3種類のジャム(人参、さくらんぼ、Cedrate)、チーズ、トマト、ナン。
Cedrate とは柚子の一種で北イラン独特の果物とのこと。
チーズをたっぷり挟んだナンで満腹。
フロントでテヘラン行きを相談すると、鉄道は日本の新幹線技術を使った急行があり、わずか3時間半で行くらしい。駅に電話してもらうと朝6:20、夕方16:10の一日2本で130,000R(¥780)。残念ながらもう満席とのこと。
今晩の夜行バス20時発を予約してもらった。バスターミナルのオフィスナンバー4のTavoni社でチケット100,000R(¥600)を買ってくれとのこと。
フロントも親切。 -
中庭の建物内部分のところ。
昨晩水を抜いて大掃除をしていた。
強い雨の中、8時頃アスガリーさん出勤前に警察の証明書をもらいに再度彼と警察署へ。何と9時以降でないと担当者がいないとのこと。メールしてもらうことに。
事件のことを知ったタクシー運転手は、行きも帰りも代金はいらないと言ってくれた。
昨晩と今朝はすっかりアスガリーさんを振り回してしまった。 -
持参のミニ折り畳み傘では足りない程の強い雨。
今日はヤズド観光ダメかなと思いながら、しょぼんと中庭でチャイをお代わりしながら過ごす。
一人旅の中国人女性がシルクロードHとどちらがいいか下見に。また戻って来たので聞くと、あちらの方が少し安いが騒がしいのでこっちにするとのこと。
私がイランはどこに行っても皆親切だと話すと、彼女は非常に驚く。彼女のイランの印象は、どこも親切で無く、早くも中国と中華料理が恋しいとのこと。日本料理も大好きだが寿司一巻10ドルもするからねえ〜と。その後は持参PCで故郷の人とチャットを。エスファハンでも中華人民共和国からの一人旅と会ったが、あの国も外国へのバックパッカーが増えているようだ。
別のテーブルでは2日前にToudeshk村のゲストハウスですれ違ったドイツ人3人組に。昨晩の事件を話す。するとジェスチャー混じりで話すので、事件を知るフロントの人も何の話をしているのが分かるのか、悲しい顔で首を振りながらツッツッツと軽い舌打ちをする。ここでは、悪い話に相槌を打つ際のジェスチャーのようだ。 -
フロントのPCで天気予報を見ると、午後は曇りらしい。
しびれを切らして外に出るとほとんど止んでいる。
日暮れまであとわずか5時間しかなく、大急ぎで街歩きに出発。
チェックアウトはオフシーズンは14時なので、外出前にフロントに荷物を預けようとしたら、バス出発の21時まで部屋にいていいわよ、と言ってくれた。
いろいろと親切にして頂き感謝。
写真は宿近くのバードギール(風採塔)のある貨幣博物館。
パキスタンの国民服(シャルワール・カミーズ)のようなダブダブなズボンなので聞くと、やはりパキスタンに近いバルジェスターン地方出身とのこと。
バルジェスターンはいいぞ、行ったことはあるか?と言ってくる。 -
旧市街散策
シーア派最大宗教行事アーシュラー(エマーム・ホセイン殉教追悼祭)の飾り付けがあちこちに。
左にはコールーシュホテルの写真入り大きな看板。 -
上写真の右側
小さなお店。入ってみる。 -
雑貨屋さんのようだ。
快く写って頂いた。
現在の最高指導者ハメネイ師のポスターが。 -
お店を出た正面にはバードギールが。
-
この街にもペルシャ独特の天然クーラー、バードギール(風採り塔)と、アーブアンバール(別名サルダーブ。ドーム状の貯水池)が。
夏には40度近くにもなる熱風が風採り塔から下に吹き降ろし、カナート(地下用水路)から引いてきた貯水池の水により気化熱でもって冷やす仕組み。
砂漠に近い土地で暑い夏を過ごすための、先人の知恵。
アーブアンバールの中には泉のように水が溜めてあり、その周りは人々の憩いの場であり、食物を貯蔵する場所でもあったらしい。
ロバ中山さんのHP
http://www.sakaguti.org/honmon%20page/iran/yazd/yazd.htm -
道を進むと、移動金物屋さんが。
-
同上
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街角にて
モスクか -
モスクだが正門ではなく、どこか裏門のような感じ。
-
街角にて
-
街角にて
-
上の写真の奥にて
-
本当に旧市街は迷路のようだ。
ここでもバイクがすっと脇を通り抜けていく。
昨晩の事件以来、思わず身構える。 -
見晴らしのいい広場に出て、右に「アレクサンダーの牢獄」、左に「12エマームの霊廟」が。
-
広場にはこの人が寄贈したのであろう水飲み場。
-
「アレクサンダーの牢獄」に入ってみる。2,000R(¥12)。
アレクサンダー大王(紀元前4世紀)が建造したと伝えられている牢獄だが、実際はヤズドには軍勢は来なかったそうだ。
(バハラムさんのHP http://www.geocities.jp/gur_bahram/ir10/ir1004.htm) -
旧市街の模型
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バードギ―ル(風採塔)も付いている。
中庭中央にはマンホールのようなものが。 -
地下はチャイハネになっていて、その天窓になっていた。
-
その地下へ。
チャイハネは今日は営業しておらず。 -
左の「アレクサンダーの牢獄」を出て、右隣りの「12エマームの霊廟」(11世紀)へ。無料。
12エマームとは、預言者ムハンマドの12代まで続いた子孫による正統な継承者エマーム(シーア派指導者)のこと。最後の12代エマームは現在まで「お隠れ」状態が続き、現在はイスラム法学者がその「代理」を務めているとのことだ。
ちなみにエマーム派とは、イスラム教シーア派最大派でイランの国教。 -
右の入口から。
-
入口
地球の歩き方より
『ヤズドに現存する最古の建造物。霊廟であるが、12エマームの遺体がここにありわけではない。昔、さる人物がこの建物の中に12エマームがいる夢を見たことから霊廟となったようだ。』 -
ここは元ゾロアスター教神殿(拝火神殿)だったとのこと。
改造したと思われる個所が随所に見られる。
隣りの「アレクサンダーの牢獄」と共に、元は一対の拝火神殿(ゾロアスター教神殿)だったのではないかという興味深い話し↓
(バハラムさんのHP http://www.geocities.jp/gur_bahram/ir10/ir1004.htm)
旅行先にはバハラムさんHPのコピーを持参し、ガイドブックとして使わせてもらった。 -
「12エマームの霊廟」を出て、再び旧市街を散策。
-
旧市街にて
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どんどん進んでいくと、昨晩訪れたアーシュラー会場前に出た。
テントを入った右側の戸。 -
入って見ると、昨晩と同じくまだ人がポツポツいる程度。
夕方から人でいっぱいになるのかも。
(写真は昨晩22:10撮影。再掲。) -
またチャイをご馳走になる。
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旧市街にて
-
旧市街にて
幼稚園でもなさそうな。
何の入口だろう。 -
その向かいには遊具のある公園。
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旧市街にて
良く見るアーシュラー追悼祭の掲示。
殉教者エマーム・ホセインが乗っていた馬を囲み嘆き悲しむ女性達。 -
旧市街にて
バードギールの頭が。 -
タキーイェ(広場で演じられる殉教劇を三方から観賞するための施設)に出た。
右にもアーブ・アンバーブ(地下水槽)とそれを囲む4本のバードギールが。
奥に見える青い戸を開けて上ってみる。
今年のアーシュラーのクライマックスである6日後の12月6日には、この壁の反対側にある広場をびっしりと人が埋め尽くし、盛大に追悼祭が行われたそうだ。
ちょうどその当日に訪れた「2PIECES」さんのブログと映像。
http://ameblo.jp/2pieces/entry-11117766114.html#main
http://www.youtube.com/watch?v=Fr22IkRQwLI&feature=youtu.be
http://www.youtube.com/watch?v=uQkqIH2koC4&NR=1&feature=endscreen
スゴイ迫力。
私もやっぱりこの日を狙って行くべきだったかな〜〜!! -
広場には当日は大活躍した神輿に当たる「ナフル」。
-
足場の悪い急な階段を上る。
雨上がりで滑りそうだ。
結構上ると高い。下にポツンと小さく人の姿が。 -
壁3階からは旧市街が一望!
-
同上
風が冷た〜い。 -
同上
-
同上
3階にはライオン像。
殉教者エマーム・ホセインが飼っていたライオンだそうだ。 -
同上
-
パノラマ写真にて
-
再び旧市街散策
ん?
テント作りのようなところに幕が。
ここもアーシュラー会場のようで、入ってみる。 -
やっぱり。
でも女性だけの集まりの様だ。
入っても良いとのこと。
後ろ壇上には小型のナフル。
それを囲むように大きなマスの中には砂が敷かれ、サボテンやヤシの木の植木、写真右には藪のようなものが置かれている。
エマーム・ホセインが殉教したイラクの荒野カルバラーでの戦場を再現しているようだ。 -
どこもエマーム・ホセインでいっぱい。
左には先程の像と同じ飼っていたライオンが。
音楽もエマーム・ホセインを称える「ホッセン・ホッセン」と唱える曲がずっと流れていた。 -
線香に火を点けて、先程の砂漠を模した砂に刺していた。
右後ろは暖房機。テント内は暖かい。
炭にお香がくべられ、テント中いい香りがする。 -
奥にはサモワール。
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チャイハナ?と聞くと、「うん」とのこと。
イラン人は「うん」と頷く時、顎を引くのではなく、インド人のように首をかしげる。 -
私にも出して頂いた。
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ずうずうしく撮らせて頂いた。
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チャイを出して頂いた給仕担当の人が子供を連れて来てくれた。
お礼を言ってテントを後にする。 -
散策再開。
奥に小さく黒と緑の幕が見える辺りが先程の会場入口。
バイク後ろに奥さんを乗せた旦那さんが、私の横をすり抜けて行き、そこの前で停まり降ろしていた。
きれいなタイルで装飾された玄関。 -
旧市街にて
家の門にもアーシュラーの飾り付け。 -
旧市街にて
-
旧市街にて
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マスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)が見えて来た。
奥の曲がり角にはチラシが。 -
左が葬式案内で、右は何だろう。
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旧市街にて
ここにも女性運転手。
別の車が入って来たのでバックしているところ。
奥は服屋のようだった。 -
マスジェデ・ジャーメに到着。
地球の歩き方より
『サーサーン朝時代のゾロアスター教神殿の跡地に、14〜15世紀にかけて建てられたヤズドのシンボル的寺院。イランで最も高いというメナーレは建造された当時のままに現存し、空高く天を突き差すさまは見る者を圧倒する。正面入口やドームのタイルワークは素晴らしく、イスラーム建築の傑作のひとつに数えられている。』 -
正門入口でテヘランからの観光客と。
-
中庭に入り、先程の正門の後ろ側を見る。
マスジェデ(モスク)・ジャーメ(金曜)とは金曜礼拝が行われるその街で一番大きなモスクで、イラン各都市にあるとのこと。 -
中庭に面したドームの一つにて。
ちょうど裏門の戸締りをしていた。 -
中庭に面したこの小さな入口から人が出て来た。
私も靴を左の棚に預けて、奥の扉代わりの絨毯を開けて入ってみる。 -
礼拝室
お爺さん一人しかいなかった。
もう15:30。
暗くなるまであと1時間半しかない。 -
マスジェデ・ジャーメ正門から真っすぐ伸びる通りに出る。
その通り沿い。
シルクロードHはこの辺りらしい。看板があった。
この奥もいい感じの旧市街がありそうだなあ。 -
マスジェデ・ジャーメ正門近くの雑貨店。
手を振ってくれる子供。
そういえばお昼をまだ食べてない。
時間がないので何かパンでも買おうか。 -
店主
英語を話す。 -
表で手を振ってくれた子はここの子供らしい。
近くのパン屋さんで作られたという手前のパンケーキ2個(¥30)を急いでその場で食べて、再出発。
時間との戦い。 -
マスジェデ・ジャーメ正門から真っすぐ伸びる通りの先には大きな時計台が。
-
後ろを振り返る。
-
時計台前のエマーム・ホメイニー通りを右(南)へ。
1階は交番(?)になっていた。
その先にはマスジェデ・ジャーメに良く似たマスジェデ・ハズィーレが見える。
時計は止まっていた。 -
その曲がり角には、先程のマスジェデ・ジャーメにあったタイル模様と共に英語でアラーが云々と書かれた文字が。
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時計台を振り返る。
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エマーム・ホメイニー通り沿いの表に肉を吊るすフックが並ぶ肉屋。
家人で故人の肖像画だろうか。 -
マスジェデ・ハズィーレ
だんだん薄暗くなっていく。
せめてあと一軒「アミール・チャグマーグのタキーイェ」には行きたい。
後ろ髪を引かれながらこの前を急ぎ足。 -
ここにもアーシュラー会場
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自転車を前に停めて、
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中に入って行った。
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
ナン屋さん -
左にはエスファハンでも見た回転式の皿の上で焼く窯が。
お祖父さん、お父さんで、 -
息子かな。
明日の仕込みだろうか。
生地を練っていた。 -
隣りは油や何か調味料のようなものが並ぶ店。
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皆、白いものが入ったパック詰めを買っていた。
何だったのだろう。 -
エマーム・ホメイニー通り沿いのモスク
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そのモスクの通り沿いにあった掲示板
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
セイエドらしき頭に鮮やかな緑の布を巻いた男性。
預言者ムハンマドの血を引く子孫「セイエド」(又はサイイド)は、この色の帽子や帯を身につけているとのことだ。 -
鶏肉専門店か。
奥には七面鳥のポスターも。 -
16:30。
「アミール・チャグマーグのタキーイェ」(15世紀)に到着。
ぎりぎりフラッシュ無しでも撮れる明るさに間に合った。
タキーイェとは、広場で演じられる殉教劇を三方から観賞するための施設。
一見、モスクに見えるが違うとのこと。 -
上写真左側(北側)
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「アミール・チャグマーグのタキーイェ」と向かい合った所には、エマーム・ホメイニー通りを挟んでヤズド水博物館。
伝統的な水利用に関する博物館で、特にガナート(灌漑施設、地下用水路)について詳しく展示してあるとのこと。
時間がなくて行けず。 -
こちらが外人ということもあるのか、その弾けっぷりの元気なパワーに圧倒された。
-
アーシュラー当日には、先程行った別のタキーイェでもそうっだたように、ここでも盛大に追悼行事が行われるのだろう。
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ここにもナフル。
アーシュラー時期なので黒い布で覆われていた。 -
1階の反対側へ繋がる通路にはケバブ屋が連なる。
-
上写真左の一番手前の店内
ガラスケースの中から好きな串を指して焼いてもらっていた。 -
16:50
「アミール・チャグマーグのタキーイェ」広場横にあったお店。
ガラス越しに、昨日ヤズド長距離バスターミナル売店で見たお菓子の箱が。 -
右の積まれた箱(昨日の売店)
Yazd Loaf Sugarとある。
中は棒状の砂糖で、砕いてガンドと呼ばれる角砂糖にし、チャイ等に使うようだ。
(再掲) -
ガラス越しで見ていると、中に入れて頂いた。
ここで作っているのか。 -
砕いたものを少し頂いた。
お礼を言って外に出る。 -
17:00
すっかり暗くなり、残念ながらヤズド観光はこれでおしまい。
来た道のエマーム・ホメイニー通りの反対側の歩道を歩いて宿へ。
午前中雨さえなければ、もう少しあちこち行けたのにな〜。
写真はこの通りのモスク。
ここも少し歩けばすぐにモスクに当たる。
トイレはいつもモスクで借りていた。
ヤズドはイスファハンやテヘランに比べて、ステンドグラスを使ったモスクが多い印象だった。 -
エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
バス停 -
エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
カメラを構えると、最初おどけて敬礼をしてくれた。 -
エマーム・ホメイニー通り
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エマーム・ホメイニー通り
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来る時に素通りしてしまったマスジェデ(モスク)・ハズィーレ
靴を持って上がろうと袋を取っているところ。 -
マスジェデ・ハズィーレ前
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エマーム・ホメイニー通り
今晩は手袋が欲しいくらい、いつもより冷える。
私も少し手を温まらせてもらった。
あ、左の男性の頭には鮮やかな緑の布が。
この人もセイエドか。 -
時計台まで戻って来た。
声を掛けたらやはりアフガン人とのこと。
アフガニスタンには意外にも東洋系な顔立ちの人が多いらしい。
日本人パッカーもアフガン人かと声を掛けられることもあるとのことだ。
握手して別れる。 -
そのままエマーム・ホメイニー通りを北上。
この肖像画の彼は街角で時々ポスターで見かける。
彼も殉教者なのだろうか。 -
エマーム・ホメイニー通り
ナン屋さん -
エマーム・ホメイニー通り
-
エマーム・ホメイニー通り
仕立て屋さん
JUKIのミシン -
エマーム・ホメイニー通り
ここにもアーシュラー会場。
この少年が Welcome!と言ってくれる。 -
中に入らせてもらった。
-
聖職者(?)だろうか、まだほとんど人がいないが説法が始まった。
後ろにはここにも5本指が。
預言者ムハンマドとエマーム・アリー、ファーテメ、ハサン、ホセインの5人を表しているとのこと。 -
彼女の持つ緑の布から向こうは女性席。
-
アーシュラー中、ナフルには黒い布や、自分の心を映しだせという意味で鏡が張り付けられるという。
-
ここでも大量のチャイ。
-
私にも振舞って頂いた。
1杯のチャイに10個の角砂糖!
ここの人は角砂糖を何度も口に含ませながら飲んでいる。
後ろに用意されたトレーにも同じ量が。
お礼を言って後にする。 -
エマーム・ホメイニー通り
もうだいぶ人が少なくなってきた。 -
大通りから旧市街の迷路のような小道に入る。
ポツンと電気の点いたところが。 -
地下に入ったところは食料品店だった。
-
18:10
コハーン・ホテルに到着
せっかくのヤズドなのに午前中は雨が降り、6時間しか歩き回れなくて残念。
8時のバスまで部屋に居ていいよと言う言葉に甘えて、部屋でしばらく休む。
中庭で夕食。
牛肉と豆のシチューとご飯。450,000R(\270)。
昨晩の長距離バスターミナル食堂のメニューの値段とほぼ同じ。
アスガリーさんも仕事から帰って来ていて、別れの挨拶をする。
フロントの人も、あんな事件があって残念に思いますと言ってくれた。
最後まで親切にしてもらった。 -
部屋に戻って来た時に録画したTVCM集(2分3秒)
https://www.youtube.com/watch?v=LWIhSP5WNfA -
タクシーを呼んでもらい長距離バスターミナルへ。
相場は400,000R(\240)とのこと。
運転手氏は英語で懸命にいろいろと話しかけてくれる。
感じのいい人で300,000R(\180)に負けてもらった。
今朝予約してもらった先のTavoni社フロントへ。
ペルシャ語ばかりで分からず、別のお客がわざわざここまで案内、通訳までしてくれた。
20時発テヘラン行き100,000R(¥600)を90,000R(¥540)に割引してくれた。 -
ズラリと並ぶバスの中、チケットを見せながらようやく到着。
20時が21時発に変更になったとのこと。
ターミナル付属の広くて明るい洗面所で歯磨き洗顔を済ます。
階段下の薄暗いところに、黒いチャドルで口元を隠し、目の周りに赤い仮面(!)を付けた女性連れの家族を発見。
以前HPで見たイラン南部ペルシャ湾沿いのバンダルアッバーという町の人だ!
やはり一瞬ギョッとしてしまう。
イランでも独特の風俗のある町らしい。
明るく快適な待合室を避け、疲れきっている感じだった。
一緒に撮らせてくださいとはちょっと言い辛い雰囲気。
だが思わぬところで実際に見ることができ、感激。
21時頃出発。 -
23:30
どこかのガソリンスタンドに立ち寄る。
席は窓際。隣りはテヘラン在住の英語堪能なお爺さん。 -
配られたお菓子セット。
隣りのお爺さんが自分のお菓子もくれた。
夜行だからかボリュームも少なめ。 -
明朝4:10
行きにも通ったシーア派聖地コムの町の料金所
前の席にイスラム帽を被った男性がいて、おじさんに私もこれが買いたかったけれど、どこにも見当たらなかったと話すと、結構いろんなところで買えるよ、特にヤズドは宗教的な街だからとのこと。
う〜む、あちこちの店、覗きながら歩いたんだけどなあ。 -
同上
途中何度もトイレ休憩あり。
その時に撮影。 -
同上
-
椅子も結構後ろまで、飛行機のエコノミー席よりリクライニングできた。
-
車内にて
あと2時間程でテヘランに到着。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- gumicandy29さん 2013/11/06 22:24:53
- 初めまして
- ありがとうございます。
とても濃い旅行ですね。
旅行記楽しく拝見しました。
私のガイドさんもよくチッチッチといっていたのを思い出しました。
残念なときに使うのですよ、といわれました。
- captainfutureさん からの返信 2013/11/06 23:53:48
- こちらこそ
- こちらこそ、ありがとうございます。
先月に行かれたばかりだったのですね。
僕もgumicandy29さんのほかほかのイラン旅行記を懐かしく楽しく拝見しました。
>残念なときに使うのですよ、といわれました。
やはりそうでしたか。
最後に書かれているように、本当に「また行きたい」と思わせてくれる国ですよね。
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