
2011/11/30 - 2011/12/02
157位(同エリア444件中)
Qooさん
広島旅行も最終日。
1日目 広島城→原爆ドーム→平和記念公園→ドリミネーション
2日目 来年は大河で熱い安芸の宮島
3日目 龍馬とポニョの鞆の浦
《 3日目 鞆の浦編 》
そこは・・
☆潮待ち、風待ちの港として栄えた鞆の浦。
江戸情緒が色濃く残り、美しい景観が今なお当時のままに残る町。
☆龍馬が「いろは丸事件」の際、紀州藩との談判に4日間滞在した町。
☆宮崎駿監督が「崖の下のポニョ」の構想を練った町。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
広島市内から高速バスに乗って、1時間40分くらいで福山に到着。 -
福山駅からともてつバスに乗り換えて30分、鞆の浦に到着。
思ってたより広島市内から遠かった・・ -
ぁああ〜!
いろは丸だぁぁああ!(←観光船でも十分興奮)
龍馬が乗るとこんな感じ?あんな感じ??
想像と妄想で鼻息が荒くなる。 -
正しくは「平成いろは丸」
鞆の浦と仙酔島を結ぶ市営渡船。 -
「桝屋清右衛門宅」
いろは丸事件の時、龍馬が宿泊した家。
去年から一般公開し始めたらしい。興奮する♪ -
中は資料館資料館してなくて、
昔ここにちゃんと人住んでました、って感じで興奮する。 -
まずはパネル龍馬がお出迎え。
興奮する。(←しつこい) -
清右衛門宅1階 -
-
この物置部屋の上が龍馬の隠れ部屋。
ここでは見学用に階段があるけど、実際は天井すべてに板が張ってあって
一部を取り外してはしごで上り下りしてたらしい。 -
2階からみるとほら、
こんな感じで。 -
いろは丸事件は龍馬が暗殺される半年前の出来事。
ここ鞆でも、暗殺の危機もかえりみず
談判にのぞんだんだろーな。 -
手紙は京都の寺田屋、お登勢さんに宛てたもの。
日付から、龍馬がこの鞆で書いたものと断定。 -
「此一品ハきみに御つかハし被成度、
あれハ今どこにおるかしらん、ただきづかい候。
此度ハ下の関にせっかくつれてこふとおもいしニ、
やれやれ又これよりながさきにかえるわ。
言わいでもよろしきことなれども、
御きおつけ被下まし。 四月廿七日」
いろは丸沈没事件により、京都に行けないので長崎へ引き返します
みたいな内容。 -
-
「鞆の津の商家」
呉服問屋を一般公開しているらしいが、
土日のみなので中は入れず。 -
こうゆう古い街並みは大好物なりよ〜。 -
歴史民族資料館からの眺め。
瀬戸内海だ〜
天気のいい日は四国まで見渡せるらしい。 -
-
ポニョの舞台っぽいかな。
てか
ポニョみてないしな〜 -
-
幕末から昭和初期の町並みがそのまま残ってるらしいんだけど
それってホントすごいよね。
ちなみに、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、大正・昭和期が301棟あるそうです。 -
-
「この家は江戸時代中期の建物です。
どうぞご自由にお入りください。」
ギャラリーっぽい感じで、小物なんかも売ってました。 -
-
「福禅寺」対湖楼
ここも賠償交渉の場所です。
江戸時代には、朝鮮通信使の迎賓館として使われていたらしい。 -
-
対潮楼から弁天島を臨む。
この景観は、1711年に来日した朝鮮通信使が
「日東第一形勝」朝鮮より 東の世界で一番風光明媚な場所
と賞賛したんだって。 -
お寺のかたに、
窓枠を額縁のように撮ると絵のような
綺麗な写真が撮れますよ。
とアドバイスしてもらった。
のに・・これじゃああね(泣) -
綺麗な写真が撮れるようにと
窓も開けてくださいました。
度々すんません。 -
あ!
またいろは丸だ!(←おまえは小学生か。) -
-
-
ここでもこんな綺麗な景色を観ながら
談判してたんだ〜。 -
お! -
おおお! -
イターーーーーー!!
20代の龍馬だね。 -
さて、もちょっとブラブラしましょうか。
潮待ち風待ちの港町〜。 -
-
-
-
「太田家住宅」
鞆の浦のソウルドリンク、保命酒の醸造を行っていた商家。
保命酒は養命酒みたいなやつです。 -
-
-
-
「常夜燈」
江戸時代からこの常夜燈は、鞆の海を走る
船の道標となっていたんですね〜。
高さは5.5m、現存する日本一の高さだそう。 -
-
「いろは丸展示館」 -
いろは丸事件とは。
龍馬の率いる海援隊の『いろは丸』と、紀州藩の軍艦『明光丸』が瀬戸内海で衝突していろは丸が沈没。
その後、両方鞆の浦にとどまり繰り返し賠償交渉が行われる。
がーーー、
紀州藩といえば徳川御三家の一つ。
超エリート軍団のやつらは、小さい船が避けるのが当然だの何だのといちゃもんをつけ賠償しようとしない。 -
対する龍馬はーーー
「万国公法」を持ち出し、国際法で解決しようとする。(←これ日本初ね)
で結局ーーー
交渉は長崎に移して行われ、最終的には紀州藩が賠償金の支払に同意。 -
ちなみに沈没場所は
水中遺跡に指定されてるらしい。 -
海底20mに眠るいろは丸の一部を原寸の70%で再現 -
引き揚げられたものの数々・・。
船体の木片とか -
鉄片とか -
朱墨の入ってた箱とか -
茶碗とか -
茶碗とか -
硯箱とか -
英単語帳とか。 -
升屋清右衛門宅2階の
隠れ部屋ジオラマ。
ビミョ〜・・ -
言うことがいちいちカッコえ〜のよね♪ -
-
3日間酷使し続けてきた足がとうとうヨレヨレに・・。
3つめの談判場所で休憩する〜! -
「御船宿いろは」
http://www.vesta.dti.ne.jp/npo-tomo/iroha/index.html
龍馬談判の町家、魚屋萬蔵宅。
泊まれるし見学できるし茶は出来るし、ありがたや〜。
改修はなんと、宮崎駿がデザイン! -
-
筆まめ龍馬の手紙。
萬蔵宅でも談判したんだよと書いてある。 -
談判部屋を1Fに再現。
ここでも食事ができる。 -
『世の中の人は何ともいえばいへ。 わがなすことはわれのみぞ知る』
龍馬はきっとB型だったに違いない。 -
どれどれ。
駿プロジュースの店内をパチリパチリ。 -
変な時間帯なので客がいないのをいいことに
撮りたい放題〜。
あっちキョロパチ
こっちキョロパチ -
-
さてさて・・落ち着いて。
席に着き、キッシュセットを頼む。
これが実にうまかったのだ♪ -
-
鞆を出発し、広島空港に着いたころにはもう真っ暗。
時間があったのでターミナル内で夕食〜。
長崎ちゃんぽんを食べた。
なんでやねん。
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