2011/10/23 - 2011/10/23
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茶柱タツ子さん
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アメリカ留学中、ある授業でベトナムのボートピープル出身のグエン君(Nguyen)と一緒になった。自由の象徴ともいえるアメリカの国旗について彼は授業中にこのように語った。
「自分にとってアメリカの国旗の横のストライプは自分を閉じ込めている鉄格子に見える。鉄格子の狭間に見える星は、自分がたとえ手をのばしたとしても決してつかむことのできないもの。」
その場が水を打ったように静かになった。彼はさらにアメリカに来てからもう何年も経っているのにも関わらず父親が毎晩うなされていることも語った。同じ授業には、アメリカが何分毎かにのべ10年以上にも渡って爆撃しつづけたモン族の村(現在のラオス)から命からがら逃げてきた女の子もいた。南シナ海の荒波にもまれながら、今にも転覆しそうな船に何十人も乗っているあの光景でしかボートピープルという存在を知らなかったし、実際あのボートに乗った人のひとりが今、自分の目の前にいるといわれてもにわかには信じがたかった。
国の運命に自分の人生が翻弄される、というのはもう私の世代にはない。当時はまだ私も10代で無垢な正義感に溢れていたので、何事もなく生きてきた自分の人生が自分で許せないような、居心地の悪さを感じたのを覚えてる。
グエン君のようにボートピープルの人達が受入国にいくまで滞在していた場所のひとつがバタム島の更に南のガラン島に残っている。アメリカに辿りついたということは、恐らくグエン君のご家族は経済難民ではなく、初期にベトナムから流出した政治難民に違いない。
今回は自分のためだけのちょっとシリアスな社会学習。
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シンガポールとガラン島の位置関係。バタム島からレンパン島、ガラン島へは橋がかかっているので陸路でアクセス可。
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前々から行こうとは決めていたものの、腰が重かった。いきなりこの日の朝、「今日行こう!」と唐突に決定。シンガポールに住まなかったら、ここには決して来なかったと思う。
バタム島へは幾つかの会社がフェリーを運行しているけれども、特に理由もなく毎回ペンギンを利用。9時の便は満席っぽかったのだけど、「あなたひとり?ひとりだったらいいわ」とそんないい加減な理由で9時の便に席をとってくれたおねえちゃん。 -
パスポートを渡せばペンギンさんがインドネシアの出入国カードをコンピューターで記入してくれちゃう、このシステム大助かり。航空会社でもやってくれると機内での面倒な作業が省けるのにね。
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ちょっとギリギリだったな・・・・
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無事9:00の便に間に合った。
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さすがに朝は日帰り旅行者や週末旅行者で混雑してます。
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インドネシアはお酒が高いから週末用に買いこんでいってるらしいシンガポールの旅行者。
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里帰り・・・かな。
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VOA(VISA ON ARRIVAL)で10米ドル支払い、無駄にパスポートの貴重なページを1枚さかれた後にインドネシアに入国。入国審査を通過し、フェリーターミナルの1階で車をチャーターできるかどうか聞いてみたけれど、「この建物の中に車チャーターの会社は入っていないわよ」ということだった。うーん、しょうがない、気が進まないけど、タクシーをチャーターするか〜・・・
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一路、ガランへ。運ちゃんが怪しい人だと困るのでいつも1対1の場合は運ちゃんの真後ろに座って、いつでも背後から運ちゃんを羽交い絞めにできるような?位置に座るようにしてる茶柱。
が、おっちゃんはスマトラ出身の普通の人であった。しかも遅いというわけではなく、珍しく安全運転のインドネシアンドライバー。 -
車窓からの景色も段々田舎っぽくなっていくなぁ。そしてガランまでの道中は、本当に手付かずの自然があるだけで、他には笑えるほど何もなかった。
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バタム島からレンパン島へかかっているバレラン橋(Barelang Bridge)。運ちゃんが「スタンバイ、スタンバイ?」と聞くので(多分、止まるかと聞いているのだろう)、とりあえず、じゃ、「スタンバイ」と答えた。
1997年に完成したらしい。一応観光スポットになっているらしく、橋の上にアイスクリーム屋さんが何やら陽気な音楽を流しながらやってきて、堂々と駐車してたりして、途中はところどころ1車線になっちゃってるよ。^^; -
アイスクリーム屋さんのいけてるナンバープレート。
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巨大なカニが売ってた。とにかく、巨大。でもどうせなら調理方法変えてほしいな、と思ってしまう茶柱であった。
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ガラン島に到着。難民収容所跡地に直行するまえにそばのビーチに立ち寄ってみた。こんなところに彼らのボートは漂着したのかな。この日は生憎の天気でビーチもどんより薄暗い。
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そしてビーチにはこの一家しかいない。
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海をまったく怖がっていないぼくちん。
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ぼくちんは愛嬌たっぷりなのであった。
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やんちゃなぼくちん。
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おねえちゃんはやっぱり女の子なんだな。
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置いてけぼり。何さ、家族だと思ってたのに・・・・
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博物館の入場料は10000インドネシアルピア。
バタム島のフェリー乗り場から1時間半かかった。 -
入口にかなり大きいお寺があった。
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千羽鶴より難しそうだなぁ。
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高台からの眺め。
手付かずの自然といえば聞こえはいいけれど、暑さのピークに達したときは湿気が大変だろうなぁ。 -
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博物館といってもとっても小さい。お部屋5つ分ぐらいかなぁ。
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当時使っていたキッチン用具。
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遺品?
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初期の頃からお寺はあったんだね。
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難民として認定されるまでのプロセス。
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刑務所だそうです。
「彼らも喧嘩したのだよ・・・」と博物館のおじさん。 -
中に入ってみたが、やはり厭な気分・・・・しかも蚊が多い。
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刑務所は2階建て。
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1000人分の思い出というのか、記憶というのか。この写真の展示方法がカンボジアの政治犯収容所「S21」にとても似ている。
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多分、この子供たちは私とそう変わらない年齢だと思う。今、世界のどこにいるのだろう。
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幼児もいるね。
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旧正月のときのスナップなのかなぁ。
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笑顔が見えるとこちらもほっとする。
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この子達はどんな三十路を送っているんだろう。
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昔は何艘もおいてあったそうな。でも今は二艘のみ。殆ど野ざらし。
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かなり腐ってきているよね。
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実は訳あって、父・茶柱タツ蔵はこの難民収容所が閉鎖される前の1996年にここをバタム空港経由で訪れている。そういえば昔、そんな話を聞いたような気もしたけれど、すっかり忘れていた。今回、「近々バタムの難民収容所跡地に行こうと思う」という私に、
「おお、行って来るといい!あんなところ誰も行かないだろうから」とタツ蔵スタイルで薦められた・・・・^^;普通、止めるだろう、と思いつつ。
当時の様子をカメラに収めていたタツ蔵。
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影** -
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影**
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**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影**
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**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影**
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ここからは現在の様子。
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どこから来たんだろう、これ・・・・
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人が一同に集まれるだけの十分の広さを持った講堂。
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父と同じ講堂を別の時期に見ていたことがわかりました。娯楽が一切ない難民収容所で唯一の楽しみはこの講堂に集まってひとつのテレビを共有すること。講堂の奥まで人がびっしりです。後ろのひとは到底見えません。でもここでひとつの時間を共有するということに意義があったのかもしれない。
タツ蔵によれば、インドネシアのチャンネルがひとつぐらい、そしてあとはビデオの放映だったとか。
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影** -
子供はステージの上だったらしい。
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影** -
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昔は意外にカラフルな建物だったのかな。
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教会もあります。ベトナム南部はキリスト教徒が多いから、お寺同様に精神的に自らを支えるためには必要だったのだと思う。
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中も広くて立派です。
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墓地もある。
いろいろだろうなぁ。ここに辿りついてから亡くなったり、ここで生まれてここで亡くなったり。 -
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父が訪れた当時は墓地がカラフルだったという。今は全体的に色あせて灰色だ。
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これは生後わずか一ヶ月で亡くなった幼児のお墓。お母さんは今、どこにいるのかな。
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なぜこのお墓だけ白いんだろう。
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埋葬後、お墓を掘り起こして遺骨を洗う慣習のあるベトナム人にとって、墓地を残して第三国に発つのは辛かったろうな、と思う。やはり第三国に移住してから何人かは戻ってきているらしい。
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さようなら、ガラン。
グエン君が同世代なのにどこか物事を達観していた理由が少しだけわかったような気がするけど、分かったつもりにはなりたくない。 -
帰りもまた雨に降られた。最近、本当によく降るなぁー。
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バケツをひっくりかえしたような豪雨で運ちゃんも途中で運転放棄。
再び、
「スタンバイ!」
だそうだ。 -
バタム島に戻ってきたら、雨が降った形跡などまったくなかった。
フェリー乗り場の向かいにあるハイパーマートの中にて遅い昼食。
うまく説明できないけれど、お皿の上でインドネシアンクリスマスが繰り広げられてる感じ。NASI PEDASだそうです。美味しかったぁ。何せ、朝シンガポールのフェリーターミナルで大急ぎで買ったチャーシューまんしか食べてなかったもんで。 -
15:10バタム発(シンガポール時間16:10)のフェリーはさすがに空いていた。
そばに目がクリクリっとした危険人物(子供)がいたので、目があった瞬間、気絶したフリ。そのまま知らない内にシンガポールに着くまでずっと爆睡。
20時に約束があったのでバタムお泊りはナシ。
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この旅行記へのコメント (8)
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- 空飛犬quillさん 2011/10/27 18:42:51
- 思い出してしまいました
- 茶柱タツ子さん
こんばんは。
「収容所・・・・」の旅行記にお邪魔しました。
私が大学4年の時、研究室の教授が面倒見の良い人で当時3年生のベトナムからの留学生二人の面倒を見ていました。二人とも女性でその頃南ベトナムから日本への留学をするということは、随分裕福な家庭のお嬢さんだったとのでは無いかと容易に想像がつきます。
ベトナム戦争がどんどん泥沼化し、北ベトナムが優勢になり彼女たちのご両親と中々連絡が取れない事態に陥り結局は南ベトナムは敗戦。
そんな頃私も大学を卒業し、当然彼女たちともそれ以後は会うこともありませんでした。
彼女たちいったいどうしているんでしょうか??
元気にしていればよいですねエ。
戦争と直接関係ないところで育った私が、唯一身近で戦争の匂いをかいだ瞬間でした。
空飛犬quill
- 茶柱タツ子さん からの返信 2011/10/27 19:07:18
- RE: 思い出してしまいました
- 空飛犬quillさん、
書き込み感謝です。
そんなことがあったんですね。彼女たちは敗戦後に帰国したのでしょうか・・・?
留学時代、もうひとりベトナム系アメリカ人のひとと知り合いました。一学年上でした。アメリカに移住した頃は彼自身が幼かったためにベトナムの記憶は一切ないようでしたが、一度彼のニューヨークの実家に泊めてもらったことがあります。ニューヨークといってもブロンクスという地域で、今はどうかわかりませんが、当時のブロンクスは身の毛もよだつほどの犯罪区域。そこに英語を喋れないおばあちゃんも一緒に薄暗いアパートで暮らしていたのです。地下鉄の駅からご実家にいく行く途中はお店のガラスが割れていたり、と街全体に強盗の形跡あり。すれ違う人が全員犯罪者のように見え、震えながら歩いていました。移住=ハッピーではない、というか、苦しい思いをしてようやく辿りついたアメリカで、こういう地域で生活をスタートさせたんだな、と思いました。ご本人はアメリカ育ちで性格も明るいのでハッピーそうでしたが、ご家族はアメリカに移住してどうだったんでしょうね・・・ 勿論、南ベトナムで捕らえられて拷問を受ける可能性があったのであれば、逃げるしか方法はなかったんでしょうけれども・・・ 移住後の姿を見ると、さまざまなので複雑です・・・・。
ではでは・・・ありがとうございました!
茶柱
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- ateruiさん 2011/10/25 16:30:17
- 複雑ねぇ
- 難民収容所って言ったって 捕虜収容所にもみえるし
こう言う施設は 微妙だなぁ〜
何だったんか知らないで見ると 木造の適度に朽ちた廃屋が なんとも言えない癒された気持ちにしてくれると思うけどね!
当時の住民の写真やお墓や監獄迄みちゃうと どうみても捕虜収容場だなぁ
しかし木造建築物は人がいなくなってから十年一寸でこんなになっちゃうんだねぇ〜〜 一年真夏ってこともあるんだろうけどね
お墓参りに来る人がいることがわかって少し安心したわ!!
本当に此処の住人は皆が幸せになってるといいねぇ〜!
しかし タツ蔵さんの貴重な写真 すんばらしいわ!
彼ら 自給自足的生活だったんかしらん? enn8801
- 茶柱タツ子さん からの返信 2011/10/25 17:56:30
- RE: 複雑ねぇ
- enn8801さん、
ありがとうございます〜
タツ蔵、きっと喜んでしまいます。黙っておいたほうがいいかなぁ。・・・^^;
今回の日帰り旅行は読んでる人を落ち込ませたり暗くさせちゃうかなぁ、アップするのをやめておこうかなぁーとも思ったのですが、自分にとって大事な旅なので自分が後々振り返るための記録としてアップしました。
そうですよね。確かに20年も経っていないのにあの朽ち方!
猛烈な暑さと湿気、そして雨季の豪雨のせいなのでしょうかね・・・維持管理されているのはお寺と教会と博物館のみって感じで、あとは朽ちていく一方みたいですね。
一応、国連高等弁務事務所(UNHCR)の管轄だったので、生活の補助はあったと思いますね。ただ写真を見ると野菜を売っている人が写っているような気がして、地元のひとなのか、ベトナム人なのかが分からないんですよね。この敷地の隣に典型的なインドネシアの村がありました。
ベトナムに返された経済難民なたちにはUNHCRがベトナムへの飛行機代、そして当面の生活費を出したそうですよ。それとまぁ国を無断で出てきたことへのお咎めはしないように、と政府に確約させたとか・・・・ちょっと詳しいことはよく分からないですけど。
あのお墓はちょっと辛いですね。あと身ひとつでベトナムを飛び出して、家族も知らない間にあそこで亡くなった孤独なケースもあるでしょうね。誕生日と没年月日が記された墓標を見ながら、いろいろ想像してました。
それにしても、雨があがったあとのこの一帯の暑さといったら・・・・・歩き回ったあとはミネラルウォーター一本一気飲みです。ハエも蚊も多し。あの中で7〜8年暮らした人もいるかと思うと、到底やわな私にはこういう試練は無理です。いやいや、もう想像だけで本当に真っ平御免なのです。
茶柱
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- nakamasananiwaさん 2011/10/25 10:35:04
- え?
- また10に戻ったん? 25やなくて
10ならまた行けるなw
スマトラも行きたいとこいっぱいあるし
それにしてもバタ無ってぐらいでなんにもないと思ってたけれどバタムのむこうがあったこと失念しておりました、リアウ諸島やもんね、おおきに
- 茶柱タツ子さん からの返信 2011/10/25 12:49:13
- RE: え?
- タイチョー
25になったときがあったんですか??それはいきませんよねぇ!
以前20になった、と風の便り聞いていたので、今回、念のため10ドル札3枚をお財布にいれてでかけたのですが、イミグレで「いつまで?」と聞かれ、「今日中に戻る」と答えると、「なら10ドルでいいよ」ということでした。
「アンタが独断で決めるんかい!」
とちょっと目が点になりましたが・・・・^^;とってもいい加減な国境のひとつです。
茶柱
- nakamasananiwaさん からの返信 2011/10/25 14:50:48
- RE: RE: え?
【お知らせ】※更新2011年7月1日更新
インドネシア政府より到着ビザについて変更事項の通達がありましたのでお知らせいたします。
2011年7月1日より7日間まで有効の短期観光ビザ(US$10) が取得可能となりました。
8日以上滞在の場合は30日間まで有効の観光ビザ(US$25)となります。
ほんまや、こないだまで25やったんが7月にもどしとおるwまぁよかったね
ゴルフ客のおかげやな、たぶん
- 茶柱タツ子さん からの返信 2011/10/25 15:01:08
- RE: RE: RE: え?
- 正確な情報ありがとうございます!
あのイミグレはまともだったんですね! 笑
それにしても25だったとは、恐ろしい。知らなくて幸いでした。15ドルも違うじゃないですか!
その浮いた15ドルでチープなインドネシアンフードがどれだけ食べられるか。
10ドルならば、バリ島いってもいいですねぇ。フームフムフムフム。ニヤニヤニヤニヤ。
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