2011/08/15 - 2011/08/15
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T-サウルスさん
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宇和島市のほぼ中心部の城山(標高74m)にそびえる宇和島城…。
ここを攻略したく、今回の旅を設定したといっても過言じゃない。
とにかく朝から暑い…。
備中松山城や但馬竹田城を経験しているおいらにとって、然程きついコースではないが、できるだけスタミナを消耗しないように進む。
そして小さくとも3層3階建ての現存天守閣が…。
宇和島城は1601年、城造り三名人の藤堂高虎によって築城(ちなみにあとの二人は黒田如水、加藤清正といわれている)された。
現在はその面影は残っていないが、当時は宇和海に面していて、リアス海岸の地の利を生かした縄張りだったといわれる。
自ら見事な城を築いた高虎もこの後今治に転封(てんぽう)となり、あの伊達家が入封する。
これには浅はからぬ因縁がある。
伊達政宗の長男「秀宗」は4歳の時に豊臣秀吉のもとに人質となる(この場合の人質とは、現在の意味とは違い、誓約関係の証として相手方にとどめておく意味合いがあり、それに任命されるのは当然のことだが、将来の指導階級になるであろう人物となる)
その際秀吉の一文字を授かり「秀宗」と命名される。
だがそのあと、徳川家康のもとにも人質となる、数奇な運命をたどる…。
しかしこのことが、宇和島伊達10万石に布石になったのだから、歴史とはオモローである。
関ヶ原の決戦では、伊達は東軍につき、勝利に貢献。
普通なら、伊達家は政宗から秀宗へと代が受け継がれることに何ら問題はないはずだが、豊臣家で元服(元の意味は頭に冠を授かること、この場合は秀吉の一文字を授かったことから、元服といえるのかもしれない)したこと、また秀宗の生みの母が側室であったため、政宗の跡継ぎにふさわしくないと徳川家康の思いがあった。
かといって、関ヶ原で手柄を立てた伊達家(秀宗自身も初陣で出兵)をないがしろにするわけにもいくまい。
そんなわけで秀宗は宇和島に転封となり、宇和島は伊達10万石の城下町として栄え、宇和島・伊達家は10代続き、明治を迎える。
ちなみに伊達家の家紋とされる「竹に飛び雀」仙台伊達家と同様だが、竹の葉、節の数が違い、区別されている。
入城料200円を払い、天守閣内部へ…。
展示物は特にないが、日本のほかの名城の写真が展示されている。
それから…。
中は乾いた風が気持ちよく「涼しい〜〜〜。」
宇和海の展望もオモローだ!!
下界はこんなに蒸し暑いのに、扇風機もないのに涼しい…。
日本の気候をうまく利用した古の職人さんに頭が下がる思いであった。 .
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