2011/07/25 - 2011/07/25
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がおちんさん
旅の3日目、石林から瀘沽湖に向けて出発しました。
今日は初っ端からバスが来なかったり、飛行機チケットが売り切れていたり、雨で道が不通になったりとトラブル続きでしたが、不思議とその場にいる人に助けられて、先へ進めました。
朝から夜中まで移動の連続でしたが、昔の旅を回想しながらの楽しい一日となりました。
旅のルート(2011/7/25)
石林→昆明→麗江→白沙→麗江→攀枝花
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 飛行機
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2011年7月25日(月)
朝6時に起きる。石林風景区の中は静かで空気がいい。
7時の昆明行きバスに乗るため、野鳥の声を聞きながら停車場へ向かう。 -
米線(5元)で腹ごしらえ。
辛子を抜いてもらうと、飲んだ翌朝にちょうどいい味。 -
ここでトラブル発生。
風景区から出るはずの7時発のバスが来ない。
そして、その次の7時50分発も来ないのだ。
幸い、Sさん夫妻に石林県城(路南)まで車で送ってもらう。
一昨日の東方航空もそうだったが、
今回の旅は足止めが多くなりそうな予感がするなー。 -
20分ほどで路南へ到着。
たいまつ祭りの影響で、バス駅は大混雑。ひょっとしたら風景区発のバスもこっちに回しちゃったんじゃないだろうか。
祭りの期間は、1年で最も混むのだそうだ。 -
Sさんの親戚がバス駅の服務員をしているので、ケータイで昆明行きのチケットを確保してもらうことができた。ラッキーだ。窓口に並んでいたら、すぐに出発できないところだった。
お礼を言ってバスに乗り込もうとしたら、その服務員は私も知ってるPさんだった。彼女と会うのは21年ぶり。互いに驚く。
Sさん、Pさん、ありがとう。 -
バスは8時10分に昆明へ向けて出発。
Pさんの計らいで最前列の席に座ることができた。 -
はりねずみのようなトラック。
中国にはこんな危険車両があちこちに走っている。
荷崩れしようが没問題。 -
高速道路を快走する。
車窓には石林らしく、岩が屹立していた。 -
運転手さん、頼むから高速道路でメールするのは止めてくれー。
-
中国では高速道路でも人が普通に歩いている。
さっきの危険車両もそうだが、中国は安全に対する観念が希薄。
これじゃ、国際免許も通用させられないわけだ。 -
ローストダックで有名な宜良を通過する。
すっかり都会になっていて、以前の面影は無し。 -
高層マンションが建ち並んでいるけど、ここは人も町も恐ろしくカントリーだったのだ。
宜良ではちょっと恥ずかしい思い出がある。 -
★1990年6月の宜良
ここは昆明から近いわりには田舎指数が高く、のどかな町だった。
通りの茶室には日焼けした男たちが集い、談笑していた。 -
★1990年6月の宜良
町には川が流れており、麗江ほどではないが古都の雰囲気を感じられた。
旅行客は皆無で、ここは穴場だなと思った。 -
★1990年6月の宜良
人通りの多いメインストリート。右にあるのは人民飯店。事件はここで発生した。
留学中、同学の日本人女性とここに宿泊しようとすると「結婚証明書を見せろ」という。「そんなアホな制度は中国人だけに有効だ」と言い返しても当然聞き入られず、別々の部屋にされてしまった。
私の部屋にはもうひとつベッドがあったので、彼女ををそこに寝かせていたら、夜中に老板と服務員が鍵を開けて入ってきた。セックスでもしていると思ったのか、懐中電灯でこっちを照らし、「服を着て受付に来い」とえらい剣幕。って、裸でもないし、睡眠を妨げられてこっちも逆切れ。
この田舎者!外国人旅行客にはそんなルールは通用しねーんだよと言いかけて、はっと気づいた。この人たちは自分の仕事を真面目にしているだけなのだと。間違っているのはこっちだった。人の土地に勝手に来てルールも守らぬ、怪しからん奴らと思われたに違いない。
結局、長々と説教され、老板は「文明社会には団結が必要だ」としめくくった。熱心な共産党員だったのだろう。
きっと外国人旅行者なんて来たことがないのだ。同時期、昆明や大理、麗江あたりでは、外国人は男女とも部屋はおろかトイレもシャワーも同じものを使わせられていたのだから(ほとんど動物扱い?)、皮肉な話だ。 -
★1990年6月の宜良
翌朝、気を取り直して馬車で西山温泉へ向かう。ところが、馬がとつぜん興奮して、他の馬に乗りかかってしまった。御車のおじさんは大慌てで馬を叱りつけるが、盛りのついた馬は言うことをきかず難儀した。
ようやく、田んぼの中にある西山温泉に着いたが、浴槽のまわりは泥でグチャグチャに汚れているうえ、女性用のほうは栓が壊れて湯がたまらなかったという。二人とも湯だけ浴びて(湯量は豊富だった)、温泉を出た。 -
21年前の小旅行を思い出していたら、陽宗海が見えた。
昆明も近い。 -
9時半に昆明東部バス駅に着いた。速い!
といっても、昔みたいに街の中心地ではなく郊外だ。 -
麗江まで飛行機を使えば、今日中に瀘沽湖に行けるかもしれない。
すぐにタクシーで空港に向かう。
おばさんドライバーは首都高みたいな道を飛ばす。いや、ちょっと飛ばしすぎ。
ハラハラしたが、18分で空港に着いた。 -
空港のチケットカウンターに行くと、麗江行きは16時20分発の便まで空席が無いという。
うーん、6時間半も待つのは厳しい。
どうしようかな。 -
すると、ダフ屋の姉さんが登場。「早く早く、10時55分発のキャンセルが出たから。あと40分しかないわよ」と急かす。
キャンセルが出たなら、なぜチケットカウンターの端末に反映されないのかと問うと、「今出たばっかりだから反映されるまで時間がかかる」と言う。
ちょっと嘘くさいけど、姉さんの話に乗った。960元の正規料金が1280元と高いが、すぐに乗れれば構わない。ついでに彼女の仲間から2万円分を両替(銀行レートの50元増し)して、チケット代を払った。
写真はパスポートナンバーと名前を登録してくれる姉さん。
ともかく、すぐに飛行機に乗れることになった。 -
いろいろと慌しかったけど、機上の人となり一安心。
眼下に見えた金沙江。
しばし雄大な眺めを楽しむ。 -
50分で麗江空港に到着。
あっという間のフライトだった。 -
麗江といっても空港は鶴慶県の盆地にあるため、麗江市街までは空港バスで1時間かかった。
-
麗江のバス駅では、またもやトラブルが発生。
瀘沽湖への道は雨で不通になったため、本日と明日の切符販売はしていないとのこと。また、経由地になるニンラン行きのバスも、今日の午後便は運行しないそうだ。
そ、そんな! せっかく飛行機で飛んできたというのに。
これからどうしよう。
※時計が狂っているのが中国っぽい。 -
時間は13時半。これからどうするか結論を出す間に、白沙のドクター・ホー(和士秀先生)を訪ねることにした。
偶然にも、バス駅前に停まっていた軽タクシーのおばさんが、ホー先生の親戚だという。
ならば話が早いと、車をチャーターして白沙に向かう。 -
白沙には1989年、1990年と自転車で訪れたことがある。
今日は昔の写真を持参したので、プレゼントしよう。 -
白沙に到着。
タクシーおばさんが、「おじさーん」と呼ぶと、ドクターが奥から現れた。 -
ホー先生は79歳。ということは、22年前は案外と若かったのだ。
当時から麗江のハーブ医として有名だったが、今や「雪山神医」と呼ばれるようになった。
でも、例のノリは相変わらず。いや、以前より随分と濃くなっているかなー。 -
★1990年のホー先生と息子さん
この写真を見せると、息子さんはとても喜んでくれた。 -
「アリガトウゴザイマシタ」とカメラを提げているのが息子さん。
私の隣の青年は誰だろう? -
★1989年のホー先生
謎はすぐに氷解。青年はホー先生のお孫さんでした。
このときは赤ちゃんだったもんな。
しかし、このとき先生は57歳って、貫禄ありすぎ。 -
久しぶりに訪れた本草診所は博物館みたいになっていて、昔とはずいぶん雰囲気が変わっている。
しかし80歳近くの人が、ここまで自己アピールをし続けられるのもすごい。ホー先生はまだまだ枯れていない。
もうすぐ執筆中の本が完成するという。処方だけでなく、治療哲学も含めた内容になるそうだ。
楽しみです。 -
昔と変わらず、中庭にはハーブがいっぱい。
「わしゃ、癌でも治せる」と力強く語った、ホー先生。
息子さんが引き立て役に徹していたのが印象的だった。 -
白沙を後にするころ、雷が鳴って大雨が降りだした。
再び麗江へ戻る。 -
「オチャヲドーゾ」とみやげにくれた、健康茶。懐かしい、21年前と同じにおいがした。
タクシーのおばさん曰く、「この茶に300元払ったドイツ人がいた」という。高すぎると言うのだ。しかし、ホー先生は一言も300元払えとは言っていない。1元しか払わなくたって文句は言わないはずだ。
相手に価値を決めさせるというスタイルが医療に向いているかどうかは別として、金の無い患者にとっては大助かりだろう。
問題はそんなことよりも、診断と処方を含めて、その薬(ハーブ茶)に効果があるかどうかだと思う。
私の経験では、生薬は効く。 -
麗江のバス駅に戻り、瀘沽湖方面の状況をたずねるが、相変わらず明日のチケット販売の予定はないという。
とりあえず、地鶏米線を食べて考えることにした。 -
地鶏米線(5元)はあっさり味で美味かった。
タクシーのおばさんは、「明朝のニンラン行きに乗っても、道が復旧されなければそこで足止めされる可能性が高いよ」と言っていた。
確かにそうだ。雨も降り続けているし、今晩麗江に泊まるメリットは無い。
瀘沽湖の目的地は四川省側の左所(瀘沽湖鎮)だから、遠回りになっても確実な四川ルートを行くほうがいいかもしれない。
攀枝花に向かうことにした。 -
16時発の攀枝花行き(最終便)にギリギリ間に合い、雨の麗江を後にする。
すっかりテーマパーク化されたという麗江に興味は無いけど、麗江古城の前を通りかかると昔の記憶が蘇ってきた。 -
★1989年の麗江
納西族でにぎわう四方街。 -
★1989年の麗江
川は洗濯や野菜を洗うところ。 -
★1989年の麗江
燃料用のマキを運ぶ。 -
★1989年の麗江
納西族といえば、七星披肩と青い人民帽。
街では北斗七星の無い、簡易バージョンを身につける人がほとんどだった。 -
★1989年の麗江
納西族のトレードマーク、七星披肩。
気候や仕事によって裏表を使い分けるという。 -
懐かしい思い出と共に、バスは雨の山道を走る。
金沙江を渡るため、九十九折を下っていく。 -
黄土色の金沙江と金安橋が見えた。
やっぱり荒々しくて迫力があるなー。 -
★1990年の金沙江通過の様子
昔は金沙江を渡るときは、乗客はバスを降りて歩いた。
車がすれ違えないため、かなり待たされることもあった。
※写真は涛源にある金江大橋 -
★1990年の金沙江通過の様子
空車になったバスは、ゆっくりと橋を渡る。
写真は雲南製のバス、雲南号。 -
現在は一気に橋を渡り過ぎてゆく。
-
永勝の盆地を走る。
県城まではもう少し。 -
永勝に着いた。
ここも思い出の町だ。 -
★1990年の永勝
のんびりとした古い町。
彝族が多く歩いていた。 -
★1990年の永勝
思わずバスを降りてしまうほど、町には活気があった。 -
現在の街並みからは、バスを降りたくなるような魅力は感じられない。
-
19時半、街道沿いの食堂で夕食休憩。
永勝で停まればいいのに、運転手はわざわざ辺鄙な店で食べさせる。
バックマージンが入るからだ。 -
15元のプレートディナーを食べる人が多かった。
調理場と洗い場を見て、私はパス。 -
運転手にはごちそうが振舞われる。
もちろん無料サービスだ。 -
20時に休憩を終えて出発。
ここからまだ4時間もかかる。
ラストブラッドなどのB級アクション映画を2本上映した。
目が疲れただけの下らん映画。 -
華坪から先は悪路が続いた。
さすがに今日は疲れたなあ。 -
ようやく、金沙江に沿った工業地帯が見えてきた。
攀枝花まで、あと少しだ。 -
24時ぴったりに、攀枝花のバス駅に着いた。
すぐさま駅横の宿にチェックイン。
24時間営業って書いてあるけど、警備員もフロントも宿泊階の服務員も、全員睡眠中だった。
申し訳ないが、「ウェイ!フーウーユェン!」と大声で起こさせていただきました。 -
部屋の鍵を開けてくれた寝ぼけ顔の服務員から、「この宿は泥棒が多い。私が見張っているから、早く顔を洗ってきなさい」と言われた。ヒエーッ。
夜中に何度も鍵の開け閉めをするのが面倒くさいのはわかるけど、こんなこと言われたのは初めてだ。久しぶりの共産国的サービスに胸を打たれた。
自分で責任持つから大丈夫と伝えると、服務員おばさんは「私は責任取らないから」と言って部屋に帰っていった。すごい宿だ。
攀枝花は暑い。
眠くてたまらないけど、洗濯は済ませてから就寝した。
朝にはすっかり乾くだろう。
長い一日だった。
2011年雲南・四川の旅 【その3】に続く
http://4travel.jp/travelogue/10594245
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