2011/07/04 - 2011/07/05
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Andresさん
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人口約7,000万人、豊富な石油資源を持ち実質GDPも約8,000億ドル(世界20位程度)の中東の大国イラン。反米国家でもあるその雰囲気やペルセポリスなどの世界遺産などを見に行きたいと思い、12日間の休暇で訪れることにしました。
また、イランに行くためにはエミレーツ便が都合良く、経由地であるドバイも見てみたいと思い、ドバイも2日間訪れることにしました。
■旅程
1日目 成田22:00 → ドバイ翌3:50 (Emirates)
2日目 ドバイ7:45 → テヘラン10:25 (Emirates)
テヘラン13:30 → シーラーズ14:40 (Mahan Air)
午後シーラーズ観光
3日目 午前ペルセポリス観光、午後シーラーズ観光
シーラーズ22:00 → ヤズド翌4:00頃(バス)
4日目 ヤズド1日観光
ヤズド19:00 → イスファハン翌0:00頃(バス)
5日目 イスファハン1日観光
6日目 イスファハン1日観光
イスファハン20:30 → マシュハド22:30 (Iran Airtour Airlines)
7日目 マシュハド1日観光
8日目 マシュハド5:15 → テヘラン6:45 (Mahan Air)
テヘラン1日観光
9日目 テヘラン1日観光
テヘラン22:45 → ドバイ翌0:15 (Emirates)
10日目 ドバイ1日観光
11日目 ドバイ1日観光
12日目 ドバイ2:50 → 成田17:35 (Emirates)
旅行日記を書くにあたり、地球の歩き方09-10年度版とロンリープラネット(Jul 2008 5th edition)などを参考にしています。
■イスファハンでは
4日目の夜中に北バスターミナルに着き、5日目にハシュト・ベヘシュト宮殿、セパハンのグッズショップ、エマーム広場、マスジェデ・ジャーメ、ジョルファー地区、スィー・オ・セ橋に行き、6日目に再度エマーム広場に行き、その後イスファハンで会ったイラン人のご自宅に招かれました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
夜中の0:00頃。ヤズドからの便でイスファハンの北バスターミナルに着きました。
北バスターミナルに着く前にもう一つ大きなバスターミナルを経由しましたが、東西南北のバスターミナルのうちどのバスターミナルかはわかりませんでした。 -
北バスターミナル併設のカーヴェホテルに着きました。
正確な値段は忘れましたが、200,000リアルちょいくらいと清潔なホテルの割にはかなり格安だと思いました。この値段で朝食もついてました。 -
ホテル内の壁に示されていたメッカの方向。
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翌日、北バスターミナル手前の大通りから市バスに乗り、市の中心部に向かいました。スィー・オ・セ橋付近まで乗り換えなしで行くことができました。
そして、その日の宿はスィー・オ・セ橋近くのツーリストホテルにすることにしました。
こちらも清潔で良いホテル。正確な値段は忘れましたが、朝食つきで300,000リアルちょいくらいだったと思います。 -
ツーリストホテルに荷物を置き街歩きを始めます。
ハシュト・ベヘシュト宮殿のあるシャヒード・ラジャーイー公園内で見つけた看板。筋トレの説明のようですが、、 -
近くで太めのおっさんが頑張ってました。
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ハシュト・ベヘシュト宮殿。
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古びた感じでしたが、まぁまぁ綺麗な天井でした。
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相当古くて傷んでいるせいか修復作業?をしていました。
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ハシュト・ベヘシュト宮殿近くのJahan Nama Complexまで来ました。
Citibank、、、ではないか。 -
けっこう大きいショッピングモールですが、テナントがあまり入っておらず閑散としています。
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見つけました。アジアチャンピオンズリーグの常連、セパハンのグッズショップ。
【参考】
①セパハン公式ページ
http://www.fooladsepahansport.com/eng/modules.php?name=News&file=article-seo&sid=2437-Sepahan-Shop-to-Open-Next-Week
②イランのサッカー情報
http://blog.goo.ne.jp/fuzki
場所は、グーグルマップで"Jahan Nama Complex"と検索すれば表示されます。
なお、ショッピングモール内にいた人によると、そのうちイスファハンのもう一つの強豪チームのゾバハンのグッズショップもこのショッピングモール内に入るとのことでした。 -
店内に飾られてた写真。アジアチャンピオンズリーグで浦和レッズと対戦した時のものでしょう。「内館」の横断幕が見えます。
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DAEIブランドのシャツを発見。デザインがあまり気に入らなかったので買わなかったですが。
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買ったのはセパハンの2008年のアウェイユニフォーム。この写真のように白地をベースに斜めのカーブのラインが胸のあたりに入り、お腹のあたりで縦のラインになる変わったデザイン。一目で気に入りました。
長袖の右肩にはAFC2008と書かれたワッペンがあり、背ネームはE.TOURE No.10。おそらく、Ibrahima Touréという選手のものと思われます。
購入は2011年でしたが、2008年のAFC仕様のアウェイユニ。しかも選手の背ネーム入り。かなりのレアもので嬉しい買い物でした。 -
今度は偽H&Mが。。
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Jahan Nama Complexを出たらこの写真の光景が。
何かの儀式かなーと思いましたが、後ほどこの写真を見たイラン人によると、これは葬式だそうです。 -
エマーム広場まで来ました。
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マスジェデ・エマーム。
このようにテントが張られていて景観が台無しだったのがちょっと残念。 -
この骨組みが邪魔でしたが、このエイヴァーンの細やかな装飾がよいです。
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モスク内部の精密な幾何学模様にも思わず見とれてしまいます。
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拡大して見ても良し。
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遠くから眺めても良し。
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モスク外観もエメラルドグリーンが空に映えてほんと綺麗。
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外観も精密な幾何学模様が描かれています。それにしても外観は特にこのエメラルドグリーンが鮮やかで良いですね。
マスジェデ・エマームがイランで見たモスクの中で一番綺麗だったと思います。もっと派手な内装とかが好きな人はマシュハドのエマーム・レザーの聖墓などのほうが好みかもしれないですが。
個人的には、イスタンブールのスレイマニエ・モスクよりも良かったと思います。 -
ちなみに、特にモスクなどでは肌をあまり見せるのはよくないお国柄のはずが、モスク内を堂々と短パンサンダルで歩く人もいました。
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マスジェデ・エマームを堪能した後は、エマーム広場の北方に向かい、イスファハン名物、迷宮のような市場の中を散歩します。
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バザールの外に出るとハンバーガー屋が。アメリカ文化の象徴のような気もしますがイランにもあるようです。お昼時でお腹が空いていたので入ることにしました。
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ハンバーガー屋のオヤジが店内で肉をジュージュー焼いた後に出てきたのがこれ。直径15cmほどだっただろうか。巨大ハンバーガーでした。肉は羊肉だったような気がします。
Doughという飲むヨーグルトも頼みました。日本で売っているような飲むヨーグルトと違いかなり濃い塩味です。 -
コカコーラが売っていました。
アメリカの会社の商品がイランで売られているのか?と思いましたが、CNN Money(http://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune_archive/2007/03/05/8401292/index.htm)の記事によると、偽者ではないようです。
たいていのアメリカの商品は経済制裁によりイランで商売をしてはいけないようです。ただし、コカコーラとペプシコはアイルランドの子会社にライセンスを与えて商売をしていることもあり、アメリカの法には抵触することなく商売をすることができているみたいです。子会社を通じてか、イラン企業のKhoshgovarと提携しています。この写真を見ると、"Canned under authority of The Coca-Cola Company by Khoshgovar Company"と書かれています。
現在、イランの年間の飲料水の売り上げのうち半分はイランの会社であるzamzamがあげていると推定されていますが、コカコーラとペプシコは合わせて40%ほど。このシェアはイランのお国柄を考えるとちょっと驚きです。
記事によると、イランの宗教政治家はコーラが売られることを嫌がっているが、流行好きな若い人は外国文化に慣れてきているし、アメリカの商品ということを気にしていないことが書かれていました。
確かに、この記事や訪れた現地の印象からすると、特に若い人には外国(アメリカ)文化に対する抵抗感があまりない人が多いように思えました。(もちろん、アメリカやイギリスが嫌いだと言っていた人はいたし、聖地マシュハドではアメリカ嫌いな宗教指導者の言うことを忠実に聞きそうな信心深そうな人達も見ましたが)
そうすると、アメリカの立場からすると、経済制裁ばかりせずに、こういった人達に働きかけて経済・文化面の交流を強くする方が得なんじゃないかという気もしたのですが、貿易促進→石油の輸出などでイランが豊かになりかねないのは、特に今のイランの政治状況のままでは不都合なのかもしれません。例えば、廉価な労働力などを武器に輸出を伸ばして力をつけた中国が脅威になってきているということもありますし。
売られているコーラを見て、イランとアメリカの政治・経済などの関係がちょっと気になってしまいました。 -
ハンバーガー屋の後は、マスジェデ・ジャーメに向かいます。こちらはその手前のバザール。
薄暗いし、建物はかなりボロいし一見治安悪そうに思えて歩きたくなかったですが、構わず歩いてみると、バザールにいた人に声をかけられました。こちらが日本人だと言うと、、 -
「ヒデトシナカーター!、シュンスケナカムーラ!、シンジオーノー!」
とハイテンションになった。サッカー好きのようですね。
写真はその時のおじさん。 -
バザールの出口付近では鳩や鶏も売られていました。
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マスジェデ・ジャーメにたどり着きました。
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マスジェデ・ジャーメは8世紀に創建されて以来、各時代に拡張されていったようです。各時代の建築様式には詳しくないのですが、、素人目で見てもこの古めかしさは魅力です。
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マスジェデ・エマームなど派手なモスクばかり見ていると、逆にこの土っぽい感じが魅力的。
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ハシュト・ベヘシュト宮殿と同じくこちらも修復作業をしていました。
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少しモスクを歩いていると、、やっぱりここにもいた。
暑いイランの夏の風物詩、
だらしなく寝るおっさん。 -
また街の中心に戻ることにし、バザール内を歩きます。
ネクタイは欧米文化だからイランでは好まれないと聞いていましたが、普通にいろんなとこでネクタイ付けたマネキンを見かけました。 -
ブルカ!
じゃないか。
忍者って違和感なくイランに溶け込めそうだ。 -
チャハール・バーゲ・パーイーン通りまで歩き、そこからバスに乗ってジョルファー地区まで来くことにしました。
チャハール・バーゲ・パーイーン通りのバス停でおじさんにからまれたのですが、声を潜めて「イスラムは嫌だ。女性と話しただけで逮捕される」などとイスラム教や国の悪口を聞かされました。
とは言え、ジョルファー地区に行くと言うと、乗るバスを教えてくれた上に「俺もそちら方面に家があるから同乗する」と言い同乗してくれました。降りてからも道案内すると言ってくれたのですが、癖がありそうなおっさんだったので一応安全のため断っておきました。大丈夫だったかもしれないですが。
ジョルファー地区は、アルメニア人居住区で、17世紀初頭にアッバース1世がアルメニア人の優れた職人や商人などを呼び寄せたのがその始まりだそうです。アッバース1世は、イスファハンの栄光に寄与する彼らに信仰の自由を与えたため、独自のキリスト教世界が作られたそうです。
この写真もどことなくヨーロッパのもののように思えます。 -
ヴァーンク教会。モスクっぽい感じでもあり、、でも、ドームの上には十字架が見えます。
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教会内部。このキリスト教の雰囲気、ここがイランとは思えない。
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イスラムの幾何学模様っぽい感じがするのですが、影響を受けたってことでしょうか。
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ヴァーンク教会周辺にはたくさんの車が停まっていたので写真を撮ってみました。
こちらは、KIA。韓国のメーカーですね。よく見かけました。 -
こちらはプジョー。これもよく見かけました。
テヘランにいた時に喋ったタクシーの運ちゃんによると、イランの国産自動車が一番安いが性能悪い、KIAやプジョー、ルノーはまぁまぁ。日本の車は高級だそうです。
その運ちゃん一人にしか聞いていないから本当のことかはわかりませんが。 -
ジョルファー地区のあたりをウロウロ歩いていると、なんとカーネル・サンダース発見!!
ケンタッキーってアメリカの会社のはずだけどイランに進出してるのか?と思って近づいてみると、、、 -
ZFC。期待した自分がバカだった。
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今度はまたジョルファー地区のあたりでフィットネスクラブを発見。
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中にはいかつい野郎共。
ズールハーネの伝統があるだけに、イラン人は筋トレ好きなんでしょうか。 -
ちなみに、ヴァーンク教会近くにあったプロテインとかダンベルが売られている店に飾られてた人形。
肉体は凄いのにおっさんの顔がなんだか間抜けっぽく見えるのだが、、このミスマッチ感が良い。 -
歩いてスィー・オ・セ橋まで来ました。
夕暮れ時の橋付近には、夕涼みを楽しむ人達がやって来ます。なかなかの良い光景。 -
しかし、ザーヤンデ川は涸れていました。
この後スィー・オ・セ橋の下のチャイハーネで会ったイラン人によると、ヤズド方面にも水が供給できるよう上流の方で川の流れを変えたから涸れたのだと言っていました。そして、それをやった現大統領はクレイジーだと。 -
ちなみに川はこんな浅いもの。
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ここに水が流れていたらもっと綺麗だっただろうにと思うと残念です。
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チャイハーネ。チャイでも飲みながら夕日を眺めようかと思っていたら、店でおじさんに声をかけられ、話すことになりました。
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話してみると、失業中のジャーナリストらしい。勤めていた会社が政府によって潰されたとのことでした。政治についてはあきらめている感じで、国外で働くことを検討しているみたいです。大統領が変われば少しは良くなるんじゃないの?と聞いてみても、「また選挙で不正するだろう」と。
その他、日本の情報も収集しているらしく朝日のWEB記事やNHKを見ていると言っていました。日経は?と聞いてみても知らなかったみたいでしたが。
そして、こちらがかなりたどたどしい英語を話してると、日本人は文法とかは得意だが、話すのは苦手と言われてしまいました。日本人の特性についてもある程度把握しているようです。ちなみにこのおじさん、かなり早口の英語を話してきて聞き取りにかなり苦労したのですが、後々メールでやり取りしてみると文法は滅茶苦茶でした。
宗教についても話題にあがり、そのおじさんは「自分は祈らない」と言っていました。また、「そこにいるアラブ人やアフガン人も祈らない」と言っていました。こちらから「ムスリムなのか?」と聞いてみてもはぐらかされたのでわかりませんでしたが。。旅行前はイランは厳格なイスラム国家というイメージでいましたが、思っていたほどではないようです。
また、シーア派は1日3回祈るが時間は自由と言っていました。スンナ派は1日5回決まった時間に祈るようでしたが。
他、何を話したか忘れてしまいましたが、1時間以上は話していたかと思います。そのおじさんに対してはかなり博識な印象を受けました。さすがジャーナリストなだけあって。
なお、この情報自体が統制されているのかは知りませんが、イスラエルによるシリア爆撃のこともちゃんと知っていました。情報制限の網はかいくぐっているように思えて、例えば、Facebookはイランからアクセスできないように制限されているのですが、そのおじさんによると、「そんなのとあるソフト使えば簡単にアクセスできる」と言っていました。
次の日会った外国で働くイラン人も、実家に衛星アンテナを持っていて外国のテレビを見て情報は簡単に手に入ると言っていました。自分が話したイラン人が特殊だったのかもしれませんが、わりと一般のイラン人も外国の情報を得ているのでしょうか?
また、帰国後のおじさんとのメールのやり取りで、日本のノートパソコンを送って欲しいと言ってきました。なぜか?と聞いてみると、イランのノートパソコンは高いからだ、と言っていました。
3,4万くらいの安いやつでいいし送ってくれたら代わりに絨毯とか値段相当のイランの物を送ると言う。怪しい感じがしますが。
けど、騙されていなければ政治的に厳しい国の失業ジャーナリストへの助けになるだろうし、まぁ騙されていたとしても大した損害ではないからいいかと思い送ろうとしました。
結局のところ、パソコンに付いているリチウムイオンバッテリーの配送が国際的に禁止されていたので送れなかったのですが。 -
おじさんとひと通り話した後、街を少し案内してやると言うのでついて行きました。バイクの後ろに乗ると連れて行ってくれたのがこの橋の下。スィー・オ・セ橋から2,3個離れた橋だったと思います。
この斜め前方の柱で音を鳴らすと、対角線上にある柱に耳をあてるとその音が聞こえるなどの不思議な現象を教えてくれました。 -
夜のスィー・オ・セ橋。
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ホテルに戻り小売店で買ったイスラミックビールを飲みます。
マーオッシャイールというノンアルコールビールですが、こちらはレモン風味で、ビールの苦味にレモン味が加わったような飲み物でした。ビールののどごしがないし、ジュースのようにしか思えなかったです。 -
成分を見ると麦芽やホップが入っています。
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イスラミックビールを飲んだ後、就寝。
翌日、またエマーム広場まで来ました。この荘厳な雰囲気が良いです。 -
アーリー・ガープー宮殿の音楽堂の天井。この装飾的な穴は、演奏の際に余分な音を効果的に吸収し、美しい演奏を楽しむために計算されて開けられたものだそうです。
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様々な鉢、瓶、壷等が壁にデザインされていてお洒落。「陶磁器の間」と呼ばれているみたいです。
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エマーム広場周辺のある土産物屋。
こちらの店主のおじさん、こちらが日本人だと言うと、ガイドブックを見せろと言う。地球の歩き方を見せると、中身のページを必死でめくる。「このガイドブックに俺が写っているんだ」と言っていました。しかし結局のところ見つかりませんでした。
すると、店内から別の地球の歩き方を取り出し、「これが俺だ」と言う。が、実際のおじさんと比べると写真の方は結構若いようでした。どうやらその地球の歩き方は古い版のもの。現在の地球の歩き方に載ってないことを残念そうにしていました。 -
一通り観光した後、ホテルに戻り、待ち合わせていたイラン人と合流しました。たぶん30歳代と思われる男性です。
その人は前日にエマーム広場で会って少し話した程度だったのですが、別れ際に連絡先を交換しました。すると、前日の夜に「翌日会おう」というメールを送っていたようなのですが、こちらのほうでメールチェックしていなかったため気付かず。そして、この日の朝にホテルに電話をかけてきて、そこで話して昼に待ち合わせをすることにしました。
その人の車で自宅に向かい、出されたのがこの料理。スパゲッティ、ナン、ヨーグルト、フルーツと豪勢な食事でした。 -
リビングもこの通り立派でした。このサイズのスペースがまた写真の左にあり、さらにダイニングスペースもあり、広く立派でした。
招いてくれた人は外国とイランを行き来して商売をしているそうで、普段はお母さんと妹さん(家ではヒジャブをとっていたのですが、かなり美人でした。。)が住んでいるようです。お父さんは数年前に亡くなったとのこと。
いろいろと世間話などをしていたのですが、さすがはイラン人。だんだん商売の話を始めてきました。
そのイラン人はタイで商品を大量に買い付けてイランの個人相手に安値で売る商売をしているとのことでしたが、まずは、タイで仕入れたというナイキのシューズ、15ドル。デザインダサいし荷物になるのは嫌なので買わない。次に、リビングに飾られている食器や素焼きの陶器など。いらない。。今度は、妹さんの部屋に勝手に入っていく(妹さんは既に外出中)。妹さんは絵描きらしいのですが、飾られていた絵をいるか?と聞いてくる。それもいらない。。。
と、断り続けるのもなんだか申し訳なくなってきたので、結局イスファハンのブランド食器だと言うクリーマーを20ドルで買いました。豪勢な食事も出してくれたわけだし、そのくらいはいいかと思い。 -
しかし、申し訳ないと思ってはいけなかったのかもしれない。そのイラン人の家の後に空港に行くと言うと、空港まで車で送ってやると言う。しかしそれも商売ネタにされてしまった。
地球の歩き方に書いてある通り、ゴドゥス広場かアフマド・アーバード広場から乗り合いタクシーに乗ろうかと思っていましたが、広場までの移動などが面倒だったので話に乗ることにしました。
結局、交渉して13ドルくらいで落ち着きました。相場はわかりませんが、地球の歩き方で個人タクシーで60,000リアルくらいと書かれていたので、物価上昇を考えると、13ドルくらいならまぁいいかと思ってしまいました。日本の1000円札が欲しいと言い出したので、レート的に損でしたが、1000円と300,000リアルを払いました。
写真は到着した時に撮影したイスファハンの国内線のターミナル。 -
ちなみに、そのイラン人の家ではNHKとかいろんな国のテレビが見れたのですが、この衛星アンテナで受信しているそうです。
それから、招いてくれたイラン人は、イランの情勢について聞いても前日会ったおじさんと同様、あきらめ気味な感じでした。 -
空港に着き、これからIran Airtour Airlinesでマシュハドに向かうところだったのですが、遅延していました。イランの国内線だとよくあることだと聞いていましたがやはり。。。結局2時間遅れで出発しました。
待つ間に空港のロビーで暇つぶしをしようと思い、iPhoneを取り出して無料の無線LANがつながるか試してみると繋がりました。しかし、そこはさすがのイラン。Googleつながらず、twitterもダメ、facebookもダメでした。写真はその時のアクセス拒否された画面。なお、yahooはつながりました。
ちなみに、twitter、facebookともにWEBではなくアプリからアクセスしようとしてもダメでした。 -
だいぶ待ってチェックインできるようになってから出発ロビーに向かうと、売店にたくさんのDVDやゲームが売られていました。
しかし、よく見てみると、ここは中国かと思うような代物ばかり。200,000リアル(日本円で当時のレートで140円)くらいのものばかりでした。
まずはスパイダーマン。イランの一般国民はアメリカ文化のものもすんなり受け入れる人が多いのでしょうか。 -
こちらはイギリス代表。Mr. ビーン。
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日本代表、みなしごハッチ。
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ワードまであった。
値段忘れましたが、かなり安かったです。 -
ウイニングイレブンも。
-
IRAN PRO LEAGUEもあるんですね。
この選手が誰だかはわかりませんが、この眉毛と髭の濃さがなんだかイランっぽくていい。 -
ようやく飛行機に乗れましたがこのアエロフロートっぽい雰囲気。。
-
やっぱりキリル文字。ロシアのお下がりなのでしょう。
機体は恐怖のツポレフでしたが、何事もなく無事22:30くらいにマシュハドに到着することができました。
なお、国内線のチケットは日本で手配しましたが、その時の手配についてはシーラーズ編の旅行記(http://4travel.jp/traveler/andres/album/10582389/)を参照ください。
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この旅行記へのコメント (2)
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- yuk-inaさん 2011/10/22 12:03:27
- 川がない!?
- はじめまして。
ザーヤンデ川がカラカラに涸れている!?重要な観光スポット&憩いの場なのに、びっくりです。一時的なものなのでしょうか?
イランが反米になったのは30年前のイスラム革命からで、それまでは大の親米政府でしたよ。
私の周りのイラン人は、「革命で全部めちゃくちゃになった」と嘆きます。
まるで、それまで正しいとされていたものが全て墨で塗られる、日本の敗戦当時のような感覚に通じる気がします。(戦争も革命も経験していないので想像でしかありませんが)
- Andresさん からの返信 2011/10/22 22:43:51
- RE: 川がない!?
- はじめまして。
一時的なのかはわからないですが、他の旅行記などを見ても涸れているザーヤンデ川を見ている方はいるようです。
旅行では今の政府を嫌う人と話すことが多かったですが、あの国全体としてはどのくらいの割合の人が、政府支持or不支持、アメリカ好きor嫌いなのかは、単なる興味として気になります。
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