2011/04/21 - 2011/04/21
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ka-keikoさん
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杭州・紹興・無錫・上海4日間のツアーに参加した。
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関空から上海へ、着後バスで杭州へ移動中バスの中から。
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上海から杭州への移動中バスの中から。
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上海から杭州への移動中バスの中から。
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上海から杭州への移動中バスの中から。
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上海から杭州への移動中バスの中から。
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上海から杭州への移動中バスの中から。
道路沿いの家々が こういうタイプになってきている事に驚いた。 -
杭州に入って。
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杭州の街。
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杭州での交差点。
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西湖遊覧。
生憎のお天気、カメラの不調で イマイチの画像だが仕方が無い。 -
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西湖遊覧。
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西湖遊覧の後、西湖の一角にある西冷印社へ。
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「西冷印社」---冷は漢字が違うが---。
「西冷印社は1904年に創設された印章学の学術団体で 印章学の大家による金石書画や省内最古の石碑が見られる」そうだが さっぱり分からなかった。 -
案内図を見れば 階段を上がって見学できそうで面白いと思ったが
ガイドさんに登ってはダメと言われ---。 -
左の建物には何か書かれた物が並んでいる。
重要な物だと思うが理解できないので戻る。 -
杭州から紹興へ行く途中、バスの中から。
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杭州から紹興へ行く途中、バスの中から
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杭州から紹興へ行く途中、バスの中から
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紹興に入って。
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紹興のバス停に大きなお酒のボトル。
メイン通りのバス停に置かれていたので バス停の場所がよく分かる。 -
紹興の駅。
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紹興の街。
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紹興の街。
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紹興の街。
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紹興の魯迅故居(魯迅が青年期までを過ごした)。
「文豪魯迅(本名 周樹人)は、1881年に紹興で生まれ、1898年までの少年期を過ごし、1910年〜1912年に教師として帰郷した。魯迅の家は紹興で14代続き、官僚も輩出した良家だったが 魯迅の祖父の下獄を機に没落し、1919年にこの生家は人手に渡った。」---昭文社「中国」より -
紹興の魯迅故居。
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周家老台門(魯迅の祖父母の家)。
周家老台門(周家の古い屋敷)は、清時代の乾隆帝時代に建てられ、
魯迅の先人が代々住んでいた所。
南向きの青瓦・白壁の屋敷で、レンガ・木造建築。
玄関、広間、香火堂、座楼などから構成されていて、
現在 紹興で最も良く保存された清時代の台門建築のひとつである。
「徳寿堂」は、周家が客をもてなしたり、冠婚葬祭の儀式を行ったりした所。 -
紹興魯迅記念館。内部撮影禁止。
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小さな運河を挟んで寿家台門(寿家の家)へ。
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寿家台門。
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寿家台門は清時代の建築で、魯迅の熟の師である寿鏡吾一家が代々住んでいた住居。
門外の小屋、大広間、座楼、平屋、脇部屋などからなる。その中で東の脇部屋が三味書屋で、寿鏡吾はここで教室を設けて学問を教えていた。 -
三味書屋---若き日の魯迅が学んだ私塾。
魯迅は12歳から17歳までここで学んだ。内部には椅子と机が並び当時の様子が再現されている。 -
現存する最古の石橋、「八字橋」。
のどかな風景が今でも残っている。
橋の反対側では、この川の水で洗濯をしている婦人を見かけた。 -
現存する最古の橋、八字橋にて。
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ツアーに組まれた紹興酒の酒造元。
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紹興酒の酒造元、内部は写真撮影禁止。
ここで四葉のクローバーを2つも見つけたので
紹興酒に興味の無い私はラッキーだった。
翌日は無錫にあるドラマ撮影セット跡のテーマパーク三国城へ。
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