2011/06/01 - 2011/06/05
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ちどり OYAJIさん
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千年に一度といわれる未曾有の大震災に遭遇して、義捐金を贈るだけではもどかしく、また、現場に立ってこの目で見ておきたい衝動に駆られ、災害ボランティア活動支援プロジャクト会議主催、日本経団連1%クラブ募集の「東日本大震災の被災地の人々を応援する 企業人ボランティアプログラム」の第5クール岩手に参加して来ました。健康面・体力面など多少心配もありましたが無事五日間のプログラムを実行して来ました。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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初めての災害ボランティア参加です。参加要領に書かれている持参品を「本当にこんなに重装備が要るの?」と思いつつも、そこは初心者、素直に従って、安全長靴(踏み抜き防止インソール入り)ゴーグル、作業服、ヘルメット、防塵マスク、合羽・・・・とそろえたらこんな出で立ちになってしまいました。でもやはり初心者は基本に忠実に行かないとね。 現地に行ったらほかの参加者もきちんと装備してきていました。真面目にそろえて良かったです。
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盛岡に着きました。東北新幹線 はやて129号 東京発12:56 盛岡着 16:13 震災前ははやては東京⇔盛岡間を2時間20分で結んでいたと思いますが、今回のはやては3時間17分かかっています。減速運転をしているのですね。軌道が傷んでいるのか、巨大余震を警戒継続中なのかわかりませんが・・・ 盛岡駅で南部鉄瓶がお出迎えです。
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盛岡駅西口バスターミナルから、主催者が手配してくれた観光バスで宿泊場所の「繋温泉・ホテル大観」に向かいます。
このバスで今回の参加者が12名のクールであることを知らされました。みなさん若い方が多いです。(中には私より先輩の方も、ほっとしました) -
ホテルに着いて五日間同室になる方と顔を合わせ、すぐに食事の時間となりました。 豪華な夕食「俺たちボランティアだよ。こんなに豪華でなくても」と思いましたが、参加要領に「地元経済への貢献」も書いてありました。 そういうことですかと美味しくいただきます。
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一夜明けて、記念すべきボランティア初日。ホテルの窓から見える風景は雨・・・ 初日から雨かあと思いつつ5時半に起床し、6時から朝食、7時にはホテルを出発します。今回活動する場所は三陸海岸の陸前高田と釜石ですが被災地の近くには被災地以外に大きな街はなく、宿泊場所は盛岡だったり花巻にならざるを得ないようです。ですから盛岡から陸前高田まで100kmを超える距離を毎日往復しての活動になります。雨よ上がってください。盛岡と陸前高田はずいぶん距離が離れているから向こうは雨ではないかもしれないという都合のよい思考で(正常化の偏見かなあ)ホテルを出発しました。
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移動途中、8:00 遠野市の「道の駅 みやもり」でトイレ休憩。被災地へ行くのでしょう、機動隊の方も大勢おりました。やはりトイレ休憩のようです。
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9:00 陸前高田ボランティアセンター(以下VCと表記)に到着
ここまで来ても地震の爪あとはまだ何も見ていません。 宇都宮とか、仙台などで見かけた瓦が壊れた住宅も見当たりません。 -
陸前高田VC:今回参加して色々教えていただきました。災害時には各市町村の社会福祉協議会がVCを立ち上げボランティアを受け入れ、被災者のニーズを把握し、被災者とボランティアの間をつなぐ役割を担っているようです。
VCのプレハブハウスなども企業の寄付などによって成り立っているようです。社会福祉協議会も人出がありませんのでボランティア団体 NPOなどもここで協力して活動をしているようです。 -
陸前高田CVに飾られた「がんばっぺし 陸高」のステッカー
小さいステッカーを¥300で売ってましたので帰りに買って来ました。 これも復興のためのほんの小さな貢献です。 -
VCでのマッチング(ボランティアグループの能力に見合った作業を振り分けること)が終わり、グループ内でのミーティングです。津波に襲われた水田のガレキ撤去が今日のタスクのようです。
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その変化はあまりにも急でした。さっきまでは地震の爪あとはなにもなかったのに、 一転してなにもないガレキの平原が目前に広がりました。最初のこの瞬間、実は私は見落としました。資料に目をやりふと視線をあげたらもうそこはガレキしかない場所に変わっていました。絶句です。確かにテレビで見た光景です。でも見渡す限りなにもないガレキの平原が広がっています。こんなにすごいんだそれが最初に浮かんだ思いでした。
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ここもあるのはガレキばかり、 地震の前は町が広がっていた場所であろうことは容易に想像がつく、今は何もない。
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たくさんの自動車も被害にあっています。 保険の関係などで被災が証明できるようこうしてきちんと並べてくれているらしいです。
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ここも陸前高田市の住宅街だったはず。
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指定の作業エリア付近に到着しましたが、依頼者に会えません。しばらく探して地元の民生員の方が案内してくれました。
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この付近らしい。土地勘がないと探すのも一苦労です。GPS位置検索によればこの辺なのですが、目標物がなにもない。
素人目には住宅跡か水田か空き地か それすら見わけが難しい。 -
タスクはこの大船渡線の線路が落ちてきている場所が水田でここのがれきを水田の外の土手に運ぶのが役目らしい。 ぎっくり腰にならないようストレッチをして、犠牲になられた方に黙とうをささげ作業を開始する。 いきなり安全長靴+踏み抜き防止インソールの理由がよくわかりました。 雨模様なので合羽を着ての作業です。
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今回のチームは男性8人 女性4人 プラス事務局の世話役の女性3人の15人です。 女性陣も男性に負けず、汚れにもめげず良く動きます。
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津波に襲われ枕木が浮き上がり、そのまま移動したのでしょう。線路が盛り土のところから外れて下におちています。
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こちらは線路を逆から見た風景
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ガレキに飲み込まれている線路。そしてその向こうに海、かろうじて耐えた柿の木。 心が痛みます。
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線路の土手に座って弁当をいただきます。弁当は宿泊先のホテルで作っていただき、発泡スチロールの大きな箱に保冷剤と一緒に入れて持参しました。
結構疲れてきました。 -
近くの陶芸家の作品収納ハウスの清掃も仕事に加わりました。 高台の上の家ですが、窓から津波が侵入し中に置いてあった作品を押し流しました。包みを一つ一つ開いて掃除して棚に戻すのが仕事です。
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作品もほとんど棚に戻り、床面もほぼ片付きました。本当なら作品を洗って並べて、床面も水洗いしたいのですが時間切れです。16時までにVCに戻りその日の報告を済ませるのがボランティアの掟です。「おじさん ごめんねここまでです」
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陶芸家のおじさんは私たちの作業を大変お喜びになり、作品を一つづつプレゼントしてくれました。 ボランティアに行ってもらっていいのかな?とも思いましたが、そこは気は心とありがたくいただいて来ました。私は一輪差しをいただきました。 陸前高田のことを忘れずに大切に使いますね。
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陸前高田の奇跡的に残ったといわれる希望の一本松を見ることができました。
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今日の作業を終了して陸前高田VCに終了報告をしに来ました。NPOの方から色々な情報を聞かせていただいている写真です。
岩手の方は遠慮深く、なかなか自分の庭や家にボランティアを入れて作業をしてもらうというのに抵抗があったようです。社会福祉協議会やNPOの皆さまの働きかけでようやく最近は受け入れてくれるようになってきているようです。
ホテルに帰って、終了ミーティングを行います。ボランティア自信の心に傷を残さないために毎日受けたショックをこのミーティングで吐き出してストレスをためないでくださいということのようです。 -
一夜明けて6月3日。今日は釜石に作業に向かう予定です。朝ホテルの部屋の窓から御所湖に架かる橋とその向こうにガスのかかった山が見えました。今日は晴れそうな感じです。今日も5時半に起きて6時から食事、7時にはホテルを出発します。
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作業二日目、今日は晴れました。昨日同様7時にホテルを出て今日は釜石に向かいます。道の駅で休憩です。今日は釜石線の鉄橋(石橋?)もきれいに見えています。
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釜石のVC。今日はどんな作業でしょうか?
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2006年の冬に一度釜石駅を訪れました。懐かしい風景です。あの時お蕎麦を食べた駅のそば屋さんのところまで津波はきたようです。ベニヤ板が貼られその前に新しい自動販売機が置いてありました。
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釜石の中心部です。こちらも被害甚大です。
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人が住める平らな土地を容赦なく津波は駆けあがっていったようです。
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仮設住宅検察現場です。もともと街があったところからかなり山の方に上がってきた場所です。津波の来ないところというとこんなに奥まったところになってしまうのですね。 町中で暮らしていたお年寄りには、日常の買い物とか、通院とか、暮らしにくい環境かなと思ってしまいます。
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津波が来なかった場所はこんなにきれいな自然の風景が広がります。
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今日の作業は、市立体育館から長机を、廃校になった橋野小中学校に運び込む作業です。運び込んでから現地にいた市の職員の方にこの長机を並べて、津波のガレキの中から発見された思い出の品々をご本人の下に戻すよう展示をしていくという話を聞かされてみんな納得しました。VCでもその辺まで仕事の意味合いを話してくれるともっとボランティアの喰いつきがいいような気もしました。
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そういうことだったんですかと、当初予定にはなかった床へのブルーシート張りもお手伝いしました。この大きなブルーシート張りは職員二人では大変な作業だったでしょう。大勢の力はありがたいね。
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ということで、市の職員の方には大変感謝され学校を後にしました。
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橋野小中学校は廃校になったようですが、校庭の片隅にタイムカプセルが埋まっているようです。平成26年には掘り起こすことになっているらしい。 子どもたち忘れてないよね?あと3年だね、そのころには釜石が再び元気になっていることを祈っていますよ。
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薬王堂付近、海は見えないのに津波の爪あとは大きく残っています。ここで津波に合うとは思わないよね。
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学校から戻るバスの中でお弁当をいただき、再び釜石VCで午後の作業をいただきました。ここの畑のガレキの片づけです。老夫婦がお住まいで だんな様は介護を受けている状態とか、さぞ津波の時は怖かったでしょうね。 まずは作業前に準備運動を・・・
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水を含んだ畳の重さには驚きました。大人4人でようやく持ち上がるほどの重さになるんですね。恐るべし濡れ畳。
数日前にも近くでご遺体が発見されたとか、依頼者のおばちゃんは自宅の敷地内に流れ着いている毛布だの 布団だのを見ているともしやあの中にと考えてしまい耐えられないという心境を語ってくれました。 -
作業は完全には終了できませんでしたが、まだ作業が残っていることをVCに伝えておくからねとおばちゃんに話して現地を離れます。それでもおばちゃんは大変喜んでくれて私たちのバスをずっと見送ってくれていました。なんかいなかのおばあちゃんに会ったような気持ちになれました。
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二日目の作業を終えて盛岡に戻ってきた私たちを岩手山が迎えてくれました。片側の稜線だけが富士山のようになっているので片富士の名もあるらしいです。ホテルにも片富士の間というのがありました。
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遠野の水田風景、ここを見ている限り3.11の痛ましい傷跡はなにも見えない。 毎日の移動距離が少し長くて、近くに宿泊できればもっと作業が進むという思いもありましたが、24時間ずっと被災地の中にいたのでは私のようなボランティア初心者は参ってしまうのかも知れません。そんな意味では盛岡宿泊も良かったのかも知れません。作業三日、通い慣れた?道をのどかな田園風景に癒されながら、今日も釜石へ向かいます。
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自衛隊の車両もたくさん走ってます。「災害派遣」の表示がしてあります。
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警察の車両も被災地へ出勤です。各県警から派遣されてきているようです。秋田県警・大阪府警の車両が我々のバスの前を走っていきます。
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本日の依頼人はこの方のようです。
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今日の作業は水につかってしまった資料を、復元作業をする廃校の5Fまで運び上げる作業となりました。三日目にして力仕事です、腰を痛めないように注意してかかりましょう。
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具体的な作業方法について説明を受けます。
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資料を運び出した建物から、坂を上り廃校になった中学校の校舎へリヤカーで運びます。
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リヤカーで運ぶ、黙々と運ぶ。
後方は建設が進む仮設住宅。 -
この建物の5Fが荷物の運び込み先です。もちろんエレベーターなどありません。水につかった資料の重さがわかりました。
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リヤカー運搬はまだいいけど、階段を持って登るのは結構重労働です。 汗が滴ります。 初日は合羽を着ての作業で汗だくでした。二日目は暑い日差しの下汗だくでした。今日は重筋労働です。毎日こんなに汗をかいているのに体重は減っていません。ホテル食をしていると太る、朝からバイキングでたらふく食べていると太る。
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被災地の様子、ここは釜石の市街地のど真ん中です。こんなになってしまっています。
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電柱が根元からねじ切られて倒れています。
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ガレキの中に14:48で止まった時計がありました。3月11日14:48 この時計のある部屋ではどんなことが起きたのでしょうか?
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こちらが釜石で一番賑やかだった商店街の通りだそうです。
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釜石駅、前に来た時お蕎麦を食べさせてくれた店があった場所。ここまで津波が来たらしく、ベニヤ板が貼られていました。
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三日間の作業無事終了。
VCで作業終了の報告をして帰ります。
頑張れ釜石!! -
三日間の作業を終え、今夜が最後の振り返り会。それぞれの思いを胸にして明日はそれぞれの日常に戻って行きます。
2か月半が経過している、震災の現場をこの目で見てこの震災の大きさに本当に驚きました。途方もなく広がるガレキを見て、本当にほんのちょっぴりですがガレキの片づけをさせていただきました。「そんなもん人の手でちまちまやるんじゃなくて重機でやればいいじゃん」と都会にいて思っている人がいます。もちろん重機は重機でなければできない仕事を精いっぱいやっています。一方で、人の手で時間がかかってもやらなくてはならない場所もあるんです。本当に気の遠くなるような片づけ作業ですが、手を停めてしまったらなにも進まないのです。「ボランティアなんて微力かもしれないけど無力じゃないんです」 その微力をみんなで結集して、時間がかかってもあきらめず続けるのが大切なんです。 -
初めての災害ボランティア参加。いろいろ不安もありましたが、参加して良かったと思ってます。同じ思いの仲間ができました。私たちを喜んで受け入れてくれる人と出会いました。ほんのちょっぴりですがお手伝いができました。
これから先復興に向けて、なにができるのかわかりませんが、今回ボランティアに参加したことにより、東北の街が復興していく姿を自分のことのように東北の人と一緒に喜べるようになったと思います。 がんばっぺし 東北!!
繋温泉・・・いい温泉にも出会えました。
いつの日かすっかり復興した三陸海岸に旅行に来たいものです。
おじさんボランティアを支えてくれた 日本NPOセンターの皆さん事務局をされていた黒部市社会福祉協議会の方、コミュニティワークスの方、本当にありがとうございました。
とても良い体験ができましたし、充実した5日間でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 潮来メジロさん 2011/06/16 14:39:36
- 災害ボランティアお疲れ様でした。ヾ(^o^)
- ちどり OYAJIさん、こんにちは! ヾ(^o^)
御無沙汰しております。
そして、お疲れ様でした。
災害ボランティアに参加されて、岩手に行ってこられたんですね。
私は義援金納付だけで心が痛みます。
> 薬王堂付近、海は見えないのに津波の爪あとは大きく残っています。
> ここで津波に合うとは思わないよね。
ほんとにそうですね。海も見えない場所なのに、こんな場所まで津波が
押し寄せるなんて驚きです。
一日も早く復興できる事を祈ります。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- ちどり OYAJIさん からの返信 2011/06/21 06:53:07
- 書き込みありがとうございます
- 潮来メジロさん
書き込みありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。 ちどりOYAJI
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