2011/05/31 - 2011/06/03
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hide-bachさん
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二代将軍秀忠公の正室となったお江は、
死後 「崇源院殿 お江の方」として東京芝増上寺に埋葬されて、
お墓が増上寺内の徳川家廟所にある。
増上寺は今、都営三田線「御成門」駅の前―日比谷通りに面して、
三門があるが、三門と日比谷通りにT字路となる道路があり、
その先に「大門」があります。
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「大門」については、
(増上寺の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門で、
現在の門はコンクリート製に作り直されたものです。
旧大門は慶長三年(1598年)に江戸城の拡張・造営にあたり、
増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、
徳川家康公より寺の表門として譲られたものでありました。
その旧大門は大正十二年(1923年)の関東大震災により倒壊の恐れが生じたため、
両国・回向院に移築されましたが昭和二十年の空襲により焼失しています。)
(以上は浄土宗大本山 増上寺による)
この大門は、先の東北大震災の影響で、屋根瓦が落下したと見え、
門の脇に「屋根瓦落下に注意」の立て看板があります。
東北の震源地からかなり離れた東京ですが、
ここまで影響があるくらい大きなものであったことが伺えます。
この「大門」をくぐってワンブロックで、増上寺の三門があります。
(増上寺の大門) -
「三門」でない「山門」の意味は、本来、寺院は山にあったため、
その入り口に当る門を山門といった。
「三門」は、仏教の教えを象徴する名前で、正式には「三解脱門」という。
三つの解脱とは、涅槃(悟り)に至るために通過しなければならない三つの関門―
空、無想、無作―のことと言うのだそうだ。
随分難しくその意味が解らない。
解らなくては法然上人が説いた「念仏を唱えれば浄土に行ける」と
仏教を簡単にした意味が無くなる。
その三つとは、「むさぼり、いかり、おろかさ」の煩悩を解脱する
ということだそうである。 -
三門の拡大
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本堂1
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山門をくぐると、敷石伝いに本堂があり、中には黄金の阿弥陀様がいらっしゃる。
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(鐘楼堂)
最初の鐘楼堂は寛永十年(1633年)に建立されたが、
現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるものと言う。
増上寺によれば、
(鐘楼堂に収められている大梵鐘は、
延宝元年(1673年)にあまりの大きさに七回の鋳造を経て完成し(東日本で最大級といわれております)、
江戸三大名鐘の一つに数えられています。
朝と夕べ、二回撞くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、
人を惑わす百八の煩悩を浄化し、
人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもあります。 -
江戸時代の川柳には
「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・
「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」・
「西国の果てまで響く芝の鐘」等と謳われ、
江戸っ子鐘と親しまれています。)(増上寺) -
(千躰地蔵尊)
本堂前方左手には、「西向観世音」があり、 -
その前に千躰地蔵尊が、
徳川家廟所前までずらりと並ぶ。 -
(千躰地蔵尊2)
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(増上寺の徳川家霊廟)
その本堂の右脇を行くと突き当たりに徳川将軍家霊廟がある。 -
入り口には、古くいかめしい鋳抜門(いぬきもん)があり、
扉には、葵の紋所が五個ずつ並び、
両側に昇り龍 降り龍が鋳抜かれ、
その荘厳さは、日光の東照宮と並び評された往時の姿を今に留めています。 -
(この門は徳川将軍家六代将軍家宣公の宝塔前の「中門」
にあったものが移築された。)(増上寺)
この門の脇にある門を通って、私たちは徳川家霊廟へ入場する。
(2011年11月末まで公開。入場料500円)
(徳川家墓所は先の戦災の被害でそれぞれの中門や宝塔は消失している。
それぞれの宝塔(お墓)の前には「二天門」とか「惣門」があり、
その内側にさらに「勅額門」があり、この内側に宝塔(お墓)があった。)
(増上寺の戦災以前の図による)
徳川家霊廟の門の中には八基の宝塔があり、
右側に十二代 家慶公、九代 家重公、七代 家継公の三基が並ぶ。 -
(十二代 家慶公)
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(九代 家重公)
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(七代 家継公)
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左側に将軍生母側室等の合祀塔、静観院和宮、十四代 家茂公の三基が並ぶ。
(合祀塔)
(合祀塔は、家光公第三子綱重、
五代綱吉公生母桂昌院、
11代家斉公正室広大院、
家宣公側室月光院ら、
南北御霊屋に祭られていた歴代将軍の夫人や子女の多数が祭られている。
なお、宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔である。増上寺記) -
(静観院和宮―皇女和宮)(青銅製)
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(十四代 家茂公―皇女和宮の夫)
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奥の正面に二基の宝塔があり、
向って左が六代 家宣公夫妻、
向って右側が二代 秀忠公夫妻、
つまり正室「お江」のお墓である。
(六代 家宣公夫妻)(青銅製) -
(二代 秀忠公、崇源院殿「お江の方」)
(増上寺の説明では、本来一人づつ別々のお墓があったが、
秀忠公宝塔は焼失のため、正室江与殿のものを使用している。) -
(焼け残った有昌院霊廟 二天門)
日比谷通りに面して、先の大戦で焼け残った「二天門」、
都営地下鉄「御成門駅」近くにあるため、
長い間ボクは、これを「御成門」とばかり思っていた。
しかし「御成門」は、現在東京プリンスホテルの駐車場の脇に、
忘れられたかのようにひっそりと建っている。
往時は将軍だけが通った重要な門であったはずである -
(御成門)
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