2011/04/08 - 2011/04/08
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akkiy363672さん
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NHK大河ドラマ「江」で、織田信雄の居城として登場する、三重県度会郡玉城町の「田丸城」を訪ねました。
高い石垣が今に残る城で、場内には桜の古木が満開の花をつけていました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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午後2時ごろから、伊勢自動車道に乗って、南へとひた走ります。
途中の「松阪インターチェンジ」近辺に植えられた桜も、いっぱいの花を咲かせていました。 -
大手門に残る石垣の上の大きな桜が、いっぱいの花をつけて出迎えてくれました。
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写真の左手に、玉城町の役場があります。
城の周囲をめぐっていた水堀は、各所で埋め立てられていますが、玉城町役場との間の外堀・内堀が今も残っていて、大手門付近の石垣との間に水をたたえています。 -
大手門から石垣に沿って場内へ…。
この道の先に、枡形の虎口があって、本丸へと至ります。 -
本丸広場には、桜の花が咲き乱れていました。
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古木も多くて、往時をしのばせる風情です。
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城山の山頂部は、3つの曲輪が連郭式に配置され、その中心の本丸に穴蔵をもつ天守台が残っています。
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本丸の石垣の上から南の方を望むと、はるか紀伊山地の山々が重なっていました。
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本丸曲輪の桜たちです。
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北東方向は、桜の花の向こうに、伊勢湾が光っていました。
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この桜の向こうは、二の丸曲輪です。
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桜のアーチの下をくぐって生きます。
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二の丸曲輪は、今は玉城中学校が立てられていて、グラウンドを囲む桜の木も満開でした。
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石垣下の外曲輪を歩いてみました。
田丸城の歴史をちょっと…。 この城は今から約670年以上前の1336年(延元元年)北畠親房・顕信父子が南朝義軍の拠点として砦を築いたのが最初と言われています。
天正3年、北畠氏を継いだ織田信長の次男北畠信雄は、松阪の大河内城から田丸城へ北畠氏の本城して、大修築を行い三層の天守を築きました。
しかし、天正8年に田丸城が全焼したため、松ヶ島城を築いて移っています。 -
更にその下の遊歩道です。
田丸城の歴史のつづき…。 天正12年、松坂城に蒲生氏郷が入封すると、田丸城は氏郷の持城となり、氏郷の妹婿の田丸直正が入りました。氏郷が会津に移ると、田丸氏も陸奥三春城へ移りました。
慶長5年、稲葉道通が4万5千石で入城しますが、その子教通は元和2年に摂津中島へ転封となりました。
元和5年、田丸城は紀州和歌山徳川頼宣の持城となります。その家臣久野宗成が遠江久野城から1万石で田丸に移り、明治まで続きました。 -
桜の花の中を、JR参宮線が走ってきました。1両です。
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石垣は、切り石ではなく、原石をそのまま組み上げたようです。
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石垣の下を、桜につられて歩いていきました。
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曲輪の間には、空堀が掘られています。
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西側の石垣の下…。桜並木が続いています。
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肩に、桜の花びらがこぼれます。
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石垣と桜の対比も美しい。
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振り返ると、西日の中に重なり合う桜の木々が…。
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午後5時30分、高い石垣と桜の古木たちに別れを告げて、帰途につきました。
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