2011/01/24 - 2011/02/05
1位(同エリア72件中)
なめさん
ごく普通のエジプト定番パックツアーに参加したつもりであったが、折悪しくチュニジアからエジプトに飛火した騒乱に遭遇してしまい、見方によっては?非常に貴重な経験をすることになった。;^^
この旅行記では、(1)パッケージツアーを選ぶ際の参考 (2)今回のエジプト動乱に関する私見 の2点について書いてみたい。
各観光スポットの位置関係は以下のサイトが参考になります。
http://www.travelplatz.com/egypt/index.html
ツアー名:”HIS/5つ星の豪華ナイルクルーズ3泊 エジプト周遊8日間”
(1)当初の日程(7泊8日)
1月24日(成田)〜 カイ ロ 〜(寝台列車ナイルエクスプレス)アスワン 〜 アブシンベル 〜 アスワン 〜 (ナイルクルーズ3泊) 〜 ルクソール 〜 カイロ 〜 1月31日(成田)
(2)実際の日程(11泊12日:騒乱により5日間の足止)
1月24日(成田) 〜 29日(ナイルクルーズ3泊) の終了までは当初の日程を消化したが、(1/29) ルクソール 〜 カイロ への空路移動が暴動のため不可!、ルクソールで5日間の足止めとなり、2月4日のカタール航空で ドーハ(カタール) 〜 関空 〜 成田着(2月5日)と無事帰国することができた。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 1.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船
- 航空会社
- エジプト航空 カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
* 成田〜カイロ直行 エジプト航空 *
日本からエジプトまでの直行便はエジプト航空だけである。
同社MS-965便は成田13:30〜カイロ着20:30(同日)と比較的良いフライトスケジュールであったが、5月現在、今回の政変による混乱のため10/30まで運休するとのこと。 -
機材はB-777、座席レイアウトの3/3/3はイマイチ使いにくい?機内でのアルコールサービスは無いが、持ち込みはOK。
当然、我々もチェックイン後の管理エリアでビールをしこたま仕入れて搭乗した。ビールを仕入れてくれたTさんに感謝!
出発時点で、すでにチュニジアの政変は知っており、”エジプトに波及しないと良いね”、、、などと”のーてんき”なことを言っていたのが懐かしい;^^ -
* カイロ到着(1月24日 夜半)*
成田を出発したカイロ便は、朝鮮半島の慶州辺りからユーラシア大陸に入り、中国上空を通過し、ナイル川デルタの地中海側からカイロ空港に着陸する。残念ながら20時頃の到着のため、デルタ地域の景色を見ることはできない。 -
* ホライゾンピラミッドホテル Horizon Piramids(1月25日 早朝)*
(ツアー初日)
クフ王のピラミッド内部への限定入場券(午前/午後150人、£E100)をゲットするために早朝7時にホテルを出発。限定入場券はツアー会社がまとめて事前入手するわけではない;^^
このホテルは通称ピラミッド通りにあるため夜中でも騒音がひどい;^^
ピラミッド通りにあるホテルに宿泊の際は、通りに面した部屋は避けたほうが良い。
また、カイロ市内の観光には市内までのアクセスが悪いのでお勧めできません。(個人旅行の場合) -
* ピラミッド通り(エル・アフラーム通り) *
カイロ市内からナイル川を渡ったギザ地区にあり、国鉄ギザ駅からピラミッド地区までほぼ直線で約8Kmの交通信号の無い道、観光シーズン中の交通渋滞は相当ひどいとのことです。沿線には観光客が利用できるレベルの市バスなどはなさそう。
この観点からも、カイロ市内観光を絡めた場合のホテルはカイロ市内の方が良さそうです。 -
* ギザ地区に隣接するピラミッドエリア *
ピラミッド通りを直進すると、砂漠のど真ん中にあると思っていたピラミッドが町並み越しにあっけなく見えてくる。 -
* クフ王の大ピラミッド *
ピラミッドエリアのチケット売り場を入ると正面にクフ王の大ピラミッドがドーンとそびえ立っており、その奥にあるカフラー王、メンカウラー王のピラミッドを合わせ、ギザの三大ピラミッドといわれている。
さすが世界最大の石造建築と4500年の歴史!、、、あまりの大きさに圧倒されます。
このころの日本は縄文時代? 我がご先祖様は竪穴式の掘っ立て小屋に住み、狩猟採取生活をしていたわけであるが、、、
近年のエジプト考古学研究では「ピラミッド建設はナイル河氾濫期の公共事業だった」 と言われる。ナイル河の洪水で農作業が出来ない時期、衣食住が保障されたピラミッド建設作業に人びとは嬉々として従事していたらしいのです。 -
* 太陽の船博物館 *
クフ王のピラミッドの後ろには、ファラオの葬儀で使われたと言われる世界最古の木造船”太陽の船”が展示されている(入場料/£E40) -
* クフ王のピラミッド内部への入り口 *
写真の上部が本来の入り口、その右下に盗掘者が開けたと言われる穴があり、現在では観光客用の入り口となっている。
内部のトンネルに入ってみた感想だが、、、内部は古代の盗掘者が綺麗にさらっており何も残って無い、入場料£E100に値するかは疑問だ。トンネル内部では、腰をかがめて急斜面を歩いたりするので、腰痛持ちの人はやめておいた方が良さそう、、、その分周辺の散策に割いたほうが良いと思います。 -
* スフインクス *
カフラー王のピラミッドに向かう参道と平行に座しており、ピラミッドの守護神と言われることもあるが、、、スフインクス自体が太陽神の信仰対象として作られ、三大ピラミッドはこれを頂点に建造されたと言う説もあり、まだ確定されていない。 -
* 観光用ラクダ *
何かと料金トラブルの多い代物だが、、、まあ、話の種ぐらいにはなるか?
パックツアーでの団体料金で1000円であった。
同行した知人が以前に個人で乗った際には、降りる時に法外な料金を請求されたので、ラクダから飛び降りたとの事、、個人交渉で乗る場合は、それくらいの覚悟が必要かも??? -
*ギザ地区からナイル川を渡りカイロ旧市街へ*
ピラミッド観光を終わり、カイロ市街地の観光へ、、、
旧市街定番コースのモハメッド・アリ・モスク、ハンハリーリバザール、考古学博物館を回る予定であった。 -
* モハメッド・アリ・モスク概観 *
イスラーム地区南東の丘に築かれた広大な城塞の内部にはさまざまな建築物があり見ごたえがある。今回はモハメッド・アリ・モスクだけの見学であったが、個人旅行ならばその他の観光も含めて1日は取りたいところだ。 -
* モハメッド・アリ・モスク内部 *
1824年、ムハンマド・アリにより建築が開始されたオスマン様式の巨大なモスク。ドーム内部の天井には見事な装飾が施されており、内部の見ごたえ十分、、
周辺のミナレット、回廊、中庭などモスクの構成要素を確認できる。 -
* カイロ市街地の様子(1月25日 14時)*
まだこの時点ではいつもと変わらない、平和な市民生活を垣間見ることができた。
目前に迫った”騒乱”の緊迫感はまったく感じられない、、、 -
* ハンハリーリ市場 *
ここでも、いつもと変わらない喧騒のように見受けられたが、、、
現地ガイドA氏の携帯に街の一部に不穏が動きが見られるとの一報が入った。
どうやら、この時間あたりからカイロ市内に不穏な動きが出てきたようだ。
そのため、午後のメインである考古学博物館はツアー最終日カイロにもどった際に行くことにして、急遽ホライゾンピラミッドホテルに戻り、アスワン行きの寝台列車を待つことにした。
この時点では、エジプト人ガイドですら今回の騒乱を予想できなかったようだ。 -
*アスワン行きナイルエクスプレス寝台列車*
夕刻にはデモも収束したようなので、18:30頃からギザ駅で列車を待つ、、遅れに遅れたナイルエクスプレスだが、20時頃やっとの思いで乗車できた。 -
*寝台セット前の2名用コーンパートメント*
指定された2名用コンパートメントに入室するが、
荷物を車内におくと狭い!!、通路に置く勇気のある方はその方をお勧めします。
荷物どうしを連結しておけば盗難は無いと思う、、、たぶん、、、 -
* 車内食はかなり貧弱 *
もちろんコールドミール、朝食もそうであったが機内食に比べはるかに貧弱です。飲み物は有料/写真のビ−ルは持込、多分アルコールは無い、食堂車にも行ったがソフトドリンクとスナック程度しか無く、とても食堂車と言える場所ではなかった。食事を楽しみたい方は持込をお勧めします。 -
*寝台がセットされたコンパートメント*
夕食が済んだころを見計らって、係員が寝台のセットに来る。
一等車でも上下2段寝台、列車のユレ&騒音はすさまじい。
私も含めて勝手に想像していたが、、、”アガサクリスティーの映画”や”世界の車窓から”などに出てくる列車とはまったく別物 ;^^ です。 -
*夜明けのナイル川沿線(1月26日早朝)*
強烈なユレでほとんど眠れずに過ごした末、早朝僅かに見ることができたナイル沿線の景色は非常に単調であり、想像していた”母なるナイルの肥沃な大地”はまったく見られなかった。 -
*ナイルエクスプレス終着駅のアスワン*
(ツアー2日目)
”ナイル沿線の列車の旅”ということで、車中での過ごし方や車窓の景色を期待していたが、、、13時間の夜行列車の旅は、相当の鉄道マニアでもない限りお勧めできません。
終点アスワン駅で待っていたバスに乗り、アスワンダム付近〜アブシンベル宮殿までの観光に出発する。 -
* 切りかけのオベリスク *
オベリスクとは長い石柱をピラミッドに付属する御神体として作ったものですが、、今回見た神殿の多くに立っていることから、ピラミッド自体が作られなくなっても独立した存在として長く作られ続けたようです。
この未完成オベリスクは、周囲を切り取った段階でひびが入ったため放置されたものと言われており、オベリスクの製作過程がよくわかり興味深い、、、 -
* アスワンハイダム下流側 *
アスワンダムはここから6Km下流にあるアスワン・ロウ・ダム(1901年に完成)と合わせ2つある。
アスワンハイダムは、ロウダムだけでは不十分と考えたエジプト政府が1952年にイギリス主導で計画を始めるが、エジプト革命による政権交代、建設財源の確保を目的としたスエズ運河国有化宣言&第二次中東戦争(1956年)などの結果頓挫するかに見えたが、東西冷戦の影響もありソビエト連邦の建設資金と機材の提供により1970年に完成した。
ここから隣国スーダンまで続く巨大な貯水池は当時の大統領ナセル氏の名前からナセル湖と名付けられ、その面積は琵琶湖の8倍もの大きさです。
ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の氾濫を防止するとともに、12基の水力発電装置により210万キロワットの電力が供給された一方で、ナイル川流域の農業を含めた生態バランスを破壊したなどの批判もある。
この辺りのことは、後日ナイルクルーズの際に再考してみたい。 -
* ヌビア砂漠280Kmの旅 *
アスワンからスーダン国境近くにあるアブシンベル神殿までの280Kmを治安上の理由からコンボイ(護衛つきの車列)を組んだバスで約3時間半かけて移動した。 -
* 砂漠の蜃気楼 *
アスワン〜アブシンベルまで3時間半のロングドライブ、見えるものは焼き付ける太陽と一面の砂〜砂〜砂、、、初めての砂漠ドライブはすぐに飽きてしまい、唯一の”見もの”は”蜃気楼”である。
ただし、これを見る時の状況が”砂漠の遭難者”ではなく、エアコンの効いたバスの中から見ているわけで、、実体験としての感慨は無いが、百聞は一見にしかず。 -
* アブシンベル大神殿 *
紀元前1250年頃ラムセス2世が太陽神ラーのために建立した神殿であるが、アスワンハイダム建設による水没の危機から現在の位置に移築された。
正面の巨大な4体の石造はすべてラムセス自身である。
彼は24歳で即位し、66年間の治世の間に111人の息子と69人の娘をもうけ、90歳で没したと言われる。子供に関しては養子も多くいたらしいが、残されたミイラから推定した身長は183cm、紀元前の人間としては相当なスーパーマンであったようだ。そして長い治世の間にエジプト各地に多くの神殿やモニュメントを作り、建築王とも呼ばれており、今回の旅行中にもその多くを見ることになった。
しかし、どうしてカイロから1200Kmも離れた砂漠の地にこのような壮大なものを作ったのか?
そもそも、古来ヌビアの地は金の産出地であり、古くからエジプトの財政を支えていた地域であったがラムセスの時代になるとそれが揺らいでいたようだ。そのため、ラムセスは王朝権威の誇示とヌビア地方の統治を目的に神殿をつくったと言うのが有力な説らしい。 -
* アブシンベル小神殿 *
ラムセス2世の王妃は7人いたが、もっとも寵愛した第1王妃のネフェルタリとハトホル女神に捧げられた神殿である。長いエジプト王朝の中で、神殿を持つ王妃は彼女だけだそうです。
神殿入り口の左右にラムセス・ネフェルタリ・ラムセスと並んだ3体の像が対象に配置されており、ここでも王妃を挟んだ巨大な4体のラムセス像、、、愛妻家?恐妻家?
しかしラムセス2世の期待に反し、アブシンベル神殿から500年後の紀元前750年頃エジプトは一時ヌビア人に支配されることになる。この王朝はブラックファラオと呼ばれるヌビア人の王たちで、70年あまりエジプト全土を支配したエジプト第25王朝であるが、そのためここからスーダンに広がるヌビア砂漠にはエジプトよりも多くのピラミッドが残っており、壮大な遺跡群が存在する。このことはあまり知られていない、おそらく偉大なるエジプト王朝の黒人支配?と考える人種偏見があったようだ。 -
* アブシンベル神殿付近のナセル湖 *
アスワンダムから280Km上流でもこの水量、、、
本来のアブシンベル宮殿のあった場所は満々と水をたたえたナセル湖となっている。クルーズ船が係留されているのでアブシンベル基点のクルーズなどもあるのかもしれない。 -
* ヌビア砂漠に沈む太陽 *
3時間半のロングドライブで来たアブシンベル神殿の観光は1時間たらず;^^
アスワンへの帰路に見ることができた素晴らしい夕日がせめてもの救いであった。
(アスワン〜アブシンベル観光について)
アブシンベルには空港があるので、カイロから空路で移動し、1泊観光した後にバスでアスワン観光へ向かってはどうか?砂漠ドライブは片道だけにしたほうが良いと思う -
* ナイル川クルーズの開始 (1月26日 夕刻) *
丸一日をかけたヌビア砂漠とアブシンベル観光の後、アスワンからクルーズ船に乗りナイル川沿岸観光を開始する。岸壁に並んでいたクルーズ船の外観はどれも同じような大きさ&形であった。 -
* クルーズ船の船室 *
格安ツアーということで若干の不安を持っていたが、乗り込んだCARNIVAL号(5星のクルーズ船?)の船室はかなり広く快適!、、、当然、バスタブは無いが3星ホテル程度の設備は確保されていた。川舟なので揺れも無く、エンジン音も静かで就寝中の不快さは無かった。 -
* クルーズ船ダイニングルーム *
食事は3食とも洋食〜アラブ料理?中心のビュッフェ形式、乗船直後に各人のテーブルが決まり、ツアー中は同じ席で食事を取る。食事時間もある程度指定されるが、せかされることは無かった。
当然だが、ビールなど飲みものは米$現金払いの別料金。 -
* クルーズ船屋上デッキ *
多くの船には、ジャグジーやお子様用程度のプールがある。
季節にもよるが、、1〜2月の冬季はナイルの風にあたりながらマッタリと過ごす時間はなんとも心地良い。 -
* ナイル川遠景-1 *
3泊のクルーズでたった一度だけ見かけた漁師さん。
クルーズ船に乗船して、まず驚いたことはナイル川の透明度が非常(異常?)に高い事であった。そして、漁業関連の船はほとんど見かけなかった。
見識不足かもしれないが、、、黄河やガンジス川のように、母なる大河のイメージは黄色く濁った河のイメージを持っていたが、ナイル川の高い透明度からして、上流からの養分に富んだ泥などがダム上流でせき止められているのではないかと感じた。
おそらく、アスワンダム建設により上流からの土砂と栄養素の流入が減少したことにより”漁獲量の減少”と”ナイル川の生態系の変化”が生じているのであろう。 -
* ナイル川遠景-2 *
ナイル川の洪水は流域に肥沃な大地を形成し、そこからの豊富な農業生産力を基盤に古代エジプト文明が起こったことはよく知られています。そのため、ナイル沿岸は広大な緑の大地があるものと予想していたが、クルーズ中に目にした景色はほとんどこのような砂漠地であった。
これでは、エジプトの人口8000万人を養うことはとてもできないのではないか?と感じた。
後日、エジプト農業について調べたところ、、、
穀物では米がかろうじて自給できているが、主食である小麦については1980年代前半までは自給できていたが、現在では国内消費の半分程度の生産量しかなく、年2.0%を超える人口増加率に対する不足感は深刻であるとのことだ。
古来、ナイル川の氾濫は農業生産を圧迫していると考えられていた。そのため洪水をうまく制御できれば安定した農業生産ができるだろうと考え、アスワンダムを作ったわけである。ところが、いざアスワンダムが完成すると、次第に下流の農業が上手くいかなくなりだした。
原因は塩害である。実は熱帯の照りつける日差しの下で水を撒くと土中からナトリウムやカリウムなどの「塩類」がどんどん湧き出てくるが、、、ナイル川はこの塩害問題を、氾濫を起こして農地を水浸しにすることによって、土中から浮き出てきた塩類を海まで流すことで改善していたのであった。
つまりエジプトのような熱帯で農作物を安定的に栽培するには、植物が生長するために必要な水だけでは全然足りなかったのである。 -
* ナイルの夕日 *
クルーズ船のサンデッキからビールを片手に眺める夕日と鳥の編隊飛行、、
なんともロマンチック! なかなかのものです。 -
* コムオンボ神殿 (1月27日 早朝 クルーズ2日目)*
さて翌朝、クルーズ船が最初に寄港した観光スポットはコムオンボ神殿、現在の建物はグレコローマン時代(BC140〜AD300)に建設されたものだそうです。
川畔の小高い丘にある神殿なので徒歩での観光が楽チン、、、
当時の医療器具(現代のMRIに匹敵するのかも?)や出産シーンなど多くのレリーフが残されており興味深い。 -
* ホルス神殿 (1月27日 午後) *
コムオンボ観光の後、船に戻り、昼食後に馬車でホルス神殿に向かう、御者との馬車代金の交渉は現地人ガイドでも手こずっていた、、、個人での交渉は大変そう?
この神殿はハヤブサの神ホルスを祭る神殿で、BC-237年に建設が始まりBC-57年クレオパトラ女王の父プトレマイオス12世の時代に完成したとのこと、左右対称に描かれた塔門のレリーフは迫力があります。
向かって右から、S氏、P君、T氏、私、、、意気揚々としたこの雄姿からも判るように? これから起こるトラブルについてはまったく予想していない。
なので、昼過ぎに帰船してから、屋上ディッキでのアフタヌーンティーや夜のガラペイヤパーティーなど、クルーズイベントを十分に楽しむことができたわけです。〜 知らぬが仏 〜 -
* カルナック神殿 (1月28日 朝 クルーズ3日目) *
クルーズ船は夜中にコムオンボからルクソールまで移動し、ルクソール東岸観光の最初はカルナック神殿である。
アメン大神殿を中心として、エジプト中王朝(BC2040頃〜)から新王朝(BC1570頃〜)、プトレマイオス王朝(BC306〜)、ローマ帝国(BC27〜)時代まで重層的に重なった遺跡が残るエジプト最大級の神殿であり、今回のツアーでは最も見ごたえのある観光スポットであった。
写真の第一塔門とルクソール神殿(後述)はスフインクスによって守護された3Kmの参道で結ばれていたことが判っており、現在町を貫いた発掘が行われている -
* カルナック神殿 内部 *
第1塔門から第10塔門まで広大な敷地に広がっており、巨大な石柱とレリーフなど見所が多いが建設年代が重層しているため非常に判りにくい、ガイドの説明は必須。 -
* ルクソール神殿 *
カルナック神殿(前述)の副殿として建てられたもので、写真の第1塔門の前にある高さ25mのオベリスクはラムセス2世の建立によるものだが、、、右側に基礎だけが残っているもう1本のオベリスクは現在パリのコンコルド広場にあるそうだ。フランス政府の責任でもとの位置に戻すべきではないか? -
* ルクソール神殿 内部 *
幼い王であったことから多くの記録が残っていないが、ここにはツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の座像がある。
神殿内部では、大列柱室と共に建設王ラムセス2世の巨大な座像をはじめ多くの石像を見ることができる。 -
* ナイル川西岸観光 1月29日 朝 クルーズ4日目/最終日)
今日はルクソール西岸にある王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿などを見た後、夕刻の飛行機でカイロに戻り、カイロに1泊後に帰国する予定であった。
しかし、カイロで発生した動乱がこの日ルクソールに波及した事から、それに巻き込まれることになった。
写真は入場ゲートから見た王家の谷全容、内部は撮影禁止となっている。
西岸フェリー乗り場から車で15分程度、入場料80Eポンド(ツタンカーメンの墓は別料金100Eポンド)。
ここではトトメス1世(BC1500頃)以降の新王国時代のファラオの墓所63基が発見されているが、すべて盗掘に遭っている。かろうじて無キズで発見されたツタンカーメンの墓も副葬品はすべてカイロ&ルクソールの考古学博物館に移されており、ここでは見る事ができない。 -
* ハトシェプスト女王葬祭殿 *
ファラオが亡くなった時、弔いの儀式が行われたとされる葬祭殿は各所にあるが、ここは崖を利用した3階建ての優美な姿から注目されている。
1997年11月の武装グループによる銃乱射事件で62名が犠牲になった現場だが現在は治安上の問題は無い、(王家の谷から山を越したナイル西岸側にある、西岸フェリー乗り場から車で10分) -
* メムノンの巨像 *
アメンヘテプ3世(BC1390頃)葬祭殿の前に建てられた石像が現在に残ったもので、本殿は残っていない。(西岸フェリー乗り場から車で3分)
ナイル西岸フェリー乗り場から出発する場合、最も遠い王家の谷まで行き、ハトシェプスト女王葬祭殿〜メムノンの巨像の順に回ると良い。 -
* メムノンの巨像近くの農地 *
ナイル川から車で数分のところに位置する農地であるが、この有様、、、
灌漑設備が正常に機能しているとはとても思えない、、、
ここを最後に、ルクソールでの観光は全て予定どうりに終了し、空路カイロに向かうためにルクソール空港へ向かった。 -
* ルクソール市内でも騒乱の兆し 1月29日 *
1月25日、カイロで発生した騒乱が29日にはルクソールに飛び火して、ルクソール市内には不穏な動きが出てきた。
この時点で我々の選択は、予定どうりカイロ空港で日本行きのエジプト航空に乗るしかないこと、そして空港が最も安全だとの判断からルクソール空港に急いだ。 -
* ルクソール空港にて 1月29日 夕刻 *
我々の乗るルクソール19時発/カイロ行、エジプト航空/MS-366はカイロ〜ルクソールのシャトル便であったが、いつまで待ってもカイロから来る気配は無い。
カイロ空港が閉鎖?カイロ市内戒厳令のため乗員手配ができない?色々な情報が乱れ飛んだが、、カイロの状況がまったく判らない状態で夜半までの空港待機を強いられた。 -
* ルクソール市街地の道路封鎖 *
ルクソール市街地で発生したデモのため、市中心部への道路は閉鎖されていた。
デモの規模はカイロのデモほど過激なものではなかったようだが、この時点で最も安全な場所は警備の厳重な空港であった。 -
* ルクソールホテルへ *
29日夜半になっても、カイロからの飛行機は絶望的であること、市中心部への道路封鎖が解かれたことから、急遽HISが手配したルクソールホテルに一泊し、翌朝のカイロ便に期待することとなった。
この時点では、このホテルに6泊もすることなるとは全く予想していなかった。 -
* カイロ行MS-069を待って空港待機 1月30日〜31日 *
ホテルで仮眠後、7:50のカイロ便に予約が取れたということで空港に向かうが、この掲示板は夕刻まで変わることが無かった。
この日は終日空港にカンヅメ状態のあげく再度ルクソールホテルへ逆戻り、、、翌31日も早朝から空港に向かうが、カイロからの飛行機はいっこうに来る気配がない、、、
この間に我々に与えられた選択肢は、以下の3点であった。
(1)ルクソールからカタール航空/ドーハ経由で日本に向かう。航空券は自費13万円? ただし、パニック状態の中で飛行機の座席は限られており、ドーハから日本への乗り継ぎも保証は無い。
(2)カイロ〜ローマ間に自己負担3万円?の日本政府救援機?なるものが開設されたとの情報があったが、ルクソールからカイロまで行く手立てが無い! さらにローマからの帰国便は自己手配とのことであった。
(3)エジプト航空が正常に運行されるまでルクソールで待機する。 -
* ルクソールホテル前の警備 *
カイロ行の飛行機を待つこと2日間、結局は前期の選択肢(3)を選択して、エジプト航空が運航されるまでルクソールで待機することとなった。
篭城?することになったルクソールホテルの隣は市役所関連の建物であったことから写真のような厳重な警備が取られており、このホテルを選んだ要因のひとつになった模様、、 -
* ルクソールホテルの内部 *
結果としてルクソールには6日間の滞在を余儀なくされたが、篭城ホテルの内部は市街地とは別世界?、、、プールサイドで過ごす時間で我々のストレスはかなり軽減された。
(ホテルデータ)
$120/TW朝食付、ナイル東岸沿い、ルクソール神殿とルクソール博物館の中間/両者とも0.5Km、ルクソール駅/1Km、ナイル西岸への渡船/0.3Km、スーク(市場)/0.3Km -
* デモが鎮静化したルクソール市内 2月2日 *
ルクソールでは2月1日くらいから市街地でのデモも沈静化し、町歩きが可能となっていたが、CNNなどのニュース番組ではカイロでの暴動やカイロ空港閉鎖の様子などが大きく報道されており、カイロ経由での帰国に不安を持っていた矢先に、非常に幸運なニュースが我々の元にもたらされた。
なんと、カタール航空がルクソール〜ドーハ経由で日本までの救援便を出してくれるとのこと、、、
カタール航空、エジプト航空、HIS、日本政府など関係者間でどのような話し合いがあったのかは不明だが、我々にとってこの上ない朗報であった。
結果的には、ツアー最終日にルクソールからカイロへ行けなかったことが、不幸中の幸いとなったような気がします。もし、カイロ空港に行っていた場合はカイロ空港での混乱に巻き込まれて大変なことになっていたかもしれない。 -
* スーク(市場)探訪-1 エジプト料理レストラン *
現金な物で、帰国日程が決まると食欲も出てきたことから、、、近くにあるスークの探訪とエジプト料理の物色に出かけた。
写真のOUM HASHIM restaurantはスーク中心部にあり、現地人ガイドも利用していることからそこそこのレベルではないかと思います。写真入りメニューを見てケバブ料理などを試したが、価格/味は妥当であった。 -
* スーク(市場)探訪-2 自転車屋さん *
夜のスークは??? 少々緊張したが、同行のP君(インド人)がエジプト人に見られることを期待して冒険をしてみた。
自転車屋など職人的なお店を幾つか見たが、数少ない中古パーツを徹底的に使い回している様子であった。 -
* スーク(市場)探訪-3 八百屋さん *
見てのとおり、水パイプをふかしながら、のんびりした商売、、、
現地の人たちが利用するスーク内の食料&生活用品を扱っているエリア及びスーパーなどを回ったが、、野菜など食料品の”種類&量”共に極端に貧弱であり、食生活の困難さを感じる光景であった。
この時は治安の悪さは感じなかったが、それなりのリスクはあるので十分な注意が必要。 -
* ルクソール市街地の探訪-1 ルクソール〜カルナック参道 *
ルクソール東岸観光の目玉はルクソール神殿とカルナック神殿であるが、かつて両者はスフインクスが立ち並ぶ3Kmの参道で結ばれていた。
現在、この参道の発掘工事が進められており、将来は参道を歩いての観光も可能となるらしい。 -
* ルクソール市街地の探訪-2 コプト教会 *
市街地には大きなコプト教会がいくつかある。
エジプトのイスラム化は7世紀中庸のことであるが、それよりはるか前の1世紀頃から東方教会系キリスト教の一派であるコプト教が広まっていた。
現在の信者はエジプト人口(約8300万人)の約1割を占めると言われる。
人口では少数派ではあるものの、知識階級が多いことから政治に対する影響力は強いといわれています。ブトロス・ガリ元国連事務総長もその一人。
しかし、ムバラク前大統領の退陣後は一部の急進的なイスラム教徒とコプト教徒との対立が先鋭化する兆しもあり、今後の宗教対立が心配されている。 -
* ルクソール博物館 *
ツタンカーメンの墓などルクソール近郊で発見された遺物が多く展示されているとの事で是非とも見学したかったが、今回の動乱のため臨時休館となってしまい入館できなかった。 残念;^^ -
* さらばルクソール 2月4日 *
今回の動乱でやむなく”6日間の足止め”となったルクソールであったが、この期間を利用し、通常の団体観光では見ることのできない現地の生活に少し触れることができた。
1月4日早朝にドーハ経由で帰国するためルクソール空港に向かう。
さようなら、お世話になりました。 -
* 救世主カタール航空 ドーハ行き QR-519臨時便 *
ルクソール空港で、10:55発のカタール航空ドーハ行き(QR-519便)を見た際には、やっと帰国できるという実感から、ホッとした気持ちになった。
今回のカタール航空臨時便は、エジプト航空代替便という形式で運行してくれたことから、新たな追加運賃は請求されなかった。
カタール航空に感謝、感謝、、、 -
* ルクソール空港での搭乗風景 *
乗客の多くはドーハ経由でエジプトから脱出する観光客であるが、カタールへ出稼ぎに行くエジプト人もかなり見られた。 -
* ドーハ空港の概観 *
ルクソールから約3時間ほどでドーハ空港に到着後、成田行き(QR-802/5日-01:10)に搭乗するためドーハ空港で11時間のトランジット、、、
空港から見えるドーハ市内の建物や空港内設備の豪華さは相当なレベルにある。特に空港内で働く労働者はそのほとんどが外国人とのこと。また、トランジット客に対する仮眠室や無料の食事提供などは初めての経験であった。
おなじアラブの国でありながら、石油や天然ガスの恩恵を受けたカタールの豊かさを目の当たりにすると、、、エジプト側から見た場合は、やりきれなさが残るであろう。
その後、搭乗したQR-802便は関空経由で成田到着は2月4日19時、、、、長い長いエジプト旅行は無事終了となった。 -
* エジプト旅行に関する一考察 *
旅全体を通して、気候的には快適であった。
やはり、1月がエジプト旅行のベストシーズンのようです。
(1)交通機関などのインフラは十分とは言えない、パッケージ旅行が無難と思う。
(2)ナイルエクスプレスはお勧めできない。
(3)アスワン〜アブシンベル間の砂漠ドライブ(3時間半)は片道だけで良い。
(4)ナイル川クルーズ観光は非常に良い、お勧めです。
以上を踏まえて、8日程度の定番観光の場合、以下のような旅程はどうでしょうか?
カイロ/アレキサンドリア 〜(空路)〜 アブ・シンベル 〜(バス)〜 アスワン 〜 (クルーズ船)〜 ルクソール 〜(空路)〜 カイロ -
* 動乱の引鉄とエジプトの憂鬱 *
今回の動乱はムバラク長期政権の腐敗が主な要因であろうが、、、
引き金としては、近年エジプト国民の暮らしを直撃した小麦価格の高騰に有るのでは? エジプトは世界最大の小麦輸入国(世界生産量の8%)ですが、人口当たりのGDPは日本の1/30程度しかないことから、主食である小麦価格の影響は日本では想像できないほど大きいと思います。
さらに、今回の旅で見たナイル沿岸農地の状況や、スークの農産物の貧弱さがあります。小麦価格だけでデモが起きたわけではないでしょうが、気になる共通項です。
今回の動乱に関して、何人かのエジプト人に聞いてみたところ、”ムバラク大統領の退陣ですぐに終わるさ!”という楽観的な答えが多かったが、、、混乱は長引きそうな気がする。
(1)長期独裁政権のため政治的な第2勢力が育ってないこと、(2)イスラム色の強い政体になった場合、国内のコプト教徒との軋轢や隣国イスラエルとの摩擦、(3)食糧事情の回復には時間がかかること、(4)動乱による観光産業への打撃、など難問山積のようです。
(1)については日本も似たようなものですね;^^
おわり
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この旅行記へのコメント (3)
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- ウェンディさん 2013/04/11 06:58:33
- 奥底の記憶が呼び起されました
- なめさん おはようございます。
先日、なめさんのエジプト旅行記を読んで以来、私の中に6年間燻っていた記憶が突如頭をもたげ、私に「エジプト旅行記を書いてみたら…?」と囁き始めました。
そして、なめさんの旅行記に触発されるように、旅行記を書き上げました。
私の心の中に燻っていた思い出に火をつけてくださったなめさんの旅行記に感謝です。
ウェンディ
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- kaz-ykさん 2011/12/18 17:36:36
- 初めまして
- なめさん 今日は
小生のブログにお越し願い有難う御座いました。
足跡を辿り、エジプトに、お邪魔しました。
貴重な体験をされましたね、
貴方様の体験談を、何かあつた時の体験に、役立てたいと思います。
飛行機の遅延や荷物の紛失、病院訪問 「すり」は、経験したが、
6日間もホテルで立ち往生は、経験なく、ご苦労様でした。
- なめさん からの返信 2011/12/18 18:46:27
- RE: 初めまして(返信)
- たくさんの国に旅行されておられるようで、うらやましい!
私はやっと60を越したところで、まだまだですね、、、
kaz-ykさんをみならって、元気で旅行を楽しみたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
〜なめ〜
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