カンクン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
12月17日<br />かゆい、かゆくて目が覚めた、、、、。左足をみたら見事にダニにやられていた、、、。かゆすぎるよ〜〜〜。とりあえず、ゆっこからもらったムヒをつけた。これで安心なり♪7時ごろ昨日チケットを買った、エイジェインとの場所へ行った。彼らは本当に親切で、事細かにメキシコカンクンの行き方を教えてくれた。握手をして別れを言ったら、お店で販売しているお菓子を無料でくれた。お金を払おうとすると受け取らない、、。彼らにはお世話になったし、暇があれば話しこみに言ってた。向こうも俺の愛嬌を気にいってくれて誉めたりもしてくれた。本当に親切な人たちだった。人との触れ合いって物凄く素晴らしい♪だから旅が好きなのかな!?中国人と韓国人女性は未だに苦手ですが、、、。でも、人によると思います。本当はシャトルバスがあったんだけど、最近倒産したらしく、メキシコのチュトマルまでは民間バスで行くことにした。安いんだけど、後にけんたろうさん、マジで焦った事件が、、、、。バスは各駅停車で時間がかかりました。でも$6だし、めちゃめちゃ安い!!しかし絶対に寝れません。バスには巨大なウーハーがバスの前後に付いていて、終始爆音で音楽が流れていました。何度リアーナの曲を聞いたことか、、、。ベリーズの国境に着いたときに事件は起こりました。日本人は出国の時にも$18ドル払わないといけないのです。その時はちょうど混んでいて、順番待ちをしました。。そして、お金を払い、バスに乗ろうとしたら、バスは俺を置いて先へ行ってしまってたのです。マジで焦りました!!バスには俺の荷物が全部あるし、バスの連絡先もしりません、、、、。けんたろうさん、考えました、タクシーを使うか、走るか、、、。そして次の瞬間にはもうダッシュしてました!!ベリーズ国境から1km、本気で走りました!!国境付近なので、周りの人は不思議な目でみてたり、警察がトランシーバーを使っているのも見えました、、、。でもそんなの関係ね〜、とにかく全速力ではしりました。途中渋滞があったせいか、なんとかバスに追いつくことができ、バスの前に立ちふさがり、叫び、停めてもらいました。運転手は誤ってきました。とにかく、マジであせったわ〜。無事にメキシコに入国もできました。そして、チュトマルに付いたのですが、降りた場所は俺が乗りたい場所からだいぶはなれているらしい、、。そして困りはていたら、さっきのバスの運転手が降りてきて、ADOのバスターミナルまで俺を個人的に連れて行ってくれました。めっちゃ良い人でした!!俺は本当にいつもながら人に恵まれています☆そしてカンクン行きのバスに乗ろうとしたら、めっちゃ混んでいて、俺が乗れるのは3時間後でした。俺はターミナルで大爆睡してしまいました、、、、。バスが出発する瞬間に係の人が起こしにきてくれて、乗ることができました。危うく乗り過ごすところでした、、、、。いや〜、他人に迷惑ばかりかけているな、俺、、、反省。そしてバスが出発し6時間後にバスはカンクンのターミナルに付きました。バスの休憩の間、なんかめっちゃ中国人ッぽい女性が俺の方を見てきてました。俺はひたすら目を合わせず無視してました。バスターミナルで宿を見つけようとガイドブックを見てたら、うわ、さっきの中国人が遂に俺の方に向かってきた。そして急に「こんばんは、どうしたんですか!?」 えっ、日本語やん!?思わずつぶやいてしまいました笑そしてすかさず謝罪をしたら、よく間違われるらしい。この宿に向かおうかなと思っているとつげたら、私こっちに住んでいて帰り道なので連れて行ってあげると行ってくれました。しかしそこは満室でした。そした、その女性は他の日本人宿に俺を連れて行ってくれました。凄く親切で優しい人でした♪人を見た目で判断してはいけないと反省しました。その宿はぺんしょんロサスと言い、たくさんの日本人旅行者が居て、一緒にスーパーに買い物にいったり、情報を交換したり、お酒をのんだり、楽しいひと時を過ごしました♪カンクンは24時間あるいても安全な街です♪なので、明けがた3時くらいまで遊んでしまいました。明日は何しようかな?俺を残して、宿の皆は明日それぞれの目的地へ旅立ちます。せっかく仲良くなったのに寂しいです。一人だ〜、何しよう??明日起きて考えよう!!<br />出費<br />交通費合計$38 フード$12 出国税$18<br />歴史 <br />先コロンブス期 <br />この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住した形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。<br />アステカ帝国 <br />14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とするテパネカ王国にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、テノチティトランを中心にアステカ帝国を形成した。アステカ帝国は比類なき軍事国家であり、現コスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。<br />スペイン植民地時代 <br />1492年のクリストバル・コロンによるアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテス (Hern&amp;aacute;n Cort&amp;eacute;s) がメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝クアウテモックを処刑してアステカ帝国を滅ぼした。アステカを滅ぼした後、スペイン人達はこの地に「ヌエバ・エスパーニャ副王領(新スペイン)」を創設し、ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされたテノチティトランの上にメキシコシティが築かれた。<br />独立と相次ぐ対外戦争 <br />独立の父 ミゲル・イダルゴ。イダルゴは破れたが、志はホセ・マリア・モレーロスに引き継がれた。<br />メキシコ・アメリカ戦争により、メキシコは国土の半分近いカリフォルニアをアメリカ合衆国に奪われた。スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。1808年、ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世として即位させた。それに反発するスペイン民衆の蜂起を契機としてスペイン独立戦争が始まると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1809年から1810年にかけて、キト、ラパス、サンティアゴ、カラカス、ボゴタ、ブエノスアイレスとインディアス各地でクリオーリョ達の蜂起が始まる中、メキシコでも 1810年9月15日にミゲル・イダルゴ神父らにより、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。メキシコのクリオーリョはペルーのクリオーリョと同様に先住民大衆の反乱を恐れたため、独立運動には消極的であり、イダルゴも、反乱を継いだメスティーソのホセ・マリア・モレーロス神父もアグスティン・デ・イトゥルビデ率いる王党派軍に敗れたが、モレーロスの乱が鎮圧された後の1820年頃には南部のシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン=マルティンらに率いられた解放軍が各地を解放し、インディアスに残る植民地は島嶼部とブラジルを除けばペルー、中米、メキシコのみとなっていた。スペイン本国で自由派が政権を握ると(リエゴ革命)、1821年9月15日に保守派クリオーリョを代表した独立の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し、反自由主義の立場から独立を宣言した。しかし、イトゥルビデがメキシコ王に推戴したかった反動派の元スペイン王フェルナンド7世はメキシコ入国を断ったため、イトゥルビデ自身が皇帝に即位する形で第一次メキシコ帝国が建国され、中央アメリカを併合した。しかし独立後は混乱が続き、1823年には帝政が崩壊して連邦共和国となり、この時に中米連邦が独立した。独立後は内戦による農業生産力の低下、鉱山の生産力低下、カウディーリョの群雄割拠、流通の混乱など問題が多発し、政治的には不安定な時代が続いた。また、コアウイラ・イ・テハス州にアメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にメキシコ領テハスはテキサス共和国として独立した。その後、アメリカ合衆国が1845年にテキサスを併合すると、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と米墨戦争を争ったものの、メキシコシティを占領されて1848年に敗北すると、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。領土喪失の経緯からアメリカとの対立は深まっていたが、1861年にアメリカの南北戦争勃発とともにフランス第二帝国のナポレオン3世がメキシコ出兵を開始。1863年にはメキシコシティが失陥、フランスの傀儡政権である第二次メキシコ帝国が建国される状況となった。インディオ出身のベニート・フアレス大統領はアメリカの支援を得て、フランス軍に対して対抗し1866年に主権を取り戻すものの、このことは後々までアメリカ合衆国の影響力が高まるきっかけとなった。<br />ディアスの独裁とメキシコ革命 <br />フアレスは自由主義者としてレフォルマ(改革)を推進するも、1872年に心臓発作で死去した。フアレスの後を継いだテハダ大統領は自由主義政策を進めたが、この時代になると指導力が揺らぐことになった。この隙を突いて1876年に、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスがクーデターを起こし、大統領に就任した。ディアスは30年以上に渡る強権的な独裁体制を敷き、外資が導入されて経済は拡大したものの、非民主的な政体は国内各地に不満を引き起こした。フランシスコ・マデーロの行動がきっかけになって1910年以降のメキシコ革命が始まった。パンチョ・ビリャ、エミリアーノ・サパタ、ベヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴンらの率いた革命軍は、路線の違いもありながらも最終的に政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息した。<br />革命後のメキシコ <br />ラサロ・カルデナス大統領。メキシコ革命の精神を尊重し、農地改革や石油国有化を推進したが、彼の辞任後の制度的革命党は自ら革命の理念を裏切る腐敗政党と化していった。革命が終わると、1929年に国内の様々な勢力を一つにまとめて国民革命党が結成され、71年間の一党独裁制が続くことになる。1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は油田国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。その後与党の制度的革命党 (PRI)が第二次世界大戦を挟み、一党独裁の下に国家の開発を進めた。PRIは国内では一党独裁を進め、アメリカ合衆国や西側の資本により経済を拡大したが、その一方で外交面ではキューバなどのラテンアメリカ内の左翼政権との結びつきも強く、政策が矛盾した体制ながらも冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配した。また、20世紀の前半から中盤にかけては石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、それと同時に進んだ近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。サパティスタ国民解放軍(EZLN)のマルコス副司令官(中央)。NAFTA発効の日に最貧州のチアパス州から蜂起し、マヤ系インディオの生活するための空間を求めて反資本主義を掲げ、自治運動を行っている。1994年に発効したNAFTAはアメリカ合衆国、カナダとの貿易を拡大する一方で貧富の格差を一時的に拡大し、伝統的な共同体に住むインディオの共有地を解体し、さらにはアメリカ産のトウモロコシに競争で敗北する農民の権利を侵害するものであったため、同年1月1日にマルコス副司令官らの率いるサパティスタ国民解放軍(EZLN)が最貧州のチアパス州から蜂起した。サパティスタは戦闘を挟んだ後、チアパス州を解放区にして反グローバリゼーションの筆頭的存在として内外の支援を受け、現在も政府軍とのにらみ合いが続いている。<br />現在 <br />その後2000年にPRIは蔓延する汚職や停滞する経済失策の責任、サパティスタ民族解放軍の蜂起などの責任を問われて総選挙で敗退し、国民行動党の勝利によって71年の独裁に終止符が打たれた。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。近年は原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、さらに内需拡大傾向を受けた国内経済の活発を受けて中流層が増加するなど、国情が良好に変化してきている。2009年に入ってからはカナダやアメリカ合衆国とともに、新型インフルエンザ(H1N1)の発祥地とされている。2010年7月4日、全国32州のうち14州で地方選挙が実施された。2000年まで政権党だった野党の制度的革命党 (PRI) が前進(知事選が実施された12州のうち10州でほぼ当選)した。現政権のカルデロン政権が国民から治安対策、経済政策を批判されている。メキシコでは麻薬組織の抗争が激しく、現政権は軍隊を導入して麻薬組織を取り締まってきたが成果が上がっていない。経済政策ではガソリン価格を連続して値上げして、国民から不満の声が上がっている。<br />政治 <br />大統領を国家元首とする連邦共和制国家であり、大統領は行政府の長である。国民の直接選挙によって選出され、任期は6年、再選は禁止されている。現大統領は、国民行動党 (PAN) フェリペ・カルデロン(任期:2006年12月1日 - 2012年11月30日)。大統領の権限は絶大で、憲法は三権分立を規定するが、事実上、立法府も司法府も大統領の統制下にある。また、軍部も大統領の下でのシビリアンコントロールが制度的に確立している。大統領は、行政各省の大臣を指名する。ただし、司法相のみは、上院の承認が必要である。各大臣は大統領直属の地位にあり、大統領に対し責任を負うのみで、議会や国民に対して責任は負わない。副大統領や首相という役職はなく、大統領が死亡などで欠ける場合は、議会が暫定大統領を選出する。議会は、両院制(二院制)。上院(元老院)は、全128議席で、そのうち4分の3にあたる96議席が連邦区と州の代表(各3議席)、残りが全国区の代表である。それぞれ比例代表制で選出され、任期は6年。下院(代議院)は、全500議席で、300議席は小選挙区制、200議席は比例代表制。任期は3年。両院とも連続再選は禁止されている。主要政党には、中道右派の国民行動党 (PAN)、長らく支配政党だった制度的革命党 (PRI)、左派の民主革命党 (PRD) の3つが挙げられる。他にも、サパティスタ民族解放戦線や、労働党、メキシコ緑の環境党などの小政党が存在する。なお、最南部グアテマラ国境地帯のチアパス州は、北米自由貿易協定(NAFTA)が発効された1994年1月1日に武装蜂起したサパティスタ国民解放軍による統治が続き、事実上の解放区となっている。<br />

以外に広いんですね、メキシコッて!?

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2010/12/17 - 2010/12/17

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kawabekentarou

kawabekentarouさん

12月17日
かゆい、かゆくて目が覚めた、、、、。左足をみたら見事にダニにやられていた、、、。かゆすぎるよ〜〜〜。とりあえず、ゆっこからもらったムヒをつけた。これで安心なり♪7時ごろ昨日チケットを買った、エイジェインとの場所へ行った。彼らは本当に親切で、事細かにメキシコカンクンの行き方を教えてくれた。握手をして別れを言ったら、お店で販売しているお菓子を無料でくれた。お金を払おうとすると受け取らない、、。彼らにはお世話になったし、暇があれば話しこみに言ってた。向こうも俺の愛嬌を気にいってくれて誉めたりもしてくれた。本当に親切な人たちだった。人との触れ合いって物凄く素晴らしい♪だから旅が好きなのかな!?中国人と韓国人女性は未だに苦手ですが、、、。でも、人によると思います。本当はシャトルバスがあったんだけど、最近倒産したらしく、メキシコのチュトマルまでは民間バスで行くことにした。安いんだけど、後にけんたろうさん、マジで焦った事件が、、、、。バスは各駅停車で時間がかかりました。でも$6だし、めちゃめちゃ安い!!しかし絶対に寝れません。バスには巨大なウーハーがバスの前後に付いていて、終始爆音で音楽が流れていました。何度リアーナの曲を聞いたことか、、、。ベリーズの国境に着いたときに事件は起こりました。日本人は出国の時にも$18ドル払わないといけないのです。その時はちょうど混んでいて、順番待ちをしました。。そして、お金を払い、バスに乗ろうとしたら、バスは俺を置いて先へ行ってしまってたのです。マジで焦りました!!バスには俺の荷物が全部あるし、バスの連絡先もしりません、、、、。けんたろうさん、考えました、タクシーを使うか、走るか、、、。そして次の瞬間にはもうダッシュしてました!!ベリーズ国境から1km、本気で走りました!!国境付近なので、周りの人は不思議な目でみてたり、警察がトランシーバーを使っているのも見えました、、、。でもそんなの関係ね〜、とにかく全速力ではしりました。途中渋滞があったせいか、なんとかバスに追いつくことができ、バスの前に立ちふさがり、叫び、停めてもらいました。運転手は誤ってきました。とにかく、マジであせったわ〜。無事にメキシコに入国もできました。そして、チュトマルに付いたのですが、降りた場所は俺が乗りたい場所からだいぶはなれているらしい、、。そして困りはていたら、さっきのバスの運転手が降りてきて、ADOのバスターミナルまで俺を個人的に連れて行ってくれました。めっちゃ良い人でした!!俺は本当にいつもながら人に恵まれています☆そしてカンクン行きのバスに乗ろうとしたら、めっちゃ混んでいて、俺が乗れるのは3時間後でした。俺はターミナルで大爆睡してしまいました、、、、。バスが出発する瞬間に係の人が起こしにきてくれて、乗ることができました。危うく乗り過ごすところでした、、、、。いや〜、他人に迷惑ばかりかけているな、俺、、、反省。そしてバスが出発し6時間後にバスはカンクンのターミナルに付きました。バスの休憩の間、なんかめっちゃ中国人ッぽい女性が俺の方を見てきてました。俺はひたすら目を合わせず無視してました。バスターミナルで宿を見つけようとガイドブックを見てたら、うわ、さっきの中国人が遂に俺の方に向かってきた。そして急に「こんばんは、どうしたんですか!?」 えっ、日本語やん!?思わずつぶやいてしまいました笑そしてすかさず謝罪をしたら、よく間違われるらしい。この宿に向かおうかなと思っているとつげたら、私こっちに住んでいて帰り道なので連れて行ってあげると行ってくれました。しかしそこは満室でした。そした、その女性は他の日本人宿に俺を連れて行ってくれました。凄く親切で優しい人でした♪人を見た目で判断してはいけないと反省しました。その宿はぺんしょんロサスと言い、たくさんの日本人旅行者が居て、一緒にスーパーに買い物にいったり、情報を交換したり、お酒をのんだり、楽しいひと時を過ごしました♪カンクンは24時間あるいても安全な街です♪なので、明けがた3時くらいまで遊んでしまいました。明日は何しようかな?俺を残して、宿の皆は明日それぞれの目的地へ旅立ちます。せっかく仲良くなったのに寂しいです。一人だ〜、何しよう??明日起きて考えよう!!
出費
交通費合計$38 フード$12 出国税$18
歴史
先コロンブス期
この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住した形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。
アステカ帝国
14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とするテパネカ王国にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、テノチティトランを中心にアステカ帝国を形成した。アステカ帝国は比類なき軍事国家であり、現コスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。
スペイン植民地時代
1492年のクリストバル・コロンによるアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテス (Hern&aacute;n Cort&eacute;s) がメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝クアウテモックを処刑してアステカ帝国を滅ぼした。アステカを滅ぼした後、スペイン人達はこの地に「ヌエバ・エスパーニャ副王領(新スペイン)」を創設し、ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされたテノチティトランの上にメキシコシティが築かれた。
独立と相次ぐ対外戦争
独立の父 ミゲル・イダルゴ。イダルゴは破れたが、志はホセ・マリア・モレーロスに引き継がれた。
メキシコ・アメリカ戦争により、メキシコは国土の半分近いカリフォルニアをアメリカ合衆国に奪われた。スペインによる支配は300年続いたが、18世紀を迎えるとアメリカ独立戦争やフランス革命、ナポレオン戦争に影響され、土着のクリオーリョたちの間に独立の気運が高まった。1808年、ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世として即位させた。それに反発するスペイン民衆の蜂起を契機としてスペイン独立戦争が始まると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1809年から1810年にかけて、キト、ラパス、サンティアゴ、カラカス、ボゴタ、ブエノスアイレスとインディアス各地でクリオーリョ達の蜂起が始まる中、メキシコでも 1810年9月15日にミゲル・イダルゴ神父らにより、スペイン打倒を叫ぶメキシコ独立革命が始まり、長い戦いの火蓋が切られた。メキシコのクリオーリョはペルーのクリオーリョと同様に先住民大衆の反乱を恐れたため、独立運動には消極的であり、イダルゴも、反乱を継いだメスティーソのホセ・マリア・モレーロス神父もアグスティン・デ・イトゥルビデ率いる王党派軍に敗れたが、モレーロスの乱が鎮圧された後の1820年頃には南部のシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン=マルティンらに率いられた解放軍が各地を解放し、インディアスに残る植民地は島嶼部とブラジルを除けばペルー、中米、メキシコのみとなっていた。スペイン本国で自由派が政権を握ると(リエゴ革命)、1821年9月15日に保守派クリオーリョを代表した独立の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコシティに入城し、反自由主義の立場から独立を宣言した。しかし、イトゥルビデがメキシコ王に推戴したかった反動派の元スペイン王フェルナンド7世はメキシコ入国を断ったため、イトゥルビデ自身が皇帝に即位する形で第一次メキシコ帝国が建国され、中央アメリカを併合した。しかし独立後は混乱が続き、1823年には帝政が崩壊して連邦共和国となり、この時に中米連邦が独立した。独立後は内戦による農業生産力の低下、鉱山の生産力低下、カウディーリョの群雄割拠、流通の混乱など問題が多発し、政治的には不安定な時代が続いた。また、コアウイラ・イ・テハス州にアメリカ合衆国人の入植を認めると、1835年にはアングロサクソン系入植者が反乱を起こし、1836年にメキシコ領テハスはテキサス共和国として独立した。その後、アメリカ合衆国が1845年にテキサスを併合すると、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と米墨戦争を争ったものの、メキシコシティを占領されて1848年に敗北すると、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ川以北の領土(いわゆるメキシコ割譲地)を喪失した。領土喪失の経緯からアメリカとの対立は深まっていたが、1861年にアメリカの南北戦争勃発とともにフランス第二帝国のナポレオン3世がメキシコ出兵を開始。1863年にはメキシコシティが失陥、フランスの傀儡政権である第二次メキシコ帝国が建国される状況となった。インディオ出身のベニート・フアレス大統領はアメリカの支援を得て、フランス軍に対して対抗し1866年に主権を取り戻すものの、このことは後々までアメリカ合衆国の影響力が高まるきっかけとなった。
ディアスの独裁とメキシコ革命
フアレスは自由主義者としてレフォルマ(改革)を推進するも、1872年に心臓発作で死去した。フアレスの後を継いだテハダ大統領は自由主義政策を進めたが、この時代になると指導力が揺らぐことになった。この隙を突いて1876年に、フランス干渉戦争の英雄ポルフィリオ・ディアスがクーデターを起こし、大統領に就任した。ディアスは30年以上に渡る強権的な独裁体制を敷き、外資が導入されて経済は拡大したものの、非民主的な政体は国内各地に不満を引き起こした。フランシスコ・マデーロの行動がきっかけになって1910年以降のメキシコ革命が始まった。パンチョ・ビリャ、エミリアーノ・サパタ、ベヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴンらの率いた革命軍は、路線の違いもありながらも最終的に政府軍を敗北させ、1917年に革命憲法が発布されたことで革命は終息した。
革命後のメキシコ
ラサロ・カルデナス大統領。メキシコ革命の精神を尊重し、農地改革や石油国有化を推進したが、彼の辞任後の制度的革命党は自ら革命の理念を裏切る腐敗政党と化していった。革命が終わると、1929年に国内の様々な勢力を一つにまとめて国民革命党が結成され、71年間の一党独裁制が続くことになる。1934年に成立したラサロ・カルデナス政権は油田国有化事業や土地改革を行い、国内の経済構造は安定した。その後与党の制度的革命党 (PRI)が第二次世界大戦を挟み、一党独裁の下に国家の開発を進めた。PRIは国内では一党独裁を進め、アメリカ合衆国や西側の資本により経済を拡大したが、その一方で外交面ではキューバなどのラテンアメリカ内の左翼政権との結びつきも強く、政策が矛盾した体制ながらも冷戦が終結した20世紀の終わりまで与党として政治を支配した。また、20世紀の前半から中盤にかけては石油や銀の産出とその輸出が大きな富をもたらしたものの、それと同時に進んだ近代工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、20世紀中盤に工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が現代に至るまで国民を苦しめる結果となった。サパティスタ国民解放軍(EZLN)のマルコス副司令官(中央)。NAFTA発効の日に最貧州のチアパス州から蜂起し、マヤ系インディオの生活するための空間を求めて反資本主義を掲げ、自治運動を行っている。1994年に発効したNAFTAはアメリカ合衆国、カナダとの貿易を拡大する一方で貧富の格差を一時的に拡大し、伝統的な共同体に住むインディオの共有地を解体し、さらにはアメリカ産のトウモロコシに競争で敗北する農民の権利を侵害するものであったため、同年1月1日にマルコス副司令官らの率いるサパティスタ国民解放軍(EZLN)が最貧州のチアパス州から蜂起した。サパティスタは戦闘を挟んだ後、チアパス州を解放区にして反グローバリゼーションの筆頭的存在として内外の支援を受け、現在も政府軍とのにらみ合いが続いている。
現在
その後2000年にPRIは蔓延する汚職や停滞する経済失策の責任、サパティスタ民族解放軍の蜂起などの責任を問われて総選挙で敗退し、国民行動党の勝利によって71年の独裁に終止符が打たれた。しかし現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。近年は原油価格の高騰やNAFTA締結後の輸出量の増加、さらに内需拡大傾向を受けた国内経済の活発を受けて中流層が増加するなど、国情が良好に変化してきている。2009年に入ってからはカナダやアメリカ合衆国とともに、新型インフルエンザ(H1N1)の発祥地とされている。2010年7月4日、全国32州のうち14州で地方選挙が実施された。2000年まで政権党だった野党の制度的革命党 (PRI) が前進(知事選が実施された12州のうち10州でほぼ当選)した。現政権のカルデロン政権が国民から治安対策、経済政策を批判されている。メキシコでは麻薬組織の抗争が激しく、現政権は軍隊を導入して麻薬組織を取り締まってきたが成果が上がっていない。経済政策ではガソリン価格を連続して値上げして、国民から不満の声が上がっている。
政治
大統領を国家元首とする連邦共和制国家であり、大統領は行政府の長である。国民の直接選挙によって選出され、任期は6年、再選は禁止されている。現大統領は、国民行動党 (PAN) フェリペ・カルデロン(任期:2006年12月1日 - 2012年11月30日)。大統領の権限は絶大で、憲法は三権分立を規定するが、事実上、立法府も司法府も大統領の統制下にある。また、軍部も大統領の下でのシビリアンコントロールが制度的に確立している。大統領は、行政各省の大臣を指名する。ただし、司法相のみは、上院の承認が必要である。各大臣は大統領直属の地位にあり、大統領に対し責任を負うのみで、議会や国民に対して責任は負わない。副大統領や首相という役職はなく、大統領が死亡などで欠ける場合は、議会が暫定大統領を選出する。議会は、両院制(二院制)。上院(元老院)は、全128議席で、そのうち4分の3にあたる96議席が連邦区と州の代表(各3議席)、残りが全国区の代表である。それぞれ比例代表制で選出され、任期は6年。下院(代議院)は、全500議席で、300議席は小選挙区制、200議席は比例代表制。任期は3年。両院とも連続再選は禁止されている。主要政党には、中道右派の国民行動党 (PAN)、長らく支配政党だった制度的革命党 (PRI)、左派の民主革命党 (PRD) の3つが挙げられる。他にも、サパティスタ民族解放戦線や、労働党、メキシコ緑の環境党などの小政党が存在する。なお、最南部グアテマラ国境地帯のチアパス州は、北米自由貿易協定(NAFTA)が発効された1994年1月1日に武装蜂起したサパティスタ国民解放軍による統治が続き、事実上の解放区となっている。

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