2010/12/16 - 2010/12/16
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カピさん
泉大津の代表的産業である毛布の歴史を紹介している、泉大津市立織編館の企画展示室にあった泉大津市教育委員会事務局生涯学習課作成の『散策いずみおおつ』マップを片手に、歴史に関係する場所を散策してみました。ちなみに、織編館には日本最古の子供用小袖(1583年)も展示されています。
城の山跡
楯並橋
南溟寺(眞鍋城址)
浜街道
大津神社
淡輪三昧
ロシア兵墓地
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府道堺阪南線沿いにある、城の山跡の碑。斉藤主膳の城址ともされているそうです。もとは、小高い山だったそうですが、今は平地です。
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楯並橋。
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楯並橋。1183年源氏方の今井兼滋と戦った、平忠行が民家の戸板を楯にして戦ったことから、1881年にこの橋の名前がついた。尚、1856年〜1857年にかけて、この付近で追いはぎがよく出没したそうです。
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南溟寺。1576年創建の浄土真宗大谷派のお寺ですが、その前は泉郡の大津城があった場所でもあります。戦国時代は泉州淡輪の眞鍋主馬大輔が城主となったので、眞鍋城とも呼ばれていたそうです。
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お城の名残はこの石碑くらいです。
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浜街道。江戸時代は、内町筋とも呼ばれ、真田紐や木綿織などがこの辺りで織られていたそうです。昭和初期頃までは漁師町でもあったそうです。
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マンホール。機織りですね。
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大津神社。通称、烏の杜。元は若宮八幡宮だったそうですが、明治41年に近隣の4社を統合して、大津神社となったそうです。境内社の一つの粟神社は776年創建と言われているそうです。
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昭和17年創建の石碑。
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マンホール。
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昭和27年5月に講和条約締結記念として南海泉大津駅前に建てられたという、ブロンズの羊像。泉大津はマンホールもそうですが、色んなところに町のシンボルとして羊があるらしいです。ちなみに作は、東洋のロダンと呼ばれた朝倉文夫の弟子、鳥取出身彫刻家長谷川塊記氏だそうです。
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戦国時代に活躍した泉南淡輪氏の一族、飯田氏の墓所。秀吉の根来攻めの時、淡輪大和守徹斉がこの地に隠れ住んでいたそうで、彼のものと思われる五輪塔もある。
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ロシア兵墓地。日露戦争で捕虜になり浜寺収容所で没したロシア兵89名を気の毒に思った泉大津の人々が、自分たちの墓の600㎡をわけあたえたという。1905年建立で、以後地元の有志達が手入れをして現在に至る。
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収容所の所長による漢文の碑。
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穴師山薬師寺。
穴師神社の前、苅田城址の碑の近くにあります。
光仁天皇の時代に、泉大津の浜に流れ着いた霊木で薬師瑠璃光如来を作ってお祀りしたのがはじまりだそうです。村上天皇の時代には穴師堂と呼ばれ、南北朝時代には塔頭六坊を有する大寺で南朝に味方し、戦勝の祈祷をし、朝廷より御論旨を受け給ったそうです。
豊臣秀吉の根来衆との戦いの際に、根来方として戦ったため、寺を焼き討ちされ全焼。奇跡的に助かった、一体の仏像を祀るため、江戸時代に再建。現在に至る。
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