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栃木県は下野(しもつけ)國と群馬県の上野(かみつけ)國と共に鎌倉時代中期まで両国一体でをして毛野國を形成していた。<br />即ち、毛野(けぬ)とは文字通り草深き地と言ふ意味を有し、那須野ヶ原に関する限り近世に至るまで何等変化無き状態だった。<br />此れは、此の地を流れる那珂川(なかがわ)、熊川(くまがわ)間、及び、蛇尾川(じゃびがわ)、箒川(ほうきがわ)間に位置する複合扇状地上を形成存在する土地が那須火山群に面する火山灰土に覆われし地故に、水利乏しく、表流水無く、且つ、地下水位深度の為に土地質が&#30246;せ、明治初期ですら陸羽街道(りくうかいどう)沿道外は人煙稀な灌木茂れし荒蕪地で蕎麦や粟、稗以外の農作物は育成し得ない土壌だった。<br />唯一、東北部に蛇尾川上流から取水した蟇沼用水(ひきぬま ようすい)が存在したが、明和8年(1771年)に大田原城下まで延長開通すると同時に藩統制下に置かれ、沿線村外に於ける飲料外使用は固く禁ぜられ違反すれば死罪が待っていた。<br /><br />那須野ヶ原に転機が訪れるのは明治13年(1880年)である。<br /><br />此の年、三島通庸(みしま つねみち)(天保6年(1835年)6月26日~明治21年(1888年)7月28日)の長男 彌太郎(みしま やたろう)(慶應3年(1867年)5月4日~大正8年(1919年)3月7日)が同年3月20日附で那須野ヶ原開拓の為に政府に対し土地払下申請を行ったが、政府は那須野ヶ原の現状に鑑み払下は時期尚早と解し同年8月3日附で約1000haの土地貸渡許可を付与し、此れを基に農場開拓の為に肇耕社(ちょうこうしゃ)を設立し運営開始される。<br />亦、同年5月1日に印南丈作(いんなみ じょうさく)(天保6年(1835年)6月26日~明治21年(1888年1月7日)、及び、矢板 武(やいた たけし)(嘉永2年(1849年)11月14日~大正11年(1922年)3月22日)両名が連署の上、那須野ヶ原に於ける勧農事業を目的とする官有地拝借並に予約開拓牧畜払下を請願し、此れを受け政府は審査の上、<br />1)土地借用期間20年<br />2)但し、成功期限15年以内<br />3)期限内成功時は無償払下<br />を条件として同年9月17日附で裁可された事に端を発する。<br />印南矢板両名は約3400haの土地経営の為に那須開墾社(なす かいこんしゃ)を設立し初代代表に印南が就任し入植希望者を公募した処、栃木県南部、長野県、富山県、及び、愛媛県等々から大量応募が有り採用決定者は直ちに入植が開始されたが、該事業が地租改正法施行(明治6年(1873年)7月28日)前後に実行されていれば、当時全国に満ち満ちていた失業士族が蝦夷地屯田兵同様、大量公募に応じてきたものと推定される。<br /><br />政府は明治16年(1883年)10月30日附で第2代栃木県令(現在の知事職)藤川為親(ふじかわ ためちか)に代わり、三島通庸を第3代栃木県令に任命し三島は拝命後直ちに赴任した。<br /><br />三島は現在国立公文書館に於いて保存されている内務省文書に、『道路ハ運搬ノ便否ニ関シ自ラ物産ノ興廃人民ノ貧富ニ頑リ斯モ之ヲ惣セニヘカラス』と残されている様に、土木開発に拠る地域開発こそ地域活性の一助になるとの信念を有し山形県、及び、福島県令在任時代に大いに実績を上げたが、印南矢板に依る那須開墾社の活動内容を知るや此れに対し県行政として積極的協力を惜しまず、明治18年(1885年)4月15日に周囲の猛反対を押し切り現在に残る那須疎水(なす そすい)建設に着手し約5ヶ月後の同年9月15日に疎水基幹建設工事は完了無事開通したが、疎水存在無き時代は殆ど農作物育成せぬ不毛で荒漠たる原野は一転して民に恵みをもたらす肥沃にして豊饒なる農耕地へと変貌を遂げた。<br /><br />三島は県令退任後も長男彌太郎名義で購入した地を中心に那須野ヶ原勧農に情熱を注ぎ、此れらの土地は三島の死後も恵贈して運営され、現在でも三島農場や町名に痕跡を残す。<br />因みに、三島は当時の自由民権運動弾圧の張本人として現在でも評判がいま一つ芳しくないが、然して、当時の自由民権運動なる実態は後に福島喜多方事件(ふくしまきたかたじけん)明治15年(1882年)11月25日)や加波山事件(かばやまじけん)(明治17年(1884年)9月25日)に発展を見せた様に、実体上は半ば公然たる過激型反政府運動で、且つ、警察当局が此れら壮士連中を逮捕拘留して取調の際に自由民権運動なるものを質問しても悲憤慷慨するだけで何等内容を理解すらしておらぬ者が多く、単に民度が低いならず者か騒擾者に過ぎず、治安維持の為に警察当局が此れを取締るのは当然正当行為であり、三島が明治17年(1884年)1月21日附で県庁を栃木町から現在の宇都宮に移転させたのも当時の栃木県南部、なかんずく現在の栃木市が自由民権運動の拠点中心地とされ、県庁所在地を宇都宮に移転させる事で政府の毅然たる態度を示したものであり、三島が県令赴任先に於ける土木事業開発を施工した地域は現在の観点から観ても極めて有益だったのは明白なる事実である。<br />三島は反対派から鬼県令として忌避されたが、薩摩人特有な常に強気で生一本な性格ながら、如何なる事態に於いても自身の功績とせず賄賂等の不正を一切嫌い、実直で恭謙辞譲な人物だったとの事から、横浜臨海公園は三島通庸と言ふ人物が現在に於いても誤伝曲解され続けられいる事を甚だ遺憾とし高評価されて然るべきなりと解している。<br /><br />鹿児島に於いて西南ノ役(せいなんのえき)(明治10年(1877年)2月14日~同年9月19日)勃発は反乱軍鎮定の為に軍隊派遣が原因で政府財源を払底させたが、計画した新規鉄道建設事業に齟齬を来たす事態を招来したが、他方、重要未成線に就いては民間企業が早期開通させるべきとし、此の為に主として華族出資に拠り、明治14年(1881年)11月11日に岩倉具視(いわくら ともみ)(文政8年(1825年)4月10日~明治16年(1883年)7月20日)が代表発起人になり日本鐵道會社(にほん てつどうかいしゃ)が特殊民間企業として設立され、初代代表取締役に吉井友美(よしい ともざね)(文政11年(1828年)4月10日~明治24年(1891年)4月22日)が就任し理事委員(取締役)に矢板も名を連ねる。<br />日本鐵道は延伸を重ね、明治19年(1886年)10月1日に宇都宮-那須(現 西那須野)間、同年12月1日に那須-黒磯間が開通し鉄道輸送を介し生産物がより新鮮な状態で東京方面に出荷可能ならしめる。<br /><br />那須野ヶ原発展の基盤が成立する。<br /><br /><br />表紙の写真は 那須疎水本幹<br /><br />http://suido-ishizue.jp/kindai/nasu/index.html<br />http://www.inakajin.or.jp/sosui_old/tochigi/a/612/index.html

灌木茂れし不毛で荒漠たる原野が民に恵みをもたらす豊饒なる農耕地へと変貌を遂げせりし開拓地 ~先史と開拓~ 下野國那須野

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2010/11/30 - 2010/12/03

3位(同エリア65件中)

11

57

横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

栃木県は下野(しもつけ)國と群馬県の上野(かみつけ)國と共に鎌倉時代中期まで両国一体でをして毛野國を形成していた。
即ち、毛野(けぬ)とは文字通り草深き地と言ふ意味を有し、那須野ヶ原に関する限り近世に至るまで何等変化無き状態だった。
此れは、此の地を流れる那珂川(なかがわ)、熊川(くまがわ)間、及び、蛇尾川(じゃびがわ)、箒川(ほうきがわ)間に位置する複合扇状地上を形成存在する土地が那須火山群に面する火山灰土に覆われし地故に、水利乏しく、表流水無く、且つ、地下水位深度の為に土地質が瘦せ、明治初期ですら陸羽街道(りくうかいどう)沿道外は人煙稀な灌木茂れし荒蕪地で蕎麦や粟、稗以外の農作物は育成し得ない土壌だった。
唯一、東北部に蛇尾川上流から取水した蟇沼用水(ひきぬま ようすい)が存在したが、明和8年(1771年)に大田原城下まで延長開通すると同時に藩統制下に置かれ、沿線村外に於ける飲料外使用は固く禁ぜられ違反すれば死罪が待っていた。

那須野ヶ原に転機が訪れるのは明治13年(1880年)である。

此の年、三島通庸(みしま つねみち)(天保6年(1835年)6月26日~明治21年(1888年)7月28日)の長男 彌太郎(みしま やたろう)(慶應3年(1867年)5月4日~大正8年(1919年)3月7日)が同年3月20日附で那須野ヶ原開拓の為に政府に対し土地払下申請を行ったが、政府は那須野ヶ原の現状に鑑み払下は時期尚早と解し同年8月3日附で約1000haの土地貸渡許可を付与し、此れを基に農場開拓の為に肇耕社(ちょうこうしゃ)を設立し運営開始される。
亦、同年5月1日に印南丈作(いんなみ じょうさく)(天保6年(1835年)6月26日~明治21年(1888年1月7日)、及び、矢板 武(やいた たけし)(嘉永2年(1849年)11月14日~大正11年(1922年)3月22日)両名が連署の上、那須野ヶ原に於ける勧農事業を目的とする官有地拝借並に予約開拓牧畜払下を請願し、此れを受け政府は審査の上、
1)土地借用期間20年
2)但し、成功期限15年以内
3)期限内成功時は無償払下
を条件として同年9月17日附で裁可された事に端を発する。
印南矢板両名は約3400haの土地経営の為に那須開墾社(なす かいこんしゃ)を設立し初代代表に印南が就任し入植希望者を公募した処、栃木県南部、長野県、富山県、及び、愛媛県等々から大量応募が有り採用決定者は直ちに入植が開始されたが、該事業が地租改正法施行(明治6年(1873年)7月28日)前後に実行されていれば、当時全国に満ち満ちていた失業士族が蝦夷地屯田兵同様、大量公募に応じてきたものと推定される。

政府は明治16年(1883年)10月30日附で第2代栃木県令(現在の知事職)藤川為親(ふじかわ ためちか)に代わり、三島通庸を第3代栃木県令に任命し三島は拝命後直ちに赴任した。

三島は現在国立公文書館に於いて保存されている内務省文書に、『道路ハ運搬ノ便否ニ関シ自ラ物産ノ興廃人民ノ貧富ニ頑リ斯モ之ヲ惣セニヘカラス』と残されている様に、土木開発に拠る地域開発こそ地域活性の一助になるとの信念を有し山形県、及び、福島県令在任時代に大いに実績を上げたが、印南矢板に依る那須開墾社の活動内容を知るや此れに対し県行政として積極的協力を惜しまず、明治18年(1885年)4月15日に周囲の猛反対を押し切り現在に残る那須疎水(なす そすい)建設に着手し約5ヶ月後の同年9月15日に疎水基幹建設工事は完了無事開通したが、疎水存在無き時代は殆ど農作物育成せぬ不毛で荒漠たる原野は一転して民に恵みをもたらす肥沃にして豊饒なる農耕地へと変貌を遂げた。

三島は県令退任後も長男彌太郎名義で購入した地を中心に那須野ヶ原勧農に情熱を注ぎ、此れらの土地は三島の死後も恵贈して運営され、現在でも三島農場や町名に痕跡を残す。
因みに、三島は当時の自由民権運動弾圧の張本人として現在でも評判がいま一つ芳しくないが、然して、当時の自由民権運動なる実態は後に福島喜多方事件(ふくしまきたかたじけん)明治15年(1882年)11月25日)や加波山事件(かばやまじけん)(明治17年(1884年)9月25日)に発展を見せた様に、実体上は半ば公然たる過激型反政府運動で、且つ、警察当局が此れら壮士連中を逮捕拘留して取調の際に自由民権運動なるものを質問しても悲憤慷慨するだけで何等内容を理解すらしておらぬ者が多く、単に民度が低いならず者か騒擾者に過ぎず、治安維持の為に警察当局が此れを取締るのは当然正当行為であり、三島が明治17年(1884年)1月21日附で県庁を栃木町から現在の宇都宮に移転させたのも当時の栃木県南部、なかんずく現在の栃木市が自由民権運動の拠点中心地とされ、県庁所在地を宇都宮に移転させる事で政府の毅然たる態度を示したものであり、三島が県令赴任先に於ける土木事業開発を施工した地域は現在の観点から観ても極めて有益だったのは明白なる事実である。
三島は反対派から鬼県令として忌避されたが、薩摩人特有な常に強気で生一本な性格ながら、如何なる事態に於いても自身の功績とせず賄賂等の不正を一切嫌い、実直で恭謙辞譲な人物だったとの事から、横浜臨海公園は三島通庸と言ふ人物が現在に於いても誤伝曲解され続けられいる事を甚だ遺憾とし高評価されて然るべきなりと解している。

鹿児島に於いて西南ノ役(せいなんのえき)(明治10年(1877年)2月14日~同年9月19日)勃発は反乱軍鎮定の為に軍隊派遣が原因で政府財源を払底させたが、計画した新規鉄道建設事業に齟齬を来たす事態を招来したが、他方、重要未成線に就いては民間企業が早期開通させるべきとし、此の為に主として華族出資に拠り、明治14年(1881年)11月11日に岩倉具視(いわくら ともみ)(文政8年(1825年)4月10日~明治16年(1883年)7月20日)が代表発起人になり日本鐵道會社(にほん てつどうかいしゃ)が特殊民間企業として設立され、初代代表取締役に吉井友美(よしい ともざね)(文政11年(1828年)4月10日~明治24年(1891年)4月22日)が就任し理事委員(取締役)に矢板も名を連ねる。
日本鐵道は延伸を重ね、明治19年(1886年)10月1日に宇都宮-那須(現 西那須野)間、同年12月1日に那須-黒磯間が開通し鉄道輸送を介し生産物がより新鮮な状態で東京方面に出荷可能ならしめる。

那須野ヶ原発展の基盤が成立する。


表紙の写真は 那須疎水本幹

http://suido-ishizue.jp/kindai/nasu/index.html
http://www.inakajin.or.jp/sosui_old/tochigi/a/612/index.html

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 東北本線西那須野駅西口前<br /><br /><br /><br />桜通り(さくらどおり)<br />三島農場まで道路が一直線に伸びる<br />明治45年(1912年)7月11日から昭和10年(1935年)12月9日まで塩原温泉口まで該道路上を路面電車が運転営業していた。<br /><br />那須塩原市永田町1−1<br />東北本線西那須野駅西口 徒歩30秒

    東北本線西那須野駅西口前



    桜通り(さくらどおり)
    三島農場まで道路が一直線に伸びる
    明治45年(1912年)7月11日から昭和10年(1935年)12月9日まで塩原温泉口まで該道路上を路面電車が運転営業していた。

    那須塩原市永田町1−1
    東北本線西那須野駅西口 徒歩30秒

  • 西那須野地区俯瞰<br /><br /><br /><br />那須塩原市西大和15−15<br />東北本線西那須野駅西口 徒歩4分

    西那須野地区俯瞰



    那須塩原市西大和15−15
    東北本線西那須野駅西口 徒歩4分

  • 五軒町交差点(ごけんまち こうさてん)<br /><br /><br /><br />交差点奥地域が旧三島農場<br /><br />那須塩原市五軒町13<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    五軒町交差点(ごけんまち こうさてん)



    交差点奥地域が旧三島農場

    那須塩原市五軒町13
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 五軒町交差点<br /><br /><br /><br />烏ヶ森道道標<br />烏森公園参道<br />明治43年(1910年)5月建立<br /><br />那須塩原市五軒町13<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    五軒町交差点



    烏ヶ森道道標
    烏森公園参道
    明治43年(1910年)5月建立

    那須塩原市五軒町13
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 五軒町交差点<br /><br /><br /><br />烏ヶ森道道標<br /><br />明治三十九年四月西那須野驛長橋本嘉三郎 益子青雲 木下三郎 大和屋幸吉 同作太郎等主催トナリ官民大合同団体親睦會ヲ烏ヶ森ノ丘上ニ催シ鐵道庁之乗車割引キヲ請ヘシヨリ亦来年此地観櫻来客ノ為メ鐵道庁特ニ意を用ヘ賃金ノ割引キヲ為トナレリ<br /><br />左)烏ヶ森公園道<br />裏)奥羽街道<br />右)明治43年(1910年)5月建立<br /><br />那須塩原市五軒町13<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東那須三島停留所降車 徒歩1分

    五軒町交差点



    烏ヶ森道道標

    明治三十九年四月西那須野驛長橋本嘉三郎 益子青雲 木下三郎 大和屋幸吉 同作太郎等主催トナリ官民大合同団体親睦會ヲ烏ヶ森ノ丘上ニ催シ鐵道庁之乗車割引キヲ請ヘシヨリ亦来年此地観櫻来客ノ為メ鐵道庁特ニ意を用ヘ賃金ノ割引キヲ為トナレリ

    左)烏ヶ森公園道
    裏)奥羽街道
    右)明治43年(1910年)5月建立

    那須塩原市五軒町13
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 三島開墾紀恩碑(みしま かいこん きおんひ)<br /><br /><br /><br />那須塩原市五軒町29<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    三島開墾紀恩碑(みしま かいこん きおんひ)



    那須塩原市五軒町29
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 三島開墾紀恩碑<br /><br /><br /><br />那須野ヶ原開拓で三島通庸の業功績を讃えたもの。<br />碑文は漢文<br /><br />三島開墾紀恩碑<br />元帥陸軍大将大勲位功二級貞愛親王(伏見宮)<br /><br />那須塩原市三島4−25<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    三島開墾紀恩碑



    那須野ヶ原開拓で三島通庸の業功績を讃えたもの。
    碑文は漢文

    三島開墾紀恩碑
    元帥陸軍大将大勲位功二級貞愛親王(伏見宮)

    那須塩原市三島4−25
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 三島開墾紀恩碑<br /><br /><br /><br />伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなる しんのう)(安政5年(1858年6月9日〜大正12年(1923年)2月4日)謹書<br />大正11年(1922年)6月建立<br /><br />那須塩原市三島4−25<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    三島開墾紀恩碑



    伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなる しんのう)(安政5年(1858年6月9日〜大正12年(1923年)2月4日)謹書
    大正11年(1922年)6月建立

    那須塩原市三島4−25
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 三島農場開墾記念碑<br /><br /><br /><br />大正11年(1922年)6月建立<br /><br />那須塩原市三島4−25<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

    三島農場開墾記念碑



    大正11年(1922年)6月建立

    那須塩原市三島4−25
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線那須三島停留所降車 徒歩1分

  • 那須野が原博物館(なすのがはら はくぶつかん)<br /><br /><br /><br />元三島別邸址<br />三島農場中心地<br /><br />旧三島別邸は明治27年(1894年)東京市麻布区に建築され、大正13年(1924年)に現三島神社所在地に移築され、更に当地に再移築された木造2階建て洋風建築だったが、平成5年(1993年)10月29日に過激派テロに拠りに放火焼失され、邸宅は復元されず平成16年(2004年)4月23日に現博物館開館<br /><br />那須塩原市三島5−1<br />?: 0287−36−0949<br />9:00〜17:00<br />月曜日、及び、年末年始休館<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩1分<br />http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/

    那須野が原博物館(なすのがはら はくぶつかん)



    元三島別邸址
    三島農場中心地

    旧三島別邸は明治27年(1894年)東京市麻布区に建築され、大正13年(1924年)に現三島神社所在地に移築され、更に当地に再移築された木造2階建て洋風建築だったが、平成5年(1993年)10月29日に過激派テロに拠りに放火焼失され、邸宅は復元されず平成16年(2004年)4月23日に現博物館開館

    那須塩原市三島5−1
    ?: 0287−36−0949
    9:00〜17:00
    月曜日、及び、年末年始休館
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩1分
    http://www2.city.nasushiobara.lg.jp/hakubutsukan/

  • 三島神社(みしまじんじゃ)<br /><br /><br /><br />三島通庸の遺徳を偲び明治39年(1906年)7月9日に母智丘神社から分霊し地元開拓民が建立。<br />昭和47年(1972年)10月13日に明治17年(1884年)10月13日から明治30年(1897年)にかけて小林熊蔵以下、物故開拓民142命を合祀。<br /><br /><br />那須塩原市三島5−236<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩2分

    三島神社(みしまじんじゃ)



    三島通庸の遺徳を偲び明治39年(1906年)7月9日に母智丘神社から分霊し地元開拓民が建立。
    昭和47年(1972年)10月13日に明治17年(1884年)10月13日から明治30年(1897年)にかけて小林熊蔵以下、物故開拓民142命を合祀。


    那須塩原市三島5−236
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩2分

  • 三島神社<br /><br /><br /><br />旧無社格<br /><br />那須塩原市三島5−236<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

    三島神社



    旧無社格

    那須塩原市三島5−236
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

  • 三島神社<br /><br /><br /><br />空堀<br />第3分水から取水<br /><br />那須塩原市三島5−236<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩2分

    三島神社



    空堀
    第3分水から取水

    那須塩原市三島5−236
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車 徒歩2分

  • 三島神社<br /><br /><br />柴山影綱頌徳碑<br />大正7年(1918年)7月24日建立<br />樺山資紀 書<br />樺山資紀(かばやま すけのり)(天保8年(1837年)1月2日〜大正11年(1922年)2月8日)は、鹿児島県出身で西南ノ役の際に陸軍少将で熊本鎮台参謀長、後に海軍に転じ日清戦争では左京丸に乗船して観戦、最終階級は海軍大将。<br /><br />那須塩原市三島5−336<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

    三島神社


    柴山影綱頌徳碑
    大正7年(1918年)7月24日建立
    樺山資紀 書
    樺山資紀(かばやま すけのり)(天保8年(1837年)1月2日〜大正11年(1922年)2月8日)は、鹿児島県出身で西南ノ役の際に陸軍少将で熊本鎮台参謀長、後に海軍に転じ日清戦争では左京丸に乗船して観戦、最終階級は海軍大将。

    那須塩原市三島5−336
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

  • 三島神社<br /><br /><br /><br />那須塩原市三島5−236<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

    三島神社



    那須塩原市三島5−236
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線三島農場停留所降車徒歩2分

  • 赤田山(あかだやま)<br /><br /><br /><br />母智丘神社が存在<br /><br />那須塩原市上赤田278<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線中赤田停留所降車 徒歩3分

    赤田山(あかだやま)



    母智丘神社が存在

    那須塩原市上赤田278
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線中赤田停留所降車 徒歩3分

  • 母智丘神社(もちおおか じんじゃ)<br /><br /><br /><br />鳥居<br /><br />那須塩原市上赤田278<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分

    母智丘神社(もちおおか じんじゃ)



    鳥居

    那須塩原市上赤田278
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分

  • 母智丘神社<br /><br /><br /><br />参道<br /><br />那須塩原市上赤田278<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分

    母智丘神社



    参道

    那須塩原市上赤田278
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分

  • 母智丘神社<br /><br /><br /><br />本殿<br /><br />母智丘神社は三島通庸が都城県権令時代に都城を偲び勧請。<br />本家都城は三島が植樹させた桜樹群で著名。<br />旧無社格<br /><br />那須塩原市上赤田278<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分<br />

    母智丘神社



    本殿

    母智丘神社は三島通庸が都城県権令時代に都城を偲び勧請。
    本家都城は三島が植樹させた桜樹群で著名。
    旧無社格

    那須塩原市上赤田278
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線上赤田停留所降車徒歩4分

  • 国道400号線<br /><br /><br /><br />駅前の桜通りから塩原まで続く道<br /><br />那須塩原市上赤田238<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線赤田停留所 徒歩1分

    国道400号線



    駅前の桜通りから塩原まで続く道

    那須塩原市上赤田238
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線赤田停留所 徒歩1分

  • 那須疎水本幹(なすそすい ほんかん)<br /><br /><br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

    那須疎水本幹(なすそすい ほんかん)



    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

  • 那須疎水<br /><br /><br /><br />発電用水車<br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

    那須疎水



    発電用水車

    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

  • 那須疎水<br /><br /><br /><br />発電用水車<br />千本松牧場内部の一部電力を供給。<br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

    那須疎水



    発電用水車
    千本松牧場内部の一部電力を供給。

    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

  • 那須疎水第3分水口<br /><br /><br /><br />画面左手が取水口<br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

    那須疎水第3分水口



    画面左手が取水口

    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

  • 千本松牧場(せんぼんまつ のうじょう)<br /><br /><br /><br />松方農場の後身<br />入口<br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

    千本松牧場(せんぼんまつ のうじょう)



    松方農場の後身
    入口

    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩2分

  • 千本松牧場<br /><br /><br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩3分

    千本松牧場



    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所降車 徒歩3分

  • 千本松牧場<br /><br /><br /><br />昭和39年(1964年)<br />レジャー産業参入<br />昭和57年(1982年)<br />千本松農場から千本松牧場に名義変更<br /><br />那須塩原市千本松799<br />東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所 徒歩5分<br />http://www.senbonmatsu.com/

    千本松牧場



    昭和39年(1964年)
    レジャー産業参入
    昭和57年(1982年)
    千本松農場から千本松牧場に名義変更

    那須塩原市千本松799
    東北本線西那須野駅西口 JRバス関東塩原線千本松停留所 徒歩5分
    http://www.senbonmatsu.com/

  • 烏ヶ森公園(からすがもり こうえん)<br /><br /><br /><br />西三島方面を俯瞰<br />戦後開拓農地は急速に宅地化した<br /><br />那須塩原市三区町637<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

    烏ヶ森公園(からすがもり こうえん)



    西三島方面を俯瞰
    戦後開拓農地は急速に宅地化した

    那須塩原市三区町637
    東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

  • 烏森神社(からすもり じんじゃ)<br /><br /><br /><br />参道<br /><br />延喜2年(902年)創建<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分<br />http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/jinjalist/karasugamori.html

    烏森神社(からすもり じんじゃ)



    参道

    延喜2年(902年)創建

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分
    http://www.tochigi-jinjacho.or.jp/jinjalist/karasugamori.html

  • 烏森神社<br /><br /><br /><br />鳥居と本殿<br /><br />御祭神は、<br />天照大神命<br />豊受大神命<br />倉稲魂命<br />印南丈作大人命<br />矢板武大人命<br />を祀る<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社



    鳥居と本殿

    御祭神は、
    天照大神命
    豊受大神命
    倉稲魂命
    印南丈作大人命
    矢板武大人命
    を祀る

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 烏森神社<br /><br /><br /><br />本殿扁額<br />有栖川宮熾仁親王 書<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社



    本殿扁額
    有栖川宮熾仁親王 書

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 烏森神社<br /><br /><br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社



    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 烏森神社<br /><br /><br /><br />印南丈作翁碑銘<br /><br />印南丈作の那須疎水開通に至る活躍、那須開墾社設立の功、略歴が記載<br />明治29年(1896年)10月建立<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社



    印南丈作翁碑銘

    印南丈作の那須疎水開通に至る活躍、那須開墾社設立の功、略歴が記載
    明治29年(1896年)10月建立

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 烏森神社<br /><br /><br /><br />熾仁親王植樹記念碑<br /><br />辛巳八月<br />車駕北巡之際奉<br />詔巡視野州那須野原属栃木縣管内頃有志之徒相謀結社従事開墾欲以謀國?余慫通其學手自植一松樹記其由云<br />明治15年2月建立<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社



    熾仁親王植樹記念碑

    辛巳八月
    車駕北巡之際奉
    詔巡視野州那須野原属栃木縣管内頃有志之徒相謀結社従事開墾欲以謀國?余慫通其學手自植一松樹記其由云
    明治15年2月建立

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 烏森神社<br /><br /><br />熾仁親王植樹記念碑<br /><br />裏に印南丈作、矢板 武の名が見える。<br /><br />那須塩原市三区町635<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    烏森神社


    熾仁親王植樹記念碑

    裏に印南丈作、矢板 武の名が見える。

    那須塩原市三区町635
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 那須開墾社第二農場跡(なす かいこんしゃ だいにのうじょうあと)<br /><br /><br /><br />現 歴史公園<br /><br />那須塩原市三区町640<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡(なす かいこんしゃ だいにのうじょうあと)



    現 歴史公園

    那須塩原市三区町640
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 那須開墾社第二農場跡<br /><br /><br /><br />烏森農場事務所跡<br />現 烏ヶ森公園<br /><br />那須塩原市三区町637<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡



    烏森農場事務所跡
    現 烏ヶ森公園

    那須塩原市三区町637
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 那須開墾社第二農場跡<br /><br /><br /><br />烏森農場事務所跡<br />旧井戸跡<br />現 烏ヶ森公園内<br /><br />那須塩原市三区町637<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡



    烏森農場事務所跡
    旧井戸跡
    現 烏ヶ森公園内

    那須塩原市三区町637
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 那須開墾社第二農場跡<br /><br /><br /><br />烏森農場事務所堀<br />那須疎水第4分水 加治屋堀<br /><br />那須塩原市三区町637<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡



    烏森農場事務所堀
    那須疎水第4分水 加治屋堀

    那須塩原市三区町637
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 那須開墾社第二農場跡<br /><br /><br /><br />烏森農場事務所堀<br />石積橋は農場開設当時の物<br /><br />那須塩原市三区町637<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡



    烏森農場事務所堀
    石積橋は農場開設当時の物

    那須塩原市三区町637
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 寺崎邸<br /><br /><br /><br />防風林<br /><br />冬季は那須連山から吹付ける強冷風を遮断。<br /><br />那須塩原市三区町658<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

    寺崎邸



    防風林

    冬季は那須連山から吹付ける強冷風を遮断。

    那須塩原市三区町658
    東北本線西那須野駅西口 タクシー10分

  • 那須開墾社第二農場跡入口<br /><br /><br /><br />縦道<br /><br />那須塩原市三区町627<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

    那須開墾社第二農場跡入口



    縦道

    那須塩原市三区町627
    東北本線西那須野駅西口 タクシー8分

  • 二区町風景<br /><br /><br /><br />開墾時の原形を残す<br />背後は東北新幹線高架橋<br /><br />那須塩原市二区町389<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

    二区町風景



    開墾時の原形を残す
    背後は東北新幹線高架橋

    那須塩原市二区町389
    東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

  • 二区町風景<br /><br /><br /><br />疎水第4分水 縦堀<br />分水路から電動式ボンプで水を汲み上げる。<br /><br />那須塩原市二区町389<br />東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

    二区町風景



    疎水第4分水 縦堀
    分水路から電動式ボンプで水を汲み上げる。

    那須塩原市二区町389
    東北本線西那須野駅西口 タクシー5分

  • 常盤ヶ丘(ときわがおか)<br /><br /><br /><br />常盤ヶ丘は標高248.5mの丘陵で中腹に印南丈作、及び、矢板武の墓が所在。<br /><br />那須塩原市二っ室73<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

    常盤ヶ丘(ときわがおか)



    常盤ヶ丘は標高248.5mの丘陵で中腹に印南丈作、及び、矢板武の墓が所在。

    那須塩原市二っ室73
    東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

  • 常盤ヶ丘<br /><br /><br /><br />那須塩原市二っ室73<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

    常盤ヶ丘



    那須塩原市二っ室73
    東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

  • 常盤ヶ丘<br /><br /><br /><br />那須塩原市二っ室73<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

    常盤ヶ丘



    那須塩原市二っ室73
    東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

  • 常盤ヶ丘<br /><br /><br /><br />印南丈作墓<br /><br />那須塩原市二っ室73<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

    常盤ヶ丘



    印南丈作墓

    那須塩原市二っ室73
    東北本線西那須野駅東口 タクシー7分

  • 常盤ヶ丘<br /><br /><br /><br />立歩定畝<br /><br />大正7年(1918年)11月に陸軍大演習が行われた際に大元帥陛下(大正天皇)が印南丈作の功績を知り従五位贈位記念碑。<br />大正7年(1918年)11月建立<br /><br />那須塩原市二っ室73<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー10分

    常盤ヶ丘



    立歩定畝

    大正7年(1918年)11月に陸軍大演習が行われた際に大元帥陛下(大正天皇)が印南丈作の功績を知り従五位贈位記念碑。
    大正7年(1918年)11月建立

    那須塩原市二っ室73
    東北本線西那須野駅東口 タクシー10分

  • 親王台(しんのうだい)<br /><br /><br /><br />元来該地には那須開墾社一本木農場事務所が設置されていたが、皇族視察の際に塚を構築し開拓地を望見した事に因む。<br />植樹の松は2代目。<br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    親王台(しんのうだい)



    元来該地には那須開墾社一本木農場事務所が設置されていたが、皇族視察の際に塚を構築し開拓地を望見した事に因む。
    植樹の松は2代目。

    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 親王台<br /><br /><br /><br />皇族は有栖川宮(ありすがわ たるひと)親王、伏見宮貞愛(ふしみのみや さだなる)親王の2説が存在するが現在ではどちらが先に招待されたか謎。<br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    親王台



    皇族は有栖川宮(ありすがわ たるひと)親王、伏見宮貞愛(ふしみのみや さだなる)親王の2説が存在するが現在ではどちらが先に招待されたか謎。

    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 親王台<br /><br /><br /><br />親王台の宮乃松碑<br />山県有朋扁額<br />明治40年(1907年)9月建立<br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    親王台



    親王台の宮乃松碑
    山県有朋扁額
    明治40年(1907年)9月建立

    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 親王台<br /><br /><br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    親王台



    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 那須開墾社一本木野農場事務所跡(なす かいこんしゃ いっぽんぎの のうじょうじむしょあと)<br /><br /><br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    那須開墾社一本木野農場事務所跡(なす かいこんしゃ いっぽんぎの のうじょうじむしょあと)



    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 那須開墾社一本木野農場事務所跡<br /><br /><br /><br />那須塩原市一区町122−14<br />東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

    那須開墾社一本木野農場事務所跡



    那須塩原市一区町122−14
    東北本線西那須野駅東口 タクシー12分

  • 蛇尾川(さびがわ)<br /><br /><br /><br />通常、途中区間は水流無く水無川<br />前夜の大雨で水流発生<br /><br />那須塩原市東槻沢<br />東北本線那須塩原駅西口 JR関東バス塩原線蛇尾川停留所降車 徒歩1分

    蛇尾川(さびがわ)



    通常、途中区間は水流無く水無川
    前夜の大雨で水流発生

    那須塩原市東槻沢
    東北本線那須塩原駅西口 JR関東バス塩原線蛇尾川停留所降車 徒歩1分

  • 蛇尾川<br /><br /><br /><br />那須塩原市東槻沢<br />東北本線那須塩原駅西口 JR関東バス塩原線蛇尾川停留所降車 徒歩1分

    蛇尾川



    那須塩原市東槻沢
    東北本線那須塩原駅西口 JR関東バス塩原線蛇尾川停留所降車 徒歩1分

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この旅行記へのコメント (11)

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  • ごまさん 2015/02/09 16:49:41
    開拓の歴史勉強になりました。
    横浜臨海公園さんへ

    こんにちは、毎日寒いですね。
    西那須野町の史跡は子供の頃から、普通に見ていたので気にもかけていなかったのですが、なるほどと感じました。
    何だろうこの神社とか、那須疎水の歴史は多分聞いたはずなのに〜身近に見ていると標識の1部みたいになっていました。
    (この場所を曲がるとか、この近くだね?の感覚です。)

    日常的に春は桜、秋は紅葉を愛でる場所の歴史を知ると感慨深いですね。
    おかしなもので、他県の史跡には興味が有るのに地元の歴史には関心が無かったので勉強になりました。
    有難うございます。

     ごま


    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2015/02/12 05:43:55
    拝復
    ごまさま、おはようございます。


    旅行記への投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。

    那須疎水は、現在の東北本線の前身たる日本鐵道開通が那須原野開拓の原点となった事は確かです。
    兎に角、鉄道開通まで那須原野は何もない土地だったと言って過言ではなく、三島通庸氏が栃木県権令に就任した事で、疎水開通に向けて実行され肥沃な土地へと改革されます。
    西那須野駅近くの図書館で郷土史資料を調べたのですが、当時の資料が殆ど期待する内容の物が無く、国立国会図書館憲政資料室に保存されている三島通庸関係文書の解読で、はじめ内容が判る様な状態でした。

    旅行記上程まで何時も苦労します。



    横浜臨海公園
  • tawassanさん 2011/01/10 21:01:08
    今年もよろしくお願いいたします。
    横浜臨海公園 様

    遅そくなりましたが、おめでとうございます。

    今年もいろんな知識を得させてください。

    横浜臨海公園さんにとって、健康で良い年となるようお祈り申し上げます。



    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/01/11 15:02:33
    拝復
    tawassanさま、こんにちは。


    メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
    小生こそ何卒宜敷くお願い申します。



    横浜臨海公園
  • naniwa ladyさん 2011/01/09 08:35:56
    あけましておめでとうございます。8(*^o^*)8naniwa 
    横浜臨海公園さま、お誕生日メッセージ、有り難うございます。
    お誕生日の登録がありませんねぇ。。寂しいわぁ。。
    いつも丁寧な説明をくわえておられて、学生時代にタイムスリップしたような感覚になります。
    何気ない町の中にも歴史あり、もっと歴史を感じながら、町歩きをしたいものですが、知識のない私にはなすすべもなく。。。
    本年もよろしくお願いします。
    p.s.今年春日大社へ初詣に行って、いつもおみくじをひくのですが、今年は大吉でした。大吉ってそうそうないと思うのですよ。小吉、末吉はあったと思うのですが、とっても気分よく新年のスタートをきったナニワです。横浜臨海公園さんにとっても本年が素晴らしい年になりますように、お祈りいたします。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/01/10 10:44:54
    拝復
    naniwa ladyさま、おはようございます。


    naniwa ladyさま、メッセージを賜りまして誠に有難うございました。

    > 横浜臨海公園さま、お誕生日メッセージ、有り難うございます。
    > お誕生日の登録がありませんねぇ。。寂しいわぁ。。
    →小生の誕生日、実は元旦でございました。

    > いつも丁寧な説明をくわえておられて、学生時代にタイムスリップしたような感覚になります。
    →お誉めのお言葉を賜りまして誠に恐縮でございます。
    昨今のフォートラベル会員諸氏の旅行記を拝見していても、カネと暇は有るトラベラーが些かマンネリで自己自慢な作品ばかりになってしまい、食指させられる様な秀逸な旅行記を見かけなくなりました。
    小生、自分なりに納得するものだけを作成する様、心がけております。

    本年も亦何卒宜敷くご高配の程をお願い申します。



    横浜臨海公園

    naniwa lady

    naniwa ladyさん からの返信 2011/01/10 11:39:10
    RE: あけましておめでとうございます。8(*^o^*)8naniwa 
    お金も暇もないのですが、自己満足というのは当たっていますね。(笑)そうですねぇ。。公開しているのだから、もっと質をアップしないといけないかもしれないけど、私に関して言えば、私の楽しい旅の記録を書く(自分の旅の証として)、そしてそれがたまたまアップされているというスタンスですねぇ。。。
    それから遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。こんなトンチンカンな私ですが、暖かくお見守りくださいませ。よろしくお願いしまーーす。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/01/10 12:12:45
    ご安心ください
    naniwa ladyさま、早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。


    ご安心くださいませ。
    小生の件の掲示板の書き込みはnaniwa ladyさまの事ではございません。
    第一、小生がnaniwa ladyさまの旅行記を批判的立場で見ているなら投票は言うに及ばず訪問すら致しません。
    それにしても、昨今の他の会員の旅行記を見ていると、此れが旅行記なのかと疑問を抱きたくなる様なものが目立ちます。
    次の旅行記、期待してお待ち申し上げております。



    横浜臨海公園
  • zzr-cさん 2010/12/05 17:59:57
    じっくり読ませていただきました。
    横浜臨海公園さま こんばんわ!

    横浜臨海公園さんのブログは私が何処かに遊びに行った旅行記とは
    別次元の物になってますね^^;

    歴史的背景を調査されたのか知って見えたのかわかりませんが、
    このような歴史があり、そこを取材される、面白い手法です。

    当時の政府は今回のような特例を他所でも下していたのでしょうか?
    たまたま、印南矢板両者の請願があったからなのでしょうか?

    不毛な土地の改革は三島知事(あってますか?)の協力がなければ
    那須開墾社の開発は難しかったのでしょうか?

    また時代の背景で栃木県南部、長野県、富山県、及び、愛媛県からの
    入植者が成功の一つですか?
    もし、地租改正法施行前後の事業開始だと失業士族が大量公募があったと
    したらどうなっていたとお考えでしょうか?

    私は難しい事は解りませんが横浜臨海公園さんは三島さんの
    低い評価は腑に落ちず、もっと高い評価を得ても良いとお考えなのですね。

    質問ばかりになってしまいましたが、こうした歴史を掘り下げて
    文献を調べらる精力的なのが横浜臨海公園さんの凄い所です。
    私が調べようとしても何処で調べれば良いか解りません^^;

    じぃ〜

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2010/12/06 16:18:14
    拝復
    zzr-cさま、こんにちは。


    > 横浜臨海公園さんのブログは私が何処かに遊びに行った旅行記とは
    > 別次元の物になってますね^^;
    →スタイルが変わっただけで別ではございませんよ!

    > 当時の政府は今回のような特例を他所でも下していたのでしょうか?
    →知られた所では蝦夷地や九州阿蘇で失業士族対策で行っております。

    > 不毛な土地の改革は三島知事(あってますか?)の協力がなければ
    > 那須開墾社の開発は難しかったのでしょうか?
    →三島でなければ困難だったと考えております。

    > また時代の背景で栃木県南部、長野県、富山県、及び、愛媛県からの
    > 入植者が成功の一つですか?
    > もし、地租改正法施行前後の事業開始だと失業士族が大量公募があったと
    > したらどうなっていたとお考えでしょうか?
    →失業士族の不平不満が和らぎ明治9年から翌年にかけて全国で頻発した反乱事件も気勢をそがれた形になっていた可能性がありと思います。

    > 私は難しい事は解りませんが横浜臨海公園さんは三島さんの
    > 低い評価は腑に落ちず、もっと高い評価を得ても良いとお考えなのですね。
    →はい、そのとおりです。
    > 質問ばかりになってしまいましたが、こうした歴史を掘り下げて
    > 文献を調べらる精力的なのが横浜臨海公園さんの凄い所です。
    > 私が調べようとしても何処で調べれば良いか解りません^^;
    →国会図書館憲政資料室がよいかと思います。


    横浜臨海公園

    zzr-c

    zzr-cさん からの返信 2010/12/09 11:10:27
    RE: 拝復
    横浜臨界公園さま こんにちは!

    返信ありがとうございます!
    そしてメールまで頂ありがとうございました。

    > > 横浜臨海公園さんのブログは私が何処かに遊びに行った旅行記とは
    > > 別次元の物になってますね^^;
    > →スタイルが変わっただけで別ではございませんよ!
    >
    > > 当時の政府は今回のような特例を他所でも下していたのでしょうか?
    > →知られた所では蝦夷地や九州阿蘇で失業士族対策で行っております。

    北海道の開拓もこの時期から始まったんですね!
    九州は阿蘇の地でも、国有地の開拓を民間に奨励したんですね!
    開拓する人たちも期待を胸いっぱいにして行ったのでしょう。
    >
    > > 不毛な土地の改革は三島知事(あってますか?)の協力がなければ
    > > 那須開墾社の開発は難しかったのでしょうか?
    > →三島でなければ困難だったと考えております。

    三島さんの理解を得たのが成功の大きなカギのようですね。
    行政でも国政と違い地方公共団体は首長のトップダウンが効きやすいのも
    背景にはあるかもしれませんね。

    > > また時代の背景で栃木県南部、長野県、富山県、及び、愛媛県からの
    > > 入植者が成功の一つですか?
    > > もし、地租改正法施行前後の事業開始だと失業士族が大量公募があったと
    > > したらどうなっていたとお考えでしょうか?
    > →失業士族の不平不満が和らぎ明治9年から翌年にかけて全国で頻発した反乱事件も気勢をそがれた形になっていた可能性がありと思います。

    成程、開拓事業の最中であれば、反乱する気力は無かったかもしれませんね。
    もしかしたら政府も反乱が頻繁にあったので那須・蝦夷・阿蘇の開拓を
    許可したのかもしれませんね。

    > > 私は難しい事は解りませんが横浜臨海公園さんは三島さんの
    > > 低い評価は腑に落ちず、もっと高い評価を得ても良いとお考えなのですね。
    > →はい、そのとおりです。
    > > 質問ばかりになってしまいましたが、こうした歴史を掘り下げて
    > > 文献を調べらる精力的なのが横浜臨海公園さんの凄い所です。
    > > 私が調べようとしても何処で調べれば良いか解りません^^;
    > →国会図書館憲政資料室がよいかと思います。

    国会図書館の憲政資料室、私は正直中学以来図書館に行った記憶が・・・

    図書館と言えば私が住む隣の市、春日井市の市役所近くに文化フォーラムが
    出来て、そこに図書館が入ったような事を聞きました。

    文献等あるのか解りませんが、太平洋戦争あたりで
    一度リサーチしてみようと思います。

    じぃ〜

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