2010/08/09 - 2010/08/18
712位(同エリア1835件中)
rusさん
さて、第一回の旅行記を始めたいと思います。
これは約45日間にわたる大?旅行記の第一部という位置づけになっています。
第一部はモスクワということで、お楽しみいただければ幸いです。
今後は、モスクワ→アルメニア→ナゴルノ=カラバフ自治共和国→グルジア→ウクライナ→モルドバ→沿ドニエストル共和国→ウクライナ→ベラルーシ→リトアニア・・・と続けていく予定です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
出発の瞬間です。
大学の夏休みが突入し、いよいよ人生で最も暇な2か月が始まりました。
写真は成田空港第一ターミナル駅にて。 -
かの有名な?アエロフロートロシア航空の機内食。
意外においしかったです。 -
空港から鉄道に乗り換え、モスクワ市内中心部を目指します。
実は、この直前に親切な日本人の方に会い、結局ホステルまで送ってもらうことになりました。
写真はベラルーシ駅。
ロシアの駅は、そこから発着する列車の行先方面が名前になるというシステムをとっています。
よって、ここからはベラルーシ方面に向かう列車が出発することになります。
ちなみに、第二次世界大戦(ロシアでは大祖国戦争)が終了し、ベルリンから帰ってきたソ連兵たちが降り立ったのもこのベラルーシ駅となっています。
歴史に重みのある駅ですね。 -
上で紹介したベラルーシ駅に飾ってあったモニュメント。
これは対ドイツ戦頑張ろう!のモニュメント。
Вставай, страна огромная,Вставай на смертный бой
という文字が見えるでしょうか?
これはソビエト軍歌の中でも、最も有名なСвященная война(聖戦)という曲の冒頭部分の歌詞となっています。
名曲なのでyoutubeで聞いてみてください。 -
ベラルーシ駅に到着後、例の日本人に連れられて日本食レストランへ。
ロシアは現在、空前の日本食ブーム。
モスクワだけでも約2000の日本食レストランがあるというんだから驚きです。
僕はエビのから揚げをいただきました。
ここで知ったのですが、この日本人、どうやらロシアの声というラジオ放送局の日本人アナウンサーらしい・・・
ロシアの声というラジオ放送は、もともとソ連時代にはモスクワ放送という名称で広く知られていました。
しかも、コメンテーター的なものを募集しているそうで、なぜか一般人の僕がラジオに出演依頼されてしまいました。
個人的にはわざわざ市内まで連れてってくれたこの人に感謝の気持ちを伝えたいという気持ちや、「ラジオ出演とかマジぱないっすww」という気持ちがあったので、二つ返事で了承。
これについては後程。 -
「赤い月」
これが最初に僕の頭に浮かびました。
なかにし礼さんの「赤い月」という小説は、太平洋戦争中の満州を生き抜いた一人の女性の物語です。
満州一帯は、季節によっては本当に月が真っ赤に見えるそうです。
これは・・・
「とうとう終わっちまうんだな・・・俺の人生・・・」
と思わず感じられるような空の色。
そうです、日本でも紹介されていたモスクワのスモッグです。
もともとモスクワ近郊には泥炭と呼ばれる、燃料の一種が埋まっています。
植物が死んで、それが堆積したものだって言うのだから、要は原理は石油と同じようなものです。
天然資源に困らないロシアですが、こんなのもあるんですね。
それで、これに今年の夏の猛暑の影響で火が付いたわけです。
いくら消火しても、消火しきれません。
ロシアではロシア語の練習を兼ねて新聞を読んでいたのですが、モスクワ滞在の前半はほとんど消火活動がトップに来てました。
この影響でかなりの人が亡くなり、家を失いました。
その時の煙がモスクワ中心地まで流れてきたというのが、このスモッグの原因です。
僕のロシア人の友人によると、この時に一日中外にいることは、タバコ七箱吸うことと変わらない、という。
ヘビースモーカーの多いロシアですが、さすがにこの煙には参ったようで煙の日には通りにほとんどだれもいませんでした。 -
煙。
そのまま今日はホテルに向かいました。
日本人と一緒にいたオセチア出身の少年がホテルまで案内してくれました。
助かった・・・ -
次の日です。
これはみなさんもご存じの赤の広場(レアな煙ヴァージョン笑)
ソビエト時代は共産側の本拠地でしたからね。
その規模と言ったら異常でした。
昔からここに行きたくてしょうがなかった僕は、革命広場の駅を下車後、できるだけ下を向いて歩いて行きました。
赤の広場の中心でバァッと頭をあげ、すべてを見渡したかったからです。
そして門を通過、「ここらへんでいいだろう」ってところで頭を上げる・・・
感動しました。
朝だったので人がほとんどいなかった赤の広場に、煙の中にぼんやりと赤いシルエットが浮かび上がる・・・
もう満足でした!!! -
歴史博物館です。
007シリーズをみなさんは知っているでしょうか?
そのゲームでエブリシング・オア・ナッシングというゲームがあったのですが、この博物館の横を通り過ぎるシーンがありましたね。 -
これはレーニン廟。
文字通り、レーニンのお墓です。
実は革命の指導者レーニンはこの部屋の中で「特殊保存」されています。
中での写真撮影は勿論のこと、カメラの持ち込みも厳禁とされています。
入場無料で、僕も入ったのですが・・・
すごかったですね・・・
レーニンと対面したわけですよ・・・
あのレーニンと・・・
1961年まではレーニン・スターリン廟という形で、グルジア人ヨシフ・スターリンも一緒に「寝て」いました。
また、この建物の歴史的意義は建物内だけではありません。
ソ連時代には毎年戦勝記念日の5月9日と十月革命記念日(11月7日)に大規模なパレードをするのですが、その時にトップの政治家たちがこの建物の上に立つわけです。
その順番から、次の後継者を予想することができたんです。
これだからソ連研究はやめられません。 -
スパスカヤ塔。
クレムリンの周りには合計20の塔がたっています。
これはそのうちの一つですが、もっとも有名なものです。
イタリア人の建築家によって建てられていたようですが、ついこの前今まで行方不明だったイコンがこの塔で見つかったようです。 -
ロブナエメスタ。
このでっぱりに立って、皇帝がさまざまお触れを発表しました。
また、ステンカラージン(ロマノフ朝の最初のほうで反乱を起こした人)もここで処刑が言い渡されたそうです。 -
お気に入りの一枚^^
-
ロシア下院
ドゥーマと呼ばれています。
ちなみに上院はクレムリンの中にあります。 -
ジューコフ元帥。
ソ連の軍人で一番有名な人かもしれません。
ソ連軍と日本軍が衝突したノモンハン事件の際に指揮を執った軍人です。
また、スターリングラード攻防戦では、ドイツ軍を逆包囲する「天王星作戦」を立案しました。
ソ連崩壊後も銅像が赤の広場の真ん前という絶好のロケーション(笑)に飾ってあるとは・・・
ちなみに、ソ連時代の建物や銅像はかなりの数残っています。 -
-
ボリショイ劇場です。
ボリショイとはロシア語で大きいという意味。
ロシア芸術の中心地であるモスクワで最も有名な劇場です。 -
マルクスの胸像です。
ボリショイ劇場の真ん前に置いてありました。
文字は、
「万国の労働者よ、団結せよ」
これは1848年に出版されたマルクスとエンゲルスの大作、『共産党宣言』の最後のフレーズです。
共産主義とは何か?
資本主義はどうなるのか?
革命を通して何がなされるべきなのか?
など非常に示唆に富んだ内容となっています。
ぜひ一読をおすすめします。 -
塔?
ただ、ロシア共産主義に貢献した人々の名前が彫られています。
マルクス・エンゲルスは勿論のこと、プレハーノフやプルードンの名前まで。
設立理由などは次に行ったときに調べてみます。 -
ルビヤンカこと、旧KGB本部。
KGBは1956年に作られた、いわゆる秘密警察です。
秘密警察自体は、革命直後からチェカ、GPU、OGPU、NKVDなどと名前を変えて存在してきました。
ルビヤンカというのは場所の名前で、今でもルビヤンカ駅というメトロ駅があります。
ただ、ルビヤンカといえば大抵のロシア人がこの建物を想像するでしょう。
この地下で行われたといわれる拷問の数々はまだすべてが明らかになっているわけではありません。
あのモロトフの妻もここで拷問されたことがあるといいます。 -
パルチザンスカヤ駅。
モスクワの地下鉄駅は非常にきれいです。
清潔って意味でもそうですが、彫刻や絵画などがとても精巧なものが多いです。
しかも、駅によってそれぞれ独自色を出しています。
たとえば、このパルチザンスカヤ駅の由来は日本語で地下抵抗者?を示すパルチザン。
第二次大戦中、軍隊に入った者だけでなく、たくさんの一般市民が武器を手に取りました。
彼らは勇敢に戦い、そして死にました。
そんな彼らを称えたのがこの駅です。
別の駅は後程紹介しましょう。 -
きれいな駅。
パルチザンスカヤ駅構内。 -
これはロシアの外務省。
所謂スターリン建築の一つです。
モスクワにはスターリン建築の建物が7つ(厳密には8つ)あり、その中でも僕のお気に入りがこの外務省です。
スターリン建築を日本語で説明するのは難しいのですが、一番の特徴はそのシンメトリーにあると思います。
ほかにもいくつかあるので、それは後程紹介しましょう。 -
ここで僕が滞在していたホステルについて紹介したいと思います。
一泊千円。
最高級ホテルがひしめくモスクワ中心部では破格の値段といえるでしょう。
写真を見ていただければわかるように、さまざまな国からの旅行者でにぎわっています。
大体夜の9時くらいに飲み会が始まり、終わるのはいつも朝の3時くらい。
僕はたまにしか最後まで参加しなかったのですが、それでもきつかったです。
でも、にぎやかくらいの方が一人旅においては都合がいいものです。
一人で行動する時間も必要ですが、みんなと話すのもいい経験です。 -
彼はアゼルバイジャン人のスラヴィク。
日本語が話せるという謎の男(笑)
非常に親切な男で、毎日モスクワ市内観光に連れて行ってくれたり、一緒に飲んだり、騒いだり。
彼のおかげでモスクワ生活がだいぶ楽しくなりました。 -
トルクメニスタン人ことセルゲイ。
ウクライナ出身のトルクメニスタン人らしい。
こういうことは旧ソ連ではよくあるので驚きはしませんでした。
彼も非常に親切で、毎日僕のために料理を用意してくれるなど至れりつくせり。
僕のことを家族のように接してくれました。
現在はモスクワで仕事中。
モスクワはロシアの首都です。
しかし、状況は20年前とあまり変わっていません。
つまり、ソビエト連邦の首都でもあるということです。
当時はウクライナ人も、ウズベキスタン人も、アゼルバイジャン人も、トルクメニスタン人もみなモスクワに行くのにパスポートが要りませんでした。
もし給料がいい仕事がしたければ、みなモスクワに行くのが一番よかったのです。
これは現在もまったく同じだと思います。
さすがにパスポートは必要ですが、これらの国の人はいわゆるビザが要りません。
勿論、就労ビザは必要ですが、こんなの建前でしかない。
短期の入国にはビザがいらないのだから、入ってしまえばこちらのもんです。
というわけで主に中央アジアから大量のアジア人がモスクワに流れてきているわけです。
2030年までには、モスクワに住む第一勢力はロシア人ではなく中央アジアのイスラーム教徒だって聞けば、いかに大事かがわかるでしょう。
彼らが不法滞在者かどうかはわかりませんが、少なくとも彼らからすればモスクワはいい仕事場なのでしょう。 -
ちなみにこのとき朝の9時。
彼らはお酒が本当に好きです。
生きるためと言ってましたが、まさにその通りでしょう(笑) -
ロシアの秋葉原こと、ガルブーシュカ。
電化製品やDVDなどが大量に売っています。
例のスラヴィクが連れてってくれました。
個人的には何か日本のアニメをお土産にしようと思ったのですが、なかなか見つかりません。
結局、この日はあきらめて別の日にすることに。
スラヴィク、ごめんね^^; -
ロシア料理店にて。
これはMy-My(ムームー)というロシア料理店ですが、値段も手ごろでモスクビッチ(モスクワ市民)にも大人気です。
シャシリク(バーベキュー)やボルシチなどを頼んで1500円程度。
物価が東京並みに高いモスクワでは一息つける場です。 -
イタルタス通信。
ソビエト時代から有名な通信社で、現在はロシア連邦の国営企業となっています。
イタルはИнформационное телеграфное агентство России(ロシア情報伝達機関?)という意味で、タスはТелеграфное агентство связи и сообщенияの略です。
ただ、ソ連時代はТелеграфное агентство Советского Союза(ソビエト連邦伝達機関?)という名称でした。
当時はマスメディア(主に新聞)を牛耳っていたのはこの会社で、旧KGBやNKVDなどの諜報機関に情報を提供していたといいます。 -
ロシアのマクドナルド^^
-
スターリン建築の二つ目です。
たしかモスクワ大学?だった気がします。
ロシアの東大であるモスクワ大学は、ソビエト時代から有名な大学でした。
ゴルバチョフもこの大学の法学部出身です。
また、僕が尊敬している外交官、佐藤優さんもこの大学で教鞭をとりました。 -
どこかの駅で見かけたモニュメント。
ソ連を一つの大木にして、そこに15の民族(ソ連構成共和国)が暮らしているという図。
少数民族の存在をがん無視だったのですが、こういう展示が今でもあることが驚きです。 -
現代史博物館。
ソ連・ロシアに関する展示が中心となっていました。
ソビエト政治に興味のある僕にとっては非常にありがたかったです。 -
これはモスクワ内務省です。
内務省がモスクワ市専用にあるのだから・・・
ロシアはすごい国だと思います。
ちなみに、ロシア連邦の内務省は別にあるのであしからず。 -
このきれいな女性をご存知でしょうか?
サプチャークという名前で、実はこの父親は昔サンクトペテルブルクの市長をやっていました。
この市長は、なんとプーチンの師匠。
プーチンが現在の位置にいるのは、この人のおかげといっても過言ではありません。
KGBに所属していたプーチンを市政に招いたわけです。
ちなみに、プーチンとメドヴェージェフの二人はサンクトペテルブルク出身(サンクトペテルブルク大学出身)。
出身地もロシア政治では重要なカギとなります。
あ、娘の方に話を戻します。
ロシア人の友人によると、奇行はあるけどデザイナーとしては一流らしい。
しかも、宇宙旅行に行こうとしていますからね。
面白い人です。 -
ルビヤンカの裏。
僕は上のソ連マークをとっていたのですが・・・
いきなりこんな怖いおじさんたちが出てきて、本当に焦りました。 -
カラオケ大会の告知。
でも、商品がペリメニ(ロシアの餃子)100万個(笑)
いらないし、だれがそんなに食べるんですかね・・・ -
「シャワーのために心のために」
ロシアの看板は見ていて飽きません。
ロシア人のユーモアのセンスは本当に感心します。 -
聖ヴァシリー寺院
モスクワといえば、これか赤の広場でしょう!
これは雷帝イヴァン4世の治世下で完成したものですが、あまりの美しさに皇帝が感激し、二度とこれ以上のものができないように作った建築家の目をくりぬいてしまったという。
恐ろしい話ですが、本当に美しかったです。 -
ヴァスクリセンスキー門
もともとは非常に由緒正しいものでしたが、「軍事パレードの邪魔になる」と言って、スターリンが破壊してしまいました。
ソ連崩壊後に再建されました。 -
友人たち。
実は監視カメラが取り付けてあって、タバコを吸ってるとばれてしまいます。
だから、監視カメラをよけるようにして窓際で吸っている彼ら。
どうしても外に出たくないようです(笑)
黄色いズボンをはいているのが、初登場のヴァレリー
ウクライナ人なのですが、セルゲイの相棒としてモスクワまで出稼ぎにきたわけです。
妻子持ちの34歳なのに、仕事嫌いで大の酒好き。
しかも、売春にはまってしまい、みんなで夜中まで説教することもありました。
今のところ紹介した三人はみんなロシア語が母語です。
スラヴィク以外は英語も話せないので、いいロシア語の勉強になりました。 -
さて、日を新ため、友人たちと遠足に行くことに。
左からスワジランド人、コロンビア人、日本人と全員がそれぞれ別の大陸?代表となっています(笑) -
ソ連の科学技術のすごさがわかる、宇宙飛行士の博物館。
モニュメントが明らかにソ連時代に作られたものばかり・・・ -
宇宙飛行士博物館で、僕と握手!
-
-
-
-
Всероссийский выставочный центр(全ロシア博覧センター)
もともと、全ロシア農業博覧会という名前でソビエトの農業振興を目指す博覧会だったのですが、そのうち科学技術や各ソビエト構成共和国の文化を広める役目を担うことになりました。
その中にはウクライナやウズベキスタンパビリオンなどがあります。
ソ連崩壊後、現在の名前に改称されたのですが、社会主義テーマパークの名残をいまだに残しています。
とにかく建物がデカい&無駄!
ロシア市民の憩いの場になっているようなので、無駄と言っては失礼かもしれませんが・・・
あと、ものすごく広いです。
先ほど紹介した宇宙飛行士博物館の隣にあるので、時間があればぜひ行ってみてください。 -
モスクワでは珍しいレーニン像。
-
よくわからない噴水。
-
ロシア式の水まき。
前に紹介しましたが、この時のモスクワは熱いわ、煙がひどいわの状態でした。
日本ではスプリンクラーが主流だと思いますが、ロシアではまき方が違う!
トラックで、ぶわーっていくもんだから通りを歩く市民にかかりまくります。
男性はゲラゲラ笑ってますが、若いネーチャンあたりになると、運転手に向かってマジ切れ・・・
この写真は公園内ですが、赤の広場から歩いて1分のところにもこの水撒き機が登場し、派手に水をかけまくっていました。 -
愛国心丸出しのバス。
-
博覧会近くで見つけたラーダ。
ロシア車といえば昔から性能が悪く、「ウォッカをタンクに入れれば動く」という都市伝説があるくらいのものでした(笑)
最近は性能も安全性もアップしたようで、デザインも西欧のものと変わらないくらいになっているらしいです。
ラーダの中ではやはりニェーバが有名で、モスクワだけでなく後に訪れたナゴルノ=カラバフ共和国でも元気に走っていました(笑) -
これは誰でしょう?
そうです(笑)、マルクスの盟友であるフリードリヒ=エンゲルスです。
マルクスについては以前触れましたが、彼の銅像もまだまだ残っています。
しかも、場所はロシア正教会の教会前。
うーん・・・
無神論者でガチガチの共産主義者であるエンゲルスの前にそびえるのがロシア正教でも有数の大聖堂とは・・・
この教会ですが、結局彼の弟子の弟子(間接的な)であるスターリンが1931年にぶっ壊してしまったのですが・・・
しかも、そののちにソビエト宮殿なるものを作ろうとした上、最終的に屋内プールにしてしまいました。
ちなみにこの聖堂はソ連崩壊後に再建されました。 -
入るな!
という看板を無視して日向ぼっこをするモスクワ市民・・・ -
モスクワの日本レストランです。
名前はЯпоша(ヤポーシャ)
意味はなんと、ジャップ。
思わず日本人なら怒り出してしまうような名前なのですが、こんな店がいくらでもある。
ほかにもいくつか日本を揶揄した店がありましたが・・・
意味を知ったときは、あまり気持ちのいいものではなかったですね・・・・
日本だったら、露助っていうロシア料理屋があるようなもんですからね・・・・
ちょっと信じられないです(笑)
そういえば、日本はロシア料理屋の数が極端に少ないと思います。
高田馬場駅の真ん前に一件ありまして、大学から駅まで歩いているときにいつも目に入るのですが・・・・
今度ランチに行ってみます。 -
ロシアの面白看板。
祖国への愛は、家族から始まる。
う〜ん・・・
離婚率が高いロシアにとっては耳の痛い話ですね。 -
8月15日。
日本は終戦記念日の中、モスクワはまたもや煙が発生しました^^;
この日はпарк победы(パルク・パベードゥイ ロシア語で勝利公園)に遊びに行きました。
日曜日だったので仕事が休みだったスラヴィクに連れて行ってもらいました。
勝利公園という名前が示すように、これは第二次世界大戦の対独戦争勝利を祝して1958年に完成したようです。 -
途中に寄ったビル街。
モスクワも中心部は歴史的に重要な建造物が多くあるため、このようなビルは景観をダメにするという理由から巨大なビルはほとんどありません。
しかし、電車に乗って少し行くだけでこのようなオフィス街があるわけです。
まあ、これらは今急ピッチで建設中のものなので、最寄駅もがらんとしていました。 -
そんなオフィス外近くで見つけたイクラの自動販売機(笑)
確かにおいしいけど、自販機で買うものではない気がするが・・・ -
そんなんで到着!
この広さ、流石ロシアとしか言いようがない・・・
煙で少し曇ってるのが残念。 -
この日はちょうど何かの式典が行われていました。
勲章をたくさんつけた将軍様や、行進しまくっている兵隊さんまで・・・
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
63