2010/10/10 - 2010/11/09
52位(同エリア296件中)
チャウさん
♪聞け万国のトレッカー エベレストはいいぞぉ〜 スケールが段違いに違う。百文(聞)は一見に如かず。と言うが、まさしく行って見なければ、ヒマラヤの迫力の解ってもらえない。自分がそうだったから。
何せ山の高低差が大きい。頂上からスパァッと2000Mから3000M落ち込んでいるのを、目の当りにするのだから。
ルクラまでの飛行機が取れず、ジリから歩くことになった。
ジリからポーターを1日1000RP(13ドル)で雇い、御大尽様になったような気分でした。出入り1か月の旅でしたが、高山病には罹らず、毎日快足、快食、快便でした。
ダジャレ句やパクリ和歌をずいしょにいれてみました 。
1、もういくつ寝るとエベレスト編
カトマンズにたどり着けるまでの旅たち準備
2、暑さ寒さもルクラまで編
カトマンズからルクラまでの現地手配など
3、ナムチェの急坂にわれ泣きぬれてポーターに頼み込む編
高山病の対策など うん蓄をひとくさり
4、今日はゴキョウの丘の上編
ゴキョウまでのヒマールを眺めて歩く長路
5、エベレスト 今日は何所までいけるやら編
チョラ峠を越えてカラパタールまでの苦闘
6、豪勢やな月とお日様下に見て編
カラパタールの様子
7、秋の夕日に照る山チュクンリ編
カラパタールからチュクンリ
8、下り道 一歩一歩のあたたかさ編
チュクンリからナムチェまでの下り坂
10、知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道振り返れば
はるか遠くエベレストが見える編
11エベレスト浜の真砂は尽くるともトレッキングの人は尽きまじ編
ルクラよりカトマンズ
12、おもしろき世を さらにおもろく おもしろく編
あとがき
夢なんて見るもんじゃない語るもんじゃない叶えるもの(安室奈美恵)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 1.0
- グルメ
- 1.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス バイク 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1章 、もういくつ寝るとエベレスト編
昨年(09)家業を甥っ子に譲り、自由人になった私は、たっぷりの時間と、ちょっぴりのお金と、大きな冒険心を持った59歳のおじさんです。おじん臭さに加え、加齢臭とカレー臭がごっちゃになって、メッタ汁(どうも石川県だけの呼び方のようで、ブタ汁のような物)のように、いろんな味が出ていると、自称自覚しています。
つれずれなるままに 日暮硯に向かいて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ吉田兼好の徒然草のあまりにも有名な序文である。現在の自分に書き改めると次のようになる。
つれずれなるままに、日暮パソコンに向かいて、心に映りゆくエベレストに、そこはかとなくパクリ創くれば、怪しゅうなるも旅行記できあがる。
航空券をとってからの半年以上、毎日毎日指折りながら、いろいろなHPから使えそうな言葉を抜出し、行ってもいない旅行記を書いていた。
2月に大体の予算を立ててみた。
1ドル=96円=120RP=1000ウォン
韓国内 2日 100ドル
カトマンズ20ドル×3泊 60ドル
交通費100ドル×2 200ドル ルクラーカトマンズ
ガイド兼ポーター 8ドル×25日200ドル
ロッジ2ドル×25泊50ドル
食事5ドル×25日125ドル 計735ドル
ほかに
航空券マイレージ5万マイル
日本国内交通費 夜行バス2500円
成田ー上野 2400円
上野ー金沢
お金はいくら持っていけばよいか考え何所だが、楽天家である私は52000円と1500ドルと前から持っていた21万ウォンしか持っていかなかった。もしもの時にはカードがあるさと暢気に構えていた。
結果的には
韓国内60ドル(ウォンを使用)
カトマンズ20ドル×5=100ドル
交通費(ルクラーカトマンズ片道)115ドル+10ドル(手数料)
ガイド兼ポーター 13ドル×25日325ドル(チップを含む)
ロッジ3ドル×22日=66ドル
食事8ドル×26日=208ドル
山の中のロッジはどこもあまり変わりはない。食事はものすごく高いと思う。無視できないのが、水で高いところでは1リットル325RPもしており、コーラやビールもそれくらいしていた。
2月に96円もしていたドルが、9月24日もう底値だろうと、12万円(1391ドル)だけ両替してくる。13日の新聞では83.94円しかし実際に買うには、手数料がかかるため、銀行でも郵便局でも86.22円だった。翌15日、管と小沢の総理選の影響か、急騰して83.22円の72銭円高になった。たかが72銭といえども、1000円の違いが出た。
昨日為替の係りの人が言っていたのは、11時にレートが切り替わるそうだ。前日より円高だったら、
11時以降に換金し、円安だったら11時以前に買えばよいということ。
しかし、16日になると政府は6年半ぶりに為替介入、途端に2円25銭安の85.47円に。11時を境に3120円の違いは大きい。円安の時には見合せばよいが、円高の時には朝1番に替えに行かなければいけない。航空券はマイレージ(格安では8万円くらい)とはいえ、トータルで11万円ぐらいで1か月の旅行を終えることができた。
大韓航空は月曜日と木曜日に、仁川からカトマンズに飛んでいるので、10月10日(日)に成田から仁川に行き、翌11日にカトマンズまで行った。
仁川には1泊しなければいけないので、インスパという大型サウナにて安くつけた。まずは空港より306番のバスに乗り、中華街へ行く。空港でキムチを買って野菜不足に備えた。
以下 仁川トランジット編(カミングスーン) -
♪いい日旅たち 今日から一人きり 旅に出る
ああ ネパールのどこかに私を待ってる人がいる
いい日旅立ち 夕焼けをさがしに♪
大韓航空は非常にサービスが良い。まずスチュワーデス(以後CA)がよい。
作り笑いが自然である。日本のはよくない。機内食はビビンバだった。
デザートはアイスクリームでどうもハーゲンダーツのようだ。
お酒はタダ。隣のおっさん欲に絡んでしきりにワインをもらっている。
CAがミニチュア瓶のウィスキーを持って歩いていたので、
俺にもおくれよと、ずうずうしく頼むと2瓶快くくれ、
もっとずうずうしくなってキャビンまで行きもう1瓶貰った。
実は自分はひどい下戸である。エベレスト様にお供えするのだ。
機内の気圧は 830 hpa 前後になっているそうで、
この気圧は 1,700 m の山に登ったのとほぼ同じです。
もしも台風だったら超超大型台風です。
徐々に気圧を上げたり、下げたり調節する。
だいたい気圧が 50-100hpa 変化すると、
つばを飲み込む。赤ちゃんがムズがるのも気圧のせいです。
もし、1万M上空で1気圧にすると、風船みたいに爆発してしまうそうです。
機がネパール領空に入ると、右手にヒマラヤ山塊がズラーっと見渡せる。
最初に見えるのはカンチェンジュンガだそうだ。
西端を飾るカンチェンジュンガからランタンヒマールまで一望できる。
またエべレストもよく解らないがそれらしい山が見える。
その東のマカルーの南西壁もスパッと切れ落ちている。
大きさではアコンゴアのある南アメリカのアンデス山脈(750km)に及ばないけれど、世界最高峰のエベレスト(8850m)を始め8000m峰が14座、
7000m峰は100座以上もある、まさに世界の屋根と言われる、大山脈である。
天空の首都カトマンズ(加徳満都)に着く
直前に箱に入った厚,熱アツのピザパイが出てきたすごくうまかった
ヒマラヤは遠くにありて想うもの(そんなことありません)
ヒマラヤに向いて言うことなし、父母の恩はありがたきかな(石川駄羅那僕) -
人類にとって小さな第1歩だが わが人生においては大きな1歩である。(フットストロング歩行士)
トリブバン国際空港(Tribhuvan・KTM) トリブヴァンというのは、第8代国王の名前だそうだ。清水建設が日本の援助で作ったそうです
ラジオでちょっと面白い話を先月していた。なんでも、この空港近くに大学があり、中間試験の答案用紙を警察の保管庫に3か月もほっといたら、ネズミが食い散らしてしまい、判読不明になってしまった。ネズミが住み着いている警察も問題だが、3か月もほったらかしの試験って何の意味があるのだろう。
写真は各地に向かう飛行機たち -
1か月のビザをもらい外に出ると沢山の人が出迎えてくれる。
フジホテルと書いたボードを持った人がいる。日本出発直前に予約をしたが、丁寧に断りのメールが届いた。ひょっとして泊めてくれるかもしれないと近寄ると、満面の笑みを浮かべ満員だ、ドミはもうやっていないと言う。HPにはドミがあることになっているぞ。他のホテルに案内するという。
ぼろタクシーに乗せられて市内にむかう。ホテルは決まっているのかと聞かれ、
ホリーワーカーにしようと思っていると言うと、近くにあるよと言う。ははーん、こいつはキャッチマンだったなと解ったが、成り行きにまかすことにする。
この人は結局ASAHIトラベルの人で、日本のHPでも載せている会社なので信用しろだって。トレッキングの世話をすると言うので話を聞くだけにする。
ガイドは1日19ドル、ルクラへの飛行機は115ドルでどうだと来た。ガイドはポーターでよく1日10ドルだと断り、飛行機だけを頼んだ。明日の便は取れず、明後日の第3便の予約が取れた。1時間ほどで航空券が届いた。
2009年2月にも30%近く値上げされたが、
ネパール国内線2010年2月10日より再値上げ
カトマンズ−ポカラ 91USドル→ 92USドル
カトマンズ−ルクラ 113USドル→ 115USドル
マウンテンフライト Yeti Air 151USドル→154USドル
Buddha Air 156USドル→160USドル
飛行機は道路も要らず、補修も要らない。足元を見たぼったくり -
ホリーランドホテルは、自分一人では探し当てるのは難しいようなところにあった。入り口がローカ分しか開いておらず、少し奥に入ってから2階に上がらなければならない。安宿としてはまだきれいな方である。
シングルがあるかとも聞かずにドミにする。300RP(5ドル以下)
シャワーやトイレはみなさん気を付けているのか結構キレイである。屋上には洗面器を4段積み重ねた濾過器が設置されている。後ろの塔は携帯のアンテナでカラスの休憩場所になっている。手前は太陽熱利用のパネルで、利用可能の赤いランプが点いていた。
向かいのモモスターへ食事に行く。
ここは地球の本にも紹介されている有名な店だそうで日本人がいっぱいいる。
モモ75RPスプライト2本チャイ1敗で75RPだった。
カトマンズについてから、妻には毎日生存しているのを報告するために持たされた携帯が使えなかった。今回のためにわざわざ新しく買い換えたもので、ドコモの人は、現地に着いたらスイッチを入れるだけで通じますよと楽なことを言っていたが、設定が必要のようだ。
同席された人に設定をお願いする。この方は自分のものなら解ると、
わざわざホテルに自分の携帯を取りに帰り、参考にして設定してくれた。
写真は、目印の祠。ここの向かいの小路へ入った左側にある。 -
2010年10月12日(火)
朝の出し物に行く。つい日頃の習慣で処理物を落としてしまう。詰まっても知らない顔をしていよーっと。
タクシー(100RP)に乗って管理事務所に行く。HPから抜書きしていた住所では解らなかった。通行人の方に電話してもらい聞きながらやっと着いた。トレッキング許可証(1450RP)と国立公園入場料(1000Pp)の支払いをする。沢山の日本人と外国人がいた。なんでもアンナプルナに行く人は2000RPで、現地に行ってしまうと4000RPになってしまうので、みなさんここで手続きするのだそうです。
手続きが終わり、人のよさそうな顔をした手伝いの人に、地図はないかと聞くと、売っていると言って事務所の倉庫から引っ張り出してくれる。450RPだったが、400RPの値段が貼ってある。これはなんだと聞くと市内では450RPだとの返事。まぁいいやと支払う。笑顔が屈託なく良かった。 -
今日はこれでしなければいけないことが済んだので、ブタニールカンタ(Budhanil Kantha)に行ってみよう。別段どこでもよかったが、カンタという名前が5年ほど前に死んでしまった愛犬と同じだからだ。タクシーに11KMだから500RPで頼む。
大体のKMを知っておくと折り合いが早い。アメリカ大使館の前を通り、正面の山にあった。
カンタ様は大きな寝仏で、日差しが強くて日よけを受けていた。御神体なので写真は取れない。ここには35年ほど前にネパールに来た時にも、自転車で来たことがあるぞ。足の両親指を両手で触ってお祈りを繰り返している。
小さな小さなアンモナイトを2粒2ドルで買う。そら豆ほどの大きさで真中が中空になっており、穴を覗くとアンモナイトの模様になっている。
村の裏山を1時間ほど登ると、尼僧院ナギゴンパがあり、カトマンズの町が一望されるとあったので、登り始めるが途中の立派な寺で、神の啓示がありやめてしまった。帰りはミニバスにて帰ってきた。15RP
トレッキングに出かけると 肉を食べる機会が少なくなるので、タメルのエベレストステ−キハウスでたっぷり肉食べた。ガ−リックソ−スが美味いですよ -
ホーリーランドのあんちゃんと一緒に、ダイアモックスを買いに行く。
薬屋ぐらいそこら中ににあると思っていたが、見当たらなかったから、あんちゃんに聞いたら、病院に行くから一緒についておいでと言われたからだ。
10錠100RP×4と、地元の風邪薬cetamol6錠25RP
シュラフを買いにタメールを歩く。シュラフには−20度と−10度−5度とランクがある。店の前にぶら下がっている−20度は、150ドルと言っているのを、70ドルまで下げるがそれ以上は下がらなかった。これは傷物だから売れないとか言い出す。どんな傷かと聞けば3か所ほど汚れているからと言う。そんな汚れなどノープロブラム、ノープロブラムと言い負かすが、だめだった。
考えてみれば、ロッジ泊りだから−20度は必要がなく、−10度にでよいと20ドルで、店の親父が引っ張り出してきたものを、よく見ずに購入してしまった。このシュラフとんでもない粗悪品だった。リュックも10ドルで買う。
今日の1句 アー言えばコーぼる -
ホリーランドのドミは4人部屋。3っつのベッドと、一番奥は地べたにマットを敷いてある。
1番奥が使い勝手がよく、物を自由に置ける。
中国とタイの混血ですと自己紹介されたAさんは、入り口に対して平行なのは風水が悪いとベッドの位置を変えている。
斉藤さんは、ジリから歩いてルクラまで来て、カラパタールからチョラを超えてゴキョウにルクラから10日で回って来たと言う。私より4,5歳上のように見えるが、15,6KGはありそうなリュックを背負い、3週間歩いていたそうだ。恐れ入る。
今日のルクラでまた飛行機がオーバーランしてしまい、とがっていた鼻先がへこんでしまって、飛べなくなってしまった。これからの稼ぎどころなのに、へまこいて泣いているそうです。先端部分だし、簡単に取り換えるのか、そのまま手打ちで、板金直しでごまかして済ますのか心配している。明日の飛行機にならないように祈ろう」
マッサージに行ってこようと、ホテルの目の前のマッサージ店へはいるが、10時までだからと断られてしまった。日本みたいにお客がある限り営業はないようだ。
3階のトイレが詰まって使えない。何所の誰かが紙を流したのだ。
しらないよ -
2010年10月13日(水)
朝7時にやることもないので、早めに出ることにする。タクシーに荷物を放り込み、エアーポート300ルピーOK? OKオアNO OKオアNO OKオアNOと3回繰り返したが、返事がないので荷物を下ろすと、しぶしぶOKの返事があった。
車中ネパールイズビューテフルカントリBUTカトマンズダティタウンとか今からルクラに行くのかと、非常に友好的雰囲気があった。空港近くになってチップをくれと言い出す。断固拒否し300RPきっちり払う。
空港の様子がおかしい。警備員がパスポートチェックしている。乗客もでかい荷物を持ち込んでいる。中に入ろうとすると、ドメスチック(国内線)はあちらですよと丁寧に教えてくれる。あの運転手めやりやがったな。300Mぐらい歩く羽目になった。こういうしっぺ返しを受けるのも一人旅の面白さ。 -
空港の中はごった返している。入場制限までしている。
SとPと書いたカードをぶら下げた人がやってきて、TARA航空の前に連れて行かれ、
8時になったら受付をしてもらえと言う。ここでお前はポーターか、ボランティアかと聞く。
これが失敗の元だった。返事もせずに行ってしまった。
この人たちにチップを払い、受け付けを頼めばよかったのである。
8時になっても9時になっても受け付けは始まらない。時たま係員が名簿を持ってきて、
搭乗券と荷物券を配りに来るだけ。第3便あたりになったので、他人の荷物の上に上がり、
覗き込むが、日本人らしい名前はなかった。
他の日本人と話をすると、3日前から飛んでいないし、前日にはオーバーランで空港が使えなかったらしい。デワァリの初日で大変な混雑で、他の航空会社はルクラには飛んでいないようである。 -
ガイドいわく、TARA航空はイエティの子会社で、3機保有している。今日は天気が良いので、3回は飛ぶ。3×3×20人で180人は運べると言うが、全然登山客風の人たちは減らない。3機のうち2機はデワァり客のほうにとられているに違いない。
空港内には売店も、トイレもない。そんなはずはないと思ってよく見ていると、
カウンターや重量計をまたいで中に入り込まなければいけない。2階にある小さなレストランもまたがないといけない。まるで従業員のためのもので、乗客が使いやすいようにはなっていない。
TARA航空の事務所は物置になっている。重量計で体重を測る。78KG服や重い登山靴を履いているので75KGというところか。この先どんな苦労が待っているのか楽しみだ。 -
もう3時近くになって、今日の飛行機はもう飛ばないことがわかり、解散となった。
アナウンスとかは一切なし。日本人の方と話し合う。彼らはもう1日挑戦すると言う。
3日目ということだ。私はジリから歩く決心した。当日券を持っていてもダメだったものが、
オープンチケットになってしまったのに、到底乗れるとは思えなかった。余程のコネがない限り。
ガイドはチケットにキャンセルのスタンプを押してもらえとか、
税金を払い戻してもらえとか、自分の客でもないのに親切に教えてくれる。
ガイドがタクシーの運ちゃんと、なにか言い争っている。
デワァリ割り増しをくれ。300ルピーじゃないといやだと言われたらしい。
やはり、来る時の300ルピーのしっぺ返しは妥当だったのだ。
ASAHIトラベルに行き、115ドル返金してもらう。
11月6日の帰りのルクラ便をとりなおしてもらう。
しきりに明日もう1度挑戦したらよいのにというが、
確実な日程のほうが良いと拒否する。
昨日行って断られたマッサージに行く。スパと言っているが、
シャワーと小っちゃいサウナががあるだけのようだ。
ディワリーに飛行機とられてバスの旅 -
2010年10月14日(木)
タクシーに200RPも払ってしまった。今日の不覚。真っ暗なオールドバスターミナルは大変な人ごみで埋め尽くされていた。まずは切符と売り場に行くが、押し合いへし合いらちが明かない。ジリ、ジリ、と叫んでいるうちに、あちらで並べと言うことが解った。
こちらも大変な行列だ。背の高い外人にジリかと聞くとそうだと言うので、切符を買ってくれと頼むと、イッツアアンフェアーと拒否される。それでも頼み込むと承諾してくれる。チャイ屋でチャイを頼み持っていくと、荷物を持っていてくれと頼まれた。
しばらくすると、やはり切符はすでになく、屋根の上で行く、お前も来るかとなる。憧れのバスの屋根の上だ。 -
ネパールの2階建てバス。乗客は外に足を出して座る。自分は危ないので、中心部の荷物の上に乗る。7時ごろに出発するが、全部のバスが一緒に出発するのではないかと思うほどだ。通りに出て、100Mも走らないうちに、バスが20台以上止まって、皆気勢を上げている。
スターティングフェステバルかと聞くと、そうだと言うが、どうもおかしい。警官は武装している。
その内、屋根の上の人間は降りて、向こう側に行けと言われた。ジャーマンもおりていく。自分は荷物から離れるのは嫌なので、車内に無理やりもぐりこむ。
どうもVIPが通るので、屋根の上に人が乗っているのは恥ずかしいと思っておろしたのではないか。1時間くらいのロスタイム。 -
ジリまでのバスは非常に楽しい。体が重いので、昇り降りはつらいがいろいろあった。
どういうわけかボールペンをなくしてしまい、メモが取れなくて忘れてしまった。
カトマンズ市内を抜けると、大きな仏像が見えてきた。HPで紹介されていた、最近できた観光スポットだなと思う。2時間ほどしたら、遠くに白い山々が見えてきた。去年登ったゴサイクンド、ランタンの山々だと乗客が教えてくれる。
昼食は、ダルバート。ネパールのプレート定食だ。食べるしりから足してくれる。ご飯もおかずも。15分程しか時間がない。小雨が降ってきた。濡れると非常に寒いので、乗客はどこにシートがあるのか知っているので引っ張り出す。
周りの人たちが持つので、真中の人は半分寝ている状態。 -
4時間たった頃、橋を渡る。ここからすごく急な九十九折りの道が続く。
横に座っている人が、タトパ二と言った。タトパ二には敏感に反応する
温泉のことだ。タトパ二があるのかと聞くと、橋を渡らずに上流に向かうとあるそうです。
ジリに近づくと、桜が真っ盛りに咲いている。4,5人降りたらずいぶん楽になった。稲は取り入れ寸前。ばぁさんが水車で粉ひきをしている。 -
5:30ジリに到着。
ジリの町は100Mもないほどの町 イスラエルが連れてきたポーターが、ポーターを紹介すると言う。しばらくするとエージェントだと称する男がやってきた。ポーターは1日13ドル、1000RPだという。ちょっと高いとごねてみたが無駄だった。デワァリ中ですからの一言で。20日間の予定では、チュクンリとコンデリは無理と言われた。
ガイドはオーナーの従弟だと言うが、名前も知らず聞きに行く始末。デワァリの期間だけ13ドルで、他の日は10ドルだと言いたかったが、言葉の壁に跳ね飛ばされた。
ガイドはクリシュナ。ネパールではどこにでもいる名前。やけに小さい。ハイランドポーターかと確認するが怪しい。まぁ大した所へ行くわけでもないので了承し、前金として半分の10000RP,ルクラで残金を支払うことでOKする -
温度計が壊れてしまっていた。自分も含めて、あれだけ踏んだり、椅子代わりにしていたのだから仕方がない。ラスベガスで買ったラッキーコインの横についているあてがいな奴を使う。買うとき沢山並んだもののうち中間を指していた物だ。いつでも10度前後を指している。
廊下に子供用自転車があった。あんながたがた道では、危ないだろうに。親の愛情か。 -
2010年10月15日(金)
朝食にトーストとエッグを頼んだら、パン屋がフェステバルだから休みで無い。チベッタンブレッドと、スクランブルエッグにする。のりの佃煮を持ってくるのだった。パンにでもあうだろう。
ジリからバンダナまで、最近バスが通ったようです。しかし今日はデワァリのせいで動いていません。どうせランクルのような大きなタイヤでないと、こんな悪路を超えられるはずがない。
8:00ジリ(1955M)出発 鉛筆を買う。クリシュナは鉛筆削りも一緒に買えば良いと言う。
ボールペンも3本かうちょっとよろけると、タイミングよく牛がモーと冷やかす。そこいらにあった棒を杖にするが、ちょっと太い。大きな荷物を持ったポーター メニ、メニプロブレムとあえいでいる。やはりきついものはきついのだ。 -
9:30峠(2334M)を越える。親子でバイクに乗って来ていた。
11:40SHIVAALAYA(1770M)休みなしであるく。自動車道が気に食わない。キムチを入れておく空き瓶を貰う。1個目は水を入れ振って洗っていると、水漏れするので替えてもらう。
2:507KHARUBAS 屋根には大豆、軒下にはトウモロコシが干してある。
屋根材は、天然スレート。幼い兄弟にミルキーと氷砂糖をあげる。兄のほうはミルキーを先に食べ、弟は氷砂糖を食べている。兄のミルキーはすぐに食べてしまい、氷砂糖を口に入れるが、弟は口に氷砂糖が残っているのにまねをして、ミルキーを入れるものだから、口の中はあめだらけになり、もぐもぐしている。子供のころカンロあめが、大きかった思いがあるが、大人になったらこんなにも小さいものだったかなと思う。昔の飴はおおきかったのか?
4:30DEVRALI(2190M)小雨の中ベルギーのオッチャンとあとさきになる。
びっこの鶏が歩いている。よく見ると足に添え木がしてある。いろいろな鶏がいる
良さそ風のロッジはだめで、隣のいかにも安いロッジになった。 -
ロッジの上のほうに行ってみる。テント場があり、餃子の皮を作っている。
女の人に聞くと、スイスの人でこの近辺を10日の予定で回るそうだ。
地図を改めて見ると、ルクラとナムチョ間を、人差し指と親指とでコンパスにすると、ジリとルクラ間は6っつ分ある。間に5つの川が流れている。1日1つ分づつ6日かかる。
子供と野球ごっこをする。杖で打つと思いがけず遠くに飛び、びっくりする。
空気が薄いから抵抗も少ないからだと思う。 -
2010年10月16日(土)
ネパールの休日は土曜日だ。以前聞いた話だがインドの休日は日曜日。
パキスタンの休日は金曜日。インドともパキスタンとも同じ休日にしたくないから間をとって土曜日にした、と言うのだが真相のほどは定かではない
クリシュナが、交渉して825RPを700RPに負けてくれた。よしよしお前はよいガイドだ。
電話機がむき出しで置いてある。窓際に去年まで使っていたであろう鍵のかかる電話ケースが置いてあった。今ではみんな携帯を持っているので、借りる人がいなくなったのだろう。
8:00出発
9;05バンダールここまで自動車やバイクは来れるようだ。寒いので通過
10:00にぎやかに声がするので、一服しようとチャイ屋に入ろうとすると、ここは違うと言う。横を通り上に上がると、農家の庭先でヤギの首切りシーンを見た。
牛刀を振り上げ一気に振り落す。あまり血は出ない。男は逆さにして、洗面器で血をうけとっている。皿と血とはよく字が似ている。対でできた象形文字だろう。
チャイ屋で休んでいると、先ほどの犠牲ヤギが運ばれてきた、
腹膜の中に内臓が入っている。腸に水を入れて絞り出している。 -
11:30
オレンジがたわわに生っている。3個30RP1個はそのまま食べ、2個はジュースにしてもらう。この先にもたくさんあるかと聞くと、いくらでもあると言ったが、木からもぎ取る所はなかった。
外壁にペンキを塗っている。それがほうきでたたきつけて塗っている。周りは雫でべたべた。
12:55KENJA
明日はGOYAM3220Mまで登らないといけないので、今日はここまで。
ポリスチェックがある。名前とパスポートNOを書き込むのだが、エージェント名を書かなければいけないところにSIRANNJYA(知らんじゃ)と書き込む。 -
この町は古くからの宿場町で、すごく良い雰囲気がある。娘が木臼でコメをついている。
ダルバートをダイハードと言ってしまい、一人で苦笑い。キムチはネパール人にとっても非常にうまいと言っている。エゴマの葉を、セサミ葉っぱと言ってはぐらかす。
血圧を測ってあげる。レストランの夫婦は120−80といたって健康だけど、クリシュナは158−62と訳のわからない数字が出る。
ジャーマンもベルギーもイスラエルも皆そろっている。夕食はベルギーと同じものを頼む。HE and MEシェムシェムと言ったら、みんなが笑った。出てきたのは昨日と同じポテトチーズだった。 -
2010年10月16日(日)
朝散歩に出る。ポリスボックスにリストを見せてもらう。8月10日より、649番目であった。
日本人は少なく、1人が多かった。各国とりどりだが、4人ぐらいのグループが一番多かった。
8:00出発 桜の花びらが落ちてきた。
9:10CHHUMBO シャクナゲの林
10:35クリシュナが、とげとげの木魚のふかしたのをもってきてくれる。とげとげが痛いのでむいてもらう。どちらかと言うとじゃがいもににていて、どちらかというとうまいほうだ -
11:40今日はここまでと言う。まだまだ早いので3時まで歩くと言うと、
素直に承諾してくれる。昼食にフライドライスに、焼さんま大根おろし入りの缶詰を開ける。
デザートにアップルパイがあったので注文する。デ、デカイ皿いっぱいにのさばっている。クリシュナに半分あげる。
台所で暖を採ろうと入ると、そこには腐ったリンゴと、リンゴの芯が置いてあった。まさかこんなリンゴでパイを作ったのかと聞くとそうだとの返事。まぁーものすごくうまかったので、見なかったことにする。
12:30発
13:40一服 寒くなってきたので、ジャンパーを着る。
ベルギーの高度計は2930Mを示している。Tシャツをかまどの前にて乾かす。チャイを注文すると、手動ブワローで火をおこす。どうもスカイライン上を歩いているようだ。曇っていてあまりよく解らないが、木が低くなってきている。あと2時間
15:20宿に着くすぐ前で、切り株にキノコが生えていたので採ってくる。
雨が降っていたので写真にはとらなかったが、相当立派に生えていた。
夕飯まで大分時間があるので、ズボンをかまどで干す。猫がすり寄ってくる。 -
室内を見て回ると、中学生ぐらいの男の子の写真がある。よく見るとトレシャツの胸には、
校障がついており、真中に中の字がある。誰かが、中学校の体操着をネパールまで持ってきたのだろう。
キノコはやはりダメみたいで捨ててもらう。ダルバートは結構うまい。牛肉のカレー味とジャガイモのカレー、スープだった。スープの下に沈んでいるのは、どうも蕎麦の実見たいので、ツァンパ?と聞くとやはりそうだった。ジリ近くではそばの白い花がいっぱい咲いていた。
きれいな鳥が印刷されたカードがあった。使用済みテレフォンカードのようなので貰う。日本でもある裏の番号を削って、その番号で時間いっぱい使えるカードだ。 -
持参の味噌汁の素にお湯を入れたらミルクティだった。幸い少しだったので味噌汁の味が強かったがまずまずであった。半分食べた頃になってキノコの味噌汁が出てきた。スペシャルだそうだ。食事の前に茶を飲み、持参の味噌汁を飲み、ツァンパ汁とキノコ汁でおなかがチャプチャプになってしまった。隣の外人さんはスープと白飯だけなにで食欲がわかないようで、ほとんど残していた。
今日も1日雨だった。それも降り続けだった。クリシュナが寒そうにしているので、3枚しか持ってきてない長袖のTシャツを1枚あげた。オイルマッサージを足にしてくれた。コロンを振り掛けてくれた。 -
2010年10月18日(月)
朝コンデの山がちらりと見えた。天気が良いとこんな風景がいつでも見れるのかと腹が立つ。ここがGOYAM3220Mとメニューの表紙に書いてあったので解った。清算を頼むと1460RPおかしいそんなにするはずがない。いったん支払ったが、引き返して確認すると、部屋代が600RPとなっている。メニューには200RPと書いてあったので、クリシュナとママさんから200RPずつ返してもらう。クリシュナ減点対象
8:15出発
10:00道の脇にはブルーの小さな花が、日差しをいっぱい受けて咲いている。
ネパールリンドウの他は見あたらない。すごい棘のある木に赤く実っているのは、メギの実ここまでは平たんな道 急坂を下りまた平坦な道
13:05JINBESI雨や霧の多い地域に違いない。モモとお茶の昼食 まっすぐな松の木
15:05一服 青空が見えてきた。♪見ろよ青い空 そのうち何とか着くだろう
16:05エベレストビューホテルなぜか通過
16:50あと一時間がんばれ ソイジョイとジャガイモを食す
18:45RINGMU2720M もう真っ暗ジャガイモのおかげであまり腹は減っていない。リンゴパイとチャイで済ます。クリシュナ本日2回目の減点 -
昨日はリンムまで来なければいけなかったのだ。今日も長い道のりみたいだ。
皆さん早だちしている。8時に出発するぞと言ったら、7:30だと言われた。
7:40出発 ナクチーズ100g100RPコンデとリンゴの木 イスラエルも宿が違っていたが泊まっていた。
8:50タキシンド峠 ここはドンキーズホテル ロバのホテルだ
荷馬はところどころ擦り切れており痛々しい。君たちのおかげで楽させてもらっている。
アリガトネ真上を飛行機が飛んでいく。ルクラが近いからか、飛び始めたのかは不明。
とんがった山はコスンと親父が言った。
9:40帰りの飛行機が行く。
10:20子猫を子供がつついて遊んでいる。
電話機を外に持ち出し話している。やはり感度が悪いのだ。
11:35NURTHALA電気が来ている。ワイヤーだけ?まさか裸電線?
明らかにペースが落ちている。昨日の夕方みたいな歩き方だ。 -
ネパールでの電話代の支払い方法はどのようになっているのだろう。あらかじめ代金前納で、時間が来たら切れるのだろうか?もうかれこれ1週間たつので、妻に連絡しなければ。
毎日連絡せよと携帯を持たされたのだから。ホテルの電話を借りて、ASAHIトレックに電話を入れて、無事のメールを打ってもらおうとするが、ルクラで電話できるからとやんわり断られた。電話代100RPはむなしかった。
キムチのおかげで昼食のエッグポテトはおいしかった。桜の花が咲いている。蝶チョも飛んでいる。大島みたいに地味なのと、白い紋のと、青く小さいのと、まだら模様の4種類だけ だった。牛で田起ししている。ベルギーは65歳と判明 あんなに大きな荷物を持って
-
15:15ここまで1日中下り坂 あと1時間だけ登りと聞き、長い休憩をとる。
16:00発クリシュナにあとどれだけ?と聞くが、トウェンティメニッツとしか言わない。
何べん目だ。白山の室道から頂上まで程ぐらいのとこでも、トウェンティメニッツ。お前の足ではそうだろうけど、俺の足で聞いてんの。やはり40分かかった。
18:00 峠着 昨日は時間がかかったので仕方がなかったが、今日のは休憩が長かった。減点1、昨日の分は取り消す。ダルバートとシェルパシチュウを頼むと、山のようにご飯とおかずが出てきた。おなかが一杯になった頃になって、シチューが出てきた。明日の朝に出しておくれと頼んだ。 -
2010年10月19日(火)血圧157−107恐ろしく高いあわてて薬を飲む今日は、2つの山ヒダと、2つの川を渡り、ルクラへと登る。
7:20ロッジの裏に大きなパゴダがあるので登ってみる。さらに後ろに2階建てのゴンパがあった。遠くからも見えていた青い屋根の建物はこれだったんだ。
4年前に973000RPで建てたとプレートに書いてあった。
8:15発 山ヒダの鼻先に行くようだ。
8:35SOLUK HOMBUカリコーラの本村古いパゴダがある。
牛で鋤おこししている。牛の皮をそりにして引っ張り、泥を谷側に落としている。新しい田圃でも作ろうとしているのかもしれない。土取り場で、断層が生々しく見れた。ヒマラヤは動いている。
10:00BUPSA カリコーラが眼下に見える。地図上では、くの字に緩やかに下り、少し急な道を上ったことになる。ゴンパでは少年僧がお経をあげている。
登山靴を脱ぐのが面倒なので、20RPだけ椅子の上に置いてきた。けちだね〜
ラッパもなり始める。人の丈以上あるマニ車がパゴダの後ろにあった。
-
11:05ルクラから2日目だと言う人に会う。
11:20雷が山の方で鳴っている。飛行機は飛んでいる。ルクラは雲の中。
11:45やっと1つ目の尾根を回ったようだ。ここまでずーと登り。
12:25KariLa3145Mパス眼下1500Mぐらいにナムチェから流れ落ちてくる
DOdu KOSHI Nedeが見える。やっとエベレスト様の参道に入れる。
13:20発上ったり下ったりの下り坂
14:50あとルクラまで3時間だが、Paiya2730Mで泊まることにする。
朝の段階では、この先Surkeで泊まる予定だったが、どうせナムチェまでに1泊しなければいけないし、高山病予防のためにもよいだろう。 -
大きな岩のほとり地図ではウッディブリッジになっていた。でも今は鉄製
高山病の予防には沢山の水を飲めとよく言われる。血液がドロドロでは心臓に負担がかかるからである。酸素が少ないので沢山の空気を吸い、吐き出す。当然水分も出ていく。
血液が濃くなる。血圧が高くなる。いろいろな症状が出てくる。
今日の一句 ロッジは、冥途の旅の一里塚。 -
2010年10月21日(木)上部の方で雪が降ったようである
7:45出発
8:45一服靴下を一枚加える。女性ポーターも六,七人見かけた。
目の高さで飛行機が下降して行く。ルクラはホントに近い。ミカンの皮が捨ててあるので、ポーターに聞くと四個40RPで分けてもらう。籠の中から取り出す。これって本当にあんたのものなの?
10:20尾根を回り込むと、カンテガがものすごい迫力で姿を見せる。
カンテガのすぐ下の段地にルクラはある。
11:00川にどんどん下りSurkay 滑走路と思っていた台地は違うようで、その向こう側に降りて行った。
-
ツァンパ(麦こがし)ネパリでディドウ(ピートゥ)かまどで水を加えながら炒っていた。
少し凹みを付け、スープにつけて食べる。少し分けてもらうが、あまりうまい物ではない。
11:15子供や女性のポーターが多い。
11:40ルクラへの分かれ道。1時間かかる。
12:00ルクラ直下の滝
乾季であるはずのネパールでずーっと雨がふっていたら
次の日には日本人は予定があるからと帰り
2日目にはイギリス人は7つ詩が出来たとアメリカ人に教えて帰る
3日目にはアメリカ人はイタリア人にコンドームを売りつけて帰り
4日目にはイタリヤ人はフランス女を物にしたと帰る
5日目にはフランス女はドイツ人とユダヤ人とを相手にしたが不満げに帰り
6日目にはユダヤ人とドイツ人は、交互に使ったコンドームを北朝鮮人に売りつけて帰る
7日目には北朝鮮人は7日間しか雨がふらなかったのは、将軍様の御威光だったんだとインド人に吹聴して帰り
インド人は次に雨が降り、晴れる日がいつかを確認してから帰る -
滝のすぐ左上から、飛行機が現れ飛び去っていく。爆音が聞こえカメラを構えるが、滝と同時に写すことは自分にはできなかった。1時間に5機ぐらいは飛んできたり、行ったりするので、じっくり構えれば簡単だとは思う。HPで滝にぶつかるように着陸とあるのは、こんなことなんだ。
12:30広見 天来石見たいのがあった。大きな石に溝を刻み、1Mぐらいの高さに水を通し手あったので、シャワーをする。なんと気持ちの良いことだろう。上半身裸になり、体全身をふく。
天然の岩屋などがあり、昔からの宿場であろう。飛行場ができるまではルクラなんて重要な町ではなかったはずだ。
トレッキングとはオランダ語の「Trek(旅をする人)」から来ており、
1960年代外貨が欲しいネパール政府が、観光客誘致の為にヒマラヤの山歩きをトレッキングとして売り出した事から始まる。
昼飯 あまりに子供がかわいくナマステと両手を合わすので、おもわず氷砂糖を上げた。お母さんに見せに行った。 -
14:00ルクラの帰りの分岐点 山火事が起きているようだ。
14:25チプリング 田部井順子さんのリンゴプロジェクトがあるはずだが、気が付かなかった。バイキングのような赤鬼みたいな日焼け顔した外人が、続々と降りてくる。もう誰もナマステと挨拶はしない。
15:25ガットの岩屋
16:00バクディン
イエティ マウンテン ホテルこんなとこに予約をしてあったら、
絶対フライトキャンセルなどしないだろうなぁ。今度来る時には、予約して予約書 をもらってから解約して、搭乗券をとってやろう。
ミネラルウォターは、ルクラでもナムチェで作っているので、この辺の水は安い。 -
メールを送ろうと、インターネット屋に行くが、メールの画面が出てこない。画面さえ出してもらえれば、いくらPCに疎い私でもローマ字で打てる。店の人にやってもらっても、やはりダメだ。どうなっているのだろう。
もう何回目のネパールだと言う老夫婦とお話しする。やはり3日間待ちぼうけを食らったと言う。もう10年くらい毎年来ているが、今年ほど雨が多い年はないのでは、いやになるほど乾燥して、土ほこりがすごいはずなんだそうです。
9人グループの方々と食事をする。男3人に女性6人のグループで気さくな方々。何のこだわりもなく仲間に入れてくれる。
部屋の内カギは、針金をひっかけるだけの簡単なもの。
トイレに行く時にも鍵をかけろとうるさく言うクリシュナもあきれている。 -
2010年10月22日(金)あさコンデの山々が、きれいに見える。
でかいカメラを3脚に据えて撮っていた人がいた。もっと早く起きだせば朝焼けが見れたのかもしれない。
9人グループのガイド、ペンパさんが山の説明してくれた。クンビーラは右側のスカイライン上にかすかに見える。正面の山がコンデで手前にあるナニヤラピークに登るとエベレストも見える。コンデ山群の盟主コンデ・リ峰(「悪魔の山」の意、6186m)
今日1日同行させていただく事にする。
8:15出発 高山病なのか、馬に乗ろうとしているが、なかなか乗れなくて四苦八苦している。あの人だって何日前には元気いっぱいだったはず。気を付けなければ。
9:00コンデルートへの道があるはず、と聞くが行ったことがないので解らない。滝がある。
100M以上の高差はある。滝つぼで泳げるのではないか。
下山中の日本人に、勝手なお願いだが、妻に電話して元気だと伝えてほしいと依頼する。快くOKして下さり、青年協力隊の女性の方、ありがとうございました。
今日の一句 高山病 夢はヒマール 駆巡りる -
9:45BenKar口すぼめ呼吸法で歩く。口をすぼめ深く吐き、深く吸う。
コウすることで肺に圧力がかかり、酸素が取り込みやすくなる。
空港で一緒に泣いていた人が下ってきた。初めは気が付かなかったが、ガイドが人懐こく声をかけてきた。次の日にはうまく乗れたそうだ。黙っていては何にもならないと、ガンガンやったらしい。金沢にも事務所があるハザマの人で、カトマンズで道路を作っているのだそうです。
11:10少し早いが、ナムチェまで3時間の間レストランがないので、昼食となる。ミックスフライドマカロニ300RP結構高い。日本円で360円くらいだが、ネパール人にとってはため息ものだろう。ネパール糸東流カラテ道協会の認定書が掲げられていた
12:00出発 左の山の上にラマ教のお寺があり、予算50万ルピーの寄付を募っていた。お寺はすでに出来上がっており、下ではホテルを作っていた。
やれ打つな ヤクが糞する シッコする(ヤクの細道) -
モンジョの関守は、パスポートの提示も求めず、入園料の番号を控えただけ。
今年の9月の入園者は2300人くらいだが、去年の10月は8831人。
今年は1万人を超すだろうとの事。
急な下り坂をいくと、アーミーポストがあった。崖の岩棚にカモシカが2匹うずくまっている。
日本ならお節介にも助け出さなければと、大騒動になるくらいの岩場だ。岩の割れ目からにじみ出る塩をなめに来るらしい。ペンパーさんいわくこの先にも沢山いるよと言われたが、旅行中見れたのはこの2匹だけだった。
ヤクの香や ルクラに古き マニ車
あれこれや 行くも帰るも考えて 知るも知らぬもモンジョの関 -
三度の川を渡ると、天国への階段になる。
13:30ヒラリー橋 二つの川が合流する所にあるのがヒラリー橋。あのヒラリーさんが寄付してかけたもの。全然関係はないが、ヒラリーさんと私の誕生日は7月20日。いよいよナムチェへの急坂が始まる。
14:00一服 休んでいたポーターたちに日本人が来たら、ガンバ、ガンバと言えと教える。
14:45ちょとした広場で、ミカンとグアバ20RP×2を買い食す。
グアバはキィウィの仲間だと思う。種が固い
15:00顔についていた種を取ってくれる。
外人団体のポーターが、忘れたバックをあわてて取りに帰ってきた。
気のせいか頭が痛いような気がしてきたので、また口すぼめ呼吸法をとる。
15:45もうすぐナムチェと言うところで、今日はあまり水もとっていないのと、寒いのでチャイ屋にはいる。クリシュナは先に来ていて雑炊を食べていた。
道は広くて、蛇行しながら歩幅を小さくし、口すぼめ呼吸で登ったら、さほど苦しくはなかった。
歩をはやめ 川にかるるつり橋の われもゾッキョも邪魔とぞ思ふ -
チャイ屋で休んでいると、やかんや、洗面器の雑貨を天秤棒にして、かついで売り歩いているインド人2人組が通りかかり、女将が呼び止めてフォーク6本を210RPで買った。この人の1日の売り上げはいくらぐらいなのだろう。インド人は手袋をしていた。
4:50ナムチェ着 市場が開いていた。今日は土曜日か?いや金曜日のはず市場の日だ
レモン4個20RP
軍のお達しで、七時半以降は外出禁止。懐中電灯はテントの中だけ使用可。外では振り回さず地面を照らすだけ。
鼻つまりをしそうなので万金油を手元に置く。呼吸の仕方が高山病防止の決め手だから。
今日は満月
加賀の殿様が「○と△と□を入れて俳句を作ってみよ」と命じた。
千代女は、「蚊帳のつる一つ外して月を見る」と即座に作った。
先代男は 「エベレストにキャラメル供えて月見する」
加賀のお殿様が 千代女を城に招いてがっかりし
「加賀の千代なににたよえよ鬼瓦」と仰せられたとか。
ところが、すかさず千代女は「鬼瓦天主閣をも下に見る」と返したという。
「菜の花や月は東に日は西に」とを合体して
「剛毅やな 月やお日様 下に見て」とつくってみた。
今日の一句 それなんぼナムチェの山にこだまする -
2010年10月23日(土)日本へ電話するが、留守電になる。今日もカンテガは元気で顔を出すが、逆光だ。アダムは頭だけ出している。
8:15クリシュナは、ゴキョウの方へ行こうとするが、シャンボチェに寄りたいのだと希望する。クリシュナはシャンボチェへの道を人に聞いている。本当にこの人ガイドなんだろうか?
きれいな鳥もご挨拶に来る。
9:20シャンボチェ空港 目の前50Mぐらいを、飛行機が着陸しようと向かってきた。滑走路は遠目で100Mぐらいしかなく、300Mぐらい先に見えている。この5人くらいの定員の双発機が来るようになって、以前のヘリコプターでのフライトよりも安くシャンボチェに来れるようになったとのことです。
1968年から5年がかりでホテルと専用飛行場を完成させた。
カンテガの横にアダムプラが頭だけ出している。 -
9:45広い傾斜の芝生を踏んで登ると、ホテルの裏についた景観図を見ていると、さっきから横に見えていたアダムプラは違うようである。景観図の下に書いてあるのはメニューで、
10%のサービス料と13%の税金がかかりますと書いてある。
アダムとエベレストの間にタンボチェの町が見える。なんか、HPで聞いていたエベレストホテルとはちょっと違う。ゴルフ場のレストハウスのような所と聞いていたが。えらく小さいし。やはりここではなかった。パノラマホテルだった。去年には工事中だったと、老夫婦が言っていた。
10:35エベレストビューホテル1番先にアダムの頭と勘違いをしたのは、
カンテガのスフィンクスの頭部分だった。カンテガはスフィンクスと、本山と言うか別山があり、スフィンクスの方が若干高い。見た目は本山の方が高い。ピーナッツと紅茶で405RP(500円くらい)
"TOP OF THE WORLD"、マウント・エベレストです。日本画家平山郁夫が薬師寺の大唐西域壁画のそのままの構図
自分が中国人ならこんな物語を作るだろう。エベレストが劉邦、立ちはだかるように守っているローチェが関羽、横に立つタウチェが項羽、相対するタムセルクは曹操で、経典をささげ持っているアマダブラム、カンテガはさしずめ関羽に与える赤兎馬か。、。
立行司アマダが東の横綱 サイコー山と大関タムセ山が両手を広げてソンキョしている錦絵にも見える
ホテルにヒマラヤ近辺の模型(ジオラマ)があるはずと、ボーイさんに聞くとテラスからレストランに入った所にあった。
つれずれなるままに、エベレストに向いて言うことなし、あんたも来(こ)んかいね
ひぐらしエベレストに向い、のたりのたりと歩く。
十月や 峰に雲おく エベレスト -
11:10ホテルを出ようとすると、混成登山隊の皆さんと出会い、お茶のし直しとなる。
ガイドのペンパさんは、6月から8月下旬まで3か月間北アルプスで働いているそうで、
この人たちとは、10年来の知り合いだそうです。ペンパさんは、5枚もライセンスを持っている。7000M以上の山にも案内することができる。
ペンパさんに、クリシュナのことを聞いてもらう。ゴキョウには行ったことがない事が判明。
まぁでも大丈夫だろうと言うことで不問にする。利用する予定の宿をクリシュナにメモさせている。
シャンボチェにうち出でて見れば白妙の ヒマールの高嶺に雪は降りつつ
シャンボチェに通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬダイナモックス -
ナムチェで両替するのを忘れてしまった。2万RPしか持っていないので大丈夫かなと相談すると、それではあまりにも少ないと、100ドル7000RPに両替してくれる。
カトマンズのレートと同じだ。(この後もRP不足に心配ばかりしていた。1日3000RPぐらいのお金がかかる。結局以後15日で、もうあと300ドル両替した。)
ツアーの人でも、個人費用は必要(水代、お茶代、ビール代)1日1000RPぐらい。
髭の小父さんを、副隊長と呼んだら、以後皆さん副隊長と呼ぶことになってしまった。 -
東京混成隊はナムチェで高所順応のためもう1泊すると言う。当方はゴキョウで2泊する予定だから、そこでまたお会いしましょうと別れる。
11:50発
12:15クムジュン 宇宙図の貼ってある所で昼食シャンボチェより下ってきたように思うが、クムジュンは3780Mで、シャンボチェ3720Mよりもい。
村の屋根はグリーン色に統一されている。屋根の水をタンクに集めて使っている。
雨樋いからタンクにはペットボトルの2リットルをうまく使っている。あんな簡単なもので済むなんて、風も雪も吹かないのだろう。アップルパイとお茶だけで済ます。
ナムチェが品川なら、クムジュンは田園調布とは誰が言ったのやら植村直己氏が越冬した。
植村直己さんのお兄さんは私と同じ畳屋だった。直己さんも畳屋の息子だったのかな?
クンビーラ(標高5761m)。村人は水の神が住む山として信仰している。
雪解け水が畑をうるおし、飲み水となっている。日本の金毘羅さんの本家雨乞いの神として、農民の信仰も厚いものがある。古来、雨乞い祈願の神というのは五穀豊穣をもたらす神でもある。特に、雨が少ない地方では、田植えの時期に旱魃に悩まされることが多く、農民たちは金毘羅さんにお参りして雨を祈った
13:20合流地点 ここまでずーとくだり。ここから上ったり下ったり。 -
ヤクがゼイゼイハァハァ言って登っている。あれだけ背負わせられば、いくらヤクであろうとも苦しいだろう。ずーと緩やかな登りで、汗もかかず、順調に進む。
振り返れば最晩手みたいで、みなさんとっくに先に進んだか、ロッジにおくつろぎしているかで、誰も登ってこない。スカイライン上の目の高さに、エベレストホテルが見える。今日は楽々コースだった。
14:30MongLa3975Mに着いた。地図にはモンラと言う名はなかった。
岬のよ岬のように谷に張り出した尾根の背に有るのがモン・ラここは峠なので空がひろい。
室内に洗濯ロープをかけようと、配線コードに結んだら、ステップルが飛んでしまった。 -
何にもすることがないので、ロッジのほんのちょっと裏にあるタルチョまで行ってみる。
茂みの中にネパールの国鳥であるダッフェが、レンジ色の尾っぽを広げている。
モンラで泊まるつもりなら、シャンボチェやクムジュンで時間を使った方が良い。
フランス人が、2つの椅子を重ねて使っているので、一つ貸してくれと言ったら、1つは座席の底が抜け、1つは足が折れていた。フランス娘はゴキョウからの帰りで、素晴らしかったと言っているようだ。ニースに住んでいるそうで、ニースは金沢の姉妹都市だと勘違いし、ブラザーシティと言ったが通じなかったようだ。本当はナンシー市の間違いだと気が付いた。姉妹は英語でなんだっけ。
てっぺんから後ろまで、モヒカンみたいにモサモサになっている帽子 -
食堂に入ると、ストーブにヤクの糞を、手づかみで袋から出して、火をつけてくれる。火力は強く、大きなやかんの水を沸かしている。今日もダルバット。サバの缶詰とキムチでおいしくいただく。追加のライスは断ったが、どさっと入れてくれたジャガイモのカレーは残した。
名品難問ナンプレ130選ジュピター(1番難しいスウドク)も3問あっけなく解いてしまい、
高山病の兆候はないと思っていたが、左の手の親指が強張る。付け根をマッサージするが、ツボを押すと非常に痛い。頭痛はないが脈打っている。万金油をこめかみと鼻に塗る。 -
2010年10月24日(日)朝まで眠れぬまま夜明けを待つ。
ネパール入りして、今朝は初めての快晴である。霜が降りていて、葉の周りが白く、葉脈だけが緑色していてきれいだ。30分ほど寒さをこらえていると、予想外にエベレストホテルの裏側にある、コンデの下の方が茜色に輝き始めた。もっと下の段まで行けばもっとよく見れた。
タムセルク6808m「タムセルク」が、「朝日に輝く黄金の仏像」の意味
カンテガのスフィンクスは、目も口もはっきりと見え、少し胴長の犬が背伸びしているように見える。アマダプラムは、槍 小槍のようになっている。
無名峰に名前を付ける。パグ歴30年の愛犬の名前から、チャウジェンガ、ハニーヒル、ヒマールカンタ、アヤールー、マナウルついでに妻の名前からサトミール -
大きなラジュースとかまどで煮炊きしている。後ろのタンクは温水シャワー用で、かまどの中へ配管されている。
トイレはブツに葉っぱをかけて、横にある棒で、山になった物を鳴らす。意外と臭くなく、葉っぱの香りがする。畑の土は黒土だ。11月5,6,7日が3連休になっている。6日にルクラからカトマンズに帰る日だ。また悲劇の再演になりませんように。 -
7:40出発 すぐに暑くなり、羽毛をぬぐ。
8:25タンガ(Thanga)は「下」という意味だそうです。クリシュナにホースを持たせ、
シャワーする。霜解け水は非常に冷たい。さっき羽毛を脱いだ時、サングラスを置き忘れた。今からが必要になるのに、わずか30分ほどしか使わなかった。いくら1000円程のものといえ、ヘイゼイ使い慣れていないから、忘れてしまった。
9:30小さな峠 2人組でベニヤ板を運んでいる。5mm板を15枚ほどだ。商売ものに落書きがしてある。牛歩蛇行除糞 小さな沢を遡ると、桜の並木があった。よく見ると花がちらほら咲いている。橋と滝の手前 -
10:10ボルチェとカンテガを見ながら一服。やはりスフィンクスの方が高い。
地層は平行になっている。
ソイジョイのバナナ味を食する。ほんの1かけらクリシュナにあげる。ミルキーの塩味はあまりよくない。 ポーター達も一服しており、何かを食べている。少し分けてもらうと、ツァンパ麦粉でトウモロコシの粉も入っているようだ。香ばしくてうまい。外人の女の人にも勧める。口髭が真っ白になる。ミルキー塩味を上げる。疲れての一服ではなく、素晴らしい景色を見ての、日向ぼっこほど幸せな一時はない。 -
11:00ドーレ4000Mこえたようだ。
13:05Lhafarmaずーっと緩やかなのぼり。
14:30ルザ4370M
15:00マチェルモ 今日は平たんな道が多く、大分距離が稼げたように思ったが、地図上ではあまり進んでいない。少し寒くて、頭がちょっと変。血圧158−107−81
保温下着がしっとりしているので、ストーブで乾かす。オーストリアとオーストラリヤと勘違いして、シドニーオリンピックプールで泳いだことがあると自慢したが、オーストリアべりースモールカントリー
部屋には電球が付いていない。レストランも小さな蛍光灯が2つだけで薄暗い。
夜中にトイレの窓から月が煌々と照っていた。 -
2010年10月25日(月)
7:55出発 靴のハッシュパピーから貰ったか、買った手袋を出したら、
皮の手袋もあるのをしっかり見られた。貸してくれと言われれば仕方がない。
8:20マチェルモの上のチョルテン。カンテガがなかなか小さくならない。
360度のパノラマ。朝早くここに来ればもっと素敵だったろうと思う。ゴキョウまで3時間だと言う。長い緩やかな下り。自然と足が速くなる。ゆっくり、ゆっくりとたしなめられる。
9:40カルカ 白い山に向かって、白い沢を歩く。ペンキを流したように白い。岩の半分だけが白くなっている。土手の方は黒い。峠が見えてきた。水は豊富だ。どうなっているのだ? -
10:30上の峠までは石畳の急な坂。左手の崖にタルチョがかかっている。
ここから湧水が出ている。これなら安心して飲めると思い、初めて生水を飲んでみる。
11:00峠らしき鉄の小さな橋で、2つの沢が合流している。沢の水はまぁまぁ透明、右側の沢は白濁、こちら側で小便する。広河原を進む。小さなケルンがいっぱいある。大きな淵もある。これが3つある湖かと気が付く。
回り込んだところがゴキョウで、道の付いている山の上がゴキョウピークらしい。今になってもあと2時間と言っている。ゴキョウには行ったことがないとペンパさんに白状したではないか。
♪おおロブチェ あなたのおうちはどこ わたしのおうちは
ゴキョウランドよ きれいな湖水の ほとりなのよ -
池のほとりにて昼食。昼食と言ってもソイジョイとチーズとアーモンドチョコだ。
早くもおーいお茶のペットボトルに入れた水が空になる。さっきの泉で補充しとけばよかった。
11:55第2ポカリ
12:35第2と第3の湖が同時に見える所。第3の左側にレンジョパスだと他のポーターが言っていた。ナマステロッジはいっぱいでダメだと断られた。
ここのマスター、映画のホームアーロンに、出てきた泥棒みたいに金歯がきらりと光った。
日本人だと解るとOKとなった。しかし部屋は階段の横の物置部屋みたいな小さな部屋。
何所でもひどかったが、ここが最低。このロッジ日本人に人気があるのだそうだ。 -
ロッジの裏にガンがいたので、カメラをとりに行くともういなかった。
ンゴズンパ氷河(Ngozumba Glacier)の方へ行ってみる。荒涼たる氷河。
時々崩れる音がしている。氷河に自分の影が映っている。下の方から雲が湧いて来ている。これはひょっとして、ブロッケンが見れるかもしれないと期待して、
一時間ほど待ったが、雲が思ったほど上がって来ず見れなかった。
血圧計の電池が無くなっていたので、買ったが単四電池2本が、なんと400RP(500円ちかく)日本を出るとき入れ替えておいたのになぁ。こんな小さいものをぼるな。
アミューズの御一行様女性3人、男性2人は血中酸素量を測って、健康度を見て貰っている。食事は雑煮に、わかめ沢山目の味噌汁に、えびせんべい。ダルバートみたいなものと豪勢だ。デザートにアップルパイが付いている。銭の出しようだな。
やっとダルバートが来た。新しいキムチを開けるが、葉っぱの付いた小さいニンジンのキムチで、ウズラの煮卵と2回続けて×品だった。 -
2010年10月26日(火)
朝156−101−87
9:40遅い出発
10:30緩やかな登りで小さな峠 エベレストが見える。ゴキョウリが2等辺三角形のように見える。相当急だわ。
10:45沢に着く。いよいよ見えていた、ジグザグ道の急坂だ。
10歩歩いては休み、10歩歩いてはハーハーゼイゼィ
11:10 あと10Mでレスト。こんなところでと思ったが、甘えることに。ゴキョウ湖に雲の影がうつりきれいだ。ここら辺まではまだ余裕があった。帰りはゴキョウリの中腹を通って行けば相当近くなるな、と楽なことを考えていた。 -
11:35峠のケルンと思っていた所を通っても、まださきがあった。
11:55やっと着いたと思ったらまだ先があった。懸垂氷河が普通の氷河に代わっている所。ここで引き返す人は賢い。出ましたツウェンティミニッツ。20分たった頃、ワンアワーズ。
誰がお前の言うことを信じるものか。
12:45ビスケットをカラスと分ける。ここで帰った人も賢い。クリシュナよお前先に行って、
帰ってこいよ。1時間で帰ってきたら俺行くよ。と弱音を吐く。
2:15遠くからでも見えていた恐竜のひれみたいなところが峠だった。ここまで上がってきた人はアホ。来たからには帰らなければならない。 -
眺めは素晴らしい。来たかいがあった。エベレストが低く感じられる。峠の向こうは山また山で、眼下に大きい湖があった。垂直に近い崖だ。パノラマ写真に挑戦してみる。3ショットで1枚の写真になる。
14:4010分もいなくて下山
15:40大広河原
16:30取り付きの沢 いやになるほど遠くにロッジが見える
17:45ロッジに帰り着く。アノ人たちが来ていないか探させる。
エベレスト 月は東に 日は西に -
2010年10月27日(水)レストランにはもう誰もいない。テルモスに御湯を入れてもらい、
6:15出発 レンジョパスの方向に白い半月が出ている。前方に7人グループがいる。
すぐに暑くなり羽毛を脱ぐ。外人さんたちはしっかり着ている。
7:15一服 ビスケット エベレストはまだ見えない。黒い山が邪魔している。昨日見た限り急こう配が続くはず。白い氷河が目の高さ。
8:15もうすでにバテバテモード ロッジが遠くならない。真下に見える。30歩進めて1休みが10歩ごとになる。
8:40エベレストが見えてくる。手前の山と重なり合っている。レンジョパスからなら一時間もかからずに見え始めた。遠くに三角形の山が見える。二人ずれの日本人に聞くとマカルーだと言う。
9:15マカルーが大きくなってくる。最初に見えた時には、遠くて見比べるものがなかったが、月が地平線に近くなると大きく見えるのと同じで、目線が下がったからだと思う。
-
10:00ホウホウの態でピークに着く。マカルーがヌプチェとつながった。
10:30下山
11:20マーモットが横切る。岩だらけだから、宿は沢山あるけど、食料探しはさぞかし苦労しているに違いない。
12:45ゴキョウロッジ着東京混成隊が来たら知らせよとクリシュナに見張りさせる。
アルファー米の五目御飯を作る。お湯代はちゃんと帳面に付けている。1時間もしないうちに皆さんに会えた。
まだ時間が速いから、1時間ぐらいでエベレストが見えるから、レンジョの方へ行ってみたらと進めるが、ペンパさんは、風が冷たくなるし、明日はハードスケジュールになるので、休んだ方が良いと言う。
今日ゴキョウリまで行ってきた者としては、十分納得できる話だ。 -
ペンパさんは明日行くタンガの宿の予約をポーターに頼んでいる。
ツアーの人たちもこうして宿を確保していたのだ。ここは宿泊代が高いため(ない)、
ポーター達はパンガまで降りて泊まるそうだ。
ライチョウがロッジの裏にいっぱいいた。本来ならこんなところにいないはず。
堕落した駄雷鳥。ペンパさんの話によると、この辺は6月から7月にかけてマッチェルモあたりから、ブルーポピーが沢山咲いているそうだ。
ストーブの上にビールを載せている。ふと見ると心配していたことが現実に起こっていた。
クリシュナに貸している雨かっぱが、ストーブの煙突に触れている。これは水防用のカッパで、消防からの貸与品で、いざと言う時には、着て出動しなければいけないのだ。
サーデンのトマト煮を温めている。さんまも温めよう。夕食を何にしようか迷っているので、
シェルパシチュウがうまいよと言ったら、全員がシチユウになった。今まで食べたことがなかったみたいだ。 -
2010年10月28日(木)
混成隊は3時半にゴキョウリに行ったので、自分ももう1度レンジョの方へ行ってみる。
5:25出発。
6:30日の出 エベ阻視山(エベレストの前にある邪魔な黒い山のこと)があまりに近いけれど、高さがあまりないため、レンジョ方向に少し離れるだけで、エベレストが見えるようになる。
6:50下山氷河の奥まで行ってみようと思ったが、3歩行っただけでやめる。
7:50グループが降りてくる。 -
9:25改めてチョラパスへ出発 チョは湖、ラは峠のこと
所が、隊長さんは体調が悪すぎるので、これ以上進まずマチョルマまでポーター1人付けて、降りることになった。氷河を横切る。 落石だらけの所。列の間隔をあける。
11:15対岸にやっと着いた。
ターコ岩(黒い岩)エベ疎視山と自分が名を付けた、エベレストの前にあった邪魔っけな山だ。
12:10タックナルガ着
ダイソーの袋をゴキョウで、誰かが忘れたのではないかと、ポーターが持ってきてくれた。上品なイメージのあった人のものだった。あんな上品な人でも100円ショップに行くんだ。チップをいくらあげればよいかペンパさんに相談していた。 -
明日の朝の出発は5時。遅くなると落石がひどくなり、危険なのだそうだ。
ストーブの横で靴下を干す。天気が良い割にはあまり干せなかった。ペットボトルにかぶせて横に置いた。何ともグッドだ。
皆さん血中酸素量を測る。自分は89と出た。申し分のない数値だ。
昔から血の巡りはよい方だと胸を張る。肺活量が標準以上で、心肥大気味
皆さん79から70で問題ない。
グァバは間違いでアンバ ミカンはスンタラ
夜空を見る。オリオンやカシオペアは見れる。天の川もわかるがそんなにきれいでなかった。
最高の条件なのに、きれいに見えないと言うことは、自分の目が暗くなってしまっているかもしれない。
エベレスト 山によこたう 天の川
星という字は生きた日、日々生まれる、1日生きると書く -
2010年10月29日(金)
5:15出発。緩やかな登り坂
5:55一服 羽毛を脱ぐ
6:50一服 平らな所 日の出高度計によれば4975Mから5380Mまでのぼった。
7:40第一の峠 いったん下る 急な下り
8:00最下部4955M ちょっと登って、黄色い岩肌直下の所 いよいよ危険地帯に
ツアー会社が敬遠するのもうなづける。
8:45小休止 水分補給 日本国内なら五星危険地帯。
頑張って、ナマステと声を掛け合う。皆ひどいはずだが、ケロっとした顔をしている。
9:20雪が付いてきた。
9:55ぺンパさんが引き上げてくれて、チョラパスを越えた。 -
峠の向こう側には、クレパスが大きく口を開け湖になっている。
その向こうは雪原で、クレパスがあるのかしわだらけ。
懸垂氷河も山にくっついている。峠は暖かかった。お日様はありがたい。
一服していると、「ついた」との声に「ごくろうさん」と声をかけたのになんとなくつれない。
11人グループ登山の連中だ。カラパタール側から登ってきた。他人には冷たい営業登山隊だ。
モンスーンの影響で、ヒマラヤの氷河上に雪が降り積もるのは夏。溶けるのも同じく夏で、
冬に雪が降り、夏に溶けるほかの地域の氷河とは異なる。この特徴が、ヒマラヤ氷河が世界的にみても縮小速度が速いという結果につながっている。 -
10:35青氷になって、つるつるの恐ろしい所を慎重に下り、5190Mの岩棚まで降りる。
ケルンがあり、岩屋もあった。
11:20給水分放水 振り返れば岩肌をトレースしてきた。5095M地点居候でなかったら、
昼寝をしたい心地よさ。
12:10 どんどん下り、4855M地点 8度 どのルートでで下ってきたのか、
Zの字状に下ってきたようだ。あと30分でロッジに着く頃になって、ばててしまった人がいる。
いわゆるシャリバテだ。自分はソイジョイを行動食として、2つも食べていた。
13:10着 生乾きの洗濯物を石垣の上にて干す。 -
高度計は気圧によって計っているらしい。持っている人によってばらばらだ。
4795,4805,4790,4780
気圧は100メートル上るごとに、12ヘクトパスカルhPa(昔風に言うと12ミリバールmb)下がる。5000Mでは600Pa下がるら、1気圧が1013hPaですから、ゴキョウあたりでは400hPaになってしまう。と言うことは空気の密度が薄い、酸素量は4割しかない。パスカルとはあの有名なパスカルさんで、名前なので真ん中にあるのに大文字を使うのだそうです。
ここもいっぱいで、工事中で、柱と天井にしか板の打っていない所に泊まらなければいけない羽目になりそうだったが、ドミに泊まれた。上が男性で下が女性。外人が追加で来るが断り、日本人は受け入れる。
ここで泊まれなかったらもっと下の・・まで行かなければいけない。
ダルバート500RPにはびっくりする。普通の倍以上だ。アルファ米の五目飯にする。
混成隊の皆さん3度続けてシェルパシチュウを食べている。さんまのかば焼きを開けて皆さんに食べてもらう。梅干しが回って来た。なんで秋刀魚とサバしか持ってこなかったのだろう。
江戸っ子煮とか、大和煮とかいろいろあったろうに。
太ももの裏が軽いけいれんを起こす。疲れが相当たまってきているようだ。
トイレに行ったK氏部屋から閉め出される。誰かが知らずに鍵をかけてしまった模様。 -
2010年10月30日(土)
154−110−83 酸素濃度76−92
前日から、クリシュナが持ち金が少なくなったため、サラリーを払ってくれないかと言われた。
昨日ペンパさんに両替をまたお願いしておいた。昨日までの分7000RP支払う。ジリから18日たったことか。
宿泊代2470RP えらく高いと思って、もう一度計算させると、ポテトとシェルパシチューが抜けていたと、600RP追加となってしまった。ルーム代1000RPとはぼったくりだよね。
Pumoは「乙女または娘」、Riは「山」、「乙女の山」の意である。エベレストの娘とも言われる。あの有名なジョージ・マロリーが名づけたといわれている。 -
8:05出発 アマダに向かって進む。
8:55 湖の横にテントサイトがある。氷河が川をせき止めてできた湖。
上の方は氷河に見えるが、下の方は瓦礫の扇状地。でも横筋が入っているので、
クレパスがあるのだろう。山が大きすぎて、カメラに入りきれない。圧倒してのしかかってくるようだ。
氷河水 集めて早し ドートコシ
地図はもうバラバラ。丈夫そうに見えるが、濡れたら非常に弱く折れ目が切れてしまう。
セロテープを持ってこなければいけない。何所にも売っていなかった。
しかし、クリシュナは煙草をよく吸う。自分が煙草を飲みたいがためにレストと言っているようだ。ネパールでは15歳から喫煙できるそうで、ペンパさんは52歳で、孫が5人いるそうです。 -
トゥクラの上に八峰がある。この八峰がローチェ、左がプモリ、もっと左がロブチェピーク、その真下にロブチェがあるそうです。写真の右端を5人のパーティが登っているそうです。
私には見えません。カンテガとアダムの間にうろこ雲がかかる。ペンパさんは雪雲だと言う。気温も気圧もさがって来たようだ。
10:45河原でルートが合流。ずーっと緩やかなプモリの河原を遡る。
11:35ロブチェ4928M 血中酸素75−79少しふらふら
洗面所の水はない。ミネラルウォーターで歯磨きする。
女性メンバー うわぁー顔がむくんでいる。
ダイソー夫人 いえ、あなたは美しいままです。
夜中に何度もおしっこに行くのが面倒なので、空きペットボトルをもらう。 -
2010年10月31日(日)
夜中に4度も小便に起きる。3度目で8分目になり、4度目はトイレに行って捨ててくる。
雪が降っている。しかしよく出るもんだ。
女性陣が、ペンパさんに、トイレの水が無くなっているので、補充してくれるように頼んでいる。
血中酸素83−90大分回復した。
昨日ロッジに泊まれなかったポーター達は、だいぶん上の岩屋で泊まっていたそうで、
まだ火を焚いている。ドミで1000RPもとるのなら、あちらの方がよかったのでは。 -
7:50出発 右手の土手を上ると氷河だったと、副リーダーが言っていた。
先方に雲がかかっている。雪が降っているかも。
イタリアの援助で、ソーラーシステムのプロジェクトの看板が立っていた。
左に行くとソーラーロッジがあるが、一般客は泊まれないそうだ。
8:30衣服調整。登山隊の荷物の袋や、ヤッケを統一しようとすると、装備代として80ドルかかるとペンパ氏。
9:20モーレンの手前 レリーフのある所。ちょっとひどい高山病者ちょうど酸素が届いたようで、マスクをかけてやっている。雪が降ってきた。タイツを脱がなくてよかった。
10:00ちょっとしたテラスにて一服
青氷の氷河が美しい。クレパスが青磁色の氷河湖になっている。 -
11:10ゴラクシェフ おそらく世界一高い場所にある宿のはず
宿が見えてから皆さん足が偉く早くなる。15人ぐらいの外人部隊に、To day No goodとか声をかけていたら、何所へ行ったか解らなくなる。一番奥のロッジにまで行くと、皆さんがいた。
所が、私の部屋がないとの事。ペンパさんはクリシュナに他を探しに行けと指示する。
髭の手入れでもしようと、はさみはないかと台所を覗くと、ポテトの皮をむいている。おいらにもおくれよと言うと、皮つきを1個放り投げられた。ホクホクで旨かった。
さびしいので、混成隊のロッジに行く。チャイが1敗180RPと恐ろしく高い。
500RPを出すと320RPのお釣りを持ってきた。ペンパさんにえらく高いねと言ったら、
間違いを正してくれ100RP返してくれた。
雪は降り続く。1000RPぐらい払っても、ストーブに火を入れてほしいと、恃むと入れてくれた。ストーブ代はとられなかった。 -
雪は降り続いた。気温は少し上がったようであるが、逆に、積もるような雪になってきている。北陸の雪のようだ。
温泉のタオル入れを持っているので、多分日本人だろうと声をかける。
何か解らないが西洋人が、頭に2本電燈をつけ、せむしの格好に、マントをかぶってリビングに入ってきた。どうも、明日の天候回復を願う儀式みたいだ。
ロッジの親父からお布施をもらっている。ガイド曰くクルクルパー。
夜中1度しか小便をしなっかったが、朝ペットボトルを見てびっくりした。
なっちゃんのオレンジジュースみたいで、透明感が全くない。
横着してペットボトルを使用しているが、健康管理には役立つ。
朝方早く、ペットボトルを捨てに行くと、玄関近くには沢山の行為の跡が。
誰でも建物から20Mは離れた、おっかないトイレにはいきたくはない。
今日の一句 無理もない つわものどもの 雪の跡 -
2010年11月1日(月)ゴラクシェフ朝、霧が深い。混成隊のロッジに行く。
このまま霧が晴れないようなら、7時に下山すると言う。そうかやはりだめか。
一か八か、ダメもとで行ってみるだけ行こうかとも思ったが、
皆さんと一緒に下山しようと準備をした。
しかし、7:30ちょっともたもたしているうちに、皆さん下山してしまった。
ところが、だんだん晴れ上がってきた。わずか10分ほどのことだ。
やはり最大の目的地カラパタールに行こうと決心した。
水場の横から登り始める。ポーターが水をポリタンの半分ないものに組み入れている。
エベレストは雪煙を上げている。おそらくチョラ峠は閉鎖されていると思う。
小さなタルチョ付近で一服 プモリの左側の鞍部あたりがカラパタールらしい。
エベレストのアイスフォールあたりに雲が出てきたと思ったら、雪崩だった。 -
青年が降りてきた。ウィスキーがあるが一緒に飲まないかと誘うと躊躇なく引き返す。
こういう人好きだなぁ。この人青森から来たと言う。なるほど納得。
10:15 カラパタール頂上 大韓航空から貰ったミニチュア瓶の3本うち、VSOPを渡すとグビグビと飲んでしまった。
さすがに青森君。自分の好きな言葉の一つは「遠慮なく」
テルモスに入れてきた紅茶に少しほしかった、
2本目のウィスキーで紅茶を飲む。クリシュナはいらないと紅茶だけ。
カラパタールは、俺のテリトリーだと匂いつけをする。
30分ほどで下山開始。
♪山に向かって一人乾杯する 我人生に悔いはない(石山裕次老)
豊かな青春、惨めな老後 程ほどの青春、ほど程の余生
見えぬなら見えるまとう カラパタール -
11:14最初のタルチョのところにおりてきた。
目の奥が変だ。肩が異常に凝りだした。目と肩は密接な関係があるらしい。
一時的でよかったが、雪目になりかかっているのではないか。お酒も効いているのかも。
12:20ロッジ着
15:05イタリアソーラーロッジ
15:45パンポチェ だんだんまた冷えてきた
16:35トクラ
17:25着 えらい強い風が吹いている。
ここは壁もしっかりしているし、窓枠も石の中に組み込まれている。柱も梁も少しは頑丈だ。
クリシュナが両替を手伝ってくれる。100ドルが5000RPだと言う。
あんまりなので断る。同宿の久世氏を待つ。
彼は日本円ならOKだが、ドルはいらないと言っていたが、もう1度頼んでみよう。
結局彼のガイドが6000RPで変えてくれる。彼にとってはいいアルバイトだったに違いない。 -
201011月2日(火)
8:10出発
アベックの阿部君がチュクンリの傍に、美しい湖があると外人さんから情報を得てきた。
クリシュナにガイドから詳しく教えてもらえと頼む。 アダムプラに向かって下る。
9:20タンボチェとチュクンへの分かれ道。ヤクガファイティングしている。
久しぶりの村。水場でシャンプーする。
タオルはリュックの中にあるので、わざわざ出してもらう。
しかし汚いねぇー。キムチの汁や、鼻くそがこびりついている。
娘が床雑巾を石鹸で洗っているので、貸してもらい、イシにたたきつけて洗う。 -
クリシュナは煙草を買いにどこかへ行ってしまった。日向ぼっこは気持ちが良い。
タイツを脱ぐ。ヘリコプターがこちらに向かって、超低空飛行で降りてくる。
Uターンして村に降りてきた。着陸地点が山裾で直接降りられないようだ。
山襞の上に頭を出しているのはローツェ登る者と、下る者の差が激しい。チュクンリも相当きついようだ。どんどん進むと、前に見えていたヒマラヤヒダが、いつのまにか右になる。
11:20Lunch Plase 直角方向にヌプチェと白い山。イエローバンドが良く見える。ネパール人が担がれてきた。ポーターのようだ。ポーターでも高山病になるときはなるらしい。ラーメンを頼む。何所でも中国製のインスタントだ。自分は少し硬いのを食べ始め、ちょうど良いころには食べ終わるのだが、このラーメンは食べ始めは固くてまずく、すぐに柔らかくなり過ぎまずくなる。卵を入れてもらえばよいがなかった。
いくらと日本語で聞いて200RP渡すとOK,OKと済まされてしまった。 -
荷物をここにおいて行けばと言ったら、チュクン ワンナイトと言う。
チュクンリに登ってパンポチェ泊まる者と思っていた。
11:50発
12:20何の苦も無くヤクランドホテル。
ホットオレンジを頼むと、カップの底にはシロップがべっとりついていた。
12:55出発しようとすると、まだだと言う。ミックスロールが注文もしないのに出てきた。そういえば、さっき夕飯は何にしますかと聞かれたので、
注文しておいてもらったが、まさかラーメンを食ったすぐに後にまた注文を取るか? -
13:15降りてきた女性に4アワー?と聞くと3アワーと答えてくれ、胸に手を当てほっとしたと表わす。手袋を忘れたのでクリシュナに、戻って取りに行ってもらう間、リュックを被いたがやはりつらい。
14:10大きい山と小さい山との重なり合う稜線 やっとはるか遠くにチュクンリが見える。クリシュナはかえるか?飛んでもありません。行くのに決まっている。立山室道から、一ノ越の峠を越えて、雄山に向かうより距離、高さがある。
14:55小さな稜線を越える。黒い稜線とチュクンリの鞍部が見えてきた。
氷河がきれい。目の高さの岩まで、17歩で1ハーゼーだった。
それが目の前にある峠まで、30ハーゼーぐらいだった。 -
イチオシ
16:20パス着 今になって右の高い方へ行くのか、簡単そうな方へ行くのかと聞かれる。
シェムシェム同じだと言われる。艱難辛苦我に与えたまえ、右に行く。
16:45タルチョの所でフィニシュと言われる。
もっと先があるが切りがない。プモリまで行ってしまう。
あちらのピークよりも高い。大韓航空のジンと黒ラベルをちょっとだけケルンにかけ捧げる。
カラパタールでちょっとだけ飲んだが、下山がひどかったので今度はのまない。
16:55下山 ちょうどカメラのバッテリーがないようだ -
山がだいだい色に代わる。ニセエベレストが薄紫色の空に生える。
パナマウント映画のロゴのように見える。
カメラ好きの人なら、見逃せない光景だ。ちょっと見られぬ光景だ。
はるか下方にロッジの明かりが瞬いている。
ヘッドランプはもしかしてと持って来ていたが、こんなに遅くなるとは思っていなかった。
来る時に出会った人は4時間と言っていたし。
ランプが一つしかないことがより時間がかかったようだ。
18:50半分泣いて、ロッジに到着。
卵かけごはんにする。フレッシュ卵プリーズいやフレッシュエッグプリーズと言い直す。
安部君が笑っている。プレーンライスは外米だけど、まぁまぁ食えた。
持参の佃煮風アサリのふりかけが、やはりおいしかった。
切れ長の二重まぶたの美人もけったいなものを食っていると笑っている。
4日間履きっぱなしのパンツを、サラサラパンツに履きなおし、
銀イオン濡れティッシュで全身払拭。あまり汚れてはいないようだ。 -
2010年11月3日(水)咳をしている人が多い。
安部君は岐阜の出身で、彼女とはつい最近同行態をとり始めたそうで、
いい出会いがあったようだ。
昨日は湖を探しに行ったけれど解らなかったと言っている。
今日はチュクンリに行くと言うので、お酒を下げてきてくれと頼む。
7:55出発。
8:15ランチランド
9:05埼玉県の笹岡さん老夫婦。いたわり合いいい味が出ています。
いろいろ取り合わせたおつまみをくれる。自分でアレンジしたものだろう。 -
10:45ウォション 灌木の間に雪が残っている。
11:10ソンマSomare
11:45パンポシェ パン屋さんのロッジなのか、パンやケーキを売っている。
昨日の昼のロールパンを食べるがおいしくないので、
ほとんどクリシュナがペチャペチャと食べた。自分はバーガーにした。まずまずと言ったところ。
クリシュナはジリに電話している。1分間20RPインターネットとおんなじ。 -
12:40カイラスホテルから見たカイラス。本当によく似ている。沢に沿ってずーっと下り。
1:15橋の手前で一服 雲が出てきてカンテガは隠れてしまう。
コンデが少しだけ見える。対岸に渡る。サルガオが垂れ下がっている。
雨や霧が多い証拠。
1:50Debuche 一服きれいな新築ホテル2軒テント場あり。
2:25もうすぐだからとまた一服
2:30タンボチェ 200Mも行かずについてしまった。
ここはすごい迫力でカンテガの横っ腹を見せてくれる。おそらく2000Mはあるだろう。
時間のない人でもここまで来ればヒマラヤのすごさを体験できる。
ここにはアルパインのメンバーが泊まっている。脇の下にペットボトルを当て、
ちょっと圧力をかけると、反対側の鼻づまりが取れると言っていた。
123−86−75若い者のような数字になった。
一般の観光客は、タンボチェまで来るのが、せいぜいだろう。
カラパタールまでの行程だと「金払ってるのに何で罰ゲームみたいなことやらせるのか」と文句を言う客は確かにいそうな気はする。お金と時間とリスクを掛け合わすと最大公約数がここあたりになる。ナムチェあたりだと飛行機代もったいないと思う。ハイライト見ずに帰るって感じ -
イチオシ
2010年11月4日(木)
あまり寒くないと思ったが、少し風が吹くとやはり寒いのでマニ車小屋に逃げ込む。
まずカンテガの頂上部がほんのちょっとピンク色になる。
まるで逆光なので、山肌は黒くしか見えない。
コンデリが横ライトを浴び、4つ程のコントラストを見せ始める。
ゴンパからはドラの音が鳴り始める。お参りしているのは、犬1匹だけ。
正面に向いてハチ公している。
アマダプラは最後まで光らなかった。ゴンパからは正面にカンテガからの朝日を受ける。
荷作りしていると、リュックの底から、綿棒と、耳かきが出てきた。
当然たっぷりと耳垢が採れた。
パンケーキにジャムを持ってきたので、ハニーはないかと聞くと、ジャムは下げられてしまった。隣の席の人は向かいのベーカリーホテルから、焼きたてのパンを取り寄せている。クロワッサン風でいかにもおいしそう。
百坂や 古き宿場のマニ車 なおあまりある 昔なりけり -
8:00出発 緩やかな坂を快適に下る。
エベレストホテルや、クムジュンの町も目の高さに見える。
急坂をよたよたと快調に下る。外人さんは飛ぶように駆け降りる。
ポーターは前後に荷物、手に袋を持って、必死になってついている。
9:00谷底でスプライトを飲んでいるのを見て、今回初めての贅沢をする。
クリシュナは本当にスプライトかと確認している。ここでさえ250RP(300円くらい)もする。
9:50Losasa 少し急な登り。ジグザグ道で、息もきれずに登る。
久しぶりに赤ちゃんと猫を見る。 -
10:45Sanasaジャンクション
クムジュン20分、ゴキョウ?H、タンポチェ2Hと書いてある。下りでも2時間45分かかったぞ。
11:45クリシュナ ビスケットを1袋全部、水なしで食べてしまった。
12:35ナムチェ着 着くなりクリシュナは煙草買い。
街道沿いの小学校の下で銀行があった。100ドル6800RP
工事中のホテルがあった。ここでは梁に鉄筋を入れている。
13:00レストランに入る。
ヒラリーさんの銅像はどこにあるかと聞くと、それはクムジュンにあると言う。年末にニュージーランドに行くつもりなので、若いヒラリーと年食ったヒラリーさんを撮り較べて見たかったのに。 -
ポップコーンを注文する。ポップコーンを日本語でなんというのかと聞かれ、
ポップコーンはポップコーンだよと答える。
13:30少し降りたところにビリヤード家があった。
4人でキュー2本でやっている。へたくそだ。
2:25ナムチェの急坂の途中の休憩所
ミカン2こ100RPだと。1個40RPにまけさす。グァバない。
甘みが強くなったような気がする。もう少し下るともう1軒店を開いている、
ここでは1個30RP
15:05 1の橋
15:30 2の橋の手前より、赤い屋根のジョサレが見れる。 -
15:45Jorsalleの検問所2805M
兵士の後ろに回りワァーと驚かすが、このおっさん何しているの状態で反応なし。
さすがにネパールの兵士。
吊り橋目いっぱいにポリタンクを運んでいる。4×4の3段48個だ。
16:15急な坂を上ってモンジョの関
入山した日付と付け合せてOK
16:20どこかでツナスパゲティがおいしかったので、注文しようとメニューを見るが、
トマト何とかと3種類しかなく、トマトソースウィズツナと注文したら、
トマトソースのかかったスパゲティに皿に乗せられたツナ缶が出てきた。 -
2010年11月5日(金)
朝 ここは谷間にあるので、見晴らしはよくない。
マリーゴールドとコスモスが植えられている。久しぶりのような気がする。
トイレは白き人々の座で、便座もついていた。
2001〜2002年度版の地球の歩き方があった。
内容は大まか過ぎて、あれでは迷い方と言われても文句は言えない。
竹の節の様になっているところから、段々に枝が出ている変な松の木。
カメラがないと探していると、リュックの奥から出してくる。
ルクラまで急いだら最終便に乗れるかもしれないと、クリシュナにあげる物を仕分けしておく。
-
2010年11月5日(金)
8:00出発 NHKが取材に来ている。サミットを行くとかなんとかだ。
前回のエベレスト特集は熱心に見て、参考にした。
ニュージーランドは今日あたり放映されているそうだ。妻よビデオ録画いているだろうな。
9:20TocToc頑張って降りてきたのに、まだ1時間半もかかっていない。
今日はティハリ。犬もおめかしをする日。
9:55パグディン 腹減った。アップルパイはあまりうまくなかった。アンも少なく上品すぎる。
11:05イエティマウンテンホテルを過ぎる。
12:15ChepLing 田部井順子さんのリンゴ園のプロジェクトは解らずじまい。
次から次と飛行機が発着している。日本人もたくさん降りてくる。岳徒出陣だ。
♪北へ向かう人の群れは 誰もおしゃべりで〜
この人たちはあんなすごい景色もあることも知らずに、ナムチェあたりで満足して帰ってくるのだろうとおもう。
エベレスト 浜の真砂は尽きるとも トレッキングの列は尽きまじ -
クリシュナがのろのろと遅い早く行って乗れるように頼みこまなければと思っているのに遅い、
スターバックスならぬスターバラックの看板(真中の絵柄がアマダブラになっている)を
撮っておきたいのに、待ち切れずに通過する。
13:30ルクラ空港着 問題の鼻ぺちゃ飛行機はまだ直している様子もなく、邪魔な位置に置いてある。空港内はいっぱいの人先頭部分にも荷物をいれれるようで、お米らしき袋を詰め込んでいる。係員らしき人に券を見せ、テイクミーと腕をとる。
AGN航空へ連れられて、明日の予約をキャンセルして、今日の便に乗せてくれるようになる。
今出発する飛行機が、25分でカトマンズまで行き、帰ってくれば乗れると言う。
クリシュナにあげる物を渡し、22日分の残り5000RPとジリまでの帰り分3日分をチップとして支払う。いいガイドとは言えなかったが、いい奴だった。
金沢市民マラソンのTシャツを着ているポーターがいたら、声をかけてやって下さい。
♪ルクラ離れ離れになろうとも、山行仲間はいつまでもぉー♪(行高山念生)
これがまあ ついの終わりか ルクラの空 -
駐機場より滑走路に出るとき、例の事故機の翼と翼が触れ合うように、くるりと回転している。
滑り台の最初みたいに、ほんの5Mぐらい平行に進み、がくんと機種を落とし、滑り落ちる。
飛び立っても、眼下はすぐ山で、すれすれに飛んでいる。不時着しようとしているのではと思うくらいだ。ジリから歩いてルクラの下の道を歩いた時には、目の高さか下に見えた。
まぁ無事に新聞にも載らず、カトマンズに着いた。バスが迎えに来て各々荷物を持つ。ターミナルには入らず、いきなりタクシー乗り場に降ろされる。何に乗ろうかという選択肢はない。
自分はどうしてもバスで帰りたいので、国際線と国内線のちょうど中間あたりにある道路より300Mくらい歩いて国道に出る。タイミングよく、右から左に行くバスが来たので、タメールと確かめて飛び乗る。 -
車掌がタメールと言って教えてくれる。ここはどこだ。
お店の人にタメール、タメールと聞きながら20分ほど歩いた。
ホーリーホテルに着いたが、今日は満室だと断られる。ホテルの親父は入り口で、ティハールの吉祥紋を書くのに一生懸命で相手にしてくれない。従業員は親切だった。
預けていた荷物を受け取り、近くのアラブ系のホテルに投宿する。
アラブ系というだけで、なぜだか何だか不安だ。
ふる里でネパールすずきの塩焼き定食を食べるが、
町でよく見たと言うか、これしか見なかったと言うべきあの鯉だろう。
あまりうまくはなかった。生卵をもらい、卵かけご飯にする。
日本人が明日は、ティハール3日目で、昨日、今日と営業していた店も、
ほとんどしまってしまうから、気をつけなさいと教えてくれた。
ホーリーはほんの少し小路に入っているので、朝の祠の鐘の音がするだけだったが、
このホテルは本通りに面しているので、夜中までうるさかった。 -
2010年11月6日(土)
チェックアウトして、ホリーに荷物を預ける。
レンタルバイク屋は、看板だけ通りにあるが、店は少しだけ小路に入った所にある。どう見ても洋服の仕立て屋だ。なんか副業に貸し出しているようだ。しきりに店がお昼にしまってしまうので、返す時には親父の店へ返してくれと言っている。少し離れたバイク屋の隣のランドリーに連れて行かれる。
これも昨日話を聞いていたから解ったもので、聞いていなかったら、さっぱり理解できなかったろう。1日500RP
まずは、ガソリンを入れなければいけない。スタンドで10?だけ入れる。1200RP払ったような気がする。ガソリン代は日本とおんなじか、高いくらいだ。タクシーも結構高いのも解る。 -
まずは、どこへいこうか?古くからの宿場町のSankhuへ行こうと、むやみに走り出す。ただ走っていると、見覚えのある通りに出た。アメリカ大使館だ。
初日に行ったブタニールカンタへの道だ。まぁバイクに乗れれば何所へでもよいし、
豆粒のアンモナイトをもう少し買っても良いと進む。
カンタ様も拝まず、店やを冷やかすが、豆粒をどこで買ったか忘れている。
ピンクの岩塩を、ひとかけら30RPで買う。塩なんて安いものだし、
何所でも売っているだろうと1つしか買わなかったが、他では目につかなかった。
赤い飛行機の横には、もう20年も前に無くなってしまったPAN AMの文字が書いてある。
大体の自分の位置が分かったが、あちらの方向だろうと向かうが、また解らなくなる。
日ネ共同で作っている立派な高速道路のようながたがた道を進む。
飛行場で一緒に泣いていたハザマの人は、道路を作っていると言っていた。
この道路のことかな。 -
このバイク、壊れているのか、操作が悪いのかセカンドからトップに入らないので、
30KMぐらいしかスピードが出ない。
街中を走るには構わないが、郊外には都合が悪い。カトマンズを1周するリングロードに戻る。
エレベーターも珍しいと言うカトマンズに、エスカレターのあるマーケットができたと、
HPで紹介されていた。でもえらく小さい建物だ。2つの建物の間に地下駐車場がある。
ティハリなので人が一杯来ている。 -
リングロードを進むと、パシュナートテンプルに出た。火葬場だ。ここも35年前に来ている。
バスが止まっている駐車場から土産品売場がずらーと並んでいる。
あまり買いたくなるものはない。アンモナイトなんか灰皿にでも使えるように、
少しは加工するとかすれば20ドルぐらいに売れるだろうに、2ドルくらいで売っている。
ネパール人は商売が下手である。
対岸にバイクを置いて、いつでも見ていられるようにする。
もうすでに2つは燃え上がっている。火葬場の方へ行ってみる。
小さな門をくぐり河岸に入る。ここはヒンズー教の人しか入れないことを後から知る。
ヒンズー教徒は、墓を作らないし、死に対してあっけらかんとしていると聞いていたが、
やはり親族との別れは同じで、ワァンワァン泣いている。
しかし、それにしても汚い川だ。少しは環境整備とかして、聖なる河らしくしたらどうでしょうか。 -
2010年11月7日(日)
もう朝から大混雑。車は一つも動かない。
車もすごいが人もすごい。大音響で、トラックの上や、路上で踊りくねっている。
たすきをかけて何かアピールしている。もう何が何だか解らない。
さて、今日1日何所へ行きましょうか?思いつくのはカトマンズの発祥の地スワンプナート。
リキシャを捕まえて100RPで行けと言うが、150RPになった。
小さいことでは文句を言わない。
リキシャのおっさん相当の年だぞ。ヒイコラ、ヒイコラと言っている。ここで降りてくれと言われる。丘の上にあることは知っていたので、無理を言わずに降りたが、けったいな所だ。あの階段を登れてか。150RPは高かったかな。タクシーなら上まで楽に行くよ。
階段を上ると小さなお寺があり、犬が4匹卍になって寝ている。
丘の上は段になっており、だいぶん遠くに、相当に高くに見える。
あそこまで行かないと駄目なのかと、リキシャで来たことを悔やむ。 -
スワンプナートの仏像は大日如来とガイドブックに書いてあった。
鎌倉の大仏や、奈良の大仏と同じだ。長い階段を上っているうちに、
ずいぶん前に亡くなった父や母、
つい最近亡くなったカナダの小父さんのことが、思い出し愁傷な気持ちになった。
サルの親子たちを見たからかもしれない。
パゴダまで着くと、日本人のオバちゃんグループが、下から登ってきたのぉご苦労なことで。
ここの大仏様は印を結ばず、右手を伸ばしている。いえ、差し延ばしている。
いつも思うのだが、外国の仏様ありがたみが薄い顔をしている。
日本人だからかな。外国人が日本の仏様を見ても、違和感があるのだろうか。
タクシーやバスで来ると、入場料が採られるらしい。
裏口入場にはとられない。リキシャでヒィコラ言って登ってきた御利益だ。
タクシーに乗って、ダルバースクウェアに行く。
運転手は気を利かせて、入場券売り場の目の前に停める。
仕方がない200RPだったか支払う。何所にでも降ろしてくれれば、払わなくても良いものを。
ケチな奴にはいい旅できないよ。 -
朝の大混雑の後に、曼荼羅のおそらく吉祥天(ラクシュミ)の絵を、花びらや穀物で路上に描かれていた。ティハールの3日目は吉祥天のお祭りだ。
写真を撮りやすいように脚立が用意されている。賽銭箱も置いてある。
これにはちゃんと入れる。
ネパール最後の夕食は、カジノでバッフェを食べたかったし、
北朝鮮の喜び組のレストランでもよかったのに、夕食は日本食桃太郎。 -
2010年11月8日(月)
世界遺産のパタンへ行く。遠くにどこかの山が見える。観光客は皆胸に黄色い入場料の証をつけている。見物していると、ちょっと泥で汚れている証が落ちていたので水洗いし、
ちょっと破れていたが胸に張る。チケット売り場の人は何にも言わなかった。
岩塩を買おうと思い探すがない。
市場のあんちゃんに聞くと、香辛料と一緒に売っていた。
おそらく1kG100RP.白いのと、茶色のを買う。ばらまき土産にはよいと思う。
来た時はタクシーだったが、帰りは市場に何台か停まっているバス。
確か20RPだった。降りたところは、カトマンズでも珍しい横断陸橋のある所。
もう最終日なので、自転車のアイスクリーム屋で買い食い。少しざらざらしている。
歩道わきに、サトウキビのかすが束になっているので、今度はちゃんとしたジュース屋で飲む。マンゴーやグアバの缶ジュースも売っていた。 -
辞ネパの句
旅さそう 我よりもなお 友はまた ヒラリ街道 如何とかやせん(朝野カワヤの紙)
あらたのし 思いは遂げて 身は満つる ルクラの月に かかる雲なし(大石又来助)
面白き旅 さらにおもろく 面白く(坂本利用馬)
「If I don't see you in this world, I will see you in the next one. Don't be late.」
(現世で君に会わなければ、来世で会えばいい。遅れてくんなよ)
現世でも前世でも君に会えなかったな。来世で会えばよい。遅れてくんなよ。
ジミーヘンドリック アメリカの有名なミュージシャン。ヤフーで検索すると300万もの検索がでた。
ジョムソン街道に落書きが残っている。来年はアンナプルナサーキットに行こう -
空港に行くと、東京混成隊の皆さんもおいでた。
やはりバンコクで1泊して帰る。私の顔を見てえらく若くなったねェと言う。
別れた時には、髭を伸ばしていたからで、やはり剃ってきてよかった。
皆さんもエベレストを堪能されて若返ったようだ。
仁川空港の地下にあるサウナで、約5時間ほど過ごして帰国した。
一刻でも早く帰りたいので、成田エクスプレスに乗り、
上野から新幹線、越後湯沢で乗り換え、金沢に夕方帰着。
強風のため列車が大幅遅れ、前発列車がマダ越後湯沢に停まっていた。
車内ではしきりに遅れていることを、お詫びしている。
ネパールでは事情報告さえなかった。
妻に迎えに来てもらい、そのまま回転寿司に。
家に帰り着くと、新しい冷蔵庫が買い換えてあった。 -
あとがき アドバイス
どうせポーターが持つのだからと、いろいろなものを持っていった。
持って行って良かったもの
日本食 ふりかけ サバの味噌煮 サンマのかば焼き 氷砂糖 ミルキー
万金油 ソイジョイ 子供の土産 温度計 磁石 血圧計
ヒートテック(温熱下着上下)薄手のジャンパー レインコート上下
色の悪くなった下着、シャツ (ポーターが欲しがる)
名刺 自分のPCで作った。単3乾電池24本
持ってくれば良かったと思うもの
海苔の佃煮 セロテープ(地図の折り目を補強)
ものさし(地図を見るときに必要)
甘納豆 いろいろ入ったおつまみ
現地で買ったもの
ビスケット ダイヤモックス 10万分の一の地図
現地で絶対必要のもの
ストック 出来れば2本 1本5ドルから良いものがある
シュラフ −10度程度なら20ドル以下
羽毛ジャンパー 現地が安い
ルピー 両替は余りあるほど沢山しておくこと
写真は杖の頭に、たまたま持っていた水泳用の耳栓のキャップをガムテープで取り付けた。
掌が痛くならない
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この旅行記へのコメント (1)
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- 風神さん 2010/12/04 15:38:44
- チャウ様
- 大作ですね
大変面白いです
1票!
風神
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