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 こんにちは。私はマリヤ・ドミトリエワと申します。ロシアの画家です。この前日本に行って来ました。<br /><br /> 私のふるさとであるセルギエフ・ポサード市はいま夕方で、雨が降っていて、日本から持ってきた緑茶を飲みながら、この滞在記を書いています。・・・なかなかいいですね。<br /><br /> 「いいですね」(ロシア語では「ハラショー!」)という言葉を日本で何度も何度も繰り返しました。<br /><br /> 私が日本を訪れたのは、詩人であり、作家であり、哲学者であり、写真家であり、画家であり、鎌倉にある「コケーシカ」というマトリョーシカ店の店主である、沼田元氣さんに招待されたからです。

マトリョーシカ作家の日本滞在記

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2010/05/03 - 2010/05/04

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

 こんにちは。私はマリヤ・ドミトリエワと申します。ロシアの画家です。この前日本に行って来ました。

 私のふるさとであるセルギエフ・ポサード市はいま夕方で、雨が降っていて、日本から持ってきた緑茶を飲みながら、この滞在記を書いています。・・・なかなかいいですね。

 「いいですね」(ロシア語では「ハラショー!」)という言葉を日本で何度も何度も繰り返しました。

 私が日本を訪れたのは、詩人であり、作家であり、哲学者であり、写真家であり、画家であり、鎌倉にある「コケーシカ」というマトリョーシカ店の店主である、沼田元氣さんに招待されたからです。

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  •  宮城県・白石市では毎年5月に全日本こけしコンクールが行われます。私はそのコンクールに招待され、こけし作家の方々と会い、こけしの作り方を観ることができました。<br /><br /> コンクールに出されたこけしをみて、なんと技術が高いのでしょう、なんとプロの作者が多くいるでしょう、と驚きました。たぶん、どこの国の画家でも理想の釣合を見つける能力があると思います。こけしの外形には一定の条件がありますが、模様はいろいろありますね。わりと簡単な技術で人柄を表すことができます。コンクールに出展されたこけしの中には、織物のような複雑な模様や、新規デザインの彫刻のこけしもありましたが、伝統的なものはそのシンプルさで人の心を惹きつけます。<br /><br /> こけしの産地、弥次郎村では、新山さんというこけし作家に会いました。すべての画家はよく似ているなと思います。彼は陽気で、嬉しい人でした。新山さんのアトリエは私の父のアトリエとすごく似ていました。ほこりだらけの棚に、新山さんの娘さんたちの人形を含めて、鋸、白木、スケッチのアルバムなどが置かれ、天井近くに貼り付けられた賞状などを観ながら、お茶を飲んで、芸術について話をしました。私の目の前で、絶妙な釣合の独楽(こま)が彫られて、絵がつけられました。<br /><br /> 今ロシアに帰って、家族の皆でその独楽と遊んでいます。<br /><br /> 白石の景色を言葉で描くことは難しいです。幼いころ、日本の美術アルバムを見たときに、その浮世絵にでている景色は実際のものではなく、画家の空想だと思いました。白石の周辺を夕方散歩したとき、霞がかかり、まさに浮世絵の世界が浮かび上がり、木の外形が本当に丸い形をしていることがわかりました。<br /><br /> 遠刈田温泉では、こけし作家の佐藤さんが歓迎してくれました。その地域のこけしの目は、すごく美しくて、表現力が高いと思いました。自分でもこけしの絵付け体験をしてみました。きれいなこけしを作ることができました。<br /><br /> 鎌倉の沼田さんのお店で開いたマトリョーシカの絵付けマスターコースもとても楽しかったです。日本人はとても知識欲に富み、何にでも興味をもっている気がします。マトリョーシカの家族のアイデアを教えてみると、それぞれの参加者は自分の家族を描きました。日本人は自然な画家だと思います。マトリョーシカはみんな肖像のように似ていました。性格もそれぞれ特別でした。ある家族のお父さんは、家族のみんなを描いてくれました。自分、奥さん、娘さん、息子さん、最後は1週間後ぐらいに生まれる予定の赤ちゃんも描きました。すごく感動的でした。乙女たちは、自分の似顔絵を描きました。<br /><br /> 東京は小雨で私たちを「歓迎」しました。なので、最初の買い物は一般的な透明のビニール傘でした。都庁の45階展望台まで上がり、巨大な東京の街を見下ろしました。息が詰まり、耳鳴りがしましたが、でも怖くありませんでした。東京の大久保にある、絵画用品のお店に行ったら、たくさんの紙や筆、インク、絵の具があり、驚きました。私も書道を勉強したくなりました。

     宮城県・白石市では毎年5月に全日本こけしコンクールが行われます。私はそのコンクールに招待され、こけし作家の方々と会い、こけしの作り方を観ることができました。

     コンクールに出されたこけしをみて、なんと技術が高いのでしょう、なんとプロの作者が多くいるでしょう、と驚きました。たぶん、どこの国の画家でも理想の釣合を見つける能力があると思います。こけしの外形には一定の条件がありますが、模様はいろいろありますね。わりと簡単な技術で人柄を表すことができます。コンクールに出展されたこけしの中には、織物のような複雑な模様や、新規デザインの彫刻のこけしもありましたが、伝統的なものはそのシンプルさで人の心を惹きつけます。

     こけしの産地、弥次郎村では、新山さんというこけし作家に会いました。すべての画家はよく似ているなと思います。彼は陽気で、嬉しい人でした。新山さんのアトリエは私の父のアトリエとすごく似ていました。ほこりだらけの棚に、新山さんの娘さんたちの人形を含めて、鋸、白木、スケッチのアルバムなどが置かれ、天井近くに貼り付けられた賞状などを観ながら、お茶を飲んで、芸術について話をしました。私の目の前で、絶妙な釣合の独楽(こま)が彫られて、絵がつけられました。

     今ロシアに帰って、家族の皆でその独楽と遊んでいます。

     白石の景色を言葉で描くことは難しいです。幼いころ、日本の美術アルバムを見たときに、その浮世絵にでている景色は実際のものではなく、画家の空想だと思いました。白石の周辺を夕方散歩したとき、霞がかかり、まさに浮世絵の世界が浮かび上がり、木の外形が本当に丸い形をしていることがわかりました。

     遠刈田温泉では、こけし作家の佐藤さんが歓迎してくれました。その地域のこけしの目は、すごく美しくて、表現力が高いと思いました。自分でもこけしの絵付け体験をしてみました。きれいなこけしを作ることができました。

     鎌倉の沼田さんのお店で開いたマトリョーシカの絵付けマスターコースもとても楽しかったです。日本人はとても知識欲に富み、何にでも興味をもっている気がします。マトリョーシカの家族のアイデアを教えてみると、それぞれの参加者は自分の家族を描きました。日本人は自然な画家だと思います。マトリョーシカはみんな肖像のように似ていました。性格もそれぞれ特別でした。ある家族のお父さんは、家族のみんなを描いてくれました。自分、奥さん、娘さん、息子さん、最後は1週間後ぐらいに生まれる予定の赤ちゃんも描きました。すごく感動的でした。乙女たちは、自分の似顔絵を描きました。

     東京は小雨で私たちを「歓迎」しました。なので、最初の買い物は一般的な透明のビニール傘でした。都庁の45階展望台まで上がり、巨大な東京の街を見下ろしました。息が詰まり、耳鳴りがしましたが、でも怖くありませんでした。東京の大久保にある、絵画用品のお店に行ったら、たくさんの紙や筆、インク、絵の具があり、驚きました。私も書道を勉強したくなりました。

  •  日本では、どこでも楽しみを見つけることができるので、散歩が大好きでした。一度、海まで散歩しました。浜辺の砂、波の音、風の音、またとない幸せな感じ・・・「ハラショー!」<br /><br /> 太平洋を見たのはニ度目でした。一度目は1991年、サハリン島で私の最初の個人展覧会が行われた時でした。海辺を散歩して、日の出でばら色に染まる湾をみながら、日本にもあるような貝を集めました。昆布の幅広い紐が波に揺れていました。海辺の小石に日本の陶器の破片が混じっていて、宝物として拾いました。一つ目の破片には松の小枝、もうひとつには鳥の頭が描かれていました。 その時には、その海の向かい側に行けるとは思いもしませんでした。日本はまだ非常に遠くにありました。<br /><br />  別れの挨拶のとき、沼田さんは、同じ小さな日本の陶器が入った木の箱をくれました。いまは、その箱は私のテーブルの上にあります。<br /><br /> 陶器の一部は私の手のひらに ? 日本の一部は私の心の中に。<br /><br />「ハラショー!」

     日本では、どこでも楽しみを見つけることができるので、散歩が大好きでした。一度、海まで散歩しました。浜辺の砂、波の音、風の音、またとない幸せな感じ・・・「ハラショー!」

     太平洋を見たのはニ度目でした。一度目は1991年、サハリン島で私の最初の個人展覧会が行われた時でした。海辺を散歩して、日の出でばら色に染まる湾をみながら、日本にもあるような貝を集めました。昆布の幅広い紐が波に揺れていました。海辺の小石に日本の陶器の破片が混じっていて、宝物として拾いました。一つ目の破片には松の小枝、もうひとつには鳥の頭が描かれていました。 その時には、その海の向かい側に行けるとは思いもしませんでした。日本はまだ非常に遠くにありました。

      別れの挨拶のとき、沼田さんは、同じ小さな日本の陶器が入った木の箱をくれました。いまは、その箱は私のテーブルの上にあります。

     陶器の一部は私の手のひらに ? 日本の一部は私の心の中に。

    「ハラショー!」

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